ラジオゼミ#9【「写す」ことと「参加する」こと】

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  • čas přidán 8. 09. 2024

Komentáře • 4

  • @user-en7tm4ch3b
    @user-en7tm4ch3b Před 2 měsíci

    井上さんの写しは、井上さんの写し(歯切れのいい話し方)なんですね。
    ある時、わかったのですが・・・相手の顔に自分の顔が写るんですね。
    相手が機嫌悪そうな顔をしているのは、自分の機嫌悪そうな顔が相手に写っているですね。
    人間は、相手に自分の顔を写し見ながら生きているでしょうね。

    • @INOUE-ZEMI
      @INOUE-ZEMI  Před 2 měsíci

      コメントありがとうございます!ほんと、そうですね。相手は自分の写し鏡と言いますが、それがお互いのなかで起こっているんですね☺️

  • @user-di9dm4tu2t
    @user-di9dm4tu2t Před 2 měsíci

    私は写すを聞いた時に真っ先に
    「パクリ」を思い浮かべます。
    やはり何か新しい楽しいものや、作品が生まれた時、パクリかパクリじゃないかみたいな話が多いですし、最近ではAIのイラストの問題もよくありますよね。
    しかしイラストが、別の何かを介してコピーされているものだから、単なるコピーでもないし、また新しい形になっている。
    しかし、コピーされることに不快感を感じるのはなぜなのでしょう。
    私たちはマネされると不快になってしまいます。なぜ

    • @INOUE-ZEMI
      @INOUE-ZEMI  Před 2 měsíci

      @@user-di9dm4tu2t これも奥の深い問題で、たくさんの人にマネをされて嬉しい!ではなく、逆に不快になってしまう。不快になる感情は私たちのなかにある「大切にしたいもの」と自分自身が繋がることができていないことが根本にあると思います。そのへんの話は「ハラスメント」や「非暴力コミュニケーション」の動画で話していますが、もう少し社会的な視点で言えば、著作権問題が日本では過剰に騒がれるからというのがあります。このコピーライトの発想は、自己と他者が分離している世界を前提とする思想だと思っていますが、これが焚き付けられているのが今の世の中なので、私たちは「嬉しさ」とかの心地よさではなく、「ムカつく」とかの不快さを感じてしまいます。逆にコピーレフトの人は著作権を解放した考え方の人ですから、「みんなパクってね!」ってなりますから、明らかに反応が違うと感じています。