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どう見ても縄文人だろ。古墳時代ぐらいまで生き残ってたんじゃ…?
大和朝廷が統一した話しが各地にあるが、される側は動物にたとえられていると思う。
侵略戦争を非難してるけど、古代には日本でもあったんだよな…神話とはいえ人間扱いすらしないとは…縄文時代は平和だったらしいけど…天孫降臨で、戦いの時代になっちゃったんだな…
土蜘蛛は縄文人であるか出雲族のどちらかだと思う。縄文人の身体的特徴は手足が長い。また、出雲王族富家の口伝では先祖はインドから渡来したドラヴィタ人だそうだ。ドラヴィタ人の身体的特徴も手足がかなり長い。長髄彦は「とみのながすねびこ」とも書かれているのでトミの部分とスネが長いことから出雲族である可能性が高い。だから同族の土蜘蛛と連携したりしたのではないかと思う。
出雲王族とは、出雲国造とも別でしたでしようか。出雲大社(杵築大社)の宮司とも別ですね。出雲は複雑です。
古代出雲王朝の王家は別ですよ。富家と向家です。
ありがとうございます!
定期的に過去動画を漁ってましたが、これから出る動画も楽しみです。本当にいつもわかりやすくありがたいです。応援してます!
以前の声のほうがゆったりとして落ち着いて動画を観ることができました。
熊襲や土蜘蛛の話は、ある意味、その国の中で大和王朝に従うか戦うかで仲間割れになった話もあったのではないかと考えられる。熊襲の国の集団の中の大和王朝に従った集団が隼人と呼ばれたという説があるのです。出雲の国譲りも話合いと戦った話が短い物語になっていると思われます。
土蜘蛛調べた事あります富士王朝の末裔を土蜘蛛と表したそうですつまり、この世を治めていたスサノオ様の子孫ですワニ族にもなりますがそのワニ族と出雲族が婚姻関係を結んだ一族にも土蜘蛛呼ばわりしていますそして出雲族には蝦夷と言っていたようです
せめて今残している過去動画は消さないでください。できたら再アップしてほしいです。
いつもコアな歴史の解説ありがとうございます✨長崎の早岐(ハイキ)にも土蜘蛛伝説があり第12代景行天皇に反乱を起こした土蜘蛛の長の速来津姫が登場します。早岐の地名もこの姫が由来と言われています。敗者はいつも悪く書かれるパターンばかりなのでウエツフミはとても好きです☺️❣️
やっぱり機械音は入ってこないんだな
騙し討ちが多いですね。今の日本人は、どうしてこんなにお人好しなんだろうと不思議に思いました。
古事記を読むと謎は解けます。国津神系の日本人はイザナギとイザナミの子。天津神系は黄泉の国系。黄泉の国とは大陸を表していると考えられます。なので天孫系は大陸から戻って来た可能性ありますね。
神功皇后と羽白熊鷲の戦いや、神夏磯姫と夏羽•田油津姫、辛國息長大目命、アカル姫との関係も詳しく聞いてみたいです!!😊
土蜘蛛かいたとされる岩穴を調査しても、ゲノムのような物は見つからないのだろうか。あと長髄彦は、なぜ髄をスネと読むのだろう❓
関西地方や出雲で土蜘蛛らしい遺骨が発見されているのでDNA鑑定すれば縄文人なのかわかるはずだけど誰か研究しているのかな? 山岳民だったなら縄文人はサンカの人だったのかな?高知から愛媛にかけて貝塚から大量の人骨が発見されてどうやら古代には食人族も居た形跡も残ってるけど直ぐ埋めたと教育委員会のHPに書いてありました。
まあ、侵略した王朝もいつかは途絶えるわけで・・・・
えりえなさんの声が聞けなくなったのは残念ですが、内容は再編集というかより洗練された感じですね。古代史に興味があるのでとても有り難いです。これからも応援してます!
まぁ、古事記や日本書紀の記述は、差別主義に満ち溢れてるな。
差別主義wそりゃ勝った側だからそんな記述もあるが、別に人種差別してるわけじゃないからね。単に勝ち負けだよ。
@@yskztkhs7986 だったら、神を語ったらダメやなw神の品位、能力が疑われる。外道の歴史認識とすべきや。
現代日本人のD系C系合わせて四割が縄文系。どう考えても古史古伝と整合しない。僕は天孫族は中東出戻りのD系だと考えてるんだ。となると逆に、同じ容姿の汚れた生活のD系を憎んだのかな。
さすが大和朝廷きたない!
北関東にある毛の国って毛深い人達が拓いた土地だったのでは
古墳を作ってた一族で東国国造りで上毛野氏は群馬、下毛野は栃木で宇都宮家が有名で双方とも九州の宇佐神宮の少し北九州寄りの地域の豪族で大和政権では田辺氏、河合氏、川合氏として天皇家の外戚として東国国造りの家系田辺家が三菱グループと同族、河合家は下鴨神社摂社河合神社、川合家の支流が三井家で同族を集めたのが三井グループです崇神天皇皇子の豊城入彦命の後裔を称する皇別氏族で、「下毛野君(公)」のち「下毛野朝臣」姓を称した。大化以後に中級貴族、10世紀以後は公家の下級武官として活躍した氏族。国史には当初より朝廷に仕えた氏族として記載されており、元々は下毛野地域(現栃木県南西部)における豪族であったと推測されている。「毛野」とは古代の群馬県・栃木県南西部を指す地域名称であり、都に近い側を「上毛野」(上野国(現群馬))、遠い側を「下毛野」(後に那須を加え下野国(現栃木))とした。『日本書紀』に第10代崇神天皇が皇子豊城命(豊城入彦命/豊木入日子命)に東国統治を命じたと記載するが、その豊城命について「上毛野君・下毛野君の祖」であると付記しており、また豊城入彦命がそれらの祖である旨は『古事記』にも記される。※雑学で川合家は滋賀、岐阜、愛知、静岡の国造りで後に上杉謙信の右腕の直江兼次が同族だったので山形に領地替えになった際に川合家の人も山形に移住したと聞いています。江戸前後に九州防衛の為に長崎にも大量に移住。古墳時代が終わったら、持っている技術を生かし築城も得意だったそうです。
うちにはちっこいクモが絶えず何匹かいます。すばしっこいやつ。唯一の友達なの🥺
神武は縄文系じゃないのか?
オアスペに出てくる種族にも似ているような🕷
思う、思う。まさに縄文人だと思うよ😅
前の声の方が、集中して聴きやすかったです。アナウンサーみたいな声の今の方が良いはずなのに、不思議ですね。
帰宅してサムネの光景見たら絶望やん
土蜘蛛系は古くから日本に住んでいた方々で女王や巫女が中心。天孫族とか出雲系とかは主に中国から渡ってきた方々で男王が中心で、だからわざわざ漢や魏に朝貢に行っているんだと思う。
どう見ても縄文人だろ。古墳時代ぐらいまで生き残ってたんじゃ…?
大和朝廷が統一した話しが各地にあるが、
される側は動物にたとえられていると思う。
侵略戦争を非難してるけど、古代には日本でもあったんだよな…
神話とはいえ人間扱いすらしないとは…
縄文時代は平和だったらしいけど…天孫降臨で、戦いの時代になっちゃったんだな…
土蜘蛛は縄文人であるか出雲族のどちらかだと思う。縄文人の身体的特徴は手足が長い。また、出雲王族富家の口伝では先祖はインドから渡来したドラヴィタ人だそうだ。ドラヴィタ人の身体的特徴も手足がかなり長い。長髄彦は「とみのながすねびこ」とも書かれているのでトミの部分とスネが長いことから出雲族である可能性が高い。だから同族の土蜘蛛と連携したりしたのではないかと思う。
出雲王族とは、出雲国造とも別でしたでしようか。出雲大社(杵築大社)の宮司とも別ですね。出雲は複雑です。
古代出雲王朝の王家は別ですよ。富家と向家です。
ありがとうございます!
定期的に過去動画を漁ってましたが、これから出る動画も楽しみです。本当にいつもわかりやすくありがたいです。応援してます!
以前の声のほうがゆったりとして落ち着いて動画を観ることができました。
熊襲や土蜘蛛の話は、ある意味、その国の中で大和王朝に従うか戦うかで仲間割れになった話もあったのではないかと考えられる。熊襲の国の集団の中の大和王朝に従った集団が隼人と呼ばれたという説があるのです。出雲の国譲りも話合いと戦った話が短い物語になっていると思われます。
土蜘蛛調べた事あります
富士王朝の末裔を土蜘蛛と表したそうです
つまり、この世を治めていたスサノオ様の子孫です
ワニ族にもなりますが
そのワニ族と出雲族が婚姻関係を結んだ一族にも土蜘蛛呼ばわりしています
そして出雲族には蝦夷と言っていたようです
せめて今残している過去動画は消さないでください。できたら再アップしてほしいです。
いつもコアな歴史の解説ありがとうございます✨長崎の早岐(ハイキ)にも土蜘蛛伝説があり第12代景行天皇に反乱を起こした土蜘蛛の長の速来津姫が登場します。早岐の地名もこの姫が由来と言われています。敗者はいつも悪く書かれるパターンばかりなのでウエツフミはとても好きです☺️❣️
やっぱり機械音は入ってこないんだな
騙し討ちが多いですね。
今の日本人は、どうしてこんなにお人好しなんだろうと不思議に思いました。
古事記を読むと謎は解けます。国津神系の日本人はイザナギとイザナミの子。
天津神系は黄泉の国系。黄泉の国とは大陸を表していると考えられます。なので天孫系は大陸から戻って来た可能性ありますね。
神功皇后と羽白熊鷲の戦いや、神夏磯姫と夏羽•田油津姫、辛國息長大目命、アカル姫との関係も詳しく聞いてみたいです!!😊
土蜘蛛かいたとされる岩穴を調査しても、
ゲノムのような物は見つからないのだろうか。
あと長髄彦は、なぜ髄をスネと読むのだろう❓
関西地方や出雲で土蜘蛛らしい遺骨が発見されているのでDNA鑑定すれば縄文人なのかわかるはずだけど
誰か研究しているのかな? 山岳民だったなら縄文人はサンカの人だったのかな?
高知から愛媛にかけて貝塚から大量の人骨が発見されてどうやら古代には
食人族も居た形跡も残ってるけど直ぐ埋めたと教育委員会のHPに書いてありました。
まあ、侵略した王朝もいつかは途絶えるわけで・・・・
えりえなさんの声が聞けなくなったのは残念ですが、内容は再編集というかより洗練された感じですね。古代史に興味があるのでとても有り難いです。これからも応援してます!
まぁ、古事記や日本書紀の記述は、
差別主義に満ち溢れてるな。
差別主義wそりゃ勝った側だからそんな記述もあるが、別に人種差別してるわけじゃないからね。単に勝ち負けだよ。
@@yskztkhs7986
だったら、神を語ったらダメやなw
神の品位、能力が疑われる。
外道の歴史認識とすべきや。
現代日本人のD系C系合わせて四割が縄文系。
どう考えても古史古伝と整合しない。
僕は天孫族は中東出戻りのD系だと考えてるんだ。
となると逆に、同じ容姿の汚れた生活のD系を憎んだのかな。
さすが大和朝廷きたない!
北関東にある毛の国って毛深い人達が拓いた土地だったのでは
古墳を作ってた一族で東国国造りで上毛野氏は群馬、下毛野は栃木で宇都宮家が有名で双方とも九州の宇佐神宮の少し北九州
寄りの地域の豪族で大和政権では田辺氏、河合氏、川合氏として天皇家の外戚として東国国造りの家系
田辺家が三菱グループと同族、河合家は下鴨神社摂社河合神社、川合家の支流が三井家で同族を集めたのが三井グループです
崇神天皇皇子の豊城入彦命の後裔を称する皇別氏族で、「下毛野君(公)」のち「下毛野朝臣」姓を称した。
大化以後に中級貴族、10世紀以後は公家の下級武官として活躍した氏族。
国史には当初より朝廷に仕えた氏族として記載されており、元々は下毛野地域(現栃木県南西部)における豪族であったと推測されている。「毛野」とは古代の群馬県・栃木県南西部を指す地域名称であり、都に近い側を「上毛野」(上野国(現群馬))、遠い側を「下毛野」(後に那須を加え下野国(現栃木))とした。
『日本書紀』に第10代崇神天皇が皇子豊城命(豊城入彦命/豊木入日子命)に東国統治を命じたと記載するが、その豊城命について「上毛野君・下毛野君の祖」であると付記しており、また豊城入彦命がそれらの祖である旨は『古事記』にも記される。※雑学で川合家は滋賀、岐阜、愛知、静岡の国造りで後に上杉謙信の右腕の直江兼次が同族だったので山形に領地替えに
なった際に川合家の人も山形に移住したと聞いています。江戸前後に九州防衛の為に長崎にも大量に移住。
古墳時代が終わったら、持っている技術を生かし築城も得意だったそうです。
うちにはちっこいクモが絶えず何匹かいます。すばしっこいやつ。唯一の友達なの🥺
神武は縄文系じゃないのか?
オアスペに出てくる種族にも似ているような🕷
思う、思う。まさに縄文人だと思うよ😅
前の声の方が、集中して聴きやすかったです。
アナウンサーみたいな声の今の方が良いはずなのに、不思議ですね。
帰宅してサムネの光景見たら絶望やん
土蜘蛛系は古くから日本に住んでいた方々で女王や巫女が中心。
天孫族とか出雲系とかは主に中国から渡ってきた方々で男王が中心で、だからわざわざ漢や魏に朝貢に行っているんだと思う。