名鉄【岐阜市内線】「徹明町」長良線廃止前と後:怒涛の電車尽くし(長良線の未公開映像も)
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- čas přidán 8. 09. 2024
- '86.3 & '89.8 撮影:名鉄岐阜市内線全廃(2005年)の17年前(1988年)、徹明町~長良北町間(通称:長良線)が廃止されました。本動画では、名鉄岐阜600V線区のまさに要衝であった「徹明町」交差点に焦点を当て、長良線廃止前後それぞれの時期に、路線を行き交う様々な電車たちの姿をたっぷりとお届けします。長良線は、前回映像の抜粋再録に加え、電車と並走する未公開映像も収録しました。
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岐阜の路面電車は20代後半の頃に乗りました。色々な角度から撮影されますので、楽しかったです。
路面電車独特の走行音、車内に腰掛けていても足元から何とも言えない振動が好きでしたし、あれが路面電車って感じでした。
懐かしい動画をありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
色々な角度からの撮影につき評価いただき恐縮です。徹明町の交差点での撮影では、XY平面に見立てた場合の第一~第四象限のすべての場所から電車の通過を撮影しましたが、街の風景の記録という意味でも良かったのではと思っています。
一度だけ子供の頃に長良線乗って亡父に花火大会に連れて行ってもらった事ありました。
多分80年頃ですかね。
懐かしいです。
あとは谷汲線廃止直前に友人達と乗った時かな。
頻繁に外から見る事はあったけど、乗ったのはこの2回位でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
長良川の花火大会に行く際にこの電車を利用したというコメントは、他に複数の方からいただいています。本当に地域の足として親しまれていたのですね。
素晴らしいですね!先日岐阜に行ったばかりですが、普通の街になりましたね…。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
路面電車の線路が在ることによって、道路、特に交差点には特別な表情が根付くと思います。それが無くなってしまうと、どこの交差点も皆同じに見えてしまいますね。
美濃町線で見かけたモ574の回送ですが、もしかすると車両基地がある市ノ坪から忠節へ回送されたと考えられます。岐阜市内線の車両も市ノ坪所属でした。忠節からは名鉄岐阜・岐阜駅前発着の市内線に入ります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
市ノ坪で570形を見たことがあったので、私もそうかなぁと思いました。ただ、この撮影の際には、それを意識していなかったので、徹明町を東西に横切るというレアな映像を撮り損なってしまい、それが心残りです。
非常に懐かしい映像です。40年前少年時代に長良線に乗って長良川花火大会を見に行きました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
長良川の花火大会を長良線で見に行く、というのは地域の足として理想的な姿だったのでは、と想像いたします。
名古屋から新岐阜で乗り換え、
岐阜公園や谷汲方面までよく利用しましたが、
安全地帯もなくクルマやバスがすぐ横をかすめて行く
雑然としてスリルがある路面電車でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画にも写っていますが、徹明町の電停にも安全地帯が無くて、乗降客はホントに怖い思いをしたのでしょうね。
幼い頃から岐阜の路面電車はすごく身近な親しい存在でした。通学にも利用していました。長良線は最後の日に乗車していました。1988年5月頃でしたでしょうか?
電車、バスだけでなく、街、景色、全てがなつかし過ぎます。音楽、言葉にも胸が詰まります。ありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方に懐かしんでいただけたのであれば当方としても嬉しい限りです。廃止されてしまったのは勿論残念ではありますが、市内線だけでなく、揖斐・谷汲線や美濃町線も含めて、古き良き鉄道路線が平成の世どころか、ギリ今世紀まで存続していたのは凄いことだと思います。資料によりますと、長良線の廃止は仰る頃の '88.6.1となっていますね。
全てが、懐かしい。後悔しているのは長良線に乗車していないこと。当時高校生でした。多少無理でも乗車しておけば、良かったと、思います。ダイアモンドクロスが身近にあったこと。徹明町で忠節、長良線と、連続発車したこと。幕式、リベットうちのバスも懐かしい。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
徹明町では、左折(忠節方面)と直進(長良線)とが、連続発車していたのですね! 路面電車同士のダイヤモンドクロスは、今では土佐電だけになっていますが、岐阜市内線があった頃はラスト2だったのですよね。
懐かしい光景ばかりです。
金華山付近の道路は拡張する余裕が無いためか当時の緩いカーブを未だに残していて、過去に電車が走っていた事を偲ばせてくれます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
なるほど、路面電車が廃止されてしまっても、道路が変わっていないのであれば昔を偲ぶことができそうです。路面電車廃止後に時を経て激変してしまう道路が多い中、変わっていないところは貴重ですね。
@@昭和電車チャンネル さま
グーグルマップで美濃町線のあった道を見るとその変貌ぶりにがっかりします。
もっと前に全廃された京都の方がまだよっぽど昔を偲ぶことができます
岐阜市の路面電車の中でも一足早く廃止になりましたもんね・・・
長良線廃止時は中学生でしたが新岐阜駅前から岐阜公園までの往復は何度か乗った記憶があります
どの路線も似たようなものですが、なくなると復活を希望する人が増える・・・不思議なもんですね・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
近年になって、全国的に公共交通としての路面電車を見直す機運が高まっていますが、昔廃止された路線を復活させるというのは、まあ不可能に近いでしょうね。
動画ありがとうございます。
長良北町方面が走っていた時代は生まれたばっかで知らない(S63生まれ)ので、貴重な動画ありがとうございます。
揖斐線沿線住民の為、釣りかけ音や踏切音が懐かしいです。
ライトレールとしても残してほしかったです...正直今の岐阜バス大嫌いです...
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
1986年に私が初めて岐阜の600V線区を訪問した際には、車輛も駅も路線も、全てに亘り「古き良き昭和の佇まい」が残されていることに歓喜したものです。揖斐・谷汲線、美濃町線、そして市内線、それぞれが本当に魅力的でした。それらの要衝として「徹明町」が存在していた訳で、今回の動画はリスペクトの気持ちを込めて編集したつもりです。
揖斐線から新岐阜駅前の直通列車と美濃町から各務原線直通列車には乗りました。
今は廃止になりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
関東の人間からすると、名鉄の路線網はバラエティに富んでいて羨ましかったものです。
都電6000形の兄弟車だった570形、DVD映像を知るのみですが好きな車両だった…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
都電6000形タイプは、岐阜の570形以外に土佐電鉄にも居ましたが、堂々としていてカッコ良いですよね。
長良北町方面は残っていれば、貴重な観光資源でしたね。悔やまれます
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
長良線をはじめ、岐阜600V線区はいずれも大変魅力的な路線でしたので、廃止されたのは本当に悔やまれますね。
この頃は昭和レトロなんて言葉使わなかったからね。昭和そのものなんだから笑。何でも新しいモノへと変化させるのが当然だったし、時代の流れに逆行して古いものを残す意味さえ考えなかった風潮だからね。ずっと住んでる地元民からすれば、チンチン電車は邪魔でうるさいだけで高校生の為だけの存在、本音の民意ではやく消えて欲しかった😅忠節以降の田舎の踏切は一旦停止取り締まりの対象だったのもあって心底迷惑してました😂ちゃんと住んでる市民の本音でした。ごめんねごめんね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
残して欲しいという意見に対して、その反対の意見が同等以上に多かったであろうことは実際の結果から想像はできましたが、地元の方のこういう本音のご意見はなかなか聞くことができないので、かなり貴重に感じました。
岐阜市内線の存廃議論が2000年代前半からあと20年程後の出来事であったら、宇都宮ライトレールの成功を見て高規格化のうえで存続の道を選んだのだろうと思うと、無念でなりません。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
インターアーバンとしても素晴らしかった岐阜の600V線区の廃止は、本当に残念だったと思います。
なぜ 廃止になった?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
廃止は本当に残念でしたが、今更どうこう言っても仕方ないので、詳しい経緯を私は敢えて調べておりません。ネット上にはいろいろ情報があるようですが。
かつて街に音楽が流れてましたよね。フォークグループ阿呆鳥っぽいのが途中で流れてましたが。
ポイントから先がなくなっている線路って、ちょっとショックですよね。
途中で乗り込む場面がありましたが、お客さん0って・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに昔は(今でもどこかにあるかも?)商店街などで音楽が流れていましたねぇ。それが街の喧噪と共に郷愁を誘う要素となっています。'89年に徹明町を再訪した際の長良線の線路は、暫定措置としてアスファルトで「簡易に埋め」られているように見えました。線路がなまじ「見える」だけに、より切なさを感じたものです。
あと、自分は正面五枚窓の510型戸袋が丸窓になっていて好きな車輌でした🙋
丸窓列車は、釣り掛けモータ轟かせて走っていました。私の一番好きな列車です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
丸窓電車は私も大好きです。モ510形はその要素の全てに亘り最高ですね。
懐かしい映像、有難うございます🙇やはり路面電車(長良線)が有る頃は、柳ヶ瀬へ行く人も、多かったです。たまに行く岩田時計舗(メガネの岩田)の人も、『路面電車が有る頃は、良かった』と、未だに言われます。570の紹介で571〜675と出てましたが、571〜575の間違いでは😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
字幕の間違いをご指摘いただき恐縮です。動画編集確定前に2回ほど見直しをしているのですが、見落してしまいました(汗)。モ550形の故郷の金沢にも似た、情緒ある長良線本町付近の沿線風景、今でも印象に残っております。
この動画を観ると モ510や520の丸妻形状(流線形)は 空気抵抗低減以外に このコーナーを曲がる為(特に連結時)の必然的形状なのだという事がわかります。
『ぜにや』(干物や乾物を扱うお店らしい)さんは 岐阜で随分と名の知れたお店のようですね。
岐阜バスも 屋根肩に広告を出しているのは 路面電車的です。
クルマで路面電車と並走したり 後追いする時はご注意を。
ブレーキランプがありませんので(今の都電には付いてる)
平面クロスを渡るサウンドは やっぱり賑やか。
それだけに『あった筈の線路が無くなっている』と悲しくなりますね。動画ではレールは埋められているものの 架線は残っているから尚更です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに、急カーブを曲がる際にはコーナーが丸いことのメリットってありますね。路面電車にはブレーキランプが無かったということは、言われてみるとそうですね。まあ電車は重く且つ鉄車輪なので、バスのような急減速はないのでしょうが、電車に後続しているときは注意すべきですね。長良線の線路は、89年の時点では暫定措置で「埋められている」感じでしたが、その後の道路改修によって完全に消え失せたはずです。