白鬚神社 〜 『光る君へ』紫式部ゆかりの地を歩く

Sdílet
Vložit
  • čas přidán 13. 06. 2024
  • 紫式部ゆかりの地、〝三尾〟(の浜)近くにあったと言われる白鬚神社に行ってきました😀
    父の藤原為時が 越前(現在の福井県)の国司に任じられた際、一緒に任地へ赴いた紫式部は、大津の打出浜から船に乗り 塩津に向けて出発しましたが、いったん 三尾の崎で上陸し、一夜を明かした、とのことです。
     歌:みおの海に網引く民のてまもなく 立ちゐにつけて都恋しも
     訳:三尾の崎の浜辺で 漁民たちが忙しく網を引く姿を見ると、(都の生活とは全く違う様子で)都が恋しく思い出されることよ
    さて しかし、訪れてみると、白鬚神社は 何やら ずいぶん古い歴史がありそうなところ・・・。
    そして、何より 今回 最も興味をそそられたのが、〝サルタヒコノミコト(猿田彦命)〟でした🐵
    ☆サルタヒコノミコト(猿田彦命)について (ウィキペディアから)
    サルタヒコノミコトは、天孫降臨の際に、アマテラスオオミカミ(天照大神)に遣わされたニニギノミコト(邇邇芸命)を道案内した国津神(くにつかみ)。
    〇神話でのお話〇
    ニニギノミコトが、天から地に降りしようとしたとき、道がいくつもに分かれている「天の八衢(やちまた)」に立って、高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)までを照らしている神がいた。
    (『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた=約126㎝)、背の長さは七尺(ななさか=約210㎝)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤いホウズキのように照り輝いていた、と書かれています。)
    そこでアマテラスオオミカミとタカギノカミ(高木神)は、アメノウズメ(天宇受売命)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。
    そこで、その神がサルタヒコノカミで、ニニギノミコトらの先導をしようと迎えに来たことがわかった。
    ニニギノミコトらがぶじ地上に着くと、ニニギノミコトは、アメノウズメに、「その名を明らかにしたのだから、サルタヒコノカミを送り届けて、その名前をつけて仕えるように」と言った。
    そこでアメノウズメは「サルメノキミ(猿女君)」と呼ばれるようになった。
    (『日本書紀』では、サルタヒコがアメノウズメに自分を送り届けるように頼んだことになっているそうです😉 ちなみに、アメノウズメは、〝自分の胸を露わにむき出して、腰ひもをへその下まで押し下げ〟ている色っぽい神様です。ブハッ😍)
    そうして、サルタヒコノカミは、故郷である伊勢の五十鈴川の川上へ帰った、とのこと。
    さて、その後、サルタヒコノカミは、伊勢の阿邪訶(あざか)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れてしまった。
    その際、海に沈んでいる時に「底度久御魂」(そこどくみたま)、
    彼が吐いた息の泡が昇る時に「都夫多都御魂」(つぶたつみたま)、
    泡が水面で弾ける時に「阿和佐久御魂」(あわさくみたま)
    という三柱の神が生まれた・・・
    とのことです😅
    さらに、
    ☆オオタノミコト(太田命)について
    神道五部書の一つ『倭姫命世記』によれば、ヤマトヒメノミコト(倭姫命)が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、サルタヒコの子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている、とのこと。
    ついで・・・、
    ☆壬申の乱と天武天皇について
    壬申の乱の際の天武天皇の行程を見ると、吉野から伊賀を通って、関ケ原から近江の地へと入っています。それを思うと、この頃も、天孫族(天武天皇)と、三重の地主とのつながりが深かったのかなぁ・・・? という気がします・・・(これは、私見💦)
    #白鬚神社 #紫式部 #光る君へ #大河ドラマ #サルタヒコ #古墳 #滋賀県 #高島市

Komentáře • 16

  • @user-kn5oz4el6b
    @user-kn5oz4el6b Před měsícem +1

    2024年6月17日(月曜日☁20時49分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙏⛩

    • @spicachannel8814
      @spicachannel8814  Před měsícem

      コメント、ありがとうございます😃
      嬉しいお言葉、励みになります。
      これからも、頑張ります‼

  • @user-dm6gj3xd4m
    @user-dm6gj3xd4m Před měsícem +1

    こんばんは🌆
    白鬚神社と言えばビワイチするサイクリストは必ずと言っていいほど📷「一枚行っときますか!」となるスポットですが、ここにも足跡を残しているのですね〈鉄幹&昌子〉😳
    ⛩️神社の奥の比良山系は、二十歳代の頃よく登った記憶があります。
    (👀とおーくをみる目)💦
    友人と二泊三日で比良山系縦走コースをチャレンジした時に、二日目の昼に最高峰の〝武奈ヶ岳〟の八合目辺りにあった食堂で、〈親子丼・きつねうどん・カレー・チャーハン〉✖️2を平らげた時は食堂の大将が〝どんな奴ら〟やって顔を見に奥から出てきたのを覚えています。(^◇^;)💦
    その当時は麓からロープウェイが八合目まで延びていて売店と食堂があったのです😁👍

    • @spicachannel8814
      @spicachannel8814  Před měsícem +1

      こんばんは😄
      いつもありがとうございます。
      サイクリストのマイヨジョーヌさんには、白鬚神社は お馴染みのスポットだったのですね😃(なんと私は、今回が初めてだったんですよ~‼)
      確かに いろんなところで見かける与謝野晶子の歌碑ですが、神社のホームページによると、この碑は、〝全国にある与謝野の歌碑の中で最も古い頃のもの〟なんだそうです😮
      そして、マイヨジョーヌさんは、サイクリングだけでなく 登山もなさっていたんですね‼(すごいなぁ~‼)
      さっそく〝比良山系縦走コース〟を検索してみたら、「ものすごく険しいコース」と出てきて、それを読んだだけで 私は恐れをなしてしまいました💦
      「二泊三日」ということは、テントを張って 山で寝泊まりされた、ということ?(ワイルドだなぁ~😮😮😮)
      そのうえ、〈親子丼・きつねうどん・カレー・チャーハン〉を平らげてしまうなんて、ますますワイルド‼ 
      食堂の大将が、顔を見に出てきた姿が目に浮かぶようです😄
      (そこにいたら、きっと 私も見に行ったと思います❣😄)
      でも、それくらいカロリーを消費する 登山だった、ということですよね‼
      印象に残る面白いエピソードだなぁ・・・😄

    • @user-dm6gj3xd4m
      @user-dm6gj3xd4m Před měsícem +2

      @@spicachannel8814
      当時は、ウドンとカレーは飲み物、丼とチャーハンは喉越しって思っていたのかもしれません。
      咀嚼した記憶が…(^◇^;)💦
      ⭐️どちら様も、よい夢を🌙

    • @spicachannel8814
      @spicachannel8814  Před měsícem +1

      @@user-dm6gj3xd4m
      😄わぁ、超絶ワイルド‼😄
      若さが はじけてますね‼
      そういえば、私も10代の頃は、ご飯がついたモダン焼きの〝お好み焼き定食〟をペロリと平らげていました😋
      今じゃ、とても考えられません😅
      懐かしいなぁ・・・😄
      では、マイヨジョーヌさんも よい夢をご覧くださいね😊
      ⭐おやすみなさ~い🌙

    • @maron0506
      @maron0506 Před měsícem +2

      比良山系縦走コース
      私、思い起こせば、教育実習で登らされましたよ〜。それも、ハイレベルコース💦
      生徒と一緒についていけず、涙。
      実習後に用意して下さったスイーツが、身に沁みました笑

    • @spicachannel8814
      @spicachannel8814  Před měsícem +1

      @@maron0506
      何と過酷な教育実習😨
      ・・・あ、でも、そういえば、私も、教育実習で、どこかの小さな山を 登ったワ❗
      その時、なんか尻もちついて、担当の先生とクラスの生徒たちに 「え⁉」って振り返って見られたのを思い出したワ😅😅