実は平家方だった!?頼朝を助けた三浦一族のルーツ【鎌倉殿の13人補足解説】
Vložit
- čas přidán 6. 09. 2024
- 三浦一族が頼朝に味方するまでの歴史を追いました。
鎌倉殿で大活躍中の三浦義村については近いうちに解説動画出します!
■主な参考文献
三浦一族の中世 (歴史文化ライブラリー)
amzn.to/3t0HTxp
中世武士 畠山重忠: 秩父平氏の嫡流 (歴史文化ライブラリー)
amzn.to/3sXlTUh
鎌倉・室町人名辞典
amzn.to/3B2ALnI
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
www.nhk.or.jp/...
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
/ nhk_kamakura13
また、解説に必要な範囲で大河ドラマ本編の一部シーンを引用しています。
◆チャンネル登録はこちらからお願いするでござる!
www.youtube.co...
◆サブチャンネル『ミスター武士道ch』
/ @mr.bushido
◆戦国BANASHIの公式Twitter
/ sengokubanashi
※参考文献リンクURLはAmazonアソシエイトのリンクを使用しています。
■撮影・動画制作
株式会社メディアエクシード
mediaexceed.co...
#鎌倉殿の13人 #北条義時 #源頼朝 #畠山重忠
国司の交代のたびに振り回されていた坂東武士の実情、興味深かったです。武士道さんのお話聞かなければ、知らず終いになるところでした。今日も、勉強になりました。
いつも愛聴しています。
内容はとても良くて嬉しいのですが、落ちついた口調でお話し頂いたら最高なんですがせわしない😃なんとか、、、
他歴史チャンネルより劇的にわかりやすく
お話が上手だし、聞いていて楽しいです😭✨✨👏🏻👏🏻
数回見逃していましたが
途中からでも観たくなってまたTV観るようになりました‼️
より面白く観れています📺
ありがとうございます❣️
地元の一族を取り上げてくれてありがとうございます(*^^*)
今回の説明も良かったよ
三浦義村は生誕がハッキリしておらず、源範頼に従軍した時が恐らく17歳くらいだろうと言われてます。
だから石橋山合戦の時は恐らく13歳位ではと言われてます。
大河ドラマではかなり大人っぽいですけど。
以仁王討伐に三浦一族が加わっていたとは!
どちらに付くべきか、情勢を見極めて動ける武士が生き残って行ったのでしょうね。
源頼朝が石橋山の戦いで敗れて逃げ延びたのは現在の千葉県南部の安房国です。地図の表記が「阿波」になってますよ😅
和泉元彌が主演だった、2001年の大河ドラマの北条時宗では、北条時頼が三浦一族と毛利氏を宝治合戦で滅ぼすところから始まった記憶
待ってました!
佐原義連は三浦氏にとって重要人物ですね
三浦氏が滅ぼされたあと、義連の子供の盛連の四男、五男、六男は母が北條泰時の前妻であったため、北条時頼との方が近しい関係で北條氏に与して三浦氏の血脈を守った
会津の蘆名氏も義連の子孫ですね
ハマの番長こと三浦大輔監督は横浜ベイスターズで神奈川に縁のある苗字だからしっくりきたがじつは奈良県出身。
いつも解りやすい解説ありがとうございます。地図の阿波国は安房国ではないですか。
その後、戦国時代に美作で三浦一族の後裔が戦国大名として残るのだから面白い
長崎南部の深堀氏も三浦一族です。
13:37 「当時、貴族や上流の武士には(中略)一夫多妻がみられるが、時政クラスの坂東武士がいちどきに複数の妻を持つことはなかった」(坂井孝一著「鎌倉殿と執権北条氏」)ようですよ。ですから、妻が二人いたのではなく、前妻、後妻の関係ではないでしょうか。牧の方も、妾ではなく後妻ですよね。
まず最初の発端は、
桓武平氏の祖である平高望が3人の息子(国香、良兼、良将)と共に坂東に下向して開拓したのが始まり?
長兄国香と次兄良兼よりも、将門の父である良将が優れた手腕で豊かな領地を経営した事がキッカケ。
将門が官位を求めて京都にいる時に、良将が亡くなった事を良い事に叔父達(国香、良兼)が勝手に領地を奪い取った。
将門には、別に良文と言う叔父がいて将門の味方となっていた。
源頼朝が石橋山の戦いで敗れて逃げ延びたのは安房国です。地図の表記が「阿波」になってますよ😅
昨日の味方は今日の敵、大庭からしたら
三浦の裏切りはショックだったのかなぁ
でも義村は大庭のおっさんに謝っちまおうか頼朝を差し出すのはどうだろう
とかも言ってたよね
時代が動く時ってホント、他人が信用できない猜疑心の塊になるんだろうなぁ
源義朝の側室(長男義平の母親)が三浦一族って説もあったんでしたっけ。
家のお父さんが言ってたけど…
出自がハッキリしない方って 落ちぶれた方の
系譜をお金で買っていたそうなんですね😰
系譜を改ざんする方もいたそうなんで…
分かんないですね~
地政学を交えるともっと分かりやすいぜ😃
みんな畿内や東海ばっかの歴史に注目してて悲しい…
関東の歴史も最高に面白いのに…
三浦一族の来歴面白いです。でも地図上の房総南端が「阿波」になってるけど
「あわ」違いですね。
安房・・・千葉県南部
阿波・・・徳島県
源氏も平氏も、なんか複雑〜!
清盛の先祖は平将門のいとこだったと思います。元々、平氏は関東が拠点?将門いとこが京で栄えていったのか。教えて下さい~!
清盛は伊勢平氏で、将門の従兄弟である平貞盛の子が伊勢に居住し伊勢平氏になりました。清盛の祖父である平正盛が白河法皇に仕えて出世しました。
@@user-gy3uj2no1s さん
ありがとうございます。
○○平氏、○○源氏とホント複雑です。
岡崎義実も一族だし出ないけど十郎義連は頼朝の寝所番や逸話が多い…なのに語られなくて末裔として噴飯物
こうしてみると、頼朝以前に源氏と関わりを持たない坂東平氏は北条ぐらいだな。これが一番のしてくるんだから歴史は面白い
鎌倉武士の頭蓋骨は長頭で縄文時代と同じ。という特徴がある事から、坂東武者は外見も源氏や平氏とちょっと違ったんだろう。武家政権とはある意味縄文人政権かもしれん
石橋山の戦いや 衣笠城の敗残兵も 舟で 安房へ 到着したので しょうか ??
ドラマでは 名のある人は 館に 集まっていましたが。
毎回楽しみにしてるで、ござる!武士道殿、間違いがあっても誰かが指摘するでござれば、堂々とかまえてくだされ!大河ドラマを見てる方々に見て欲しい動画でございますれば
大体、千葉氏とかも現地の国造って言われてますよね。佐々木氏も宇田源氏じゃなく、沙沙城君の子孫だろうし。ほとんどが仮冒。
阿波という字が違います。→安房
後三年は何からの三年後なんでしょう?
その前に、前九年の役があったので、後に起こった戦が3年で済んだので、後年にそう区別されるようになったのでしょう。当時は名称は付かなかったはず。
北条も平氏って言われてたと思うのですが、どういうルーツの平氏だったんですかね??
北条は平家と同じ貞盛流としている、関東では北条と常陸大掾氏くらいか?三浦も北条もルーツは判然としないけどどこかの時点で京武者の血脈がはいっていてもおかしくない、当時は妻問婚と嫁取婚の端境期だったので、それこそ将門の時代に貞盛の父国香が現地の兵である常陸大掾源護の家に婿入したように三浦も現地の豪族に平良文流のだれかが妻問婚したのではないでしょうか?
鎌倉北条氏とは別だけど小田原北条氏と三浦氏って戦ったよね。あの三浦氏とは別なんですかね
最近、ミスター武士道さんの真似しんぼがたくさんいますなあ~😵
紛らわしいす😱
この時期の大河ドラマは数あれど、ある程度家系が確かな坂東平氏なのに長尾氏と秩父氏はキャスティングされた事は無いのでは?
まあ、長尾氏は、戦国時代にものすごく有名な人が登場して勇名を馳せるわけですが・・・
外国出身ですが、大変勉強になりました。ありがとうございます。質問ですが、日本人の名字、たとえば三浦や上総などは地名から来たでしょうか。あるいは地名が人名に因んで付けられたでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。
地名から来てる方のが多いですね
例えば北条は伊豆国田方郡の北条
近江源氏は佐々木庄からとかですかね
北九州の少弐氏は太宰少弐と言う官職から名前にしてます。
私の家は土肥の一族ですがやはり地名から名前が変わり土肥から変わってます。
@@okada_6869 なるほど、分かりました!教えて頂きましてありがとうございます。
人名が地名になった場所も有りますが、多くの場合は当時の武士は土着した地名を苗字にしています。
ただ「上総」氏は上総国の国司(県知事みたいな役職)に対しての称号「上総介(かずさのすけ)」を苗字にしています。
三浦氏は北条氏に比べると系図がはっきりしています。源義家に仕えていたこともわかっています。しかし北条は時政の父親もはっきりしていないかなり怪しい一族です。
源義朝は、処刑されたというより、裏切られて風呂場で暗殺された、が正しいのでは?
義朝の長男で頼朝の庶兄悪源太義平の生母は京橋本の遊女説の他に三浦義明の娘説がありますね
待ってました!