【ゆっくり解説】豊臣時代の貴公子! ゆっくり戦国の人物解説「宇喜多秀家」

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  • čas přidán 2. 07. 2021
  • #戦国武将#ゆっくり#歴史
    豊臣秀吉の養女を娶り、若くして豊臣政権の大老に抜擢された豊臣時代の貴公子、宇喜多秀家を解説!
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    大西泰正「宇喜多秀家 秀吉が認めた可能性」
    Twitter: / emeraldrekishi
    BGM:甘茶の音楽工房、ニコニコモンズ
    地図:国土地理院地図、Googleマップ
    写真:photoAC、wikipedia

Komentáře • 24

  • @toshi0059
    @toshi0059 Před rokem +3

    八丈島に行った時秀家の墓見たぞ。なかなか立派

  • @dnth888
    @dnth888 Před rokem +4

    秀吉の朝鮮出兵を、やたら失敗失敗を連呼してるけど、失敗ではなく"中断"として欲しいね。
    内容的には悪くないし、秀吉が長生きすれば明を征服できていた可能性はかなり高い。

    • @user-lo3xw5di7x
      @user-lo3xw5di7x Před rokem

      出兵の目的は明、朝鮮の征服だったのですよね。それを成し遂げていないのは『失敗』です。

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před 3 lety +3

    秀家は大河や時代劇では年配の方が演じている事が多い

  • @user-bl6hq1nl1n
    @user-bl6hq1nl1n Před 3 lety +4

    豪遊癖があって税金もたくさん徴収してらしいから、民衆からも反感を買ってたらしい

  • @user-kh3wt3hh7t
    @user-kh3wt3hh7t Před 5 měsíci

    秀家は坊っちゃん大名 みこしに乗っていた 秀吉が死んだらばらばら

  • @user-ll5my7tu3q
    @user-ll5my7tu3q Před 2 lety +4

    例えると、学歴や教養は無いが、遣り手で 叩き上げの社長に、取引先の好青年の後継ぎが気に入られて…
    の構図です。但し、こう言う人は 案外修羅場や急変事態に弱く、外見や体面を気にせず汗を流し泥を被る…
    事は出来ない人が多い。
    会社員時代、スマートで紳士的 上品な人だが、いざというときには 全く役に立たない重役が居ました。
    特に労使交渉や部下への評価事項では、あたらず 触らず 嫌な事に関わらず、ケツを拭かない態度でした。
    当時若かった私達は陰で「御公家さん」と呼んでました。

    • @user-ls4ks9ut3z
      @user-ls4ks9ut3z Před rokem +1

      重役は経営者側の人間なので労使交渉で役に立つと考えないほうがよいのでは。
      会社にとっては立派な功労者。秀家は同世代のほかの武将と比べるとかなり数の戦場で汗も流してるけど功労の割に領地の加増がまったくなされなかったのが不幸だったと思う。あまり語られないけどあの時代に宇喜多堤を築いて現在の倉敷のもとになる土地を干拓したという功績もある。

    • @user-kh3wt3hh7t
      @user-kh3wt3hh7t Před 5 měsíci

      結局 人に頼って生かされた

  • @a-magic4225
    @a-magic4225 Před rokem +1

    一つ違うのは関ヶ原の戦いでかなりの働きをしたが、負けたのは小早川らの裏切りで、兵力が減ったからではない。

  • @user-ll5my7tu3q
    @user-ll5my7tu3q Před 4 měsíci

    一般人から見ると『育ちの好いお人好いのお坊ちゃん』と しか評価され無いだろう。
    中学~高校~大学 時代の友人にも何人か、親父や親戚連中の力で楽に進学・就職した奴が居た。彼等 その後は
    芽が出て居ない…一人は
    親の会社が倒産した。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 3 lety +2

    もとから治めるのが難しい地域で
    家臣と言っても有力国人を
    支配下に置いている状態ですから
    秀吉による厚遇が良かったのかどうか

    • @user-eq1kh7ts1j
      @user-eq1kh7ts1j Před 2 lety +1

      家臣達の禄高が異常に高く2万石越えの大名クラスがゴロゴロいた。明石が4万石(秀吉からの6万石とあわせて10万石)、新参で20未満だった本多政重(本多正信の次男)でも2万石。本当に贅沢だったのは家臣達のほうだったのではと思ってしまう。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 3 lety +1

    秀吉は身内が少なく、しかも弟以外には
    頼りになる人物がいなかったので
    信長生前期から縁深い宇喜多家を
    取り込もうとしたんですね。
    これが終局では不利に働くとは、、、

  • @cwacaligarinoc
    @cwacaligarinoc Před 3 lety +3

    自分の勉強不足だったら申し訳ないのですが、動画内の花房秀成というのは花房正成のことでしょうか?

    • @user-zc7dv6fu5p
      @user-zc7dv6fu5p  Před 3 lety +1

      そうです。
      この動画では花房正成を秀成と表記しています。

    • @cwacaligarinoc
      @cwacaligarinoc Před 3 lety

      @@user-zc7dv6fu5p 返信ありがとうございます。秀家の偏諱を受けて秀成と名乗ったとか、そう時期があったんでしょうか?

    • @user-zc7dv6fu5p
      @user-zc7dv6fu5p  Před 3 lety +1

      秀成の諱については詳しいことはわからないのですが、秀成(正成)は羽柴家と宇喜多家に両属していたという説もあるので、秀成の秀は秀吉からのものかもしれません。

    • @cwacaligarinoc
      @cwacaligarinoc Před 3 lety +1

      @@user-zc7dv6fu5p そうなんですね。勉強になりました。ありがとうございました。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +1

    長い間、秀家は実子でないと勝手に思い込んでました。それくらいイメージが重ならない父と子。直家が亡くなった時点で11歳というのは微妙な年齢ですね。
    なんかあくの強い父2人に翻弄されたイメージかな。従う以外の選択肢は無かったろうし、、、哀しい印象かな。