千利休の後継者・古田織部!織部流を開花させた二刀流の天才茶人!
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- čas přidán 20. 11. 2019
- ~目次~
■若い頃は茶の湯に興味がなかった?
■豊臣秀吉の家臣として活躍。
■千利休に才能を見出される。
■天下人・秀吉の茶人へ
■豊臣内通の嫌疑をかけられ、切腹。
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千利休~聖人?それとも腹黒?時代の寵児はなぜ殺されたのか~
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行
漫画のインパクトが強すぎて、この名前を聞くとあっちの顔が浮かぶw
利休の堺への見送りをするなど、織部は利休を心から敬っていたのがよくわかります。
「人と違うことをせよ」という弟子への教えは利休本人のこと、自分に対してのことばでもあったと思います。織部は茶の湯や織部焼でその教えを実践して、、、信頼関係も強かったんですね。お茶の文化が今も引き継がれているのはうれしいです。
自然と質素を旨とする千利休に対して作り込まれた美を取り入れた古田織部
茶庭の敷石などモダンで古さを感じないデザインは既成概念を越えた人なんだと思う。
へうげものファンなので心待ちにしてました
漢字の難しい読みはルビまで付けてちゃんと読んでるのに、へうげものを平仮名のままへうげものと読んでずっこけた。
へうげもの、家康のまた違う一面がみれて、すき。
戦国時代は真面目で堅苦しいイメージだが茶の湯と武士のコミュニケーションを知ると物凄く人間味があってわかりやすくなる
今では単なるお茶会でも戦国では槍や弓、鉄砲は勿論城や領土にも匹敵する価値ある儀礼だった
あと織部が考案したものでは織部灯篭なんかも有名ですよね。京都北山には織部ゆかりの品々が展示された古田織部美術館がありますよ
織部が最後に切腹する時に、走馬灯で利休にぶん殴られて諭されるの本当に好き。
「へうげもの」と書き「ひょうげもの」と読むのではなかったかな?
その通り!ただ自分も連載途中まで気づかなかったw
へうげものと書きますが読みはひょうげものですよ。
利休の弟子で可愛がられていた、利休切腹後に茶道筆頭に任命された事等の事象を聞くと、へうげものの流れが説得力を持って感じられる。
いや、単にあの漫画が好きなだけなんだがねwwwげひゃひゃひゃひゃww
漫画へうげもののサイトで盛り上がっていた頃が懐かしいですね。ブチ猫茶碗のレプリカなんかも買いましたが、緑色の織部の器はおでんを盛るとなかなか映えるのでぼちぼち出番です。あの肖像はフルタ製菓のCMのおかげで変なイメージが・・・w
漫画「へうげもの」で知りました。あの漫画では後半から茶頭筆頭後に笑い柱として覚醒し終盤冬の陣の間に全集中笑いの呼吸で暗殺に来た柳生宗矩を撃退、愛刀として関の孫六兼元を所持していたと描かれてましたが実際はどうだったか不明でした。
『ひょうげもの』と読みます。
古田織部・・・
利休亡き後、秀吉の茶匠
古田織部は側近の不始末
の責任(秀吉への)を感じて
切腹に至る
その後、京都大徳寺の
玉林庵に葬られた
ちなみに・・・大徳寺は
1474年一休さんで馴染みの一休宗純が住職に就任した禅の寺
せん は清秀の妹ですので秀政の伯母ではなく『叔母』が正しいかと。
国松を匿った罪で切腹はかわいそう
頼朝...
イントネーションや読み方等、ところどころ変な動画ですね。
某CMの織部好みいいいいいいい↑↑↑
ってここから(7:17)来てたのか
高山右近て普通はキリスト教やってなのに茶人もやってたのは初めてした❗️
キリスト教も清貧に甘んずる考えがあるからでしょうかね。
ウィキペディアまる写しは楽でいいですね
「へうげもの」をそのまま発音するレベルですからね・・・
ひょうげ御殿から来た人
秀吉、家康共に意外に器量が小さいなと思ってしまう。
細谷達洋 そんな秀吉や家康とは違い、大六天魔王こと信長なんかは多分、かなり容量が大きかったんだろうなぁ。
大饗進 多分あの方なら許してそうな気がする、何となくだけど
なんでかな? なんでだろう?
古田織部さん
あんま好きじゃ無いんだわな
一昔前の 司馬遼太郎さんの短編に 確か茶器を金継ぎする
そんで武将としては大した事無いのに戦国の世を汚くしたたかに生き抜く織部さんのストーリーがあったはず
そのストーリーから 織部さんの印象的が悪い だったんだよね
この時代にへうげもの としてクローズアップされる のは凄い事
もう一度 勉強したいですわぁ
朝廷や貴族と通じてると何故家康公を脅かす存在になるのかわからんのだが
あちちあちち 様
朝廷の政治的な影響を考えていた幕府が圧力をかける為に幕府は朝廷や貴族について警戒していました。
時の天皇は上皇になり、朝廷の権威を保とうとしたのですが、
幕府は貴族でも処刑しており、京都の人心はお上が朝廷より権力が強いと思い知らされます。
そして幕府は朝廷の権威を利用する為、政略結婚もして骨抜きをしていた様です。
当時は有名な茶器一つで国一つ買えるぐらいの価値があるほど茶の湯が大流行していました。反徳川家の外様大名と公家が茶の湯を通じて大連合をつくり徳川の天下を脅かす事に恐れて、切腹当時70代後半だった古田織部を後顧の憂いを断つ為に切腹させたのかも?
お二方ともこんな俺に丁寧に教えてくれてありがとう、理解できました!
最近変に家康評価高まり、諂い秀吉の治世を真似たる数々の事実、織部もその一例か、、?
乙