縄文・旧石器時代の日本人は航海技術が高かった、海外へ遠洋航海も?【ゆっくり解説日本史】
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ja.wikipedia.org/ - Zábava
古代の人の移動力すごいですね。
身体能力すごく高そうですね・・・
@@gamelite9988 江戸時代の飛脚?とかも、身体能力高かったそうな?外国人さん(ドイツ?)が検証してたもんね?昔の人は凄いよね~!
この動画を観てるとアメリカで日本の遺跡が見つかった話も真実味を帯びてくる
そんなお話が!
日本でも南米の古代文明の遺跡が見つかってるんだね。古代南米の文明の航海術はすごかった。
という話になったりして・・・
黒曜石は縄文時代における最も価値ある生活物質であると同時に消耗品でもあったわけで、間断ない供給は集落における至上命題だったでしょうね。現に数千年間も日本中掘り続けられただけあって浅い地層の黒曜石はほぼ枯渇しているというし、丸木船で黒潮を越えてまで運んだというのも頷けます。
それだけコストをかけても利益になる物だったんですね
漁に行ってたまたま見つけたのかも知れんが、海の向こうにある黒曜石の産地を最初に見つけた人はすごいわ。
アメリカインディアンの最後の生き残り「イシ」の実話に黒曜石の猟具が出てきます。
黒曜石って溶かして固めるとガラスの様に成るの?
前から気になってたんすが、
この話題が凄く好きなんで
登録しますた。主さんの魔理沙
独特な雰囲気で面白いな。
アリガトウゴザイマス!(・Θ・)ゝ”
縄文人の平和を愛する精神良いよね。
すんごい長い安定期にも見えますね
平和?
黒曜石を運ぶ縄文人を襲おうとする縄文人が存在しない価値観の5000年間。現代人が求めても未到達の進化系。リスペクトします。
黒曜石の運び人を丁寧に黒曜石と埋葬してある遺跡があったとか?
新宿アルタ前ね、も
スルーするところも
かなり好きだな。
茶番は勇気、面白いと
見て得した気分になります。
すべってもいいやくらいの勇気・・・(( ;゚Д゚))))
旧新石器から縄文にかけての
日本てちょっと凄いよぬ。
もしかすると文明発祥地?
だんだん可能性高くなって来てますね。
縄文時代は16000年前から始まってるので、文明と呼べるレベルに達したのがいつ頃になるかは別としてシュメール文明やアンデス文明と並んで最古級なのは間違いないですね
日本は土器最古説とか磨製石器最古説とかありますね。釣り針は沖縄で世界最古のものが見つかってるようです。
青森?では土器に世界最古級の調理跡も、群馬?では世界最古の磨製石器も出たんでしょ。
富士山の近くには最古の湖もあります。
いやそれは「西湖」だって?
そうかも知れません。
丸木舟ではなく葦船を使ったと思います。
なるほど・・・
縄文の女神は、現代人の空想であって
きっと穀物のキャラ的な、
デフォルメしたフィギアだと思いますね
大陸棚が陸地だった時代は、航海もしやすく、
陸路も多かったと思われ
あと土器、鉱石、精度加工品の長距離移動は、
島伝いの貿易で,バケツリレー移動したんだと思ってます。
数千年前アメリカの洞窟で人間の骨が見つかり、DNAで調べた結果日本人でしたね。
そんな時代から盛んに交流していたと言う事ですね。
南米のインディオに蒙古斑が出る話は聞いたことがあります。
「はいどうも」がすき
アリガトゴザイマス!(・Θ・)ゝ”
ヒスイ大珠の珠作り遺跡からも一辺140センチ四方の巨木遺構が出土しています
ヒスイ大珠は千歳空港整備時にも大量出土していますし礼文島からも出ている
国家とは言わないまでもかなり統制の取れた広域ネットワークというものが北海道を含む東日本全体に5000年前には形成されていたのは間違いないと思います
おお、やっぱりそうだとすると、なんかワクワクします・・・
三内丸山遺跡は継続時間も驚き。
1500年間はすごいですね。今から1500年前というと聖徳太子より前ですし・・・
ほんとかどうか知らんが明治時代の私の爺様は丸木船のカヌーで八丈島から小笠原まで行ってたらしいです。
東京~八丈島300km 小笠原片道1000kmあるよ。片道700kmなんて死んじゃうんじゃなかろかとですが
88迄生きてました。今となっては真偽不明。
全本当であってほしいです!( ゚д゚ )
ロマンがあります。
時代は最近になりますが、銅鐸の同じ型、同じ模様の兄弟が日本の色んなところで見つかってると銅鐸博物館に書いてありました。
黒曜石と違って重いし、全く同じものは技術だけでなく本体も必要だと思うので、難易度は高い気がします。
短い期間で移動したこともあり、やっぱり昔から航路が整備されてたんだなーと
銅鐸運ぶのは大変そうですね・・・すでに長期間の経験があったんですね
島を撮影してある黒い帯状が黒曜石です。撮影場所はタダナエの
平段ですかね動画upありがとう。
なるほど、そんなにはっきり見えるものなんですね・・・
共通語なのか
商取引用の記号なのか
とにかくコミュニケーションが
成立してた事に驚きますぬ。
文字も実はあったんでしょうかね
三内丸山遺跡が滅んだのは地球寒冷化が原因だといわれてますね。
今では寒冷地の青森でも1万年くらい前は栗の栽培ができるぐらい温暖だったのかもしれません。
どうも、すごく温暖な時期があったみたいですね。大阪まで水の底だったり・・・
しかも栗林の全ての栗の木のDNAが同一だったとか。 計画的に植樹しないとこのようにはなりません。 「桃栗3年柿8年」という言葉がありますが、植樹してから栗の実を収穫できるまで3年以上かかるということです。
@@gamelite9988 大阪は上町台地などを除いて秀吉の時代までほとんどが海の底でした。 曽根崎などの地名にも表れていますね。
時間の感覚も距離の感覚も現代とも中世・近世とも違う。縄文航海術は完全にロストテクノロジー。
数千年の試行錯誤の賜物かもしれませんね。
人間がいる所にはいくら古代といえども必ず何らかの競争が生じると思うから(身長とか、カッコいいかわいいとか衣食住関係ない事でも)、その中で1万年以上平和を保っていた縄文人は、どう考えても精神的に高い次元にいた人達としか思えない
エクアドルから見付かってるのが西九州の縄文人によるものかもしれないのか。
興味深い。
南の島々に東北の土器、その辺の縄文人が行ったってことは、そこまで困窮していなくても、航海技術があったからただただ旅をした、ということもあったわけか。
どうなんだろう、3万年前にも航海したってことは、ただ入ってくるのを拒まないというか温和な縄文人なら、ただ旅をしたければすればいいってこともあったのかなと思っちゃうな。阿蘇山は約27万年前、約14万年前、約12万年前、約9万年前でこの9万年前に大噴火をしたらしいし7300年前(6300年前とする説も)の鬼界カルデラの噴火もあるけど、逃げなきゃ、というような事と関係ない時期にも航海している気がする。てことは、もう、航海しながら一部は生活してたんじゃないかなあ。舟が家だったのかも。
ウラジオストクにも色んな所にも、黒曜石なんかと物々交換した。
海外の火山がある所の近くの部族がどこかに行っていないかが気になる。同じことをした人達がいたかもしれない。
縄文人だけを評価するつもりはない。これをやっていたのならそれが誰であれ物々交換の助け合いとして素晴らしいこと。そういう人たちがいたんだよ。そういうことになるよね。
石の年代測定ってどうするのか謎。
中里貝塚も凄いです。10mの深さに貝殻「だけ」が埋まってるんです。普通の貝塚は生活ゴミですが、貝殻だけなので乾し貝工場の産業廃棄物と言われています。乾し貝は通貨でもあったそうですが食品ですので、遺跡からの出土は難しいでしょうね。
1:06 その発想はなかったwww
(ФωФ)・・・
暖房も除雪機も無いのに、東北最大の豪雪地帯の青森って縄文時代は住みやすかったのかな?
今よりも平均気温が高い時期だったみたいです
現物は出土はしてないみたいだけど、、、
小舟で釣りしてて解るのは日中の陽射しの暑さ、工夫して幌的な屋根付けてたりしそう。結果→「ほえー風の力で漕ぐの楽だべ」とか。
船型のハニワ の船底にマストを立てたと思わせるような丸い枠付きのハニワは出土してるよね。
一万年前まで北海道はユーラシア大陸と地続きだったのでウラジオストクで日本の黒曜石が見つかってもおかしくはない。
その頃は歩いて外国旅行に・・・
遼河文明にも三内丸山と同じヒスイあるよね。というか長江文明が縄文そのものという感じだが
交易がありそうですね・・・
@@gamelite9988 長江文明の方は民族も同じなのかもしれない。古代の江南人と弥生人がミトコンドリアDNAまで一致してて、しかも弥生人のDNA解析したら縄文系だった。
縄文尺って縄文人の体の中の絶対値に近い部分の長さだったかもしれませんね。
一番近いのは拳を握った時の肘までの長さとか。
縄文人の顔の長さとかだったらちょっとびっくりかも・・・
高麗尺も35cm?
昔、テレビでアフリカのブッシュマンの生活についてやってたけど、彼らは狩猟採取の生活で、労働時間がすごい短かった。あっという間に数日分の食べ物を拾ってきていた。なので、縄文人も船で沿岸沿いを進めば、食料調達が容易で、長い航海ができたのかもしれない
それに比べて私達「現代人」はほとんどの時間を労働に捧げてなぜこんな・・・
三内丸山の櫓は鳥葬用かな
め、めだちますね・・・
宮崎県の日向市に米の山ってありますが、そもそもは久米の山だったらしいですね。
頂上には環状列石があった様です。(神武天皇御船出の数キロ北側)
太古の人達は天体を把握して大海原に漕ぎ出したんじゃなかろうかと。
因みにイギリスの何処だったか?丸木舟が発掘されています。GJ縄文ピーポー
現代人にない感覚とか持ってたりしたら面白いです
まだ確定ではないですが、イースター島とペルーの太平洋沿岸からも縄文式と同一様式の土器が発掘されています。
因みに人類初の磨製石器と土器は日本の縄文式でほぼ確定だそうです。
そのため今では日本はポリネシア系日本文明に分類され、大陸や半島とは無関係な別種の文明圏となっています。
追加で、極東アジアに一番最初に辿り着いたホモサピエンスは縄文人の直接の先祖だそうです、よって何でもかんでも大陸から文化が伝わったというのはあり得ない、何故なら最初にこの地に文明を開いたのは我々の直接の先祖だからであり、後からやって来た大陸人は乗っ取りしただけだから。
ご先祖様たちがこの列島までたどり着いて・・・さらに東へ、と思った人がいてもおかしくはないですよね
ポリネシア語と日本語には共通点が指摘されてますし。
一万年前は海流の流れも今とは違ってたかもしれません。
丸木舟って一万年位前には世界中に無かったらしい。
三万年位前は、葦舟(パピルス)の舟で外海航海をしていた。
氷期の太平洋は黒潮だけで、それに乗れば簡単に周回でき、日本海側は湖だから簡単に大陸側にも渡れる。
古事記でヒルコを乗せたのも葦舟で、丸木舟は岩のように固く鳥のように速い舟と呼ばれたのかも⁉️
当時からすでに造船先進国・・・
天の磐船は丸木舟だった???
@@user-xq4ux7ob1m
アウトトリガーを両側につけ帆をつけたら、かなり速いでしょうね。
鬼界アカホヤ火山(破局噴火)以前に長さ七メートルの丸木舟があった、千葉の遺跡に出たらしい。
九州は特に陸路が難所だらけなので現代と違って隣接してる地域でも簡単に移動できなかったと思われる
なので海上輸送が発達するのは当然の流れ
三内丸山の建物をみると我々がイメージするような丸木舟ではなくかなり巨大な船舶を作れるはず
陸であんなもの作れるなら大型船が作れないとは考えにくい
太さ1mの巨木だったら相当でかい船を作ってたのでは?
船というか現代の船の形ではなく巨大な丸太船を連結したか、或は巨大な筏みたいなものかも知れない
日本に最初に来た縄文人は南から島伝いに船に乗ってやってきたと言われてます
ポリネシアンが使うような双胴のカヌーや安定のため横木を備えた帆船なら太平洋でも突っ切れます
大型船の痕跡は見つかっていないんでしょうか
もしなかったとしたら、遠洋航海技術が廃れると同時に建材として分解されたりして遺らなかったってことなのだろうか
@@Shinzine 沈没船なら残るでしょうが、丸太のカヌーは沈没しないでしょう。江戸時代の千石船でさえ残っていないのだから、古代の船が残っている可能性は殆ど無いでしょう。
全長7メートルちょっとの丸木舟は見つかってるようです。巨大筏もあったかもしれませんね。ただ見つかってもバラバラになっててただの木材に見えたりして・・・
現代の海岸線を表示しているのですが、海岸線は変化しているので、当時では現代より容易だったかもしれません。
2万年前は現在より100メートル前後低かったので、現代より島が点在、あるいは地続きの可能性もあります。
旧石器時代であれば大陸も歩いていけたでしょうね
東北と山陰との間に交易とかがあったってのは聞いたことがありますね…。方言とかが似てるとか何とか。
八丈小島にかつて住んでいた人はマレーシアとかから来たそうなので、海洋民族自体が縄文期に大移動してたのは間違いないですね。3500年前くらいから台湾の人やマレー系、オーストロネシア系の人たちがフィリピンやメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの島を次々と移動したそうです。ハワイとかにも行ってるのかな?
あと、三重とか太平洋側の一部地域に大昔から住んでる人はミクロネシア・ポリネシア系のDNAを持っておられるそうです。
意外と日本人に親戚は多いのですねフムフムφ(・ω・。)
東北も山陰も雪が降って冬は寒いので、口を開けずにしゃべれるような方言になった、
という説を聞いたことがあります。だからフランス語に似てる、とも。収斂進化説ですね。
余剰がかなり有る事になりますね。
( ゚д゚ )!
鬼界カルデラの破局噴火は、太古の話ではなく近未来の出来事になるかも、ですよ
マジデスカ・・・
破局噴火は、日本では7000年に1回くらいの頻度で起こっているので、そろそろ来てもおかしくないですね
1500年間も文字を使う必要性を感じなかったのは良い時代だったのかな?
ニュージーランド近く南太平洋のバヌアツ島
此処の畑で日本の縄文土器が発掘され話題に
シドニー大学での分析の結果
青森県の三内丸山遺跡の出土品と一致したそうです
数千キロも航海していた証拠
鬼界カルデラ爆発をきっかけに、あちこち行っていても不思議はないですよね
丸木舟をバカにしてはいけない。丸木舟は構造船と違って壊れにくいだろう?というか壊れない。構造船のほうが大きい船ができるので、1度に多くの人間を載せられる利点もあるけど、板と板をつなぎ合わせて作っているので、強い波の影響で壊れるリスクもあるけど、丸木舟はそれがない。
いざとなったらバタ足でも進めますからね
ゴムボートは、風の影響を受けやすいから、注意しないと危ないですよ。
き、きをつけます・・・
丸木舟といいますが、外洋航海に耐える船というと、
ポリネシア周辺で使われていた大型カヌーのようなものだと思います。
復元された船がホクレアでありハワイロアなわけですが、
カヌーというより全長十数メートルに及ぶ双胴の帆船です。
ちょうど三内丸山の掘っ立て柱の長さも同じぐらいですね。
それに上陸用の小さいカヌーを搭載していたようで、以前はそれで航海していたと思われていた時代もあるそうです。
星の位置から方角とおおよその緯度を割り出していたそうです。
けっこう大きいですね~
緯度まで・・・!
船が大きいとたくさん積めて商売繁盛ですね😁
古代ポリネシアでは、南十字星と北極星の位置関係を相互に見ながらハワイに行ったりしていたようなので、
それらの高さで行程があとどれぐらいかが分かったそうです。
厳密には南半球から北極星は見えませんが、北半球に入ると見えるらしいです。
逆に南十字星は北半球でも緯度が低ければ一部は見えます(複数の星なので)。
と、いうことはですよ🤔
ポリネシアから右に南十字星、左に北極星を指標に、
赤道に沿って位置をコントロールしながら東に進むとあら不思議?
赤道直下のエクアドルに正確に到達することが可能です、
必然的にそうなるのだと思います。
動画お疲れ様です。
古代の話は面白いですよね。ロマンがあるわ。
縄文時代の航海術ってすごいよね。ただし3万年前とかだと氷河期かぁ。海面が下がってて朝鮮半島に歩いて行けたとかの話もありますよね。
それでも神津島は太平洋の孤島なのには変わらないか。凄いことだわ。
あと、日本列島に住んでいたのが縄文人だけとは限らないよね。逆にエクアドルの人たちが日本にやって来たってこともあり得るよね。
まぁ、いろいろ解明されると面白いなぁ。
逆に来てる可能性もありますよね・・・私もエクアドルのバナナ好きですし
エクアドルの土で作られたのが、九州で作られる模様で高度な技術がいるんだって、それ以前の技術の土器がエクアドルから出て来てない。土器に佐賀県からしか見つかっていない物質が含まれているって。
@@user-bg8ng1qs7v さん
エクアドルの人が、佐賀県からエクアドルに「持ち帰った」のかも知れません。
エクアドルからそれ以前の土器が出土しないとしたら、太平洋を一周した仲間が作った土器が
いいなあとなって、今までの土器を壊しちゃったかもしれません。
縄文時代の日本人が出発点とは限らないと思います。
古事記や播磨国風土記には、明石海峡をまたいで淡路島に影が落ちるほどの巨木を丸木舟にしたという伝承がありますし、実際にはそこまでのスケールでないにせよ、丸木舟といってもカヌーみたいな小舟ではなくそこそこ大きかったんでしょうね。
どこだったか、大きな丸木舟の絵もみつかってるみたいですね
@@gamelite9988 そうなんですね。巨木の生い茂る古代日本も見てみたいですね。
星座には和名があって、それらは航海や農業暦に使われた名残である。宮崎県門川町の漁師は平成の初めまでは、星で時間や位置を読むことができた。GPSの発達でそれらの伝承は途絶えた。
大黒屋光太夫がロシアで驚異をもって迎えられたのは教養だけではなく、星を見上げただけで現在の緯度経度を言い当てられたスキルがあったからかもしれない
すご。となると縄文の人はもっといろいろわかってたのかもしれませんね
@@gamelite9988 さん
あくまでもテクノロジーが失われることを前提にした憶測ですが、意外と事実なのかもしれません。
元々縄文人は南の方から島伝いに船でやって来た海洋民族って説がありますよね。
これは漫画ですが「宗像教授異考録」には海彦と山彦のはなしは海洋民族のなごり話が展開されています。
しかしなぜ三内丸山遺跡は東北なんだろう?冬寒いのに、時代が下るとご承知の通り西日本に集落が集中するんですよね。
黒潮に乗って荷物を運びやすかったから?となると三内丸山遺跡は日ノ本を統治していて弥生の国は三内丸山遺跡の属国
が三内丸山遺跡が滅びた後に独立したという事なのでしょうか。
南とか西は考えやすいけど、東北っていうのが面白いですね
西日本にも縄文人は住んでいたが、同じところに住み続けたので
弥生時代には縄文遺跡が壊されて弥生の建物が建てられたとか?
昔は大陸と日本列島はつながっていたって。船無しで渡わたれました。よう知らんけど。
氷期が終わる前は海面が低くて、大陸とつながっていたようですね
九州で大噴火が起きて九州と四国が全滅したらしいからなぁ。海を渡って海外に脱出する人いたのかも知れない。(´・ω・`)
当時の人にとってはまさにこの世の地獄だったでしょうね・・・
聞き易い声にしてください
なかなか難しく・・・
丸木舟はあまりにも原始的。ここ日本は葦原中津国、葦を束ねたり依ったりして浮力を増したり荒波に対処出来るように丸木舟に補強を加えていたはず。
縦穴住居も藁葺き屋根でしょ、雨合羽のようなミノもあったし葦や藁葺は身近な存在で活用していたと思うんだな。
なるほど、それはそうですよね・・・
貧弱な丸木舟で沿岸漁業をしていた人が一杯居て、沖に流されてしまった人も一杯居て、その多くは海の藻屑となり、極々一部がどこかの島や大陸に漂着した。漂着出来て助かった人は比率としては極々僅かだけど、そうでない多くの人達は魚のウンコになり残っていない。で、ごくわずかな漂着できて助かって生き残った人のことだけが後世に意識される。
ビジネス成功談に通じるものがありますね・・・
航路は天文学、オリオンの三ツ星、北斗七星。帆船は何も帆柱(マスト)方式とは限らない。そして、定住先が見つかれば、資材が必須のため、船は解体されます。
それでなかなか船が残らないんですね
縄文人は未だ大陸が氷河に覆われていた氷河期の末に地球が温暖化で、海面が上昇してインドネシア付近に在ったスンダランドが水没したので船に乗って島伝いに北上して日本まで来たと考えられているから、縄文人は航海は得意だったんだろうな。
スンダランドというと・・・稲作も持ってきてそうですね
ヨーロッパ人よりもはるか大昔に航海し そして分布していたとは
漂流とかじゃなく交易してたのがすごいですね
うん。
グーグルアースで東シナ海の大陸棚を見たことがありますか?
石垣島の真北の方向の大陸棚に河口跡らしき溝があることを知っていますか?
2万年前の海は現在より140メートル低かったことも知っていますか?
140メートルも違ったんですねフムフムφ(・ω・。)
日本海沿岸に沿って、日本列島、大陸側にぐるりと縄文人が住んでいた。北朝鮮の地域から南方の高床式の建物の跡が発掘されている。
また日本海にはリマン寒流が大陸に沿って南下し、一方、対馬暖流が日本列島に沿って北上して津軽海峡に抜ける。海流を利用すれば大陸との交易も可能である。
海流が山手線みたいに見えてきました
内容に関係ないですが、どんだけプリウスw そしてスルーされるのが面白いです😄
プリウスはさんざんスルーされてしまって・・・
日本人は好奇心旺盛な民族だ。
10万年前に人類はアフリカを出発して各地に散っていった。
日本人の祖先は太陽の昇るところに何があるのか知りたくて東へ東へ移動したと思う。行き着いたところが日本。そして更に舟で東へ。たどり着いたのが神津島。そして黒曜石を発見したのだと思う。(想像力強すぎ?)
アフリカからわざわざこんな大陸の果てまでたどり着いたご先祖様たちなので、好奇心旺盛な冒険者に違いない! まあものすごい世代かかってるんでしょうけど・・・
日本の国土が起こした奇跡
山越えは遠すぎる、海を行くしかない
海ならば日本全土を巡れる、一周してハイここが日本ね
航海ネットワークが国を形成していく
白村江の頃には武装した兵士数万人を朝鮮に派兵できるまで航海術は進化していた
日本は山ばっかだったので海洋国家に進化するしかなかった
片道切符のケースはうっかり漂流しただけという感じもします。
近現代でもアリューシャン列島に漂流したりアメリカに船だけ着いたりしてるので。
縄文晩期の水稲伝来も、最初は長江から流れ着いたお米の運搬船かも。
生きてたどり着いたかたは大冒険でしたね
魏と倭のバランス考えたら
縄文期に国はあって当然では?
少なくとも殷レベルの広域体制が
無いとしたら考古学と矛盾してしまう。
縄文人が海外に進出したのは、氷河期のはず海面は現在より140m低く大陸棚の大部分は陸地、ユーラシア、東南アジアまで徒歩で移動、インドやペルシアには帆付き葦舟で到達できる。🤔
フムフムφ(・ω・。)
丸木舟でどこまでいけるかなんて議論の余地ないのよ
もって3日、漂流して1週間、水も食料も尽きる
航海できるネットワークを構築していたのがすごいことなんで
寄港して翡翠と水、食糧を物々交換して航海を続けるネットワーク
山越えがしんどい日本の国土ならではの進化、そういう所
お花畑な妄想なんて要らない
古代人って現代人から見るとゴリラ…もとい超人級の体力お化けだよね。
本家ゴリラとも戦えそうですね( ・`ω・´)
軽く縄文尺で流してるけど、古代の単位、つまり肘から指先までの距離って、デフォな単位だよなぁw。
もともとはそっちのほうが「キリがいい」はずなんですよね
西洋のフィートはかかとからつま先までの長さ。
金属以前なら黒曜石無しでは
暮らせ無いし、もし手に入らなかったら
奥さんがキレて竪穴住居が凍りつきそう。交易ルートのルールは必要だよぬ。
夏はいいですけど冬は凍りつくときついですね
小舟に長距離・長期間の航海に足る水や食料が積み込めるのだろうか。
土器を積んで新天地を求め海に出たが力尽き船だけが世界各地に漂着、ということではないでしょうか?
あるいは想像以上の造船技術で大型船を建造していたのか?
ポリネシアン等は、双胴のカヌー等で太平洋を行き来していたよ
何世代かかかって、ということもありえますね
実際ハワイとかグアムとかに人が住んでるの観るとこの人達どこから来たの?てマジ思う。
1人や2人ではあんなに人が増えないし。
結構な人数の人がまとまって丸木舟で海を渡った事を考えると余程の動機が無いと出来ないと思う。古代人マジリスペクトハンパ無い❗️
ヽ(´∀`)ノ
確かに、無からいきなり現れるわけないし、どこからか移り住んだんですよね。すごいなぁ・・・
無から人が現れるはずはないので
ムーから・・・・・・
難破船が漂着するならあるけどさ
航海するのにどんだけの水と食料が必要か
大航海時代の地獄を見て来い
水なんて無い、水は腐っちまったよ、酒しかない
石器時代に丸木舟は作れない。葦を縛った船だろ。
( ゚д゚ )!
相方のしゃべりが普段より速くて、今一聞きずらいですが…。内容は最高😃⤴️⤴️です✨
しゃべる間を考えないといけませんね・・・
再生速度は右下の歯車マークのところで設定できますよ
素人ですみません。縄文人てどうして そこに島があるとわかったのでしょうね。
冒険家がいたんでしょうか・・・
地球規模で考えればとか言うけど
人類規模で考えても300万年くらいは大体脳の形が今と同じで、大体同じような意識を持って、文明はなくても生活してきて、子孫があり続けたんだな、ネアンデルタール人はむしろ優れてたはずだけど、新人に負けたり
いろんなドラマがあったんでしょうね・・・
黒潮に乗って・・・普通にに死ねるからww
たどり着けたら奇跡ですね
なぜ交易?
無頼の海賊だったと思うよ、国なんて無いんだから
縄文時代には海賊がいて青森を根城にしていた
どうやらその海賊は村を襲ったりはしてなかった、そんな余裕あるわけもない
命かながら、なんとかたどり着く
日本中の縄文人が航海を楽しんでいたって妄想はさすがに無理
丸木船で沿岸航海ならともかく、太平洋の島とかなると流刑を食らった罪人とか、
破局噴火に遭って村に居たら死ぬのは明らかだから海に出たとか、
そういう否応無い理由が無いと当時の航海技術で何千キロも航海したりしないだろうな。
や、やっぱりとんでもない災害が(( ;゚Д゚))))
「縄文文化」と言うより「縄文文明」。中国遼河文明と共通する三内丸山集落は縄文人なら、船で悠々往来していたでしょう。
世界的に見ても先進的だった可能性も・・・フムフムφ(・ω・。)
私のマイブームは平安時代。お呼びでない?失礼しましたW
平安時代も好きですのでそのうちなにか取り上げてみたいです(`・ω・´)
海図も無いし遭難する確率も高いのに海を渡った人達は挑戦者だわ、だけど何人も命落としただろうな。やっぱり海を渡って陸地を発見した人はまた帰ってきて情報を伝えたのかな?。
縄文時代だけでも1万年以上ありますし「伝説の父祖の土地を!」とか言って苦労して帰ってきた人もいるかもしれませんね
高評価ポチっとな(o・ω・o)👍️。
コチラモ(・Θ・)ゝ”
いろいろ考えて、縄文時代の昔の縄文人たちは、南米まで舟で行けた理由を考えた。
海路1日でたどり着く方法、それは地震の津波に乗って流される事によったわけだ。
津波は24時間で到達する、仮に海で漂流してても1日くらいなら死なずにたどり着ける。
喜界カルデラ大噴火や他の津波現象で海洋民族たちが流れ着いた。
それで、同様の土器が南米で発見され、文化が伝播するわけなんだと思った。
少なくとも、土器だけでも流されると思う。
まさに波乱万丈・・・
波は伝播はしますが物質的に移動しているわけではありません。
あの時代、今より海面が100m以上低かった事実を抜きには語れませんよ。
普通の丸木舟でも、島伝いでかなりの所まで行けたはずなんです。
縄文海進で沈んでしまいますが、少しずつなので徐々に慣れていったのかもしれませんね
こういう動画って、四国は無視なんだよね。まあ、ジャングルで、未開の地で後から開発されたイメージを持たれていますからね。
邪馬台国四国説があります!
@@gamelite9988 ありがとう御座います。
それから阿波が、日本の原初でもあると云われも有ります。
正直旧石器時代から始まる日本史って奥が深くて壮大過ぎて、小学生とか中学生に教えるには不向きな教材だと思う。
それこそ動画の最後の方で触れられてる、鬼海カルデラの大噴火も当時の日本中の生活環境が一変したけど
それでも東北に住む事を決めた縄文人の子孫が後に蝦夷と呼ばれる人達。
そしてその大和の軍人を圧倒する蝦夷も後に大和朝廷に取り込まれ、日本刀の元になる蕨手刀とか
馬上で弓を射る技術が全国に広がり後の武士の技の基盤になる。
それで東北に遺跡が・・・フムフムφ(・ω・。)
寒そうだな
寒い時代に象さんいたのは不思議ですね
丸木舟で本島から沖縄まで行くとか今でも、漕ぎ手が相当技術高くないと無理だし
ましてや今の朝鮮半島とロシアに出向くとか想像できない。
今の・・・は、難しいですね・・・
👍
d(。ゝд・)
鬼界カルデラ、随分ち~せーよw
( ゚д゚ )!
ついでにこれもさっと学ぼう。1.旧石器時代は世界用語、問題は肝心な後期旧石器時代が各国で若干違うので、日本の始まりは祖代・祖代人Proto-Japanese 、2.新人対象では、始まりの約4万年前・北部九州が大陸・半島に繋がった事は無く、海を越えて家族が来た始まりであることが重要ポイント、3.暮らしは「遊動」生活、黒耀石求めの伊豆の海の行き来3.8万BP・環状キャンプ・陥し穴猟・磨製石器・釣り針2.3万BPなどもある原始じゃない、4.細石器は、大から中小への動物変化に対応し①殺傷、②携行補充の使い勝手の良さの2面、5.2.7万BP石垣島(白保竿根田)祖人が注目で、学校がよく教えていない充実の祖代。今、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが、「最初のアメリカ人」First Americansに関わっていたのか、世界の史界が注目、鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析)はこの万年前話に全く無縁・問題外であり、誤解を正そう。 sunda-wind.net ―日本祖代研究会
フムフムφ(・ω・。)
かつて3000年前の古代中国殷の時代から1000年も遡り、4000年前に夏王朝と呼ばれる王朝が有ったのではないかと言う話を聞いたが、夏の初代王様は禹と呼ばれたそうだが、東北の口伝によるとアソベ族と呼ばれる一族が居たと言う話を聞いた事が有る、中国北東部の先住民の記述を記した契丹古伝にも海を隔てた東の島に豊かな国が有ると言った記述が有るが……、
三内丸山遺跡って、ひょっとして王朝じゃないのか?
もしや中国の歴史書に出てくる、夏王朝って三内丸山遺跡だったんかな!
3000年前の北九州に栄えたとされる菜畑遺跡も最早集落そのものが国で、王様に相当する部族長が居て後の古代豪族の先祖だったんじゃないのだろうか?
3000年前の縄文時代晩期から弥生時代初期にかけて実在したのではないかと言うウガヤフキアエズ朝も、そういった集落から最終的に大和朝廷の設立に繋がるのではないのだろうか?
もう4000年前から日本人=倭人は、東アジア沿岸部の日本海から朝鮮半島、黄海の山東半島から東シナ海の琉球まで、南は台湾、海南島まで船で行き来する、西洋のフェニキア人に相当する、海洋民族集団だったんじゃないのだろうか?
東洋のドイツ・極東のイギリスならぬ、東アジアのフェニキアだったんじゃないのかな?
その環濠集落の中に、国が崩壊しディアスポラで世界に散らばったとされる、古代イスラエルの失われた10氏族の民が居たのではないだろうか?
それが、日ユ同祖論の真相ではないか?
3500年前の古代エジプト新王国時代には、インド洋からインドシナ半島まで既に到達して、東シナ海まで中東のタルシン船が来ていたのではないのだろうか?
最終的にレバント地方から紅海~インド海とマラッカ海峡を抜けて東シナ海まで通り抜けた船団が最終的に今の石川県能登半島ままでたどり着き、それがモーセ渡来伝説になったのではないか!
壮大でロマンがありますね。国家的なものがないとあれだけの流通ルートはできないと言う人もいますし・・・
@@gamelite9988
実は日本って軍事学研究よりも何故か古代史研究の方が禁止にされているらしいよ?
驚く事に日本よりもアメリカの方が日本の古代文明研究が盛んで、日本の古代文明出土品を多く所有しているらしく、世界でも古墳時代の出土物を多く所有しているのがアメリカらしいよ?
何かそういった研究機関ってロックフェラー系資本が関わっているらしく、日本で古代遺跡が発見されると、ロックフェラー系関係者が来日して現地を調査するらしいとか?
島根の出雲遺跡や、三内丸山遺跡発掘にもロックフェラー系関係者や、ロスチャイルド関係者が関わっているらしい。
……天皇家はロスチャイルドやロックフェラーと言った世界支配者一族と日本の古代史研究を守る様に公にはしないようにと密約を結んでいるらしいな。
縄文時代の日本列島は今よりはるか南にあったと考えれば、縄文人の稚拙な航海術でも太平洋を渡れるかもと思います。三内丸山遺跡とか完全に南方系の遺跡なので、昔の日本はハワイとそう変わらない緯度にあったと思います
年10㎝ 動いたとして1万年で1km、縄文時代はせいぜい1万年前、100万年単位ならいざ知らず大地はそんなに早く移動しないよ。
そ、それはなんかすごく面白い発想ですね
@@gamelite9988 現在の常識ではありえないですが、日本の神話って地面が動くことが多いですよね。当時の人々にとっては、その表現が最も身近だったのだと思います。日本の地理や文化風習、その他近辺の状態も短期間で地面が動いたと考える方が納得できることが多いと感じてます。
あすかあきおじゃないんだからなかなかその説はむずかしいなぁ。
@@user-rq3ox9jo1v じゃあ、当時最高叡智の漢人は全員方向音痴で、氷点下を薄着で過ごす倭人は全員Mで確定しましょう。
ウラジオストクの18千年前の地層から
隠岐の島産の黒曜石が発見されている
対馬北側で遭難して流されるとその辺まで行く
隠岐の島産の黒曜石を出雲で加工したモノを持った船が
半島に行く途中で遭難したものだろう
丸木舟と言っても波除け板はしっかり付いている埴輪に見られるように
潮流もちゃんと知ってたり、造船も思ったより高度だったり、すごそうですね
こういうのにですら、エビデンス無しで対抗するのは難しいよな。下を向いて歩いている者達なら。
まあ、あの彼らは揉み消すしかできないから、しょうがないね。
( ゚д゚ )!!
舌打ち!
( ゚д゚ )!
@@gamelite9988
0:43「チッ!」