藤原道兼の子孫はどうなったのか!?紫式部との関係は?過去の大河ドラマにも登場!?

Sdílet
Vložit
  • čas přidán 17. 01. 2024
  • 七日関白とよばれた藤原道兼の子孫について紹介します。紫式部との関係、子孫と意外な有名人との関係も!?
    00:57 乱暴者だった2人の息子
    03:17 紫式部との関係
    04:34 その他道兼の子孫・過去の大河にも登場!?
    【関連動画】
    藤原伊周の嫡男~悪三位藤原道雅とは?
    • 藤原伊周の嫡男・数々の問題行動を起こした悪三...
    紫式部・家族のエピソード
    • 紫式部~家族のエピソード~先祖・子孫は?
    藤原道兼の子孫・豊前宇都宮氏城井一族の惨劇
    • 黒田官兵衛父子の謀略~豊前宇都宮氏城井一族の惨劇
    花山天皇の出家『寛和の変』とその後の?な人生
    • 花山天皇の出家『寛和の変』とその後の?な花山...
    藤原隆家の逸話
    • 藤原隆家の逸話~花山法皇・藤原道長との関係、...
    本動画は個人ブログ『日本史雑学庵』の記事を元に作成しています。ブログの方へも是非お立ち寄りください。
    nihonsizatugaku.net/
    #大河ドラマ #光る君へ #紫式部 #藤原道兼 #子孫 #平安時代

Komentáře • 9

  • @user-rd6ne7wq3p
    @user-rd6ne7wq3p Před 5 měsíci +14

    紫式部の娘と道兼の息子が結婚していたとは。そうなると孫は親の仇の血を引いていることになるが、ドラマでもやるのだろうか?普通ならスルーしてもおかしくはないが、大石静脚本なのであえて取り上げてまひろが苦悩する可能性があるな。

    • @ae3779
      @ae3779 Před 4 měsíci

      道兼の息子は、『紫式部日記』に出てきます。でも何方かと、小倉百人一首の大弐三位の和歌で分かるように、恋愛の駆け引き上手で、明るく、快活まで匂わせるものがある。母親の紫式部にはなくて、伊達男の父親・藤原宣孝に似た性格であること。これは、周知の事実です。
       道兼の子・兼隆の子供を産んだ頃、子供は産んでいるので、一条天皇の中宮彰子の二男の乳母になっています。高階貴子の一族・高階成章と再婚した頃、大宰大弐だったことと、次第に出世し、従三位、典侍となったことから、大弐三位となっているから、直接、関係ないですね😄

  • @user-zi7yv2hf1x
    @user-zi7yv2hf1x Před 5 měsíci +8

    先祖が天皇家に関わる為にネットで家系が分かり兼家の子供の藤原道隆、藤原道綱、藤原詮子、藤原道兼、藤原道長、藤原超子が先祖です。
    先祖藤原倫子の異母兄弟の源扶義の娘と道兼の息子兼隆との息子の藤原兼房から(中略)八田宗綱の息子宇都宮朝綱から西園寺家へ
    息子の八田知家から(中略)佐竹義重から正親町三条家へ
    複数の系譜で繋がってました。
    道兼と紫式部が先祖ですが光る君への初回はフィクションとしてもショックでした。大河ドラマで歴史を知る人が勘違いしそうで極端なシーンはどうかと思いました。

    • @ae3779
      @ae3779 Před 4 měsíci +2

      あくまで、史実は史実として、フィクションはフィクションとしてしっかり把握してから、楽しむと、面白いですよ。
       今回のは、平安時代中期の黄金時代として、その道のプロがたくさん出てきます。一条天皇の四納言・行成(こうぜい又はゆきなり)は書家(祖父の謙徳公は四十五番、父の藤原義孝は五十番。百人一首に取られている)、同じく、大納言公任(五十五)は三船の才(漢詩・音楽・和歌)に優れた、公卿で歌壇の第一人者。四納言ではないが、優れた学者や、歌人を輩出し、朝廷に重く用いられた大江氏(大江匡衡、赤染衛門(彼女は匡衡の妻)、平安時代屈指の学者で、清和源氏の源 義家に兵法を教えた大江匡房) 、その玄孫が源 頼朝で、匡房のひ孫・広元は文官として内政面から支えた。→広元の子供・季光は父の処領の内、相模国毛利庄(現在の神奈川県厚木市)を相続し、毛利氏の祖へ。時代を経て、戦国大名・毛利元就や江戸時代の外様大名初代の毛利輝元へ。

    • @user-zi7yv2hf1x
      @user-zi7yv2hf1x Před 4 měsíci +1

      @@ae3779
      ご返信を有難う御座います。😊
      ドラマですしフィクションとして楽しみます!😃
      小倉百人一首は学生の時少し勉強した記憶が有る位ですが、藤原定家が先祖で天皇8人含め3割位の歌人の先祖がいると分かりました。
      藤原行成は先祖で公任は父親の頼忠の兄弟の斉敏(実資の兄の懐平
      が先祖)が先祖でした。
      大江広元の前の家系が分からず今知りました。広元は娘が飛鳥井雅経に嫁ぎ繋がってます。源義朝が先祖で頼朝の同母妹の坊門姫と異母兄弟の阿野全成が先祖です。毛利輝元が大江広元の子孫とは知っておりました。
      紫式部が赤染衛門の事を褒めていたと他で聞いた事が有りましたが赤染衛門が先祖とは初めて知りました。
      一昨年暮れに家系が分かり驚きましたが、今だに驚きが有ります。
      有難う御座いました。😊

    • @ae3779
      @ae3779 Před 3 měsíci +2

      @@user-zi7yv2hf1x
      大江氏は、菅原道真を輩出した菅原氏と並ぶ学問の家柄。文章博士(もんじょうはかせ)から、官僚になった二代貴族。
       現在の感覚で言うと、仕事内容は大学教授と文筆家、天皇の先生を兼任するスペシャリストといったところ。
       中国の儒学が好まれたものの、日本人好みの学問である、文学や史学に関心を持つ人が多く、担当する文章博士の権威が異常に高くなったようです。そこから発展し、天皇の先生や、貴族からの依頼で漢詩や文書を書く仕事をしていたようです。
       文章博士となると、従五位下という貴族と同等の官位と、少納言や少輔という官職になれるわけで。戦国武将あたりで、よく耳にする官位でもありましょうか。
       菅原道真公がその官職から、受領という現在の知事に当たる地位を重ね、従二位、右大臣まで立身出世。治世は、やはり、異例中の異例である、宇多天皇・醍醐天皇の臣籍や臣籍降下した二代の親子に仕えたこと。
       父是善は、文徳天皇・清和天皇治世、従三位、参議。
       祖父は嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇の治世、文章博士従三位。私塾を開校し、後継者である是善・道真の才能もあって、師弟の教育に力を注いだ。現代で言えば学閥の形成。大学寮で学ぶ学問を私的に行い始めたことから、菅原氏VS反対派が出来上がり、菅原道真排斥になる原因になった説も有り。子孫はしっかりその後も続き、女流作家・菅原孝標女(母方伯母か叔母は右大将道綱母)がいます。
       大江氏のほうは、赤染衛門とおしどり夫婦で有名な大江匡衡が、正四位下・式部大輔、ひ孫である匡房が最高位の正二位・権中納言、匡房のひ孫・大江広元は正四位下・因幡守/鎌倉幕府公文所(政所)別当。守護・地頭を設置するよう献策するなど、政治中枢にいて、影響力を発揮した。

    • @user-zi7yv2hf1x
      @user-zi7yv2hf1x Před 3 měsíci

      @@ae3779
      ご返信有難う御座います!
      素晴らしい知識で敬服致します。
      私は家系図のサイトで確認するか又他のサイトで調べるだけで恥ずかしいながら知識で有りません。
      実は菅原道真と息子の高視、淳茂、景行も縁が有り5月に母と太宰府に旅します。実は昨日から所用の1人旅で名古屋からの帰路で、本日桜天満宮と山田天満宮にお参りしました。😃

  • @JI-py3xf
    @JI-py3xf Před 4 měsíci

    私、宇都宮家と婚姻関係があるので、道兼の子孫になるみたい。