鎌倉時代以降も裏切りまくり!最後には徳川家康につながる 三浦義村の子孫のその後【鎌倉殿の13人】
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- čas přidán 26. 10. 2022
- 三浦義村の死後、宝治合戦で北条氏に滅ぼされてしまった三浦氏。
ですが、義村の娘、矢部禅尼が残した三浦盛時の系譜が、三浦氏の名跡を継ぎ、鎌倉時代以降も三浦氏は続いていきます。
北条時行に従ったり、鎌倉公方に従いながらも室町幕府に寝返るなど、義村を彷彿とさせるような立ち回りで生き延びるも、最後には北条早雲によって滅ぼされてしまいます。
ですが、三浦一族は房総半島で生き残り、一族から徳川家康の側室が出て、その間に生まれた紀州藩主徳川頼宣に従って、紀州藩家老として明治時代まで続きました。
今回は、三浦義村死後、執権北条氏の家臣、戦国大名として続き、最後には徳川家康と結びついた三浦氏のその後について紹介します!
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参考文献
高橋秀樹『三浦一族の研究』
amzn.to/3fVKAxy
三浦一族研究会『三浦一族 : その興亡の歴史』
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房総半島に移り住んだ三浦氏の末裔です。三浦氏→和田氏→深堀氏→自身が現当主になります。感慨深く拝見させていただきました。
今の徳川宗家の当主家広さんは正木氏(三浦の支流) の血筋を持っていたね
ただ子供がいないから徳川宗家は近く絶えてしまう
三浦氏の系譜が、解りました❗️😌
6:09関ヶ原の戦いの真田氏みたいだね。7:43〜7:45上手く立ち周りすぎだね。この動画を見てたら三浦氏が日本一の世渡り上手に思ったw(共感した人多いんじゃない?)
正木時茂ももしかしたら三浦氏の流れかも、とは驚きの発見でした。
室町の当主たちの名前を見るに三浦氏の通字も「時」のようですし、正木氏も同じ「時」なのは確かに…と思わされます。
最終的に徳川氏に繋がっていた三浦一族。而も明治の頃まで華族として続いていたとは。まさに驚きです。
御三家で紀州と水戸が同母兄弟だった事が八代将軍吉宗誕生に大きく関わると推測できる。三浦のDNA恐るべし
徳川吉宗の紀州藩主時代に家老三浦為隆は三浦義村の子孫だ
三浦氏に限らず、敗者の血が勝者の家系で続いていくのは歴史の皮肉と言うべきでしょうか…
三浦氏は戦国時代まではうまく立ち回ったけど、結局江戸時代には大名家にはなっていないのですね。同じ鎌倉御家人でも、大江氏→毛利氏・千葉氏→相馬氏・佐々木氏→京極氏はそれぞれ長門萩藩主・陸奥相馬藩主・讃岐丸亀藩主になっていますけどね。やはり室町将軍家の足利氏も含めて頂点近くまで行った御家人は没落も早いようです。
蘆名氏が生き残っていれば三浦氏も大名として残った可能性は十分あったのですが、最後の最後に伊達政宗にやられてしまいましたね…
あの大河ドラマで、今日まで残っている家は北条を始め、ほとんどありませんでした。唯一、佐竹氏だけが秋田県知事🎉
三浦義村と違って、戦国時代の三浦半島の三浦氏は忠臣だったな
確かに北条「平」と北条「伊勢」に、
2度滅ばせられる偶然ですね。
三浦を滅ぼした日と小田原城を
降伏開場したのも偶然?
取り上げていただき有難うございます。
北条早雲に滅ぼされて断絶したと思っていましたら、しぶといですね。
今風に言えば勝ち組です。江戸時代以降は宇都宮氏や里見氏よりもはるかに栄えました。どこで栄えるか分かりませんね。
北条の世をもう一度と中先代の乱を起こした北条時行とその後の北条氏を取り上げていただければ幸いです。
北条時行は準備しておりますが、12月くらいにはなりそうです…
@@rekishock 殿
よろしくお願いいたします。
改めて拝聴しましたが、三浦氏はしぶとく生き残りましたが、義村のような天下を左右する人物は輩出できませんでしたね。
三浦を欧米人が発音すると「メウラ」に聞こえる。三浦和義さんが言ってた。
徳川家将軍達の中に三浦の血が入っていたとは驚き! 家康に仕えた南光坊天海も先に紹介があった三浦(蘆名)の一族だし
ある意味で凄い一族だな~って思った
とにかく、世渡り上手な一族なのですね😅
三浦、なかなかやるな!!
今もやってるか知らないけど、昔NHKだったっけ?の中学生日記って番組で、三浦氏の子孫の子供(設定だろうけど)が出てたなぁ。
どの系列の三浦氏か気になりますね…
母方の家系が三浦氏の末裔だそうで、甲斐武田の家臣「津久井虎之介」の流れだそうです。今は築野という苗字です。
これは本当ですか?というか可能性はあるのでしょうか?詳しい方いたら教えてください。
会津芦名家は三浦氏。
負け札ばかり掴みながらも細々と命脈を保ち続けてるのが興味深い。
宝治合戰の後、北条氏の家臣扱いになり『時』の字を賜るなど霜月騒動で滅ぼされた安達氏と共通していているのが(安達時顕とか)また面白いですね。
流石に正木氏を三浦の後裔と言うには武田勝頼を裏切った木曾義昌を木曾義仲の後裔と認めるような難しさはあると思う。
それにしても家康の頼朝好きは『三浦』という名に固執している所にも顕著に現れてるよね。
後裔を称するものに『三浦』姓に復させたりウイリアム・アダムスに『三浦按針』なる日本名を付けさせたりと頼朝気分を味わいたい家康としては『三浦』なるモノを臣下にして使いやりたいという気持ちが感じられる。
またこれは本当に個人的な推察だけど頼朝の古くからの支援者『土肥』氏に変わるものとして語呂の似てる『土井』氏を幕臣として(秀忠側近)徒用してるような気がしてならないんですよね。頼朝好きの家康としては。
三
ニ
三
三
今年の大河から来年の大河へと既に流れは始まっている訳ですか(笑)。さて家康は正室築山殿と嫡男信康の一件が余程堪えたのか、悲劇を経験してからは名流や松平に肩を並べる勢いの家柄からの嫁取りを極端に避けて居ます。
むしろ家柄は低きを好み、また忠輝などは伊達との繋がりが却って徒に成って仕舞った好例。家康の大名や名流&格上への警戒心は並大抵ではなかった。
これは以前から云われて居るし、今で云えば七十過ぎて出来た様な末弟3人(実母は松平より格下)を御三家にしたのも、家康特有の将軍家とのバランスを考えた、その当時としては思慮遠謀だったと云えます。
●然しながら徳川将軍家は幕末期に至っては劣勢挽回の為に、近衛の養女としての島津の縁戚関係の篤姫、また和宮降嫁と真逆の政略結婚に方針転換。
西国大名の江戸侵攻を防ぐ為の最後の砦、木曽三川が巨大な自然の要塞堀だった名古屋城も全く機能せず。金鯱で有名な延床面積日本最大の天守閣は巨大弾薬庫だったのですが、将軍家とは吉宗vs宗春以来、最悪と云ってよい間柄。やはり御三家筆頭の原則を無視してはまずかった。●事情を熟知する慶喜が鳥羽伏見の戦い後、非難を浴びながら江戸へ直帰したのは、悲しいかな幕末期の徳川家が一枚岩でなかったから。家康と云えども厳しい歴史の審判の流れの末には、万能の千里眼とはいかなかった。
また徳川は秀吉に潰された中小名もさかんに旗本に取り立てた。兎に角、勢いのあり過ぎない、規模が小さめの安心出来る家臣が家康の好みでした。
歴史から学ぶとすれば、それで黒船来航、尊皇攘夷運動の荒波🌊に十分対処出来たのか?でしょうね。
●三浦一族とすれば、本来は一国一城の主、特に相模の国には執着心がかなり強かったと思いますが、傍流としてサバイバルするのも偉大な生き様とは云えますね。
どこまで事実か怪しいものだが。系譜を捏造した可能性が非常に高い。
三浦按針は?ってボケてみる。
家康から三浦半島に領地に与えられて三浦を名乗ったので縁はあります(こじつけ
三浦半島出身で、戸籍も代々で三浦に運命を感じています。幼なじみも珍しい名前正木さんでした。やはり繋がっていたと想いました。今もしぶとく生きて、まさにそのままです(笑)。三浦地域は発展して頑張って欲しい。
接ぎ木だな
滅亡したで間違いないかと
本拠地は私の地元です。
落ち延びて各地に散り、庭にかやの木を植えて三浦氏の印としていたらしい。
本当かは不明ですが、かやの木見ると末裔?と思ってしまいます。
私も同じくです。幼なじみは珍しい名前、正木さんでしたし。不思議に三浦一族を感じます。古寺の子孫のお墓がたくさん立って驚きました。子孫みたいなことは確かにあるのだと思います。
ドンだけ世渡り上手やねん、って感じ。
何度も滅ぼされたと思いきや、密かに別の土地で、したたかにつながって、明治維新までとは。
しぶといねぇ・・・。
それにしても、今はやりのAI音声なのか、時々言葉のアクセントが変ですね。訛っていませんか?
一応全部手作業でアクセント、読み調整は行なっているのですが、抜け漏れ、自分の訛り等でご不快に感じさせる部分があったかもしれません。
もし可能であれば特に気になった箇所等教えていただけますと幸いです。
@@rekishock ビデオの最後の方、
明治維新を迎える当時の三浦氏である「権五郎」のアクセントが、少し気になりました。
「ゴンごろう⤵️」と頭にアクセントがあって語尾が下がっていますが、
私でしたら「ご↗️んごろー➡️」と平坦なイントネーションで読みます。
また、「頼朝の墓を修繕する」の「修繕する」も全く同様に、
「シュウぜんする⤵️」と頭にアクセントがあって語尾が下がっていますが、
私なら「しゅ↗️うぜんする➡️」と発音します。
いわば「修理する」と全く同じイントネーションになっているのが気になりました。
最後に「今回の動画はいかがだったでしょうか」の「いかが」も、やはり先の二つと全く同様、
頭にアクセントがあって語尾が下がるイントネーション「い↘️か↘️が」になっていますが、
「い↗️か↘️が」という山型のイントネーションになるのが普通だろうと思います。
この文脈では「如何」の「いかが」であって、「以下が」の「いかが」ではないからです。
以上三つが、AI訛り・コンピューター訛りではないかと気になったイントネーションです。
お忙しい中貴重なご指摘をいただき大変感謝しております。
ご指摘いただいた3点のうち、上2点については自分の中では違和感はないので、私自身の訛りや認識の部分の要因が大きいものと思われます。
最後にご指摘いただいた「いかがだったでしょうか」については、動画投稿初期から使いまわしている箇所になりますので、たしかに調整が行き届いていないなと反省しております。次回投稿時までに修正させていただきます。
@@rekishock
イントネーションの違いや逆転が単に方言によるものならば許容範囲です。
しかし、一般名詞ならともかく、
「権五郎」の様な人名にアクセントの逆転が見られると、個人的には違和感を持ちます。
「いかが」のイントネーションも、
右下がりでは全く違う言葉になるという理由から、受け入れ難いです。
百歩譲って「訛り」として許容できるのは、「修理する」と同じイントネーションの「修繕する」だけです。
しかし、少なくとも「標準語」のイントネーションではないと思います。
@@rekishock
こうした言葉に関する辛口な指摘は、
こちらがいくら良心からしているつもりでも、悪気は全く無くとも、
「揚げ足とり」や「マウンティング」、「上から目線」と誤解を受け、逆ギレされるのが常の昨今です。
しかし、謙虚に応対して下さり誠に恐れいります。
三浦氏に限らず、一族のすべてが根絶やしにされたという例は少なく、特に女性は殺されなかったことが多いでしょう。やはり、日本人は、多民族国家ではなく、宗教上の対立によって敗者側が根絶やしにされることも少なかった、幸運な国と言えるでしょう。しかし、いま、日本を取り巻く環境は大きく変わって、異民族、かつ、ならず者国家が大陸を支配しているという状況。女子供関係なく、無差別に人を殺す。そういう時代に突入してしまったことを、深く憂いています。