Velikost videa: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Zobrazit ovladače přehrávání
Automatické přehrávání
Přehrát
(誤)蒋介ルート → (正)援蒋(えんしょう)ルートの間違いでした。ここに訂正しお詫び申し上げます。ご指摘誠に有り難うございました。無学なもので間違いをご指摘頂けると助かります。以前の私なら間違いを認めようとしませんでしたが・・・「令和の牟田口」と言われないよう精進致します。
盧溝橋事件と203高地についてもお願いします
令和の河辺=岸田
パヨク共やコミュストの嘘に踊らされ、記録を碌に調べず故人を不当に誹謗中傷する君に真実を伝えよう。『補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘』補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。他の2個師団には補給されてます。また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません。補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。しかし、この部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回・浸透戦術の部隊です。こういった特殊な任務の部隊は、普通作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。作戦延長の判断は参謀本部によるものです。上記は一例にすぎず、歪曲された真実はまだまだある。軍事研究家の故・大田 嘉弘氏の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?恥というものを知っているなら、父祖に唾を吐いた愚かさを自覚して頭を垂れろ。
図もストーリーも分かりやすくとても面白い内容の動画でした!
河辺は、インパール作戦時は、中将だと思いますインパール作戦時には、河辺、牟田口、佐藤、柳田、山内は全員中将です
保身のためにこんな無謀な作戦を続けて多くの死者を出したにも関わらず、のうのうと生き延びて戦後の豊かになる日本で過ごしていたかと思うと言葉にならない。日本の地を踏み家族にあって美味しいものをおなかいっぱい食べたい。そう願った人がどれほどいただろうか。こんなやつのせいで未だに異国の地で眠り犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
20:54 全員が各々のメンツを守るためだけに動いているという地獄のような構図
河辺の発言や行動をまとめて、「大企業で責任取らずに出世する術」みたいな本を出したら売れそう
腹を切って詫びようかな?☞77歳まで生きるのである、、、、
5年位前に台湾で生き残りのお爺さんにあった。前年に、チンドウィン川まで行って、お線香とアンパンを備えてきたことを言うと、目頭に涙を浮かべていました。すごく、お礼されました。自分が行きたくても、年齢的に無理と。台湾人のお爺さんは、軍属であって軍人ではないですが、捕虜になり帰国後は農業をしていました。
本当にこの当時の陸軍上層部はポンコツばかり。
苦労したんだろうな…それにしてもわざわざチンドウィン川までいって御霊を慰めるとはいいことをされましたね
@@user-jd7ip5gq1z チンドウィン川と言っても、実際には、実際に超えた場所よりかなり下流の市。チンドウィン川と言うホテルに泊まったので、慰霊しました。「殉国勇士の碑」があり、アンパンを備えて手を合わせ、チンドウィン川に行き、線香を焚いて手を合わせました。ただ、慰霊碑の周りは草が酷いので、現地の人にお金を渡し、定期的に草を刈るようにお願いしました。マンダレーやパガンにも、日本兵の大量のお墓や慰霊碑がありました。こちらは、お寺の中にあるのできれいに整備されていました。帰ってきたら、おちょくられました。「夢に、旧日本軍の連帯が行進して敬礼されなかったか?」と。そんなことはなく、旅を見守って下さりました。
ウィキペディアで見てもなかなか理解できなかっのですごく助かりました。地形まで入ると本当にわかりやすい。無謀な作戦だと改めて感じました。
動画を見ただけで解った気になるのは本当は危険だよ。動画の冒頭にも「この動画はフィクションです・・・」と宣言してあるじゃん。自分で多角度に調べて自分なりの解釈を考える方がもっと大切なんだよ。
最後の撤退ルートをたどるところは、空腹状態でこの山道を逃げろと?、見ているこちらも絶望感が出てきました。
bgmが控えめで、無感情で淡々と語るのが気持ちいい。
あ、それですね。「なんと聞きやすいのか」と思っていました。内容は良いのに、BGMが派手過ぎてどうしても聞けないという動画も多いですからね。
「突撃ー!」と言う人はまず突撃しないというのはよく聞く話ですが…生まれて自分の町や村からもほとんど出たこと無い若者が国策のため遠く異国の地で命を落してた事につらく心が痛みます。ありがとうございました、とても勉強になりました。
指揮官も訓示して突撃しますよ。陸士卒はすぐ戦死すると言われていました。
戦って死んだなら英霊とか呼ばれるのも少し分かりますが、実際は大半が戦う以前に餓死してますからね。敵国より自国の方が日本人を殺してしまっている。
そら司令官は突撃するのではなく、全体を把握し司令塔になる役割なのでね…。司令官が突撃して死亡したら誰が部隊を統率するのかと。
@@iso_jin英霊は英雄とかの英ではない。なので、あなたのその感覚は全くの間違い。英霊という言葉は、死者の霊や魂の美称。ウィキペディアより…もともとは戦死者にのみ使われる特別な用語ではなく、葬儀の際に故人に語り掛ける弔辞で「霊魂」のことを「英霊」と言うのが1940年代までは一般的であったから、まるで「英霊」が戦死者にのみ用いられた語のように限定するのは勘違いである
指揮官は軍刀抜いて突撃ーってやるから敵の良い的だったそうですよ。
これ牟田口は戦後ものうのうと生き残り、自身の所業を肯定するかのような発言しているのが胸糞ポイント高い
東条英機が負ける戦争をしてしまったために 全てを 失ってしまった ーー佐賀人
ムダグチは 毎日夕6時ぐらいには 近くの女達の料亭に 入りびたっていたのだ !! 戦線では おびただしい数の兵士らが 戦死 餓死している状況で !! ーー佐賀人
今の政治家や企業の経営者に脈々と受け継がれてれいる牟田口イズム。
「自身の所業を肯定するかのような発言を……」じゃなくて、「自身の所業を肯定するばかりの発言」ばかりを繰り返しています。 ーー佐賀人
@@user-mi9hm5ty9x 特に このクサレ-アホ国の「政治屋」連中に おたくの言う「牟田口イズム」が まん延しています。 ーー佐賀人
これはすごい動画だ。。。日本の悪いところが凝縮された作戦。今の日本でも、命までは落とさなくとも、油断をすると日常の仕事で起きかねないと感じました。
約10年ほど前、親方日の丸の企業に努めていましたが、戦略もまともな戦術もなく徒手空拳で働かされました。正にインパール作戦と同じでした。
インパールはなぜ必要だったのか解説してる奴一人も居ないけどな。
@@ys4414 日本にとってインパール攻略は必要なかった。ただ劣勢にある日本陸軍の手柄目当ての無謀でしか説明できないから解説していない。不都合な真実
外国人の上司で似たような人がいたから… 日本人だから!ってことはないと思います。日本のことなど全く知らないし、現場を理解しようともせず計画を立てて、「これ、無理ですよ」と日本人スタッフが指摘したら、優勝なアテクシに向かって意見するなんて!!と逆上し、何が何でも計画通りやれ!… まあ、結局、その事業、迷走して潰れました。
佐藤中将のブちぎれ方がすごいよね 本当に殺されると思ってたから牟田口は逃げたんだね
言い訳とかが今の政治家と官僚と同じでほとんど変わってないんだなと思いました。すばらしい動画でした。
当時は逃げ場の無い戦場にエリートが送られたら、兵隊さんと一緒に死ぬしかありませんでしたが、今は世襲封建領主そのまんまの当選確実で責任皆無な世襲議員、辞めたら一般人で済むどころか口止めで美味しい天下りしてしまう官僚という事で、戦争中以下の状況だと思っております。
「国民の生活が大事なんて政治は間違っている」とか「憲法から 人権 国民主権 平和 をなくさねばならぬ」などと言い放つタカ派議員がのさばる今の日本。限りなくインパール時代に酷似してきたとため息😮💨
思想強
日本の悪いところが凝縮されてる。それは今も変わってないと思います。とてもわかりやすい動画でした。
30:32からの白骨街道を辿っていく最後の部分で背筋が寒くなりました。むしろよく生き残って帰る人がいたものだと思います。大変わかりやすい動画、いつも勉強になります。
インパール作戦って、書籍とかまとめサイトでみましたけど、こうして3Dの地形で見ますとわかりやすいですね、日本地図に重ね合わせるとかいかに大変な作戦だったのか思い知ります。 何時も動画楽しみにしています。
うううう。何度聞いてもかわいそうや。グーグルアースで見ると過酷さがよくわかり余計に悲しくなってくる。
当時の日本軍の合理性を欠いた作戦の顛末は見るたびに本当につらい気持ちになりますね…。
結局のところ「自分がやるわけじゃない」っていうのが古今東西無謀な作戦を上層部が決定してしまう要因なのかな…w
失敗みたいに言ってるけどインド独立支援自体は出来たけどなそもそも戦況の悪化でインド支援できるのはこれが最後でチャンスは一回こっきりだったから断行した。因みに牟田口は元々は反対派。
愚将牟田口は、戦後も生き続け「俺の作戦は正しかった」と言いながら天寿を全うした……。
祖父が第33師団(弓)で山砲兵でした。非常にわかりやすい解説で、祖父から聞いた話と一致する部分がありました。
すご!
こんなに莫大な戦争の罪を犯した祖父さんはきっと地獄に落ちただろう😅
どうしようもないアホがいて悲しい。
@@user-yk8ci5kw7t はい、通報
@@user-yk8ci5kw7t 親米や共産主義の人たちの発言って分かりやすいですね。私は植民地支配されたインドの開放と信じて戦った祖父さんの英霊に敬意を表したい。
宮崎繁三郎中将が 取り挙げられていて、同じ岐阜県民として嬉しく思います。彼は 「不敗の名将」とも称されノモンハンやインパール等の激戦を戦い抜いて戦争を生き残った陸軍きっての人材ですが、認知度が低く残念に感じてしまいます。
この動画で初めて知りました。凄い方ですね!攻防、更に撤退に至ってまで一流な印象を受けました。
最も恐ろしいのは有能な敵ではなく無能な味方
現在も 2030年以降の防衛戦略も無しに猿頭政治屋に防衛費を増額して何になるのか?。
今 自衛隊の質は世界トップクラスしかし陸自は15万 敵は100万以上2030年以降の具体的効果的な防衛戦略は無し。 戦略を持たない者には地獄しか無いだけダヨーン。
参議院議員選挙の投票率を上げる事が簡単な事も 竹島問題に現実的効果的な策も理解出来無い猿頭政治屋には何を言っても無駄 牟田口の馬鹿と一緒ダヨーン。
@@user-nt2kb5eq1f 表向きは弾薬備蓄量を増やすって事になってるけどね
イギリスも補給大失敗して結局トントンになった死の土地だがな。
食糧満載でも行こうとは思わん距離だな…。無謀がすぎる…。
@@oinusama-saiko 補給万全で現地調達とかしなくてもいいとしてもって意味でしょう
現代で準備万端でやれと言われても無理ゲー。
侵攻も撤退もやり遂げて帰還できた英国人も日本人もそれだけでとんでもない奇跡なことだよな…
そもそも招集した兵隊をモノのように扱うブラックな体質はそのまま受け継いでます。バイトテロ、保育園での幼児虐待がその証拠。
祖父がこのインパール作戦に参加していました。祖父は運が良いのか悪いのか作戦序盤でイギリス軍から奇襲を受けて負傷、片腕を無くしましたが生還しました。ただしその後片腕が無いことで大分苦労された様です。そんな事もありあまり私も詳しくは話を聞けなかったのですが、この動画を見る限り序盤で打撃を受けたのは第三十三師団の様ですので祖父はそこに所属していたのかもしれません。祖父が受けた大変な苦労も全てこの無能の責任逃れな上官どものせいと考えると憤りが隠せませんね。
お前の祖父はニックネームはシャンクスだろww
無理な時に無理と言ってはいけない様な風潮、上の立場の人間に具申することを一切許されない日本軍の階級システム、自分達の始めた事なのに誰も責任を取りたくない無能権力者、こんなの個々の兵士がどんなに強くても負けるに決まってるんだよなぁ。
経営失敗してる会社みたいなもんですな
結末を分かっていても牟田口腹が立つ戦後はイギリス側の士官に話を聞いてインパール作戦の構想自体は間違ってなかったと確信して亡くなったらしいし
wikiを全面信用するわけでは無いが、戦後は静かに暮らし、家に恨み言を言いに来る遺族に土下座し、佐藤中将の葬式にわざわざ出向いて土下座したらしい佐藤中将の無断撤退がなければ、、というのは英軍・友軍共に賛同者もいるようだもう少しフラットな見方もあったのかもしれない
実際、三叉路高地を守っていた英部隊は日本軍突入のギリギリ前にコヒマに到着しており、彼らが間に合ってなかったら日本軍勝利の可能性が高かったという。
一時的な占領や勝利は可能だったかもしれないけど、元々の補給能力や機械化レベルに雲泥の差があるため、敗北の時期が何ヶ月か遅くなっただけだと思う。ただ牟田口は兵士の遺族には土下座して詫びたり、自己弁護の気持ちと悔恨の気持ちの両方があったみたいよ。
インパール作戦はチャンドラボーズ率いる独立自由インド軍への支援という軍事的な目標よりも政治的な目標で作戦を強行された面が大きかったりするので日本軍単独目線だと無謀な作戦だか日印関係という視点だと評価変わったりしますよね
でたでた歴史修正主義者。別の見方をすれば評価は変わる、とか。実際もう少しで成功してた、とか。歴史にifはないし、失敗したことだけが事実。別の見方?人間の命以上に価値のあるものなんてないし、あると思うなら戦死者や遺族の前で言ってみたらいい。「お前の命よりインドとの友好の方が価値があるんだよ」って。
ここに祖父が行っていたと亡くなってから初めて父から聞いた。改めてよく帰ってきたと思う。もう30年近く前、祖父が涙した福岡にあったビルマの丘、まだあるんだろうか。
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」~ナポレオン
日本人の敵は日本人。労働者の敵は経営者。納税者の敵は公務員。労働者の敵は他の労働者。先輩の敵は後輩。後輩の敵は先輩。
イギリスも補給大失敗してるから無能な敵という味方もいたがな
@@user-fl6ek2yq1n 女の敵は女
とういうナポレオンも最終的にフランスを敗北に追い込み、結果的にフランス人を大量に死に追いやったというオチ。始めの頃は勝利を重ねていたが、最終的に大敗北するのはまるで大日本帝国のごとし
93年放送の「ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」いまでも時々見ますが、こうしてあわせて動画で見ると、より理解が深まりました。登場人物のセリフのニュアンスも「フィクション」ですけど、よく再現できてると思います。
儂もリアルタイムで見た!VHS録画もした。サントラ盤も買った。漣唄、今でもよう聴く。
良質の動画ありがとうございます。昔読んだ「失敗の本質」を視覚で確認できました。ガダルカナルやミッドウェーもお願いします。日本人として辛い記憶ですが、組織が同じ轍を踏まないよう多くの人が知るべきだと思います。
これほどわかりやすい戦争の解説はないですね。ありがとうございます。他の動画があれば見たいです。
昔、インパール作戦に参加した人から初めて牟田口の名前を聞きました。その後テレビでその内容を知り、その人が激怒して牟田口にひどい目にあわされたと言っていたのに共感しました。
ビジュアル的で理解しやすい。参考文献も紹介してもらえると嬉しいです。
仮にインパールが落ちたにしても大戦の流れは大して変わらなかったのではないのかとも思う。
宮崎さん有能すぎる。
このような素晴らしい動画を上げて下さり感謝です。地形から読み解くシリーズ、大好きです。お疲れ様です。
歴史が好きで、現場検証をしに行くのですが、実際にその場所に立たないとわからないことが多いです。こういう地形で表されると、事件の実情を理解するのに役立ちますね。
インパール作戦を迎え撃った側のイギリス軍将校が言ってたけど、日本人に足りないのは道徳的勇気だって。どう考えたって間違えていることをやろうとしている上官を、勇気を持って指摘して止めさせる勇気がない。これは現代の日本人にも言える話。
そんなの当然。なんせ日本ではなにより空気が読めることが求められるから。勇気を持って止めるなんて空気の読めない行為をやったら自殺行為ただし自分だったら言ってしまうかもね。なんせ空気読めませんから。
会社でもプロジェクト統括が、若い頃に仕事のノウハウを教えてくれた先輩だとね。。。今でも人情論と言うのは少なからずあるからね。私の先輩で、直属のプロジェクト統括(役員)に進言しても埒が明かないので、別の仲の良い役員から統括へ言ってくれと頼み込んだら、それを聞いた統括が激怒して先輩は関連会社へ出向されてしまったからね。インパール作戦前の小畑参謀長と同じ。
外資系企業の外国人上司にも似たような人がいたから、日本人だから!日本の組織だから!ってことはないと思います。
信賞必罰!適材適所!組織に必要な事は・・・河辺司令官、昭和20年3月定期的に大将進級・・・
いやもうどうやってこのルートを無事に生還できたのか謎ですよね、自分なら絶対白骨街道の一部になってます。
愚将にもほどがありますね...永遠と汚名が語り継がれていってほしい
インパール作戦の前にニューギニアのポートモレスビー作戦で南海支隊はニューギニアの困難なスタンレー山脈を突破して補給線が枯渇しポートモレスビー手前で撤退に成り壊滅したが満足な装備も無いのに4000mのスタンレー山脈を進んだ事をいかに悲惨な状況だったのかを地形上での解説して欲しいです。
ニューギニア戦は、道なき道をゆく、部隊の移動距離、高山登山のどちらともインパールよりもさらに過酷と聞きました。私もこの企画でお願い致したく思いますm(_ _)m
アレはアフリカや南米が「暗黒大陸」と飛ばれていた時代の探検家がやるようなことでしたからねぇ。ニューギニアを南北に縦断するルートは、簡単にできる物なら豪州がとっくに作ってたと思うんですよ。出来ないには、それなりの理由があったんですよね。
それでもポートモレスビーの灯が見えるところまで進出しましたからね。陸軍将兵の超人的な努力です。珊瑚海海戦で勝ちながら、僅かな損害に驚き逃げてしまったあの司令官のせいで、多くの人々が苦しみました。本人は海軍兵学校の校長になり、「兵学校の成績と出世の相関関係」を研究していたそうですが。「太平洋の島々を不沈空母にする」という持論も、米軍が押し寄せたら、あの有り様でしたし。
ナンマンニンの兵士を餓死させてのほほんと72歳まで暮らしてるのだよね、そのクソな極悪人はしぶとく長生きするぶっとい神経持ってるものだよね、やはり悪人はなかなか死なないものだよね。今なら二階とか無能のクズが司令官なら部下や兵士が有能でもだめなんだよね。
@@user-yl9ek9le7m 86までのうのうと生きましたからね。でもそんな人の兵学校主催の追悼会に700人も集まるんだから兵学校の人もアレばかり。洗脳って怖いね。
イメージしてたのだと目的地までの行軍途中で病気、餓死などで戦うまもなく大半が亡くなったイメージだったけど意外にも戦えてたんだな。
行きは…英軍作戦が、正面衝突じゃなくてインパール付近に日本軍を誘い込んでたたくという感じだったんで割と上手く行った…まだ勢いもあるしね地獄は、停滞してからと、退却始めてから。そのあとはもうめちゃくちゃ
自分の祖父も歩兵58連隊で上海・南京・徐州と日中戦争に従軍したのち除隊、再度招集されて終戦時はビルマで英国軍の捕虜になり、終戦後も1年以上足止めはったものの5体満足で帰国して80代後半まで存命でした。晩年は戦争のについて多く語らず、亡くなってからの遺品に戦争当時の日記があり、南京攻略戦やインパール作戦に参加していたことを知りました。身近にいた者が体験したことをわかりやすく解説されており、興味を持って視聴できました。ありがとうございます。
ただ皮肉なことにこの作戦がインド独立を早めてるんだよな…
現在の日本人も本質は当時と同じですよ。偉くなれば保身だけを考える。死ぬのは現場の捨て駒。
社会の捨て駒がなんか言ってて草
ほんと何言ってんだこいつ
じゃー偉くなればええやん
日本はもうすぐ滅びる運命
たしかに。。大企業内の権力闘争はマジでこんな感じ
77歳までちゃっかり生きてるのには吹いた
死期を悟ってか、自分の葬儀で言い訳の文を残し、これを子に周りへ配る様に言い残したらしい。最後まで見苦しく卑怯な振る舞いだったらしいです。
とても わかりやすかったです こんな作戦に駆り出される 一番下の兵隊が 可哀想です
宮崎隊長ほんとにすごいな…上層部がもっと有能なら😢
本当に、この人が上層部であったのならと思ってしまう。😢そもそも、この無謀な作戦頼りとなった日本は既に詰んでだと思います。西洋の帝国主義に屈することなく、植民地支配から日本を守る為に富国強兵をしたまではよかったが、その暴走を止める事が出来なかったのが悔やまれます。。。
この宮崎支隊でお話一本できそう
宮崎部隊の顔の絵が悪そうだったから、最初手柄を自分のものだけにしたい悪いやつかと思ったら、少しでも戦力を削がれないためだったのかマジで有能やん
「バカな将軍敵より怖い」まさにこのムチャクチャな作戦を立案した牟田口がピッタリ当てはまる!
当時はまだ八甲田山の大量遭難死事件から40年ほどで、陸軍幹部には当時の記憶があった人もいたはずだ。八甲田山では山岳での部隊運用の難しさや補給の重要さ、指揮命令系統の重要さ、そしてなにより計画の重要さを身に染みたはずだった。ところが今度は八甲田山の100倍を超える死者を出してしまう。人間はつくづく同じような失敗を繰り返す生き物なのだと思う。
まあ、牟田口、河辺あたりが真面目に八甲田山の教訓を学んでいたとは思えない……!
部下の師団長から「鬼畜」とまで呼ばれた司令官は後にも先にも牟田口以外にいない
牟田口で恐ろしいのは、師団長時代までは普通に優秀な軍人なところ。そしてインパール作戦がなかったら、盧溝橋事件を起こして泥沼の戦争に突っ込ませた主犯として、A級戦犯として名を残してたかもしれないし、アレクサンドラ病院事件(牟田口が指揮した第18師団がインド兵が撃ったとしてシンガポールのアレクサンドラ病院の軍医将校・看護兵、負傷兵200名以上射殺。山下奉文すら知らされておらず事件起こしたことに呆れてた)も運よく証人になる予定だった英軍将校が事故死して不起訴で裁かれないという運の良さ。プーチンの誕生日と一緒という 転生者かな?
現場を指揮できなくなって大本営や方面軍の指示を繋ぐだけの中間管理職はつらいですねえ
ご要望に答えてもらえてありがとうございます。感謝します。
愚将牟田口中将の真実を知りたくここに辿り着きました。わかりやすい。ありがとうございます。
よくある取って付けたようなBGMが無いだけで、逆に情報量が多く感じる不思議な動画。自分は趣味で登山をしてます。標高は2000~3000m、移動距離にして15~30km位の行程が多いですが、カロリー摂取無しでは1日もまともに行動できないと感じます。それを貧弱な兵站で数百kmの行軍とか、牟田口の無能さに震えました。
なお、牟田口本人は後方の料亭で美味い飯食ってただけの模様一説には本土の芸者を連れ込んでたなんて噂も最後にしたのは祭壇作って神頼みまあ当然神様がそんな願いを叶えるはずもなく
牟田口に全部押し付けてうまくやったなあというのが南方軍ご歴々に対する印象です
昨日チャンネル登録してほとんどの動画見ました。地図上で詳しく経緯を説明してくれるのでわかりやすくてホント面白い!早くも次が待ち遠しい!
イギリス兵とは言うが実際はインドで徴用した兵隊だろうから凄いねインド人
一応半分くらいはイギリスの本国軍だぞ
自身と同僚、上官の立場を危うくしないこと……。組織の中で責任を取らずに立ち回ること……。合目的性を一義とする戦争において、もっとも介在させてはいけない「空気」と「忖度」に支配された作戦。ただ、今のこの国の政治構造もほとんど変わってないわけだから、恐ろし過ぎる。
こりゃあもし、今後日本が戦争に巻き込まれることがあれば、資源も弾も足りないしまず負けると思われる我々庶民は下手をしたら元日本ゲリラ兵として戦うしかないかもなあ
なんというか...。なんというか...。忘れないためにこの動画を必須科目にして欲しい。わかりやすい説明、ありがとうございます!
この人の動画丁寧ですき
しっかり管理するようにの流れが現場猫すぎる
援蒋ルートについて、up主による訂正がありましたね。母方の祖父はニューギニア戦―こちらも大変だったようです―ののちにインパール作戦に参加し、なんとか生きて帰ってきました。肩から背にかけて銃創がありました。山岳地帯を退却時に山道で蛆に覆われた骸を横目に歩き続け、また同胞の「おいていかないでくれ。助けてくれ」との声が耳に残っているといっていました。生活の中で足腰の鍛えられていなかった町育ちの人は脱落するのが早かったようです。
インパール作戦は有名だが、なんとなくしかわかってなかった!地形で詳細に説明は素晴らしい。本当によくわかりました!!
地形を見せてくれながらの解説、とても分かりやすいです!誰も責任を取りたくないので止める決定ができないまま泥沼戦争へ突入する…日本人の国民性が良く出ています。他の国みたいに強力な独裁者は現れないんですけれど。
戦争って本当に無意味なものだなと強く思います…。
牟田口廉也が愚将と言われる由縁がよく分かる動画
逆から見れば優秀なスパイ。
マレー作戦までは猛将だったんだけどなあ
言いわけいいわけで責任逃れする牟田口に河辺、思わず山際を思い出した。
河辺大将や牟田口中将が、おめおめと生還し、天寿を全うしましたが、今頃は地獄をさ迷い、何度も何度も、狂い死にしてくれていることと確信しています。戦史を読んでも掴めなかった距離感を、この動画で掴むことができました。感謝します。
河辺と牟田口には、永遠と食い物もないまま地獄の山脈を歩いてもらうべきやな
現場の兵士のことを思うと、見ていて本当につらい動画だった。無能で責任逃れしかない上層部には、激しい怒りしかない。
こんな無謀な作戦の中でも果敢に奮闘した前線の英霊達に敬意を表したい。
@@ryochang0810英霊とは、戦死者にのみ使われる特別な用語ではなく、葬儀の際に故人に語り掛ける弔辞で「霊魂」のことを「英霊」と言うのが1940年代までは一般的であったから、まるで「英霊」が戦死者にのみ用いられた語のように限定するのは勘違いである。なので、英霊で間違いはない。
最前線で孤軍奮闘され「戦場で常に先頭に立ち、退却時は殿として最後に撤退した」軍人の中の軍人、宮崎中将(最終官職)のような英霊に頭が下がりますね…画像も拝見しましたが穏やかで実直そうな顔なのでせめて動画内ではランバラルのお顔にしてほしいなぁ(笑)
宮崎さん、すげーな😳✨
素晴らしく分かりやすい動画で嬉しくなっちゃうな。
誠に有難うございます!動画制作の励みになります。頑張って動画作っていきます。
自分は移動中バイクが壊れ山の中数キロ歩きましたが、ものすごくきつかった記憶があります、あれを200キロも舗装されてない道を空腹の状態で走る…無理です
ウィンゲート旅団は指揮官がアフリカで名を馳せたゲリラ戦に長けた歴戦の将軍、山岳戦を得意とする史上最強兵士として名高いネパールのグルカ兵を基幹としてこの損害率
飲まず食わずの不眠不休の満身創痍で、よく生きて帰って来れた日本兵がいたものだ。
わかりやすすぎる。面白すぎた…そんで、地獄すぎる…
これまでにない視点で作戦が見れてとてもわかりやすかったです。次回は是非ガダルカナルの戦いをお願いしたいです。私の大叔父はガダルカナルで戦死(川口支隊)しました。大叔父の足跡が知りたいです。何卒宜しくお願いします。
どれだけ、きつい進軍だったか地形を合わせてみると良く分かりました。貴重な動画を作成してくださってありがとうございました。
死ぬ死ぬと言って死んだ奴はいない。牟田口と東條は今頃地獄で何してるんだろうな。
牟田口以外は皆ガンダムの肖像で草。しかし地理的なビジュアルを重視した良解説だと思う。
地形からの解説は私は初めて。陸軍作戦要務令の指揮官の所には、何もしない事、どうしようと迷う事は一番いけない事、とされていますが、この通りの下らん指揮でした。バカをみたのは第一線の将兵。私の叔父は、終戦直前にビルマのシッタン会戦で戦死。司令部はタイに逃亡。武器も食糧も無く、屠殺に近かったと聞いています。
登山趣味ワイ、日本に例えた説明を聞いて開いた口が塞がらなくなるw
牟田口は戦後も生き延びて天寿を全うしたんだよな、どんな事を思いながら生きていたのか。自衛隊発足に助力したとかで、朝霞駐屯地の資料館には牟田口の大きな写真が飾ってある。石投げてやろうかと思った。
いつも3Dでの解説ありがとうございます。インパール作戦知ってはいましたがこれほどの地形と上層部の無能だったとは知りませんでした。自分が撤退すると100%の体力と物資でも生き残れる可能性に自信ないです。
今に日本人ならまず100%生きて帰れないでしょう。
分解した大砲等を担いでいる兵士たち、顔がうんざりしていたな……。💧
分かりやすい解説ありがとうございます
「日本は兵は非常に優秀だが、それを動かす将兵や首脳部に柔軟性がなく、決まった判断しか出来ず、現場の意見もくみ上げず、負けを認めず、非常に脆い。」って当時のアメリカの戦争分析機関が日本軍を評価してるね。今の日本と全く同じ性質なのが印象的。
もっと身も蓋もないのは、イギリス軍の「日本軍は最も愚かな人間を将官にするのか。下士官、兵の優秀さに比べるとそう思わざるを得ない」。
インパール作戦を見ていると、日本社会の良くない部分の詰め合わせの様に感じてしまう。本当の意味で歴史から学ばなくては、これの繰り返しがまたどこかで起きる。
素晴らしい動画ありがとうございます!
いつもみてます。戊辰戦争の解説もみてみたいです。
ひたすら続く山々を食料もなしに歩き続けること想像すると、身の毛がよだちます・・・・
15軍司令部・ビルマ方面軍司令部・南方軍司令部・大本営陸軍部バカの4乗、度し難し(涙)
意外とインパール近くまで攻めてて驚き。また牟田口独断のエピソードのイメージがあるにも関わらず、上司や大本営が割りと登場したのも意外でした。食糧が無い割に3ヶ月戦っていたり、割りと相手の補給を意識した位置取り等、主の主張とは異なる話しかもしれませんが、地図を見ると文字よりも解りやすくて良いなと思いました。
素晴らしい動画ありがとうございます。
インパール作戦で戦死者の中には漫画家の長谷川町子の義兄、プロ野球巨人軍の戦前No.1キャッチャーと言われた吉原選手が居て、戦後にチームメイトは吉原選手が戦死せずに巨人軍に復帰したら川上哲治より先に巨人軍監督に成って居たと異口同音で言っており、熊本工業からバッテリーを組んだ川上哲治もプロ野球選手として大成したのは吉原選手のお陰と言って川上哲治が晩年まで熊本に帰省した時は必ず吉原選手の墓参りを欠かさず行って居た。
その地獄から生還出来たのは「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールの大松博文監督(31師団)。所属が31師団ではなかったら更に生還率が低かった可能性が高い。
遠い知らない場所にツーリングに行くとき、その場所の地図って俯瞰でしか見ないよな。実際は普段の行動範囲と距離感は変わらないのに指一本でなぞられる近距離に錯覚してしまって到達に予想外の時間がかかってしまうもの。そんな感覚で安易に作戦を立てられちゃあ将兵もたまったもんじゃない。この時代にグーグルアースがあったら何万人が救われたものか。
上層部が ポンコツであることが どれだけ組織に大損害を加えるのか。良い例
以前、鉄道の機関士としてインパール作戦に従事した方の手記を読んだ事があります。撤退時、出来るだけ多くの人員を後送するため何往復もしたそうですが、駅に着くたび、次々と兵を満載した貨車を連結したため、計画よりかなり遅れてしまったそうです。この方は「最終列車」に乗務した後、英軍とゲリラが接近してきたため機関車を廃棄した一方、その後、急遽仕立てられた列車があり、そちらはゲリラに襲われてしまったそうです。
(誤)蒋介ルート → (正)援蒋(えんしょう)ルートの間違いでした。
ここに訂正しお詫び申し上げます。
ご指摘誠に有り難うございました。無学なもので間違いをご指摘頂けると助かります。
以前の私なら間違いを認めようとしませんでしたが・・・
「令和の牟田口」と言われないよう精進致します。
盧溝橋事件と203高地についてもお願いします
令和の河辺=岸田
パヨク共やコミュストの嘘に踊らされ、記録を碌に調べず故人を不当に誹謗中傷する君に真実を伝えよう。
『補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘』
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。他の2個師団には補給されてます。また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません。補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。しかし、この部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回・浸透戦術の部隊です。こういった特殊な任務の部隊は、普通作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
上記は一例にすぎず、歪曲された真実はまだまだある。軍事研究家の故・大田 嘉弘氏の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?恥というものを知っているなら、父祖に唾を吐いた愚かさを自覚して頭を垂れろ。
図もストーリーも分かりやすくとても面白い内容の動画でした!
河辺は、インパール作戦時は、中将だと思います
インパール作戦時には、河辺、牟田口、佐藤、柳田、山内は全員中将です
保身のためにこんな無謀な作戦を続けて多くの死者を出したにも関わらず、のうのうと生き延びて戦後の豊かになる日本で過ごしていたかと思うと言葉にならない。日本の地を踏み家族にあって美味しいものをおなかいっぱい食べたい。そう願った人がどれほどいただろうか。こんなやつのせいで未だに異国の地で眠り犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
20:54 全員が各々のメンツを守るためだけに動いているという地獄のような構図
河辺の発言や行動をまとめて、「大企業で責任取らずに出世する術」みたいな本を出したら売れそう
腹を切って詫びようかな?☞77歳まで生きるのである、、、、
5年位前に台湾で生き残りのお爺さんにあった。
前年に、チンドウィン川まで行って、お線香とアンパンを備えてきたことを言うと、目頭に涙を浮かべていました。
すごく、お礼されました。自分が行きたくても、年齢的に無理と。
台湾人のお爺さんは、軍属であって軍人ではないですが、捕虜になり帰国後は農業をしていました。
本当にこの当時の陸軍上層部はポンコツばかり。
苦労したんだろうな…
それにしてもわざわざチンドウィン川までいって御霊を慰めるとはいいことをされましたね
@@user-jd7ip5gq1z
チンドウィン川と言っても、実際には、実際に超えた場所よりかなり下流の市。チンドウィン川と言うホテルに泊まったので、慰霊しました。「殉国勇士の碑」があり、アンパンを備えて手を合わせ、チンドウィン川に行き、線香を焚いて手を合わせました。
ただ、慰霊碑の周りは草が酷いので、現地の人にお金を渡し、定期的に草を刈るようにお願いしました。
マンダレーやパガンにも、日本兵の大量のお墓や慰霊碑がありました。こちらは、お寺の中にあるのできれいに整備されていました。
帰ってきたら、おちょくられました。「夢に、旧日本軍の連帯が行進して敬礼されなかったか?」と。そんなことはなく、旅を見守って下さりました。
ウィキペディアで見てもなかなか理解できなかっのですごく助かりました。
地形まで入ると本当にわかりやすい。無謀な作戦だと改めて感じました。
動画を見ただけで解った気になるのは本当は危険だよ。動画の冒頭にも「この動画はフィクションです・・・」と宣言してあるじゃん。自分で多角度に調べて自分なりの解釈を考える方がもっと大切なんだよ。
最後の撤退ルートをたどるところは、空腹状態でこの山道を逃げろと?、見ているこちらも絶望感が出てきました。
bgmが控えめで、無感情で淡々と語るのが気持ちいい。
あ、それですね。「なんと聞きやすいのか」と思っていました。内容は良いのに、BGMが派手過ぎてどうしても聞けないという動画も多いですからね。
「突撃ー!」と言う人はまず突撃しないというのはよく聞く話ですが…
生まれて自分の町や村からもほとんど出たこと無い若者が国策のため遠く異国の地で命を落してた事につらく心が痛みます。
ありがとうございました、とても勉強になりました。
指揮官も訓示して突撃しますよ。
陸士卒はすぐ戦死すると言われていました。
戦って死んだなら英霊とか呼ばれるのも少し分かりますが、実際は大半が戦う以前に餓死してますからね。
敵国より自国の方が日本人を殺してしまっている。
そら司令官は突撃するのではなく、全体を把握し司令塔になる役割なのでね…。司令官が突撃して死亡したら誰が部隊を統率するのかと。
@@iso_jin
英霊は英雄とかの英ではない。なので、あなたのその感覚は全くの間違い。
英霊という言葉は、死者の霊や魂の美称。
ウィキペディアより…
もともとは戦死者にのみ使われる特別な用語ではなく、葬儀の際に故人に語り掛ける弔辞で「霊魂」のことを「英霊」と言うのが1940年代までは一般的であったから、まるで「英霊」が戦死者にのみ用いられた語のように限定するのは勘違いである
指揮官は軍刀抜いて突撃ーってやるから敵の良い的だったそうですよ。
これ牟田口は戦後ものうのうと生き残り、自身の所業を肯定するかのような発言しているのが胸糞ポイント高い
東条英機が負ける戦争をしてしまったために 全てを 失ってしまった ーー佐賀人
ムダグチは 毎日夕6時ぐらいには 近くの女達の料亭に 入りびたっていたのだ !! 戦線では おびただしい数の兵士らが 戦死 餓死している状況で !! ーー佐賀人
今の政治家や企業の経営者に脈々と受け継がれてれいる牟田口イズム。
「自身の所業を肯定するかのような発言を……」じゃなくて、「自身の所業を肯定するばかりの発言」ばかりを繰り返しています。 ーー佐賀人
@@user-mi9hm5ty9x 特に このクサレ-アホ国の「政治屋」連中に おたくの言う「牟田口イズム」が まん延しています。 ーー佐賀人
これはすごい動画だ。。。
日本の悪いところが凝縮された作戦。
今の日本でも、命までは落とさなくとも、油断をすると日常の仕事で起きかねないと感じました。
約10年ほど前、親方日の丸の企業に努めていましたが、戦略もまともな戦術もなく徒手空拳で働かされました。正にインパール作戦と同じでした。
インパールはなぜ必要だったのか解説してる奴一人も居ないけどな。
@@ys4414 日本にとってインパール攻略は必要なかった。ただ劣勢にある日本陸軍の手柄目当ての無謀でしか説明できないから解説していない。不都合な真実
外国人の上司で似たような人がいたから… 日本人だから!ってことはないと思います。
日本のことなど全く知らないし、現場を理解しようともせず計画を立てて、「これ、無理ですよ」と日本人スタッフが指摘したら、優勝なアテクシに向かって意見するなんて!!と逆上し、何が何でも計画通りやれ!… まあ、結局、その事業、迷走して潰れました。
佐藤中将のブちぎれ方がすごいよね 本当に殺されると思ってたから牟田口は逃げたんだね
言い訳とかが今の政治家と官僚と同じでほとんど変わってないんだなと思いました。
すばらしい動画でした。
当時は逃げ場の無い戦場にエリートが送られたら、兵隊さんと一緒に死ぬしかありませんでしたが、
今は世襲封建領主そのまんまの当選確実で責任皆無な世襲議員、辞めたら一般人で済むどころか口止めで美味しい天下りしてしまう官僚という事で、
戦争中以下の状況だと思っております。
「国民の生活が大事なんて政治は間違っている」
とか
「憲法から 人権 国民主権 平和 をなくさねばならぬ」
などと言い放つタカ派議員がのさばる今の日本。
限りなくインパール時代に酷似してきたとため息😮💨
思想強
日本の悪いところが凝縮されてる。それは今も変わってないと思います。
とてもわかりやすい動画でした。
30:32からの白骨街道を辿っていく最後の部分で背筋が寒くなりました。
むしろよく生き残って帰る人がいたものだと思います。
大変わかりやすい動画、いつも勉強になります。
インパール作戦って、書籍とかまとめサイトでみましたけど、こうして3Dの地形で見ますとわかりやすいですね、日本地図に重ね合わせるとかいかに大変な作戦だったのか思い知ります。
何時も動画楽しみにしています。
うううう。何度聞いてもかわいそうや。グーグルアースで見ると過酷さがよくわかり余計に悲しくなってくる。
当時の日本軍の合理性を欠いた作戦の顛末は見るたびに本当につらい気持ちになりますね…。
結局のところ
「自分がやるわけじゃない」
っていうのが
古今東西無謀な作戦を
上層部が決定してしまう要因なのかな…w
失敗みたいに言ってるけどインド独立支援自体は出来たけどな
そもそも戦況の悪化でインド支援できるのはこれが最後でチャンスは一回こっきりだったから断行した。
因みに牟田口は元々は反対派。
愚将牟田口は、戦後も生き続け「俺の作戦は正しかった」と言いながら天寿を全うした……。
祖父が第33師団(弓)で山砲兵でした。非常にわかりやすい解説で、祖父から聞いた話と一致する部分がありました。
すご!
こんなに莫大な戦争の罪を犯した祖父さんはきっと地獄に落ちただろう😅
どうしようもないアホがいて悲しい。
@@user-yk8ci5kw7t はい、通報
@@user-yk8ci5kw7t
親米や共産主義の人たちの発言って分かりやすいですね。
私は植民地支配されたインドの開放と信じて戦った祖父さんの英霊に敬意を表したい。
宮崎繁三郎中将が 取り挙げられていて、同じ岐阜県民として嬉しく思います。彼は 「不敗の名将」とも称されノモンハンやインパール等の激戦を戦い抜いて戦争を生き残った陸軍きっての人材ですが、認知度が低く残念に感じてしまいます。
この動画で初めて知りました。
凄い方ですね!攻防、更に撤退に至ってまで一流な印象を受けました。
最も恐ろしいのは有能な敵ではなく無能な味方
現在も 2030年以降の防衛戦略も無しに猿頭政治屋に防衛費を増額して何になるのか?。
今 自衛隊の質は世界トップクラス
しかし陸自は15万 敵は100万以上
2030年以降の具体的効果的な防衛戦略は無し。 戦略を持たない者には地獄しか無いだけダヨーン。
参議院議員選挙の投票率を上げる事が簡単な事も 竹島問題に現実的効果的な策も理解出来無い猿頭政治屋には何を言っても無駄 牟田口の馬鹿と一緒ダヨーン。
@@user-nt2kb5eq1f 表向きは弾薬備蓄量を増やすって事になってるけどね
イギリスも補給大失敗して結局トントンになった死の土地だがな。
食糧満載でも行こうとは思わん距離だな…。無謀がすぎる…。
@@oinusama-saiko 補給万全で現地調達とかしなくてもいいとしてもって意味でしょう
現代で準備万端でやれと言われても無理ゲー。
侵攻も撤退もやり遂げて帰還できた英国人も日本人もそれだけでとんでもない奇跡なことだよな…
そもそも招集した兵隊をモノのように扱うブラックな体質はそのまま受け継いでます。
バイトテロ、保育園での幼児虐待がその証拠。
祖父がこのインパール作戦に参加していました。
祖父は運が良いのか悪いのか作戦序盤でイギリス軍から奇襲を受けて負傷、片腕を無くしましたが生還しました。
ただしその後片腕が無いことで大分苦労された様です。
そんな事もありあまり私も詳しくは話を聞けなかったのですが、この動画を見る限り序盤で打撃を受けたのは第三十三師団の様ですので祖父はそこに所属していたのかもしれません。
祖父が受けた大変な苦労も全てこの無能の責任逃れな上官どものせいと考えると憤りが隠せませんね。
お前の祖父はニックネームはシャンクスだろww
無理な時に無理と言ってはいけない様な風潮、上の立場の人間に具申することを一切許されない日本軍の階級システム、自分達の始めた事なのに誰も責任を取りたくない無能権力者、こんなの個々の兵士がどんなに強くても負けるに決まってるんだよなぁ。
経営失敗してる会社みたいなもんですな
結末を分かっていても牟田口腹が立つ
戦後はイギリス側の士官に話を聞いてインパール作戦の構想自体は間違ってなかったと確信して亡くなったらしいし
wikiを全面信用するわけでは無いが、戦後は静かに暮らし、家に恨み言を言いに来る遺族に土下座し、
佐藤中将の葬式にわざわざ出向いて土下座したらしい
佐藤中将の無断撤退がなければ、、というのは英軍・友軍共に賛同者もいるようだ
もう少しフラットな見方もあったのかもしれない
実際、三叉路高地を守っていた英部隊は日本軍突入のギリギリ前にコヒマに到着しており、彼らが間に合ってなかったら日本軍勝利の可能性が高かったという。
一時的な占領や勝利は可能だったかもしれないけど、元々の補給能力や機械化レベルに雲泥の差があるため、敗北の時期が何ヶ月か遅くなっただけだと思う。ただ牟田口は兵士の遺族には土下座して詫びたり、自己弁護の気持ちと悔恨の気持ちの両方があったみたいよ。
インパール作戦はチャンドラボーズ率いる独立自由インド軍への支援という軍事的な目標よりも政治的な目標で作戦を強行された面が大きかったりするので
日本軍単独目線だと無謀な作戦だか日印関係という視点だと評価変わったりしますよね
でたでた歴史修正主義者。
別の見方をすれば評価は変わる、とか。実際もう少しで成功してた、とか。
歴史にifはないし、失敗したことだけが事実。
別の見方?人間の命以上に価値のあるものなんてないし、あると思うなら戦死者や遺族の前で言ってみたらいい。
「お前の命よりインドとの友好の方が価値があるんだよ」って。
ここに祖父が行っていたと亡くなってから初めて父から聞いた。
改めてよく帰ってきたと思う。
もう30年近く前、祖父が涙した福岡にあったビルマの丘、まだあるんだろうか。
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」~ナポレオン
日本人の敵は日本人。
労働者の敵は経営者。
納税者の敵は公務員。
労働者の敵は他の労働者。
先輩の敵は後輩。
後輩の敵は先輩。
イギリスも補給大失敗してるから無能な敵という味方もいたがな
@@user-fl6ek2yq1n 女の敵は女
とういうナポレオンも最終的にフランスを敗北に追い込み、結果的にフランス人を大量に死に追いやったというオチ。始めの頃は勝利を重ねていたが、最終的に大敗北するのはまるで大日本帝国のごとし
93年放送の「ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」いまでも時々見ますが、
こうしてあわせて動画で見ると、より理解が深まりました。
登場人物のセリフのニュアンスも「フィクション」ですけど、よく再現できてると思います。
儂もリアルタイムで見た!VHS録画もした。サントラ盤も買った。漣唄、今でもよう聴く。
良質の動画ありがとうございます。昔読んだ「失敗の本質」を視覚で確認できました。ガダルカナルやミッドウェーもお願いします。
日本人として辛い記憶ですが、組織が同じ轍を踏まないよう多くの人が知るべきだと思います。
これほどわかりやすい戦争の解説はないですね。ありがとうございます。
他の動画があれば見たいです。
昔、インパール作戦に参加した人から初めて牟田口の名前を聞きました。その後テレビでその内容を知り、その人が激怒して牟田口にひどい目にあわされたと言っていたのに共感しました。
ビジュアル的で理解しやすい。参考文献も紹介してもらえると嬉しいです。
仮にインパールが落ちたにしても大戦の流れは大して変わらなかったのではないのかとも思う。
宮崎さん有能すぎる。
このような素晴らしい動画を上げて下さり感謝です。地形から読み解くシリーズ、大好きです。お疲れ様です。
歴史が好きで、現場検証をしに行くのですが、実際にその場所に立たないとわからないことが多いです。
こういう地形で表されると、事件の実情を理解するのに役立ちますね。
インパール作戦を迎え撃った側のイギリス軍将校が言ってたけど、日本人に足りないのは道徳的勇気だって。
どう考えたって間違えていることをやろうとしている上官を、勇気を持って指摘して止めさせる勇気がない。
これは現代の日本人にも言える話。
そんなの当然。なんせ日本ではなにより空気が読めることが求められるから。
勇気を持って止めるなんて空気の読めない行為をやったら自殺行為
ただし自分だったら言ってしまうかもね。なんせ空気読めませんから。
会社でもプロジェクト統括が、若い頃に仕事のノウハウを教えてくれた先輩だとね。。。今でも人情論と言うのは少なからずあるからね。私の先輩で、直属のプロジェクト統括(役員)に進言しても埒が明かないので、別の仲の良い役員から統括へ言ってくれと頼み込んだら、それを聞いた統括が激怒して先輩は関連会社へ出向されてしまったからね。インパール作戦前の小畑参謀長と同じ。
外資系企業の外国人上司にも似たような人がいたから、日本人だから!日本の組織だから!ってことはないと思います。
信賞必罰!適材適所!組織に必要な事は・・・
河辺司令官、昭和20年3月定期的に大将進級・・・
いやもうどうやってこのルートを無事に生還できたのか謎ですよね、自分なら絶対白骨街道の一部になってます。
愚将にもほどがありますね...永遠と汚名が語り継がれていってほしい
インパール作戦の前にニューギニアのポートモレスビー作戦で南海支隊はニューギニアの困難なスタンレー山脈を突破して補給線が枯渇しポートモレスビー手前で撤退に成り壊滅したが満足な装備も無いのに4000mのスタンレー山脈を進んだ事をいかに悲惨な状況だったのかを地形上での解説して欲しいです。
ニューギニア戦は、道なき道をゆく、部隊の移動距離、高山登山のどちらともインパールよりもさらに過酷と聞きました。私もこの企画でお願い致したく思いますm(_ _)m
アレはアフリカや南米が「暗黒大陸」と飛ばれていた時代の探検家がやるようなことでしたからねぇ。
ニューギニアを南北に縦断するルートは、簡単にできる物なら豪州がとっくに作ってたと思うんですよ。
出来ないには、それなりの理由があったんですよね。
それでもポートモレスビーの灯が見えるところまで進出しましたからね。陸軍将兵の超人的な努力です。
珊瑚海海戦で勝ちながら、僅かな損害に驚き逃げてしまったあの司令官のせいで、多くの人々が苦しみました。
本人は海軍兵学校の校長になり、「兵学校の成績と出世の相関関係」を研究していたそうですが。
「太平洋の島々を不沈空母にする」という持論も、米軍が押し寄せたら、あの有り様でしたし。
ナンマンニンの兵士を餓死させてのほほんと72歳まで暮らしてるのだよね、そのクソな極悪人はしぶとく長生きするぶっとい神経持ってるものだよね、やはり悪人はなかなか死なないものだよね。今なら二階とか無能のクズが司令官なら部下や兵士が有能でもだめなんだよね。
@@user-yl9ek9le7m 86までのうのうと生きましたからね。でもそんな人の兵学校主催の追悼会に700人も集まるんだから兵学校の人もアレばかり。洗脳って怖いね。
イメージしてたのだと目的地までの行軍途中で病気、餓死などで戦うまもなく大半が亡くなったイメージだったけど意外にも戦えてたんだな。
行きは…
英軍作戦が、正面衝突じゃなくてインパール付近に日本軍を誘い込んでたたくという感じだったんで割と上手く行った…まだ勢いもあるしね
地獄は、停滞してからと、退却始めてから。そのあとはもうめちゃくちゃ
自分の祖父も歩兵58連隊で上海・南京・徐州と日中戦争に従軍したのち除隊、再度招集されて終戦時はビルマで英国軍の捕虜になり、終戦後も1年以上足止めはったものの5体満足で帰国して80代後半まで存命でした。
晩年は戦争のについて多く語らず、亡くなってからの遺品に戦争当時の日記があり、南京攻略戦やインパール作戦に参加していたことを知りました。
身近にいた者が体験したことをわかりやすく解説されており、興味を持って視聴できました。ありがとうございます。
ただ皮肉なことにこの作戦がインド独立を早めてるんだよな…
現在の日本人も本質は当時と同じですよ。偉くなれば保身だけを考える。死ぬのは現場の捨て駒。
社会の捨て駒がなんか言ってて草
ほんと何言ってんだこいつ
じゃー偉くなればええやん
日本はもうすぐ滅びる運命
たしかに。。大企業内の権力闘争はマジでこんな感じ
77歳までちゃっかり生きてるのには吹いた
死期を悟ってか、自分の葬儀で言い訳の文を残し、これを子に周りへ配る様に言い残したらしい。最後まで見苦しく卑怯な振る舞いだったらしいです。
とても わかりやすかったです こんな作戦に駆り出される 一番下の兵隊が 可哀想です
宮崎隊長ほんとにすごいな…
上層部がもっと有能なら😢
本当に、この人が上層部であったのならと思ってしまう。😢
そもそも、この無謀な作戦頼りとなった日本は既に詰んでだと思います。
西洋の帝国主義に屈することなく、植民地支配から日本を守る為に富国強兵をしたまではよかったが、その暴走を止める事が出来なかったのが悔やまれます。。。
この宮崎支隊でお話一本できそう
宮崎部隊の顔の絵が悪そうだったから、最初手柄を自分のものだけにしたい悪いやつかと思ったら、少しでも戦力を削がれないためだったのか
マジで有能やん
「バカな将軍敵より怖い」まさにこのムチャクチャな作戦を立案した牟田口がピッタリ当てはまる!
当時はまだ八甲田山の大量遭難死事件から40年ほどで、陸軍幹部には当時の記憶があった人もいたはずだ。八甲田山では山岳での部隊運用の難しさや補給の重要さ、指揮命令系統の重要さ、そしてなにより計画の重要さを身に染みたはずだった。
ところが今度は八甲田山の100倍を超える死者を出してしまう。
人間はつくづく同じような失敗を繰り返す生き物なのだと思う。
まあ、牟田口、河辺あたりが真面目に八甲田山の教訓を学んでいたとは思えない……!
部下の師団長から「鬼畜」とまで呼ばれた司令官は後にも先にも牟田口以外にいない
牟田口で恐ろしいのは、師団長時代までは普通に優秀な軍人なところ。そしてインパール作戦がなかったら、盧溝橋事件を起こして泥沼の戦争に突っ込ませた主犯として、A級戦犯として名を残してたかもしれないし、アレクサンドラ病院事件(牟田口が指揮した第18師団がインド兵が撃ったとしてシンガポールのアレクサンドラ病院の軍医将校・看護兵、負傷兵200名以上射殺。山下奉文すら知らされておらず事件起こしたことに呆れてた)も運よく証人になる予定だった英軍将校が事故死して不起訴で裁かれないという運の良さ。
プーチンの誕生日と一緒という 転生者かな?
現場を指揮できなくなって大本営や方面軍の指示を繋ぐだけの中間管理職はつらいですねえ
ご要望に答えてもらえてありがとうございます。感謝します。
愚将牟田口中将の真実を知りたくここに辿り着きました。
わかりやすい。
ありがとうございます。
よくある取って付けたようなBGMが無いだけで、逆に情報量が多く感じる不思議な動画。
自分は趣味で登山をしてます。標高は2000~3000m、移動距離にして15~30km位の行程が多いですが、カロリー摂取無しでは1日もまともに行動できないと感じます。
それを貧弱な兵站で数百kmの行軍とか、牟田口の無能さに震えました。
なお、牟田口本人は後方の料亭で美味い飯食ってただけの模様
一説には本土の芸者を連れ込んでたなんて噂も
最後にしたのは祭壇作って神頼み
まあ当然神様がそんな願いを叶えるはずもなく
牟田口に全部押し付けてうまくやったなあというのが南方軍ご歴々に対する印象です
昨日チャンネル登録してほとんどの動画見ました。地図上で詳しく経緯を説明してくれるのでわかりやすくてホント面白い!
早くも次が待ち遠しい!
イギリス兵とは言うが実際はインドで徴用した兵隊だろうから凄いねインド人
一応半分くらいはイギリスの本国軍だぞ
自身と同僚、上官の立場を危うくしないこと……。組織の中で責任を取らずに立ち回ること……。
合目的性を一義とする戦争において、もっとも介在させてはいけない「空気」と「忖度」に支配された作戦。
ただ、今のこの国の政治構造もほとんど変わってないわけだから、恐ろし過ぎる。
こりゃあもし、今後日本が戦争に巻き込まれることがあれば、資源も弾も足りないしまず負けると思われる
我々庶民は下手をしたら元日本ゲリラ兵として戦うしかないかもなあ
なんというか...。
なんというか...。
忘れないためにこの動画を必須科目にして欲しい。
わかりやすい説明、ありがとうございます!
この人の動画丁寧ですき
しっかり管理するようにの流れが現場猫すぎる
援蒋ルートについて、up主による訂正がありましたね。母方の祖父はニューギニア戦―こちらも大変だったようです―ののちにインパール作戦に参加し、なんとか生きて帰ってきました。肩から背にかけて銃創がありました。山岳地帯を退却時に山道で蛆に覆われた骸を横目に歩き続け、また同胞の「おいていかないでくれ。助けてくれ」との声が耳に残っているといっていました。生活の中で足腰の鍛えられていなかった町育ちの人は脱落するのが早かったようです。
インパール作戦は有名だが、なんとなくしかわかってなかった!地形で詳細に説明は素晴らしい。本当によくわかりました!!
地形を見せてくれながらの解説、とても分かりやすいです!
誰も責任を取りたくないので止める決定ができないまま泥沼戦争へ突入する…日本人の国民性が良く出ています。
他の国みたいに強力な独裁者は現れないんですけれど。
戦争って本当に無意味なものだなと強く思います…。
牟田口廉也が愚将と言われる由縁がよく分かる動画
逆から見れば優秀なスパイ。
マレー作戦までは猛将だったんだけどなあ
言いわけいいわけで責任逃れする牟田口に河辺、思わず山際を思い出した。
河辺大将や牟田口中将が、おめおめと生還し、天寿を全うしましたが、今頃は地獄をさ迷い、何度も何度も、狂い死にしてくれていることと確信しています。戦史を読んでも掴めなかった距離感を、この動画で掴むことができました。感謝します。
河辺と牟田口には、永遠と食い物もないまま地獄の山脈を歩いてもらうべきやな
現場の兵士のことを思うと、見ていて本当につらい動画だった。
無能で責任逃れしかない上層部には、激しい怒りしかない。
こんな無謀な作戦の中でも果敢に奮闘した前線の英霊達に敬意を表したい。
@@ryochang0810
英霊とは、戦死者にのみ使われる特別な用語ではなく、葬儀の際に故人に語り掛ける弔辞で「霊魂」のことを「英霊」と言うのが1940年代までは一般的であったから、まるで「英霊」が戦死者にのみ用いられた語のように限定するのは勘違いである。
なので、英霊で間違いはない。
最前線で孤軍奮闘され「戦場で常に先頭に立ち、退却時は殿として最後に撤退した」軍人の中の軍人、宮崎中将(最終官職)のような英霊に頭が下がりますね…画像も拝見しましたが穏やかで実直そうな顔なのでせめて動画内ではランバラルのお顔にしてほしいなぁ(笑)
宮崎さん、すげーな😳✨
素晴らしく分かりやすい動画で嬉しくなっちゃうな。
誠に有難うございます!
動画制作の励みになります。
頑張って動画作っていきます。
自分は移動中バイクが壊れ山の中数キロ歩きましたが、ものすごくきつかった記憶があります、あれを200キロも舗装されてない道を空腹の状態で走る…無理です
ウィンゲート旅団は指揮官がアフリカで名を馳せたゲリラ戦に長けた歴戦の将軍、山岳戦を得意とする史上最強兵士として名高いネパールのグルカ兵を基幹としてこの損害率
飲まず食わずの不眠不休の満身創痍で、よく生きて帰って来れた日本兵がいたものだ。
わかりやすすぎる。面白すぎた…
そんで、地獄すぎる…
これまでにない視点で作戦が見れてとてもわかりやすかったです。次回は是非ガダルカナルの戦いをお願いしたいです。私の大叔父はガダルカナルで戦死(川口支隊)しました。大叔父の足跡が知りたいです。何卒宜しくお願いします。
どれだけ、きつい進軍だったか地形を合わせてみると良く分かりました。
貴重な動画を作成してくださってありがとうございました。
死ぬ死ぬと言って死んだ奴はいない。牟田口と東條は今頃地獄で何してるんだろうな。
牟田口以外は皆ガンダムの肖像で草。
しかし地理的なビジュアルを重視した良解説だと思う。
地形からの解説は私は初めて。
陸軍作戦要務令の指揮官の所には、何もしない事、どうしようと迷う事は一番いけない事、とされていますが、この通りの下らん指揮でした。
バカをみたのは第一線の将兵。
私の叔父は、終戦直前にビルマのシッタン会戦で戦死。司令部はタイに逃亡。武器も食糧も無く、屠殺に近かったと聞いています。
登山趣味ワイ、日本に例えた説明を聞いて開いた口が塞がらなくなるw
牟田口は戦後も生き延びて天寿を全うしたんだよな、どんな事を思いながら生きていたのか。
自衛隊発足に助力したとかで、朝霞駐屯地の資料館には牟田口の大きな写真が飾ってある。
石投げてやろうかと思った。
いつも3Dでの解説ありがとうございます。インパール作戦知ってはいましたがこれほどの地形と上層部の無能だったとは知りませんでした。自分が撤退すると100%の体力と物資でも生き残れる可能性に自信ないです。
今に日本人ならまず100%生きて帰れないでしょう。
分解した大砲等を担いでいる兵士たち、顔がうんざりしていたな……。💧
分かりやすい解説ありがとうございます
「日本は兵は非常に優秀だが、それを動かす将兵や首脳部に柔軟性がなく、
決まった判断しか出来ず、現場の意見もくみ上げず、負けを認めず、非常に脆い。」
って当時のアメリカの戦争分析機関が日本軍を評価してるね。
今の日本と全く同じ性質なのが印象的。
もっと身も蓋もないのは、イギリス軍の「日本軍は最も愚かな人間を将官にするのか。下士官、兵の優秀さに比べるとそう思わざるを得ない」。
インパール作戦を見ていると、日本社会の良くない部分の詰め合わせの様に感じてしまう。
本当の意味で歴史から学ばなくては、これの繰り返しがまたどこかで起きる。
素晴らしい動画ありがとうございます!
いつもみてます。戊辰戦争の解説もみてみたいです。
ひたすら続く山々を食料もなしに歩き続けること想像すると、身の毛がよだちます・・・・
15軍司令部・ビルマ方面軍司令部・南方軍司令部・大本営陸軍部
バカの4乗、度し難し(涙)
意外とインパール近くまで攻めてて驚き。また牟田口独断のエピソードのイメージがあるにも関わらず、上司や大本営が割りと登場したのも意外でした。
食糧が無い割に3ヶ月戦っていたり、割りと相手の補給を意識した位置取り等、主の主張とは異なる話しかもしれませんが、地図を見ると文字よりも解りやすくて良いなと思いました。
素晴らしい動画ありがとうございます。
インパール作戦で戦死者の中には漫画家の長谷川町子の義兄、プロ野球巨人軍の戦前No.1キャッチャーと言われた吉原選手が居て、戦後にチームメイトは吉原選手が戦死せずに巨人軍に復帰したら川上哲治より先に巨人軍監督に成って居たと異口同音で言っており、熊本工業からバッテリーを組んだ川上哲治もプロ野球選手として大成したのは吉原選手のお陰と言って川上哲治が晩年まで熊本に帰省した時は必ず吉原選手の墓参りを欠かさず行って居た。
その地獄から生還出来たのは「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールの大松博文監督(31師団)。所属が31師団ではなかったら更に生還率が低かった可能性が高い。
遠い知らない場所にツーリングに行くとき、その場所の地図って
俯瞰でしか見ないよな。実際は普段の行動範囲と距離感は
変わらないのに指一本でなぞられる近距離に錯覚してしまって
到達に予想外の時間がかかってしまうもの。
そんな感覚で安易に作戦を立てられちゃあ将兵もたまったもんじゃない。
この時代にグーグルアースがあったら何万人が救われたものか。
上層部が ポンコツであることが どれだけ組織に大損害を加えるのか。良い例
以前、鉄道の機関士としてインパール作戦に従事した方の手記を読んだ事があります。
撤退時、出来るだけ多くの人員を後送するため何往復もしたそうですが、駅に着くたび、次々と兵を満載した貨車を連結したため、計画よりかなり遅れてしまったそうです。
この方は「最終列車」に乗務した後、英軍とゲリラが接近してきたため機関車を廃棄した一方、その後、急遽仕立てられた列車があり、そちらはゲリラに襲われてしまったそうです。