【三国志】諸葛一族の血を引く呉の宰相「諸葛恪」の解説【ゆっくり歴史解説】

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  • čas přidán 10. 09. 2024

Komentáře • 83

  • @user-yx1yw8fb6c
    @user-yx1yw8fb6c Před rokem +33

    諸葛恪「はい論破w」
    諸葛瑾「お前……そんなことばっかやってると家滅ぼすぞ?」
    諸葛恪「それ父上の感想ですよね?😗

  • @user-oz7kw8iz5p
    @user-oz7kw8iz5p Před rokem +7

    賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶって格言があるけど、愚者である自分の経験から賢者であろうと人間、手痛い経験しないと変わらないって。本当に若い時に手痛い失敗して凹んだ経験は有り難かった。

  • @kuso-suimin
    @kuso-suimin Před rokem +7

    5:12まーた孫権が宴席で何かやってるよ

  • @user-dj7oe3oz4h
    @user-dj7oe3oz4h Před rokem +14

    息子の所業に頭を抱える諸葛謹の姿を想像してニヤニヤしてしまった…

    • @ih314
      @ih314 Před 5 měsíci +1

      叔父の諸葛亮に頭は俺より切れても、俺と違って人望ねぇなアヒャヒャと論破されてそうだな。

  • @user-ir4zr7df7i
    @user-ir4zr7df7i Před rokem +6

    孫権が諸葛恪に『おぬしの父と叔父、どちらが優れていると思うか』と訊ねたところ、諸葛恪は『もちろん父です』と即答。
    理由を聞くと『父は仕える主人を知っていましたが、その点叔父は盲目でしたから』と返したとか。

  • @shou-sho
    @shou-sho Před rokem +13

    試験の③については意外と難しいですね。
    合肥新城主将の張特ともいえるし、方面司令官の毌丘倹ともいえる。さらに魏書では援軍の司馬孚が防いだとなってるんですね。

  • @Nerikeshi98
    @Nerikeshi98 Před rokem +5

    諸葛恪と慕容恪、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い(時代違うけど)

  • @user-lv5pj1gw1q
    @user-lv5pj1gw1q Před rokem +9

    オヤジの諸葛瑾の実直な性格を受け継いでいたら身を滅ぼさなかったかも....。

  • @LoopyQp
    @LoopyQp Před rokem +7

    三國志の人物の中で諸葛恪のこと一番好きかも

  • @user-ct1zg6bh8n
    @user-ct1zg6bh8n Před rokem +7

    「保家ノ子ニアラズ」
    それが父諸葛瑾の評価であったと言う。

  • @so8661
    @so8661 Před rokem +6

    流石、恪が違うぜ!
    親と伯父の血を受け継ぎながら、その力を制御しきれず闇落ちしたタイプ。「皆は愚かだ! 何時まで待っても俺の域に達してくれない」
    瑾・亮・陸遜と、態度を指摘し心配してくれたのも、その才は認め期待していたのだろう。

  • @ひょうべえ
    @ひょうべえ Před rokem +11

    個人的にはこの諸葛恪に一番三国時代のifを想像してしまいます。芍陂の役で孫登が死なずに北上を続けることができたらとか、孫亮が成人するまで諸葛恪がうまく国をまとめていたらとか。蜀漢と違って魏に対抗できる戦力はあるのだから、つくづく惜しいなと思います。
    渡邉義浩先生の書籍の中で、諸葛亮が自ら街亭の敗戦の責任をとった事を挙げて「叔父の諸葛亮にはあった配慮が甥の諸葛恪には無かった」と評していましたが、諸葛亮にそれができたのは有力な政敵がいなかったのもあると思います。仮に劉封がこの時点で生きていたら。魏延ら主だった武官も劉封に付きそうですし名目的な降格では済まないでしょう。もし諸葛亮が軍権を手放そうとしなかったら諸葛恪と同じ運命が待っていたかも。結果論ですが、劉封を処刑して守ったのは劉禅ではなく諸葛亮自身でしたね。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +6

      孫呉は本当に運に恵まれなかった感がすごい

    • @user-vy6mz3bs3p
      @user-vy6mz3bs3p Před rokem +5

      確かに孫権死後のifなら諸葛恪の去就が一番面白いところですね。しかし呉は万年人口不足で苦しんでますから魏に対抗できる力があったかどうか…

    • @ひょうべえ
      @ひょうべえ Před rokem +3

      @@user-vy6mz3bs3p あくまで蜀漢と比較しての話ですけどね。よく蜀漢と比べて呉は魏を倒す意志が無いと言われますが、それでも何度か大軍を動員して大規模な攻勢を仕掛けてますし、魏も多少例外はあってもほとんど矛先を呉に向けてますが、呉もよく攻勢を凌いで国を保っています。

    • @user-bm8ci1vy5f
      @user-bm8ci1vy5f Před rokem +2

      @@ひょうべえ
      呉というか孫権にも劉備や曹操のように天下への野心はあったはずなのですが悉く天が味方していないという

  • @user-uk5gb4zb8z
    @user-uk5gb4zb8z Před rokem +10

    合肥にはそれまで4度挑戦して満を持したときもあったわけで、それでも勝てなかったことを考えてそれならばという勢いで勝てないというならそれほどの力の差があると防戦一方になると察して暴発したのではないですかね🙄

    • @user-ww3lc7bi6b
      @user-ww3lc7bi6b Před rokem

      蜀の鬼門・渭水(一度突破したのだが・・・)
      呉の鬼門・合肥・・・魏の国力の分厚さの凄さがわかる・・・。

    • @user-gn4iu1np5m
      @user-gn4iu1np5m Před 10 měsíci

      張遼 満寵 羊鈷とあたおかな名将が守っていたからね

  • @user-om2mb8uv8l
    @user-om2mb8uv8l Před rokem +4

    魏は張特と言い、郝昭・游楚と、ここと言うところでいい働きする武将が多いんですよねえ
    彼等が方面軍司令官とかじゃないところに、魏の層の厚みを感じますね

  • @user-bm8ci1vy5f
    @user-bm8ci1vy5f Před rokem +3

    諸葛恪はきっと呉の諸葛亮になろうとしたんでしょうね。
    けれど国家の歯車に徹し、状況や立場を見据えた判断ができる冷徹さが無いと諸葛亮エミュレートはできない…

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Před rokem +3

    諸葛恪と一族が誅殺された後、呉の諸葛氏は諸葛亮の養子となっていた弟諸葛喬の息子である諸葛攀が継いだ。

  • @daisukenakayama375
    @daisukenakayama375 Před 7 měsíci

    言い方がアレだけど、吉村大阪府知事やひろゆきみたいな人ですね。

  • @user-xb2pm2rc9s
    @user-xb2pm2rc9s Před rokem +8

    諸葛恪からすると
    伯父さんの様に一度引くと
    呉が終わるとの思いがあったかも
    諸葛誕の乱でのifストーリーが、
    面白そう(^^)

  • @shion-akechi
    @shion-akechi Před rokem +17

    ツイッターかどこかで、ある人が「鍾会と諸葛恪が同僚でなくて良かった」と言っていましたが、確かにあの二人が同僚だと大変ですね。最悪の場合は、二人揃って魏延&楊儀の同僚になってしまうと…痔・エンド。

  • @shou-sho
    @shou-sho Před rokem +5

    これを言うと反発買うのわかってるけど、諸葛恪と姜維が被るんですよね。
    諸葛恪が東興で勝った直後に合肥で敗れたように、姜維は狄道で勝った翌年に上邽で惨敗しました。
    二人とも間違いなく才能があって実績も残してるんだけど、時代を動かすほどではなかった。
    結果、諸葛恪は暗殺され、姜維は成都どころか漢中からも逃げ出しました。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +7

      諸葛恪の末路を知ってるからこそ、余計に成都や漢中には戻れなかったのかもしれないですね(⁠๑⁠´⁠•⁠.̫⁠ ⁠•⁠ ⁠`⁠๑⁠)

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Před rokem +8

      姜維も余所者だけに成都に帰ったら命が無かったかもですもんねえ

  • @user-nf6ti8lj2p
    @user-nf6ti8lj2p Před rokem +2

    まさに三国時代の論破王ですな。
    イメージ像はまさにみんな大好き?な「あの人」ですw

  • @user-fq5cj6xo9e
    @user-fq5cj6xo9e Před rokem

    諸葛亮が会ったことない甥に、あまりにも有能すぎて危険だから、何とかしろと陸遜に忠告していたな。
    最後は自滅、合肥新城で張特の謀略に嵌まったのがな。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Před rokem +3

    東興の大勝を見るに軍事的才覚はあったんだろうけど…江東豪族出身じゃないから権力を維持するためには勝ち続けるしかなかったんかなー
    諸葛恪、顧譚、張休みたいな素晴らしい性格()してそうな奴らと上手くやってた孫登はすごかったのでは?

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +3

      孫登は本当にうまく名士たちを束ねることが出来てたって感じがしますよね

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Před rokem +4

      @@KOUMEI_NO_WANADA 陸遜、全琮とも上手く付き合ってるし孫呉の未来は明るいなぁ…()

    • @user-bm8ci1vy5f
      @user-bm8ci1vy5f Před rokem +1

      @@matukawatositane
      陸遜と全琮の関係を取りもつことができたのは孫和でも孫覇でもなく孫登だけでしょうね

  • @RI-sp8nv
    @RI-sp8nv Před rokem +7

    諸葛『格』だと思ってたわ・・・・・・
    てか『恪』って字、今意味調べたら「つつしむ、うやまう」て・・・・・・(;´Д`)

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +6

      字の元遜も、へりくだるっていう意味の遜が使われてますしね(笑)

    • @user-bm8ci1vy5f
      @user-bm8ci1vy5f Před rokem +4

      名は体を表さず…

  • @junkaisavoy1020
    @junkaisavoy1020 Před rokem +3

    丹陽兵は漢末三国時代の有名な精鋭部隊で、徐州牧陶謙の下にはかなりの規模の丹陽兵がいたが、後に張飛と内闘し、徐州を呂布に奪われた曹豹はもひとつの丹陽兵の統率者だった。
    孫策が江東を奪取した最初の「起動資金」は呉景の500人の丹陽兵で、その後の太史慈、韓当、黄蓋は丹陽太守、諸葛恪は丹陽で専門的に募兵したことがある。
    晋が孫呉を滅ぼす戦いを始めた後、呉将沈瑩率いる5000人の丹陽兵は3度の沖陣を行い、孫呉末期の士気と戦争意志が最も強いいくつかの部隊の1つだったが、王渾が率いる晋軍を破ったわけではなかった

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Před rokem +1

      丹陽郡は山々が密集し、山林が茂っており、三国時代には未開発の原始野蛮地帯だったが。住民は山越族、あるいは長い間山越族に対抗してきた漢族である。それよりも危険なのは丹陽郡が銅鉱石鉄鉱石を豊富に産出し、行政管理が不足しているため、地元の人々が武器や甲冑を無断で鋳造する現象が一般的だ(民間の甲冑隠しは漢代律法では基本的に死罪だが、そんなところでは法律は何の役にも立たない)。。

  • @Bear_Samurai_kuma
    @Bear_Samurai_kuma Před rokem +11

    (どうして呉はこんな奴ばかりなんだ)
    三国志12か13辺りから顔グラが某ひろゆきになってて笑った。

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 Před rokem

    「本来(政治や軍事の実行者としては)才能や能力を備えておらず、ただ運と偶然には恵まれて(恵まれ過ぎて)実力以上の成功を積み重ねてしまった人間が最後に馬脚を現してしまった」
    諸葛恪の人生を振り返ってそんな印象を受けました。
    現在で言ったら、
    「絶大な人気を誇る(特に名政治家の役で当たり役をもつ)アイドルがその人気を背景に政界転身してたちまち内閣総理大臣まで登り詰め、しばらくは無難に職をこなしてきたが、経済政策で乾坤一擲の大勝負に出て無残に失敗して大恐慌を招いて世間の批判を一身に浴び、その渦中でテロに斃れた」
    といったところでしょうか。

  • @dignity9315
    @dignity9315 Před rokem +8

    投稿お疲れ様です。
    呂岱にも何遍も考えなければならないと諭されていて、従っていれば変わっていたかもしれないですね。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +4

      なまじ一発で大正解を叩き出す天才だったのが、首を絞めてしまうという。

  • @tomohiro19880307
    @tomohiro19880307 Před rokem +8

    いつも楽しく拝見しています^ ^
    諸葛恪を詳しく知れて、とても面白かったです(*゚▽゚*)b
    個人的な感想ですが、思わず「超括Lv100やな」と感じてしまいました笑

  • @kappanouen
    @kappanouen Před rokem +2

    ニワトリは卵もウ○コも同じ穴(総排出口)から出すという今ならそれだけで一本『生き物トリビア動画』作れそうな豆知識をさりげなく披露する諸葛格😗

    • @kappanouen
      @kappanouen Před rokem

      深読みすると『馬』は諸葛瑾で孫登は「親父のケツ舐めてろ(う○こ食ってろ)!(お前が偉そうな口きけるのも親父が偉い立場だからだろ)」と言ったわけで
      対して諸葛恪は「親父威光でデカい顔できるのはお前こそだろが!お前も親父のケツ舐めてればいいよ。まあお前のオヤジニワトリ(小国の君主。鶏口となるも~の鶏)なんだけどな(嘲笑)」
      ということなのかもしれない😗

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +3

      あまりにも不遜(笑)

  • @naughtnaught
    @naughtnaught Před rokem +1

    頭は良いし仕事も出来るんですけれど、いつの間にか一周回っちゃったか?
    期待された仕事は出来ていたものの、目的のために手段は問わない人物ほどコケると破滅するのか......

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +5

      正解ばかりを選んでも破滅する。人生とはかくも難しきものなのか。

  • @user-kd8hc1hf5n
    @user-kd8hc1hf5n Před rokem +1

    そういや、諸葛瑾と諸葛亮が本当に兄弟か?というと疑問がある、と読んだことがある(三国志人物縦横談とかって本だった)。
    諸葛瑾と諸葛亮の父親は諸葛珪とされているけど、親子である諸葛瑾と諸葛珪がともに王偏なのはおかしいというのが、理由だったと思う。
    まー、今さら確認しようもないけど。

  • @user-gn4iu1np5m
    @user-gn4iu1np5m Před 10 měsíci

    才覚はあっても伯父の孔明 父親の諸葛謹が危惧した他人を見下す性格のせいで身を滅ぼした
    この性格に危うき才能がなければもう少しまともな人物だったかも

  • @user-jx6kl1jh7t
    @user-jx6kl1jh7t Před rokem +1

    諸葛瑾はロバネタから逃れられないのかw容姿の記述なんて残されるもんじゃないな。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +1

      孫権がイジり過ぎなんだよなぁ…
      そりゃ史書にも残るよ(笑)

  • @lov4923
    @lov4923 Před rokem +1

    何となく、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドに登場するリーバルと似ているなと思ってる。調子に乗ってるのは間違いないが、調子に乗るだけの実績を積み上げてるし、自らを鼻に掛けるだけの才覚も持ち合わせていたんだよな。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +1

      それを掴むために、果敢にチャレンジも繰り返してますしね。失敗を経験してこなかったということが、そもそもの失敗だったとは、人生とはかくも難しいものなのか🤔(笑)

    • @lov4923
      @lov4923 Před rokem +1

      敢えて言うならば、諸葛格は失敗しなかった馬謖。姜維は諸葛格ほどの才覚は無いが、人柄が善く努力も欠かさなかった。

  • @user-ok2ci7fo6e
    @user-ok2ci7fo6e Před 6 měsíci

    諸葛恪って、評価低くない気がする。コーエイのゲームだと。

  • @user-zx9hz3gd3u
    @user-zx9hz3gd3u Před rokem +1

    親父(諸葛勤)が言ってた通りだ( ・`д・´)

  • @localoriental6089
    @localoriental6089 Před rokem +7

    諸葛恪の死は優れた治世と抑止力となる冷酷さが失われたわけだから孫峻では治めきなかったことだろう

  • @bwjbb475
    @bwjbb475 Před rokem +1

    まあねえ。せっかく才能あふれていたのにもかかわらず、若い時から父親にも叔父さんにも心配されているような人物だもんね。惜しいかな諸葛恪。
    ③は一人に絞れと言われれば合肥新城守将の張特になりますが毌丘倹(鎮東将軍)・文欽(揚州刺史)もいたし、援軍で大尉の司馬孚が来たことで呉軍は総撤退。
    文欽が揚州刺史はおかしいと言われる方も多いでしょうが魏も呉も一部分しか支配してないけど全部自分とこって思ってたわけですw

  • @banpaku3312
    @banpaku3312 Před rokem

    性格的なものは持って生まれたものなので、呂布もそうですけどどうしようもないですよね
    能力的には申し分ない人物だっただけに
    諸葛恪にもう少し謙虚さや人の意見に耳を傾ける度量が備わっていれば
    もしかしたら孫呉は滅びることはなかったかもしれません

  • @user-fp8fe7wz7z
    @user-fp8fe7wz7z Před rokem +3

    変な言い方だが良くも悪くもこんな情勢ならこんな指導者もありかな思う
    合肥落とせたら名宰相言われたやろうな
    歴史は結果知ってる自分らはあれこれ言えるが難しいな。。
    まあ、、人格的にどうしようもないクズとは思うが戦時中特有な強い指導者と思うが人格が。。
    色々な意味で惜しいのかったかな

  • @kirieereison
    @kirieereison Před rokem +2

    自称ではありますが
    諸葛亮の子孫が今年台湾でアイドルデビューしましたが、
    仮に本当に諸葛家の子孫なら立地や呉の人狩りの経緯から諸葛格の子孫な気がする…

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Před rokem +3

      諸葛爽の後裔だ。浙江省蘭渓市諸葛村は、元代に建てられ、浙江省に移転した北方士人である。村の祠堂と廟社は国家4級文化財建築物である,今年の10月にはそこに旅行に行ったっけwwww。本当に盛んになったのはもはや15 ~ 16世紀の明代のことだった。蘭渓の『諸葛氏宗譜』では、自分の祖先は諸葛亮の孫の諸葛京であり。また、唐代の武将諸葛爽は諸葛京の15代目の子孫だと考えられている。実際にはこの説には問題が多い。諸葛瑾の子孫の可能性は最も低い。諸葛恪の3人の息子が東呉の内闘で殺されたからだ。
      zh.wikipedia.org/wiki/%E8%AF%B8%E8%91%9B%E6%9D%91

  • @Kotchan66
    @Kotchan66 Před rokem

    前秦の苻堅とダブって見えた。

  • @deazul
    @deazul Před rokem

    三国志9の若干面長で人を小馬鹿にしてるよな顔グラ好き

  • @user-mx7rn1pg2u
    @user-mx7rn1pg2u Před rokem

    陸抗と比べちゃうと、どうしてもねえ…

  • @user-kx2bp9dm6k
    @user-kx2bp9dm6k Před rokem

    何故あの父と叔父を持っていながらあんな傲慢な性格の子供が産まれたのか?上司の陸遜や叔父の諸葛亮からその傲慢な性格を指摘されていたが直る事はなかった。
    東興の戦いで大勝した事で調子に乗って周囲の反対を押し切って合肥に攻めたが大敗した。諸葛亮のように敗戦の責任を取ればよかったものの権勢を集中しようとして暗殺された。司馬師のように他人の失敗の責任を追及しなければ信望を集めれたのに。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Před rokem +4

      あの父と叔父を持っていたからこそ、ってことなのかもしれないですね…
      失敗が許されるうちに失敗を経験しておけば、と思わずにはいられない。