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昭和48年、大学1年生でした。この本のことは学友におしえられて神田の本屋で買い映画は確か新宿の映画館で見ました。「孤独であること、未熟であること、これが私の二十歳の原点」とても重い言葉で二十歳になるのに躊躇した私がいました。
以前二十歳の原点を読みました。余りにも純粋で聡明で、でも同時にあまりにも幼くて・・・。還暦を過ぎた今の私にとって二十歳の命は余りにも愛おしくその死は悲しい。でも彼女はその短い生涯を懸命に生きてきました。例え愚かであってもその事は優しく認めてあげたい。
シアンクレールを探したな。奥浩平も読んだ。友人とも話すことがなんとなくできない事。でも19歳の頃、頭から離れない本だった。
昭和48年京都三条京極東宝で友人と見ました。大変イメージの暗い映画でした。学生運動と恋と人間関係に疲れってしまった、ノイローゼ気味のまじめな女子学生の姿だと思います。オープニングの長い塀のところは、西本願寺の北小路門を入ったところです。向こうに見えているのが龍大文学部の大宮学舎と付属平安高校です。当時私もこの北小路を通って龍大文学部で青春時代を過ごしました。
この映画全編見てみたいですね。
平成元年夏頃,母校立命館大学の以学館でこの映画を見ました。18歳です。それ以来二十歳の原点ファンです。
えっちゃん‼️生きて欲しかった。😢50年経つけど哀しみは変わりません😢
立命の2辰に憧れて入学したというのに。繊細な魂には、環境が最悪の時代だったのですね。瞑目。
アイデンティティーがなかなか見つからない時代だった今の若者はひじょうに実利的である当時はもっと哲学的に生きていた
京都に行くと必ず河原町三条にある六曜社に寄るようにしています。高野さんがスティーブ・マーカスのトモロ―・ネバー・ノウズを聴いていた場所と思うと感慨無量です。
事故が起きた昭和44年6月 私も京都に下宿する大学生でした。その当時を知る同世代として、なぜそこまで考えこんでしまったのか、残念でなりません。高野さんは立命館、私は同志社、京都御所をはさんで、すれ違ったことがあったかもしれなかったのに。
中学生からの、愛読書です。映画観たいです。
ドラマ化されないことに疑問を感じる?タイムスリップのようなSF をくわえ、現代と当時の女学生の考え方の違いや対立、決別を描写できないものだろうか?たとえ実現されても当然喜べる話ではない。20歳で身を投じたこと、時代ならではの軋轢、彼女(高野悦子)と同じような人生を辿っている人たち。いろいろ考えさせられるようなものになると思うのは俺一人なのも虚無感に駆られてばかりの話になるが銘ずるべきこと
@@molk3600 様お若い世代には理解不能かと思います・・。音楽・演者含め、本作のシリアスで重厚なムード、昭和40年代の空気感はリメイクで再現しても薄っぺらくしか見えないんですよね・・・。本作は、丹波プロ・小林八郎プロデューサーのクレジットがありますが、ノンクレジットで丹波哲郎先生もプロデュースを手掛けられ、盟友の森谷司郎監督もシナリオ参加で、御子息の丹波義隆さんのデビュー作品。失礼ながら後年の「大霊界」等よりも本作や「三匹の侍」劇場版等が、丹波哲郎プロデュース作品として、もっと評価されるべきと思えてなりません。
@@molk3600
正気と狂気の狭間で葛藤したのだろうか...
今は未成年の飲酒がうるさくなってきているけれど、当時は、酒・煙草をやらない人間は一人前とは見られないくらいだった。「酒も煙草もやらない人間は信用しない」という言葉があったくらいだった。高野悦子は未成年の頃から、普通の学生がやるように両方やっていた。成年になったからきっぱりと煙草も酒もやめます、という冗談が通用する時代だった。高野の父親は、娘が自殺したと見ていないようで、私(isimuraable) も、その意見に近い。たまに、アル中のおじさんが道路に寝転んで車に轢かれる事故があるけれど、高野も、数日前からアルコールを断っていて、おそらくアル中の症状から眠れないと日記に書いて睡眠薬を服用しているから、朦朧とした状態で自宅で寝る感覚で事故に至ったのではないかと思う。
@@kazukunn 一般人の立場からすれば、アルコールと睡眠薬を併用している時点で、正常な行動を期待することは無理で、当時はそういった弊害が一般には知られていなかった、という言い方しかできません。詩人、文学者、音楽家など芸術的家視点で見れば、違う意見もあると思います。
原作は今でも版を重ねていますのでリメイク希望です。
19際の私が読んでこの女は若すぎるし愚かだと思った
本も読んだけど、おばさんである私でも理解出来ませんでした。少し思ったのは結局この人はプライドが高かったのではないかな?と言う点でした。
シアンクレールでお茶を飲みながら、生きていてほしかったなと祈ったことを忘れません。
実は私、ある番組に再現ドラマ化をリクエストしました。強制ではないですが..
意外と小柄(145㎝)な人だったんだな。
僕は「ハタチノゲンテン」と呼んでいたけど僕だけ?
国立国会図書館の蔵書検索は「はたちのげんてん」なので、当時は「はたち」の方が多かったのでしょう。
服装かっけえなやっぱり
左巻きの人間にはこういう人間は「美しい」と思うんだろうな。ぶっちゃけ食うことにも困る人間には愚か者としかうつらないのが現実。
それを仰るなら、三島由紀夫先生の自決も本質的には同じような物でしょう。只、当時の高野さんも、三島先生も御本人なりに真剣に苦しまれた末の悲惨な結果。そして令和の現在も後を絶たぬ、数えきれぬ日本国内の自殺者の方々も・・。確かに自殺を愚かの一言で片付ける事は簡単かも知れませんが、人の死を嘲笑するような風潮には疑問・・・。
にゃんたこからきた
同士がいたとは
あの気持ち悪いコメントばかりの肥溜めからかよ。どいつもこいつも病んでてワロッチング
昭和48年、大学1年生でした。この本のことは学友におしえられて神田の本屋で買い映画は確か新宿の映画館で見ました。「孤独であること、未熟であること、これが私の二十歳の原点」とても重い言葉で二十歳になるのに躊躇した私がいました。
以前二十歳の原点を読みました。余りにも純粋で聡明で、でも同時にあまりにも幼くて・・・。還暦を過ぎた今の私にとって二十歳の命は余りにも愛おしくその死は悲しい。でも彼女はその短い生涯を懸命に生きてきました。例え愚かであってもその事は優しく認めてあげたい。
シアンクレールを探したな。奥浩平も読んだ。友人とも話すことがなんとなくできない事。でも19歳の頃、頭から離れない本だった。
昭和48年京都三条京極東宝で友人と見ました。大変イメージの暗い映画でした。学生運動と恋と人間関係に疲れってしまった、ノイローゼ気味のまじめな女子学生の姿だと思います。オープニングの長い塀のところは、西本願寺の北小路門を入ったところです。向こうに見えているのが龍大文学部の大宮学舎と付属平安高校です。当時私もこの北小路を通って龍大文学部で青春時代を過ごしました。
この映画全編見てみたいですね。
平成元年夏頃,母校立命館大学の以学館でこの映画を見ました。18歳です。
それ以来二十歳の原点ファンです。
えっちゃん‼️生きて欲しかった。😢50年経つけど哀しみは変わりません😢
立命の2辰に憧れて入学したというのに。
繊細な魂には、環境が最悪の時代だったのですね。
瞑目。
アイデンティティーがなかなか見つからない時代だった
今の若者はひじょうに実利的である
当時はもっと哲学的に生きていた
京都に行くと必ず河原町三条にある六曜社に寄るようにしています。高野さんがスティーブ・マーカスのトモロ―・ネバー・ノウズを聴いていた場所と思うと感慨無量です。
事故が起きた昭和44年6月 私も京都に下宿する大学生でした。その当時を知る同世代として、なぜそこまで考えこんでしまったのか、残念でなりません。高野さんは立命館、私は同志社、京都御所をはさんで、すれ違ったことがあったかもしれなかったのに。
中学生からの、愛読書です。映画観たいです。
ドラマ化されないことに疑問を感じる?タイムスリップのようなSF をくわえ、現代と当時の女学生の考え方の違いや対立、決別を描写できないものだろうか?
たとえ実現されても当然喜べる話ではない。20歳で身を投じたこと、時代ならではの軋轢、彼女(高野悦子)と同じような人生を辿っている人たち。いろいろ考えさせられるようなものになると思うのは俺一人なのも虚無感に駆られてばかりの話になるが銘ずるべきこと
@@molk3600 様
お若い世代には理解不能かと思います・・。
音楽・演者含め、本作のシリアスで重厚なムード、昭和40年代の空気感はリメイクで再現しても薄っぺらくしか見えないんですよね・・・。
本作は、丹波プロ・小林八郎プロデューサーのクレジットがありますが、
ノンクレジットで丹波哲郎先生もプロデュースを手掛けられ、盟友の森谷司郎監督もシナリオ参加で、
御子息の丹波義隆さんのデビュー作品。
失礼ながら後年の「大霊界」等よりも
本作や「三匹の侍」劇場版等が、
丹波哲郎プロデュース作品として、もっと評価されるべきと思えてなりません。
@@molk3600
正気と狂気の狭間で葛藤したのだろうか...
今は未成年の飲酒がうるさくなってきているけれど、当時は、酒・煙草をやらない人間は一人前とは見られないくらいだった。「酒も煙草もやらない人間は信用しない」という言葉があったくらいだった。高野悦子は未成年の頃から、普通の学生がやるように両方やっていた。成年になったからきっぱりと煙草も酒もやめます、という冗談が通用する時代だった。高野の父親は、娘が自殺したと見ていないようで、私(isimuraable) も、その意見に近い。たまに、アル中のおじさんが道路に寝転んで車に轢かれる事故があるけれど、高野も、数日前からアルコールを断っていて、おそらくアル中の症状から眠れないと日記に書いて睡眠薬を服用しているから、朦朧とした状態で自宅で寝る感覚で事故に至ったのではないかと思う。
@@kazukunn
一般人の立場からすれば、アルコールと睡眠薬を併用している時点で、正常な行動を期待することは無理で、当時はそういった弊害が一般には知られていなかった、という言い方しかできません。詩人、文学者、音楽家など芸術的家視点で見れば、違う意見もあると思います。
原作は今でも版を重ねていますのでリメイク希望です。
19際の私が読んでこの女は若すぎるし愚かだと思った
本も読んだけど、おばさんである私でも理解出来ませんでした。
少し思ったのは結局この人はプライドが高かったのではないかな?と言う点でした。
シアンクレールでお茶を飲みながら、生きていてほしかったなと祈ったことを忘れません。
実は私、ある番組に再現ドラマ化をリクエストしました。強制ではないですが..
意外と小柄(145㎝)な人だったんだな。
僕は「ハタチノゲンテン」と呼んでいたけど僕だけ?
国立国会図書館の蔵書検索は「はたちのげんてん」なので、当時は「はたち」の方が多かったのでしょう。
服装かっけえなやっぱり
左巻きの人間にはこういう人間は「美しい」と思うんだろうな。
ぶっちゃけ食うことにも困る人間には愚か者としかうつらないのが現実。
それを仰るなら、三島由紀夫先生の自決も本質的には同じような物でしょう。
只、当時の高野さんも、三島先生も御本人なりに真剣に苦しまれた末の悲惨な結果。
そして令和の現在も後を絶たぬ、数えきれぬ日本国内の自殺者の方々も・・。
確かに自殺を愚かの一言で片付ける事は簡単かも知れませんが、人の死を嘲笑するような風潮には疑問・・・。
にゃんたこからきた
同士がいたとは
あの気持ち悪いコメントばかりの肥溜めからかよ。
どいつもこいつも病んでてワロッチング