【ゆっくり解説】桶狭間で敗れた後の今川家がヤバすぎる!!
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- čas přidán 4. 06. 2023
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
今までは信長贔屓の見解で今川義元は情けない武将のイメージが強かったけど、名門中の名門の家を守ってきたんだから大した人物だと思う。息子は戦国時代向きの人間ではなかったけど、他の誰より長生きして家名を残したんだからいい生き様だったんじゃないかな?
氏真が連歌会開いたり公家招いたりしてるのは別に遊んでたわけではなく文化商業の発展や中央とのパイプの強化が主目的。
楽市楽座やったのだって信長より早いぐらいだ。
負けたから無能というイメージが付いてるけど、実のところ武田信玄が同盟結んでる状態なのにチクチクチクチクと謀略で弱らせにかかったのが敗因。
あの最盛期の信玄相手に謀略で負けないであろう武将がどれだけいたか考えて欲しい。
生き残って天寿を全う出来た時点で時代的には完全に勝ち組なんだよなぁ…
織田家なんて天下人から弱小大名で終わりだからね
元祖高家!
最後まで家名を残した今川はすごいのでは?
上杉は乗っ取られ
武田 北条 は滅亡
他の大名も改易
すごいよ
好きな事をやって天寿を全うし家名も残したんだから幸せだと思う。信長に弔い合戦仕掛けたら織田、徳川、武田相手にしないといけなかったから多分滅びたでしょう。
尾張の守護は斯波氏です。その配下の織田氏が尾張の守護代を務めていました。しかし、色々ございまして尾張八郡中、上四郡を岩倉織田氏が治め、下四郡を清州織田氏が治めるという形になりました。信長の父織田信秀は、その清州守護代家の三奉行家の一つにすぎませんでした。つまり尾張の支配者の家臣のそのまた家臣という家柄です。雑な説明でごめんなさい。
今川氏真という男は、戦国大名として、武略の才能はゼロかもしれなかったが、文化人としては、当代一流の教養人であり、政治・外交方面では優秀と呼べる智略も有していたが、父、義元が余りにも唐突で想定外の討ちタヒをした為、権力の譲渡が殆ど出来ておらず、国人領主を統制に失敗し、其の隙を家康と信玄に付け込まれて、国を盗られ、戦国大名としての今川家は滅びた。けど、この氏真って男、武が絡まないと、かなり優秀で人格も悪くないんだよね。後北条氏から追い出された時、奥さんが実家棄てる程、夫婦仲円満だし、蹴鞠の名手って事は、運動神経も良くて、ソコソコ体も鍛えてあった証拠だし、何よりその後の戦国乱世を上手く立ち回り、最終的には、徳川幕府に高家として仕え、それなりの格式と尊敬を受ける立場で、生涯を終わらせたのだから、無能どころか極めて優秀な文化人。この男は、生まれてくる、家か、時代を間違えた、かなり面白い才覚人だと思う。
ノッブも甘いけど家康も甘いよなぁ
信長は尾張守護代の家系じゃないのでは
父親の信秀は守護代織田家の家老の一人。
守護代の奉行ね!
義元時代から生じていた歪みが噴出していたところに関東へ謙信が、三河に織田が…
国衆を取るか、三国同盟を取るかの二択
これなんとかなるんか?というやつよね
蹴鞠やるのは権威を高めるためで権威が高まれば沢山の侍集団が集まるから軍事力も高まる。だから氏真としてはやるべき事をやってると思います。
ただし、都の風習知っていればの話ですが。