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PANAM破綻して、すぐにSASに協力を取り付ける事ができたのも兼高さんの人脈の広さですね。それと当時の日本が今以上にアジアの中心として期待されていた事もあります。
子供の頃に、この人と開高健は「(職業が)何だかよく分からないけど凄い人」ってイメージだった。
日曜の朝、思い出すなぁ。ちゃぶ台を囲み、ラーニングの無口のオヤジ、おふくろは、お茶を運んでました。この番組がアメリカを夢みました。おかげで夢がかないました。
兼高かおるとこの番組は、日本国民における生活の文化の質的向上に多大な貢献を果たしたよ。挿入される音楽も解説も、映像も・・・なにもかも、全てがハイセンス。
日曜の朝がなんとさわやかだったことか…
兼高かおるさん、長い間本当にご苦労さまでした、ありがとうございます。然しオープニングのこの曲はとてもいいです。昔あまりにも気にいってて時々口ずさんでました。
兼高さんの「そうなんですの」が一番印象に残っています。
学生の頃、日曜日の朝は関西ペイントのCMと世界の旅のオープニング曲を聴いて8時だ!で時報にして、アルバイトに向かっていました。アルバイト代が海外旅行の資金になったのもこの映像からです。懐かしい影響をありがとうございます。
数年前にこのSAS 航空のOP映像を見つけてとても懐かしくて感動しました。SAS 航空に乗れる日が来る!と心が弾んでいました。そしてこの1年後に夢叶いSAS に乗る航路が出来てました。この兼高かおるさんの番組は本当に夢を与えてくれる番組でした。
私が子供の頃かれこれ50年前の日曜日の朝はこれから始まり、家族揃って見てました。その頃のOP曲は「around The World」(80日間世界一周)のテーマ曲だと記憶してますが・・・
1977年4月に、放送時間帯が日曜午前9時からの枠に移動すると同時に三洋電機グループ単独提供(後に1987年10月に朝8時からの枠へ移動と同時に関西ペイント1社提供への変更を経て1989年10月以降は複数社提供に)となってからこのテーマ曲(久石譲作曲による番組オリジナル曲)になり、以後1990年9月の最終回まで使用されてます(ただし、途中で一部アレンジが変更されている)。
小学生だった頃の日曜日の朝はこの番組を見ながらまるで世界を旅行しているような気分になって見ていました、SASの時に見ていたので懐かしく見ていました、「~そうなんですの」なんて言い回しが印象的でした!
今、日曜の夜はイモトアヤコ。
兼高かおる世界の旅懐かしい…。このOPの直後に、アルプス電気のCMが流れるのが定番でしたねw。これを見ながらパンとポタージュを食べ、塾に行くのが週末の定番でした。
このOPは、この番組の放送が終焉を迎えるころのものですね。自分的には、パンナムが協賛していた頃のOPが一番良かったです。
あの頃の日曜日の朝🌄8時関西ペイント 三洋電機のCMと共に兼高かおる世界の旅オープニング あぁもう8時良い時間っと思ったな〰️ 懐かしい 因みにこのコメ書いたの令和2年8月午前8時
インターネットが発達する前は、この番組が海外の真の実状を知る数少ない手段だった。
35年前位に、関西ペイントのCM曲が最高でした。平成2年になると、関西ペイントの提供がなく、関西ペイント以外の複数の提供がありました。
北欧の独特の空気感が魅力的
日曜朝、寛ぎながら鑑賞できる上質な時間だった。 世界が遠かった時代、インターナショナルな兼高さんを旅人に世界各地に心躍らせ、聞き手の芥川隆行さんの心地良い調子、話の掛け合いや言葉使いにも憧れました。 紀行物・ドキュメント・クイズ番組・スポーツの「ダイヤモンドサッカー」に至るまで、昭和にはこう云う番組が沢山あった。 少なくとも今の様に日曜朝からsモ二だのSジャポンだの撤収したSプロジェクトだのと云った怪情報や偏向解説、アンカーマンの話の調子も薄気味悪く思わず身構えてしまう毒電波番組は無かった。
日曜夜はイモトアヤコだ!
「芥川さん、ここが有名な三途の川でございますの」「ほほう、なるほど」今頃はこんな感じかなあ…。世界中の有名人ともインタビューされてましたね。閻魔大王とも優雅にインタビューしているかもしれませんw…兼高さん、今回の旅は少々ばかり長旅になりそうですね(/_;)/~~
「あの水晶の鏡には、生前の悪行が全て映りますのよ」「私はやめときます」
感動的です。本音、「兼高かおる世界の旅」の初代のテーマ曲より、こちらの曲のほうがメロディ美しく聞いてて涙が出ます。また以前、同じこの曲のアップ作品で曲の最後の1秒が切れてて残念でしたが、こちらは完ぺきに切れずに聞けたので感激しています。
久石譲氏の初期の作品です。
masa nabe 様私も全く同じ事思ってました。ほんの1秒くらいが切れただけですがなんかモヤモヤしてましたこの前のバージョン(パンナム)も良いですね動画の影響か、最近飛行機の模型にハマってきた私です
この曲今の令和の時代に聞いても全く古さを感じず目茶苦茶かっこいい曲ですね。
長年この番組のスポンサーだったパンナムの経営が傾き、太平洋路線をユナイテッド航空に売却してしまった後は、スカンジナビア航空が協力企業でしたよね。
そういえば昔福井テレビで朝オンエアしていました。フライトするスカンジナビア航空のマクドネルダグラスDC10が懐かしい!
なんだかなぁ・・・サンモニの前番組のひとつこの様な番組が復活しないかな~。
関西ペイント尼崎工場で始業前に流れてました🤔
海外=多くの国民の憧れ。その夢を与えてくれたのが地上波各局。その20年近く経った姿が「バラエティ番組の飽和」「国内オンリーのローカルかつ低コストの番組制作」「安っぽいキラキラ系セットと雛壇芸人中心のキャスト枠」という、まさに今の日本の衰退を象徴する状況になってしまった。
これが今(現代)の長ったらしく、くらだなく、つまらない地上波のテレビ番組を作った。バラエティ番組に俳優さんや芸人さんが出るとドラマや局のイベントの番宣がやたらと目立って多い。昔はテレビばっかり見てないで勉強をしなさいと言ったが、今はCZcamsやスマホの動画サービスが人気だそうです。
イモトアヤコが後を継いで頑張ってるじゃないか。
記憶の片隅に、オープニングキャッチの唄の一部分がありました。当時は保育園の年長さん位でしたが、なんとなく家族で見ていた記憶がありました。SASスカンジナビア航空を記憶したのも、この番組でした‼️
日曜の朝8時を名作 兼高かおる世界の旅放送して欲しい。
TBSチャンネルでやってる🙄💬平日のみのベルト番組にしても6年かかる🙄🙄🙄
海外旅行が高嶺の花の時代。わが村ではアメリカに行くと顔がアメリカ人のようになると誰もが本当に信じていた。誰々がアメリカから帰ってきたと聞くと、そーっとその人の顔を見に行ったことがあった。因みにわが村では外国=アメリカでした。
関西ペイントの歌、好きです。
この歌が非買品かつ当時配られたセットテープしか存在しない事が残念なくらい名曲だと思います
なんか印象が薄いなーと思ったら、この頃は高校を卒業して日曜の朝はほとんど家にいなかった頃でした。私にとっては三洋電機グループ提供でパンナム協賛のイメージで固定されちゃってます。
このサウンド聴いただけで泣きそう…
かつての協力した航空会社は、パンナム(パン・アメリカン)航空でした。(兼高かおる・世界の旅のみ)
もうこの頃には急激に海外渡航者数が増えていて、当たり前になり始めてましたよね。この頃の日本が以下に急速に豊かになっていたのかがよくわかります。
パンナムではなくSASが協力の時期がありましたね。懐かしい。
番組後期ですね。
スカンジナビア航空、再び羽田空港就航へ。おかえりなさい
「兼高かおる世界の旅」「世界の子どもたち」「世界の結婚式」子どもの頃、日曜朝のお楽しみでした
兼高かおる世界の旅は関西ペイント(元のスポンサーは三洋電機)、世界の子どもたちは雪印乳業(現・雪印メグミルク)、世界の結婚式は西川産業(現・西川)のスポンサーですね。
@@haga9875 返信ありがとうございます。「兼高かおる〜」は有名ですが、「世界の子どもたち」「世界の結婚式」はネット情報も乏しく、知っている方がいらっしゃって感激です😓
見ました見ました!リアルタイムで毎週日曜日午前はそれでした!ちなみに、午後は新婚さんいらっしゃい→アタック25でお昼休憩昼寝して霊感ヤマカン第六感でした。(笑)
世界の子どもたちは学研の科学で小学2年の時に知りましたがテレビ山口では当時やってなかった。昭和50年春の大阪腸捻転ネット解消か昭和53年秋のテレビ山口のANN離脱に伴う番組大改編の頃に始まったようだ。
今は日曜夜、イモトアヤコだ!
ALESCO時代の関西ペイントでも充分貴重です。むしろ筆字謎マーク?時代の関西ペイントとしてのスポンサー期間が長かったはず(ALESCOでは確か1年ぐらい)なので、それが発掘されるのに期待です。
この当時、昭和63年度前期日曜朝8時TBSテレビ系列にて、関西ペイント・兼高かおる世界の旅、放送された番組、過去にも多かったかな…?
エスエーエススカンジナビア航空の協力を得ました。↑子供の頃よくわかんなくて聞いてましたがなんか「 かっけえ✨」と思って聞いてました☺️
バックの音楽「ジャンジャジャジャーン♬!!」と共に颯爽と飛び立つSASの航空機の姿ですからね。
高山征大 さんやっぱりかっこいいですよね✨音楽も荘厳✈️SAS素敵です😚兼高さんも吉行さんも素敵でした✨
平成元年4月2日放送分、翌年に番組終了(同時にサンデーモーニングの8時スタート)とはとても思えない感じがします。
お宝一杯の番組ですよね。
TBS系列の日曜日午前8時は?と質問したら恐らく「サンデーモーニング」と回答する皆さんが、大半だろうね。だけど、世代によってはこの番組と答える方々もいるかもしれない。
こんばんは。1987年10月の『サンデーモーニング』開始時に三洋電機グループが降板、関西ペイントが提供になりました。でも、末期近くで降板、完全な複数社提供になりましたが、1時間繰り上げただけで低迷して、1990年9月に終了しました。
今の世代は日曜夜イモトアヤコだ!
関西ペイントって確かアレスコがブランド名でしたね。
この番組は覚えています。確か日曜日の同じ時間に放送されていた、よみうりテレビ(日本テレビ)の『遠くへ行きたい』の対抗裏番組みたいでしたね。「向こうが国内旅行番組ならば、うちは外国旅行番組でいこう!」と言う感じに。
0:30〜 テーマ
経営危機に陥っていたパン・アメリカン航空からスカンジナビアン航空が制作協力する体制となり聞き手役:芥川隆行さんが他界、番組が終了するまで続きましたねぇ。
三洋電機1986.12verもありますか?BGMは、「街は夢色」で関西ペイント70周年記念で発表されたそうです。あの2年半後にTBSがロゴを変えました。
関西ペイントの前は、三洋電機だったので、前はその1986.12verであります。0:31 で出現した番組CIは、三洋電機1986.12verで登場したので、ロゴの変更に合わせて、作ったかもしれません。
1989年4月2日にRKBで録画したものです。
素敵な歌声ですね!高橋真梨子の声に似ていました!
番組最晩年のオープニングでしょうか初めのカラー文字のタイトルは記憶に有りますが以後のシーンは全く覚えてないです私自身も成長して興味の向く先が変わった頃かも知れませんが世の中でも一般の人が海外旅行に多く行く様になり、この様な海外の紹介番組に対する視聴者の関心が薄れ始めてきた頃なのかも知れませんね
カルムhouse 同じ世界紀行番組だった「日立ドキュメンタリー すばらしき世界旅行」も同様の理由で終了してしまいましたよね。
スポンサー読み上げは宇野叔子さん(TBS局アナ)ですね。なぜか微妙に早口ですが。
その前のメインスポンサーは、三洋電機でしたが、今のは関西ペイントのオープニングキャッチですね。
三井グループ→三洋電機グループ→関西ペイント(1987年~番組終了の1990年)、というのがスポンサーの流れでしたね。(これが終わった1990年に現在のサンデーモーニングの形が出来た(このカンペ提供の頃には既に8時半スタートで存在していたが))(カンペは後に1992年春から1年間、今は亡きABC日曜9時半枠(現在のスーパー戦隊シリーズ枠)で「旅に夢中」なる旅番組を関西ペイントグループ名義で1社提供していました。この頃は旅という観点と世界への展開で会社イメージに合うと判断したのでしょう)
実は岩手で関西ペイントのCMが視聴出来る様になったのが末期のこの番組でした。それ以前はABC製作・テレ朝系の必殺シリーズ枠の番組スポンサーでした(当時の岩手はテレ朝系がなかった頃なので関西ペイントのCMは見れませんでしたが)。
1989年9月ごろ降板。
@@hatatomo 関西ペイントは末期にはALESCOのブランド名になりました(家庭用ペイントはカンペハピオ)。
サンデーモーニングがスタートした事で放送時間が朝8時スタートに。
懐かしい映像です、番組製作協力がパンアメリカン航空からSASスカンジナビア航空に(変わった年は不明)しかしSASは関西が嫌いなのかな、関西空港開港時に関西ーコペンハーゲン線そして関西―ストックホルム線(就航した年は不明)が就航したのに、何故廃止したもう一度再会してくれ。
タイミングとしては、サポート航空会社としてのパンナム→SASの流れは悪くないとは思いますが(パンナムの太平洋路線撤退がきっかけか?)、私の(当時の)印象としては多少スケールダウンした感が否めなかったと思いました。
@@hatatomo PAAが太平洋航路をUALに売却して太平洋航路から撤退した(同時にPAAが持っていた日本(成田・伊丹)から東南・特定アジア方面の以遠権もUALに譲渡)のが1985年でしたから、翌1986年からSASの協力に変わりました。
それに伴いスポンサーも三洋電機から関西ペイントに
懐かしい兼高かおるの旅番組
この番組、説明の英語字幕が付き、英語による副音声があったのを覚えています…家にモノラルのテレビしかなかったので、他の場所で音声多重テレビがあればそれを確かめていました。
あらあら、此れは、可なり文化が進んだ時代だわ、会社も、斬新な😂
👍👍🏾👍🏿👍🏻😢うれしい❗️
当時、福井県では福井テレビ(フジテレビ系列)で放送してましたね〜😄
懐かしい番組勢ぞろいですね😊昼12時からもTBS系列のドラマや昼1時からもTBS系列毎日放送のバラエティ番組もやってました😊😊ホント懐かしいです〜😊😊
いい加減、福井県にTBS系列局作れと思うそれがだめならMBSの福井県電波乗り入れか、北陸民放局のテレビ電波相互乗り入れによる再編を日テレ系列→北日本放送(富山)の三県放送 ※テレビ金沢は北日本放送と合併TBS系列→北陸放送(石川)の三県放送 ※チューリップテレビは北陸放送と合併フジ系列→富山テレビ・石川テレビ・福井テレビの県域放送テレ朝系列→福井放送の三県放送 ※テレ朝系列マストパイ局にする ※北陸朝日放送は福井放送と合併ラジオ→北日本放送・北陸放送・福井放送の県域放送
RKBは同時ネットでした。
@@user-hj1yi6gf5vさま テレビ山口も開局当初から同時ネットでした。今振り返ればもっと見ておけばよかった番組でした。
サンヨーより関西ペイントの方が世界旅行って感じで好きです。末期のスポンサーが郵便貯金(現・株式会社ゆうちょ銀行)他複数社提供(ご覧のスポンサーの提供で…)なのが残念です。最後まで関西ペイントのままがよかったです。関西ペイントも宜しいのですが、そちらだけでなく、放送時間帯の都合上フマキラーやアサヒペンなどの一社提供も宜しいかとは思います。
確かに関西ペイントの方が馴染みがあります。日曜日の忘れられない記憶です。
個人的には『ALSCO』の方が良かった気がする。関西ペイントだと関西ローカルのイメージがするので。
ナショナルに対するパナソニックみたいなものですね。
なぜか南海放送でもやっていた🙄💬
テーマ曲の作曲者は久石 嬢さんでしょうか?あの有名な「となりのトトロ」の曲😿😿😿😿😿😿😿😿😿🐯
チャオ!
SAS…サザンオールスターズが世に登場するまでは世間一般ではこの航空会社のイメージだった。
TBS系列で第8チャンネル。RKBの北九州局(関門局)で受信→録画ですか?
時刻表示のフォントと、ビデオデッキで表示されたチャンネル表示とかからしてそうです。
昭和63年頃日曜朝8時放送分(TBSテレビ系列)でしょうか…?
もしかすると、RKBの北九州で録画したものですか?
これとは関係ないけど1970年代後半に土曜か日曜の朝7時から8時位にやってた海の生き物を紹介する様な番組有りませんでしたか?提供がニッスイだった様な感じで青い海の彼方カモメが翔んでいくよみたいなオープニングテーマだった様な記憶がかすかに残ってます😅
おそらくマチャアキ海へ行くかと。
@@DJKotony おお!多分それですね‼️😆素晴らしい🎵ありがとうございます😊
パンナム▶️SASスカンジナビア航空
末期の頃ですね。
最後のスポンサーだよね
0:30
この音楽、ところで、作者は誰なんでしょうか?何度聴いても、一瞬😢なります。
@髙橋きよみ 初期の作品ですね。
エッ????兼高かおる世界の旅はパンナム提供じゃないのですか⁉️😢
CH08と出ているけど、RKB(関門局)でしょうか❓
RKB毎日放送のアナログ放送時代は、北九州市は8チャンネルだったので、RKB関門局だと思われます。
tbs系で8チャンネルを使ってた所ですけど、中部日本放送の中津川局も有りますよ。
@@user-ps5ux2sp6w 本来なら8chになる系列局=東海テレビが1chだから出来る話
時刻表示から見て間違いないです。
あれっ?スポンサーが三洋電機じゃない。
関西ペイント様ですよ。
@@user-fo5pn8jr6n どうしてもこの番組は提供 三洋電機協賛 PAN AMってイメージなので
@@user-fo5pn8jr6n あぁ〜なるほど(^-^)浜松町駅近くのあの(雑居ビルの)ネオン看板のヤツな(爆)
三井グループ、なんて言ったらもう化石級かな?
@@nanalinn 様「三井ワールドアワー 兼高かおる世界の旅 この番組は躍進する日本経済の原動力 三井グループの代表11社の提供でお送りします」モノクロだった記憶があります。
RKBの関門局?
兼高かおるとイモトアヤコ、どっちがスゴイ?
兼高かおる様
スポンサーが三洋電気なのに、関西ペイントのスポンサー?
吉田美由紀さんスポンサーが「関西ペイント」だったのは、1986・7年~1990年頃の末期ですね、三洋電機が欠陥ファンヒーター事件の責任を負う形で、スポンサーを降りて、協賛元もパンアメリカン航空(パンナム)の破綻で、SASスカンジナビア航空に変わっています。
スポンサーが、三洋電機から「関西ペイント」になったのは、1987年10月頃で、その間に三洋電機1986.12verを経たものだと思われます。
@@user-dq9qn9sg6s当時のスポンサーの三洋電機は番組終了前に 欠陥ファンヒーターの告知CMもやった。
違うオープニング
PANAM破綻して、すぐにSASに協力を取り付ける事ができたのも兼高さんの人脈の広さですね。それと当時の日本が今以上にアジアの中心として期待されていた事もあります。
子供の頃に、この人と開高健は「(職業が)何だかよく分からないけど凄い人」ってイメージだった。
日曜の朝、思い出すなぁ。ちゃぶ台を囲み、ラーニングの無口のオヤジ、おふくろは、お茶を運んでました。この番組がアメリカを夢みました。おかげで夢がかないました。
兼高かおるとこの番組は、日本国民における生活の文化の質的向上に多大な貢献を果たしたよ。
挿入される音楽も解説も、映像も・・・なにもかも、全てがハイセンス。
日曜の朝がなんとさわやかだったことか…
兼高かおるさん、長い間本当にご苦労さまでした、ありがとうございます。然しオープニングのこの曲はとてもいいです。昔あまりにも気にいってて時々口ずさんでました。
兼高さんの「そうなんですの」が一番印象に残っています。
学生の頃、日曜日の朝は関西ペイントのCMと世界の旅のオープニング曲を聴いて8時だ!で時報にして、アルバイトに向かっていました。
アルバイト代が海外旅行の資金になったのもこの映像からです。
懐かしい影響をありがとうございます。
数年前にこのSAS 航空のOP映像を見つけてとても懐かしくて感動しました。
SAS 航空に乗れる日が来る!と心が弾んでいました。そしてこの1年後に夢叶いSAS に乗る航路が出来てました。この兼高かおるさんの
番組は本当に夢を与えてくれる番組でした。
私が子供の頃かれこれ50年前の日曜日の朝はこれから始まり、家族揃って見てました。
その頃のOP曲は「around The World」(80日間世界一周)のテーマ曲だと記憶してますが・・・
1977年4月に、放送時間帯が日曜午前9時からの枠に移動すると同時に三洋電機グループ単独提供(後に1987年10月に朝8時からの枠へ移動と同時に関西ペイント1社提供への変更を経て1989年10月以降は複数社提供に)となってからこのテーマ曲(久石譲作曲による番組オリジナル曲)になり、以後1990年9月の最終回まで使用されてます(ただし、途中で一部アレンジが変更されている)。
小学生だった頃の日曜日の朝はこの番組を見ながらまるで世界を旅行しているような気分になって見ていました、SASの時に見ていたので懐かしく見ていました、「~そうなんですの」なんて言い回しが印象的でした!
今、日曜の夜はイモトアヤコ。
兼高かおる世界の旅懐かしい…。
このOPの直後に、アルプス電気のCMが流れるのが定番でしたねw。
これを見ながらパンとポタージュを食べ、塾に行くのが週末の定番でした。
このOPは、この番組の放送が終焉を迎えるころのものですね。自分的には、パンナムが協賛していた頃のOPが一番良かったです。
あの頃の日曜日の朝🌄8時関西ペイント 三洋電機のCMと共に
兼高かおる世界の旅オープニング あぁもう8時良い時間っと思ったな〰️ 懐かしい 因みにこのコメ書いたの令和2年8月午前8時
インターネットが発達する前は、この番組が海外の真の実状を知る数少ない手段だった。
35年前位に、関西ペイントのCM曲が最高でした。
平成2年になると、関西ペイントの提供がなく、関西ペイント以外の複数の提供がありました。
北欧の独特の空気感が魅力的
日曜朝、寛ぎながら鑑賞できる上質な時間だった。 世界が遠かった時代、インターナショナルな兼高さんを旅人に世界各地に心躍らせ、聞き手の芥川隆行さんの心地良い調子、話の掛け合いや言葉使いにも憧れました。 紀行物・ドキュメント・クイズ番組・スポーツの「ダイヤモンドサッカー」に至るまで、昭和にはこう云う番組が沢山あった。 少なくとも今の様に日曜朝からsモ二だのSジャポンだの撤収したSプロジェクトだのと云った怪情報や偏向解説、アンカーマンの話の調子も薄気味悪く思わず身構えてしまう毒電波番組は無かった。
日曜夜はイモトアヤコだ!
「芥川さん、ここが有名な三途の川でございますの」「ほほう、なるほど」今頃はこんな感じかなあ…。世界中の有名人ともインタビューされてましたね。閻魔大王とも優雅にインタビューしているかもしれませんw…兼高さん、今回の旅は少々ばかり長旅になりそうですね(/_;)/~~
「あの水晶の鏡には、生前の悪行が全て映りますのよ」
「私はやめときます」
感動的です。本音、「兼高かおる世界の旅」の初代のテーマ曲より、こちらの曲のほうがメロディ美しく聞いてて涙が出ます。また以前、同じこの曲のアップ作品で曲の最後の1秒が切れてて残念でしたが、こちらは完ぺきに切れずに聞けたので感激しています。
久石譲氏の初期の作品です。
masa nabe 様
私も全く同じ事思ってました。ほんの1秒くらいが切れただけですが
なんかモヤモヤしてました
この前のバージョン(パンナム)も良いですね
動画の影響か、最近飛行機の模型にハマってきた私です
この曲今の令和の時代に聞いても全く古さを感じず目茶苦茶かっこいい曲ですね。
長年この番組のスポンサーだったパンナムの経営が傾き、太平洋路線をユナイテッド航空に売却してしまった後は、スカンジナビア航空が協力企業でしたよね。
そういえば昔福井テレビで朝オンエアしていました。フライトするスカンジナビア航空のマクドネルダグラスDC10が懐かしい!
なんだかなぁ・・・サンモニの前番組のひとつ
この様な番組が復活しないかな~。
関西ペイント尼崎工場で始業前に流れてました🤔
海外=多くの国民の憧れ。
その夢を与えてくれたのが地上波各局。
その20年近く経った姿が「バラエティ番組の飽和」「国内オンリーのローカルかつ低コストの番組制作」「安っぽいキラキラ系セットと雛壇芸人中心のキャスト枠」という、まさに今の日本の衰退を象徴する状況になってしまった。
これが今(現代)の長ったらしく、くらだなく、つまらない地上波のテレビ番組を作った。バラエティ番組に俳優さんや芸人さんが出るとドラマや局のイベントの番宣がやたらと目立って多い。昔はテレビばっかり見てないで勉強をしなさいと言ったが、今はCZcamsやスマホの動画サービスが人気だそうです。
イモトアヤコが後を継いで頑張ってるじゃないか。
記憶の片隅に、オープニングキャッチの唄の一部分がありました。当時は保育園の年長さん位でしたが、なんとなく家族で見ていた記憶がありました。SASスカンジナビア航空を記憶したのも、この番組でした‼️
日曜の朝8時を名作 兼高かおる世界の旅放送して欲しい。
TBSチャンネルでやってる🙄💬
平日のみのベルト番組にしても6年かかる🙄🙄🙄
海外旅行が高嶺の花の時代。わが村ではアメリカに行くと顔がアメリカ人のようになると誰もが本当に信じていた。誰々がアメリカから帰ってきたと聞くと、そーっとその人の顔を見に行ったことがあった。因みにわが村では外国=アメリカでした。
関西ペイントの歌、好きです。
この歌が非買品かつ当時配られたセットテープしか存在しない事が残念なくらい名曲だと思います
なんか印象が薄いなーと思ったら、この頃は高校を卒業して日曜の朝はほとんど家にいなかった頃でした。私にとっては三洋電機グループ提供でパンナム協賛のイメージで固定されちゃってます。
このサウンド聴いただけで泣きそう…
かつての協力した航空会社は、パンナム(パン・アメリカン)航空でした。(兼高かおる・世界の旅のみ)
もうこの頃には急激に海外渡航者数が増えていて、当たり前になり始めてましたよね。
この頃の日本が以下に急速に豊かになっていたのかがよくわかります。
パンナムではなくSASが協力の時期がありましたね。懐かしい。
番組後期ですね。
スカンジナビア航空、再び羽田空港就航へ。おかえりなさい
「兼高かおる世界の旅」「世界の子どもたち」「世界の結婚式」
子どもの頃、日曜朝のお楽しみでした
兼高かおる世界の旅は関西ペイント(元のスポンサーは三洋電機)、世界の子どもたちは雪印乳業(現・雪印メグミルク)、世界の結婚式は西川産業(現・西川)のスポンサーですね。
@@haga9875
返信ありがとうございます。
「兼高かおる〜」は有名ですが、
「世界の子どもたち」「世界の結婚式」はネット情報も乏しく、知っている方がいらっしゃって感激です😓
見ました見ました!リアルタイムで毎週日曜日午前はそれでした!
ちなみに、午後は新婚さんいらっしゃい→アタック25でお昼休憩昼寝して霊感ヤマカン第六感でした。(笑)
世界の子どもたちは学研の科学で小学2年の時に知りましたがテレビ山口では当時やってなかった。昭和50年春の大阪腸捻転ネット解消か昭和53年秋のテレビ山口のANN離脱に伴う番組大改編の頃に始まったようだ。
今は日曜夜、イモトアヤコだ!
ALESCO時代の関西ペイントでも充分貴重です。
むしろ筆字謎マーク?時代の関西ペイントとしてのスポンサー期間が長かったはず(ALESCOでは確か1年ぐらい)なので、それが発掘されるのに期待です。
この当時、昭和63年度前期日曜朝8時TBSテレビ系列にて、関西ペイント・兼高かおる世界の旅、放送された番組、過去にも多かったかな…?
エスエーエススカンジナビア航空の協力を得ました。
↑
子供の頃よくわかんなくて聞いてましたが
なんか「 かっけえ✨」と思って聞いてました☺️
バックの音楽「ジャンジャジャジャーン♬!!」と共に颯爽と飛び立つSASの航空機の姿ですからね。
高山征大 さん
やっぱりかっこいいですよね✨
音楽も荘厳✈️SAS素敵です😚
兼高さんも吉行さんも素敵でした✨
平成元年4月2日放送分、翌年に番組終了(同時にサンデーモーニングの8時スタート)とはとても思えない感じがします。
お宝一杯の番組ですよね。
TBS系列の日曜日午前8時は?と質問
したら恐らく「サンデーモーニング」と
回答する皆さんが、大半だろうね。
だけど、世代によってはこの番組と
答える方々もいるかもしれない。
こんばんは。1987年10月の『サンデーモーニング』開始時に三洋電機グループが降板、関西ペイントが提供になりました。
でも、末期近くで降板、完全な複数社提供になりましたが、1時間繰り上げただけで低迷して、1990年9月に終了しました。
今の世代は日曜夜イモトアヤコだ!
関西ペイントって確かアレスコがブランド名でしたね。
この番組は覚えています。確か日曜日の同じ時間に放送されていた、よみうりテレビ(日本テレビ)の『遠くへ行きたい』の対抗裏番組みたいでしたね。「向こうが国内旅行番組ならば、うちは外国旅行番組でいこう!」と言う感じに。
0:30〜 テーマ
経営危機に陥っていたパン・アメリカン航空から
スカンジナビアン航空が制作協力する体制となり
聞き手役:芥川隆行さんが他界、番組が終了するまで
続きましたねぇ。
三洋電機1986.12verもありますか?
BGMは、「街は夢色」で関西ペイント70周年記念で発表されたそうです。
あの2年半後にTBSがロゴを変えました。
関西ペイントの前は、三洋電機だったので、前はその1986.12verであります。
0:31 で出現した番組CIは、三洋電機1986.12verで登場したので、ロゴの変更に合わせて、作ったかもしれません。
1989年4月2日にRKBで録画したものです。
素敵な歌声ですね!
高橋真梨子の声に似ていました!
番組最晩年のオープニングでしょうか
初めのカラー文字のタイトルは記憶に有りますが以後のシーンは全く覚えてないです
私自身も成長して興味の向く先が変わった頃かも知れませんが
世の中でも一般の人が海外旅行に多く行く様になり、この様な海外の紹介番組に対する
視聴者の関心が薄れ始めてきた頃なのかも知れませんね
カルムhouse 同じ世界紀行番組だった「日立ドキュメンタリー すばらしき世界旅行」も同様の理由で終了してしまいましたよね。
スポンサー読み上げは宇野叔子さん(TBS局アナ)ですね。なぜか微妙に早口ですが。
その前のメインスポンサーは、三洋電機でしたが、今のは関西ペイントのオープニングキャッチですね。
三井グループ→三洋電機グループ→関西ペイント(1987年~番組終了の1990年)、というのがスポンサーの流れでしたね。(これが終わった1990年に現在のサンデーモーニングの形が出来た(このカンペ提供の頃には既に8時半スタートで存在していたが))
(カンペは後に1992年春から1年間、今は亡きABC日曜9時半枠(現在のスーパー戦隊シリーズ枠)で「旅に夢中」なる旅番組を関西ペイントグループ名義で1社提供していました。この頃は旅という観点と世界への展開で会社イメージに合うと判断したのでしょう)
実は岩手で関西ペイントのCMが視聴出来る様になったのが末期のこの番組でした。
それ以前はABC製作・テレ朝系の必殺シリーズ枠の番組スポンサーでした(当時の岩手はテレ朝系がなかった頃なので関西ペイントのCMは見れませんでしたが)。
1989年9月ごろ降板。
@@hatatomo 関西ペイントは末期にはALESCOのブランド名になりました(家庭用ペイントはカンペハピオ)。
サンデーモーニングがスタートした事で放送時間が朝8時スタートに。
懐かしい映像です、番組製作協力がパンアメリカン航空からSASスカンジナビア航空に(変わった年は不明)しかしSASは関西が嫌いなのかな、関西空港開港時に関西ーコペンハーゲン線そして関西―ストックホルム線(就航した年は不明)が就航したのに、何故廃止したもう一度再会してくれ。
タイミングとしては、サポート航空会社としてのパンナム→SASの流れは悪くないとは思いますが(パンナムの太平洋路線撤退がきっかけか?)、私の(当時の)印象としては多少スケールダウンした感が否めなかったと思いました。
@@hatatomo PAAが太平洋航路をUALに売却して太平洋航路から撤退した(同時にPAAが持っていた日本(成田・伊丹)から東南・特定アジア方面の以遠権もUALに譲渡)のが1985年でしたから、翌1986年からSASの協力に変わりました。
それに伴いスポンサーも三洋電機から関西ペイントに
懐かしい兼高かおるの旅番組
この番組、説明の英語字幕が付き、英語による副音声があったのを覚えています…家にモノラルのテレビしかなかったので、他の場所で音声多重テレビがあればそれを確かめていました。
あらあら、此れは、可なり文化が進んだ時代だわ、会社も、斬新な😂
👍👍🏾👍🏿👍🏻😢うれしい❗️
当時、福井県では福井テレビ(フジテレビ系列)で放送してましたね〜😄
懐かしい番組勢ぞろいですね😊
昼12時からもTBS系列のドラマや昼1時からもTBS系列毎日放送のバラエティ番組もやってました😊😊
ホント懐かしいです〜😊😊
いい加減、福井県にTBS系列局作れと思う
それがだめならMBSの福井県電波乗り入れか、北陸民放局のテレビ電波相互乗り入れによる再編を
日テレ系列→北日本放送(富山)の三県放送 ※テレビ金沢は北日本放送と合併
TBS系列→北陸放送(石川)の三県放送 ※チューリップテレビは北陸放送と合併
フジ系列→富山テレビ・石川テレビ・福井テレビの県域放送
テレ朝系列→福井放送の三県放送 ※テレ朝系列マストパイ局にする ※北陸朝日放送は福井放送と合併
ラジオ→北日本放送・北陸放送・福井放送の県域放送
RKBは同時ネットでした。
@@user-hj1yi6gf5vさま テレビ山口も開局当初から同時ネットでした。今振り返ればもっと見ておけばよかった番組でした。
サンヨーより関西ペイントの方が世界旅行って感じで好きです。末期のスポンサーが郵便貯金(現・株式会社ゆうちょ銀行)他複数社提供(ご覧のスポンサーの提供で…)なのが残念です。最後まで関西ペイントのままがよかったです。関西ペイントも宜しいのですが、そちらだけでなく、放送時間帯の都合上フマキラーやアサヒペンなどの一社提供も宜しいかとは思います。
確かに関西ペイントの方が馴染みがあります。
日曜日の忘れられない記憶です。
個人的には『ALSCO』の方が良かった気がする。
関西ペイントだと関西ローカルのイメージがするので。
ナショナルに対するパナソニックみたいなものですね。
なぜか南海放送でもやっていた🙄💬
テーマ曲の作曲者は久石 嬢さんでしょうか?あの有名な「となりのトトロ」の曲😿😿😿😿😿😿😿😿😿🐯
チャオ!
SAS…サザンオールスターズが世に登場するまでは
世間一般ではこの航空会社のイメージだった。
TBS系列で第8チャンネル。
RKBの北九州局(関門局)で受信→録画ですか?
時刻表示のフォントと、ビデオデッキで表示されたチャンネル表示とかからしてそうです。
昭和63年頃日曜朝8時放送分(TBSテレビ系列)でしょうか…?
もしかすると、RKBの北九州で録画したものですか?
これとは関係ないけど1970年代後半に土曜か日曜の朝7時から8時位にやってた海の生き物を紹介する
様な番組有りませんでしたか?
提供がニッスイだった様な感じで
青い海の彼方カモメが翔んでいくよ
みたいなオープニングテーマだった様な記憶がかすかに残ってます😅
おそらくマチャアキ海へ行くかと。
@@DJKotony
おお!多分それですね‼️😆
素晴らしい🎵ありがとうございます😊
パンナム▶️SASスカンジナビア航空
末期の頃ですね。
最後のスポンサーだよね
0:30
この音楽、ところで、作者は誰なんでしょうか?
何度聴いても、一瞬😢なります。
@髙橋きよみ 初期の作品ですね。
エッ????
兼高かおる世界の旅はパンナム提供じゃないのですか⁉️😢
CH08と出ているけど、RKB(関門局)でしょうか❓
RKB毎日放送のアナログ放送時代は、北九州市は8チャンネルだったので、RKB関門局だと思われます。
tbs系で8チャンネルを使ってた所ですけど、中部日本放送の中津川局も有りますよ。
@@user-ps5ux2sp6w
本来なら8chになる系列局=東海テレビが1chだから出来る話
時刻表示から見て間違いないです。
あれっ?スポンサーが
三洋電機じゃない。
関西ペイント様ですよ。
@@user-fo5pn8jr6n
どうしてもこの番組は
提供 三洋電機
協賛 PAN AM
ってイメージなので
@@user-fo5pn8jr6n あぁ〜なるほど(^-^)
浜松町駅近くのあの(雑居ビルの)ネオン看板のヤツな(爆)
三井グループ、なんて言ったらもう化石級かな?
@@nanalinn 様
「三井ワールドアワー 兼高かおる世界の旅 この番組は躍進する日本経済の原動力 三井グループの代表11社の提供でお送りします」モノクロだった記憶があります。
RKBの関門局?
兼高かおるとイモトアヤコ、どっちがスゴイ?
兼高かおる様
スポンサーが三洋電気なのに、関西ペイントのスポンサー?
吉田美由紀さん
スポンサーが「関西ペイント」だったのは、1986・7年~1990年頃の末期ですね、三洋電機が
欠陥ファンヒーター事件の責任を負う形で、スポンサーを降りて、協賛元も
パンアメリカン航空(パンナム)の破綻で、SASスカンジナビア航空に変わっています。
スポンサーが、三洋電機から「関西ペイント」になったのは、1987年10月頃で、その間に三洋電機1986.12verを経たものだと思われます。
@@user-dq9qn9sg6s当時のスポンサーの三洋電機は番組終了前に 欠陥ファンヒーターの告知CMもやった。
違うオープニング