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追分機関区 D51形式320号機に逢いに行く

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  • čas přidán 19. 05. 2024
  • 国鉄最後の蒸気機関車牽引による定期列車は、室蘭本線・夕張線で幕を閉じました。そして、最後まで構内入換で残っていた蒸気機関車が運用を終了し、国鉄時代の蒸気機関車は終焉を迎えました。そんな歴史をもつJR追分駅から徒歩で15分のところに、最後まで追分機関区に所属していた蒸気機関車D51形式320号機が保存されています。
    本来であれば最後の定期貨物列車を牽引した、苗穂工場で生まれた数少ない道産子D51形式で、生涯を追分機関区で過ごした純道産子機関車のD51形式241号機を保存する予定でした。しかし、保存予定であった扇形機関庫の火災により、機関庫と共に全焼消失してしまいました。そのため解体予定で屋外に留置されており、図らずも難を逃れた320号機が、永久保存機関車として残されました。
    この機関車は屋内展示保存ということもあり、極上の状態で保存されています。各部隅々まで塗油磨き上げが行き届いており、活動時そのままの輝きを保っています。この機関車の保存整備には、元追分機関区の機関士さんたちが中心となり結成された、保存会によって定期的に50年近くに渡り行われています。この輝く蒸気機関車を見ていると、最後の貨物列車牽引機となったD51 241号機を失った悲しみや、鉄道の町「追分」で機関車と共に活きた機関士さん達の想いを痛切に感じました。
    この機関車は「追分町」を物語る文化財といわれますが、いや、国宝と言っても良い貴重なものだと個人的には思います。
    #追分機関区
    #追分扇形機関庫
    #d51320
    #道の駅あびら

Komentáře • 11

  • @channelatsushi2896
    @channelatsushi2896 Před 19 dny

    とても面白かったです。小学生2年生の時に父に連れられ追分機関区に行きました。今は57歳ですがはっきり憶えております。扇形庫にいっぱいD51があってわくわくした
    思い出があります。その次の年、火災でみんな燃えてしまったと聞いて小学生ながら涙が出る思いでした。数年前、たまたま出張で京都の嵐山に行った時、D51-603を
    見たとき、なんだ!ここに居たんだと涙がでました。

    • @mtr0208
      @mtr0208  Před 19 dny +1

      ご視聴ありがとうございます。
      良き思い出をお持ちですね。追分駅の西側では、あの石炭列車がずらりと並んで出発を待っていた広大な留置ヤードも線路が撤去され、機関庫もなくなり、ただただ広い空き地が広がるばかりになりました。嵐山のD51603を見た時には、なぜだか落武者の首がさらされているような気持ちになりました。

  • @2347yw1
    @2347yw1 Před měsícem +1

    旧流線型の残存機として保存予定だったC5530だが、局内の連絡ミスによりあっさり解体され、しかたがないのでC5550が保存されたような運命の綾ですね。

    • @mtr0208
      @mtr0208  Před měsícem

      ご視聴ありがとうございます。
      小樽のC5550は、酷い・悲しい話でした。ミスを隠すために「C5530」と刻印まで重ね打ちしての捏造改ざん...鉄道で働く現場の方々と、趣味のファンとの視点価値意識の違いがあったのでしょうか。

  • @user-pl9iz4wp2d
    @user-pl9iz4wp2d Před měsícem

    エアコン付きの最高の保存環境ですね。なんとも幸せなD51です。もし本線への復帰機種選定時には、文句なしの候補機になりますね。

    • @mtr0208
      @mtr0208  Před měsícem

      ご視聴ありがとうございます
      本線復帰してほしいですね

  • @makoto1100
    @makoto1100 Před měsícem

    JR北海道の財力では動態保存は厳しいのではないでしょうか?

    • @mtr0208
      @mtr0208  Před měsícem +2

      ご視聴有難うございます。
      今のJR北では、残念ながら財力・経営力・企画力など、全てで厳しいかと思われます

    • @2347yw1
      @2347yw1 Před měsícem +1

      C623号機も難しい。

    • @mtr0208
      @mtr0208  Před měsícem +1

      ご視聴ありがとうございます。
      北海道では蒸気機関車があまりに身近すぎて、その機関車の価値よりも「鉄道が北海道に与えた意義」に重きを置いた、記念碑モニュメントの一端として蒸気機関車が捉えられているような気がしてなりません。陳腐な言い方ですが、まさに「宝の持ち腐れ」になっていると感じられます。現状、予算財力が厳しいのは理解していますが....

  • @user-cj4qz3zi3e
    @user-cj4qz3zi3e Před měsícem

    飽くまで、飽くまでも一説。真の説では無い噂。当時、道内の労組の中でも、追分は強かったらしい。例の、機関庫の火災も国鉄と労組の関係が上手くいってなかったことが原因とか…。これは有名なハナシ。なんでも、転車台の動力が切られていたとかで、機関庫の中で悲鳴をあげていた、機関車を助けてあげられなかったと言う。と、いうことは、当時の国鉄が仕掛けたか…?飽くまでも一説ですからネ。