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フィルハーモニー合唱団の指揮者だった故山口貴(1933~2020)は、私たち団員の前で『僕が好きな歌手は二人いる。中沢(桂)先生と岡村(喬生)先生』続けて『中沢先生は天才!岡村先生は努力の人!』と言いました。45年たった今も耳に残っています。 1978年の11月末フランク・マルタンのオラトリオ「ゴルゴタ」のオケ合わせの時、東京交響楽団の練習場の上のほうで見ていましたら、変拍子に苦労していたテノールの田口興輔さんに『こうやって歌えばいいんだよ』と指導?されていましたね。また、歌詞のフランス語はまさに「岡村フランス語」といっていい代物でしたが、もっともらしく聞こえるんですね。フランス語指導の芹沢?先生も妙に感心していました。モーツァルト「レクイエム」では独唱の場面で思い切り客席際まで出て行って歌い、後でマネジャーさんが山口貴にしきりに謝っていました。 ところでフィル唱も多くの歌手にソロ依頼をしました。男声ではOperaSingerさんが取り上げられた木村俊光、鈴木寛一、芳野靖夫、栗林義信、さらには丹羽勝海、池田直樹、高橋啓三、岸本力といった先生方ですが、その中でも一番の存在感でしたね。 私が東京から故郷に帰って四半世紀経った頃、隣町で「岡村喬生リサイタル」が開かれると聞き懐かしさいっぱいでエリック・ヴェルバがピアノの「冬の旅」のLPレコードをもって聴きに行きました。演奏が終わって、CD購入者のための岡村さんのサイン会にずうずうしくも乗り込み「先生にお世話になった東京のフィルハーモニー合唱団にいた者です」と言ってLPを差し出したところ『フィルハーモニー合唱団にいらしたんですか。懐かしいですね。あぁこのレコードも懐かしいなぁ‥ヴェルバ先生亡くなったんですよねぇ‥』と話し、快くジャケットにサインをしてくれました。 演奏会も、クラシックの歌を多くの人に紹介して啓発をするんだ。といった思いが詰まった内容で、昔感じていた脂ぎった雰囲気は消えており、一人の紳士がそこにいたように記憶しています。今日の話を聞いて、いい意味で声楽界のピラミッドから離れた立場で発信されていたことがよくわかりました。
彼の存在感におびえた教授たちがいたのですね。そして、改革のために晩年を生きた感じがしました。その使命感は立派ですね。フィル唱は演奏会のある駅近くで勧誘ビラを配っていましたね。1970年代でした。私も何回かもらいました。かなり前のことですね。
@@operasinger5370 あぁそうでしたか。私は同郷の友人から誘われ入団しましたが、彼自身は紀伊國屋書店新宿本店前で「女性団員」に勧誘されたそうですが‥勧誘がしつこすぎて通報され、交番に連れていかれた団員もいましたわ(笑)「僕はプロです」と言われ慌てて逃げた団員もいたそうですが、私は厚かましく「そんな上手な人ほど入ってほしいですね」と言って勧誘しましたがね。やっぱりプロやセミプロは入団してくれませんでした。もっともド素人のほうが色がついていないので都合がよかったのですね。毎日10人入る一方、同じように10人辞めていくような厳しい合唱団でした。 岡村喬生の発する圧力の件で思い出したことがあります。ある男性団員(学生)が岡村先生と話していた時『ところで君、どこの学生だ?』と聞いてきました。その男は日大生だったにもかかわらず、「わっ早稲田です」と思わず噓をついたのです。私たちが「なんでそんな馬鹿なことを言ったんだ」と言ったところ、「岡村先生に睨まれてたら思わず口から出た!」以上。
蝶々夫人の話はドキュメンタリー映画にもなっていました。10年位前に見ました。
映画になっていたのですね。晩年のお仕事ですね。映画をみたいものですね。貸しDVD屋にあるでしょうかね?
映画のタイトルは「プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生」です
@@user-uw4do5mk7c 有難うございます!!
映画を作成した会社の情報を2度送信したのですが、また消えています。ご覧になられてますか?
@@user-uw4do5mk7c 映画のタイトルは「プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生」は見えています。作成会社情報は見えてません。なぜでしょうか?
毎回楽しい動画をありがとうございます!マリオ・デル・モナコはブチ切れやすい人だったのでしょうか?
歌手は気が短いかと思います。まして世界のテノールに日本にわざわざ来てもらって、舞台でマントをふまれて、殴るぐらいはするのではないでしょうか? 舞台袖は結構大変です。歌手は高音の恐怖におびえながらの舞台ですので気が経っていることでしょう。
フィルハーモニー合唱団の指揮者だった故山口貴(1933~2020)は、私たち団員の前で『僕が好きな歌手は二人いる。中沢(桂)先生と岡村(喬生)先生』続けて『中沢先生は天才!岡村先生は努力の人!』と言いました。45年たった今も耳に残っています。
1978年の11月末フランク・マルタンのオラトリオ「ゴルゴタ」のオケ合わせの時、東京交響楽団の練習場の上のほうで見ていましたら、変拍子に苦労していたテノールの田口興輔さんに『こうやって歌えばいいんだよ』と指導?されていましたね。また、歌詞のフランス語はまさに「岡村フランス語」といっていい代物でしたが、もっともらしく聞こえるんですね。フランス語指導の芹沢?先生も妙に感心していました。モーツァルト「レクイエム」では独唱の場面で思い切り客席際まで出て行って歌い、後でマネジャーさんが山口貴にしきりに謝っていました。
ところでフィル唱も多くの歌手にソロ依頼をしました。男声ではOperaSingerさんが取り上げられた木村俊光、鈴木寛一、芳野靖夫、栗林義信、さらには丹羽勝海、池田直樹、高橋啓三、岸本力といった先生方ですが、その中でも一番の存在感でしたね。
私が東京から故郷に帰って四半世紀経った頃、隣町で「岡村喬生リサイタル」が開かれると聞き懐かしさいっぱいでエリック・ヴェルバがピアノの「冬の旅」のLPレコードをもって聴きに行きました。演奏が終わって、CD購入者のための岡村さんのサイン会にずうずうしくも乗り込み「先生にお世話になった東京のフィルハーモニー合唱団にいた者です」と言ってLPを差し出したところ『フィルハーモニー合唱団にいらしたんですか。懐かしいですね。あぁこのレコードも懐かしいなぁ‥ヴェルバ先生亡くなったんですよねぇ‥』と話し、快くジャケットにサインをしてくれました。
演奏会も、クラシックの歌を多くの人に紹介して啓発をするんだ。といった思いが詰まった内容で、昔感じていた脂ぎった雰囲気は消えており、一人の紳士がそこにいたように記憶しています。今日の話を聞いて、いい意味で声楽界のピラミッドから離れた立場で発信されていたことがよくわかりました。
彼の存在感におびえた教授たちがいたのですね。そして、改革のために晩年を生きた感じがしました。
その使命感は立派ですね。フィル唱は演奏会のある駅近くで勧誘ビラを配っていましたね。1970年代でした。
私も何回かもらいました。かなり前のことですね。
@@operasinger5370 あぁそうでしたか。私は同郷の友人から誘われ入団しましたが、彼自身は紀伊國屋書店新宿本店前で「女性団員」に勧誘されたそうですが‥勧誘がしつこすぎて通報され、交番に連れていかれた団員もいましたわ(笑)「僕はプロです」と言われ慌てて逃げた団員もいたそうですが、私は厚かましく「そんな上手な人ほど入ってほしいですね」と言って勧誘しましたがね。やっぱりプロやセミプロは入団してくれませんでした。もっともド素人のほうが色がついていないので都合がよかったのですね。毎日10人入る一方、同じように10人辞めていくような厳しい合唱団でした。
岡村喬生の発する圧力の件で思い出したことがあります。ある男性団員(学生)が岡村先生と話していた時『ところで君、どこの学生だ?』と聞いてきました。その男は日大生だったにもかかわらず、「わっ早稲田です」と思わず噓をついたのです。私たちが「なんでそんな馬鹿なことを言ったんだ」と言ったところ、「岡村先生に睨まれてたら思わず口から出た!」以上。
蝶々夫人の話はドキュメンタリー映画にもなっていました。10年位前に見ました。
映画になっていたのですね。晩年のお仕事ですね。映画をみたいものですね。貸しDVD屋にあるでしょうかね?
映画のタイトルは「プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生」です
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映画を作成した会社の情報を2度送信したのですが、また消えています。ご覧になられてますか?
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情報は見えてません。なぜでしょうか?
毎回楽しい動画をありがとうございます!マリオ・デル・モナコはブチ切れやすい人だったのでしょうか?
歌手は気が短いかと思います。まして世界のテノールに日本にわざわざ来てもらって、舞台でマントをふまれて、
殴るぐらいはするのではないでしょうか? 舞台袖は結構大変です。歌手は高音の恐怖におびえながらの舞台ですので
気が経っていることでしょう。