【唐人町】福岡・博多の古地図で街歩き

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  • čas přidán 9. 09. 2024
  • 1812年(文化9)「福岡城下町・博多・近隣古図」catalog.lib.ky...
    右に黒門川、左に菰(こも)川、江戸時代の唐人町は寺と下級武士の宅地、唐津街道沿いの町屋からなっていた。大陸との交流をしめす「唐人町」の地名は九州各地にあり、福岡の唐人町の由来については「高麗人住せり」「唐船が泊まりしゆえ」(『筑前国続風土記』『筑前国続風土拾遺記』)などあるが、はっきりしない。1784年(天明4)に福岡藩の藩校、西学問所の「甘棠(かんとう)館」が開かれた。館長は亀井南冥(なんめい 1743~1814年)。彼は早良郡姪浜村の村医の長男。福岡藩に儒医として採用された。「甘棠館」は約10年後に閉鎖されるが、同時に開かれた東学問所の「修猷館」は今もある(参考:『古地図の中の福岡・博多』海鳥社、2005)

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