【迷列車で行こう】
Vložit
- čas přidán 8. 09. 2024
- #迷列車で行こう #JR西日本 #北陸本線 #スキー
【迷列車で行こう 再生リスト】
• 【迷列車で行こう】#1 悲運の廃止…ムーンラ...
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11Rsa - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
12Rs1421 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
13Najirane-n - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
14浦辺研究所より引用
15Takkitakitaki - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, commons.wikime...
16永尾信幸 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
17Ski Mania - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, commons.wikime...
18Shellparakeet - 投稿者自身による著作物, CC0, commons.wikime...
19MaedaAkihiko - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
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22Cassiopeia sweet. - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, commons.wikime...
23Toshinori baba - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
24Rsa - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
25浦辺研究所より引用
26浦辺研究所より引用
27MaedaAkihiko - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
28JR東日本公式サイトより引用
・その他の画像はうp主撮影、出典不要、又は動画中で出典を示している画像です。
【動画】
画像中に出典表記を記載。
【BGM】
出典不要のフリー素材を使用。
国鉄時代のスキー列車の名称についていた「銀嶺」という名称が好きだった。
当時は上越新幹線の他、上越スキー特急は「谷川」で上野から越後湯沢と石打まで運転されていたことがあった。
「谷川」は水上行きの定期特急で、石打行きのスキー特急は「新雪」だった気がしますが。
@@masayuki1974さま。
181系のヘッドサインには「新雪」の文字中に「結晶」をあしらったモノが掛けられてた。
@@masayuki1974 新特急「谷川」は冬限定で越後湯沢と越後中里と石打まで運転延長していましたよ
大糸線に長大編成の列車が見られていたのが、遠い過去になりましたね。
485系+583系のシュプール号って、確か先頭の貫通扉を開けて繋いでいた列車がありましたよね。
それが583系の貫通扉が唯一使用された事例だったと記憶しております。
たしか、最盛期14両で運転されてたらしいですね。
東武で祝日・土日前日に浅草からスノーパルというスキー夜行列車が運転されている。
車両も6050系→300系→500系と変わっている。
途中の新藤原駅で時間調整のため長時間停車するが、スノーパル運行日には駅前のお土産屋さんが
深夜営業し、おでんやそばが食べれた。
(自分は6050系時代に乗車経験あり。)
今はスキーやる人もだいぶ減った感じがしますね。
大昔、🎿客を迎える為に宿泊施設の従業員が定期入場券を持っていたなぁ~。
「入場定期券」自体は今でも有りますよ…
大糸線(西日本区間)にこれだけの特急型車両が乗り入れていたという史実。現在の凋落ぶりは。
大糸線では通常の普通列車をシュプール号で代走してスジを捻出していたくらいでした…
平成7年からの長期不通が止め刺しになってしまったような気がします...
大糸線って全線廃止になったんでしたっけ?
@@shinpeikitajima7115 さん
止め刺しになったのはシュプール号。
大糸線はまだあります。が、結構ヤバイ...
@@shinpeikitajima7115はい。2017年に全線廃止されました…。
動画内の時刻表から簡単にまとめてみました。
↓最盛期のシュプール号発車時刻(京都駅)↓
2047 越後湯沢行き(14系)
2120 南小谷行き(14系)
2137 黒姫行き(583系)
2207 白馬行き(14系)
2227 南小谷行き(キハ181系)
2247 長野行き(485+583系)
2307 白馬行き(20系)
2327 黒姫行き(14系)
2348 南小谷行き(キハ65系)
2408 直江津行き(485系)
2429 南小谷行き(キハ181系)
2451 直江津行き(583系)
昔の鉄道を使ったスキー需要はめちゃくちゃ高かった。
JR東日本管内でいうと、上越新幹線の越後湯沢駅に隣接する保線基地の裏山に開業したガーラ湯沢スキー場への利用客の輸送のためにガーラ湯沢駅すら作られ、JR西日本管内だと、シュプール&リゾート用の14系客車が持っていかれるからムーンライト九州が冬期のみ「ふるさとライナー九州」に改称してたくらい。
1990年代は友人同士、職場の同僚とよく信州方面にスキーに行きました。
金曜日の夜にシュプール号に乗って白馬へ向かい、土日とスキーを楽しんでから日曜日の夜に白馬を出て月曜日の朝に大阪着、そのまま職場へ直行ってこともありました。
かつてスキー列車が行き交った大糸線の西日本部分も今は廃止の危機とは。
当時は自家用車で平日ナイタースキーに行き一泊して直勤も普通でしたからね。
ほくほく線を14系客車が走ったのか。
シュプール妙高志賀の583系といえば2段B寝台も忘れてはならない。本来3段のところ上段を固定して2段にしたもの。
なかなか良いアイデアだったと思う。
バスだと渋滞で遅れる事が多かったり、乗っている間座りぱなしでトイレにも行けないなど列車の定時制、居住性は充分価値がありました。ただ583の寝台も夜通しトークに勤しむヤング達で寝れない事も😅
かく言う迷惑なヤングだった高校生の私でした。反省してます。
1999年ぐらいに米原経由ので行き583系3段B寝台の中段で行って帰りは485普通座席車で帰ったなぁ。
今は大阪駅でスキー板を担いだ旅客は見なくなりました。
何処の駅でも絶滅危惧種だな😢
上野?→山形のシュプール蔵王号を利用して友達と3人で2泊3日(車中1泊)のスキー旅行に行った。
確か往路:シュプール蔵王号、ホテル1泊、復路:山形新幹線のパックだったと思う。
(シュプール蔵王号は往路のみの運行で復路の設定はなかったと記憶している)
シュプール号は通常の寝台料金(下段が千円増し)とは違って一律同額で
自分は下段だったが大宮駅を発車した時に車内はガラガラでもう途中停車駅はないため
友達2人に「下段が空いてるから使えば?」と伝え
車掌が来た時に「もう乗客はいないしシュプール号は寝台料金が同じだから空いてる下段を
使ってもいいですか?」と聞いて承諾を得たので友達2人も広い下段を使ったのが良い思い出。
急行「能登」が489系特急型電車に置き換え後はスキーシーズンはシュプール号代わりにスキー客が利用していました。上野~高崎間は「ホームライナー」代わりとして通勤客が利用してました。
再生機のシュプール後はほんと、使える車両総動員して運転されてましたね。
東日本のスーパーエクスプレスレインボーを使ったシュプール信越。東海のユーロライナーを使ったシュプールユーロ赤倉志賀。サロンカーなにわや、ゆうゆうサロン岡山を使ったシュプール白馬栂池。
晩年はトワイライトエクスプレス編成を使ったシュプールトワイライト信越などなど…
バラエティに富んで観ているだけでも楽しかった。
懐かしいですね。
どのシュプール号かは覚えてないけど、普段なら体験できない休憩室扱いのグリーン車でのんびりとか、野洲駅の西側線で運転停車したのに感動した思い出があります。
ほくほく線経由以降は583系ですよね
シュプール号。懐かしいですね。
大学生のとき2回(2往復)利用しました。西田ひかる等が出ていたテレビのコマーシャルがよく流れていてJR西日本も力を入れていました。
一度行ったのは、夜に大阪駅を出発して朝に南小谷に到着して、そこからバスで栂池高原スキー場に行きました。旅行会社がパックを組んで売り出していました。当時の大学生はこぞって冬はスキーに行ってました。
先頭車両は、型番はわかりませんが、貨物電車をよく引くのに使われていた赤いディーゼル機関車で、客車は青くて固定式のロマンスシートだったと記憶しています。
愛知県在住者から言えばスキーを列車では有り得ない選択だったと思う。飛騨方面や信州方面のスキー場へは車でが常識でしたね。週末の金曜日夜は高速道路に通じる道は渋滞してました。スキー場が近いのと車社会なので車かスキーバスでしたね。JR東海もスキー場の経営に参画してましたが撤退しました。
1999年に白鳥〜荘川IC開通で高鷲や鷲ヶ岳行きやすくなったものねぇ、愛知民だけどほぼそこしか行ったことないや
荘川より奥の奥飛騨エリアも良いですよ。
少しレトロな感じはありますけど奥美濃よりひとが少なくてストレスなく滑ることが出来ます
時間帯けっこういいね!
それなりに時間も距離もかかると食事事情が気になるな!
熟睡すればどうでもいいだろうけど・・・・。
帰りの昼行便は、乗降扱いなしの「駅弁🍱停車」があった😉
昭和50年代のバスで野沢温泉にスキーに行ったことあるけど
最悪だったね、トイレも付いてないしシートも狭いし
子供だったけど寝れないからね
急行ちくまのほうがよっぽど楽だった
「スキー行くならJRね」ってトニーザイラーがJR西のCMやってたなぁ。
JR九州のシュプール号…
快速シュプール大山号の博多〜米子間運行で
かつての夜行急行列車さんべ5号6号のスジを使った列車でした。
米子からバスで大山へ向かうパターンで
スキー場最寄りでもないルートでも運行したレアケースでした。
18キッパーの乗り得列車ではありました。
0泊2日弾丸ツアーで
皆生温泉の朝風呂、松江城下町散策、出雲大社参拝、木次線スイッチバック乗車して
広島経由で終電で博多に深夜1時に帰ってくるという
超強行軍スケジュールでした(笑)
シュプール大山号が設定される前の国鉄時代にも同区間で定期の夜行とは別にスキー列車の設定がありましたね。わかる範囲で九州と山陰を結んだスキー列車をまとめておきました。
1959年→博多~米子(山陰本線経由)
1961年→確認できず(1月号では確認できませんでした)
1963年→博多~米子(銀嶺号の愛称がつく)
1964年→博多~米子と小郡~米子(小郡~米子で山口線経由の新雪号が設定される。又米子行は日によっては石見益田駅で併結するようになる)
1965年→博多~米子(銀嶺号からだいせん銀嶺号に改称)と下関~米子(新雪号・山口線経由・日によっては浜田~米子でだいせん銀嶺号と併結する)と小倉~石見太田(さんべ銀嶺号・山陰本線経由)
1966年→博多~米子(だいせん銀嶺号から銀嶺号に改称)と下関~米子(新雪号・山口線経由・石見益田~米子で銀嶺号と併結する)と石見太田→小倉(さんべ銀嶺号から白銀号に改称・山陰本線経由)
1967年→博多~米子(銀嶺号から大山銀嶺号に改称)と下関~米子(新雪号から大山新雪号に改称・山口線経由・益田~米子で大山銀嶺号と併結する)
1968年→博多~米子と下関~米子(大山新雪号から大山銀嶺号に改称・山口線経由・益田~米子で大山銀嶺号と併結する)と石見太田→下関(三瓶銀嶺号・山口線経由)
1969年→博多~米子(大山銀嶺号から九州銀嶺号に改称)と下関~米子(大山銀嶺号・山口線経由・日によっては益田~米子で九州銀嶺号と併結する・2等寝台車が連結されるようになる)
1970年→運行なし
1971年→博多~米子(九州銀嶺号)
1972年→熊本~米子(急行九州銀嶺号・快速から急行に格上げされる・B寝台が連結されるようになる)と下関~米子(急行大山銀嶺号・快速から急行に格上げされる・山口線経由・益田~米子で九州銀嶺号と併結する・B等寝台車が連結されるようになる)
1973年→熊本~米子(急行九州銀嶺号・B寝台車連結)と下関~米子(急行大山銀嶺号・山口線経由・日によっては益田~米子で九州銀嶺号と併結する・B等寝台車連結)
1974年→熊本~米子(急行九州銀嶺号・B寝台車連結)と下関~米子(急行大山銀嶺号・山口線経由から山陰本線経由に変更される・日によっては下関~米子で九州銀嶺号と併結する・米子行のみB等寝台車連結)と下関~米子(急行やえがき銀嶺号・山陽本線・伯備線経由・下関行のみ米子~岡山は快速・B等寝台車連結)
1975年→博多~米子(急行九州銀嶺号・B寝台車の連結がなくなる)と下関→米子・松江→下関(急行ヤング大山号・山陽本線・芸備線経由)
1976年→下関→米子(急行九州銀嶺号から急行山陰銀嶺号に改称される)
1978年→下関~米子(急行山陰銀嶺号)
1980年→下関~米子(急行大山スキー号・急行山陰銀嶺号から改称される)
1982年→いったん廃止
1984年→博多~米子(急行大山スキー号・定期の夜行便の廃止に伴い再び設定される)
1986年→博多~米子(急行大山スキー号)
1988年→熊本~米子(快速ビックスキー大山号・急行大山スキー号から改称される)
1989年→熊本~米子(快速ビックスキー大山号)
1990年→熊本~米子(快速ビックスキー大山号・日によってはB寝台車が連結されるようになる)
1991年→熊本~米子(急行シュプール大山号・快速ビックスキー大山号から改称される・日によってはB寝台車が連結されるようになる・日によっては2往復運転されることもある)
1992年→熊本~米子(急行シュプール大山号・B寝台車連結・日によっては2往復運転されることもある)
1993年→熊本~米子(急行シュプール大山号・B寝台車連結・日によっては2往復運転されることもある)
1994年→熊本~米子(急行シュプール大山号・B寝台車連結・日によっては2往復運転されることもある)
1995年→熊本~米子(急行シュプール大山号・B寝台車の連結がなくなる・1往復体制になる)
1996年→熊本~米子(急行シュプール大山号)
1998年→博多~米子(急行シュプール大山号・日によってはB寝台車が連結されるようになる)
1999年→博多~米子(急行シュプール大山号・日によってはB寝台車が連結されるようになる)
2000年→博多~米子(急行シュプール大山号・日によってはB寝台車が連結されるようになる)
2001年→廃止
※1975年以降の伯備線経由のスキー列車(ジャンプ大山号や伯耆銀嶺号)は糸崎駅や岡山駅発着となったため載せていません。しかし1987年には下関→米子と米子→広島で快速DAISENスキートレイン号が山陽本線・伯備線経由で運行されたことがあるようです。
JR東日本は、都内〜盛岡の先迄シュプール号あったはず?😊
安比高原行きですね。
1990年~1992年には上野(横浜)~盛岡で583系を使用した急行シュプール盛岡号(・1991年~1992年の盛岡行は横浜駅発でした。・上野行のうち1990年は仙台駅と福島駅で、1992年は仙台駅で駅弁を購入することができました。)・1997年~2002年には上野→安比高原で24系を使用した急行ホワイトスノー安比・盛岡号(1997年は急行ホワイトスノー安比号でしたが、翌年の1998年から客車の一部を盛岡駅で切り離すようになったため、急行ホワイトスノー安比・盛岡号に改称されました。)がありました。
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現在の花輪線のダイヤ😢
ほくほく線にもシュプール号が運行していたんですね。JR以外での夜行列車は珍しいと思います。
阪神・淡路大震災の時にシュプール号が途中で止まっていた映像も印象的でした。全列車が高槻と芦屋にも止まっていたのは高槻駅ユーザーにはありがたかったですね。
新宿から白馬に向かうシュプール号を利用したことがあります。183系のあずさ号の車両でした。行きは夜行でスイスイ。帰りは南小谷から新宿まで6時間。松本駅でお弁当停車もあったもののたったの2分。買うことが出来ませんでした。しかも竜王駅では普通列車に追い抜かれるというビックリも。
2000~2001年はスキー用品店のアルペンさまとタッグを組んでアルペン号としたものの1シーズンで撤退。スキーブームの終焉を感じたものでした。
シュプール号、2回くらい乗ってみました。583系のB寝台を利用しましたが、スキーには行きませんでした。
シュプール妙高志賀は3号の後に、週末限定で583系で長野駅まであったな。長野駅に8時頃到着でした。当時三才駅から通学してたけど、妙高志賀の後にいつもの普通が来るので、高校生が普通と間違えて、三才に止まるからいいやと、踏み切りに入って、緊急停車させてたのを見ましたよ。三才駅の駅員が慌てて走って行ったのを覚えてます。
一度だけ初期のシュプール上越号に乗りましたが、車両は165系でした。まったく眠れませんでしたorz
懐かしいですね!
バブルの頃学生でちょうどスキーブームのピークでした。
ツアーでもシュプール号にした場合とツアーバスにした場合の料金2本立でリーフレット載ってました。
個人的には座席がゆったりしててトイレも付いてるからいいなぁとはおもいながら、最寄り駅からアクセスバスに乗り換えが面倒なのと、やはり値段がツアーバスより高くて1度も選択しなかった😅
JR東日本のシュプール白馬号は総武線千葉駅発着で房総特急用の183系が使われていました。内房線特急さざなみ号および外房線特急わかしお号の最終列車が東京地下駅🚉に到着後一旦総武快速線経由で千葉県の幕張電車区に回送して車内清掃作業などをしてから再び幕張電車区から総武快速線を回送運転で始発駅ので千葉駅🚉まで回送していました。
シュプールではないけど、雫石に行った際に、何とか安比という寝台に乗りました。
2002年くらいかな? 乗客はほとんどなく、私たちのいた車両は私たちだけ。4名だけでした。改札に来た車掌さんにお酒飲んでも大丈夫ですか?と伺ったら、この車両はお客さんたちだけで今後も乗ってくることはないので、それなりに楽しんでいただいて大丈夫ですよと。JR的には厳しい状況だったと思うけど、我々にとっては、忘れられない旅でした。
スキーツアーの終焉の頃だな😢
たぶんその列車は、寝台急行「ホワイトスノー安比・盛岡号」でしょうね。私もスキー目的ではないですが乗ったことがあります。上野発(花輪線)安比高原行きで、普通のB寝台のみという質素な編成でしたね。思えばこの頃は時刻表で特集(?)扱いになっていたシュプール号のコーナーはなくなっていて、気が付けばスキー臨時は消えていた…という感じでしたね。
昨今阪神大震災の動画も視る事があるけど、被災した14系シュプール白馬・栂池号を忘れないでね。
現在では考えられないほどの夜行列車の盛況ぶりですね。これも他の夜行列車同様車両の老朽化、乗客の減少、そしてスキー客自体の減少で廃止へと至ってしまいました。
これだと、ヤッパシンカンセンダッタンジャナイスカネ?を思い出しちゃう、あのCM見た瞬間爆笑しましたw シュプール号はほぼいいけど、新幹線や専用のバスがあれば楽楽なのがわかりました、ですが冬の気象にご注意ください
90年代の終わりの頃にJR西のシュプール号返却回送を敦賀駅でよく撮影したものです☺️
敦賀では10分以上停車、日中の回送だから三脚要らずで撮影できるし、長野より寒くないといいこと尽くめでしたね🙄
確か、シュプールは583系で運転されていたな。
シュプール苗場・湯沢は電車でGO! プロ1のほくほく線のダイヤであったな(583系 シュプール野沢・苗場)
20年位前に信濃大町駅でエーデルを見ましたね。更に当時は大阪発越後湯沢行きの「はくたか」も運行していました・・・最近思うに、スキー修学旅行需要(友人曰く、「修学旅行は志賀高原にスキー」だったと)があった四国発のシュプール号(2000系とか関西まで展示会絡みで自走運行したことがあるのでATS-Pを積めば松山ー信濃大町とかやれたかと)があっても良かったかと。
急行きたぐに号。グリーン車がシュプール号用のサロンカーだった時があったんだけど、グリーン車の指定された座席に座らず、ソファーにC寝台して一晩過ごしたことがあるなぁ。
90年代後半に新宿からシュプール号に乗って湯沢方面に行きました〜普通に走行するとすぐ着いてしまうので高崎や水上で長く停車しながら早朝に到着した記憶があります。
帰りは新幹線でしたね。このころは往復新幹線のパックツアーも多かったですね🚄
名古屋からのユーロ赤倉
東京からのレインボー信越
大阪からの妙高志賀の485+583などは客扱いを終えると復路まで自分の住んでる直江津に集結
白馬栂池のエーデルホリデーパル181らを糸魚川を撮りに行ったら当時中学生の自分を引き込み線まで入れてくれて
シュプール号は我が鉄道人生を語るに欠かせない列車たちです
スキーやスノボ自体やる人が少なくなったからな。
スキー客向け高速バスも結構苦戦してるみたいだね。
スキースノボゲレンデがある地域ですら、むしろ冬以外で特色を出して生き残ろうと必死だしな。まあ他の地方同様ただで少ない若者は事実上高卒で外に都会に出てしまうから先々も真っ暗なままだけどなorz😭
JR東日本は新幹線での日帰りスキーを売りにしてましたね。
新幹線でスキーに行く竹野内豊君ですが今はタクシーに乗っているイメージしか無い…🎵
今は越後湯沢は上越新幹線のJRスキーが便利過ぎますね。平日ならリフト券つきで9000円前後。最高です。
岡山、阪神圏から長野北部、北陸方面だったらまだ需要ありそうな気がしますけどね。
流石にマイカーで行くには遠いし。
5:15苗場は583系じゃないですか?少なくとも、ほくほく線開業時は583系でした。また、特急はくたかの大阪への延長運転、スーパー雷鳥の長野への延長運転も特筆すべき特徴でした。
そうですよね…
北越急行線へ機関車牽引列車が入線した話は一度も聞いた事が無いですよね…
シュプール号の運転のため、通常の特急停車駅ではない「虫川大杉 駅」の1番線が9両編成対応のホーム長になったのは有名でしたね…
95-96シーズンのシュプール苗場湯沢は長岡経由の24系客車で運行してました。(当時の鉄道ダイヤ情報に記載有り)その前は14系客車だったようです。
ほくほく線経由になってからは客車から電車へ変更になったような気がします。
ちなみに95-96シーズンのシュプール苗場湯沢は神戸1930発→越後湯沢547、越後湯沢1852→神戸545。
時間帯が微妙すぎて使い辛い列車でした。
復路は大阪で降ろされても始発出てない時間帯でしたね。
@@h_hiro_1982
ありがとうございます。湯沢の機廻しが気になります。あの時はCTC化されていなかったので、駅で全部やっていたのでしょうね…。今ではそのような要員は夢のようです。
@@user-mz8dk8yt1w 箱ダイヤ見る限り越後湯沢で機回ししてると思います。個人的には客扱い後の回送は越後石山までされているのですが、5時間40分もかけて運行しているところが驚きでした。
東京方面からのシュプール号の運用もあり大変なダイヤのやり繰りだった事が想像できます。
@@h_hiro_1982
ありがとうございます!
5時間40分!?今なら、まぁ乗務員の乗り継ぎで長岡1番線に3時間留置かなと思いますが、当時は特急かがやきが運転していたので、それは出来ないから、おそらく石打や宮内で停車しながら、入区したのでしょうね。新潟支社管内でも最低3人は運転士が必要な運行…今なら、絶対に無理ですね。
貴重な情報ありがとうございます。
車でガーラへ行く名古屋市民。
ヤッパ シンカンセン ダッタンジャナイッスカネー
北越急行開業後にほくほく線経由でシュプール号が走ったのは知ってるんですが、
583系しか乗り入れてなかったような…
線路規格上、機関車が入線できなかったので14系は入線してなかったと思いましたが、どうでしたかね?
スキー臨時列車も最晩年にはスキーなんぞ知った事かという鉄道マニアのオモチャと化していた。
お金が掛かるウインタースポーツにお金を掛けられる若年層が減り続けた結果だが、
今ではツアーバスかレンタカーで足りる程度に市場が矮小化した。
夜行列車を運行するとなると運転士の肉体的負担が大きくなるからね😖
ガーラ湯沢はいっぺん行ってみたいと思いつつ34年が経過しました。
(´-`).。oO(シュプールサンダバ雷鳥信越長野行き681系とシュプールトワイライト信越も……前者はともかく後者は運転期間と撮影出来る時間が早朝のみの撮影者泣かせの列車。今と違ってガチな撮り鉄多かっしな。もちろん、汎用デジカメはおろかデジタル一眼レフカメラなんてありませんよ。粗相したら雪饅頭に沈め(ry)
シュプールユーロ赤倉に関しては自家動画あり。
チューチュートレインが何故か頭をよぎった(笑)