井伊直政 赤備えを率いた智勇兼備の将 その活躍ぶりに見るリーダーの在り方とは?
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- čas přidán 25. 07. 2024
- 徳川家臣団の中にあって、ひときわ華やかで智勇を兼ね備えた武将がいました。それが徳川四天王のひとり井伊直政です。
~目次~
0:00 オープニング
1:32 大国の狭間にあった井伊家の受難
4:13 家康の小姓となり頭角を現す
7:29 井伊の赤備え
11:09 優れた外交交渉力で関ヶ原を勝利へ導く
14:44 関ヶ原とその後
18:13 まとめ
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行 #井伊直政 #井伊直虎 - Zábava
戦でも最前線で戦う赤色の男前、なんだかめっちゃ好きになりそう。。イケメンで、策略家、政治手腕もあるなんて素敵です!
井伊家の領地である浜名湖の北部にある引佐町で、先人たちが必死に守ってきたからこそ後の井伊直政がある。大河ドラマにもなった女城主「直虎」たちの墓は龍潭寺に祀られている。
動画の最初は「井の国千年祭記念 龍潭寺」の石板に書かれている場所で、井伊氏初代の産湯にされた井戸が現存してます。
関ヶ原の戦いの後に死去した時が42歳で桶狭間の合戦時は
2歳だったんですね。当たり前ですが、戦国の時間の流れが
垣間見えて新鮮でした。
死因は関ヶ原での島津軍との戦いで負った鉄砲傷のようですが、直政は
その島津から家康への謝罪のとりなしを申し入れられなんとこれを快諾。
そして島津のために奔走し、島津家安堵を取り付けている。やはり誠実な
人柄を見込まれてのことだったのでしょう。あっぱれですね。
他国大名との外交、交渉能力は素晴らしいですね。敵軍からは「井伊の赤鬼」と恐れられ、部下にはとても厳しく些細なことでも手討ちにする事があったそうで「人斬り兵部」と畏怖されていたそうです。
自分にも厳しいらしいです
直政の銅像かっこいいな!伊達政宗像と並ぶカッコ良さ❕
自分が好きな戦国武将4人(井伊直政,蒲生氏郷,小早川隆景,加藤嘉明)の1人
関ヶ原の戦いで受けた傷がもとで早死にしてしまったのは惜しいです
家康とは親子ぐらいの年齢差があったので死んだ時、家康はかなり落胆したでしょう
ある意味信康の代わり❕
戦国無双の井伊直政好きだな、板垣李光人の井伊直政楽しみ
直政の規律が厳しく処罰する事が多かった為、部下が家康に泣きを入れに行った事もあったり、
出奔する部下もいたと聞いた事があります。
近藤安用の息子の秀用や庵原朝昌が出奔しています。
お隣の本多忠勝の伊勢桑名に
逃げ込むのがお約束だった
蒲生氏郷も直政と同じく大将自ら先陣を切っていたので強かったみたいです。
全身傷だらけで、手だか足だか指がなかったのは蒲生さんでした?
直政の長男、直勝は実質2代目で彦根城を築城させるも彦根藩を相続は出来ず(家康の指示か?2代目にカウントされていない)
その子孫は最終的に新潟与板藩の藩主となりますが
そこに至るまで、その長男の家系は幾度か取り潰されるも、小野家が必至に支え続けると言う忠臣ぶり
ちなみに、新潟三条の打ち刃物も、新潟与板の釘・大工道具がビジネスモデルになっており、それを江戸時代に奨励し、大商人と信濃川水運を使って江戸大阪へ輸送して農閑期の生業としたのも、小野家の知恵によるもの。
そういえば直勝は病弱だから、当主を辞めさせられて分家の当主になったけど、結局本家の当主になった弟よりも長生きした。
大河では準主役で、次の作品では子孫が敵役になるのだよね。大河だとたまに平家物語や太平記等や高度経済期を入れる事が有るけど基本戦国時代→幕末・明治維新→戦国時代のループだからね。
日本史上、トップ10のイケメン。
ストレートな家康も抱きたくなるわな。
一番気になるのは、婿の家康の息子に手を出してたかどうか。
正則騙して一番槍、関ヶ原の傷を抱えて戦後処理。
家臣に厳し過ぎるのは、この人と細川おっきー。
お供えの話と茶屋の無銭飲食の話がありますね。
茶屋のハイパー婆さんに追いかけられた銭取の旧名が残るそうです。
多数の前で傷を披露しろとの羞恥プレイを家康に強要されたとか。
作左がしくじった旭姫と大政所の懐柔に成功。
自分の美しさを知っていた万千代少年は、敢えて鷹狩りの家康の目につくようにうろうろしてたはずです。
とにかくガチゲイ。
直政は家康に随分可愛がられたようで、直政の怪我に家康が自ら薬をつけたやったりしていたとかどこかで読んだ事が。
小野政次⁉︎小野道好じゃなかった❔政次という名はドラマ用の創作だと思ったけど……
赤備え…武田、井伊、真田信繁…強者ですね。兜から出ているのは鬼の角を意識したのでしょうか?、重そうですね。
赤備え、武田家臣軍最強とも謳われた
のは、山縣昌景ですが、
井伊直政の家臣に、山縣家中の家臣がいたのではないでしょうか?✴
木曽義正の謀反により、武田家崩壊へと進むわけですが、その際、
山縣昌景の次男、正満の家臣を直政が
拾い上げ、家臣となる条件として、
赤備えを許したとも伝わりますが、
其処のところも調べてアップしていただければ、もっと赤備えに対して
興味深くなると思います。
山縣家臣を取り込んだ時に、赤備えも継承したんじゃなかったかな。
筆頭家老の木俣守勝あっての井伊直政で、彼がいなければあそこまでの活躍と所領が得られたかなと
個人的には思っております。なんせ大将自ら突撃しようとするのだから戦では先手衆の木俣守勝が
上手に井伊隊を活躍させたのではとも思っております。
木俣守勝って楠木正成の子孫なんですよね。武田旧臣を召抱えたのも守勝の功績が大きかったとか。
よくご存じで そう楠木正成の子孫なんですよね。文武両道でとても有能な武将 家康は寵愛する
直正の性格を踏まえて 木俣を付けた差配は流石だと思います。
豊久「首を置いてけ❗直政‼️」
井伊直政様の赤備え・・・・
×推しも押されぬ
◯押しも押されもせぬ
直政は先代について
なぜ自らは何も語らなかったのか。
ドラマのように女性だったから
語りたくなかったのか、
異説にあるように
井伊の血縁でない者が
一時的に当主になったからなのか。
父直親と自分の間にどんな中継ぎがいたのか
なぜ全く語らなかったのだろう。
(実質的な他人当主がいて、
次郎法師のような正統後継者は
脇に追いやられていたのか?
あるいは次郎法師は早世していた?)
しかし家臣の間違いは許さず 戦場では手打ちもあり家臣が嫌になり家康に直訴したほどです
だから直政没後は
家臣に誰も後追いは
いません
井伊家は一時は改易の様になりながらも徳川四天王にまで上りつめ、後には大老職を何人も排出する家柄にまでなった。
近年もゆるキャラの代表格ひこにゃんまで生み出す事に。
数正を取り込みたいってか。。
数正は可哀想よな。豊臣家と徳川家の橋になり外交続けてたら、いきなり戦になっては譜代の重臣のプライドをズタズタにされただろうよ。まあ、彼が豊臣家に行ったもんだから徳川家の方針を武田流に変わって結果大成功になったんだけど。
直政、政略は素晴らしい所は有るんだろうけど小牧長久手や関ヶ原とかで勝手に先陣きろうとしたって言われてるよね。小牧では本多や榊原にボッコボコに叱られて未遂に終わったみたいだけど。
秀吉を殺そうと進言した時
家康の部下たちから説教されたエピもあります。
意外と小柄なんでしたっけ?
意外と小柄で美男子だった。
でも中身は恐ろしい…
@@user-xf7fy3dj3g 自分にも部下にもめっちゃ厳しい、オール巨人みたいな性格だったと聞いております。
明王の政変
そして茶色風の肌で顔も隠し項羽となぜか書いてある。どうやら歴史上の人物らしいと出た。張文遠と書いてあるぞと言われたな。俺は孫策だぞ~?
俺ってさ?マグワエル、マグワリ、マグワエルらしいぞ笑。インド皇帝にしてインドで5000人を殺害とかいてある。
鬼畜エピソードをスルーし過ぎ印象操作し過ぎで残念