「白骨の章」の全文をわかりやすく解説し、仏教の死生観を学ぶ
Vložit
- čas přidán 8. 09. 2024
- 「白骨の章」は、浄土真宗の葬儀で必ず読まれるので有名です。
室町時代中期の蓮如上人の書かれたお手紙です。
せつせつと世の無常を訴えるその内容は多くの人の心を打ちます。
普段そんなことを考えない人でも、肉身や知人の葬儀の際には「人の命はわからないものだな」「なんて人生ははかないんだろう」「いったい人間は何のために生きているんだろう」と考えさせられます。
そこに白骨の章が詠みあげられると、万感の思いがこみ上げてきます。
では「白骨の章」には一体どんな意味がこめられているのか、今回はその内容を簡潔にお話ししてまいります。
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60代を過ぎて私の両親や兄弟は亡くなり私しか残っていません、父や母、兄弟全て亡くなる瞬間を見てきました。 おっしゃられているとおり人間ははかない物です、生きるためにいろいろな事をして気がつけば年を取って周りには何も残ってなく、ただ積み上げた物があるだけ。 私も今それを実感しています、今回のお話は誰もが経験することでいずれ自分もそうなることは理解していますが寿命がいつ尽きるのかは分からないので、今を生きていくしか無いですね。
後生の一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのむ身になっていただきたいと思います。
こんにちは。私は、既に、多くの親族を、送りました。まだ、40代とは言え、いつかは自分も死にます。この動画は、色々、考えさせられました。ありがとうございました。
蓮如聖人の白骨の章 初めて聴かせていただきました。人間の死、無常を書きしたためた手紙なのに
何故か韻をふんだ美しい文章のように感じ入りました。 今まで父親や親戚の数々の葬式を経験し、あの方がいま燃やされ煙となって空へと上がっているのだと そして残されたのは白い骨と変わった姿… まさにこの手紙そのものでした。
年齢通りにはいかない、若くして不慮の事故で亡くなった親戚もいます。人間のはかなき事は老少不定のさかいなればと、いつ誰がその時を迎えるのかはわかりません… 深く静かに身にしむお話しでした。ありがとうございます。
本当に美しい文章です。情景が浮かんできます。
@@byBuddhism 先生私も素人ながらこの手紙文から情景が浮かんできました。
菊谷先生、いつも素晴らしいビデオをありがとうございます。毎晩、就寝前に一つづつ聞かせていただいております。「白骨の御文様」は子供の頃から法事の際に我が家のお寺さんで幾度となく聞いておりました。たくさんの難しい言葉が出てくるなか、幼かった私や妹に理解できる言葉のいくつかは何か可笑しい響きに聞こえ、子供同士こっそりと顔を見合わせてクスクスと笑っていたのを思い出します。私も妹もよい年齢になった今、何人かの大切な人の旅立ちも経験し、先生のこの解説に出会いました。「白骨の御文様」改めて聞き直し、心が洗われる思いです。涙が頬をつたいました。
大変ありがたいお話をお聞きし、感謝です。目の前の事に心が動揺し、どうしても周りと比較してしまいます。清い心で歩んだつもりが人にあやつられ、不信を産み思わぬ方向へ人生が展開することがあります。60才を過ぎると人の怖さ
祖父の葬儀の後お寺さんに語っていただきました。
その時とても心にしみましたが、一人暮らしで檀家にもなっておらず振り返ることができないでいたので、この場で教えていただきとてもありがたく思います。
ありがとうございました。
人生ってなが〜いようで短いですね、先生の仏教の教え聞いてわたしも後悔のない人生を送りたい気持ちでいっぱいです。
菊谷先生、蓮如上人の御文章の白骨の章を全文を読んで、わかり易く解説して頂き
有難うございました。本当、身内の葬式に、お坊さんが、白骨の章を読まれたら
目頭が熱くなりますね。🙏😫
日本の無常観を説く、美しいとも言える名文ですね。私は、他に平家物語冒頭、謡曲敦盛なども美しさと無常観を纏う名文章だと思います。
白骨の章、蓮如上人の ご文章、毎月、父母の月命日に、 ご住職様が 阿弥陀経の後に、読んで下さっていますので、よく理解出来ました。いつも、読まれるだけで、細かい意味は、語られないので、菊谷先生は、意味を解説して頂けたので、よく分かりました。大切な事ですね。無常を感じて、生あるうちに、死んだら何処に行くのでしょうか?と、後生の解決をしておきなさいよ。ということですね😃
何回も何回も聴いていると、よーく分かりました。
有難うございます🙇
今後は月命日の際は意味をかみしめて聞かせていただけますね。よかったです。
首を縦に振りながら、納得して、聴けますね!そうだ😃💡そうだ😃💡と。ただ、私だけが喜んでいても、一緒に聴いていた人、身内にも、伝えようと、メモを取らせて頂きました。
ちょっと聴いて欲しいのだけど、時間大丈夫?と相手の状態を聞いて、伝えようと、考えています。菊谷先生から、こんなに、解説聴かせて頂いたから、皆にも、是非、伝えたくて、、、と、切出したいなー!と思います。来月、実践を楽しみにしています。
私も、間違いない大切な事は、伝えられる人に、なりたいからです。そこで、質問等、聞けたら、応えられる人になり、役に立ちたいです。人生勉強、実践は、計り知れないですね!
師のご恩は、忘れませんよ。パイプ役になれれば、有難き幸せです。
白骨の章を初めて読んだ時には「その通りだ。当たり前のこと」とまるで自分のこととしては捉えられませんでした。仏教を聴くようになって、何回も何回も白骨の章を聴いているうちに、「あ、これ私のこと…」と感じるようになってきました。重ねて重ねて聴く、ということの意味は、鈍りに鈍った感性を覚醒させることにあるのかもしれませんね。ありがとうございました。
仰るとおり、重ねて聞いて知らされてきます。
「『大乗』の天岸浄圓さんの『ひらがな御文章を読む』も大変勉強になりました❗️❕✨🌠✨
初めて、仏様の声を聴いたのは、『大乗』を読んでいる時でした❗️❕✨🌠✨」
何度も聴かせていただいております。深いお話しですね❗
分かりやすいご解説、ありがとうございました。
ありがとうございました。
そうですね、意味はわからないまま、幼少期から興味がったくだりです。
生き死にや命とは何かを諭した感じがしていつの間にか私の世界観になってます。
ありがたいことです。
ありがとうございます。目先の些細な後悔ではなく一生の人生全体の大きな後悔をしないためにも「心の臨終と誕生」を急がないといけませんね。「帰命 の一念を発得せば、そのときをもって娑婆のおわり、臨終とおもうべし」〜「大命将 終悔懼 交至」「呼吸の頃すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すことなかれ」「命のうちに不審もとくとくはれられ候わでは、定めて後悔のみにて候わんずるぞ。 御心得あるべく候。」〜「出息入息 不待命終」〜「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」「後の世と 聞けば遠きに似たれども 知らずや今日も その日なるらん」「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」〜「老少不定」「我や先、人や先」〜元気なうちは他人事のように考えるのが我々凡夫なんですよね。〜生死(後生)の一大事の解決を急がないといけませんね。仏法は聴聞に極まります。〜「あわれ、あわれ、存命の中に、 皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり。 まことに宿善まかせとはいいながら、 述懐のこころ、暫くも止むことなし」〜菊谷先生いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 🙏素晴らしい解説ありがとうございました🤗
南无阿弥陀仏
本当に..先生
有難うございました。
ありがとうございました。
ええ大変ありがたいお話を聞かせていただき、心から感謝いたします。
真宗のお経?の一節にありますね、最後あなかしこう、あなかしこうで終わります。ようやく意味が分かりましたありがとう御座います🙇
「41歳、寿命の折り返し地点を過ぎると、身に染み入りますね❗️❕✨😌✨
僕は、『聖人一流章』も好きですね❗️❕✨^_^✨
ありがとうございました❗️❕✨🌕✨🌠✨☀️✨」
私も朝晩の勤行は聖人一流章を拝読しています。
絵大変わかりやすくお話をしてくださり感謝いたします。
先日、あるご住職にお会いしました。蓮如上人の事を少し教えてもらおうと、尋ねたら、私は
日蓮宗だから分かりませんと云われました。
仏教ても宗派が違うと親鸞さんや蓮如さんの事も知らないのですね?
そのご住職はまた、勉強しますと言って帰られました。
こんにちは、いつも面白く貴重なお話をありがとうございます
是非白骨の章、解説抜きの読み上げもアップして欲しいです
よろしくお願いいたします
分かり易く、お伝え頂き
ありがとうございます🙇♂️
その様な儚い世界観を知ればあんまりキチンとした人生を送る神経は😒考えないですね。諦め諦めと成りそうです🙂
今の新型コロナ禍の時代において
死はまさに「無常の風」そのもの
葬儀社も新型コロナ禍の感染を警戒して
葬儀社の利益に反して集団のご焼香は
中止するケースが多い
せめての慰めに「白骨の章」は
残された人の大いなる慰めとなる
菊谷氏有難う御座います🙇🏻♂️
南無阿弥陀 合掌🙏
この問題提起から解決に向かって行くのですね!
葬儀の最後寂しさと悲しさ虚しさなんとも言えない気持ちだけで聴いて居ましたが今日意味が良く分かりました、ありがとうございます、このうえは枕経、回向唱、の意味を解説して頂きたくお願い出来ないでしょうか、更に經典を真剣に読み上げる元になれると信じたいです。
いつかお話ししてまいります。
母、父を相次いで亡くし、相続処理もひと段落して思うのは、両親が苦労して生きた激動の時代の果てに、私達は残されたものから何を学び取るだろうかということ。
必死で働いて稼いで建て思い出の詰まった家も、今では空き家問題の種に過ぎない。
あまりに儚い人の生。死をどう捉えるべきか、死んだ父母から教わる事はできない。
ありがたい、良かった、です、感謝、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ!んとこがいい
今日とも知らず明日こそ知らず露となりたい
露の人生になすべきかけがえのない目的があると仏教では説かれています。
老いることも 死ぬことも 人間とゆ 履かない生き物の 美しさだ 老いるからこそ 死ねから こそ たまらなく 愛しく 尊いのだ❗️
🙏
ありがとうございました。
生ばかり重点おく日暮よりも
死の先を思う考える日暮している
方ほど穏やかな最後迎えてる見たいです。
死をまじめに見つめることは生をまじめに見つめることだと仏教は説きます。
癌でなくなる人が一日にそんなに多く居ることを今知りました・・・・・・。医療の発達で寿命が延びて幸せかなって疑問に思うのですが!? 寝たきりになってる人には地獄でしょうかと、安楽死を望むことは、仏教ではどのように教えられてますか?
追伸 コメントが途切れてしまいました¡
不足だった自身の人生を反省しています。
参列されて居る方々に説かれているのでしょうか。
タイトルからして日蓮宗のかなぁって思ったけど、根本は同じなんですね。たぶん。
いい話とわかりやすい解説でした。
ありがとうございます。
お葬式でこの話を聞いた覚えがないのですが、宗派の違いですかね。
どっちでもいいんですけどね。
どうでもいいことですけど、日蓮宗、立正佼成会に出入りしている人たちのほとんどが顔色が悪いので近寄りたくはないですね笑
本当に仏教由来の教えを聞いているのか甚だ疑問です
そもそもお釈迦様の教えの根源は「この世にいいことも悪いことも無く、そう思う心があるだけ」らしいので、ぼくもそう思っていますから、どうせなら笑顔でいればいいのにと思ってしまいます。
お釈迦様の話は小林正観さんの話がとてつもなくわかりやすくて重宝しております。
人間は無常、国家も無常、地球も無常、宇宙でさえ無常。存在はすべては幻ですね。
世間虚仮 唯仏是真、と聖徳太子はそれを言っています。
G XO in
結論がおかしい、仏教をどうするというのは我利ではないか?
不安を煽っているだけではないか?
何処かの壺売り教団と変わらない。何々すれば救われると言うのでは未だ本当の他力では無い。御文にこんな事が書いてあるだけでは救いにならないのではないか?