【落合陽一】民藝と共生。名もなき職人の手から生み出された生活道具に見出した“美”、そして「身体性」と「論理」の今とは?
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- čas přidán 16. 12. 2021
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民藝。それは「民衆が用いる工藝品」、つまり名もなき職人の手から生み出された生活道具のことを指し、こうした日常で使う道具には用に則した「健全な美」が宿っているとして、思想家・柳宗悦らによって1925年に作られた言葉だ。当時は、モノが大量生産されはじめた時代。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを追求するために民藝運動は始まったという。現在においても伝統や文化、生活のあり方にどう向き合うかは大きな課題だ。より良い生活とは何か、文化をどう守り、どのように価値を再構築できるのか?哲学者の鞍田崇氏と民藝との共生を考える。
鞍田崇
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4回みても難しすぎてわからん。
でも終わりの辺の話しが分かるようになった。なるほど。
5回目にトライ。
えー俺この人の講義受けてるすげえ
優れた者だけが 正しい
論破 論破って 疲れる
人は 全く異次元の世界で 別々に
思考してると思う
優劣の問題じゃなくて 別物
愛してやまない何かが存在してる
ことが 私にとっては 重要
論理と道理は違うものなので、感情だけでも論理だけでも一緒になります。愛してる物が今後の世界で要るかもしれないから守るとかがオルタナティブ(代替的というより内包的)な部分にしていかないと、論理と同じ石頭って事です。バカらしくてもいいからこの趣味は世界の為って真に言えるようにしとこう的な話っすね。
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正しさって 誰かにとってはそうだけど
別の誰かにとっては 違う
相対的なもの
お互いに 意見を言い合う 腹を割る
ことは 大事だと思う
どちらが正しいというのは 疲れる…
私の場合は あまりにポーカーフェイスで
冷たいと よく言われる
誰かのためとか 私はまだまだ
@@user-de2jx9eb9c まぁこの世の多くの人はそんなことを分からずに生涯を過ごしてますんで、出来る出来ないで悩むのも人生にとってスパイスでしょうね。お返事ありがとうございました。
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少し前まで 人の意見には なるべく
寄り添うようにしてた
本当は 疲れちゃって やめたの
そしたら
表情がなくなってしまった
自分に正直に生きると 私には
何も無いって 気がついた
いろいろ 教えていただいて
自分を振り返ることが 出来ました
ありがとうございました☺️
@@user-jb1ky6fk9i
愛して止まない人は
今年2月に 亡くなってしまった
今は 大丈夫
面白すぎるね
面白い
理屈よりも、河井寛次郎や浜田庄司の作品を日常で使って感じるものを落合さんの感性で話してほしいな。豊かさとは何かを理屈で語れば語るほどどうしても薄っぺらくなっちゃうから。
落合陽一氏は、日本人の数少ない必要な人の一人。2021/Dec/21 Thanks
風邪引いて、電子体温計を脇に挟む前に、オデコをつきあわせる母子の行為って民芸的じゃないですかね?
民藝てそんな難しくする話ですかね
民藝は非効率、手作業の原始的な過程に意味があり宿ると考える
テクノロジーは効率、過程に意味がないと考えるから省く。アプリに宿りますか?
落合さんが先端の技術を駆使して、ムダの有り難みに立ち還らせてくれたら楽しい
なるほど みうらじゅんがやってることか ゆるキャラとかいやげものとか
評価してないのをパクるよね。まんな糸井と、かわんねーじゃん。ジャンキー