信長に滅ぼされた幻の町【一乗谷】朝倉100年の繁栄を追う

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  • čas přidán 7. 09. 2024
  • 次回は「一乗谷炎上編」の予定です。
    福井県福井市。広大な平野が終わった山のはじまりに朝倉氏の本拠地、一乗谷の入り口があります。ここは越前の中心である「国府」、そして美濃への通り道である大野との間の重要な地。南北2キロほどの谷間に、朝倉家の館をはじめとする町が造られはじめたのは義景の5代前、孝景のころと言われています。
    一乗谷の両側にある山には詰めとなる城がいくつも築かれ、谷を囲むようにならんでいます。谷の南北は上城戸・下城戸と呼ばれる土塁や堀によって区切られた巨大な防御施設があり、これによって全体を防御する造りとなっていました。山に囲まれたこの空間にはなんと一万人を超える人たちが住んでいたようです。
    この一乗谷のすごいところはこの都市がそのまま埋もれていること。織田信長によって焼き払われた後この場所は使われることなく田んぼなどになっていたようです。一乗谷が抱える問題としてその狭さがあり、この谷の中に1万人が住むということは余っているスペースはほどんどなかったのだと思われます。町は早くから上下二つの城戸の外まではみ出して造られ、もう限界だったのでしょう。大きな国造りを目指す信長がここを再利用するはずはありません。結果、田んぼに埋もれた最高の状態で一乗谷は保存され、私たちは発掘調査に基づいて復元された建物などを見学する事が出来るのですね。

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