自因自果なら被害者が悪いというのか、加害者は悪くないのか【仏教の教え】
Vložit
- čas přidán 17. 10. 2021
- 仏教ではすべて「自因自果」「自業自得」であり、自分以外の誰かのせいで自分に幸・不幸が生じる、と説く「他因自果」は間違いであると否定します。
この仏教の教えを聞くと、「一方的な加害者によって被害を受けた人も自因自果だというのか」「加害者は悪くないのか、それでは加害者天国であり、治安が悪くなるだけだ、泣き寝入りしろというのか」という反論があります。
この疑問に仏教はどう教えられているのか、今回の動画でお話しします。
お聞きください。
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ありがとうございます。今の僕は孤独、貧困、障がい者です。先天性の遺伝の病気も持っています。今まで僕は先祖や親戚、いじめの加害者をとても恨んでいました。寝てるとき以外はほぼ24時間帯幻聴と闘ってきました。今回これらの不幸の原因は自分にあるということを教えていただき、目から鱗が落ちました。今日は、またこれからも自分を振り返り反省しようと思ってます。納得させていただきました。こころから感謝させていただきます。
先生のお話を聴くと凄く諭されている気がします。すうっと腑に落ちる事ばかりです。いつもありがとうございます。
菊谷先生 ありがとうございます。自分の因を深く反省し、自分が持っている悪い『業』を知って、自分にとっての悪縁が来ても良い結果になるように心掛けたいと思います。🙏
とてもタイムリーなお話をありがとうございます。
まさに娘がDv夫と今 離婚に向けて行動してます。娘の至らなかった部分も親としてわかってます。しかし相手を成敗したい気持ちがムクムク湧きます。それをおさめて行きたいのに…💦
そんな時に 見させて頂けまして
ほんとお腹に落とします‼️🙏
ありがとうございます。
暴力を振るう人間かどうかは、なかなか分からないと思います。外面が凄く良く口が達者ですから、なかなか見抜けません。
成敗したい気持ちがあっても、正しい行ないであればやらないよりやった方が良いと思うのですが。自分は所詮凡人なので、恨みでも何でも活用した方がやる気を持続出来ると思ったりもします。。我々皆、まだ悟ってない人間なのだから、これ仕方がないような気がします。そこから脱しないと自分が苦しむだけなのかも知れませんが。
寝る前の時間に菊谷先生のおはなしを聞いて
心を浄化しております。ありがとうございます👼
菊谷先生。深い素晴らしい仏教の教えをありがとうございました。🙏
生きて来て✧︎こんなに素晴らしいお話✧︎🍀尊いお話に御縁がある事に感謝😊でいっぱいです!ありがとうございます🙏
大変、大事なことを聞かせて頂きました、有難うございました。まさに自分のことだと知らされ、浅ましく愚かな心のままで、残りの人生絶えず罪悪を重ね続け、悪果を受けながらむなしく暮れるところでありました、危ないところでした。
「もしわれ配所に赴かずんば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これなお師教の恩致なり」と、全ては法然上人のおかげであると喜ばれ、真実の仏法をお伝えすることに全力を尽くされる聖人のお姿を拝見し、恨みや報復、無気力になっていてはいけない。前進することが大事だと背中を強く押して頂いた思いであります。人生が変わるご説法でありました。誠に有難うございました。また、繰り返し聞かせて頂きたいと思います。
今日も自分の業の深さを思わずにはいられません。でも前に進んでいくにはやはり恨みではなく許しが大事だと思います😃ありがとうございます🍀
いつも本当に分かりやすいご説明で関心します。とてもためになるお話をいつも有難うございます。
お話聞けて、良かったです。ありがとうございます。
最近、母親の交際相手に熱湯をかけて殺された3歳児がいましたが、これも自因自果と言えるのでしょうか?この子には何の落ち度もないと思いますが、、、
自因自果と言うには、あまりにも残酷だと思います。
そうなんです、これどう考えなければならんのでしょうか?
そこへ生まれたのが因なんだ・・・としたら、おいおい何でもありかいな
そんなこと教えてもらわなくても
最初から解った事です、だから何なんだと言いたくなりますよね、
そうなると人は六道四生順逆の境地に生きる生き方も有りなんでしょうね
何もかもが仏教で解決するわけではないと思います。万能なものはこの世にない。何もかも救いきれるわけではない。つらいです。
しかしこのような事件があると心が痛みます。
我が子のことですが、
3、4歳くらいの時に突然、前のお母さん(前世の母?)から虐待を受け亡くなったような話をしました。
だから自分は今のパパとママを選んできたんだよ〜、と。
天の上から生まれる場所を選ぶのであれば(それを自因というならば)
学び、次は違うところを選んだということでしょうか。
残酷ではありますが、来世は幸せな家庭に生まれていくことを願うばかりですね。
そうです。その親の元に生まれたが為に虐待に遭う子どもは何の因と業があるんですか?
前世?前前世?で悪業を重ねてきて、報いを受けてるんですか?
そこが仏教の教えの納得いかないところなんです。
中には赤ちゃんを虐待で死なせる親もいます。
いつも良いお話しありがとうございます。
ありがとうございます!自因自果を本当に受け入れるのはめちゃくちゃ難しく感じますが、受け入れたいです!
素晴らしいです
繰り返し聴きたいと思いました
何か事件が起こったら慈悲喜捨の心を持って、自分を見つめ直すことにします
いつもいいお話をありがとうございます。田原
先生がコメントで返信されていた、業力によって「そこにいた」ということになるというお話、その業力が引き寄せる力の強さなどについて、私も興味があり、是非詳しく聞いてみたいなと思っております。先生のお話、仏教のお話、いつも参考にさせていただきながら生活しております。これからも動画楽みにしています。ありがとうございます。
繰り返し聞きたいなと思います。親子間で無理心中事件がよくありますが、自因自果なら、0歳児にも原因があるということなのかな、と思って今まで不可解に思っていました。彼らは、親を恨んだり報復するという意識もないままに、生後すぐに亡くなってしまうわけですが、どういう原因の、どういう運命で、あのような理不尽な目に合うわけなのでしょうか。前世の償いとか、宗教上の解釈が色々あると思いますが、いつか、分かりやすいようにお話しくださればと思います。もし、過去にそのような説明をされている回があればすみません。
私も同様の事を思います。
自因自果を是とするならば、幼い子供にまで悲劇が起きる理由がどうしても納得できないのです。
これを肯定するには「魂の永続性」を肯定しなければなりません。
目は見えるのですが、何度も聞いているうちに左目が少しだけ見えてきた様な気がしました。なんとも言えない気持ちです。
何十年も上階の騒音で苦しみ寝不足で心身にも仕事にも影響が出てきました。怨みに代わるところでした。悪い縁も有りますがそれ以上に良い縁に恵まれてきました。仏様が必ず助けてくださいます。心を煩わせている時間はないです。ありがとうございました😊
自分は物心ついた時より両親が信仰していた関係で、幸せなことに仏縁を頂き仏法に巡り合う事ができました。知れば知るほど、学べば学ぶほど深遠な教義の仏教の、難解なエッセンスを、先生の動画のお話で大変解り易く伺う事が出来ました。有難うございました。
広島で一生懸命努力して生活していた人がいます。ある日、突然原子爆弾の放射能を浴びて、障害者になったとします。この時、因は、そこにいたこと。縁は、爆弾が落とされたこととして因果の法則が成り立つと考えます。同様に、突発的に自動車が突っ込んで来て、その後の人生を狂わせた人などにも因果の法則が成り立つと考えますが、当被害者にとっては、因果の法則を説明されたとしても、到底、その人を救えないと考えます。同様な人たちを仏教では、どのように考えれば救えるか?動画に上げて頂ければ幸いです。
業力によって「そこにいた」ということなのですが、また動画でお話ししたく思います。
>因果の法則を説明されたとしても、到底、その人を救えないと考えます
‥…その通り、そこなんですね、ポイントは、
素直に考えると、しょせん嘆いても取り返せないものに対して、
具体的物理的に「救済する」という為の教えじゃなく
「自分が広島にその時間にいた、から被爆した」・・
せめてそう思い、「諦める」、良いとか悪いとかじゃなく、
(諦めることにより救われる)、と言う事なんだとしか思えないですね、
・・と・・・「自分が広島にその時間にいた、から被爆した」・・
それだけの事??だったら、教えてもらわなくっても最初から承知してます
でも諦めるしかない、ってことでしかないのでしょうか・・・
案外、最初から当たり前に解り切ってることが、最後にたどり着く「悟り」
と言う事かもしれませんね、
でもそこえたどり着くまで、ザケンジャねえぞばかやろー・・って
悩み苦しみのたうち藻掻くのが人間なんですよね
某上級国民の方に妻と子をひき殺され、残された旦那さんに「自因自果ですよ」等と口が裂けても言えないですよね
動画内で悪縁が~とおっしゃっていますが悪縁=他因であってつまり他因自果でもあると思うのです。
自因か他因かのどちらかではなくどちらもあると思うのです。
他因の存在も認めるからこそ自動ブレーキであるとか高齢者の免許返納といった形で世の中の改善に結び付くわけですから無理に自因自果に当てはめることないと思います。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者に、とてもじゃないけど『自因自果ですよ』とは言えないですよね。
じゃあどうすれば被爆を回避出来たか?
核兵器という戦艦大和の主砲なんかじゃ足元にも及ばないほどの破壊力を持った未知の兵器。
ヒロシマ・ナガサキの一般市民がその存在を知る術もありません。
よしんば事前に察知して全員が防空壕に逃げたとしても甚大な被害は免れないでしょう。
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口に出して自因自果だと言わずとも、その上級国民によって命を奪われた被害者の自因自果だとホンの少しでも心の中で思う者は創価学会信者やエホバ信者よりも遥かに人間性が腐ってると思う。
最近もありましたが、街中での無差別刺傷事件でも自因と言うのでしょうか?
街中に出た自分が悪いと責めるのは無理があります。
宗教やスピリチュアルでは都合の良い例え話をしますよね(笑)
良く考えれば今回の話に出てくる女性も実は全く悪くないんですよね
その女性の結婚するまでに形成された人格は生まれ持った個(遺伝子)と親を含めた環境、生まれた時代によって
作り出された物で、本人はほぼ決められたレールの上を歩いているだけに過ぎませんし、生きている人全員に当てはまります
反省するのは良い事ですけど、全て自分の責任だと言うのは完璧に間違いです
今回のコロナや戦争、赤信号で車を停車させていたら後ろから車が追突してきたなど大なり小なり
自分の力ではどうやっても防ぐ事が出来ない事、責任が全く無い事は山ほどあります
一番大事なのは仏教だから、○○が言っていたからではなく、自分軸をしっかり育てる事だと思いますね
前世の因縁かもしれないですね。今世の行いが悪いと、犯罪者の多いところとか、飢餓の国に落とされると、霊能者の友人が行ってました。
菊谷さん
今日もありがとうございます😊
「自因自果」何度も何時も聞いている言葉なのに、まだどこかで相手のせいにしたり、自分を正当化しようとする私がいます。
勉強の旅はまだまだ続きそうです(笑)
本当に相手に責があるのなら、それはむしろ大事なことだと思いますよ。負い目を感じる必要はまったくありません。
ありがとうございます。人を怨み呪うより自分の心のケアが大切ですね。廃悪修善ですね。仏縁と親鸞聖人を含む尊い三宝に感謝です。「流罪の身をば方便と 都に散りし法の花 厳寒深雪の越後路に 御法の春をぞ迎いける」を想起しました。菊谷先生、今回も大切なお話と有難い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝
自分の鍵の掛かったマンションの部屋で寝ていたら見ず知らずの者に殺害された。とか、
歩道を歩いて登園中の園児に車で突っ込んでこられ死亡する。とか、
渋谷で上級国民に車で突っ込んでこられ死亡した親子なども
殺された側に原因があるとは思えませんが。
説明してください。
ありがとうございます。まずは深信因果することです。大宇宙の真理である仏法はすべて三世因縁果の道理(特に大事なのが自因自果)に始まります。多くの人は他因自果の惑業苦の負のスパイラルでもがき苦しんでいるのです。次に真実の自己の姿を知り、後生の一大事そして苦悩の根源を知り、阿弥陀仏の本願に救われるしか方法はないのです。それが、仏教は後生の一大事を知る事に始まり後生の一大事の解決で終わると言われる所以です。ただこの世の夢幻で迷いの世界にいる我々人間の凡知を超える仏智を賜るしか、はっきりとそれを明信仏智することはできません。ゆえに只仏法は聴聞に極まることなり、なのです。真剣な聞法精進あるのみです。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
菊谷先生いつもありがとうございます。
私の人生にも相手を許せない心がありましたが残り少ない人生やっと許す心になり心身共に元気になり恵まれた私に感謝です。
命に限りがあると実感してから、本当に嫌いな人の事を思い出したりするとか、そんなバカな事に、一秒も使いたくないと思いました。もっと大事な事にこそ、使わなければ!だから恨む心を手放せました。気づくまで長い時間かかったけれど。
恨みは人生の障害となる、人にとって大切なのは笑顔やぬくもり、人生を称えられる富で、それを目的としている時間が、有効で潤いのある時間。やはり争いを中心において、人は幸せに生きられません。今回の話は心温まりました。
いつもありがとうございます。
良縁もあれば悪縁もあり、白もあれば黒もある。陰と陽の世の中で自分は生きてる。ある意味人生一生修行みたい。いつも失敗の多い自分やけど次に活かせは知的財産と信じ生きてます。人生いつまでかわかりません。今日とも知らず明日とも知らず。だから泣いて生まれたならば、
笑って逝きたいです。
いつも素晴らしいお話✨✨✨
ありがとうございます🙇♀💕💕💕
とても素晴らしいお話だと感じました。
こういうところが仏教が既存の宗教と根本的に違うところですね。
感情を持った人間としては受け入れ難いと騒めく僅かな自分もいる一方で、
仮に人間がこの真理の理解に柔軟さと謙虚さを持って近づけたなら、人間は輪廻転生から根本的に解放されるでしょうし、これまで治療が困難と信じられてきたさまざまな障害や難病、戦争を未だにやめられないない人類にも新しい光明が差しますね。
ありがとうございます!
不俱戴天の仇、と、ことあることに怒髪衝天することが多い昨今でございますが、なんとか屋根のある家に住んで食事もいただいておりますことに感謝。
いつも貴重なお話、誠にありがとうございます。
なるほど、すべて、因、果だけでないですね。縁があるのですね。そういう縁を選んでしまったということですね。納得しました。
まだ途中ですが、通勤途中 歩道歩いてる時、酔っ払い運動の車にはねられた死亡した場合はどう考えましょう
因縁果。
ウィルスと身体の弱い自分に例えると分かりやすいです。
抵抗力の無い自分がウィルスに罹ると病気になる。
動画ありがとうございます。自因自果は自分の人生を省みて向上する考え方なんですね。他因自果だと自分自身が自分の人生を省みず、他者に対して悪縁になって不幸の連鎖のお手伝いをしてしまうのですね。とても良く分かりました。
お話ありがとうございます。あった事は自分で反省し対策することが大事なんだと分かりました。ねたみ心は、ずっとその感情に燃やされて苦しい気持いるので、怒りや憎しみは捨てることが大事だと本に書いてありました。
菊谷先生いつも素晴らしいお話をありがとうございます
今回のお話を聞いて、ふと、気になった点がありましたので、コメントさせていただきます。
『自因自果』は、物事の結果に対して己を省みるための戒めなのだと気付きました。
更に、例えば親鸞聖人のような何の不備が無いにも関わらず理不尽に遭遇した場合…。
その理不尽をいつまでも『結果』として捉えず、むしろ新たな『種』として見なしなさい、新しく動きなさい、という意味もあるのかなと思いました。
そういう視点から改めて見返すと、あれほどの苦境を新しい『種』として捉え直し、自ら逆境を種まきの土壌に変えられたのだろうかなどと感じたのです
人生は何度でも実らせる事が出来る。
『果』は己で何度でも摘み、『種』は己で何度でも撒けと…
良い種なら良い果が、悪い種なら悪い果が…。
そのような意味なのかと思いました。
思い違いでしたらすみません。。。
改めて今後の動画も確認して、勉強させていただきます🙏
〝悪縁〟に遭遇したが幸いにも命が助かった場合は、冷静に反省するなどして『自因』を改め今後の人生に役立たせることも可能です。
しかし、たまたま乗った『自因』飛行機が墜落〝悪縁〟して死んだ場合、もはや自因を見つめ直すことすらできません。
この様なケースも含めてまた説法して頂ければ幸いです。
大人の勝手な都合で命を落として行く子供、女性どう考えればよろしいでしょうか。
今は亡き私の両親は、約70年前、詐欺師まがいの新興宗教にだまされ入信し大変な苦労をしました。盗人にも3分の利 と言う諺があります。盗む奴が一番悪いが、盗まれる側にも3分の因があったという事ですね。
私はこの宗教と縁を切り、今は穏やかな日々をを、過ごしています。
いつもありがたい法話に感謝しています。 合掌
わかりやすいお話で、深く腑に落ちました。
恨みを持ち続けて何から何まで「お前が悪い」と言い続けているある隣国が思い浮かびました。
他人のしたこととしなかったことを見るな
自分のしたこととしなかったことを見よ
というのを読んだことがあります。
幼くして虐待で命を落とす子供は前世で自分が蒔いた種が原因なんですかね。
それはもう言いがかりレベル。
キリスト教の『神を信じないからノアの大洪水を発生させた』ってのと同程度のド低俗で幼稚な発想。
まぁ何の罪も無く殺された幼子に対してそんな事を思う人間性の腐った者は万に一つもいないと思うが。
お話の内容からは分かる部分も有るのですが今では通り魔とか行きずり殺人とかは縁とかは疑問に思います。なぜ?何故?不摂理では?
通り魔などの殺人も、交通事故も、天災も、病気も、核ミサイルも、悪縁です。
@@byBuddhism 縁はわかりますが、因は何でしょうか?
私も因を知りたいです。
DV男の件を例えに出されていて、そういった男を選んでしまう貴方が悪い、懲りずにワイルドな男を選んでしまうのが反省がないとありますが…その一点を深掘りすると、そういった男を選をでしまう背景に、実の父親から愛されて育てて貰えなかったという事があるようです。そんな悲しい背景も因になるというわけなのですか?
@@byBuddhism 様
因は「そんな場所にいたあんたが悪い」ということなのですか。被害者よりも加害者を庇う考えに寒気がします。
明けましておめでとう御座います。何時も講座大切に保存しています。私も、今回に関しては懐疑的です。昔団地にいた時、これでもかと、私を傷め付けた人、何かあったのではなく、初めてあった時から嫌がせを受け、その後も作り話の嘘をばら撒き、近くにいた人は、私をしんてくれましたが、関わりのない人は、頭から信じ、彼女の為?に私に嫌がらせをする人も。可哀想な人とは、思いますが、最中は、過酷でただ悲しいと思い、訳がわかりませんでした。
2、3歳の子供達が親に殺されるのもその子供達が、悪いんですね……釈迦や、仏は慈悲が無いんですね。
本当に。聞かなくていいです。こんな教理。
教理なんて時代によって相応しい、相応しくないことありますから。
お釈迦さまっていつの時代の人?
菅原道真の話も迷信であって、現代的でない。
この動画の内容のことは忘れましょう。
2,3歳では物事の分別がつきません。死んだとて「夢半ばで」なんて状態にはならないので話が別です。
@@user-gb7ev5ht9e なるほど〜死んでも別にかまわないんですね…分別つかない奴は……へえー
もしかしたら前世でとんでもない悪事に手を染めたので来世で赤ちゃんの段階で殺される運命だったのかもしれません。
それにしても赤ちゃんの段階で殺されるなんて理不尽極まりないと思います。
昨今幼い子供や愛玩動物が被害に遭っているのを見受けます これらも自因自果なのでしょうか
そう、そこですよね、知りたいのは、・・・・この世に生まれてきたのが因である、弱い事が因である、純粋なことが因である、抵抗しないことが因であるのでしょうか?
、とすれば、神も仏もない世の中となりますね?と思いますが
どうなんでしょうかね、
大切で愛するものだからこそ、それらを踏みにじる存在を憎み、恨むのは当然の情動です。孔子が弟子から「君子でも人を憎むことがあるか」と問われたとき、ハッキリ「ある」と答え、「士人は不仁を憎む」と言いました。そういった感情が社会を正していく原動力になると思います。
毎回、仏教の教えを明快に説明して頂きありがとうございます。
自因自果についての疑問です。
今回は悪い縁として、詐欺、DVを例にお話されてました。
例えば、信号無視の車に跳ねられて死傷した場合は、縁でも無く、他因自果では無いでしょうか?
ご教示頂ければ幸いです。
同感です。
良いことや成果を自分の能力の成果と思う人は凶事は他人の過ちに巻き込まれたと思ってすべて他の人のせいにしてしまう人がいる。
法を犯した人を攻撃したくなる、悪人だから傷つけても善行になると勘違いしたくなるのが人の業。
良縁は喜んでも悪縁は拒絶するのは縁について知らないだけの話、縁とは人と社会の絆に過ぎない。
自分の社会への向き合い方でいい縁も悪い縁も知らず知らずに結ばれてしまう、因果応報ですね。
悪いことをした加害者がいるならば裁かれるべき、そして二度と繰り返さないよう声を上げるべき。それとは別に、身に降りかかった物事を自分の心でどう捉えるか。人を責めたて恨むよりも、内省した方が良い。自分や社会が幸せになるために。そのように理解しました。貴重なお話、有難うございました。
”こころ”が、相対と絶対(信楽)の世界を自由に行き来できるように、なりたいものです。
通り魔に襲われた被害者は如何ですか?質問の意図はそこではないですか?
そう、そこ知りたいですねえ、
DV旦那や詐欺はその人にも理由あらりますが、新幹線や電車の中で突然襲われたりとかは理解不能。
これに関しては、本当ならばいいんですけども、もし違ってた場合、どうするのかという感じです。
親鸞の越後流刑の話、まさに災いを転じて福となすことの良い例ですね。
嫌な目に遭う。
↓
対策する。
↓
対策した事を上回る嫌な事が起きる。
↓
対策する。
↓
対策した事を上回る嫌な事が起きる。
こう言うのが繰り返されるのも何か原因が有るんでしょうか?
自分が選んだ人or道に於いて結果が思わしくない、というのは自分に起因していますね。
いろいろなことがあり
心が追いつかない日々の中
久しぶりに菊谷さんのお話を聞くことが出来ました
家族が一人一人になり
バラバラになりました
そのことで自分を責めたり
申し訳なさから落ち込んだりしていましたが
菊谷さんの話を聞いて
今回のそれぞれの旅立ちは
悲しいことではなく
それぞれにとって良い方向に向かっているのだと思えるようになりました
そのことで
私自身も行動の幅が広がる
家族みんなも
それぞれの出来る範囲での新しい環境で新たな人生を歩んでいく
それぞれに思いを持って
生きていけば良いのだと思えるようになりました
あの時こうしていて良かったなと
先々で思えるように
今回のことがみんなの中で良いものとなるように
1日1日を大切に生きていきたいと思いました😊
悪縁との縁も切れます
私自身がその縁を引き寄せてしまったことはきっちり反省します
あなたは悪くない
と周りに励まされても
選んだのは私だからと
自分を責めてるだけでした
悪縁を繋いだのは
やっぱり私のせいです
はっきりと言ってもらえて
スッキリしました😁
本当にそうですから😁
断ち切ることも
やはり勇気を出して
自分でやらなきゃですね😊
やっと前を向けました
ありがとうございます!
被害を受けても自分の心の平安のために、人を恨まずに、反省点を探し、今後に活かすことが大切なのですね。質問ですが、証拠隠滅して法的な処罰を逃れている加害者にも、今世か来世のどこかのタイミングで、必然的にカルマは来るのでしょうか。犯罪やいじめのニュースを聞くと、正義ってあるのだろうかと悲しくなるので、ぜひ加害者の業についても、ご教授ください。
先生ありがとうございました。
いつも素敵な教えありがとうございます。
輪廻転生がその光への解だと思います。そんなの無いよと言えばない。ただ、不思議ですがイエスも似た教えを残されている。
信じるものは救われる。
恨みを信じますか?普通生物は光を求めます。
僕は、命(霊)はまた別の形かもしれませんが生まれ変わると信じています。ですから、今生の恨みを捨て、新しい宇宙の光の中で生まれ変わると思います。
ファンタジーですが、私はそう信じるので今生の恨みのレンサから今のところ毎回毎回卒業出来てる気がします。
いつも参考にさせてもらってます。
悪縁が家族だった場合、しかも両親だった場合は、因は自分にあるのでしょうか?
だとしたら、生まれてくる子供達は生まれてきた事自体が因になるのでしょうか?
虐待を受ける不幸な子供が増えています。
恨みが子供にきてほしくないので、考えてしまいます。
子供が先天的な病や毒親に当たった場合、前世の業が因となって悪縁を引き寄せたとでも言うんですかね?
おかしいと思うのは悟りから程遠い俺の識が低位だからかもしれませんが、どうしても納得できません。
確か原始仏典で前世のことを問われた釈尊は無回答だったという。そういう現実的なところは孔子の「怪力乱神を語らず」と似て思想家として素晴らしいですが、前世の因縁でも持ち出さないと上記の理屈が通らないと思うんですよね。前世なんてあると信じてませんが。
@@oz2157 殿
そうです、何事も鵜吞みにせず、自分の中にある、健全な疑問に
答えるものであるかどうか、を吟味することが重要だと思います
そこに生まれたことが因である、と言いうのであれば
何も議論する余地はありません、何でもありですね、善悪で論じていないのなら、人の道には六道四生順逆の境地で生きる生き方も有ります
まさしく!
なるほど
質問です。通り魔的な被害者(昨今の放火等)はどうしてですか?
自分は、復讐体験談みたいなのを見ても、軽々しくキレイゴトみたいなのを振りかざしてその復讐した人を責める気になれないことはそれなりにありますね。その行動も結局は自己責任でしょうし、復讐された人自身が安直的な原因結果論を他人に押し付けて他人の恨みを買うような言動をしているケース(→それこそ「浅ましい」行為で「因果応報」ではないかと思わざるをえない場合)も多々ありますので。
自分も人騙されていろいろ仏教を勉強してます。自分も結局は悪縁で結果がでたのだと思うようになりました、でも前は絶対報復そてやる、自分が犯罪者になったとしても許す事できないなんて思ってましたが。今は落ち着きましたが・
ただひとつ疑問思う事があるのですが、たとえば青で横断歩道を渡っていて、車にはねられた場合はどう解釈すればいいのでしょうか?
事故hなのでただ道を歩いていただけ、別に縁はないように思うのですが、どうお釈迦様は教えてくれるのでしょうか?
実際、疑わしきは罰せずと言う現在の法律はある意味加害者を守り野放しにしています。それら加害者の多くが天罰も受けずにのうのうと生活しているのが現状です。それを変えていくには被害者達が泣き寝入りせず勇気を持って訴えていくしかありません。被害者の苦しみは被害者にしかわかりませんから。
そっか悪因ねー 運が悪かったと理解すれば良いのですね
理解する、というより「諦める」というほうが近いような気がする
災害 被害は? 戦争被害は?
誤解もまた自因自果ということ。
罵れるものを恨み
害を与えるものを恨み
自分に勝つものを羨ましとし
我から奪えるものを恨むなら
恨みのやむことなからん
ー法華経、第三章ー
恨み報いるに恨みを
もってすれば
恨みの尽くることなし
恨みに対して忍をもってする
これを如来の法と名づく
ー法華経、第五章ー
お話にあった大事な不幸ではなく、生活のなかである理不尽な他人の行いで感じる嫌な感情はどのように解消すれば良いのでしょうか?そのような小さな事は無いと考えるのでしょうか?犯罪までいかなくてもマナーの悪い人間や道徳のない行いをよく見かけます。それに関わると災難が降りかかります。まだまだ器量が小さい自分ですがどのように考え、対処すればよいかとよく考えます。何もしないのは逃げているだけなのではとも考えます。
仏教でのそうした考え方をご教示頂ければ幸いです。
怨みの念を否定するのなら、むしろ凶悪犯を迅速な裁判で死刑などに処した方が、早く立ち直れるのではないでしょうか。
馬鹿げた意見の一つに「犯人を死刑にしても被害者は生き返らない」というものがありますが、それなら「犯人の死刑を回避しても被害者は生き返らない」とも言えるわけで、死刑反対の理由にはなりません。自因自果の考えは凶悪犯に有利になるだけで、仏教たるものがそれを推進するのはモラル崩壊につながると考えます。
やなことをされたときに、あの人にも辛いことがあるから許してあげようと思ってしまういお金を貸したり物をあげたりしてしまいます。
明らかに向こうが悪いのですが、どう対応したらいいですか?
家屋について言ってる方がいますが
カーブの外という場所に家を構えるのは
車に突っ込まれやすいです。
洪水になれば川べりを襲います。川べりに家を構えればそういう危険に遭います。
ロケーションはとても大事です、そのあたりは中国風水によく記されてます。
ロケーションについて言えば戦いにおいても何処に陣を張るかは勝負を左右しますね。
でも怨みをなくすのは難しい。人間だもの🧑特に子や孫が…
なんというか結局理由付けですよね 両方とも手段が相手を打つというのが変わらなかったとしても。
そしてその理由付けがどっちかというのはホントのところは自分しか分からないので
自分との対話や他人が見てないところでちゃんと律して生きることができる人なのか人生なのか というのが本質なのかなと
自分や自分たちが不幸な目にあった時こそ、怨みや報復ではなく、それを教訓に自分直しや世直し、衆生が好転できる機会と捉えるべきですね
人は他人事でいる間はどうしても気づけないこと多いですからね
マクロ(個人)な視点からも、スケールの大きい(世界)視点からも仏教が救済になることを願います
他因自果は短期的視点であり、長期で見れば、過去または前世に、やはり自分に因があって、機が熟して縁が回ってきて、結果したということです。
このような教えでは、現在の立法に全く適っておりませんし、沿ってもおりません。全くの他因因果ということも多く発生しております。
このような教えでは悪者たちが好き放題する格好の餌食になるでしょう。
日本国内ではこの教えが皆にあるので通じるとは思います。
でも海外では、日本人にこの教えがある、と知った上で、何をされても何も言わない、沈黙するし、訴えもしない、と認識しては余計に悪いことをされます。
外国では逆に他因因果を強く強調しなければ、禍害を加えた側と何かある、と勘違いされたりされることもあることでしょう。
あくまでも、日本国内でしか通用しない、ということを誇張していただかないことには。
菊谷さんの教えで行くと、加害者との因果関係は「日本人は仏教徒が多いので何をしても大人しくしている」という教えその物が因果関係を作っている、という理屈になってしまいます。
海外でも通用する教えが今必要です。
そういう事は言える、本来神の身ではない人が
人の能力の範囲で生命を全うするとき、仏の悟りと引き換えに命をなくすことはできない、今自分の持つ力で生き抜くとき、仏も糞もない時はある、それが人間だと思う
歎異抄にも人は因縁によって、何でもするようになるものだと言ってるし
仏の教えも重要な参考にはするが、自分の能力で生きる時、その通りにいかないことは、いっぱいあるのが世の中だと思う
@@user-em1qw2ro4n だから法律っていうものがありますよね? 法によって人々は守られているわけだから。DVの被害に遭ってる女性たちには法で守られる権限があります。私の母だってDVをしていた私の父とは裁判所も関わって協議離婚をしました。
それを菊谷さんは因縁であって、DV被害者側にも因縁を作っている落ち度がある、って言ってましたけど、それはさすがに私は同意できません。
この菊谷さんの仏法のこの事例だけに関しては全く賛成できません。
@@Reina.M540 どの
そうですね、仏の理論はどうあれ実際は、選んだ自分に原因がある
では納得いきませんね、選ぶことが原因ではあっても、罪ではないですよね
泣き寝入りする必要はありませんね、
そんなこと言ってたら、次から何にもできなくなりますね、
まあ、仏の言葉の解釈は、概念として自分の中で納得いくように解釈すればいいのかもしれません、具体的な言葉にすれば嘘に染まるという事も有りますからね
@@user-em1qw2ro4n だいぶん以前にも、一度、仏教というのは教えではなく哲学的な教理内容に思ったことはあります。神を信じるわけではないし、己や自己の精神性を高め、他者との関係や社会を円滑にする部分はあるとは思います。
仏教が、浄土真宗が無くなって欲しいとはいいません。でも、仏法内容も、場合によっては、あるいはケースバイケースで変化しなければいけない、と思いました。
@@Reina.M540 様
>仏教というのは教えではなく哲学的な教理内容
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分もそう思います、信仰などという理源のないようなものではありません
自分の持つ健全な疑問に答えられるもの以外は、鵜呑みにできません
釈尊の説く節理は納得がいきますが、
それ以後その複数の弟子たちが多岐にわたり多様に何代もかけて
喧伝してきた宗教は、初期の釈尊自身の説く節理とは違ってきています
初期仏教・・スマナサーラ長老、は共感部分が有ります
全てが自因自果というのは理解できないです。あくまで自身の意思による行動の選択があった場合なのではないかと。例えば生まれてすぐに親に殺された赤子は自因自果ですか?親に連れられて乗った飛行機が墜落して死んでしまった子供も自因自果ですか?詐欺に引っかかる人と同じようには考えられないので。
本当に私もそこが疑問なのです。
それに対する納得のいく答えを仏教は持っているんでしょうか?
@@user-qs3gx4ob5i おそらくこのような事例に納得いく説明はできないと思います。自因自果についても『全て』と言い切っている事がどうかと思ってしまいます。
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不慮の事故とか、無差別殺人とかあると思います。それも自因自果で説明がつくのでしょうか?
母は、ずっと恨んでいるんですよね。絶対許せない、嫌いな人ばっかりやって。いくら言っても火に油なので。親鸞さまのように、切り替えないとですね。良いお話ありがとうございますm(_ _)m
本日(R4.1.15)の受験生殺人未遂事件で、被害者と被害を免れた人との自因にはどんな違いがあったのでしょうか。
お釈迦様の時代には、通り魔 誘拐 飲酒ひき逃げ etc. の理不尽な犯罪が少なかったのでしょうかね。
いつもありがとうございます。
「死」が人生を短くするようなご縁が無いことが望ましい、というのが正しいように思います。
嫌いなものに付き合う時間はない。
心理カウンセラーが書いています。
犯罪だけは難しいです。
加害者の被害者に対する思いは、即謝罪に行きつくことがないように実感しています。
むしろ、被害者が自分を責め続け、疲弊し、何も手にしないような気分になります。
相手を責める時間が被害者には地獄のようです。
何もしないのではなく、加害者を思う時間が辛いのです。
殺人事件は更に深刻です。還らぬ人を思うと、弁償を求める気持ちが怨みになります。
同じ人間です。幸い正気に返ることがある。
解決に必要なのは、お互いの合点を知ること以外にない。
わかると同時に恨みは消えるように思いました。
親鸞聖人が実践していたように、死や不幸をお互いに避ける努力は彼の没後も脈々と続けられていると信じています。
悪い 縁 。。
そう 思うしか ないか。。
相手が 幸せに なってくれれば。。
と 。。
でも お人好しな 自分が いるのかな。。
私は 何番め なんだろう。。
w
広島長崎の原爆で亡くなった方々は皆共通して同じ悪因を持っていたと言うことでしょうか?
通り魔、交通事故、天災、難病、核ミサイル、死の縁無量ですが、同じ死に方をしたという意味では同じ業を持っていたといえます。日本に生まれたというのは、日本人としての共業を持っていた、というのと同じです。
菊谷センセー
今日も分かりやすーい(^^)
口では何とでもいえるが、どこかのだれかさんの様に、恨むことが生きるエネルギーになってるようなところもいるからな、・・・・世の中難しい事じゃ
11:48
前世の業の結果殺される運名だったと考えた場合、殺人する側も必然だと肯定してるのと同じだよね。
もしそうだとしても、それは神しかわからない領域でしょうし。
全て自己責任論なら非常過ぎる。
戦争、例えばウクライナ等の犠牲者には何の自因が認められますか?
それでは、天災で突然 亡くなる人、他責の交通事故で亡くなる人、生まれたばかりで 殺される赤子などの人達の因は何なんでしょうか?前世の因 ですか?今回の例の説明は理解できますが、説明できない死に方もあると思いますが。
仏教は極めて素晴らしいのですが、こればかりは無理があります。この自因自果では大阪姉妹殺人事件や秋葉原通り魔殺人事件が縁では説明できませんし、被害者は救われません。
1年前のコメントに失礼します。
これについては私も同感なのです。
基本的に私は原因と結果の法則は真理だと思っています。
動画内のDVや詐欺のお話しにも同感します。
しかし、世の中には本当に何の罪=自因もない人がここでは書けない惨たらしい目に合っています。
例えばですが、一生懸命頑張って真面目に暮らしている人がいたとしましょう。
その人が真昼間、人気の多く治安の良いところを歩いていたところ(つまり何の自業自得もない)、いきなり刺され、亡くなったとします。
女性であれば連れ去られた後に亡くなったとする。
この時、凄まじく悪い「縁」によって凄まじく悪い結果が生じたのは間違いないけど、じゃあその人の自因は何なんよ?ってなりますよね。
クソブッダ、ファッキュー!
同感です。
公園から自転車で帰る母子が、老人の無謀な運転で、殺されてしまった若い夫がいましたよね。その夫には、どんな因と、業があったのでしようか?
三世十方を貫くなんていう言葉では、納得できません。犯人を一生怨んで何が悪いのでしょうか?
あくまで結果を改めて反省する為の教えだと思うので
亡くなられた方=果
の人は反省する余地がないと思いますよ
転職を繰り返す人も同じですね。すべて、会社や同僚が悪いように愚痴ってます。
関東の方で、自宅駐車場に停めてた自動車がバールで壊された事件。赤信号で、突っ込んで来た車に被害に、会う(友人が550万の車を納車され、家から5分の交差点で、信号無視のおじいちゃんに突っ込まれ、ぐちゃぐちゃ、保険があるやん?と聞いたら、降りるのは、ドア1枚分、事故後直ぐに警察呼んだけど、警察来るまで、加害者のおじいちゃんから、怒鳴り散らされてたと)