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こんにちは❤️ご視聴ありがとうございます!ブログや動画の公開もOKとのことだったので、一部をぜひ皆さまにもご覧いただけたらと思い、この動画を作成しました🎉スゴい歴史の舞台に立てて、本当に歴史散歩冥利に尽きる時間でした🙏いかがでしたか??高評価👍と、まだの方はぜひチャンネル登録もよろしくお願いします😊ご質問・感想はコメント欄にご記入ください📝
防衛省になる前の市ヶ谷駐屯地時代の元婦人自衛官です。当時の大講堂は椅子等は無く、図上演習のたびに電話機設置の為に工具を使って床に配線を引く、外すの繰り返しで「歴史の有る部屋に大丈夫かな」と思いながら作業していました。成人式も大講堂で行われ、給料日やボーナス日には共済組合や売店等がいろいろな商品を販売する会場となっていました。業務で大本営跡にも入りましたが、少しの電灯しかなく歴史を感じました。夜勤の時には不思議な現象も経験しましたが、今は懐かしい思い出です。
以前、市谷の防衛省の桜を見る会にお邪魔させていただく機会がありました。しかし、市谷には桜の木が一本もありませんでした。尋ねると、接待してくれている自衛隊員一人一人が皆、桜なのだそうです。あの頃は未だ防衛庁だったかも。
私は本自衛官で、幹部学校卒業式で、講堂はよく行きましたので、懐かしいです。
きっと素敵な思い出もたくさんあるのでしょうね〜!お話うかがいたいくらいです。あの講堂、なんだか厳粛な気持ちになりました✨
日本人は、ツルハシやシャベルで大本営を掘っていた頃は、アメリカ🇺🇸では、電気ドリル車やユンボを使って掘っていたそうです、
初めましてです。おすすめから来ました。なんとゆう‼️戦跡、史跡巡りが大好きで、特に負の歴史こそ生きてるうちに見て知っておかないととおもって巡っております。神奈川に居ながらも訪れたことがなかったです。是非訪問させて頂きます。ありがとうございます
地下壕は日本の一番長い日を思い出しますね
是非 生で拝見したい絶対見たい。アルマさんこれは凄い内容ですよこれは
ありがとうございます!!痺れる時間でございました🙏
アルマさん、こんにちは!今回も濃い内容で圧巻でした。割腹事件当時、小学生だった私には何がどうなってるのかわからないままでした。ただ報道の大きさからこの平和な時代に衝撃的事件が起きたと記憶しています。その場所に立つ事を想像しただけで、アルマさんの歴史に対する熱意を感じます。アクティブなアルマさんの歴史散歩、これからも楽しませてください。
いつもありがとうございます!今回は本当に歴史の重みがすごくて、いつだったかローマの街を歩きながら、ここにカエサルが立ったかも!?と感じた瞬間と同じくらいの感慨がありました。掘ればまだまだ歴史が出てきそうな東京、これからも魅力をお伝えできたらと思います✨これからもどうぞ、よろしくお願いします!
市ヶ谷は上京した時、行きました。大本営地下壕は、関東圏に住んでないと、なかなか無理です。羨ましい。
地下壕の見学が、今日明日にできるものじゃないですもんね…私も1ヶ月以上待ちましたが、その甲斐あったと思っています!
大本営地下壕は初見でした。大講堂もそうですが、とてもうまく撮影されており、わかりやすいと思いました!以前からナゾなのは、大本営海軍部の跡というのは残されていないのだろうか、ということ。というのは、戦争末期につくり始めた松代大本営も、スペースの問題があったのか、海軍は独自に少し離れたところに別に作っていたことがわかっており、その跡が残っています。「やはりそういう関係・・」と思ったものです。新橋に「末げん」という鳥料理のお店があります。三島事件の前夜、三島らが最後の「晩餐」をしたところ(当時は料亭)として有名で、現在も入口の「上がりかまち」のところには、当夜、三島が腰をおろした板が使われています。先日、ランチで親子丼、食べました・・・
ありがとうございます!大本営(陸軍部)地下壕については、まさか入れて、しかも撮影OK、公開もできるとは思っていなかったので、感動もひとしおでした。海軍部地下壕については日吉の慶應大学周辺に、地下を含む施設が残っているようですね。都内はどうだったのでしょう…おっしゃる通り、長野もちょっと離れた場所にありますし、両軍の関係がうかがえますよね。新橋の「末げん」さん、機会を見つけて行ってみます!親子丼いいですね✨
東京女子医科大学の近くに先程の箱根山が残っていますね。近所にある古いお蕎麦屋さんを尋ねると731の隊員の、或る方が通っていた蕎麦屋さんだったことが分かります。
TV局の放送を見ているみたい、それ以上も…。ナレーター(アルマさん)の話の道すじを聞いていたら、分かり易い中で.当時の臨場感なりを感じました。
ありがとうございます!テレビではなかなか放送されにくい、歴史マニアックですが(笑)臨場感はもしかしたら、市ヶ谷台というこの場所が与えてくれているのかもしれません…
@@tokyo_historical_walk 返事してくれるとは思いませんでした。感謝と共に申し訳なく思います。臨場感は、市ヶ谷だけでなくアルマさんの語り・内容・流れが、そうさせています。忙しいはずなので、気になさらず、この事での返事はしないようにと…思います。
こんばんは。今回もお疲れ様でした女性の髪型名あんまり知らないけどアルマさん髪の長さ同じみたいだけど髪が真っ直ぐストレートになってますねお似合いですよ🤗三島由紀夫はバルコニーで演説してる映像で見ましたが集まった自衛隊員うるさく言ったりして話を聞かないから戻り切腹したそうだけど介錯で首を斬るの、なかなか斬れず刀が曲がったらしいですね。扉に矢印みたいなの貼ってる所は刀傷だろうと思ってましたが三島由紀夫が、ここで切腹した所とか印なかったんですかね?
いつもありがとうございます!髪型は、永遠のマイナーチェンジを繰り返しております(笑)三島由紀夫のバルコニーでの演説は、映像としても、とっても有名ですよね。刀傷は付箋で印がつけられていましたが、割腹自殺の現場についてはガイドさんが、さらっと解説するのみでした💦私はもう、絨毯下の床板に何か痕跡が残っていたりするんじゃなかと、ずーっと目が離せませんでしたが…一種の怖いもの見たさでしょうかね、、、以前の、お江戸の死刑執行人(山田浅右衛門一族)の動画にたくさんコメントをいただきましたが、首斬りってすごいスキルが必要なのだそうです!!なかなか斬れずに刀が曲がるというのも、さもありなん…
こんばんは^_^横からすみません。私も以前午前のツアーに参加したことがあります。その時はガイドさんは説明されませんでしたが、刀傷のあるドアの床に目印ありましたよ。イメージとしては東京駅にある濱口雄幸受難現場のマークと同じようなものでした。他の方は,ガイドさんが説明されないので、誰1人気づいておらず、スルーしてました。、せっかくマークあるので説明してほしいところですよね。、私も今度は午後のツアーに参加したいです。そういえば、先日アルマさんの動画でも解説されていた、旧近衛師団司令部庁舎の外観を見てきました。とても素晴らしかったです^_^これからも応援しております
歴史なんだけどこれって現実なのよね
はぁ三島事件。いいな。いいな!。羨ましい。見学会があることも知らなんだ。拙者は松代大本営跡地の保存で一寸活動したあるよ。三島由紀夫が最後に食べたのは、新橋の末げんで親子丼だったよね。
おおお、松代大本営の保存活動に携わられたとは…!!以前に長野までは行ったのですが、善光寺と温泉を堪能していたら新幹線までの時間が足りなくなってしまい、松代大本営の見学は泣く泣く諦めた記憶があります…新橋の「末げん」さんのお話は、他の視聴者の方からもコメントいただいたのですが、ぜひ食べに行ってみたいと思います〜〜ありがとうございます🙏
館山の海軍赤山地下豪も是非🎉
おおお!ぜひ!と思ったら、内部の崩落があって、今は閉鎖されているようですね…😭再開をお待ちしております🙏
日本は、時代が遅れていたと言う事ですね
おもしろい!
三島事件が起きたとき割腹自殺し時の首がちょうど市ヶ谷台の模型の右角位においてあったですね。当時の朝日新聞の写真から推察しました。皆さん、刀傷ばかり気にしていますが私は皆さんが踏みしめている絨毯のうえを普通に歩いているのは少しぞっとしてしまうのですが。当時母の知人の旦那様が自衛官で三島さんの棺を建物から搬出時に担いでいました。あと、三島先生の首の写真は、検索すると出てきますね。 遺体確認で川端康成先生が現場に行き遺体と対面した時に三島先生の首をみて気絶したとこと。川端先生と三島先生は互いにノーベル文学賞をとることを夢見た良きライバルでしたが、先に川端先生がノーベル賞を取ったことで三島先生は嫉妬していたとかどうとか。真実わかりませんが。
私も正直、刀傷どころじゃなかったです💦ガイドさんもさらっと「このあたりで割腹自殺を…」って言いながら、その上歩いてらっしゃいましたし、、、怖いもの見たさの一種でしょうか、しばらく床から目が離せませんでした。絨毯はもちろん新調されているはずですが、その下の床板には何か痕跡があったりするのかしら…とか想像してしまったり。三島先生のお首もつい、検索してしまいました。普通に画像でいくらでも出てきてびっくりです!!雑誌に載るなんて、時代なのでしょうか?ちょっと今ではありえないですよね。川端康成先生との興味深いエピソードも、ご紹介ありがとうございます🙏
三島先生の首を検索してしまいましたか(笑) 三島先生の首と胴体は、司法解剖した慶応義塾大学法医学教室の先生が丁寧に糸でくっつけた?とのことでその部分を包帯で隠して納棺されていて安らか眠っているご遺体をみて瑤子夫人は、法医学教室の先生にお礼を言ったそうです。後年、川端先生が自殺されていますが三島先生の首を思い出し憔悴したことが自殺の原因の一つになったとかなかったとか言われています。また事件が起きたとき絨毯も赤だったのですが現場に警視庁の佐々淳行さんも行ったらしいのですが遺体と対面しようと総監室に入った時の様子を「足元の絨毯がジュクッと音を立てた。みると血の海。赤絨毯だから見分けがつかなかったのだ。いまもあの不気味な感触を覚えている」と本にかいてありました。 庁舎が今の場所へ移転した時の工事で床も当然新しくなっているのですが、工事の時やはりシミが残っていたようです。また、石原慎太郎さん三島先生と仲が良かったので血の海の現場へ興味本位で現場へいったとか。 それも時代でですね。
ここに勤務してました
おおおお♡貴重なエピソードを、たくさんご存知なのでしょうね…!!
山本五十六連合艦隊司令長官氏がアメリカ🇺🇸と戦争する事を大反対したことが分かっても後の祭りと言う事ですね、
バルコニーに出れる時代に成って欲しいですね。
出てみたいですね!ただ、移築保存している建物なので、強度的なところがクリアできるのかどうか…
すごいところに潜入したんですね!三島由紀夫のかっぷくした場所でしたか!😢諸君!
そうなんです!まさかの同じ建物で、極東軍事裁判と三島事件が繰り広げられていたんです💦
これからも保管し維持してもらいたい!天皇陛下の御文庫地下防空壕も保存してもらいたい!
本当ですね!!御文庫附属室もいつかぜひ、見学させていただきたいものです🙏
こんにちは❤️
ご視聴ありがとうございます!
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いかがでしたか??
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当時の大講堂は椅子等は無く、図上演習のたびに電話機設置の為に工具を使って床に配線を引く、外すの繰り返しで「歴史の有る部屋に大丈夫かな」と思いながら作業していました。
成人式も大講堂で行われ、給料日やボーナス日には共済組合や売店等がいろいろな商品を販売する会場となっていました。
業務で大本営跡にも入りましたが、少しの電灯しかなく歴史を感じました。
夜勤の時には不思議な現象も経験しましたが、今は懐かしい思い出です。
以前、市谷の防衛省の桜を見る会にお邪魔させていただく機会がありました。
しかし、市谷には桜の木が一本もありませんでした。尋ねると、接待してくれている自衛隊員一人一人が皆、桜なのだそうです。あの頃は未だ防衛庁だったかも。
私は本自衛官で、幹部学校卒業式で、講堂はよく行きましたので、懐かしいです。
きっと素敵な思い出もたくさんあるのでしょうね〜!お話うかがいたいくらいです。あの講堂、なんだか厳粛な気持ちになりました✨
日本人は、ツルハシやシャベルで大本営を掘っていた頃は、アメリカ🇺🇸では、電気ドリル車やユンボを使って掘っていたそうです、
初めましてです。おすすめから来ました。
なんとゆう‼️戦跡、史跡巡りが大好きで、特に負の歴史こそ生きてるうちに見て知っておかないと
とおもって巡っております。
神奈川に居ながらも訪れたことがなかったです。
是非訪問させて頂きます。
ありがとうございます
地下壕は日本の一番長い日を思い出しますね
是非 生で拝見したい絶対見たい。
アルマさんこれは凄い内容ですよこれは
ありがとうございます!!痺れる時間でございました🙏
アルマさん、こんにちは!
今回も濃い内容で圧巻でした。
割腹事件当時、小学生だった私には何がどうなってるのかわからないままでした。ただ報道の大きさからこの平和な時代に衝撃的事件が起きたと記憶しています。
その場所に立つ事を想像しただけで、アルマさんの歴史に対する熱意を感じます。アクティブなアルマさんの歴史散歩、これからも
楽しませてください。
いつもありがとうございます!
今回は本当に歴史の重みがすごくて、いつだったかローマの街を歩きながら、ここにカエサルが立ったかも!?と感じた瞬間と同じくらいの感慨がありました。
掘ればまだまだ歴史が出てきそうな東京、これからも魅力をお伝えできたらと思います✨
これからもどうぞ、よろしくお願いします!
市ヶ谷は上京した時、行きました。大本営地下壕は、関東圏に住んでないと、なかなか無理です。羨ましい。
地下壕の見学が、今日明日にできるものじゃないですもんね…私も1ヶ月以上待ちましたが、その甲斐あったと思っています!
大本営地下壕は初見でした。大講堂もそうですが、とてもうまく撮影されており、わかりやすいと思いました!
以前からナゾなのは、大本営海軍部の跡というのは残されていないのだろうか、ということ。というのは、戦争末期につくり始めた松代大本営も、スペースの問題があったのか、海軍は独自に少し離れたところに別に作っていたことがわかっており、その跡が残っています。「やはりそういう関係・・」と思ったものです。
新橋に「末げん」という鳥料理のお店があります。三島事件の前夜、三島らが最後の「晩餐」をしたところ(当時は料亭)として有名で、現在も入口の「上がりかまち」のところには、当夜、三島が腰をおろした板が使われています。先日、ランチで親子丼、食べました・・・
ありがとうございます!
大本営(陸軍部)地下壕については、まさか入れて、しかも撮影OK、公開もできるとは思っていなかったので、感動もひとしおでした。
海軍部地下壕については日吉の慶應大学周辺に、地下を含む施設が残っているようですね。都内はどうだったのでしょう…おっしゃる通り、長野もちょっと離れた場所にありますし、両軍の関係がうかがえますよね。
新橋の「末げん」さん、機会を見つけて行ってみます!親子丼いいですね✨
東京女子医科大学の近くに先程の箱根山が残っていますね。近所にある古いお蕎麦屋さんを尋ねると731の隊員の、或る方が通っていた蕎麦屋さんだったことが分かります。
TV局の放送を見ているみたい、それ以上も…。
ナレーター(アルマさん)の話の道すじを聞いていたら、分かり易い中で.当時の臨場感なりを感じました。
ありがとうございます!テレビではなかなか放送されにくい、歴史マニアックですが(笑)
臨場感はもしかしたら、市ヶ谷台というこの場所が与えてくれているのかもしれません…
@@tokyo_historical_walk
返事してくれるとは思いませんでした。
感謝と共に申し訳なく思います。
臨場感は、市ヶ谷だけでなくアルマさんの語り・内容・流れが、そうさせています。
忙しいはずなので、気になさらず、この事での返事はしないようにと…思います。
こんばんは。今回もお疲れ様でした
女性の髪型名あんまり知らないけどアルマさん髪の長さ同じみたいだけど髪が真っ直ぐストレートになってますね
お似合いですよ🤗
三島由紀夫はバルコニーで演説してる映像で見ましたが集まった自衛隊員うるさく言ったりして話を聞かないから戻り切腹したそうだけど介錯で首を斬るの、なかなか斬れず刀が曲がったらしいですね。
扉に矢印みたいなの貼ってる所は刀傷だろうと思ってましたが
三島由紀夫が、ここで切腹した所とか印なかったんですかね?
いつもありがとうございます!髪型は、永遠のマイナーチェンジを繰り返しております(笑)
三島由紀夫のバルコニーでの演説は、映像としても、とっても有名ですよね。
刀傷は付箋で印がつけられていましたが、割腹自殺の現場についてはガイドさんが、さらっと解説するのみでした💦私はもう、絨毯下の床板に何か痕跡が残っていたりするんじゃなかと、ずーっと目が離せませんでしたが…一種の怖いもの見たさでしょうかね、、、
以前の、お江戸の死刑執行人(山田浅右衛門一族)の動画にたくさんコメントをいただきましたが、首斬りってすごいスキルが必要なのだそうです!!なかなか斬れずに刀が曲がるというのも、さもありなん…
こんばんは^_^横からすみません。
私も以前午前のツアーに参加したことがあります。
その時はガイドさんは説明されませんでしたが、刀傷のあるドアの床に目印ありましたよ。イメージとしては東京駅にある濱口雄幸受難現場のマークと同じようなものでした。
他の方は,ガイドさんが説明されないので、誰1人気づいておらず、スルーしてました。、
せっかくマークあるので説明してほしいところですよね。、
私も今度は午後のツアーに参加したいです。
そういえば、先日アルマさんの動画でも解説されていた、旧近衛師団司令部庁舎の外観を見てきました。とても素晴らしかったです^_^
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歴史なんだけどこれって現実なのよね
はぁ三島事件。
いいな。いいな!。羨ましい。見学会があることも知らなんだ。
拙者は松代大本営跡地の保存で一寸活動したあるよ。
三島由紀夫が最後に食べたのは、新橋の末げんで親子丼だったよね。
おおお、松代大本営の保存活動に携わられたとは…!!以前に長野までは行ったのですが、善光寺と温泉を堪能していたら新幹線までの時間が足りなくなってしまい、松代大本営の見学は泣く泣く諦めた記憶があります…
新橋の「末げん」さんのお話は、他の視聴者の方からもコメントいただいたのですが、ぜひ食べに行ってみたいと思います〜〜
ありがとうございます🙏
館山の海軍赤山地下豪も是非🎉
おおお!ぜひ!と思ったら、内部の崩落があって、今は閉鎖されているようですね…😭再開をお待ちしております🙏
日本は、時代が遅れていたと言う事ですね
おもしろい!
三島事件が起きたとき割腹自殺し時の首がちょうど市ヶ谷台の模型の右角位においてあったですね。
当時の朝日新聞の写真から推察しました。
皆さん、刀傷ばかり気にしていますが私は皆さんが踏みしめている絨毯のうえを普通に歩いているのは少しぞっとしてしまうのですが。
当時母の知人の旦那様が自衛官で三島さんの棺を建物から搬出時に担いでいました。
あと、三島先生の首の写真は、検索すると出てきますね。 遺体確認で川端康成先生が現場に行き遺体と対面した時に三島先生の首をみて気絶したとこと。
川端先生と三島先生は互いにノーベル文学賞をとることを夢見た良きライバルでしたが、先に川端先生がノーベル賞を取ったことで三島先生は嫉妬していたとかどうとか。
真実わかりませんが。
私も正直、刀傷どころじゃなかったです💦ガイドさんもさらっと「このあたりで割腹自殺を…」って言いながら、その上歩いてらっしゃいましたし、、、怖いもの見たさの一種でしょうか、しばらく床から目が離せませんでした。絨毯はもちろん新調されているはずですが、その下の床板には何か痕跡があったりするのかしら…とか想像してしまったり。
三島先生のお首もつい、検索してしまいました。普通に画像でいくらでも出てきてびっくりです!!雑誌に載るなんて、時代なのでしょうか?ちょっと今ではありえないですよね。
川端康成先生との興味深いエピソードも、ご紹介ありがとうございます🙏
三島先生の首を検索してしまいましたか(笑) 三島先生の首と胴体は、司法解剖した慶応義塾大学法医学教室の先生が丁寧に糸でくっつけた?とのことでその部分を包帯で隠して納棺されていて安らか眠っているご遺体をみて瑤子夫人は、法医学教室の先生にお礼を言ったそうです。後年、川端先生が自殺されていますが三島先生の首を思い出し憔悴したことが自殺の原因の一つになったとかなかったとか言われています。また事件が起きたとき絨毯も赤だったのですが現場に警視庁の佐々淳行さんも行ったらしいのですが遺体と対面しようと総監室に入った時の様子を「足元の絨毯がジュクッと音を立てた。みると血の海。赤絨毯だから見分けがつかなかったのだ。いまもあの不気味な感触を覚えている」と本にかいてありました。 庁舎が今の場所へ移転した時の工事で床も当然新しくなっているのですが、工事の時やはりシミが残っていたようです。また、石原慎太郎さん三島先生と仲が良かったので血の海の現場へ興味本位で現場へいったとか。
それも時代でですね。
ここに勤務してました
おおおお♡貴重なエピソードを、たくさんご存知なのでしょうね…!!
山本五十六連合艦隊司令長官氏がアメリカ🇺🇸と戦争する事を大反対したことが分かっても後の祭りと言う事ですね、
バルコニーに出れる時代に成って欲しいですね。
出てみたいですね!
ただ、移築保存している建物なので、強度的なところがクリアできるのかどうか…
すごいところに潜入したんですね!三島由紀夫のかっぷくした場所でしたか!😢諸君!
そうなんです!まさかの同じ建物で、極東軍事裁判と三島事件が繰り広げられていたんです💦
これからも保管し維持してもらいたい!
天皇陛下の御文庫地下防空壕も保存してもらいたい!
本当ですね!!御文庫附属室もいつかぜひ、見学させていただきたいものです🙏