島原の乱に参陣した古強者たち、その2

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  • čas přidán 25. 07. 2024
  • 今回の歴史の細道は、『島原の乱に参陣した古強者たち その2』について紹介していこうと思います。
    ~目次~
    0:00 オープニング
    0:59 鬼日向、水野勝成出陣
    2:43 家光の信任を得ていた勝成
    5:21 関ヶ原合戦で心ならずも西軍につく鍋島勝茂
    6:41 石田三成に足止めを喰らう勝茂
    8:12 肥前国佐賀藩主鍋島勝茂
    9:34 龍造寺の軍隊
    10:56 鍋島勢の勇み足で一気に総攻撃へ
    【関連動画】
    島原の乱に参陣した古強者たち
    • 島原の乱に参陣した古強者たち
    龍造寺高房について
    • 龍造寺高房について
    脚本・監修:歴史の細道
    #歴史の細道
    ~画像~
    そらみみ - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, commons.wikimedia.org/w/index...
    Hkusano - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, commons.wikimedia.org/w/index...
  • Zábava

Komentáře • 27

  • @user-lb2cm2se3i
    @user-lb2cm2se3i Před 2 lety +10

    佐賀藩抜け駆け(笑)藩主の焦りって下まで伝染するんだぁ~‼️

  • @user-hk6ng6dk2f
    @user-hk6ng6dk2f Před 2 lety +12

    総攻撃での鍋島家の抜け駆けのきっかけは
    鍋島家の目付け役の長崎奉行の榊原職直の息子職信が抜け駆けしたのが原因です

  • @user-gj2lx7mx9d
    @user-gj2lx7mx9d Před 9 měsíci +3

    鍋島の息子さんに焦点が当てられる話は珍しいですね。

  • @100EIZO
    @100EIZO Před 2 lety +13

    勝茂は宗茂や水野勝成に比べると経験は少ないけど、
    それでも朝鮮出兵に参加して、そこそこ経験は積んでおりますので、古強者ということでお願いします

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p Před 2 lety +4

      まあ、家光にくっついてたから大坂の陣すら経験してない知恵伊豆に比べれば大ベテランだな。本能寺の変より前から戦ってる立花、水野には霞むが。

  • @-msc
    @-msc Před 2 lety +13

    EWAC宗茂伝説 
    「皆様、何をビビっておられる?」→「いや、島原の賊共がこちらを伺っておるので狙撃されぬかと」→
    →「あれですな。各方、今夜は夜襲がありますので備えられよ」→「はぁ?(宗茂公も老いたものよ)」
    →「はあ?(宗茂公が言ったんだから備えねば)」→当夜「夜襲だと??うわぁぁぁ」「夜襲かwww迎え撃て!」
    鍋島抜け駆け騒動 
    知恵伊豆「抜け駆けだと!軍令違反ぞ(怒)」水野「糞が!我らも攻め込むぞ!我に続け!」
    宗茂「伊豆殿、戦場ではよくあること。戦は勢いが大事、総攻めを命じられよ」
    知恵伊豆「そ、そうであるな。総攻めじゃ。法螺貝を鳴らせ(鍋島め!どうしてくれようぞ)」
    島原の乱戦後余話
    家光「諸将らは島原での伊豆の指揮が甘い故に鍋島の抜け駆けを許したと言っておるが、飛騨守(宗茂)如何に?」
    宗茂「大軍の総大将とは、そのようにしばしば誹られるもの。皆、手柄を立てたがるがゆえに己が己がと隙きを見て
       は自儘に動かんとする諸将を伊豆殿はしっかり抑えておりました」
    家光「鍋島の抜け駆けを許したのは伊豆の落ち度では無いと申すのか」
    宗茂「諸将の家臣を抑えるのは諸将の努め。島原での抜け駆け鍋島家臣の抜け駆けがきっかけ故、伊豆殿の手落ちで
       はござらん。あえて言えば鍋島殿の手落ちですが、そのおかげで乱を終わらせられたとも言えますな」
    そして伊達騒動へ
    知恵伊豆(飛騨守殿のおかげで救われた。なにかお礼をせねば・・・!そうだ飛騨守殿の嫡子忠茂殿は正妻を病気で
    亡くされたとか。伊達家の姫を後妻に迎えさせれば、あの伊達家の抑えにもなるし立花家の家格も上がる)

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p Před 2 lety +2

      有馬家は、原城の元城主として負けられない戦いだったからな。やる気が違う。

    • @user-mn6ks9om4l
      @user-mn6ks9om4l Před 2 lety +3

      文官なのに総大将にされ、文官上がりゆえに軽視された知恵伊豆を見て宗茂も「はぁ。ここにも嫌われ者が居るか・・・」と、自分に良くしてくれた石田三成を思い出し、できる限り協力したかもしれませんね。そして、そんな彼に知恵伊豆も感謝していたのだと思います。

  • @user-hk6ng6dk2f
    @user-hk6ng6dk2f Před 2 lety +11

    水野勝成さんが島原の乱に出陣した理由は
    松倉父が大坂夏の陣の時に水野勝成さんの与力だった件もあったんだよな

  • @user-uv8mv5nl5b
    @user-uv8mv5nl5b Před 2 lety +8

    何気に細川忠興がまだ生きてるんだよな

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p Před 2 lety +4

      アイツと黒田軍を一緒にしたら、間違いなく黒田軍の兵糧を盗むか焼き討ちするぞ。

    • @100EIZO
      @100EIZO Před 2 lety +2

      そういえば息子のこと何かと気にしてたって話読んだ記憶があるが、
      息子だけが参戦したのかな

  • @D-McKay
    @D-McKay Před 2 lety +3

    倫魁不羈ってかっこいいよね

  • @qwert8519
    @qwert8519 Před 2 lety +7

    あんたでしょうが が好き

    • @user-ku1dm7oc2p
      @user-ku1dm7oc2p Před 2 lety +1

      正式には抜け駆けやったのは鍋島家ではなく軍監の榊原職直の息子である職信である。
      ちなみに榊原職直は榊原康政の養子であり実家は宇喜多氏家臣花房家出身である。

  • @toshichika720
    @toshichika720 Před 2 měsíci

    鬼日向水野勝成🫶🫶🫡👍無双チート級武将好き❤️森長可も好き

  • @user-mn6ks9om4l
    @user-mn6ks9om4l Před 2 lety +6

    何故にこの古強者に立花家を扱わなかったのか理解に苦しむ

  • @user-xm6kb4pz2p
    @user-xm6kb4pz2p Před 2 lety +4

    こんばんは。

  • @user-my3tk3tb3p
    @user-my3tk3tb3p Před 2 lety +3

    天草四郎が豊臣秀頼説があるよね

  • @user-pi3dx6uo9y
    @user-pi3dx6uo9y Před 2 lety +9

    井伊直孝が参戦していないのは不思議だよな。
    幕府譜代でも上位で戦争、攻城を理解していたはず。
    この時に直孝は何をしていたのだろうか?

    • @-msc
      @-msc Před 2 lety +1

      井伊直孝こと夜叉掃部の性格上、参陣などしないで家光を守護して、この隙きに乱を起こさんとする者が
      いないか牙を研ぎながら諸大名を監視していたのだろう。
      伊達政宗が恒例の伊達殿ご謀反の企みあり」で幕閣首脳(なんと知恵伊豆まで参加)勢揃いで伊達家を
      訪れようとした際、直孝は同行を拒否。伊達家を詰問した後で帰ってきた幕閣首脳部に向かって
      「伊達殿の謀反話はいつもの風説と思う心根があるから総出で伊達家を訪れ詰問したのであろうが、
       人の心は半鐘のごとし、火の勢いによっては激しく打ち鳴らされる。もし、その場で伊達殿が謀反を
       決意されたら、各々の首は胴と離れていたであろうな。幕府の老中とも思えぬ軽率な振る舞いぞ」
      と叱りつけたってくらいの人だからな。

    • @user-hk6ng6dk2f
      @user-hk6ng6dk2f Před 2 lety +1

      井伊直孝は九州に縁がなかったからじゃないのか

  • @toshichika720
    @toshichika720 Před rokem

    鍋島直茂👍👍😍武、外交👍👍

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Před 2 lety +5

    島原老人会

  • @aosaka0074
    @aosaka0074 Před 2 lety

    宮本武蔵が参陣して投石に遭って負傷した事について「情けねえ」というコメントがあったけど、あれ「老いたりとは言え最前線で戦って名誉の負傷を負った」っていう一種の自慢話なんだよな。
    結果だけ見て罵倒するのは愚の骨頂。
    そもそも投石とはいっても普通の石ころみたいなものを想像してるんだろうが、籠城戦における投石ってのは、当たれば簡単に人が殺せるレベルの相当デカいやつだからな。