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マレー半島の電撃戦では活躍。英軍は橋を爆破しながら撤退していったそうだから、日本軍の工兵による架橋はしんどかったろう。戦車も渡るとなると木造ではギリギリ強度か。
空冷ディーゼルは74式まで続く伝統
評価が優しくて嬉しい。 うp主はワークホースや現場の兵に寛大な印象。
勝敗はともかく国力に応じた兵器は多方面に活躍出来るけど、国力を度外視した兵器はいくらカタログスペックがよくてロマンがあっても結局絵に描いた餅にしかならない。
確かにその通りですよね!日本にM4シャーマンに匹敵する戦車があったとしても、数量作れなくて運用出来ないし、太平洋戦線まで運べない…
思えばハ号やチハの後継戦車開発のグダグダ感を見るに当時の日本の国力ではハ号やチハにその先の未来は無かったんだろうな
日本軍はシャーマンに戦車戦はしない。野砲・対戦車砲・戦車砲・歩兵肉迫の総力戦だ
チハ改になってからはなんとかM4も撃破できるようになったよなぁ
@@north1587 基本戦車戦なんてしないけど主要な戦いではやってるよ?硫黄島とか滑走路周辺の争奪戦で日米戦車隊が時にはハルダウン敵が退いたら追撃しだだっ広い滑走路での戦車戦といった具合にやってます。それで驚くべきことに両軍とも戦車戦による損害が皆無だったことです。結局のところ戦車との殴り合いで大敗したのではなく後から来た歩兵の持っていたバズーカによって壊滅してますから日本戦車隊はバズーカに負けたんですよ…
10:36 雑魚だ紙だと言われるけど、こんな風に突進してたらやっぱり戦車らしさというか、鉄の塊的な威圧感を感じるなぁ
そもそも大陸のフニャフニャ路盤が想定された戦場だから走れなければ意味が無い。(そもそも15トンの97式でも沈むと現場からは文句たらたらの場所が主戦場)
戦車を軽視するわけではないけど航空隊の援護なしではどうにもならないから仕方ない日本軍はなんだかんだでできることとできないことを把握して戦ってと思う
アジアの地形の悪さ、日本の工業力の低さ、工兵装備の貧弱さ、これらを考慮したのがハ号とチハとなる
溶接に関してです。40年前の戦車雑誌のPANZERに掲載。昭和10年頃にフランスから帰った、溶接となんら関係の無い技官2人がフランスで見てきた溶接法を強制的に採用させた結果。溶接割れなどの不具合が多発したそうです。これは、鋼板の一辺を両端をA・b・中間をC点として。A・c・b・の順に点づけ溶接をしてたからAからc、cからbへとビード溶接をしたそうです。鋼板と鋼板の合わせにジグが必要がないので、一見、効率的ですが。溶接の不連続性の点から不具合の原因になったそうです。同時期、海軍でも第4艦隊事件の原因が溶接の問題とされてしまいましたが。(鋲ならもっと鋲の緩み抜けで被害が大きくなったと思います)技術に政治権力が介入した悪例ですね。鉄道省の勝鬨橋だったかは、不安な所は鋲にして十分な試験の結果で大丈夫な箇所だけ溶接にした結果。後にベルギーで発生した、完成後、一晩で崩壊とたようなことにはなりませんでした。また、鉄道省は、満州の機関車用にドイツから溶接用鋼材のST52を輸入してドイツ技師の指導をうけていたそうです。日本海軍でST52を国産化したのは、遣独使節帰還後です。この時期にこの3者3省が情報交換をしていたら日本の溶接の実用度は、高くなっていたでしよう。
陸軍戦車隊将兵の間で流行ったという戯れ歌(軍歌とかではないらしい)では、ハ号は『九五戦車はよい戦車。軽くて早くて強いこと』と歌われているそうです。因みにチハはというと『九七戦車の粋なこと。向こう鉢、伊達姿』とのこと。
ちょっと追記です。チハの歌詞にある『向こう鉢』、これは恐らく「向こう鉢巻(鉢巻の締め方の1つ)」の事で、要はチハ車の特徴的な鉢巻アンテナを指しています。多分ですが…。
チハ改「俺は?」
@@user-yu9fu5mx8z 『今度でるやつ流線型。何がでるやら、分からない』次の歌詞はこんな感じになっているようでして…。つまり歌われているのは、日本陸軍が初めて手にした『ソンムのいくさで大手柄。今じゃ宝で、倉の中』なマーク戦車から旧チハまでと思われ、それ以降の戦車は歌詞がない?という事に…。ただ、あくまで「戯れ歌」なので部隊によっては「自分達でつくった」可能性は大いにあるかと。
@@kk-7310 74式だったらいいのになぁ答えていただきありがとうございます
@@kk-7310 8連隊の歌みたいだな「またも負けたか8連隊、それでは勲章9連隊」
参考文献載っけてくれるのありがたいです。僕も買って読んでみます。
投稿お疲れ様です
国に見合った兵器をもち主力にした日本はある意味では機甲戦力において成功していたとも言えると思う
ただ欧州戦線の技術が恐竜的に進化しすぎたので日本は戦場が島嶼だった為、流行に遅れた
いつも思うんですが、もし仮にT-34とかパンターとか日本にあったとしても太平洋戦線では全く役に立ってないですよね…
@@user-mr8eq9zc3e 流行に遅れたというよりは、あらゆる面で技術の進歩についていけなかったのだと思います。
@@user-simikou 結局のところ第二次大戦初期が日本の技術の最高点であり欧米と対抗出来る限界だったんですよね中盤以降は引き離される一方
@@ahunano7957 日本技術の大半が米英仏独典(スウェーデン)の輸入品の改設計なので、輸入の断絶が限界の始まりでしょう。航空機用エンジンとか全部海外の改設計ですし。
1930年代って機銃しか積んでない戦車もいたしそれを考えると十二分に強い戦車だよね。
ほ、ほら相手の戦車も機銃で抜けるから…()
その頃とか戦車は陣地突破が仕事とかなんだし機銃でも問題なかったのでは
そもそも戦車の大砲が大口径化していったのって独ソ戦開始後だしな
@@user-us7tb1nd7u いや、大口径自体は西方作戦以前からあった。言うなら口径長の発展かと。
駄作と言われ続けた兵器に対しても、丹念に考察を重ねるうp主には敬意を表する。運用まで解説して頂き勉強になりました。ありがとうございます。
OspleyのM4 vs type95 Ha-Go(邦訳なし)で両車の対決についてまとめてありますな。記載があるのはタラワ・エニワク環礁・サイパン・テニアン・グアム・ペリュリューの6戦場。私の知る限りビアクとレイテなどなどでも対戦しているはずなのだがそれは置いておいて。上記6戦場の記録ではType95によって撃破と報告されたM4は無いのだがType95の砲撃で水没して全損したM4が合計6両あるとの記録が残ってる。戦車戦で水没?ってどういう事なのよと言うと上陸のため波間を進撃するM4の車体下部を狙い撃ちして穴をあける戦術を日本側は取っていたそうだ。命中弾で車軸のパッキングや下部装甲に穴が開くと、そこから波が入って浸水してしまいM4は無力化してしまう。エニワク環礁の海岸沿いに穴を掘ってダッキングしてM4を射撃したType95とType95に車体下部に穴をあけられて波打ち際で水没しているM4の写真がある。もちろん95式でM4に真正面から挑んで勝てるわけがないって日本の戦車兵も知っていたから、様々に戦術を研究して対抗策を探していたって話だね。
Even i didn’t understand what are they saying i still enjoy the video
95式軽戦車は第二次世界大戦の日本戦車の中で最も有名な戦車です。日本ではチハの方が有名ですが、海外では日本戦車の代表と見られております。海外映画でも日本戦車が登場する場合は必ずと言って良い程ハ号です。性能はおいておいてですが。
逆に国内で97式が主力と誤認されてるのが不思議新砲塔とかの影響なんかな?
@@2347394恐らくなのですが、1.対米英戦の序盤に遭遇したM3軽戦車に対して有効な戦闘車両の攻撃が47mm砲搭載のチハ改に徹甲弾射撃か既存装備のチハの57mm砲の榴弾の複数集中射撃が有効ということが判明したことにより自然に主力がチハに代わった。2.タミヤ模型での初めてのキット化(それ以前でも他社でキット化されている。)だと思われます。個人的にはスペックの問題がありますが、当時の日本の国力にマッチした一番の傑作戦車だったと思います。当時の資料を読んでて思うのが新型の速射砲開発や41式山砲用のタ弾をもう少し早く正式化出来てればなと時々思います。41式用のタ弾なんかは戦車を撃破した記録で読んだことがあるので、イワラジ会戦でM3中戦車を撃破したところですね。後は末期のルソン島で鹵獲された41式用のタ弾の写真を見たことがあるくらいです。ソ連の満州侵攻時BTは既存の兵器で撃破出来そうですがT34/85とかだとやはり41式のタ弾かなと想像しております。上記戦いで数百台撃破したとあるので日本軍の兵器で確実に撃破できそうなのが工兵の肉薄か重砲による射撃かタ弾しかないので。。。記録がないので分からないですが。。。。
チハはハ号の火力支援戦車なのだ。4号戦車は3号の火力支援戦車なのだ。どちらも主力戦車ではないのだ(結局、拡張性で主力になるのですが)工業力を傾けたはずのヒコーキも、基礎技術不足で動かせないエンジンと心中するし。九五式軽戦車は(整備員の努力も実って)マレーから蘭印まで走り抜ける信頼性を持っていた。とりあえず「在る。いてくれる」は大事ですね。ゼイタクを言えばキリが無いけど・・・
書類に存在するのと、現場にあるのでは全然違うからね。
ブローニング12.7mm機関銃ってかなりの貫徹力があるよな
もともと、.50BMG弾はWW1にドイツが投入したモーゼル13㎜対戦車銃(タンクゲヴェール)弾に対抗するために生まれた経緯がある弾薬やからなぁ🎵
元の設計は対戦車銃だから
ハ号が登場する映画で印象に残っているのはThe Pacificにて劇中にちょろっと出てきたやつです。いきなり主人公らの前へ現れ、バズーカでやられるまで戦っているシーンでした。最後まで歩兵と共に戦い、日本に見合った性能で活躍出来たのだからハ号は頑張り屋さんだと思いました。それと、イギリスに居る動くハ号はどうなってるのかなぁ…
あれ軽戦車でも生身の歩兵には大脅威って事が痛感できるから好きな場面です。
The Pacificの実物大撮影用ハ号は現在日本にあったはず(日本のNPO法人が所有)イギリスの動くハ号も所有権そのものは日本の同法人が取得済みで寄付を募って修理費と移送費用を捻出してたけど流行り病の影響で移送と展示場所確保がズルズル遅れてるって話だったような
@@sei-unさん、撮影に使われたハ号が日本にある事は某サバゲー動画で見たことがあったのですが、イギリスのハ号についてはその後の話を知らなかったので感謝です。里帰りも色々と大変ですね…
@@user-zx6us6uq2q それまでの経緯は昭和56年にポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)から帰還嵐山美術館→白浜ゼロパークに展示されていたが閉館平成17年に英国人に買い取られ10年かけて走行可能に復元されたとのことです動く個体といえばロシアにも稼働可能なハ号とチハ改がありましたね…
@@sei-unさん、嵐山美術館以外にも点々としていたのですね。それとロシアにも動くハ号が居たとは…自分の知っている動くハ号と言えばタイとイギリスの二両だけだったのでこれまた感謝です。
でもさぁ…ハ号って…かっこいいよなぁ…
バンコクのナショナルメモリアルパークに野外展示してあります。12㎜とは言え叩くとそれなりの重厚な鉄板なんですがねぇ・・・後部の腐食した隙間から中を見るとエンジンはありませんでした。かわりにコーラの空き缶が転がってたのが悲しかったです。まぁタイ軍が購入した車両でしょうから日本人が乗ってた訳じゃないでしょうが。
イタリアのセモヴェンテとかスウェーデンのStrv.42とか解説して欲しい…あとどうせならチリとか(((((セモヴェンテはつおい
ガルパンの大洗VSアンツィオ戦でアヒルチームが砲を支えれば走行中でも安定するとか言っててそうはならんやろって思ってたけどあれガチだったんか…
肩当付きの戦車砲は日本戦車の特権ですからね
むしろ日本は昔から(本当の意味で)走行間射撃を行ってた軍隊ですよ。まあ、要はあまり重い砲ではなかったこと、軽い戦車だったからっていうのが大きいですけども。とはいえ、走りながら撃って、そこそこの命中率だったので割と脅威ではあります。
私の大好きな戦車だーー
他と比べると貧弱ではあるが、現場にあって、使える兵器ではあった。
私ハ号たんが戦車で一番好きなので探してたら見つけました!!これで知名度もチハ並みに上がってもらいたい所です!!
援軍が来ない島嶼戦での死守命令はきついですね。ドイツみたいに、日本軍の駆逐戦車も見てみたかった。
砲戦車はそこそこ前線に出たから…(震え声)
駆逐戦車は一応開発はしてたんやがねぇ
あってもどうせ海に沈むか、本土決戦用に温存される。
ノモンハンに参加したソ連軍の戦車旅団は第6と第11戦車旅団です。第7は装甲車旅団です。
故障しにくく扱いやすいある程度の数はある、携行対戦車兵器普及前の戦車のない部隊には十分な能力、偉大なる凡作日本版シャーマンといった所ですね。
戦車戦が想定された戦場ても、偵察、連絡用に多様された
なお、軽量化に成功した上に、速度、装甲、主砲の威力、全ての面で95式を上回る98式は、大して評価もされずにろくに生産されなかった模様……。
戦後は雪上車として雪から日本を守っている
紙装甲がWOTでちゃんと再現されてて命中=貫通、、、
乗員の方が丈夫
森や林で隠れて奇襲をかけるとなるとこの短い砲身が木に当たらなくて良かったとの評価もあったようだ。
市街地戦でも活躍しそうだなそれなら
「戦車は(弱くても)存在するだけで脅威になる」を体現したようなお話でしたね。戦車相手にしたら勝てない戦車のお話なのに対戦車歩兵装備にやられる逸話も普通に多くてショボーンwでもそれを聞いていたら、逆に日本の対戦車歩兵装備についての解説を聞いてみたくなりました。
あれ、pacificとか見てるといい描写されてるよ歩兵にしたら脅威だけど、確か迫撃砲で撃破されてたはず
@@user-ws2dj5um8c M4にやられたんやで?
現代でも第1世代どころかT-34やシャーマンでも相手が満足な装甲戦力を持たない軽歩兵部隊なら脅威足り得る存在だもんね
まぁそもそも”対戦車火器”なんですからそりゃ戦車はやられますよ米軍のM4だって参戦国のなかでは比較的貧弱だった日本の対戦車火器(主に速射砲)に撃破された例がかなりありますし
@@user-hg1mv6pe8v そのM4は中戦車だし、その随伴歩兵を脅かすのならいい車両だよ
日本軍では戦車撃破は速射砲の仕事だからな
リベットは装甲で防御できても、千切れた破片で乗員死亡するけど、こんだけペラペラならどっちでもいいか的な、
一応、五式軽戦車までハ号の後継車種は作られてはいるんだが、いかんせん後継車種を生産ラインの遡上にのせられなかったのが日本の限界なんだよなぁ。せめてドイツの一号対戦車自走砲みたく派生型あれば少しはマシだったと思う。(対戦車型だけでなく弾薬補給車とか広い意味で)
一応、一式砲戦車という有力な自走砲はあったんですけど、これも生産力の関係か75mm砲型の生産数は100両にも満たなかったらしいですからねぇ実際に投入されたフィリピン戦では相応の活躍をしてただけに勿体なかったと思います
ホトとかホルがもう少し早い段階で開発されていたら少しはマシになったのかな?
やっぱりチハのお話も聞きたいなぁ
漫画のらくろに似合う戦車だなと。航空機と密接に連携できればまた変わった評価になると思いますが、無線機がなぁ。マルダーみたいにとりあえず大口径砲を乗っけてみるとか、大型迫撃砲の台車にするとか無理だったんですかねぇ
一応色々やってるんですけど、小さいぶん操砲にも苦労することと、素の状態でもサスペンションがギリギリだったので……
@@user-yv4og2mu3i ご教授、ありがとうございます。必要十分のサスペンションだったのですね。正しい兼ね合いとは思うのですが、どこかで聴いた話がここでもという印象です。想定していない戦闘でメロメロになってしまうのは残念です。
あとは結局改造元としても「チハでいいじゃん」となるわけです(許容t数的にも)
知波単学園の福ちゃんの搭乗車輌で あります❗最終章第二話~第三話の活躍ぶりは見事だった。おかげで我が涙腺防衛線は敢えなく崩壊しました!
ロシアのクビンカ戦車博物館に行くと、ミリヲタでもあまりわからないような日本軍の軽戦車、装甲車が多数展示されております。他の列強(イタリア除く)の戦車は装甲板を叩くと厚いのでペタペタという感じだが日本とイタリアの戦車はボヨンボヨンと振動してあーっ、これはトタン板かいな?と思った。
対戦車火器が無い歩兵からしたら九五式だってかなりの脅威ですよね歩兵も戦車を撃破できるようになるバズーカは偉大だな
朝 目も覚ましてくれますしね
四式十五糎自走砲の解説とかやって欲しい
映像で見ると早いな
陸軍管轄のシナ戦線じゃ蒋介石軍は戦車はおろか、対戦車砲もまずもってないので、軽いのが何より貧弱なインフラの戦場では重要
一応虎の子のT-26の部隊があった気がする
@@user-pk2ty7yq6k 装甲が30mmない戦車は歩兵が何とかしちゃうのが日本軍
@@00kumakuma 装甲が50mm近い戦車でもほぼ工兵で対処してるんで…
国民党軍は、ドイツの顧問団が入り、基本ドイツ式で装備され、イギリス製も含め、優秀な兵器の購入やコピー品の導入を促進しました。ZB26軽機関銃が「チェッコ機銃」と呼ばれ、軽機ながら日本軍の重機をも圧倒したのは、有名な話。鹵獲した日本軍で準制式とされ、最良の機関銃となり、このために7.92ミリモーゼル弾まで国内生産されました。小銃も同じ弾薬だったから、三八式装備の日本の歩兵中隊は射程などで劣り、撃ち負けることもしばしばでした。対戦車砲も、ドイツ製37mmやソ連製45mmが相当数配備され、これらも多数鹵獲した日本軍が準制式としています。特にソ連45mmは、ドイツの37mmの拡大版で(独ソが協力関係にあった時期に正式にライセンスを購入)、日本の47mmにはるか勝る能力がありました。
小銃で貫通されるなんて戦車じゃない!こいつは欠陥品だ!なんて言って旧軍の戦車を批判する人がいるけど、正直「ぼくのかんがえたせんしゃ」の定義なんてどうでもいい。たとえハ号やカミ車みたいにペラペラだろうが、運用国の国力に合ってるかどうかで戦車は評価されるべきだと思う。
なお、戦争計画は明らかに国力以上の模様。
おかえりハ号
中国で使う予定の戦車だったからしゃーない帝国陸軍の戦車ドクトリンは突破じゃなくて、浸透と歩兵随伴だから対戦車として評価するのこと自体間違ってる気がする
t-34やらis-3も中国で使われたけどあれは大陸で繋がってるから行けただけで船で運ぶのを考えるとt-26かBt-7ぐらいが限界かな?
@@user-ne2tu2uo3u これをM26パーシングでやろうとしてたアメリカさん…
ネタバレ注意アヒル作戦です!旧陸軍称(U.N. 扱い)九五式軽(Tankette)九七式中(Light Tank)
ハ号がどうこうよりも、後継を実戦に用意できなかったのがなあ...日本軍はこういうの多いイメージ。日中戦争までに育てた国力がそれまでだったってことなのかな
分相応て事か・・・当時の日本の国力を考えるとこれが限界か。
でも好きなンすわ。この戦車が
かわいいは正義。
ありきたりな評価ですが、当時の日本の国力としては妥当というか、頑張ったと思いますね。
欧米の戦車は戦車で戦車を討つことを想定してるけど、帝国陸軍は戦車は歩兵支援、対戦車は砲兵に任せればいいみたいな感じだと思う()
同盟国ドイツの戦車とは比較にならない軽さだよな~
T―34となんてかち合ってたら絶望的すぎる😱
比べる世代がなぁ…。
奇襲しても勝てないよな…てかT-70やらT-80でも勝てん
@@user-ek8ii9xg6g だよなぁ20mmでも簡単に撃ち抜かれるからな。
@@shadowfree7916 7.92mmマウザーにも抜かれるらしいからMG42もっと兵士に待ち伏せられたら死ぬ
@@user-ek8ii9xg6g 防御力絶望的だな。動画でもあったようにもっと装甲を強化しろという意見があるほどにな。
すっげえ新型が何種類も出たとこでどうせ勝てんからこれが当時の限界
10:47のところを修正を。フィリピン防衛戦でチヘが参戦した記録はなく、チヘではなく、チハ改のほうですよ
何に使うかでしょうね。機械化歩兵の装備としてみれば侮れない。
戦車ってより、BTW的な装甲車でみればね。そもそもアジアでは歩兵が殆どだし。
フィリピンの一式戦車は誤報では?
今、こうやって日本陸軍の戦車の動画を見ていると、決してしょぼい戦車を作っていたのではなく、それが当時の日本の工業力の限界でやむ得なく低性能になってしまったそれを現場の知恵と犠牲でなんとか運用していたとは驚きました、これからは日本陸軍戦車は弱かったとバカにするのは止めようと思う
このコメ欄にも日本軍信者に配慮云々言ってるやつがいるけど、なんなんですかね…
@@radicalman9062 まぁ、過去の日本兵器の動画を見るとちらほらその手のコメントもあるから、なんとも言えない。
@@radicalman9062 様帝国陸海軍の動画を見ている人を(日本軍信者)と思っているのだろうか? 確かに 信者に配慮なんて自分にも理解不能です(笑)だいたいここのチャンネルなんて結構辛口だと思うが 時代背景などを入れて総合的に評価するところが自分は気に行っています
まぁ、現地改造もしてたりするしな追加装甲くっ付けたり
日本戦車が弱いのは事実だから非難しようがないだろう。ただ、当時の日本の限界点であることは念頭に入れておくべきだろうね。そもそも、海軍や航空機に予算や資源取られるから発展がただでさえ困難なのにより困難になった。
やっぱり「戦車」としての役には立っていたんだなと。歩兵の手持ちの小銃、軽機くらいでは倒せず、37ミリと機銃を打ち込んでくる移動火点は脅威だったに違いない。ただ、自分が持ってるなら相手も持ってるよな…攻勢中に出てきたらどう倒そうか?という対策が足りなかった/できなかったのも事実かな。
後は我が軍にも戦車が有るぞ!というモチベーション維持に貢献ですね。
日本に必要だったのはパンツァーファウストやバズーカみたいな装備だったということ。
一応あったよ。成形爆薬で分厚い鉄板も貫通できた。ただし、その成形爆薬を飛ばす方法が甚だ不十分のままで、棒の先につけて歩兵が敵戦車に接近して刺突する方式だった模様。本人は助からなかったんじゃないかな。
潜水艦にパンツァーファウストを積んで輸入したらよかった
8:05 体当たりって日本軍もやってたのかちょっと意外
欧米とは兵站やら技術力やらで差が着きまくってるな…
逆にドイツ、イタリア、ソ連は日本と比較すると海軍全然ダメでしたし、そう考えるとお国柄にあった兵器が大事と言うことかと…
@@Mrpajero21 そもそも日本は貧乏国家でしたし、しょうがない部分もあるかもですねえ…
@@Mrpajero21 両方できる大正義アメリカは偉大なんだなって…
@@user-konroso ほんそれ…
@@Mrpajero21 ソ連はわかるけど、ドイツやイタリアはそこまでダメダメではないと思うけどな。特にドイツは潜水艦においては戦果も運用も技術力も良いだろう。そもそも、隣に英国海軍がいて、尚且つ陸軍大国との戦いがあるなかでは妥当な戦力だと思うよ。
大戦略っていうゲームで95式軽戦車でパンター戦車やティーガーに挑んだら、瞬殺された
35t幅・高3mの五式を東京圏で運用できるのか?と考えて、当時の国道規格が見つかった。「1939 鋼道路橋設計示方書案(内務省) 1等橋 13t」多摩川・荒川・江戸川などの橋は耐えられたのだろうか?隅田川の勝どき橋は耐えたとは思う。鉄道では運べない幅。7tの95なら、これらの川も難なく渡れたろうし、鉄道搬送も可能。道路網すら、重戦車!など運用できる国ではなかったのだろう。'40年ころ、東海道を2tトラックが来るというので見に行ったという昔の実話を伝え聞いている。
歩兵直協用戦車やからなぁ...
いつも日本や枢軸側に対して辛口の主さんが今回は中辛なので少しびっくりしましたwだけど今回の動画に関してはごもっともだと思います。確かに世界の国々の戦車に対しては貧弱であったのは間違いありません。でも、戦車の性能以上に貧弱だった日本の工業力を鑑みれば日本が最も必要した戦車だったのかもしれません。今回の動画もよい勉強になりました。ちなみに主さんが僕のコメを読んでくれるかは分かりませんが貴方の動画は全部観ました。やはり、国力的に負けてるのに背伸びして戦ってた枢軸に対し辛口で、開戦後、持ち前の圧倒的力で戦った連合国の兵器を賞賛する形は変わらないのかと思いましたが、それでもよい勉強にはなったのでよかったです!それと、電撃戦の次回作楽しみにしてます!☺️
やりくりして奮闘するのが評価されるという反面、やりくりする様な状況に問題があるということも視覚化される。
95式は戦車というよりボトムズでいうATみたいな感じやのう。
強くて重い戦車作っても南方戦線では役に立たないと新設計の車両を開発して貧弱な生産ラインを圧迫しなかったという素晴らしい実績がある
ルノー好きなんですが、あれで間に合ったんじゃないでしょうか?同じ運用なら。なまじ開発するより。価格は半値くらいと見積もりますが。マッカーサーが、セントラルパークでルノー使ってデモ鎮圧する記録がありますね。
ルノーFT運用してるんですよ日本初期の戦車部隊で。それで足回り(何かの演習か実地試験だったかで大量に擱座した)や信頼性に不満があったもんですから八九式開発を行ってるんですよ。それで足が遅い八九式を代替する形で開発したのがハ号なので八九式とどっこいどっこいなルノーFTの巡航速度ではトラックに随伴できないので…単純な戦闘力だと正直大差無いんですがハ号のほうが戦略機動的に有利で戦場では機動出来ない軍は居ないのと変わらないってのもあります。なので日本陸軍的には当時輸入できた戦車で全部試して研究した成果がハ号なんですよ。素人が考えるような事は大体考えられていますよ。そしてその結果がアレなわけです。
ノモンハンでソ連軍の戦車を大量に破壊したけど殆どが37ミリ対戦車砲によるものだったらしいしな
ハ号も30両ほどのBT戦車や装甲車を撃破してるらしいですソ連戦車も装甲が薄かったので500mくらいなら貫通でたとか
95式は「日本の戦車」って感じで好きです。開発時期は、ドイツの2号戦車と同じくらいのはず。だとすれば遅れていたとは言えないと思います。陸軍が航空機優先(だれだ、陸軍が精神主義とか言ったのは。制空権の何たるかを知っているのはわが帝国陸軍である。なんてね。)で予算を配分した結果、後継戦車の開発が遅延、あるいは放棄されたにすぎません。それというのも、海軍が予算を取りすぎ、無用の長物大和、武蔵などつくり挙句の果て温存して最後は撃沈させるために出撃させるという、これでも海軍が開明的とか言われる。なんでやねん。日本の戦車兵は優秀だったと言われていますし、無線も優秀だったと昔書籍にありました再評価してほしいです。
戦車が戦車を撃破できないとただただ大きな的に成り果てるだけだから無視できないルールなんですけどねえ・・・
じゃあ対戦車能力が高いからと言って対歩兵能力、塹壕への攻撃力が高いかと言えば別にそれほど高いとは言えないですけどね…ドイツのパンターみたいなのがあってもハ号以下の活躍しか出来ませんよ。そもそも戦場で戦車に戦車をぶつける必要は無いので素直に航空支援なり速射砲に任せれば良いんですよ。ま、それが出来なかったから負けたんですけどね。
@@user-hg1mv6pe8v 航空支援はともかく速射砲や野砲による対応は日本でも当たり前にやっていたと思うんですが
@@berunharuto ええ、出来る時にはしていましたとも。航空支援も余裕があればやっていました。実際に緒戦のマレーやフィリピンではM3相手にやってますが、連合軍の反攻が始まるころには絶対数が不足し砲弾の備蓄もないので結果としては出来てはいません。それでも火砲の集中が出来ていた戦線ではよく戦えてますから十分な数がそろっていればもっとよく戦えたでしょうね。
チリ紹介お願いします
昨今ではいろいろ問題視される司馬遼太郎先生ですけど「大陸で馬賊を追い掛け回すにはピッタリ」「欧米スペックの7掛けで精神的満足を得る」「自分の台所事情の貧弱さ覆い隠すために他人の悪口を盛んに言い立てるオンナの腐ったような陸軍」学徒動員で戦車車長となった司馬先生はそれくらい陸軍に恨み骨髄です。
恨み多すぎてかそれとも教養がないからなのか三式中戦車のRHA装甲を鑢掛けして軟鉄や!とか吹聴して無駄に日本戦車を貶めた戦犯なので全く同情の余地はないと思います…資料くらいまともに精査出来ない時点で物書きとしては終わってる。日本戦車に限らず例えば坂の上の雲等で乃木大将の名誉を毀損するような大馬鹿ですのでこの人風に言えば「自分の貧弱なボキャブラリーを覆い隠すために自分の古巣の陸軍を無駄に卑しめることで文化人アピールする人間の腐ったような畜生」こんな犬畜生にも悖る人間が学徒動員で連れられたなんて言われてもね。だから何なんだろうか?それが免罪符になるとでも?この人のよくわからん釈定規で勝手に無能扱いして名誉を賤しめて「ノンフィクション」として出版した罪は重いですよ。
ハ号は名戦車だと思うのですが、帝国陸軍は昭和20年まで、新型の軽戦車を作り続けるのが謎です。問題があるのなら、ハ号を改良すればいいのに。
日本の兵器全般に言えることだけど良く言えば小型軽量、悪く言えば切り詰めた設計のせいで拡張性が無いというのがあります。動画内でも言われているように豆戦車あつかいされるほど小さい車体と低出力なエンジンじゃ重量増加につながるような改良は無理。
試製三式・三式は九五式の改良型だし、五式軽は九八式の改良型なのでは?
10:35チヘって実戦投入されてたの?
されてなかったはず
ハ号をシャーマンはもちろんバズーカで撃つなんて虐待なんだよなぁ
兵器は研究して取り入れるが戦術は研究しても取り入れられない組織体質ついでに烏滸がましい注文ですが、各回の参考文献をテキストとして概要欄かコメントに残してほしいです。とくにURLは写すのが大変。
第一次大戦研究してたら総力戦の恐ろしさとか戦争を質的に変えてしまうアメリカの戦力とかわかりそうなもんだがなあ。
チハたんは頑張った(´;ω;`)
無理に戦車を作るよりも、牽引車やブルドーザーを量産したほうが良かったですね。人力移動の出来ない大口径砲や物資の迅速な移動。飛行場や陣地の構築に大活躍してくれたはずです。
ハワイのホノルル陸軍博物館を訪れた際、95式軽戦車が米陸軍のM24軽戦車と並んで展示されていたのを覚えている。共に軽戦車と分類されているにも拘らず、M24軽戦車の重量は21トンで75ミリ砲を搭載されているのに対し、95式軽戦車は7トンしかなくブルドーザーを改良したものにしか見えなかった。もし両者が戦場で出会ったら結果がどうなっていたかは簡単に想像できた。改めて当時の日米両国の工業技術力の差を痛感した。
ハ号は無理だが、日本の戦車がガソリン・エンジンに換装してたらと思うな。M4シャーマンと同じ400馬力の練習機用のガソリン・エンジンあったよ。
軽戦車だからね。歩兵支援としての役割は十分だよ。本土決戦用のチヌが活躍することはなかったね。
列強最貧国の大日本帝国陸軍にとっては最良の戦車だと思う。昭和40年代でも田舎の道はアスファルト舗装なんかされていなかったし、道路インフラも列島改造論まで高速道路以外は地方はひどいもんだった。ましてや戦前の貧国大日本帝国の道路インフラをや。
砲戦車の方が良さそう
故 司馬遼太郎氏があまりにもこき下ろしたがために現在に至るまでチハと共に日本戦車弱いのイメージを植え付けた戦車。しかしマレー電撃戦などに見れるように正しい運用さえされれば日本戦車は開発時の世界水準レベルに達して居た。この評価ができるのは日本ではミリオタくらいか。
ミリオタでも結構厳しいと思う。
日本にいるミリオタも西洋かぶればかりなので正当な評価が日本人から出されることは未来永劫無いと思います。
@@user-hg1mv6pe8v そうか?寧ろ日本兵器を過剰に評価してると思うけどなぁ…。
ハピ果たしてそうなのかな?寧ろ不当に評価を下げられている兵器ばかりだと感じますが。一式47mm機動砲や四一式山砲こういった火砲もスペック上ではシャーマンやT-34を正面からでは撃破出来ないとする評価が多いが実際には撃破していることもあるのに絶対に出来ないと批判する軍オタもいましたね。丁度今の貴方のように過剰に評価されているって感じでね。こういう人の声が大きいのが日本の現状です。
ハ号こそ帝国陸軍の主力戦車なんだよね本当は。数の上では九四式軽装車TKが主力に見えちゃうんだけど。。。笑
M3軽戦車が「路上の怪物」とか冗談であってほしい話だわ・・・
実際M3は防楯部で約50mm、車体前面でも38mmなので軽戦車にしてはかなり装甲を持ってる方ですよ同じ頃に生産されていたドイツの三号戦車が50mmくらいなので単純な装甲厚だけなら当時の中戦車並でしたハ号の生産開始はM3より5年も前なので、そりゃ「怪物」にもなりますよ
日本軍ってタンクデサントするんだ
なぜかソ連の十八番みたいに語られてるけど、別にタンクデサントは世界中の軍隊で普通に行われてたから
戦車云々というより日本軍が近代戦に適応する力がなかった、その力を有するための国力がなかったということなのでしょうか?戦車を持たない敵には勝てた とはいうものの、戦車を持たない敵は幻であり実際の敵は戦車を持っていたわけですものね。
世界には携行対戦車兵器がいろいろありますが、日本軍がこれらの兵器を使ったという話は聞いた事がありません、専ら肉薄攻撃のイメージです。そういった兵器の発想が無かったのか技術的に難しかったのか…いずれにせよHeinkel氏による日本軍の対戦車兵器、戦法についてなどの解説を観てみたいです。
一応バズーカはありましたよ。試製四式七糎噴進砲が。月産1000丁ペースで末期に生産していたようです。まぁ基本は一式47ミリ機動砲だったみたいですけど…
@沖ノ崎直衛 速射砲でも100mかそこらの近距離なら抜けるんすよ。実際沖縄やルソンとかでは昼飯の角度に近い状態での貫通痕がある写真もあり正面から抜かれる事は珍しくはなかったようです。後は山砲兵のタ弾もあったので、太平洋戦線全体で見るとうろ覚えですがM4とその他機甲戦力凡そ700輌が全損でした。米軍機甲戦力及び自走砲の投入車両が2千を超えない太平洋戦線でこの損害なので日本軍はかなり健闘したと思いますが…
@沖ノ崎直衛 沖縄戦では対日戦にあまり参加していなかった陸軍戦車隊が大損害を受けてますね。損失内訳は陸軍200輌に対して海兵隊は対策を取っていたことも手伝ってか確か70輌くらいでした。これらからも分かる通りですが、戦車単独での損害が多く特に嘉数高地では投入車両の半数が死角から肉薄した日本兵による梱包爆弾や機雷で撃破されており巷で言われるよりも歩戦分離を上手くやっており擬装陣地を巧みに利用して戦果を挙げています。沖縄では山ほど埋積していた物資弾薬のお陰か砲兵及び機関銃の集中射によって随伴歩兵を蹴散らされやすかったのも大損害の理由ですかね。他にも砲兵と日本軍戦車中隊の共同ではありますがM4を数輌撃破しています。
@沖ノ崎直衛 仰る通りで最近でもシリア内戦でトルコ軍のレオパルドが単独で前進したせいで十数輌もの戦車がスクラップになってますね。シリア政府軍でもAPCとT-72混成部隊が歩兵の支援も無しに突入した結果四方八方から砲撃やATMの集中砲火を浴びて撃退される事例がシリア内戦初期では多発していましたが随伴歩兵を伴った機槍戦術なる戦法によって現状は殆ど損害無く戦闘出来てますから歩兵の制圧力というのも馬鹿には出来ません。現代では各兵科で密接に連携が取れなければより大きな損害に繋がるため随伴歩兵や砲兵等の諸兵科連合が基本になってます。チェチェンでロシアが失敗したのはこれまで積み上げてきた戦訓やドクトリンが長い冷戦期間中に喪失したためとも言われてますね。嘗ては陸軍最強国家とも言われたロシアも冷戦崩壊時に戦法から熟練の兵員に至るまで全て失いましたからねえ…今じゃ見る影もありません。
これならオープントップで大口径砲積んだ方がましにすら思える。日本軍の現地改修車両を知らないのだけどなかったのかな?
このチャンネルで旧軍を高評価した動画を出したら、いつもは嬉々として旧軍を批判する人が、コメント覧からさっぱりといなくなるのは草
たしかに少ないけどいると思うが?てか、旧軍を”嬉々”として批判ってそもそも旧軍に問題があったのは事実でしょうよ。単純に他の日本軍関係の動画で口にするとそう叩きにあうからこのチャンネルに集ってると思うが。
イタリアの豆戦車がネタにされて日本軍の戦車は?ってあるけどなんちゃってミリタリー系のサイトとかじゃ・・・適当な知識を元にディスられてばかりだけど(´・ω・`)正しくも無い知識を前提に、戦前の日本ディスって自己満足する輩の多いんだよな~
マレー半島の電撃戦では活躍。英軍は橋を爆破しながら撤退していったそうだから、日本軍の工兵による架橋はしんどかったろう。戦車も渡るとなると木造ではギリギリ強度か。
空冷ディーゼルは74式まで続く伝統
評価が優しくて嬉しい。 うp主はワークホースや現場の兵に寛大な印象。
勝敗はともかく国力に応じた兵器は多方面に活躍出来るけど、国力を度外視した兵器はいくらカタログスペックがよくてロマンがあっても結局絵に描いた餅にしかならない。
確かにその通りですよね!日本にM4シャーマンに匹敵する戦車があったとしても、数量作れなくて運用出来ないし、太平洋戦線まで運べない…
思えばハ号やチハの後継戦車開発のグダグダ感を見るに当時の日本の国力ではハ号やチハにその先の未来は無かったんだろうな
日本軍はシャーマンに戦車戦はしない。野砲・対戦車砲・戦車砲・歩兵肉迫の総力戦だ
チハ改になってからはなんとかM4も撃破できるようになったよなぁ
@@north1587
基本戦車戦なんてしないけど
主要な戦いではやってるよ?
硫黄島とか滑走路周辺の争奪戦で
日米戦車隊が時にはハルダウン
敵が退いたら追撃しだだっ広い
滑走路での戦車戦といった
具合にやってます。
それで驚くべきことに
両軍とも戦車戦による損害が皆無
だったことです。結局のところ
戦車との殴り合いで大敗したのではなく
後から来た歩兵の持っていた
バズーカによって壊滅してますから
日本戦車隊はバズーカに負けたんですよ…
10:36
雑魚だ紙だと言われるけど、こんな風に突進してたらやっぱり戦車らしさというか、鉄の塊的な威圧感を感じるなぁ
そもそも大陸のフニャフニャ路盤が想定された戦場だから走れなければ意味が無い。
(そもそも15トンの97式でも沈むと現場からは文句たらたらの場所が主戦場)
戦車を軽視するわけではないけど航空隊の援護なしではどうにもならないから仕方ない
日本軍はなんだかんだでできることとできないことを把握して戦ってと思う
アジアの地形の悪さ、日本の工業力の低さ、工兵装備の貧弱さ、これらを考慮したのがハ号とチハとなる
溶接に関してです。40年前の戦車雑誌のPANZERに掲載。昭和10年頃にフランスから帰った、溶接となんら関係の無い技官2人がフランスで見てきた溶接法を強制的に採用させた結果。溶接割れなどの不具合が多発したそうです。これは、鋼板の一辺を両端をA・b・中間をC点として。A・c・b・の順に点づけ溶接をしてたからAからc、cからbへとビード溶接をしたそうです。鋼板と鋼板の合わせにジグが必要がないので、一見、効率的ですが。溶接の不連続性の点から不具合の原因になったそうです。同時期、海軍でも第4艦隊事件の原因が溶接の問題とされてしまいましたが。(鋲ならもっと鋲の緩み抜けで被害が大きくなったと思います)技術に政治権力が介入した悪例ですね。鉄道省の勝鬨橋だったかは、不安な所は鋲にして十分な試験の結果で大丈夫な箇所だけ溶接にした結果。後にベルギーで発生した、完成後、一晩で崩壊とたようなことにはなりませんでした。また、鉄道省は、満州の機関車用にドイツから溶接用鋼材のST52を輸入してドイツ技師の指導をうけていたそうです。日本海軍でST52を国産化したのは、遣独使節帰還後です。この時期にこの3者3省が情報交換をしていたら日本の溶接の実用度は、高くなっていたでしよう。
陸軍戦車隊将兵の間で流行ったという戯れ歌(軍歌とかではないらしい)では、ハ号は『九五戦車はよい戦車。軽くて早くて強いこと』と歌われているそうです。
因みにチハはというと『九七戦車の粋なこと。向こう鉢、伊達姿』とのこと。
ちょっと追記です。チハの歌詞にある『向こう鉢』、これは恐らく「向こう鉢巻(鉢巻の締め方の1つ)」の事で、要はチハ車の特徴的な鉢巻アンテナを指しています。多分ですが…。
チハ改「俺は?」
@@user-yu9fu5mx8z
『今度でるやつ流線型。何がでるやら、分からない』
次の歌詞はこんな感じになっているようでして…。
つまり歌われているのは、日本陸軍が初めて手にした『ソンムのいくさで大手柄。今じゃ宝で、倉の中』なマーク戦車から旧チハまでと思われ、それ以降の戦車は歌詞がない?という事に…。
ただ、あくまで「戯れ歌」なので部隊によっては「自分達でつくった」可能性は大いにあるかと。
@@kk-7310 74式だったらいいのになぁ
答えていただきありがとうございます
@@kk-7310 8連隊の歌みたいだな
「またも負けたか8連隊、それでは勲章9連隊」
参考文献載っけてくれるのありがたいです。
僕も買って読んでみます。
投稿お疲れ様です
国に見合った兵器をもち主力にした日本はある意味では機甲戦力において成功していたとも言えると思う
ただ欧州戦線の技術が恐竜的に進化しすぎたので
日本は戦場が島嶼だった為、流行に遅れた
いつも思うんですが、もし仮にT-34とかパンターとか日本にあったとしても太平洋戦線では全く役に立ってないですよね…
@@user-mr8eq9zc3e 流行に遅れたというよりは、あらゆる面で技術の進歩についていけなかったのだと思います。
@@user-simikou
結局のところ第二次大戦初期が日本の技術の最高点であり欧米と対抗出来る限界だったんですよね
中盤以降は引き離される一方
@@ahunano7957
日本技術の大半が米英仏独典(スウェーデン)の輸入品の改設計なので、
輸入の断絶が限界の始まりでしょう。
航空機用エンジンとか全部海外の改設計ですし。
1930年代って機銃しか積んでない戦車もいたしそれを考えると十二分に強い戦車だよね。
ほ、ほら相手の戦車も機銃で抜けるから…()
その頃とか戦車は陣地突破が仕事とかなんだし機銃でも問題なかったのでは
そもそも戦車の大砲が大口径化していったのって独ソ戦開始後だしな
@@user-us7tb1nd7u いや、大口径自体は西方作戦以前からあった。言うなら口径長の発展かと。
駄作と言われ続けた兵器に対しても、丹念に考察を重ねるうp主には敬意を表する。運用まで解説して頂き勉強になりました。
ありがとうございます。
OspleyのM4 vs type95 Ha-Go(邦訳なし)で両車の対決についてまとめてありますな。記載があるのはタラワ・エニワク環礁・サイパン・テニアン・グアム・ペリュリューの6戦場。私の知る限りビアクとレイテなどなどでも対戦しているはずなのだがそれは置いておいて。
上記6戦場の記録ではType95によって撃破と報告されたM4は無いのだがType95の砲撃で水没して全損したM4が合計6両あるとの記録が残ってる。戦車戦で水没?ってどういう事なのよと言うと上陸のため波間を進撃するM4の車体下部を狙い撃ちして穴をあける戦術を日本側は取っていたそうだ。命中弾で車軸のパッキングや下部装甲に穴が開くと、そこから波が入って浸水してしまいM4は無力化してしまう。
エニワク環礁の海岸沿いに穴を掘ってダッキングしてM4を射撃したType95とType95に車体下部に穴をあけられて波打ち際で水没しているM4の写真がある。
もちろん95式でM4に真正面から挑んで勝てるわけがないって日本の戦車兵も知っていたから、様々に戦術を研究して対抗策を探していたって話だね。
Even i didn’t understand what are they saying i still enjoy the video
95式軽戦車は第二次世界大戦の日本戦車の中で最も有名な戦車です。
日本ではチハの方が有名ですが、海外では日本戦車の代表と見られております。
海外映画でも日本戦車が登場する場合は必ずと言って良い程ハ号です。
性能はおいておいてですが。
逆に国内で97式が主力と誤認されてるのが不思議
新砲塔とかの影響なんかな?
@@2347394恐らくなのですが、
1.対米英戦の序盤に遭遇したM3軽戦車に対して有効な戦闘車両の攻撃が47mm砲搭載のチハ改に徹甲弾射撃か既存装備のチハの57mm砲の榴弾の複数集中射撃が有効ということが判明したことにより自然に主力がチハに代わった。
2.タミヤ模型での初めてのキット化(それ以前でも他社でキット化されている。)だと思われます。
個人的にはスペックの問題がありますが、当時の日本の国力にマッチした一番の傑作戦車だったと思います。
当時の資料を読んでて思うのが新型の速射砲開発や41式山砲用のタ弾をもう少し早く正式化出来てればなと時々思います。
41式用のタ弾なんかは戦車を撃破した記録で読んだことがあるので、イワラジ会戦でM3中戦車を撃破したところですね。
後は末期のルソン島で鹵獲された41式用のタ弾の写真を見たことがあるくらいです。
ソ連の満州侵攻時BTは既存の兵器で撃破出来そうですがT34/85とかだとやはり41式のタ弾かなと想像しております。
上記戦いで数百台撃破したとあるので日本軍の兵器で確実に撃破できそうなのが工兵の肉薄か重砲による射撃かタ弾しかないので。。。
記録がないので分からないですが。。。。
チハはハ号の火力支援戦車なのだ。
4号戦車は3号の火力支援戦車なのだ。
どちらも主力戦車ではないのだ(結局、拡張性で主力になるのですが)
工業力を傾けたはずのヒコーキも、基礎技術不足で動かせないエンジンと心中するし。
九五式軽戦車は(整備員の努力も実って)マレーから蘭印まで走り抜ける信頼性を持っていた。
とりあえず「在る。いてくれる」は大事ですね。ゼイタクを言えばキリが無いけど・・・
書類に存在するのと、現場にあるのでは全然違うからね。
ブローニング12.7mm機関銃ってかなりの貫徹力があるよな
もともと、.50BMG弾はWW1にドイツが投入したモーゼル13㎜対戦車銃(タンクゲヴェール)弾に対抗するために生まれた経緯がある弾薬やからなぁ🎵
元の設計は対戦車銃だから
ハ号が登場する映画で印象に残っているのはThe Pacificにて劇中にちょろっと出てきたやつです。いきなり主人公らの前へ現れ、バズーカでやられるまで戦っているシーンでした。最後まで歩兵と共に戦い、日本に見合った性能で活躍出来たのだからハ号は頑張り屋さんだと思いました。それと、イギリスに居る動くハ号はどうなってるのかなぁ…
あれ軽戦車でも生身の歩兵には大脅威って事が痛感できるから好きな場面です。
The Pacificの実物大撮影用ハ号は現在日本にあったはず(日本のNPO法人が所有)
イギリスの動くハ号も所有権そのものは日本の同法人が取得済みで
寄付を募って修理費と移送費用を捻出してたけど流行り病の影響で移送と展示場所確保がズルズル遅れてるって話だったような
@@sei-unさん、撮影に使われたハ号が日本にある事は某サバゲー動画で見たことがあったのですが、イギリスのハ号についてはその後の話を知らなかったので感謝です。里帰りも色々と大変ですね…
@@user-zx6us6uq2q それまでの経緯は昭和56年にポナペ島(現ミクロネシア連邦ポンペイ島)から帰還
嵐山美術館→白浜ゼロパークに展示されていたが閉館
平成17年に英国人に買い取られ10年かけて走行可能に復元された
とのことです
動く個体といえばロシアにも稼働可能なハ号とチハ改がありましたね…
@@sei-unさん、嵐山美術館以外にも点々としていたのですね。それとロシアにも動くハ号が居たとは…自分の知っている動くハ号と言えばタイとイギリスの二両だけだったのでこれまた感謝です。
でもさぁ…ハ号って…かっこいいよなぁ…
バンコクのナショナルメモリアルパークに野外展示してあります。
12㎜とは言え叩くとそれなりの重厚な鉄板なんですがねぇ・・・
後部の腐食した隙間から中を見るとエンジンはありませんでした。
かわりにコーラの空き缶が転がってたのが悲しかったです。
まぁタイ軍が購入した車両でしょうから日本人が乗ってた訳じゃないでしょうが。
イタリアのセモヴェンテとかスウェーデンのStrv.42とか解説して欲しい…
あとどうせならチリとか(((((
セモヴェンテはつおい
ガルパンの大洗VSアンツィオ戦でアヒルチームが砲を支えれば走行中でも安定するとか言っててそうはならんやろって思ってたけどあれガチだったんか…
肩当付きの戦車砲は日本戦車の特権ですからね
むしろ日本は昔から(本当の意味で)走行間射撃を行ってた軍隊ですよ。
まあ、要はあまり重い砲ではなかったこと、軽い戦車だったからっていうのが大きいですけども。とはいえ、走りながら撃って、そこそこの命中率だったので割と脅威ではあります。
私の大好きな戦車だーー
他と比べると貧弱ではあるが、現場にあって、使える兵器ではあった。
私ハ号たんが戦車で一番好きなので探してたら見つけました!!これで知名度もチハ並みに上がってもらいたい所です!!
援軍が来ない島嶼戦での死守命令はきついですね。ドイツみたいに、日本軍の駆逐戦車も見てみたかった。
砲戦車はそこそこ前線に出たから…(震え声)
駆逐戦車は一応開発はしてたんやがねぇ
あってもどうせ海に沈むか、本土決戦用に温存される。
ノモンハンに参加したソ連軍の戦車旅団は第6と第11戦車旅団です。第7は装甲車旅団です。
故障しにくく扱いやすいある程度の数はある、携行対戦車兵器普及前の戦車のない部隊には十分な能力、偉大なる凡作日本版シャーマンといった所ですね。
戦車戦が想定された戦場ても、偵察、連絡用に多様された
なお、軽量化に成功した上に、速度、装甲、主砲の威力、全ての面で95式を上回る98式は、大して評価もされずにろくに生産されなかった模様……。
戦後は雪上車として雪から日本を守っている
紙装甲がWOTでちゃんと再現されてて命中=貫通、、、
乗員の方が丈夫
森や林で隠れて奇襲をかけるとなるとこの短い砲身が木に当たらなくて良かったとの評価もあったようだ。
市街地戦でも活躍しそうだなそれなら
「戦車は(弱くても)存在するだけで脅威になる」を体現したようなお話でしたね。戦車相手にしたら勝てない戦車のお話なのに対戦車歩兵装備にやられる逸話も普通に多くてショボーンw
でもそれを聞いていたら、逆に日本の対戦車歩兵装備についての解説を聞いてみたくなりました。
あれ、pacificとか見てるといい
描写されてるよ
歩兵にしたら脅威だけど、確か迫撃砲で撃破されてたはず
@@user-ws2dj5um8c
M4にやられたんやで?
現代でも第1世代どころかT-34やシャーマンでも相手が満足な装甲戦力を持たない軽歩兵部隊なら脅威足り得る存在だもんね
まぁそもそも”対戦車火器”なんですからそりゃ戦車はやられますよ
米軍のM4だって参戦国のなかでは比較的貧弱だった日本の対戦車火器(主に速射砲)に撃破された例がかなりありますし
@@user-hg1mv6pe8v そのM4は中戦車だし、その随伴歩兵を脅かすのならいい車両だよ
日本軍では戦車撃破は速射砲の仕事だからな
リベットは装甲で防御できても、千切れた破片で乗員死亡するけど、こんだけペラペラならどっちでもいいか的な、
一応、五式軽戦車までハ号の後継車種は作られてはいるんだが、いかんせん後継車種を生産ラインの遡上にのせられなかったのが日本の限界なんだよなぁ。
せめてドイツの一号対戦車自走砲みたく派生型あれば少しはマシだったと思う。
(対戦車型だけでなく弾薬補給車とか広い意味で)
一応、一式砲戦車という有力な自走砲はあったんですけど、これも生産力の関係か
75mm砲型の生産数は100両にも満たなかったらしいですからねぇ
実際に投入されたフィリピン戦では相応の活躍をしてただけに勿体なかったと思います
ホトとかホルがもう少し早い段階で開発されていたら少しはマシになったのかな?
やっぱりチハのお話も聞きたいなぁ
漫画のらくろに似合う戦車だなと。
航空機と密接に連携できればまた変わった評価になると思いますが、無線機がなぁ。
マルダーみたいにとりあえず大口径砲を乗っけてみるとか、大型迫撃砲の台車にするとか無理だったんですかねぇ
一応色々やってるんですけど、小さいぶん操砲にも苦労することと、素の状態でもサスペンションがギリギリだったので……
@@user-yv4og2mu3i ご教授、ありがとうございます。必要十分のサスペンションだったのですね。
正しい兼ね合いとは思うのですが、どこかで聴いた話がここでもという印象です。
想定していない戦闘でメロメロになってしまうのは残念です。
あとは結局改造元としても「チハでいいじゃん」となるわけです(許容t数的にも)
知波単学園の福ちゃんの
搭乗車輌で あります❗
最終章第二話~第三話の
活躍ぶりは見事だった。
おかげで我が涙腺防衛線は
敢えなく崩壊しました!
ロシアのクビンカ戦車博物館に行くと、ミリヲタでもあまりわからないような日本軍の軽戦車、装甲車が多数展示されております。他の列強(イタリア除く)の戦車は装甲板を叩くと厚いのでペタペタという感じだが日本とイタリアの戦車はボヨンボヨンと振動してあーっ、これはトタン板かいな?と思った。
対戦車火器が無い歩兵からしたら九五式だってかなりの脅威ですよね
歩兵も戦車を撃破できるようになるバズーカは偉大だな
朝 目も覚ましてくれますしね
四式十五糎自走砲の解説とかやって欲しい
映像で見ると早いな
陸軍管轄のシナ戦線じゃ蒋介石軍は戦車はおろか、対戦車砲もまずもってないので、軽いのが何より貧弱なインフラの戦場では重要
一応虎の子のT-26の部隊があった気がする
@@user-pk2ty7yq6k 装甲が30mmない戦車は歩兵が何とかしちゃうのが日本軍
@@00kumakuma
装甲が50mm近い戦車でもほぼ工兵で対処してるんで…
国民党軍は、ドイツの顧問団が入り、基本ドイツ式で装備され、イギリス製も含め、優秀な兵器の購入やコピー品の導入を促進しました。ZB26軽機関銃が「チェッコ機銃」と呼ばれ、軽機ながら日本軍の重機をも圧倒したのは、有名な話。鹵獲した日本軍で準制式とされ、最良の機関銃となり、このために7.92ミリモーゼル弾まで国内生産されました。小銃も同じ弾薬だったから、三八式装備の日本の歩兵中隊は射程などで劣り、撃ち負けることもしばしばでした。対戦車砲も、ドイツ製37mmやソ連製45mmが相当数配備され、これらも多数鹵獲した日本軍が準制式としています。特にソ連45mmは、ドイツの37mmの拡大版で(独ソが協力関係にあった時期に正式にライセンスを購入)、日本の47mmにはるか勝る能力がありました。
小銃で貫通されるなんて戦車じゃない!こいつは欠陥品だ!なんて言って旧軍の戦車を批判する人がいるけど、正直「ぼくのかんがえたせんしゃ」の定義なんてどうでもいい。たとえハ号やカミ車みたいにペラペラだろうが、運用国の国力に合ってるかどうかで戦車は評価されるべきだと思う。
なお、戦争計画は明らかに国力以上の模様。
おかえりハ号
中国で使う予定の戦車だったからしゃーない
帝国陸軍の戦車ドクトリンは突破じゃなくて、浸透と歩兵随伴だから対戦車として評価するのこと自体間違ってる気がする
t-34やらis-3も中国で使われたけどあれは大陸で繋がってるから行けただけで船で運ぶのを考えるとt-26かBt-7ぐらいが限界かな?
@@user-ne2tu2uo3u
これをM26パーシングでやろうとしてたアメリカさん…
ネタバレ注意
アヒル作戦です!
旧陸軍称(U.N. 扱い)
九五式軽(Tankette)
九七式中(Light Tank)
ハ号がどうこうよりも、後継を実戦に用意できなかったのがなあ...日本軍はこういうの多いイメージ。日中戦争までに育てた国力がそれまでだったってことなのかな
分相応て事か・・・
当時の日本の国力を考えるとこれが限界か。
でも好きなンすわ。この戦車が
かわいいは正義。
ありきたりな評価ですが、当時の日本の国力としては妥当というか、頑張ったと思いますね。
欧米の戦車は戦車で戦車を討つことを想定してるけど、帝国陸軍は戦車は歩兵支援、対戦車は砲兵に任せればいいみたいな感じだと思う()
同盟国ドイツの戦車とは比較にならない軽さだよな~
T―34となんてかち合ってたら絶望的すぎる😱
比べる世代がなぁ…。
奇襲しても勝てないよな…てかT-70やらT-80でも勝てん
@@user-ek8ii9xg6g だよなぁ20mmでも簡単に撃ち抜かれるからな。
@@shadowfree7916 7.92mmマウザーにも抜かれるらしいからMG42もっと兵士に待ち伏せられたら死ぬ
@@user-ek8ii9xg6g 防御力絶望的だな。
動画でもあったようにもっと装甲を強化しろという意見があるほどにな。
すっげえ新型が何種類も出たとこでどうせ勝てんから
これが当時の限界
10:47のところを修正を。フィリピン防衛戦でチヘが参戦した記録はなく、チヘではなく、チハ改のほうですよ
何に使うかでしょうね。機械化歩兵の装備としてみれば侮れない。
戦車ってより、BTW的な装甲車でみればね。そもそもアジアでは歩兵が殆どだし。
フィリピンの一式戦車は誤報では?
今、こうやって日本陸軍の戦車の動画を見ていると、決してしょぼい戦車を作っていたのではなく、それが当時の日本の工業力の限界でやむ得なく低性能になってしまった
それを現場の知恵と犠牲でなんとか運用していたとは驚きました、これからは日本陸軍戦車は弱かったとバカにするのは止めようと思う
このコメ欄にも日本軍信者に配慮云々言ってるやつがいるけど、なんなんですかね…
@@radicalman9062 まぁ、過去の日本兵器の動画を見るとちらほらその手のコメントもあるから、なんとも言えない。
@@radicalman9062 様
帝国陸海軍の動画を見ている人を(日本軍信者)と思っているのだろうか? 確かに 信者に配慮なんて自分にも理解不能です(笑)
だいたいここのチャンネルなんて結構辛口だと思うが 時代背景などを入れて総合的に評価するところが
自分は気に行っています
まぁ、現地改造もしてたりするしな
追加装甲くっ付けたり
日本戦車が弱いのは事実だから非難しようがないだろう。ただ、当時の日本の限界点であることは念頭に入れておくべきだろうね。そもそも、海軍や航空機に予算や資源取られるから発展がただでさえ困難なのにより困難になった。
やっぱり「戦車」としての役には立っていたんだなと。歩兵の手持ちの小銃、軽機くらいでは倒せず、37ミリと機銃を打ち込んでくる移動火点は脅威だったに違いない。ただ、自分が持ってるなら相手も持ってるよな…攻勢中に出てきたらどう倒そうか?という対策が足りなかった/できなかったのも事実かな。
後は我が軍にも戦車が有るぞ!というモチベーション維持に貢献ですね。
日本に必要だったのはパンツァーファウストやバズーカみたいな装備だったということ。
一応あったよ。成形爆薬で分厚い鉄板も貫通できた。ただし、その成形爆薬を飛ばす方法が甚だ不十分のままで、棒の先につけて歩兵が敵戦車に接近して刺突する方式だった模様。本人は助からなかったんじゃないかな。
潜水艦にパンツァーファウストを積んで輸入したらよかった
8:05
体当たりって日本軍もやってたのか
ちょっと意外
欧米とは兵站やら技術力やらで差が着きまくってるな…
逆にドイツ、イタリア、ソ連は日本と比較すると海軍全然ダメでしたし、そう考えるとお国柄にあった兵器が大事と言うことかと…
@@Mrpajero21 そもそも日本は貧乏国家でしたし、しょうがない部分もあるかもですねえ…
@@Mrpajero21 両方できる大正義アメリカは偉大なんだなって…
@@user-konroso ほんそれ…
@@Mrpajero21 ソ連はわかるけど、ドイツやイタリアはそこまでダメダメではないと思うけどな。特にドイツは潜水艦においては戦果も運用も技術力も良いだろう。そもそも、隣に英国海軍がいて、尚且つ陸軍大国との戦いがあるなかでは妥当な戦力だと思うよ。
大戦略っていうゲームで
95式軽戦車でパンター戦車やティーガーに挑んだら、瞬殺された
35t幅・高3mの五式を東京圏で運用できるのか?と考えて、当時の国道規格が見つかった。
「1939 鋼道路橋設計示方書案(内務省) 1等橋 13t」
多摩川・荒川・江戸川などの橋は耐えられたのだろうか?隅田川の勝どき橋は耐えたとは思う。鉄道では運べない幅。7tの95なら、これらの川も難なく渡れたろうし、鉄道搬送も可能。道路網すら、重戦車!など運用できる国ではなかったのだろう。'40年ころ、東海道を2tトラックが来るというので見に行ったという昔の実話を伝え聞いている。
歩兵直協用戦車やからなぁ...
いつも日本や枢軸側に対して辛口の主さんが今回は中辛なので少しびっくりしましたw
だけど今回の動画に関してはごもっともだと思います。
確かに世界の国々の戦車に対しては貧弱であったのは間違いありません。
でも、戦車の性能以上に貧弱だった日本の工業力を鑑みれば日本が最も必要した戦車だったのかもしれません。
今回の動画もよい勉強になりました。
ちなみに主さんが僕のコメを読んでくれるかは分かりませんが貴方の動画は全部観ました。
やはり、国力的に負けてるのに背伸びして戦ってた枢軸に対し辛口で、
開戦後、持ち前の圧倒的力で戦った連合国の兵器を賞賛する形は変わらないのかと思いましたが、それでもよい勉強にはなったのでよかったです!
それと、電撃戦の次回作楽しみにしてます!☺️
やりくりして奮闘するのが評価されるという反面、やりくりする様な状況に問題があるということも視覚化される。
95式は戦車というよりボトムズでいうATみたいな感じやのう。
強くて重い戦車作っても南方戦線では役に立たないと新設計の車両を開発して貧弱な生産ラインを圧迫しなかったという素晴らしい実績がある
ルノー好きなんですが、あれで間に合ったんじゃないでしょうか?同じ運用なら。
なまじ開発するより。価格は半値くらいと見積もりますが。
マッカーサーが、セントラルパークでルノー使ってデモ鎮圧する記録がありますね。
ルノーFT運用してるんですよ日本初期の戦車部隊で。それで足回り(何かの演習か実地試験だったかで大量に擱座した)や信頼性に不満があったもんですから
八九式開発を行ってるんですよ。それで足が遅い八九式を代替する形で開発したのがハ号なので八九式とどっこいどっこいなルノーFTの巡航速度ではトラックに
随伴できないので…単純な戦闘力だと正直大差無いんですがハ号のほうが戦略機動的に有利で戦場では機動出来ない軍は居ないのと変わらないってのもあります。
なので日本陸軍的には当時輸入できた戦車で全部試して研究した成果がハ号なんですよ。素人が考えるような事は大体考えられていますよ。
そしてその結果がアレなわけです。
ノモンハンでソ連軍の戦車を大量に破壊したけど殆どが37ミリ対戦車砲によるものだったらしいしな
ハ号も30両ほどのBT戦車や装甲車を撃破してるらしいです
ソ連戦車も装甲が薄かったので500mくらいなら貫通でたとか
95式は「日本の戦車」って感じで好きです。開発時期は、ドイツの2号戦車と同じくらいのはず。だとすれば遅れていたとは言えないと思います。陸軍が航空機優先(だれだ、陸軍が精神主義とか言ったのは。制空権の何たるかを知っているのはわが帝国陸軍である。なんてね。)で予算を配分した結果、後継戦車の開発が遅延、あるいは放棄されたにすぎません。それというのも、海軍が予算を取りすぎ、無用の長物大和、武蔵などつくり挙句の果て温存して最後は撃沈させるために出撃させるという、これでも海軍が開明的とか言われる。なんでやねん。日本の戦車兵は優秀だったと言われていますし、無線も優秀だったと昔書籍にありました再評価してほしいです。
戦車が戦車を撃破できないとただただ大きな的に成り果てるだけだから無視できないルールなんですけどねえ・・・
じゃあ対戦車能力が高いからと言って対歩兵能力、塹壕への攻撃力が高いかと言えば別にそれほど高いとは言えないですけどね…
ドイツのパンターみたいなのがあっても
ハ号以下の活躍しか出来ませんよ。
そもそも戦場で戦車に戦車をぶつける必要は
無いので素直に航空支援なり速射砲に任せれば
良いんですよ。
ま、それが出来なかったから負けたんですけどね。
@@user-hg1mv6pe8v
航空支援はともかく速射砲や野砲による対応は日本でも当たり前にやっていたと思うんですが
@@berunharuto
ええ、出来る時にはしていましたとも。
航空支援も余裕があればやっていました。
実際に緒戦のマレーやフィリピンでは
M3相手にやってますが、連合軍の反攻が
始まるころには絶対数が不足し
砲弾の備蓄もないので結果としては
出来てはいません。
それでも火砲の集中が出来ていた
戦線では
よく戦えてますから
十分な数がそろっていればもっとよく
戦えたでしょうね。
チリ紹介お願いします
昨今ではいろいろ問題視される司馬遼太郎先生ですけど
「大陸で馬賊を追い掛け回すにはピッタリ」「欧米スペックの7掛けで精神的満足を得る」
「自分の台所事情の貧弱さ覆い隠すために他人の悪口を盛んに言い立てるオンナの腐ったような陸軍」
学徒動員で戦車車長となった司馬先生はそれくらい陸軍に恨み骨髄です。
恨み多すぎてかそれとも教養がないからなのか
三式中戦車のRHA装甲を鑢掛けして軟鉄や!とか吹聴して無駄に日本戦車を貶めた戦犯なので
全く同情の余地はないと思います…資料くらいまともに精査出来ない時点で物書きとしては終わってる。
日本戦車に限らず例えば坂の上の雲等で乃木大将の名誉を毀損するような大馬鹿ですので
この人風に言えば「自分の貧弱なボキャブラリーを覆い隠すために自分の古巣の陸軍を無駄に卑しめることで文化人アピールする人間の腐ったような畜生」
こんな犬畜生にも悖る人間が学徒動員で連れられたなんて言われてもね。だから何なんだろうか?それが免罪符になるとでも?
この人のよくわからん釈定規で勝手に無能扱いして名誉を賤しめて「ノンフィクション」として出版した罪は重いですよ。
ハ号は名戦車だと思うのですが、帝国陸軍は昭和20年まで、新型の軽戦車を作り続けるのが謎です。
問題があるのなら、ハ号を改良すればいいのに。
日本の兵器全般に言えることだけど良く言えば小型軽量、悪く言えば切り詰めた設計のせいで拡張性が無いというのがあります。
動画内でも言われているように豆戦車あつかいされるほど小さい車体と低出力なエンジンじゃ重量増加につながるような改良は無理。
試製三式・三式は九五式の改良型だし、五式軽は九八式の改良型なのでは?
10:35
チヘって実戦投入されてたの?
されてなかったはず
ハ号をシャーマンはもちろんバズーカで撃つなんて虐待なんだよなぁ
兵器は研究して取り入れるが戦術は研究しても取り入れられない組織体質
ついでに烏滸がましい注文ですが、各回の参考文献をテキストとして概要欄かコメントに残してほしいです。とくにURLは写すのが大変。
第一次大戦研究してたら総力戦の恐ろしさとか戦争を質的に変えてしまうアメリカの戦力とかわかりそうなもんだがなあ。
チハたんは頑張った(´;ω;`)
無理に戦車を作るよりも、牽引車やブルドーザーを量産したほうが良かったですね。
人力移動の出来ない大口径砲や物資の迅速な移動。飛行場や陣地の構築に大活躍してくれたはずです。
ハワイのホノルル陸軍博物館を訪れた際、95式軽戦車が米陸軍のM24軽戦車と並んで展示されていたのを覚えている。共に軽戦車と分類されているにも拘らず、M24軽戦車の重量は21トンで75ミリ砲を搭載されているのに対し、95式軽戦車は7トンしかなくブルドーザーを改良したものにしか見えなかった。もし両者が戦場で出会ったら結果がどうなっていたかは簡単に想像できた。改めて当時の日米両国の工業技術力の差を痛感した。
ハ号は無理だが、日本の戦車がガソリン・エンジンに換装してたらと思うな。M4シャーマンと同じ400馬力の練習機用のガソリン・エンジンあったよ。
軽戦車だからね。
歩兵支援としての役割は十分だよ。
本土決戦用のチヌが活躍することはなかったね。
列強最貧国の大日本帝国陸軍にとっては最良の戦車だと思う。昭和40年代でも田舎の道はアスファルト舗装なんか
されていなかったし、道路インフラも列島改造論まで高速道路以外は地方はひどいもんだった。ましてや戦前の貧国
大日本帝国の道路インフラをや。
砲戦車の方が良さそう
故 司馬遼太郎氏があまりにもこき下ろしたがために現在に至るまでチハと共に日本戦車弱いのイメージを植え付けた戦車。
しかしマレー電撃戦などに見れるように正しい運用さえされれば日本戦車は開発時の世界水準レベルに達して居た。
この評価ができるのは日本ではミリオタくらいか。
ミリオタでも結構厳しいと思う。
日本にいるミリオタも西洋かぶればかりなので正当な評価が日本人から出されることは未来永劫無いと思います。
@@user-hg1mv6pe8v そうか?寧ろ日本兵器を過剰に評価してると思うけどなぁ…。
ハピ
果たしてそうなのかな?
寧ろ不当に評価を下げられている
兵器ばかりだと感じますが。
一式47mm機動砲や四一式山砲
こういった火砲もスペック上では
シャーマンやT-34を正面からでは
撃破出来ないとする評価が多いが
実際には撃破していることもある
のに絶対に出来ないと批判する
軍オタもいましたね。
丁度今の貴方のように過剰に
評価されているって感じでね。
こういう人の声が大きいのが
日本の現状です。
ハ号こそ帝国陸軍の主力戦車なんだよね本当は。数の上では九四式軽装車TKが主力に見えちゃうんだけど。。。笑
M3軽戦車が「路上の怪物」とか冗談であってほしい話だわ・・・
実際M3は防楯部で約50mm、車体前面でも38mmなので軽戦車にしてはかなり装甲を持ってる方ですよ
同じ頃に生産されていたドイツの三号戦車が50mmくらいなので単純な装甲厚だけなら当時の中戦車並でした
ハ号の生産開始はM3より5年も前なので、そりゃ「怪物」にもなりますよ
日本軍ってタンクデサントするんだ
なぜかソ連の十八番みたいに語られてるけど、別にタンクデサントは世界中の軍隊で普通に行われてたから
戦車云々というより日本軍が近代戦に適応する力がなかった、その力を有するための国力がなかったということなのでしょうか?
戦車を持たない敵には勝てた とはいうものの、戦車を持たない敵は幻であり実際の敵は戦車を持っていたわけですものね。
世界には携行対戦車兵器がいろいろありますが、日本軍がこれらの兵器を使ったという話は聞いた事がありません、専ら肉薄攻撃のイメージです。
そういった兵器の発想が無かったのか技術的に難しかったのか…いずれにせよHeinkel氏による日本軍の対戦車兵器、戦法についてなどの解説を観てみたいです。
一応バズーカはありましたよ。試製四式七糎噴進砲が。月産1000丁ペースで末期に生産していたようです。まぁ基本は一式47ミリ機動砲だったみたいですけど…
@沖ノ崎直衛
速射砲でも100mかそこらの近距離なら
抜けるんすよ。
実際沖縄やルソンとかでは
昼飯の角度に近い状態での貫通痕がある
写真もあり正面から抜かれる事は珍しく
はなかったようです。
後は山砲兵のタ弾もあったので、
太平洋戦線全体で見ると
うろ覚えですがM4とその他機甲戦力
凡そ700輌が全損でした。
米軍機甲戦力及び自走砲の
投入車両が2千を超えない太平洋戦線で
この損害なので日本軍はかなり健闘したと
思いますが…
@沖ノ崎直衛
沖縄戦では対日戦にあまり参加していなかった陸軍戦車隊が大損害を受けてますね。
損失内訳は陸軍200輌に対して海兵隊は
対策を取っていたことも手伝ってか
確か70輌くらいでした。
これらからも分かる通りですが、
戦車単独での損害が多く
特に嘉数高地では投入車両の
半数が死角から肉薄した日本兵に
よる梱包爆弾や機雷で撃破されており
巷で言われるよりも歩戦分離を上手く
やっており擬装陣地を巧みに利用して
戦果を挙げています。沖縄では
山ほど埋積していた物資弾薬のお陰か
砲兵及び機関銃の集中射によって
随伴歩兵を蹴散らされやすかった
のも大損害の理由ですかね。
他にも
砲兵と日本軍戦車中隊の共同では
ありますがM4を数輌撃破しています。
@沖ノ崎直衛
仰る通りで
最近でもシリア内戦で
トルコ軍のレオパルドが単独で
前進したせいで十数輌もの戦車が
スクラップになってますね。
シリア政府軍でも
APCとT-72混成部隊が歩兵の支援も無しに突入した結果四方八方から砲撃
やATMの集中砲火を浴びて撃退される
事例がシリア内戦初期では多発して
いましたが随伴歩兵を伴った
機槍戦術なる戦法によって現状は殆ど
損害無く戦闘出来てますから
歩兵の制圧力というのも
馬鹿には出来ません。
現代では
各兵科で密接に連携が取れなければ
より大きな損害に繋がるため随伴歩兵や
砲兵等の諸兵科連合が基本になってます。
チェチェンでロシアが失敗したのは
これまで積み上げてきた戦訓やドクトリン
が長い冷戦期間中に喪失したためとも
言われてますね。
嘗ては陸軍最強国家とも言われたロシア
も冷戦崩壊時に戦法から熟練の兵員に至るまで全て失いましたからねえ…
今じゃ見る影もありません。
これならオープントップで大口径砲積んだ方がましにすら思える。日本軍の現地改修車両を知らないのだけどなかったのかな?
このチャンネルで旧軍を高評価した動画を出したら、いつもは嬉々として旧軍を批判する人が、コメント覧からさっぱりといなくなるのは草
たしかに少ないけどいると思うが?てか、旧軍を”嬉々”として批判ってそもそも旧軍に問題があったのは事実でしょうよ。単純に他の日本軍関係の動画で口にするとそう叩きにあうからこのチャンネルに集ってると思うが。
イタリアの豆戦車がネタにされて日本軍の戦車は?ってあるけど
なんちゃってミリタリー系のサイトとかじゃ・・・適当な知識を元に
ディスられてばかりだけど(´・ω・`)
正しくも無い知識を前提に、戦前の日本ディスって自己満足する輩の多いんだよな~