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本当に毎日美味しいご飯が食べられるのは幸せですね。 私、バイク事故してしまい顔面複雑骨折、アゴや目もやってしまいました。食事が取れなくて、飲み物しか食べられなくて痩せましたーw男性の平均身長よりは少し高いですが、体重は小学生ほどに一時期なりました。(43kg)あれから3年が経ち、だいぶ復活して来ましたが食事が取れる事は何よりも幸せですネ!毎日美味しいです。ただ、まだ大きな量は難しく、ゆっくりしか食べられませんが。意外と幸せって身近なものだなぁーと、回復して来て思います。美味しいと思えるのは、大事な喜びで。食事が出来るスキルがないと見ているだけになりますからねw
朝「一汁三菜」、昼「そこそこもっさり」、夜「ほどほどに」。解ってますが、その時食べたいものを食べちゃいます(笑)
内容がしっかりしていて、毎回楽しいです❣️
時代劇で見る食事シーンって魅力的で好き。本当に旨そうに見えます。
素朴なのにとっても美味しそうに見えますよね〜
必殺仕事人のメザシのみとかです?(;•﹏•)
木枯し紋次郎が飯屋でガサガサかっ込むシーンは乱暴だけど子供心に格好よく見えた(マネして親に怒られる)。
勝新太郎さんの座頭市シリーズでは良く食事の場面が出てきます。おざなりのシーンでは無くて、勝さんががつがつと食べる所作がとても気持ち良くて、食ってる~という感じが伝わってきます。これは勝さんのこだわりだろうと勝手に思っています。
鬼平犯科帳のEDとか。
史実とは離れるけど、まんが日本昔ばなしに出てくる食べ物や食事シーンは至高。
「蒲焼き」の名前の由来は、ウナギを円筒状に切って串焼きにしたものが蒲の穂みたいだったから。のちに開きにするようになってからも「蒲焼き」と呼び続けた。
ローマには古代から背開きの蒲焼っぽいのがあったらしいな
そうなの?うな重ご飯抜きを食べるから「かば→ばか」焼きと思っているが。うな重を食べさせる源内の印象操作だと思っている。
菜種油や鯨油がある程度普及して、起きている時間が長くなったことも一日三食必要となった理由の一つですね。農村部でも、夜は明かりを灯して縄をなったり、蚕の世話をしたりして活動時間が伸びていきました。
個人的予想ですが、江戸時代後期で菜種油1.8ℓ、8000円(現在の価値で)くらいの高級品だったそうなので、宵越しの銭は持たない庶民の多くは、同量4000円の、クサイ魚油をごく短時間使用で、だいたいの日は暗くならない内に夕食を済まして、すぐ寝てたのでは?と推測します。
夏至は良いが、冬至の夜は長すぎる・・・
健康目的で玄米を食べるようにしてから、白米の美味さを実感した。
おお、私も同じです。白米が銀シャリと言われている理由が分かりましたよ。
江戸時代の夏の風物詩といえば「そうめん、冷むぎ」を庶民は好んで食べていたぜ。 当時のそうめんは、タライに盛られたそうめんを立って食べる習慣で、そうめんの長さも2メートル程のながさのまま、切らずに踏み台に登ったりして食べていたんだぜ。 殿様もそうめんが好きで、殿様の御膳に出す場合のみ、食べ易い長さに短く切って出したのが、今のそうめんの長さになってるんだぜ♬ イノシシ肉をすき焼き風に出した店が、安くて美味いと繁盛していたみたいだね。「山くじら」とか「ももんじぃ」とか?って呼びか方をしていたみたい。 あとは、夕食のおかずは、総菜屋さんの売り子が天秤を担いで売りに来る総菜を買い、食卓へ並べるのが一般的な家庭の習慣だったみたい。小皿に小分けしてあり、常連さんには皿ごと渡して、次に来た時にお皿を返してもらうというお客さんには良心的に見えて、実はリピートしてくれる様に常連客を増やすという賢い商いをしていたみたいだぜ♬ 砂糖はとても高価な物で、庶民の口には殆ど入ることは無かった事から、うなぎの蒲焼きの味付けは、焦がし醤油とみりんぐらいで、俺の好みにはほど遠いと思うんだぜ。 おかゆとか、雑炊とたくわんとか、梅干し‥.俺は、生きて行けないんだぜ。
どの時代も作物を造る農家や漁業の方々には感謝しないといけませんね🙇♂️いつもありがとうございます🙇♂️
江戸時代の偉い人たちよりも現代の一般人の方がはるかにうまいものを食べている冷蔵冷凍などの科学技術や生産や流通システムの進歩ありがたやありがたや
偉い人は、好んで質素な食事をしていた。江戸時代になれば、お金があれば美味しいものが食べたれたよ!
@@KOKI-cy3ph 徳川家康がアイスクリームを食べられたんだね
江戸の武士など地位の高い人は地方では食べれない超贅沢品の白米を日常的に食べビタミンB不足でかかる脚気の病気になり江戸川患いと言われた脚気は恐ろしい病気で死亡率も高い
一日三食はエジソンからと思っていたが江戸時代からそういう習慣もあったんだなぁ
現代との一番大きな差は宗教的戒律から解放された事、軍人の体力育成の為などで肉食が取り入れられたこと。肉食で体力云々は異論もあるようですが食事が豊かになったことは間違いのない処。でも油断するとすぐに腰回りが豊かになる私は食べたいと食べないの葛藤が大問題。
将軍は紹介された禁忌の他にも色々と禁じられる食品が多かったようですね。江戸の食事が花開いた理由の一つは、下りものしかなかった醤油が千葉などで作られた事も大きいです。
出来立て食べられないのは、可哀想ですね。
江戸時代の食事シリーズ好きやわ。
江戸時代の米はまずかったらしい
一日4から5合って…凄い量ですよね 時代は違うけど宮沢賢治の詩に出てくる玄米の量にも驚かされますよね
「すし」に使われる漢字は三種類あって熟れ系-----「鮓」握り系-----「鮨」それ以外系---「寿司」となるらしいですよ
勉強になった
確かに…一言で「すし」と言っても色々ありますもんね。
島根県吉賀町の柿木村では年に一度「萬歳楽」という行事があり、選ばれた住民がサムネのような山盛りご飯(約四合)を完食しなければならないとか。五穀豊穣を願う意味合いもあるけど昔は銀シャリを満足に食べられなかったからその反動でもあるらしいです。🍚
そんなんやったら内臓ボロボロやろ
あかん 夜に見るもんちゃうこれめっちゃ腹減る
結局何時代の食生活がいいというより、その時代時代で共通するのは、長寿の将軍たちが心掛けていた食生活(玄米を食べるとか、腹八分目にするとか、肉は控えるとか)それに倣えばいいわけですよね。
肉禁止したから日本は風邪になるとすぐに死ぬのか多かっただよな…
武士など地位が高い人は庶民が食べれない白米を食べ脚気の病気になり江戸の患いと言われる風土病になって倒れてましたが?
@@user-sl2oo6bx5q 将軍の中でも長寿の人は玄米だったのでそれに倣おうということです。
多摩川より高台にあった北多摩の田無は、水が足りず田んぼが無い。だから武蔵野うどん・麦飯が、主食だったと言われている。山梨のほうとう・うどん県の讃岐に似ています。江戸が発展すると、江戸に近い利点を生かして野菜作りで儲けた。
おいこれはどこで仕入れた、ダメだ駄目だ、サンマは目黒に限る…淡白な白魚ばかりで下魚の脂まみれのサンマは魂が飛んでく美味さだったろうな
納豆に関しては米のおかずとして食べる方が世界的に見て珍しい食べ方だと聞いたことがあります。韓国やネパールも納豆に近い発酵食品を食べますが食材と言うより調味料に近い使い方をしています。
そもそも味噌・醤油は、大豆から出来ているからね・・・まあ「もろみ」でキュウリは、美味しいです。
江戸時代の味噌汁や漬物は現代のものよりしょっばかったから、ご飯が進むから5合食べてたとしても不思議な事ではない。江戸時代中期以前は2食でも、おやつを午後2時ごろに仕事の合間に食べていたから実質3食だったかも。
@あまのノロイ なるほど!語呂合わせから来てるのかな?知らんけど…(笑)
僕は。。市販のインスタント味噌汁一杯と、普通のシャケ一切れで一食で3合は食べれるよ。
おかずが多いと逆に米をたくさん食えない。
昔見た某テレビ番組で、江戸の庶民の一日の食事を再現していたけれど、それによると、一日5~8食を食べていたみたいなんだよな。でも、納得がいった。当時は、日常生活でさえ、今よりもずっと体力を使った。(洗濯機も冷蔵庫も車も無い時代だしね。)更に、江戸にはたくさんの大工が集まっていた。(大工仕事だって、今よりも遥かに体力を使う職業だった。)ならば、たくさん食べて当然。(大量に汗をかくので、塩分多めも当然。)複数回に分けて食べる事も、理に適っている。
鶏胸肉が主食で玄米とブロッコリーが副菜だったらもっと屈強な国だったんだろうな。
米よりも薪や炭の方が値上がりが凄かったという説もあるらしい。化石燃料の活用が無いから幕末には山々の木が切られ過ぎて禿げ山が多かったらしい
大火事から大変な仕事時代へ食文化への進化が羨ましいどんぶりさんまで⌒日本人の底力ですね⌒素晴らしい 誇りに存じます
なんか活気があって豊かな感じ…にぎやかな母ちゃん達が作るごはんは美味しそう🥢(^q^)元祖おふくろの味かな
夕食時間ですが、江戸時代は行灯などに使う、灯油(ともしあぶら)が植物油だと高く、庶民が使ってた安い魚油はススが多くクサイので、なるべく暗くならない内に、夕食をとっていたと思われますので、暮れ六つより少し早めに庶民は夕食を済ましてたと個人的予想。
と言うか、あんどんの明かりじゃ暗くて食事もままならないので夜は寝てたって「コメディお江戸でござる」で言ってたよ
江戸時代の食事を絶賛と言うか、素晴らしいとしてますが、日本の歴史の中でも江戸時代の日本人の体格は、最も小さかったとされます。子供の頃から十分な動物性たんぱく質を取らなかった事が原因とされます、これは仏教が肉食を嫌った為とされます。戦国時代の日本人は、食べられる物ならなんでも食べた、犬でも猪でも、食料そのものは江戸時代より少なかったようですが、体格は良かったようです。あと江戸時代の日本橋を中心とした江戸では、シジミが大量に食べられたようです。
だからビタミン不足で風邪になるとすぐに死ぬ時代の江戸時代は肉禁止は死亡率上げたからな
肉を食べないのに、白米にすれば栄養不足なるよね・・・中国・韓国・東南アジアは、肉を食べていました。
@@kathuyaaa-1115 肉禁止と言っても、四つ足でない鶏肉は食べていた。焼き鳥・親子丼・鶏ごはん・鶏天ぷら・筑前煮などは、和食だよ!江戸っ子は白米だし、都会だからイナゴ・蚕は食べなかった。
@@KOKI-cy3ph 江戸時代は山クジラと言って猪を食べたり、鵜とか鷺とか食べてましたね。江戸時代の食肉を専門に売っていた「ももんじ屋」では、猪は「山クジラ」「ぼたん」鶏は「かしわ」鹿は「もみじ」と呼んでいたようです。食肉禁止は幕府の禁令ではあっても、基本が仏教的な殺生禁止なので、薬として食す場合もあったようです。
思ったよりは、よいものを食べていたようですが、何せ塩の取りすぎがありましたね。
中学生の時、毎日大きめのどんぶりに山盛り3杯飲む様に白米を喰らってた訳だけど、今思うとよく脚気にならなかったな
糖質を分解するためにはビタミンB1が必要になります。脚気は摂取した糖質に対してビタミンB1が足りないことで代謝ができずに神経障害を起こすものです。単に白米の食べ過ぎでなるようなものではないんでしょう。それよりも私は中学生ごろから腸過敏性腸症候群によって朝食で下痢を起こす体質になっていたのでむしろあなたのような頑丈な消化器官が羨ましい・・・
日本人は長い事、脚気に苦しめられ膨大な犠牲者が出ましたね、結核と並ぶ二大国民病と言われて。日露戦争では戦死者より脚気で倒れた人が多かった。白米の弊害が出ましたねパンを食していた人は大丈夫だった
江戸時代は米ばかり食べて、栄養が足りてなかった。その米すら、江戸っ子は白米なんだよね。そのため身長は、縄文時代より低かったようです。
ただ縄文人は幼少期に死にまくってる。食べ物が偏らなく高身長になるけど、移動生活出来ないとダメだから、その移動についていけない人は殺されたっぽい。。
@@user-uj8wq8hj2x 幼少期に死にまくっているって病気か?
蕎麦、鮨、天麩羅、鰻と今じゃどれもこれも気軽に食いにくい高級品よなあ
江戸時代の食事に憧れる♪休日は茶漬け、湯漬けがメイン♪納豆やら柴漬けやらとの相性は抜群!今の政治はクズだがこの時は日本人で良かったと唯一思えるww
そば牡蠣とゆで蕎麦の間に、蒸しそばというのがあって、その名残で「せいろ」がある(*'▽')
牡蠣じゃないですよw
健康的でいいなー😆
ちと逸れるが、江戸の水も遠くから引くしかなかったので水質が悪く、地方から来たものは腹を壊すことが多かったらしいね
仕事などで生活サイクルが変化して1日3食になった日本に対して、アメリカではエジソンが自ら開発した家電を売る為に、1日3食を推奨して健康よりも商売優先。こんなところにも、考え方の違いがありますね。
うどんは、もっと昔でしたっけ天ぷらうどん食べたくなってきました笑
江戸時代の蕎麦、そば、ソバ食べたいんや!主水さんが食べてたやつな!仕事人かい!
1日3食を広めたのはトースターや電球を売りたかったエジソンのせい。確かに江戸時代にも1日3食にしている人はいたが、多くは1日2食。八つ時に昼食をすることが後に「おやつ」にはなったけれどそれは江戸などだけでの話であったし。とはいえ稗などしか食べられないほどの貧農は腹持ち悪いから逆に1日6食だったりしたとか。
雑穀でも、沢山食べれば腹持ちはいいよ!一日6食なんて、よほど暇人だね。
5:40 節約と言うよりは火事防止だったような
戦国時代に、南蛮貿易で1日3食の文化が伝わって庶民まで普及したという説と、このサイトのように江戸時代中期に、生活の必要上から3食になったという話もございますね。
徳川慶喜といえば、大好きな「きな粉」を顕微鏡で拡大したところ、「虫」だらけだった事にショックを受け、以来、きな粉を食さなくなったというのを思い出した。
鮃では無いが豊後日出木下家からのお届け物は城下鰈で、毎年将軍や御台所様に出されていた。
納豆は苦手だけど味噌汁にいれれば癖がなくなって食べれました。
マヨネーズを入れると臭いや粘りが少なくなると聞きましたが。でもこの頃の納豆は私が子供の頃より納豆臭はかなり少ない。私はマヨネーズは使いません。
七・五・三てゆー生き長らえた子供を祝う行事があったぐらいですもんね
昔の庶民の文化は、非常に興味がある。特に、江戸時代の江戸の庶民の文化は大好き。特に、食文化が大好き。和食を崇拝しているので。
こう考えるとあまり江戸時代から基本的な日本食は変わらないんだな
もし今の世の中も江戸時代みたいに30-40代が平均寿命なら社会が回らなくなるなぁ
ご飯、味噌汁、おかずが1,2品の食事 日本人が普段の食事のイメージが完成する時代
その一汁三菜が、働くママを苦しめる・・・
@@KOKI-cy3ph 母親はパート5時間働いた後、掃除洗濯。食事の準備と完璧にやってたなー。独り暮らしをすると母の偉大さがわかります
その頃の江戸の人口は100万人を超え、当時のロンドン・パリの人口寄りも多く、世界一の都市だったそうです。
15:32 「生涯現役」死ぬまで働かないと食べていけない余生を楽しむ余裕もなく働かざるを得ない政治だけのせいにしようとは思いませんが現代社会を思うとなんだかちょっと違う様な気がします
あーおもろかったwこの頃の中国とか外国バージョンもお願い致しやりんす。
葛飾北斎は89歳まで生きた。好きな事をして生きるのが江戸時代の長寿の秘訣だったのでしょうね。
どこへ行くのも徒歩だったのも秘訣の一つでは?
戦争がない時代だよね
島原の乱は戦争だと思うが・・
明治維新で出来た政府が、勝手に戦争を始めた。日清日露戦争で調子に乗り、無謀にもアメリカに奇襲攻撃。
実は鰻は某発明家が売れなさすぎる鰻を売るために頼まれて土用の丑の日をステマしたのは有名な話
平賀源内さんですね。
蕎麦屋は居酒屋だったんですよね
豆腐=納豆のこと。納豆=豆腐のこと。歴史の途中で漢字が入れ換わった。
鈴虫と松虫の関係と似ていますね。
それ違うみたいですよ「腐」=柔らかくてぶよぶよの物という意味らしいです
製造工程から名付けられた。大豆を発酵させる=豆を腐らせる=豆腐大豆から豆乳を作り型に入れる=豆を納める=納豆
コロナ前、20代後半の飲み後輩のS君は、飲み屋で晩飯4合をほぼ食っていたなぁ。常識外なので、女子に「キモイ」と嫌われていたが…
手抜きをしない料理の上手い妻が居れば、毎日メザシの土光さんと同じ様に丸赤のメザシでいい。ご飯、漬物、味噌汁、メザシ、これだって手抜き無くキッチリ作れば時間も手間も掛かる。1人暮らしになった今、妻に任せきりだった私には上手に作れない。米は玄米でもいい。
最近のお気に入りのオカズは「宏岡みらい」「跡見朱里?」です。
寿司の1貫が2個の理由とか、やって欲しかったなぁ。
江戸時代に一般的だったけど今では廃れちゃったのが「奈良茶漬け」。何処かで食べられないかな・・
80歳まで生きたく無いけれど、死ぬのは怖いから一瞬で死ねたら良いなぁ。
生活習慣病を回避したいけど少し年をとってしまった
現代人は1日2食がちょうどいいらしい。夕食と翌日の昼食の間を16h空けると良いとか
肉体労働でなければ、一日二食が健康的なんだよね。宴会+〆のラーメン・フルコースだと、朝は食べないほうが良い。
未来は昆虫食とユーグレナが主食になりそう。
8:16だから暴れん坊将軍は庶民の生活に紛れ込んだのか。
30歳から40歳か・・・現代もそれぐらいなら良かったのになぁ。
失礼します。😊😀わたしは、お江戸時代にタイムスリップしたいんです❗😶😏これは、時代劇の影響です💦ホントか、どうか、解らないですが❔『必殺仕事人』って、本当に存在したのですか❓😳存在したという説があります。(ToT)いつか、お二人の動画で教えて頂いたら嬉しいです😊😳お忙しいとは思いますが、、。😞あと、昔から、高級住宅街って地名が変わってないことがあるのが興味深いです。💕時代劇で、〇〇は何の悪い事件❓がないから、退屈だなーって、町奉行役人がセリフで言ってて。笑食事生活❓も美味しそうだし、、食いしん坊なんで、それもタイムスリップしても生きていけそう!😋🤩あと、今では敷居の高い歌舞伎も、庶民も楽しく観れていたみたいですね。🙂
成城は、神奈川県北多摩郡砧村・大字喜多見成城なんだよね。つまり喜多見集落の外れで、何もなかった・・・
今の握り寿司になったのは戦争が終わった後に十分な白米が少なく寿司を食べたい人達が米役1号持ち込みで今の握りのサイズになったらしいです。その頃に今の握り一人前になったのが今の寿司の始まりらしいです
この時代の、漬け物かなりうまそう
うまいかどうかは、人それぞれだと思いますが、かなり塩気が強かったのは間違いないですね。
和食=一汁三菜のイメージがあるが、それが食べられたのは金持ちだけ。庶民は一汁一菜なのに、それで責められる奥さんが多い・・・
蒸し飯を炊くようになったのも江戸時代ったったような
虫売りは昭和の中頃まで来てました。@東京
長野県民の「おかず」は、イナゴ・蚕の佃煮だよ!
@@KOKI-cy3ph ご馳走様はザザムシ、飛び切りのオヤツは蜂の子ですかね
長屋、何かすごい既視感……と思ったらこれあれだ。レオパレスだ。
江戸時代は台所がなかったと聞くが、料理は井戸の近くで切り、七輪で料理していたのかな?
長屋にはかまどがあったので煮炊きの類はそこでやったとおもいます。魚をさばいたりするのは棒手振りのお兄さんが買う時にサービスでやってくれたみたいです。
徳川吉宗は1日2食主義。昼は食べなかった。
学校の日本史で一番始めに教え欲しいな
サウザーみたいに「今日のは口に合わん」と言って蹴り上げたら、料理人は責任とって切腹だろうな。
少○多○の元ネタの人初めて知った
天ぷらは油と卵が普及するまで待つ訳だがネタはアオギス、ハゼが主ですね
現代の赤ん坊を江戸時代で生活させたら寿命も短くなり、逆に江戸時代の赤ん坊を現代で生活させたら寿命は長くなるのだろうか。体格も食生活と関係してそうだから小さくなるのだろうか。ところで、江戸時代の町人は支配層側なので豊かな生活も違和感はない。でも農村や漁村の被支配層側が豊かな生活というのは無理がありそうだ。ロシアの農奴のような生活とは思わないが、生かさす殺さずのイメージがわかり難い。明治、大正の小柄な体格も、大多数の日本人の食生活を反映した結果なら、なおさら気になる。
家賃日払いってネカフェやん。昔、やりすぎコージーでやってた。1日3食はエジソンが広めて戦後日本に入ってきたというオリラジ中田の説は嘘っぱちですね。
ちなワイも平日二食(しかも体力系)。
今なら四万円くらいの家賃かな
日本って昔から美味そうなモン食べてたんだなぁ、、
何かの本に、日本食は、高血圧に。欧米食は、ガンになりやすいって載ってた気がします。
昔の東北は、冬に野菜がとれず漬物ばかり食ってた。その漬物も、保存のため塩分多すぎ・・・だから塩分を取りすぎて、高血圧になった様です。今は減塩が進み問題ない、これ以上の減塩は飯が不味くなる。
ああ、それは昔の情報だったのですね、ありがとうございます。こういう情報は、広まってほしいですね。
菜食は胃ガン、肉食は大腸ガンになりやすいと聞いた事が有ります。以前の日本人は胃ガンが多かったそうですが、肉食の割合が増えるに従い、大腸ガンが増えてきたそうです。
江戸時代の方のが カロリーは高いよ米米米です。
カロリーが、米に偏って栄養不足。
アミノ酸スコアゼロの白米(ブドウ糖)だけで砂糖しか食ってるのと変わらん。それで脚気になった
白米、小麦粉、砂糖は基本的に控える方針。進化の過程で存在しなかった食べ物に対して人間の体は対策がない。なるべく精製していないものを選ぶ。
ところが今の日本人は大して労働しないので、3食食うとガンになったり糖尿病になって死ぬ。
深夜のラーメン店経営。全てに反目😂
現代人が江戸に行ったら食事事情で死にそう
現代人がそのまま江戸時代より前にタイムスリップだと食生活どころか現代日本と比べ圧倒的に衛生状態が悪いのですぐ病気になり死ぬらしいです今でも東南アジアなど旅行に行った際に現地の人達は平気で飲んでる生水も観光で来ただけの日本人が過熱処理などせずそのまま飲むと軒並み腹を下しまくるし
東京都内の開発で掘り出された1万人分の人骨を国立科学博物館が保管しているが、江戸時代の骨が、ほとんどで小柄で栄養状態が悪かった。若い世代の骨が多いのも特徴で伝染病が流行して人が簡単に死んだ事も分かってる。江戸の人々の平均身長が成人男性で155cm~156cm、女性でも143~145cmなのも栄養失調だから
最近では工場で衛生的に作られた個別包装のお握りや、インスタント食品じゃないとダメだと言う人も居るみたいだから尚更でしょうね!
庶民なら辛いが、お金持ちなら問題ない・・・
寿命が、縮まるらしいね
江戸時代_1603年~1868年 今から200年後の食事事情はどうなってるだろう・・・世界中で水と食糧を奪い合い、江戸時代よりも劣るかも・・・
水は海水からの純粋製造が普及するんでしょうが食糧はどうでしょう。気候変動が進みの内が耕作不敵地となれば製造工場で植物プランクトンが栽培なんて事に。味気ないな~。
土から生えた野菜を食べていたなんて!?人工栽培装置がなかったのか?と言われているかも知れませんw
試験管で、米・肉・魚を作るれるので問題ない。たぶん金持ちは、試験管フードは食べません。
雑穀と玄米食べるようにしてるけど白米より高いんだよね。
そ
ほとんど炭水化物の米で栄養失調やん。
地域差があるのにそこはぐちゃぐちゃ
ばかでかいシャリにネタのっけた寿司くってみたいわー現代にそんな再現してる店がないだろうか
本当に毎日美味しいご飯が食べられるのは幸せですね。
私、バイク事故してしまい顔面複雑骨折、アゴや目もやってしまいました。
食事が取れなくて、飲み物しか食べられなくて痩せましたーw
男性の平均身長よりは少し高いですが、体重は小学生ほどに一時期なりました。(43kg)
あれから3年が経ち、だいぶ復活して来ましたが食事が取れる事は何よりも幸せですネ!
毎日美味しいです。
ただ、まだ大きな量は難しく、ゆっくりしか食べられませんが。
意外と幸せって身近なものだなぁーと、回復して来て思います。
美味しいと思えるのは、大事な喜びで。
食事が出来るスキルがないと見ているだけになりますからねw
朝「一汁三菜」、昼「そこそこもっさり」、夜「ほどほどに」。
解ってますが、その時食べたいものを食べちゃいます(笑)
内容がしっかりしていて、毎回楽しいです❣️
時代劇で見る食事シーンって魅力的で好き。本当に旨そうに見えます。
素朴なのにとっても美味しそうに見えますよね〜
必殺仕事人のメザシのみとかです?(;•﹏•)
木枯し紋次郎が飯屋でガサガサかっ込むシーンは乱暴だけど子供心に格好よく見えた(マネして親に怒られる)。
勝新太郎さんの座頭市シリーズでは良く食事の場面が出てきます。
おざなりのシーンでは無くて、勝さんががつがつと食べる所作が
とても気持ち良くて、食ってる~という感じが伝わってきます。
これは勝さんのこだわりだろうと勝手に思っています。
鬼平犯科帳のEDとか。
史実とは離れるけど、まんが日本昔ばなしに出てくる食べ物や食事シーンは至高。
「蒲焼き」の名前の由来は、ウナギを円筒状に切って串焼きにしたものが蒲の穂みたいだったから。のちに開きにするようになってからも「蒲焼き」と呼び続けた。
ローマには古代から
背開きの蒲焼っぽいのがあったらしいな
そうなの?うな重ご飯抜きを食べるから「かば→ばか」焼きと思っているが。
うな重を食べさせる源内の印象操作だと思っている。
菜種油や鯨油がある程度普及して、起きている時間が長くなったことも一日三食必要となった理由の一つですね。農村部でも、夜は明かりを灯して縄をなったり、蚕の世話をしたりして活動時間が伸びていきました。
個人的予想ですが、江戸時代後期で菜種油1.8ℓ、8000円(現在の価値で)くらいの高級品だったそうなので、宵越しの銭は持たない庶民の多くは、同量4000円の、クサイ魚油をごく短時間使用で、だいたいの日は暗くならない内に夕食を済まして、すぐ寝てたのでは?と推測します。
夏至は良いが、冬至の夜は長すぎる・・・
健康目的で玄米を食べるようにしてから、白米の美味さを実感した。
おお、私も同じです。
白米が銀シャリと言われている理由が分かりましたよ。
江戸時代の夏の風物詩といえば「そうめん、冷むぎ」を庶民は好んで食べていたぜ。 当時のそうめんは、タライに盛られたそうめんを立って食べる習慣で、そうめんの長さも2メートル程のながさのまま、切らずに踏み台に登ったりして食べていたんだぜ。 殿様もそうめんが好きで、殿様の御膳に出す場合のみ、食べ易い長さに短く切って出したのが、今のそうめんの長さになってるんだぜ♬ イノシシ肉をすき焼き風に出した店が、安くて美味いと繁盛していたみたいだね。「山くじら」とか「ももんじぃ」とか?って呼びか方をしていたみたい。 あとは、夕食のおかずは、総菜屋さんの売り子が天秤を担いで売りに来る総菜を買い、食卓へ並べるのが一般的な家庭の習慣だったみたい。小皿に小分けしてあり、常連さんには皿ごと渡して、次に来た時にお皿を返してもらうというお客さんには良心的に見えて、実はリピートしてくれる様に常連客を増やすという賢い商いをしていたみたいだぜ♬ 砂糖はとても高価な物で、庶民の口には殆ど入ることは無かった事から、うなぎの蒲焼きの味付けは、焦がし醤油とみりんぐらいで、俺の好みにはほど遠いと思うんだぜ。 おかゆとか、雑炊とたくわんとか、梅干し‥.俺は、生きて行けないんだぜ。
どの時代も作物を造る農家や漁業の方々には感謝しないといけませんね🙇♂️
いつもありがとうございます🙇♂️
江戸時代の偉い人たちよりも
現代の一般人の方がはるかにうまいものを食べている
冷蔵冷凍などの科学技術や生産や流通システムの進歩
ありがたやありがたや
偉い人は、好んで質素な食事をしていた。
江戸時代になれば、お金があれば美味しいものが食べたれたよ!
@@KOKI-cy3ph 徳川家康がアイスクリームを食べられたんだね
江戸の武士など地位の高い人は地方では食べれない超贅沢品の白米を日常的に食べビタミンB不足でかかる脚気の病気になり江戸川患いと言われた脚気は恐ろしい病気で死亡率も高い
一日三食はエジソンからと思っていたが
江戸時代からそういう習慣もあったんだなぁ
現代との一番大きな差は宗教的戒律から解放された事、軍人の体力育成の為などで肉食が取り入れられたこと。肉食で体力云々は異論もあるようですが食事が豊かになったことは間違いのない処。でも油断するとすぐに腰回りが豊かになる私は食べたいと食べないの葛藤が大問題。
将軍は紹介された禁忌の他にも色々と禁じられる食品が多かったようですね。
江戸の食事が花開いた理由の一つは、下りものしかなかった醤油が千葉などで作られた事も大きいです。
出来立て食べられないのは、可哀想ですね。
江戸時代の食事シリーズ好きやわ。
江戸時代の米はまずかったらしい
一日4から5合って…凄い量ですよね 時代は違うけど宮沢賢治の詩に出てくる玄米の量にも驚かされますよね
「すし」に使われる漢字は三種類あって
熟れ系-----「鮓」
握り系-----「鮨」
それ以外系---「寿司」
となるらしいですよ
勉強になった
確かに…一言で「すし」と言っても色々ありますもんね。
島根県吉賀町の柿木村では年に一度「萬歳楽」という行事があり、選ばれた住民がサムネのような山盛りご飯(約四合)を完食しなければならないとか。五穀豊穣を願う意味合いもあるけど昔は銀シャリを満足に食べられなかったからその反動でもあるらしいです。🍚
そんなんやったら内臓ボロボロやろ
あかん 夜に見るもんちゃうこれ
めっちゃ腹減る
結局何時代の食生活がいいというより、その時代時代で共通するのは、長寿の将軍たちが心掛けていた食生活(玄米を食べるとか、腹八分目にするとか、肉は控えるとか)それに倣えばいいわけですよね。
肉禁止したから日本は風邪になるとすぐに死ぬのか多かっただよな…
武士など地位が高い人は庶民が食べれない白米を食べ脚気の病気になり江戸の患いと言われる風土病になって倒れてましたが?
@@user-sl2oo6bx5q 将軍の中でも長寿の人は玄米だったのでそれに倣おうということです。
多摩川より高台にあった北多摩の田無は、水が足りず田んぼが無い。
だから武蔵野うどん・麦飯が、主食だったと言われている。
山梨のほうとう・うどん県の讃岐に似ています。
江戸が発展すると、江戸に近い利点を生かして野菜作りで儲けた。
おいこれはどこで仕入れた、ダメだ駄目だ、サンマは目黒に限る…淡白な白魚ばかりで下魚の脂まみれのサンマは魂が飛んでく美味さだったろうな
納豆に関しては米のおかずとして食べる方が世界的に見て珍しい食べ方だと聞いたことがあります。韓国やネパールも納豆に近い発酵食品を食べますが食材と言うより調味料に近い使い方をしています。
そもそも味噌・醤油は、大豆から出来ているからね・・・
まあ「もろみ」でキュウリは、美味しいです。
江戸時代の味噌汁や漬物は現代のものよりしょっばかったから、ご飯が進むから5合食べてたとしても不思議な事ではない。江戸時代中期以前は2食でも、おやつを午後2時ごろに仕事の合間に食べていたから実質3食だったかも。
@あまのノロイ なるほど!
語呂合わせから来てるのかな?
知らんけど…(笑)
僕は。。市販のインスタント味噌汁一杯と、普通のシャケ一切れで一食で3合は食べれるよ。
おかずが多いと逆に米をたくさん食えない。
昔見た某テレビ番組で、江戸の庶民の一日の食事を再現していたけれど、それによると、一日5~8食を食べていたみたいなんだよな。
でも、納得がいった。
当時は、日常生活でさえ、今よりもずっと体力を使った。(洗濯機も冷蔵庫も車も無い時代だしね。)
更に、江戸にはたくさんの大工が集まっていた。(大工仕事だって、今よりも遥かに体力を使う職業だった。)
ならば、たくさん食べて当然。(大量に汗をかくので、塩分多めも当然。)
複数回に分けて食べる事も、理に適っている。
鶏胸肉が主食で玄米とブロッコリーが副菜だったらもっと屈強な国だったんだろうな。
米よりも薪や炭の方が値上がりが凄かったという説もあるらしい。
化石燃料の活用が無いから幕末には山々の木が切られ過ぎて禿げ山が多かったらしい
大火事から大変な仕事時代へ
食文化への進化が羨ましい
どんぶりさんまで⌒
日本人の底力ですね⌒
素晴らしい 誇りに存じます
なんか活気があって豊かな感じ
…にぎやかな母ちゃん達が作る
ごはんは美味しそう🥢(^q^)
元祖おふくろの味かな
夕食時間ですが、江戸時代は行灯などに使う、灯油(ともしあぶら)が植物油だと高く、庶民が使ってた安い魚油はススが多くクサイので、なるべく暗くならない内に、夕食をとっていたと思われますので、暮れ六つより少し早めに庶民は夕食を済ましてたと個人的予想。
と言うか、あんどんの明かりじゃ暗くて
食事もままならないので
夜は寝てたって
「コメディお江戸でござる」で
言ってたよ
江戸時代の食事を絶賛と言うか、素晴らしいとしてますが、日本の歴史の中でも江戸時代の日本人の体格は、最も小さかったとされます。子供の頃から十分な動物性たんぱく質を取らなかった事が原因とされます、これは仏教が肉食を嫌った為とされます。戦国時代の日本人は、食べられる物ならなんでも食べた、犬でも猪でも、食料そのものは江戸時代より少なかったようですが、体格は良かったようです。あと江戸時代の日本橋を中心とした江戸では、シジミが大量に食べられたようです。
だからビタミン不足で風邪になるとすぐに死ぬ時代の江戸時代は肉禁止は死亡率上げたからな
肉を食べないのに、白米にすれば栄養不足なるよね・・・
中国・韓国・東南アジアは、肉を食べていました。
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肉禁止と言っても、四つ足でない鶏肉は食べていた。
焼き鳥・親子丼・鶏ごはん・鶏天ぷら・筑前煮などは、和食だよ!
江戸っ子は白米だし、都会だからイナゴ・蚕は食べなかった。
@@KOKI-cy3ph 江戸時代は山クジラと言って猪を食べたり、鵜とか鷺とか食べてましたね。
江戸時代の食肉を専門に売っていた「ももんじ屋」では、猪は「山クジラ」「ぼたん」鶏は「かしわ」鹿は「もみじ」と呼んでいたようです。
食肉禁止は幕府の禁令ではあっても、基本が仏教的な殺生禁止なので、薬として食す場合もあったようです。
思ったよりは、よいものを食べていたようですが、何せ塩の取りすぎがありましたね。
中学生の時、毎日大きめのどんぶりに山盛り3杯飲む様に白米を喰らってた訳だけど、今思うとよく脚気にならなかったな
糖質を分解するためにはビタミンB1が必要になります。脚気は摂取した糖質に対してビタミンB1が足りないことで代謝ができずに神経障害を起こすものです。
単に白米の食べ過ぎでなるようなものではないんでしょう。
それよりも私は中学生ごろから腸過敏性腸症候群によって朝食で下痢を起こす体質になっていたのでむしろあなたのような頑丈な消化器官が羨ましい・・・
日本人は長い事、脚気に苦しめられ膨大な犠牲者が出ましたね、結核と並ぶ二大国民病と言われて。日露戦争では戦死者より脚気で倒れた人が多かった。白米の弊害が出ましたねパンを食していた人は大丈夫だった
江戸時代は米ばかり食べて、栄養が足りてなかった。
その米すら、江戸っ子は白米なんだよね。
そのため身長は、縄文時代より低かったようです。
ただ縄文人は幼少期に死にまくってる。食べ物が偏らなく高身長になるけど、移動生活出来ないとダメだから、その移動についていけない人は殺されたっぽい。。
@@user-uj8wq8hj2x 幼少期に死にまくっているって病気か?
蕎麦、鮨、天麩羅、鰻と今じゃどれもこれも気軽に食いにくい高級品よなあ
江戸時代の食事に憧れる♪休日は茶漬け、湯漬けがメイン♪納豆やら柴漬けやらとの相性は抜群!今の政治はクズだがこの時は日本人で良かったと唯一思えるww
そば牡蠣とゆで蕎麦の間に、蒸しそばというのがあって、
その名残で「せいろ」がある(*'▽')
牡蠣じゃないですよw
健康的でいいなー😆
ちと逸れるが、江戸の水も遠くから引くしかなかったので水質が悪く、地方から来たものは腹を壊すことが多かったらしいね
仕事などで生活サイクルが変化して1日3食になった日本に対して、アメリカではエジソンが自ら開発した家電を売る為に、1日3食を推奨して健康よりも商売優先。
こんなところにも、考え方の違いがありますね。
うどんは、もっと昔でしたっけ
天ぷらうどん食べたくなってきました笑
江戸時代の蕎麦、そば、ソバ食べたいんや!
主水さんが食べてたやつな!
仕事人かい!
1日3食を広めたのはトースターや電球を売りたかったエジソンのせい。確かに江戸時代にも1日3食にしている人はいたが、多くは1日2食。八つ時に昼食をすることが後に「おやつ」にはなったけれどそれは江戸などだけでの話であったし。
とはいえ稗などしか食べられないほどの貧農は腹持ち悪いから逆に1日6食だったりしたとか。
雑穀でも、沢山食べれば腹持ちはいいよ!
一日6食なんて、よほど暇人だね。
5:40 節約と言うよりは火事防止だったような
戦国時代に、南蛮貿易で1日3食の文化が伝わって庶民まで普及したという説と、このサイトのように江戸時代中期に、生活の必要上から3食になったという話もございますね。
徳川慶喜といえば、大好きな「きな粉」を顕微鏡で拡大したところ、「虫」だらけだった事にショックを受け、以来、きな粉を食さなくなったというのを思い出した。
鮃では無いが豊後日出木下家からのお届け物は城下鰈で、毎年将軍や御台所様に出されていた。
納豆は苦手だけど味噌汁にいれれば癖がなくなって食べれました。
マヨネーズを入れると臭いや粘りが少なくなると聞きましたが。でもこの頃の納豆は私が子供の頃より納豆臭はかなり少ない。私はマヨネーズは使いません。
七・五・三てゆー生き長らえた子供を祝う行事があったぐらいですもんね
昔の庶民の文化は、非常に興味がある。
特に、江戸時代の江戸の庶民の文化は大好き。
特に、食文化が大好き。
和食を崇拝しているので。
こう考えるとあまり江戸時代から基本的な日本食は変わらないんだな
もし今の世の中も江戸時代みたいに30-40代が平均寿命なら社会が回らなくなるなぁ
ご飯、味噌汁、おかずが1,2品の食事 日本人が普段の食事のイメージが完成する時代
その一汁三菜が、働くママを苦しめる・・・
@@KOKI-cy3ph 母親はパート5時間働いた後、掃除洗濯。食事の準備と完璧にやってたなー。独り暮らしをすると母の偉大さがわかります
その頃の江戸の人口は100万人を超え、当時のロンドン・パリの人口寄りも多く、世界一の都市だったそうです。
15:32 「生涯現役」
死ぬまで働かないと食べていけない
余生を楽しむ余裕もなく働かざるを得ない
政治だけのせいにしようとは思いませんが
現代社会を思うとなんだかちょっと違う様な気がします
あーおもろかったw
この頃の中国とか外国バージョンもお願い致しやりんす。
葛飾北斎は89歳まで生きた。好きな事をして生きるのが江戸時代の長寿の秘訣だったのでしょうね。
どこへ行くのも徒歩だったのも秘訣の一つでは?
戦争がない時代だよね
島原の乱は戦争だと思うが・・
明治維新で出来た政府が、勝手に戦争を始めた。
日清日露戦争で調子に乗り、無謀にもアメリカに奇襲攻撃。
実は鰻は某発明家が売れなさすぎる鰻を売るために頼まれて土用の丑の日をステマしたのは有名な話
平賀源内さんですね。
蕎麦屋は居酒屋だったんですよね
豆腐=納豆のこと。納豆=豆腐のこと。歴史の途中で漢字が入れ換わった。
鈴虫と松虫の関係と似ていますね。
それ違うみたいですよ
「腐」=柔らかくてぶよぶよの物という意味らしいです
製造工程から名付けられた。
大豆を発酵させる=豆を腐らせる=豆腐
大豆から豆乳を作り型に入れる=豆を納める=納豆
コロナ前、20代後半の飲み後輩のS君は、飲み屋で晩飯4合をほぼ食っていたなぁ。常識外なので、女子に「キモイ」と嫌われていたが…
手抜きをしない料理の上手い妻が居れば、毎日メザシの土光さんと同じ様に丸赤のメザシでいい。
ご飯、漬物、味噌汁、メザシ、これだって手抜き無くキッチリ作れば時間も手間も掛かる。
1人暮らしになった今、妻に任せきりだった私には上手に作れない。米は玄米でもいい。
最近のお気に入りのオカズは「宏岡みらい」「跡見朱里?」です。
寿司の1貫が2個の理由とか、やって欲しかったなぁ。
江戸時代に一般的だったけど今では廃れちゃったのが「奈良茶漬け」。何処かで食べられないかな・・
80歳まで生きたく無いけれど、死ぬのは怖いから一瞬で死ねたら良いなぁ。
生活習慣病を回避したいけど
少し年をとってしまった
現代人は1日2食がちょうどいいらしい。夕食と翌日の昼食の間を16h空けると良いとか
肉体労働でなければ、一日二食が健康的なんだよね。
宴会+〆のラーメン・フルコースだと、朝は食べないほうが良い。
未来は昆虫食とユーグレナが主食になりそう。
8:16だから暴れん坊将軍は庶民の生活に紛れ込んだのか。
30歳から40歳か・・・現代もそれぐらいなら良かったのになぁ。
失礼します。😊😀
わたしは、お江戸時代にタイムスリップしたいんです❗😶😏
これは、時代劇の影響です💦
ホントか、どうか、解らないですが❔『必殺仕事人』って、本当に存在したのですか❓😳
存在したという説があります。(ToT)
いつか、お二人の動画で教えて頂いたら嬉しいです😊😳お忙しいとは思いますが、、。😞
あと、昔から、高級住宅街って地名が変わってないことがあるのが興味深いです。💕
時代劇で、〇〇は何の悪い事件❓がないから、退屈だなーって、町奉行役人がセリフで言ってて。笑
食事生活❓も美味しそうだし、、食いしん坊なんで、それもタイムスリップしても生きていけそう!😋🤩
あと、今では敷居の高い歌舞伎も、庶民も楽しく観れていたみたいですね。🙂
成城は、神奈川県北多摩郡砧村・大字喜多見成城なんだよね。
つまり喜多見集落の外れで、何もなかった・・・
今の握り寿司になったのは戦争が終わった後に十分な白米が少なく寿司を食べたい人達が米役1号持ち込みで今の握りのサイズになったらしいです。
その頃に今の握り一人前になったのが今の寿司の始まりらしいです
この時代の、漬け物かなりうまそう
うまいかどうかは、人それぞれだと思いますが、かなり塩気が強かったのは間違いないですね。
和食=一汁三菜のイメージがあるが、それが食べられたのは金持ちだけ。
庶民は一汁一菜なのに、それで責められる奥さんが多い・・・
蒸し飯を炊くようになったのも江戸時代ったったような
虫売りは昭和の中頃まで来てました。@東京
長野県民の「おかず」は、イナゴ・蚕の佃煮だよ!
@@KOKI-cy3ph ご馳走様はザザムシ、飛び切りのオヤツは蜂の子ですかね
長屋、何かすごい既視感……と思ったらこれあれだ。レオパレスだ。
江戸時代は台所がなかったと聞くが、料理は井戸の近くで切り、七輪で料理していたのかな?
長屋にはかまどがあったので煮炊きの類はそこでやったとおもいます。
魚をさばいたりするのは棒手振りのお兄さんが買う時にサービスでやってくれたみたいです。
徳川吉宗は1日2食主義。昼は食べなかった。
学校の日本史で一番始めに教え欲しいな
サウザーみたいに「今日のは口に合わん」と言って蹴り上げたら、料理人は責任とって切腹だろうな。
少○多○の元ネタの人初めて知った
天ぷらは油と卵が普及するまで待つ訳だが
ネタはアオギス、ハゼが主ですね
現代の赤ん坊を江戸時代で生活させたら寿命も短くなり、逆に江戸時代の赤ん坊を現代で生活させたら寿命は長くなるのだろうか。体格も食生活と関係してそうだから小さくなるのだろうか。
ところで、江戸時代の町人は支配層側なので豊かな生活も違和感はない。でも農村や漁村の被支配層側が豊かな生活というのは無理がありそうだ。ロシアの農奴のような生活とは思わないが、生かさす殺さずのイメージがわかり難い。明治、大正の小柄な体格も、大多数の日本人の食生活を反映した結果なら、なおさら気になる。
家賃日払いって
ネカフェやん。
昔、やりすぎコージーでやってた。
1日3食は
エジソンが広めて
戦後日本に入ってきたという
オリラジ中田の説は嘘っぱちですね。
ちなワイも平日二食(しかも体力系)。
今なら四万円くらいの家賃かな
日本って昔から美味そうなモン食べてたんだなぁ、、
何かの本に、日本食は、高血圧に。欧米食は、ガンになりやすいって載ってた気がします。
昔の東北は、冬に野菜がとれず漬物ばかり食ってた。
その漬物も、保存のため塩分多すぎ・・・
だから塩分を取りすぎて、高血圧になった様です。
今は減塩が進み問題ない、これ以上の減塩は飯が不味くなる。
ああ、それは昔の情報だったのですね、ありがとうございます。こういう情報は、広まってほしいですね。
菜食は胃ガン、肉食は大腸ガンになりやすいと聞いた事が有ります。以前の日本人は胃ガンが多かったそうですが、肉食の割合が増えるに従い、大腸ガンが増えてきたそうです。
江戸時代の方のが カロリーは高いよ
米米米です。
カロリーが、米に偏って栄養不足。
アミノ酸スコアゼロの白米(ブドウ糖)だけで砂糖しか食ってるのと変わらん。それで脚気になった
白米、小麦粉、砂糖は基本的に控える方針。
進化の過程で存在しなかった食べ物に対して人間の体は対策がない。
なるべく精製していないものを選ぶ。
ところが今の日本人は大して労働しないので、3食食うとガンになったり糖尿病になって死ぬ。
深夜のラーメン店経営。
全てに反目😂
現代人が江戸に行ったら食事事情で死にそう
現代人がそのまま江戸時代より前にタイムスリップだと食生活どころか現代日本と比べ圧倒的に衛生状態が悪いのですぐ病気になり死ぬらしいです
今でも東南アジアなど旅行に行った際に現地の人達は平気で飲んでる生水も観光で来ただけの日本人が過熱処理などせずそのまま飲むと軒並み腹を下しまくるし
東京都内の開発で掘り出された1万人分の人骨を国立科学博物館が保管しているが、江戸時代の骨が、ほとんどで小柄で栄養状態が悪かった。
若い世代の骨が多いのも特徴で伝染病が流行して人が簡単に死んだ事も分かってる。
江戸の人々の平均身長が成人男性で155cm~156cm、女性でも143~145cmなのも栄養失調だから
最近では工場で衛生的に作られた個別包装のお握りや、インスタント食品じゃないとダメだと言う人も居るみたいだから尚更でしょうね!
庶民なら辛いが、お金持ちなら問題ない・・・
寿命が、縮まるらしいね
江戸時代_1603年~1868年 今から200年後の食事事情はどうなってるだろう・・・
世界中で水と食糧を奪い合い、江戸時代よりも劣るかも・・・
水は海水からの純粋製造が普及するんでしょうが食糧はどうでしょう。気候変動が進みの内が耕作不敵地となれば製造工場で植物プランクトンが栽培なんて事に。味気ないな~。
土から生えた野菜を食べていたなんて!?人工栽培装置がなかったのか?と言われているかも知れませんw
試験管で、米・肉・魚を作るれるので問題ない。
たぶん金持ちは、試験管フードは食べません。
雑穀と玄米食べるようにしてるけど白米より高いんだよね。
そ
ほとんど炭水化物の米で栄養失調やん。
地域差があるのにそこはぐちゃぐちゃ
ばかでかいシャリにネタのっけた寿司くってみたいわー
現代にそんな再現してる店がないだろうか