【急行電車の直角クロスシート】新潟県を走る夜行急行列車がすごすぎる!直江津→直江津 乗車記
Vložit
- čas přidán 12. 09. 2024
- えちごトキめき鉄道さん主催の団体列車「夜行急行」に参加しました。
直江津を22時16分に出て、妙高高原と市振で折り返し、直江津に翌朝の6時30分に帰ってくるというコース。車両はJR西日本から買い取った455系413系で、国鉄型急行電車の夜行列車ということで、まさに国鉄時代の夜行列車を擬似体験できる内容である。
夜行列車の真の姿を知らない私たち世代にとって、このツアーは貴重な体験となりました。
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企画列車とはいえ鉄道ファンの視点での列車設定をするあたり鳥塚社長はさすがだなぁって思う
昔のことですが、急行アルプスの夜行で慣れないボックスシートで一夜を明かしたのが懐かしい思い出です。
昭和の鉄道マニアです。興味深く拝見させて頂きました。
座席の夜行は15年前の臨時「はなたび利尻」以来乗っていませんが、「ムーンライトながら」以前の大垣夜行時代はよく乗りました。
直角ボックスシートに4人掛けでよく眠れたものです。今なら無理でしょうね。
まだ周遊券が存在した頃、北海道ワイド周遊券で夜行座席18連泊などしましたが、若いから出来た芸当で、今となっては良い思い出です。
夜行列車のクロスシートは、向かい合った人に寄っては暗黙の了解でお互い足を伸ばし合って少しでも楽にと工夫してました。お互い、持参した果物なんか交換したり、古き良き思い出です。
朝のシーンとか、あのだるくて眠い座席夜行の気分が蘇ってきたよ…
やることなくてブラインドの溝に意味もなく指突っ込んだりしてたなあ
いい動画でした
かつてボックスシートに4人掛けでの夜行に乗りましたが、ウトウトはするけどよく眠れませんでした〜🤣
混んでる時は通路にも寝る人がいたりして😪
動画おもしろかったです。ありがとうございました😊
その昔、ばんだい5号で上野から会津若松まで、乗車口のドアのところで立ちっぱなしで行ったことがありました。
夜行急行は青春の思い出がいっぱい。
30年前は日本全国に夜行の急行や普通はあたりまえでした。
ワイド周遊券という仕組みも地域ごとにありましたから鉄旅は
楽しいものでした。上野発の長岡行き普通 紀伊本線普通
急行も能登 越前妙高 八甲田 十和田 男鹿 千曲 さんべ
などが本州をボックスシートで長距離をはしっていました。
旧型客車は真夏でもエアコンなんてあるわけないし冬はお尻が
カチカチ山じゃないかと言うくらい熱かった。レトルトカレー
を挟み込んで温めた…
165・167系の大垣夜行にギリギリ乗れた世代です。
とにかくあのボックスシートで寝るのが大変だった記憶があります。
今となっては良い思い出ですかね。
165系の大垣夜行や新宮夜行を体験出来る面白い企画ですね。
OPから、喋りがいつもより少しだけ早口で、ボロクハさんのテンションが上がっているのが伝わる(笑)
これは乗ってみたい~!!
席が足りず6人で座るグループ、床に座る乗客、デッキ(特に編成の端)を個室と言い張る人など懐かしい思い出ですがそういう時代に戻るのはちょっと…
中学の修学旅行の帰りが急行さんべに増結座席車を繋いでボックスシートに4人だった。通路に敷くゴザを学校が用意していて、椅子の間や通路でも寝れる仕様(笑) 併結の20系寝台車が羨ましかった。
165系時代の大垣夜行のグリーン車で座る為に東京駅で4時間並んだとか、
`85年のGW、14系座席車急行津軽で座れたものの、通路、デッキにビッシリ立ち客が居て、トイレに行く為に福島駅で無理矢理人をかき分けて行ったとか、
長崎のおじさんの家に遊びに行ってた彼女(現嫁)を「ながさき」に乗って迎えに行き、急行雲仙に二人で乗って自分の実家に連れ帰ったり、
変なノスタルジーを求めて廃止間際のはまなすの座席指定車で青森~札幌を乗り通し、やっぱり座席夜行は二度と御免だ(もう無いけど)と思ったり…。
まあ色々乗って来ました。
夜行バスでも同じだけど、椅子に座って夜通しって若い頃じゃないと無理だわ(苦笑)
始発駅でずっと並ぶのは恒例行事ですよね。
大垣夜行、またMLながら後にも走った臨時大垣夜行、
更に昔の夜行急行アルプス号を思い出しました。
あの頃はボックス席の夜行列車が当たり前のように走ってました。
当然眠れるもんではなかったですが、それもまた懐かしい思い出です。
自分は急行八甲田を思い出しました
絶対無理だろうけど復活して欲しいなぁ・・・
友達と4人で乗った大垣行き。
ボックスの座席に二人、その下の床に二人、横になって眠ったという、今となっては信じられない乗り方したなぁ。
18きっぷで出雲まで行ってきた思い出。
大垣夜行だと床に敷く新聞紙を持って乗ったのが懐かしい思い出です
なかなか寝れずに100kmくらい寝過ごして予定を大幅に変更した間抜けな思い出もw
昔、東京→大垣の夜行列車に中学生の時友達二人で乗りました。運が良くかクロスシートで知らない大学生2人と対面で仲良くなってずっと寝ないで大垣まで行きました。
でも大阪に着いたら睡魔がピークになってしまい一日目の大阪観光が台無しになってしまいました。笑
以前直江津に住んでた時に、直江津駅
から夜行急行能登に乗って東京に行った事を思い出します。あの頃は既に
末期で車内はガラガラだったので、のんびり寝て過ごしたものでした。
30年くらい前に急行だいせんの12系ボックスシート時代、高校修学旅行で急行ちくま、大学生の頃に18きっぷで大垣夜行救済列車、165系夜行新宮行きと、色々経験してきました。感想としては減光が無いため、夜行列車は苦行しか思い出がありません😵 ただ、苦行とは引き換えに、夜行列車ならではの楽しさはありました。
懐かしいですね。学生時代、定期列車として走っていた急行立山で大阪~糸魚川(富山~糸魚川は快速扱い)の全区間を何度か乗りました。その当時はグリーン車や営業休止だったとは言え、ビュッフェも連結されたフル編成で急行の貫禄も十分ありました。
とき鉄さん、旧国鉄急行車を購入するわ、それを団体列車の形を取れど夜行急行として運転したり…やっぱり鳥塚社長凄いな!俺は同じタイプの夜行列車としては、153系事大の大垣夜行・東北~磐越西線の急行ばんだい・中央線のアルプス・きそ・東北本線の急行八甲田、そして旧型客車時代の急行大雪・利尻なんかの記憶がある。空いていればボックスを占領して身体をL字型にして寝られるから、リクライニングシートよりぐっすり寝られた。第一、ボックスシートの方が旅情があるし。
153系時代の大垣夜行を知ってるって歳幾つ?70は確実に超えてるんじゃないの?w
皆さんが言っている大垣夜行が何かは、鉄道に詳しくない私としては分かりかねますが、約20年ほど前に夏休みなどに走っていたムーンライトながらの少し前発車の臨時夜行を思い出します。直角シートではありましたが、座れましたし、寝にくかったですがマシでした。父に言わせると、そこから更に20年以上前になると格安の夜行列車は人が多いので、通路に新聞紙を敷いて、その上で寝る人だらけだったとか。疲れはしますが、この時期の夜行は18きっぱーにはとても助かるものでした。
毎日直江津駅を利用していて見た事無い古い列車があるなと思っていましたが夜行列車だったんですね。トキ鉄は国鉄時代の線路に使用していた石を缶詰にして売っていたり頑張っているんだなと思いました。
僕もバリバリの夜行急行を知らない世代なのでこのような列車が運転されるのは凄い良いですね!
私ら世代ホイホイですね。18きっぷよりワイド周遊券で夜行急行列車に乗り三昧の頃を思い出させてくれました。
私もボックスシートだと、うとうとするくらいで熟睡なんて出来てなかったですけど😴💤 これは1ボックス独り占め企画だったんですね。繁忙多客期の夜行ボックスは避けてたんですが、よくて二人で使用が多かったかな。どんな姿がより心地よく疲れないか、いかに身体を折り曲げるかとか昔の種村さんの本とかで書かれていたような😅
「オリンピア」ヘッドマークが洒落てますね。よく作ってくれました。急行「オリンピア」はあったんでしたっけ?583やキハ82の特急だけだったような。
ボックスシート、一人じめ出来たら、B席のひじ掛けを枕にしてA席にお尻、D席に足を投げて、「く」の字になって寝るのが、ポイント‼️
遂に鳥塚亮社長の鉄道ファン魂がえちトキでも始まりましたね…
「パシナ倶楽部」の主宰であるほどの鉄道ファン。好きが高じて外資系航空会社を退職。気がつくといすみ鉄道の社長に…国鉄型のキハ2両の購入に新車製造の現場にキハの設計図を持ち込み要素を追加させるなどやることが斬新でした。
極めつけは自腹で運転士になれる有料運転体験の上位互換が話題になりました。
確かに。
鉄オタのひとりよがりにならない様、一般客からも支持されるレベルで鉄道の趣味性を前面に出して集客を図る手腕が凄いですね。
航空会社時代に営業畑を歩んでおられて、趣味大国イギリスのエッセンスも恐らく存分に吸収されていたのだと思いますが、実効力のある企画の数々を思い付かれ、やってのけているのは素晴らしいですよね。
上越市民は「なおえつ」の「な」にイントネーションを置きます
直江津駅の駅をそのままとった感じの発音です
この糸魚川夜行急行列車に乗ったんですね。自分も乘りたかったけど諦めました。昔,20代の時に東北を一周した時に寝台列車でゆっくり一晩休みたかったけど接続時間が合わず仕方なく夜中の福島駅から深夜急行,津軽の指定席で青森まで行った事がありますけど…足,腰,お尻が痛くてめっちゃ苦痛の旅行を思い出しました>.
「国鉄がJRに切り替わる瞬間を体験したい・・・。」
私は「謝恩フリー切符」という名の、国鉄全線・特急・急行・自由席乗り放題って言う「無敵」状態の切符を握りしめて、上京する事にしました。
3/30は一日18切符で乗り鉄し、恐らく混むであろう「大垣夜行」に乗ろうと早目に大垣に向かいました。確か18時頃に大垣に着いたら、まぁ~えげつない程、出発ホームの乗車口には荷物が順番取りで置いてあり、「これヤバイやろ」と思いましたがその後もどんどんとヒトが大垣駅に集まり、急遽臨時で快速品川行が運転される事が人づてで聞きました。
その際に使用された165系が、今でも鮮明に覚えています。
4人用BOXは満席どころか、通路・デッキも超満員。(幸い座れましたが、網棚の上で寝ようとする奴も居る程)
トイレに行くには、1BOXにある2枚窓を完全に上まで開けて、窓から降りる状態でした。
そもそも急遽運転された、臨時列車で勿論時刻表には記載無し。
詳しいダイヤもよく分からず、品川に何時に着くのか。何処の駅に何分止まるかも分からず・・・。
車内放送も人ごみで全く聞こえず・・・。
自分は窓側だったので、肘掛に頬杖付いて何とか1~2時間は寝れました。が、翌日は足がパンパンで歩くのもキツかった。
まぁ、その時に超満員の165系がモーターが唸りっ放しだったアノ音と、窓から乗り降りした事が良き思い出です。
窓から乗り降りですか、、、発想がすごすぎます。
能登、はまなすは乗ったことあり、また凄く小さかった頃に東京から下田まで湘南色ボックス型の急行(多分169系)に乗ったことありますが、夜行でバリバリボックスシートの急行は乗ったことありません。特急でもキハ80系とかはリクライニングしなかったことを考えるとあの頃はすごいと思います。
何とかトキ鉄~あいの風~IRいしかわ~JR西日本経由で金沢駅までの
夜行列車走らせてほしいですね!
松本折り返しの信濃大町行きの方が需要ありそう。高熱隧道の壁を突破する夜行列車。通常の保線作業を変更せずにダイヤを組めるかどうか。
先日、昼行の急行4号に乗りました。
急行4号は北陸特急を彷彿とさせる連続高速走行が魅力ですが、この夜光急行もとても良いですね。
同形式には1989年頃の長岡で見たか乗ったかしたと思います。
父によると満員の夜行だとデッキの床で雑魚寝とか食堂車で粘るというのがあったみたいです…。
昔と今は違います。
この急行乗りたいなあ
分かる、その気持ち。
中学の頃山口県柳井市行ったとき
まだ普通大垣行きの頃乗りましたが懐かしいですね
キハ66.67の引退寸前のリバイバルながさき号のツアーにて近郊型の夜行に乗りました。
私の席は転換クロスの2人掛けに2人座るという感じで、昔の転換クロスの為足を伸ばす事も出来ず、腰とお尻が爆発寸前でした。
4人掛けは向側は空席扱いで当たり席だったと思います。
ただ、ロングシート部分はフリースペースで開放されており、消灯サービスも有りキハの力強い走りは圧巻で一生良い思い出として忘れる事はないでしょうね。
廃車待ちの為、もう二度と乗る事は出来ないでしょうが、キハ40系列暖地仕様と違い、転換クロスのエアサス、420psの特急並のエンジンだった為、国鉄型としては破格の乗り心地でした。
いいな^_^ 。。いいなあー。。乗りたいなァー
夜行で駅に、長時間停車すること自体が、もう貴重な経験ですね!
日本海側なら、縦貫の貨物を撮影したり、普段見れない列車が通過したり
いろんな出来事があるはず、列車から見る日の出は、毎回が初日の出みたで新鮮な空気になります。
電車ではないけど客車急行の能登で東京(上野)へ行った時のことを思い出しました。酒を飲む人タバコを吸う人弁当を食べる人いびきをかいて寝る人、動画内のように静かな車内とは正反対の混沌とした空間でした。当時はまだ若くて体力もあったから背中や腰が痛い程度で済みましたが、もし現在も走っていたとしても乗ろうとは思いませんね。
455系の一部がロングシート化されてしまったのが残念です。
クロスシートに戻すのは無理でしょうか?
高校のときに修学旅行で青森から大阪まで急行きたぐにに乗車しボックスシートに3名着席❗️
夜寝るときはさすがにキツイので2名が座席、1名が座席の間に‼️
良い経験でした🙂
高校時代「東京ミニ周遊券」を握りしめ[きたぐに]で直江津に向かい[能登]に乗り換え上野に行ってたな。帰りは上野発115系の733Mで早朝5時前に長岡へ戻りそのまま学校へ直行してたわ。当時も新幹線はあったけど高校生の吾輩には高くて乗れなかった。
関西圏から首都圏へ貧乏学生の私はよく大垣夜行を利用して遊びに行ったもんです!!あとは天王寺から新宮までの『いそづり』もたまに使いました。列車の揺れにレールの継ぎ目音が眠気を誘うんですよね!!あとは。。まったく面識のない方とお話したり。。。いい時代でした。
交直流電車の夜行急行といえば、上野駅から451・455系の夜行急行「いわて」に乗った記憶が蘇ります。
まさかの元に戻ってくる夜行列車なんですね
オリンピックの時期だったからオリンピアなんですかね
14:54 E653系が縦列停車する光景は初めて見ました。それとなんか京急みたいな塗装の車両がいますねw
循環急行だったらかつての国鉄急行になっていましたねー。
車内の雰囲気がいいしちゃんと減光されるのは昔を思い出します!😊
今回の動画は、
ボロクハさんの動画でも楽しませてもらいましたし、
みなさんのコメント欄を読んでも楽しませてもらいました
ありがとうごいました~
自分はボックスシート夜行は経験ないのですが、
(もし自分のことを語るのが許されるならば)、
やっぱ、学生時代に見知らぬ土地へ向けて、
緊張と興奮と期待に満ちて、
憧れの夜行列車に乗るのは、
大人になってからではできない経験だったなと思います
北陸線ではありませんが、東北本線やまだ客車急行鳥海など席に座れなかった時もありました。まだ在来線特急や急行電車、ディーゼルや客車、など夏でも非冷房が混じりながら走ってました。夜行は本当に重宝しました
小学生の頃、大阪から西鹿児島まで583系明星1号の座席車に乗りましたが、ほんとはダメだと思うんですが、座席を引っ張り出して下段にして見知らぬ他人とザコ寝しました。寝具がないので冷房ですごく寒かったのを覚えています。
583系有明に乗った時、母親が「これ寝台になるんや」と言って座席を引き出して使っていたら周りも真似してお座敷列車みたいになりました。
車掌も「最後は戻して下さいよ」とだけ言って黙認でした。
東海道線を毎日運行していた375M (列番はちょこちょこ変わりました)が一番ですかね・・・。
18きっぷシーズンの夏休みで、所定の大垣行きの他続行の臨時が走りました。
当時は、田町の167や時々113なんて言うこともありましたが、その日に限り211のロング車が
運用に入り、床に寝たりした記憶があります。
今となっては良い?思い出ですけど、当時は地獄を味わった様な状況でしたwww
ロング車の長距離運用はすごいですね!
旧信越線走ると横軽越えてた客車急行能登、北陸線ではきたぐにみたいですね
1ヶ月ほど前の投稿だったのですね。むかしはスキーや登山で良く夜行急行を利用しました。車両は違いますが上越線の「佐渡」や中央線の「アルプス」などが懐かしいです。座席を外して通路に並べて横になった記憶があります。
JR線と乗り入れして夜行列車復活のイベントやって欲しい。
直流型急行用車両の夜行列車なら(大垣夜行)(臨時急行銀河)の乗車体験はある。交直両用急行形車両は昼行
(つくし)(立山)(くずりゅう)だけ。
なので此の動画は新鮮に映ります😄
🙂昔の夜行急行妙高は まぁ長時間乗っていると眠くなるのですが… 横川-軽井沢間の碓氷峠を越える時は 気圧の変動で 耳が詰まったような感覚になりました。
大井川鐵道でE31形電気機関車牽引の14系客車で運行すると、一昔前の夜行列車に様変わりしそうです。
高校時代に部活の合宿で夏休みに鉄道巡りをしていた時を思い出します。4泊3日くらいで旅館は一回泊まるだけで、あとは車中泊、青春18きっぷと団体利用を使ってあちこち行きましたが、今となっては車中泊は結構ハード…その前に今では車中泊出来る路線なんか無いですが(サンライズ瀬戸・出雲以外)
クロスシートに灰皿が無い事に違和感を感じました。:灰皿がすぐに満杯になるので当時は各自ビールの空き缶にタバコを捨てて居ました。急行きたぐに。大阪-新潟、8時間の旅です、機関車の「ピーィー」と鳴る警笛が日本海沿岸の白波に似合って居ました、終点は青森!:流石きたぐに、では無理なので後日白鳥で行きました、懐かしいです。
その昔、座席を前にずらして自主的にリクライニングシート化したのを思い出しました。
こういう情緒ある懐かしい企画列車ってどんどんこれからもやって欲しいですねぇ。😊
2012年夏のムーンライトながらが、183系か189系の運用だったようで、ちょうどその時に名古屋→東京を利用しました。
寝台特急以外で電車の中で夜を過ごすのは急行ちくま以来でした。
「聞きしに勝る有名列車」の割にはお客さんの数は少なく、夜行列車を割りと快適に堪能できました。
今となっては、夜行列車は尾瀬夜行だけでしょうかね。(海外ならいくらでも走ってますが)
32年くらい前ですが、青春18きっぷで紀伊半島・琵琶湖周回を行った際、新大阪からは定期夜行快速(165系3連×2)新宮行きに乗車で、新宮まで通し乗車しました。
当時は紀伊田辺で後ろ3連は開放でしたね。
それと、禁煙区間は大阪近郊区間の和歌山までで、紀勢線は喫煙OKでしたから、愛煙家の私も安心して乗車出来ました。
和歌山到着までは各BOXシートに4人着席は当たり前でしたが、徐々に下車されて行き、開放の有る紀伊田辺から先は、1BOX 1人程度で行けました。
新宮に到着までは仮眠…程度しか眠れませんでしたが、多気行きの始発までは1時間程度有りましたから、身体を伸ばす意味も有り、改札を出て海岸まで出ました。
この新宮発多気行きの始発がキハ58+キハ28、同じ急行型のシートで、多気から亀山は当時としては新鋭のキハ11でしたが、亀山までクロス席には座れず、亀山から名古屋でやっと311系のクロスに座る事が出来て、名古屋まで爆睡でしたよ(笑)
意外にボックスを占有できるのですね。
@@user-ow1xx5dd2cさんへ
乗車したのが土曜日の夜でしたから、内心は紀伊田辺で車両は半分になるので「新宮まで満席だったら、眠れないし喫煙も無理かな?」なんて考えてしまいましたね_(^^;)ゞ
そんな私も昨年に満年齢で還暦を迎えてしまう年齢に…
ボロクハさんの年代が、懐かしいですよ(^_^)v
1980年代、南信州への帰省に新宿発23:55分頃の夜行急行アルプス号をよく利用しました。
座りたくて21時ころから並びましたが、首尾よく座れても季節によっては登山客に囲まれて眠ることが
できなかったです。営業していないビュッフェ車両がまだ連結されていて、ここの床が広くて座り込んで
足を投げ出して座るのが一番ラクだったです。午前4時過ぎに上諏訪で飯田線向け電車に乗り換えましたが、
これがまた遅くてものすごく疲れた覚えがあります。今思うとなかなか楽しい旅でした。
確かに。
昔の夜行急行列車「津軽」で青森→上野を乗り通しましたが、ボックスシートで四人詰め詰めで身体中痛かった。
私は14系時代しか知りませんが、GW盆暮れのピークは積み残しが出るくらいの酷い混雑で、通路デッキが立ち客で埋まり、トイレに行くにも一苦労でした。
上野から弘前まで立ちっぱなしだった、という人も知っています…。
@@fliernight4600 古い話なので、勘違いしてました。スミマセン。
上野から夜行の急行十和田(12系)で青森まで行って、急行津軽(14系)で帰って来たのでした。
往路はボックスシートだったがスカスカだったのて比較的楽に行けたものの、復路はめちゃ混みで床に寝ているひとも多く、シートの隙間にも人が入ってきても死にそうだったので、そちらの印象が強くてボックスシートと思い違いしてました。
僕が学生の頃の夜行急行と言えば、山陰本線米子~博多を走る急行さんべ5,6号、大阪~出雲市(出雲大社駅)を走っていた急行だいせんがありました。普通列車では、京都~出雲市間の山陰号(通称京都夜行)もありましたね。
親戚が博多にいるので、夏冬休みはこの夜行さんべに乗って遊びに出掛けたりしていました。
20系と12系の混結編成でしたが、当時寝台に乗らない人で新聞紙を床に敷いて寝ていたり、博多から乗った酔っ払い客が寝過ごして米子まで運ばれて駅で大騒ぎしていた事とか今でも記憶に残っていますが、一番の思い出?は中学の修学旅行の帰りに博多から乗車した事で、門司で関門用の機関車(その時はEF30でした)の付替えを見ようとホームに下りたのをチクられて、12系のデッキで1時間正座させられたことでしょうか(^^;)
夜行急行だいせんも20系時代、12系・14系寝台混結時代、キハ65エーデル車時代とよく乗りましたが、20系は座席車への転用改造車でピッチが広く楽だった事、12系は簡易リクライニングになっていて友達とBOXを向かい合わせにして寝た事。キハ65も簡易リクライニングでしたが、気動車なので少々エンジン音が耳障りだった事。懐かしいです。
社会人になってからは連休を利用して18切符でいろいろと出掛けましたが、各地にムーンライトは欠かせない存在でした。
夜行列車も無くなり、あの頃の写真などをたまに開いて見ては懐かしく思っています。
大学時代、165系の大垣夜行、新宮夜行に乗車したのを思い出しました。あと14系八甲田・津軽も良い思い出です。115系の上諏訪夜行は、乗車していません。
いい経験をしたじゃあないですか😄
僕は昔、「ムーンライトながら」なんて名前がつく前の165系「大垣夜行」を体験しました。
座れる保証は無い詰め込み列車だったので、折りたたみ椅子持参で。実際にデッキで一晩過ごしたこともあります。今だったら移動を諦めてホテルに入ったかも知れません…😣
自分はムーンライトながらが定期列車で定期列車とは別に臨時の名なしの快速列車の夜行に乗ったことがあります。これは165系で定期のながら号を追い抜いたり追い越されたりしながら走ってました。しかしまだ高校生でしたが、満員で大垣から東京立ちっぱなしというわけではなくデッキに新聞紙をひいて座ったりしてました。こんなことを定期のながら号でもしている人をよくみかけたりしました。
やはり定期時代はカオスでしたね。。。
旧客夜行だと4人はキツイかった寝台車付き「はやたま」亀山~天王寺間と函館~札幌間で主に木製の内装だったので夏場も涼しい列車でした!、12系客車だと急行「八甲田」「かいもん」「日南」がボックスシートでは1番良かったですね、大垣夜行は臨時列車が無かった時は大混雑で新橋、品川、横浜などは直ぐに発車出来ない状態でした、座れば天国で洗面所で寝ている人も居ましたね、青春18きっぷの発売が大きな原因ですね、18きっぷ発売前に名古屋から東京行に乗りましたが楽にワンボックス1人でしたよ、S56.8月中頃でしたが名古屋近郊を過ぎるとガラガラでした、グリーン車もかなりの人気で東京駅では発車前から大垣行グリーン券の発売は中止に致しましたと放送を流してましたが、当時は18きっぷでもグリーン車の自由席は乗れなかったですね。
洗面台…それは衝撃です。
一昨年年末タイでわざわざ三等乗って旧客気分味わってました。流石に帰りのバンコクまでは寝台車乗りました。3等で一晩過ごすとタイ人に言うとあなたはお金あるのにどうして?と言われた。手動ドア扇風機ボックスシート垂れ流し便所とか日本じゃ味わえない。
窓辺の角を、こめかみの後ろに食い込ませた状態で寝ていたなぁ。
┃└┓😪
1990年頃の大垣夜行にて。
急行能登、千曲(特に)にギリ、リアル乗車世代です。席は取れなくとも新聞を購入しておいて
とにかく通路の一部を占領する(通路に新聞を敷いて寝る)スタイルだったのを思い出します。
週末はほとんど登山関連客でしたのでそんなんもんかという形で、当方も新聞敷いて寝てました。
ただ、当方(出張のスーツ姿)は、結構レアだったかも。名古屋→長野は、20時のしなのをパスして
24時近くのちくまに何度も乗ったのが思い出です。仕事は、18時位で終わりなのですが、当時は、
名古屋駅周辺パチンコ店、飲み屋が栄えていてどうしても早く帰るというより、できる限り名古屋で
遊びたかった感じです。18時出張仕事終わり→23時までパチンコ・スロ→残1時間で、飲み食いで、
23:58乗車 てな感じでした。
先日昼のこの編成列車に乗りましたが、
やはり新聞敷いて通路寝をまたしてみたいとちょっと思いました。
モーター&レール音がうるさいけど・・・・(笑
動画見ました。高校の修学旅行で北海道に行く際、東京駅から青森まで夜行列車で行きました。途中で、自分が乗っている車両の冷房が壊れて、隣りの車両に移動しました。席は、他の生徒たちでほぼ、満席で、直椅子席の間に新聞紙をひいて、青森まで行きました。終戦時の引き揚げ列車みたいだったです。1986年の事。青函連絡船もありました。
東京駅から豊橋駅まで、大垣夜行に乗ったことがあります。ちょうどコミケがあった日でお盆ともあって満員。
2時間ホームで待ってなんとか座れましたが、ボックスシートに4人+間に2人いました(^_^;) 通路にしゃがみ込む人も多数いました。
道中はウトウトしつつも6人+通路の人でお話していました。性別も年齢もバラバラでした。
初老のおじさんは「昔はもっと混んでて網棚によじ登ってた人いた」なんて恐ろしい話してくれました。
広島のボロクハさんはじめまして!35年前になりますでしょうか、スキーの修学旅行で大阪駅〜白馬まで行ったことがあるんですが、確か客車だったと思いますが夜行の臨時列車でやたら停車してなかなか眠れなかったことを思い出しました。通路に新聞紙敷いて寝てましたね。たいへん懐かしく見せてもらいました。ありがとうございました。
大阪から白馬、結構距離ありますね。
この電車は元は昔、北陸本線で快速と普通を通ったね。懐かしい。
ボックス座席下に新聞紙引き座席を前に出し夜行列車に揺られました😃不思議に眠れましたよ‼️座席は固定されているのですか?
ムーンライト大垣で熟睡してるのを起こされて検札されたのはしんどかったな。
二十歳位の頃18きっぷを使い
新宿発松本行の通称松本夜行に乗った記憶があります。
途中の甲府で一時間半停車するダイヤでしたね
松本から大糸線 北陸本線をぐるっとまわり帰りは大垣夜行で帰宅しました
今考えるとよくあのボックスシートで
二晩も明かしたもんだとw
そんなことを思い出しました
素晴らしい乗車記ありがとうございました!
今考えると大変な行程ですよね。
大垣夜行しか知らないけど
そもそもデッキで体操座りしかした事が無いので
ボックスシートの良さも辛さも良くわからないです…
455フル編成買っておけば良かったのに!!
夕食付きは有りがたかったです。
国鉄時代の「急行色」電車、久しぶりに見ました!客車夜行では、床に新聞紙を敷いたり、網棚に登って寝るなど、今ではあり得ないことをした思い出があります(ボックスシートの幅と長さは、「寝る」には不向きなんで)。駅も列車が夜中に2~3本停車するだけのために、実質「24時間営業」で、待合室のベンチで野宿する旅行者がシーズン関係なく、存在していました。意外に、”ホームレス”っぽい人はいなかったのが、今から思うと不思議です。
この編成の「クハ455」は最初から413系に組み込まれたデッキなしの改造車であり、475系の先頭に立ったことはない、つまり急行に使われたことはないですね。
夜行急行のアルプスに子供の頃乗りました。455系と同じ固い向き有ったボックス席は満席で、現在の115系の様な柔らかい座席でも有りません。板の上に薄くて長い座布団を引いた感じです。当時、大学生?のお兄さん、お姉さんのサークルが偶々一緒に乗り合わせていて、立席だった私を憐れんで窓側の端に座らせてくれました。昔は子供がいれば、one box 5人掛けは当たり前。同じ姿勢でじっと座り、辛くなったら、全員で声を掛け合って体位を変えて姿勢転換をしました。1番大変なのは、トイレに行く時です。誰かがトイレを希望すると、デッキやトイレの中まで、人でギッシリです。全員で声を掛け合い、一歩、一歩譲りあい、トイレ迄行かせて貰いました。トイレ使用中は中に居た人は一旦外に出て、トイレが終わるのを待ちました。昭和の高度成長期の始まった頃の話しです。当時の一緒に座って戴いたお姉さんの姿勢転換で背中を借りて眠ったのは、今でも良い思い出です。
ごめんなさい(^-^; アルプスよりも更に一つ前の夜行列車だったかも知れません。記憶が曖昧になっています。
満員のトイレはきついですよね。。。
交直流急行で実際に乗ったことが有るのは「あづま」(上野~仙台、福島から普通列車)
「立山」(富山~大阪)だけ^^;
意外と少ないんだよね🍀
まあ、岡山~博多の「玄海」もあったけど🚃
昔、ムーンライトながら(373系)に乗りましたが、減灯予定が、窃盗団対策とかで明るいまま走ってましたので、デッドセクション以外では経験ないですね。
会津・郡山帰りに黒磯から乗った205系で駅発車直後照明消えたのもびっくりしましたが…(それ以上に揺れが酷かった)
夜行と言えば、[急行]きたぐに の3段ベッドは印象的でした。
あんな体験はもう出来ませんが……
最後の夜行は2015年3月のダイヤ改正で運転終えたトワイライトエクスプレスだ
中学卒業の春休みに、九州ワイド周遊券を買って九州を回りました。
当時(1986年)ワイド周遊券は周遊区間の急行自由席も乗り放題だったので、門司港~西鹿児島間を夜行急行の「日南」と「かいもん」を使って南北に移動しました。
座席車は12系。この動画と同じ座席です。夜行に乗る人なんてそんなにいないだろうと思いきや、ほぼ満席で、Boxシートに3~4人座ってました。
知らない人同士なので足を向かいのシートに伸ばすこともできず、結構大変な夜を過ごしました。
急行ではないけれど大垣夜行は友人同士で1Box占拠できたので足が伸ばせた&荷物を座席間に置いてフラットにしたので意外と楽ちんでしたよ。
今はもう経験できない、今年51歳になった年寄りの思い出話でした!!
やはり満員だと大変な夜になるんですね。
床で寝る、って言う荒技をやった覚えが有る。
あの頃は僕も他の乗客も若かったな。
子供のころに親に連れられて大阪ー糸魚川間を「急行・立山」で乗り通しました。
まあ大変だけど子供だったから4人フルでもあまり苦痛は感じなかったような、富山過ぎての糸魚川までに海沿いの
いい景色が見えたのにそこまでは通してなかったのか、でも硬券とか磁気のついてないパンチ穴付き切符を見るのが
楽しかったよ
165系等の急行型だと、
大垣夜行の救済や、
新宮夜行乗ったなぁ。
真夜中の紀勢本線を南下する国鉄型、忘れられません😳
夜行急行、大阪駅の高架ホームから出てたでござる、大阪-長野間のちくま号、大阪-東京間の寝台急行銀河号、大阪-出雲市間の急行だいせん号、大阪-新潟間の急行きたぐに号、臨時急行では、大阪-長崎間の寝台急行玄海号、大阪-西鹿児島間の寝台急行霧島号、神戸-大阪-糸魚川-信濃大町間の急行リゾート白馬号、冬の臨時夜行では、姫路-神戸-糸魚川-南小谷-白馬間の急行シュプール白馬栂池号、姫路-神戸-大阪-直江津-妙高高原-長野間のシュプール妙高志賀号、走ってたでござる、その当時、バブル時代でござる😊
昔大垣臨時夜行が国鉄車両だった。ボロクハさん若いのね。確か小田原から自由席になるから車内すし詰めでヤバかった。立ったまま大垣までとか。家族連れで子ども泣いてたり。修羅場だったわ
幕回し弁当が楽しすぎ、もう少し詳しく紹介と食レポをしていただきたかったですw
このチャンネルは食レポしないからね。
高1の夏休みに新宿~札幌の0泊5日で夜行列車乗り倒し旅行を敢行しました。
新宿~(ムーンライトえちご)~村上~(キハ47系列)~酒田~(701系)~青森~(快速海峡)
~函館~(ミッドナイト)~札幌。帰りは上記の逆で青森~弘前だけ特急自由席
(これに乗らないと帰れない)。途中で銭湯やコインランドリーすら寄らなかったので帰京後は凄いことに…。
1975年頃 福知山線~山陰本線のディーゼル急行【だいせん】大阪23:43発 松江7:30着
クロスシートつめつめでした。
私は親父と一緒で向かい席はなんと若い姉妹。
その方々がとても親切で
下に新聞紙を敷いてくれてみんなで靴を脱いでリフレッシュ。
途中福知山駅の停車時間が約40分くらいかな…
車窓越しに駅弁売り。
「弁当!べんと弁当~っ!」
とメチャクチャ気合い声が聞こえてきて
調子に乗った親父が
「4個ちょうだい!」と
そして向かいの姉妹に。
「ええっ!いいのですかぁ~」
「みんなで食べよ!」
私も
真夜中駅弁でテンション上がりまくり。
膝の上に乗せた弁当をツツきながら
クロスシート内は家族状態でした。
夜も深まってあちらこちらでイビキが聞こえたり。
通路側で寝る人の首力が半端ない。
いつの間にか私も寝落ちしていて
暫くすると車窓には光が…
向かいの姉妹は倉吉駅でサヨナラでした。
窓から思いっきり手を振った。
…なんで…泣いてる?笑
幼い私は…淋しかったのでしょう…
やがて終点松江駅に到着。
今では考えられないほどの人情短編物語でした。
駅弁の立ち売りも昔らしくていいですね。
中央快速線の終電だと準夜行列車を2か月から半年に1回は体験できる。
急行「津軽」青森→上野 上野まで耐えきれなくなり、大宮辺り?で特急に乗り換えました。
40年前、急行十和田で、青森から東京に戻ったら、連れの者から、これじゃ国電以上の酷電だ、と、言われたことがありました。
17:35🙂終点に着いて 列車を降りて落ち着くと眠気が来ると思います。
🙂昔 165系 急行妙高があった頃も こんな感じでした。ただ上りの上野行きは 朝のラッシュ前に到着するように 直江津は21:30頃発で上野には6:00頃着だったと思います。
🙂ご存知かと?思いますが 直江津-北長野間は 単線の為にあまりスピードを上げられません。それに標高差もありますしね。あと上り下りのすれ違い待ちもありましたね。
臨時快速夜行ムーンライトで東京から大垣迄初乗車したけど人間が、貨物輸送みたいな気分でした。
画質を落として見ると、シーンによっては昔の映像にしか見えん、、
こんばんは(^.^)お疲れ様です〜🙋♀️
まだ国鉄時代だった頃夏のお盆と正月休みになると上野駅では座椅子がありそこで並んでいると11時前にワッペンを貰い優先して指定席グリン車以外が座れるようになっていました。プラットホームには立ち席の人々が後から一気に入って来て列車は座って居てもぎゅうぎゅうでボックス列車で車内は蛍光灯は付けたままでした。急行列車でしたので慣れない私はうとうとしか寝られず翌朝胃が痛くなった事が今でも覚えています。東北新幹線が出来たお陰で大宮盛岡間が逆に混雑していましたがーーー。