孟子素読 梁 恵 王  下  十三 君主に諫言するのは君と民を心から思うからである

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  • čas přidán 22. 08. 2024
  • [ 訳 ]
    孟子は話を続けた。「景公は、その晏子の話を聞いて説び、大いに仁政の布告を出し、自ら郊外に出てで宿泊して、民情を視察しました。ここで初めて民政を振興し米倉を開いて、民の足りない食糧を補ったのです。そして、音楽担当の楽師長を召して『我がために、君臣がお互いに喜び合うことを主題に曲をつくれ』と命じました。今に伝わる徴招・角招という楽曲がそれです。その歌詞の句に、『君に諫言したのは、君のことを心から思い、ゆえに君臣一体となって苦楽をともにするということであり、どうしてとがめることなどあろうか』とあります。君に諫言するのは、君を心から思うからです」。
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    現代は、民衆こそが君主である「民主主義」の時代であります。君主(=民衆)が徳を基本にした考えからぶれていたのでは、臣下である政治家が正しい考えに基づいて政治ができるはずがありません。
    #孟子 #素読 #自己啓発 #四書五経 #道徳 #孟子 #梁 恵 王  下

Komentáře • 2

  • @user-ih5ci3fq3l
    @user-ih5ci3fq3l Před měsícem +1

    届く諫言とそうではないのの違いは相手への理解と労りも必要かと。クニを治めるという重責に対するには責めになるだけでは届き難いかと。

    • @rerises
      @rerises  Před měsícem

      全くその通りだと思います。相手への理解といたわりそうですねある意味「君主への愛情」と言えますね。
      私なりの解釈を少しつけ足しますと、諫言は君を思う心が必要ですが同時に諫言は死を賭して行うものっでもありますね。
      おっしゃるように君主の性格によっては単純な責めだけではいけない場合もあるでしょうね。
      それに君主のための諫言ですが、ベースには自国民が安寧に暮らせることが基本だと思います。それがあってはじめて成り立つものだと思います。