名古屋は、人工的に作られた。
Vložit
- čas přidán 22. 07. 2024
- 名古屋は人工的に作られた街です。「名古屋の誕生から名古屋方言を探る」「あの名古屋が?京都が引くほどバズってた」「『どう森』のたぬきちは名古屋方言話者?」など、方言と深くかかわる名古屋の成立について話しました。
【台本制作協力:椎名渉子先生(名古屋市立大学准教授)】
【目次】
00:00 名古屋方言と歴史の意外すぎる関係
06:18 名古屋方言が「保持」された理由
09:52 「混在期」 少ない資料から予測する
17:34 名古屋弁は京言葉とも仲良しだなも
27:06 都市に住むなら敬語が大事
35:22 水野の歯切れが悪かったワケ
43:29 方言でコメントちょうでゃあ
【参考文献のリンク】
◯名古屋弁トキントキン講座
www.valuebooks.jp/bp/VS008201...
◯名古屋方言の研究
amzn.to/4cPxnys
◯やっとかめ!大名古屋語辞典
amzn.to/46cnVDj
◯名古屋弁の構造
www.mytown-nagoya.com/booklist...
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www.valuebooks.jp/bp/VS005875...
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【堀元見プロフィール】
慶應義塾大学理工学部卒。専攻は情報工学。理屈っぽいコンテンツを作り散らかすことで生計を立てている。
Twitter→ / kenhori2
noteマガジン→note.com/kenhori2/m/m125fc452...
個人CZcams→ / @kenhorimoto
【水野太貴プロフィール】
名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で雑誌編集者として勤務。言語学の知識が本業に活きているかと思いきや、そうでもない。
Twitter→ / yuru_mizuno
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#名古屋方言 #ゆる言語学ラジオ_名古屋方言 #名古屋 #清州越し #たぬきち
【参考文献のリンク】
◯名古屋弁トキントキン講座
www.valuebooks.jp/bp/VS0082015211
◯名古屋方言の研究
amzn.to/4cPxnys
◯やっとかめ!大名古屋語辞典
amzn.to/46cnVDj
◯名古屋弁の構造
www.mytown-nagoya.com/booklist/shosai/nagoyaben.html
私は大阪弁話者なのですが、中学生の頃丁寧な表現のつもりで「〜はる」と言ったら東京出身の先生に「方言じゃなくてちゃんと敬語を使いなさい」と叱られて以来、「標準語」という表現に出会う度毎回「『あぁ、東京方言ですね』と言い直す」レジスタンス活動を続けています
そこで萎縮せず芯を貫く姿勢好きです
逆スカッとジャパン
そうだそうだ!!!「東京」なんて贅沢だ!!「東(あずま)」で十分だ!!!
神奈川出身だけど同じく「標準語」という表現に南関東の驕りを感じて嫌なので「関東方言」って言うように自戒しています。
認知的に、標準語より山手弁と認知すればもっと上手く喋れそうだと思った by adhd
名古屋人です。小学生の時の担任が呉服問屋出身でよく「〜だなも」「〜きゃも」と商人言葉を使っていたのを思い出しました。
中2の頃名古屋に引っ越したとき、隣のおばあちゃんがその語尾で話してました。おばあちゃんが言うには「古い名古屋弁」なんだよ、と私に教えてくれました。また古い名古屋弁で「やっとかめ(意:ひさしぶり)」っていうのがあって、これは漢字で「八十日目」って書くのだと教えて貰って、凄く情緒のある方言なんだな、と思ったのを今でも覚えています。
仕事の都合で仙台に移り住んだ純正名古屋人です。
仙台人の妻や職場に毒されてだんだん仙台弁に侵食されつつあるのですが、ふとしたときに実家に電話をかけると「名古屋弁ばりばり出てて、別人みたい」と妻に言われます。
赤味噌みたいにクセが強くてなかなか抜けない地元の言葉が大好きです。
最近たぬきちに借金を返し終えた私の心に刺さった
堀元さんが上手に方言喋れたときに親近感爆上がりした
方言の力ってすごい
このコメで思い出したけど、CZcamsで、オンラインで世界中の人と話していきなり相手の母国語を話して仲良くなるって動画をたくさん投稿してるチャンネルがあって、その人は、相手の母国語を話すと一気に距離感が近くなるって言ってた。そっか、方言もある意味で母国語って言えるんだなぁ
@@renk1310その彼は実は愛知の人
1906年生まれの祖母は、尾張瀬戸に嫁いで来ていて、「........なも」を使う柔かな話し言葉でした。
1960年代生まれの私は、いつも聞きほれていたのを思い出します。
瀬戸弁は語尾に、に、の、ら、やを入れます(近頃はそれも消えてきた)。
例 「あののぉ、ちゃんと聞いとらな知らんにぃ。あんた後で、何の事やったのぉ、っていっつも聞いとるやらぁ。とぼけとるけど、ほやにぃ。きんのうもほやったがん。」
私、名古屋の植民地の者ですが、「しとらっせる」と「しとりゃーす」の差はなんとなく使い分けてる気がします。
「ええ香りしとらっせる」だと、無花果とかの「人の手が加わってないもの」のイメージ、「ええ香りしとりゃーす」だと、味噌カツとかの「誰かが手を加えて作ったもの」のイメージです。逆だとなんとなく違和感。
あー、確かにそうかも。
関東に住んどると名古屋弁忘れてまうわ…
うちで一番良く使うのは、ingですかね
☓☓君朝からなにしてるの?
ずーっと宿題やっとらっせる、ハヨやらんでこうなるわ
何しとりゃーすか(何してんだよ)っていうイメージ
シトラスは自然だからで覚えられるな
しとらっせる=していらっしゃる
しとりやす=しております
この番組の聖地「名古屋駅前の紀伊國屋書店」があるじゃないですか
@@shigecky ジュ…ごほごほ
false 紀伊國屋書店
看板にジュンク堂と書いてある紀伊國屋書店は名古屋駅にしかないからな
あるでしょ〜↑
名駅から少し東にあるワンフロアの広い書店のことですね!
三河出身です。小学生の頃授業で『普段使っている方言をあげよう!』という回があり、そこで祖母が使っていた「ごめんあそばせ」を発言したら、担任含めクラスメイトに「は?」という顔をされましたが、間違っていなかったってことですね!15年来のもやもやが解消されました☺️
それと関係あるかわかりませんが、
戦後直後の国語審議会が出した「最近の敬語状況」みたいな報告では、以下の趣旨の文章が書かれてました。
・口語では、敬語用の補助動詞は3種類ある。そのなかの最上級「〜しあそばす」は現時点でもほぼ聞かなくなっていて、早晩 滅びると思われる
なにしてござるの?
→遠い関係
なにしてみえるの?
→一度会ったくらいの関係
なにしとらっせるの?
→会ったことのある関係で結構目上の人
なにしとりゃーすの?
→一番近い距離の関係
全部敬語だけどこんな感じかな
あんま自信ないけど
何して御座る(居わす)の? 謙譲
何して見える(居らっしゃる)の? 尊敬(方言)
何して居らっしゃるの? 尊敬
何して居りますの? 丁寧
元を正せば皆一緒。
何しとる?(何して居る?) 常体
祖父母が使ってた言葉遣い、、
ござるなんて使ったっけと思ったら、ばーちゃんたち使ってるわ😂
うちのおばあちゃんだ!
もう90超えてます
滝沢馬琴にとんでもない冤罪吹っ掛けててめっちゃ笑った
名古屋が一瞬でもディスられた時の、水野さんのアクセルベタ踏みのボケめっちゃ好きなんよ
水野「俺の地元は関東アクセントと関西語彙の両方の性質を併せ持つ」
バンジーホウゲン(自由自在の方言)
岐阜弁もそうやよ。
名古屋の人は…だね、と言うけど、岐阜やと…やね。と言うの。その辺、岐阜は名古屋よりもう少し関西寄りやと思います。
三重弁話者です。三重弁はやっぱり愛知・岐阜の影響を受けていると思います。
さすが東海仲間。
三重って京阪アクセントだから関西弁じゃないんか?
三重は思いっきり関西だと思うのだが。正確には桑名を境に2つに分かれる。
机をつる。~してみえる。ケッタ。えらいわぁ~。等、東海地方で使われている共通点があります。
あと三重の一部を除くほとんどは、マック、USJなので。
@@moai4696「えらいわぁ(=しんどいわ)」は関西でも結構使う地域はあります
名張伊賀辺りは関西
名古屋に観光名所がなくて良かったと、京都の惨状を見るたびに思う😅
名古屋は関西か関東か、というのがそもそもナンセンスである。江戸大名の7割が愛知(尾張or三河)がふるさとであり、それぞれ藩をつくっていった。江戸城では尾張弁や三河弁が公用語のように話されていたので、「ござる」「ご無礼」などの武士っぽい言葉も愛知発祥だったとも言われている。
今の県庁所在地は近世につくられたものであり、その多くが尾張武士、三河武士によって作られている。東京、大阪、名古屋、福岡、京都、金沢、岐阜、静岡、岡山、広島、熊本、前橋、水戸、和歌山、松山、徳島、富山、福井、など他にもある。言葉だけじゃなく、考え方、価値観、文化、芸能などは少なからず「名古屋人的な影響」を受けている。ちなみに今の名古屋文化や名古屋人気質は、徳川宗春の影響を1番受けているのですが…
ビジネスマンに必要なのは名古屋弁というのは間違っていないのかもしれない。
長屋良行氏の『名古屋の言い分』より。
すごい!
笑われるじゃすまないよ。
名古屋はこういう人が多いから・・・
@@PREVIEW5555 具体的におせーて。
和歌山の新宮周辺では
しんどい、疲れたという意味合いで
「えらい」と言うのですが、
京都の大学に進学すると
全く通じなくなってしまいました。
しかし、そんな状況にあっても
名古屋出身の大学生は
湯水の如く「えらい、えらい」と言うので
ちょっと安心した憶えがあります。
新宮と近い部分があるの、あるのなんか嬉しいです
方言周圏論を実証する話ですね。滋賀北部で父親が岐阜出身なので「えらい」を使います。
鳥取も「えらい」使います。同じく鳥取→京都に住んだ時伝わらなかったです。方言周圏論を実感しました。
岡山生まれの祖父も疲れた時「ああ、えらい」と言ってました。それこそ湯水の如く…。
大阪出身の友人も「えらい」と言ってるの聴きます。
近畿圏ならびにその隣接県だと「えらい」使うほうがむしろ多数派なんじゃありません?
水野さんと水野さんのお父さんの名古屋弁可愛いから、水野家会話動画3時間くらい出してくれないかな?
↑の方はご存知かもですが水野さんと別の方の名古屋弁動画が別であるのでもっと欲しい方はどうぞ😊
水野さんは、名字から推察するにご先祖様は三河のご出身かなぉ
私は五条川沿いの田んぼのど真ん中の一族だから、多少「名古屋弁」に違いがあるなぁ、と思います
すいません、みず
すいません、水野は尾張の端、知多半島の家康くんのお母さんの実家の名前でしたね
@@kumikoniwa1168さん、知多は三河では…
名古屋人です。名古屋弁の特徴として、漢語が日常語に取り込まれているというのもあるかと思いました。勘考する、往生こいた、横着い、など。
ただ、水野さんの年代の方はもう使わない言葉ですね。お父様ならご存知かと思います。
■ 名古屋は、漢語が日常語に取り込まれている。
> 名古屋人です。名古屋弁の特徴として、漢語が日常語に取り込まれている。
> 勘考する、往生こいた、横着い、など。
◎ 張振甫 1629-1680 Wikipedia より
明王朝の王族: 准王常清、 医者で日本に亡命した。 尾張藩藩祖:義直公が彼を保護。
尾張藩の帰化人には、陳元贇 曹数也 が、おられる。
名古屋城の別名: 蓬左城(蓬莱山-熱田台地-の左に見えるから)、楊柳城(名古屋城は中国に倣い柳が多い)、
【名古屋弁】 1500年代初頭から日明貿易が大高で始まっていたので、、、漢語は普通に使われていた!、、、かも?
閑所(かんしょ): 名古屋城城下の町割り(碁盤割)、広い道から区画(ブロック)の中央にある「閑所」へ至る「小路」の事を、「かんしょ」と呼ぶようになり、、、他の地域でも、通りから入った小路を全て「かんしょ」と呼ぶようになった。。。と
「名古屋方言の研究」より
注). 名古屋市緑区の大高城の城下では、、、
鎌倉期に存在した、城下の環濠曲輪内をクランクして通る「常滑街道」を、往還(おうかん)、、、
その他の細い路地を「小路 こうじ」と呼んでいる。
江戸時代の町づくりは、名古屋に限らず基本的に「城と一緒に全員移動」です。町の要に城を作ると、城主は家臣を防衛の意味も込めて城の周りに住まわせます。そうすると、彼らの生活を支える職人たちが必要なので、そういう人たちをまとめて呼んで城下に住まわせたんですね。町が階層ごとに区分されているのはこの成り立ちが由来です。(江戸は周辺地域からの出稼ぎなどで人口が増加し、区分が徐々に曖昧になっていきますが…)
なので、古い城下町が残っているところでは、「◯◯屋町」とか「(職人が作るもの)町」みたいな地名があります。
それで思い出したけれど、福岡県の「福岡」って地名も、黒田家が備前福岡から城主も家来も全員移動してきて「福岡」ってつけたんですよね。「ゆえに博多区のエリアとはいろいろな認識が違う」という話を聞いたことがあります。
@@Kokaji_ENLおっしゃる通りで、福岡市は江戸時代には武士の町福岡と商人の町博多が川を挟んで並ぶ、ツインシティーでした。
町名の話ですと、やっぱり福岡も階層ごとの街があり、たとえば今地下鉄の駅になってる「呉服町」はその好例です。
なんですが、福岡部と博多部は別の街だったので、両方に同じ町名があるケースもあり、「呉服町」は福岡と博多の両方に存在しました。現在は博多の方の呉服町だけが残って、福岡の呉服町を呉服町と呼ぶ人はまずいません。
この博多と福岡、方言の話をすると、昔は「博多弁」と「福岡弁」とあって、福岡弁のほうは岡山由来の表現もあったといいます。黒田の武士は基本的に岡山県民なわけですから当然っちゃ当然です。
しかし現在、福岡弁話者はほぼ絶滅して、そればかりか博多弁のことを福岡弁と呼ぶ人が続出。何年か前に、ご当地アイドルとかが「福岡弁」を自称しているのをユーチューブで見かけました。方言をウリにするなら、福岡弁と博多弁の区別くらいしてほしいところです。
サムネの眼光鋭すぎワロタ
学生時代に名古屋で住みはじめのとき、街で聞こえてくる恐ろしげな名古屋弁に怯えながら大家さん宅にご挨拶に行ったのですが、お屋敷の奥様(おばあさん)のことばが京都?て思うほど上品で驚いた記憶があります。あとでネイティブの同級生にはなしたら「それは上町ことばだろう(原文名古屋弁)」と言ってました。同じ名古屋でもいろいろあるのだなぁと感心しましたが、水野さんのおはなしで納得できました。ところでボクは三河国出身なのですが、三河弁の最上級悪口をひとつご紹介。「ドットロゴンジュー」です。「ド(強調)」+「トロ(トロイ=あほ・まぬけ)」+「ゴンジュー(田舎者)」です。使ってる人はもういないかも知れません。
@@hiramatz1963 尾張のガキの罵詈雑言、おみゃさんトロントロンのピーピーシャーシャー、があります。これを言われると腹はたつけど笑ってしまう
トロン、トロイを重ねたので「イ」が「ン」になったんでしょうね
ヤマザキマザック美術館は18世紀から20世紀までのヨーロッパ絵画がたくさん常設されていて、時代の流れに沿って鑑賞できます。
絵画だけでなくエミールガレなどのガラス工芸品も多くそろっていて、作品の素晴らしさはもちろんですが、これだけの作品をコレクションした創業者の思いに胸が熱くなります。
名古屋城を中心とした城下町は400年の歴史ですが、熱田神宮はもっと古いでしょ。
源頼朝の母親は名古屋出身で熱田神宮の近所で頼朝を産んだからね。
いっつも動画楽しみにしとります!富山と大阪のハーフの方言キメラです。こないだ咄嗟に「あんたなにしてはるがんけ!」(〜してはる:関西弁、〜が+ん+け:富山弁)と口から出てきたとき、あまりの自由さに自分で笑ってしまいました
最後水野さんがさらっと「ほうだわ」と相槌打ってたの、個人的にめちゃめちゃグッときました。
個人的関心として、日本語の指示語、「それ」系のサ行がハ行で散らばりがちなのがすごく好きなので、名古屋の方も指示語のサ行がハ行化してるんだ、ととてもうれしくなりました。
阿波弁は全てサ行がハ行化してるので・・・
ほうかね
ほいで
ほしたら
みたいな表現は美濃由来、特に東濃方面から流入してるように思います
ホの国が傍にあるから...
私は方言を持たない人間で、方言に憧れがあるので全日本人がもっと方言に誇りを持ってほしいと常日頃思っています。方言回とても楽しかったです
東濃民です。水野さんの言葉にえらい親近感がわきました!
「一橋」は御三卿(田安・一橋・清水のうちの1家)だよ。
徳川御三家は「きみとはおわり」(紀伊・水戸・尾張)と覚えるのです。
これは堀元さん向けですが、「女の小便、徳川御三家」といって
「娘はキシューッ(紀州:紀伊)、年増はビシュウーッ(尾州:尾張)、老婆はミトミト(水戸)」なんだそうな。出典不明
横浜の言葉って、三河の言葉「じゃん・だら・りん」が元だと聞いたことあります。
江戸の町を作るときに、三河徳川のお膝下の商人・職人が大挙して江戸の外れに移り住んだらしいって話です。
それと、名古屋に観光地が少ない理由、私の説ですが、
・西部は大河川が多く下流域のため氾濫が多いので、歴史的建造物がもともと少なくて田んぼばかりだった。東部は起伏の激しい森のため、拓けたのは最近の話。
・清州越しという人工的な成り立ちもあり、もともと歴史的建造物が少なかった。
・伊勢湾台風、大地震、空襲でそれまでの町並みがごっそり消えた。
・復興する際に、将来の発展を見据えて道路を広くするなど、経済合理・設計主義的に都市が復興した。
・昔から今に至るまでずっと工業の中心だから、復興過程においても文化観光より工業団地を復興するメンタリティが強かった。
他の大都市も特に歴史的観光地少ない気がするけどなぁ
ただ東京と大阪って日本屈指レベルで狭いからギュッと密集してるのも大きいのかなーって思ったり。
愛知は大きいからねぇ
山口弁話者です。
山口も、関東アクセントの、武士言葉、みたいなものが沢山あるように思います!
男性の一人称が「わし」
語尾が「(〜やけえ)のう」
語尾が「(そうなん)じゃ」
いらっしゃいませ=「おいでませ」
どっかいってくれないか
=「去(い)んでくれんか」
(去(い)ぬ、の活用)
名古屋クリシェですが、
愛知は3人の天下人を輩出したと言われがちなものの
実は4人目(というか1人目)、源頼朝も名古屋生まれ(と考えるのが自然)と言われています
愛知県は高師直の出身地と言う説もあります
家康は名古屋ではないですね、信長も勝幡城とされるのでビミョー
あー、母ちゃんが熱田出身!
5人目は鳥山明です(持論)
@@monoris2008 当方三河出身なのでその辺のレトリックにぬかりありませんw
水野さん東海市なのですね。坂角があるように東海市は、遠浅の海で海苔や貝、小海老などを獲る漁村だったので、本来は漁村言葉ですよね~。伊勢湾台風復興で埋め立てられて、トヨタ車向けの鉄板を造る製鉄所ができて、丘の上に製鉄所勤務者が住むようになってから、言葉が混ざったのですよね~。
すげー、生まれて初めて名古屋に行ってみたくなった
名古屋は頭を使う文化的施設(科学館とか博物館とか水族館とか)は強いが、脳死で遊べる場所はあまりない
アイコン可愛いですね。
楽しみに待ってました
ぼくも!
僕もたのまち❤❤❤
たのまち
奇遇ですね、僕もです🐢(大遅刻)
三河弁話者だけど上京してきたら地元の方言あんま聞けんもんで地元に近いとこの言葉聞けてど嬉しいわ
たまにゃ帰っといでん。祭りもあるでよ。
(いや誰だよって突っ込む所w)
去年初めて行った名古屋旅行は楽しかったなぁ
お気に入りは徳川園です
宗春さん、江戸で吉宗が質素倹約!って言ってるときに文化振興してるので堀元さんの好きなタイプだと思う。
個人的に名古屋市科学館がでら好きだで水野さんと2人で行ってきてちょーよ。
これほど博識なお二人が、御三家・御三卿がごっちゃなの面白いなあ
たぬきち、確かに京都のゲーム会社の商人キャラだな
名古屋は住む街で、観光する街じゃないからね。お商売してる人は違うけど、
「インバウンドとか観光客とか、別にいいわ。増えたら移動も買い物もしにくくなるし。」
くらいの感覚だもん。
8:58 徳川家は、徳川宗家の下に、御三家と呼ばれる3つの分家(尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家)と、更にその下に御三卿と呼ばれる分家(田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家)がありました。分家は他にも駿河徳川家(当初は御三家と同等の家格だったものの1代で断絶)、甲府徳川家(館林徳川家と並び御三家に次ぐ家格だったものの2代で廃家)、館林徳川家(甲府徳川家と並び御三家に次ぐ家格だったものの2代で断絶)があります。
へぇー、おもろいな!
家って字がゲシュタルト崩壊するくらい繁栄したんやな()
最近は標準語ではなく、共通語と呼ぼう、みたいな動きもありますよね。
私としてはこの方がしっくり来てます。
おふたりの出自の組み合わせが絶妙だよねー。
「聞いとらっせる」
カート・ラッセル(アメリカの映画俳優)の名前も名古屋の人が聞くと何かの敬語に聞こえるんだろうか。
自分は名古屋弁ネイティブじゃないけど(ちょうどこの動画にも出てきた東海市出身)、カートラッセルの名前聞いた時に名古屋弁みたいな名前だなと思った
@@fofon46 もう今後はカート・ラッセルの名前をそういう風にしか聞けなくなりそうですw
名東区出身です。「カートさんでいらっしゃる」的な印象になりますかね(ならない)
43:44 三河弁話者です!
電話とか訪問先の人に聞く「誰々さんみえますか?」(誰々さんいらっしゃいますか?)は小手先かつテクくて万能だでよかったら使ってみりんね〜!
ずっと共通語だと思っとったけど、東海三県の表現って知っておどけた(びっくりした)わ……
京都の北部に名古屋弁そっくりな言葉を話す地域があるとかないとか。
愛知県民、海外ではNagoyaっていうよりToyotaって行った方が分かってもらえる現実
外国人に時期紹介する時、トヨタのある場所出身です。トヨタの車乗ってる人、地元企業を支えて下さってありがとうって言ってますww
40:20 水野さんにおかれては、同じ愛知人、名古屋人としての心意気があって心強いがね!江戸や大坂に合わせなあかんなんてたーけくさい!
尾張名古屋はどえりゃあでっかい街じゃ!清洲や岡崎、豊田や津島に一宮、瀬戸に春日井、小牧に常滑!愛知は見所たっぷりだで、二泊三日じゃ足らんがね!時間作って、何回でもよってらっしゃい!
清洲出身です。大正生まれの母方祖母が上町言葉使いでした。
~だなもなんて普段使いはしとらんかったけど、丁寧語の多いきれいな言葉なんだとは言っとったね。
普段からよー使っとった、ござる/みえる/身内に様付ける系の丁寧語は、東濃(中津川)の父方親類も使っとったと記憶しとるよ。範囲広いよね。
今は東京におるけど、なるべく名古屋弁使っとるよ。
ちなみに夫が札幌出身だもんで、お二方どちらの喋りもわかる~ってなるがね(なるよ)
那古野は、
地名ではナコノだよなぁ
ちょうど最近名古屋に引っ越したので興味深い内容で助かりました
でれ面白かったわ
次の動画も楽しみにしとるでねー
徳川美術館より先にマザックが出てくる水野さん
名古屋弁の回でーれおもろいがや。一宮出身ですが知らないこと(名古屋台地引越しの話とかルーツとか)多くて面白かったです
言葉に関連するか分かりませんが、私の地元では親類縁者以外の人が家を建てることが出来ないという暗黙の了解があると、昔両親から聞いたことがあります。
動画で触れていたような「武士は武士、商人は商人で固まって生活していた」話の延長上で、今もそういう決まりのある地域はある程度存在するのかもなぁと思いました。
言葉とか文化というよりは「織田家」のような家の名を継ぐための決まりかもしれませんが…
もと富山民です。
富山方言や関西方言は、1音節単語の母音を延ばして、後ろの助詞を省略する言い方をしますが(例:「庭で木ぃ切っとったら、蚊ぁに刺されて、ちょっこ血ぃ出た」)、名古屋方言はどうなんでしょうか。
そういえば、三重出身のゆる天文学ラジオ越山さんは、県庁所在地の津を『津ぅ』と言っとられましたね。
バリバリに親近感!「庭で木ぃ切っとったら、カンスに刺されてまって、ちょびっと血ぃ出てまったがや」でよろしいかと。
名古屋方言回待ってました!
大阪出身です。首都を東京と認めないのは京都人だけだと思っていましたが、名古屋もそうなんですね。
ちなみに私は、関東以外という意味で、「地方」とまとめられると違和感を覚えます。笑
分かります 「三大都市圏」とは何だったのかってなりますね 「地方都市」扱いして良いのは札幌以降。
千葉ですが、おぶる、おぶってを使いますね。
小学校のとき方言話してたら、標準語で話せって言ってきた先生がいました。あまりに浅学。厚顔無恥。子供ながらに激昂したのを未だにありありと思い出せます。
ギター屋方言があるかは別として、ギター屋同士の会話は多分僕らには理解できない。
名古屋市の半分、名古屋城やその周辺は清須市から街がゴッソリ移転は正しいが、東海道の一番大きな宿場町の宮、熱田神宮辺りも名古屋市だから。俺は昔、名古屋市の歴史のガイドさんと街歩きした時に、名古屋城辺りの言葉と熱田神宮辺りの言葉は少し違うと習いました。愛知県の尾張地方と三河地方の言葉もあきらかに違う。関東人や関西人はこの違いに気がつかないがね。俺の父親は岐阜県の美濃地方の人間で、戦前生だけど、だちかんわ!とか言ってた。周りの戦前生の人も、だちゃかんわ!と言ってたな。かんかなぁなぁ、とか。俺が20代の頃に仕事が終わって、お先にご無礼します。と言ったら笑われたから恥ずかしくてそれ以降言わなくなった。
金沢には尾張者の前田さんが
だちかん または だちゃかん
を持ち込みました
>「だちかん」の由来
そうだったんですか。私は岐阜育ちですが、父は七尾出身で、特に祖父は「だちゃかん」をよく使いました。でも岐阜の人とは少しアクセントが違います。岐阜で「だちかん」を使うのは東濃のような気がします。岐阜では「だ」にアクセントがありますが、七尾では「ちゃ」にアクセントがあります。
三英傑がスーパースターなのは置いといて、徳川宗春は善政をし、今の名古屋文化や名古屋人気質に最も影響を与えた人物なので、名前が出てホッとした。水野さんは宗春を(名古屋で)有名だと仰いましたが、私の感覚では正直全然言って有名ではないです。コメ欄見ても宗春に触れてる人あんまいない…
特に関東圏の人達は、例えば埼玉に方言は存在しない。全員が標準語だ、なんてふるさとの文化を嬉々として駆逐している空気の中、こんなに方言を大切にするのは本当に微笑ましい。
私は大阪出身だが、同じく標準語や江戸弁に負けず、自国の文化を守っている。
関東圏というか、正確には東京、神奈川、千葉、埼玉は方言意識ない、標準語みんな同じはガチですね。
首都圏ひと塊りの感覚しかない。
地方色が少ない地方色に拘らないっていうかそういう感覚をそもそも知らないかもだよ。
だから、めんどくさいシガラミ、村社会、田舎のマインドがなくて心理的に自分は楽。
土足で入ってくる文化圏は苦手😅
ストレートな台本ですごく聞きやすい
つまんないって言う人いるかもしれんけどこの方がすっと知識が入ってくる
観光地がないとは聞き捨てなりませんね
個人的イチオシは名古屋港水族館です
イルカ、シャチ、殺人鬼にしか見えない潜水服、マイワシトルネードなどがある世界有数の水族館ですよ
水槽の大きさ日本一ですもんね!
観光地が必要ないくらい経済基盤がしっかりしてるからね。
観光に頼る場所って経済基盤弱い傾向にあるからねー。
24:15 否定の「ん」が元禄~宝暦期に流入したというのは誤りですね。
遠江・南信あたりまで「ん」のエリアですし、歴史的には「ぬ/ん」が古いことを考えれば、「ん」が流入したという説明はそもそも不要です。
12:09 尾張方言と三河方言の境目が境川かというのもなかなか微妙な話で、
知多半島の南側・東側は、(少なくとも昭和中頃までの方言は)三河方言に少し尾張方言を交ぜたくらいの方言なので、境川下流は方言を隔てる効果は薄かったみたい。
逆に、境川上流は、あんな小川なのにしっかり方言境界なのが不思議。(かつては湿地帯で渡りたくもないような場所だったのかもしれない。)
名古屋の大須仏壇通りは、仏具屋が延々と何百軒も連なる異様な街で、最初行ったときに驚いたけど、調べてみたらそういう事情のようですね。寺社が存続する限り、仏壇通りも存続し続けるなんとも奇怪な街でした。
名古屋が東京とほぼに同期だったとは…
東京には台所町や紀尾井坂だったり階層化された地名が現代にも沢山保存されてるよね
大学時代に自分が駅で財布の中身をぶちまけた時、一宮出身の同級生美女に「た〜け〜」と言われた時の脱力感を思いだした(なんか可愛くて、笑って力が抜けた)。それが最初の名古屋方言との遭遇です。
学生時代「痴漢はダチカン」と言っていました
名古屋人あるあるですが、東海市は名古屋生まれと名乗ってダメ🙅♀️名古屋人はゆるさんよwは冗談ですが、碁盤の目だから、階層別に言葉が違うんですね。名古屋でも、西と東と違うんだよな…
おめさんらの番組が好きらすけ、ずっと続けてくんねろかね
堀元さんの「ありがと」がナチュラルな名古屋弁に聞こえました 違和感なしです!
小学校の時に転校生が「〜だなも」と言っていたのを聞いてどうぶつの森の話し方してる!と同級生キャッキャしてたのを反省したいです。あれは商人言葉だったんですね……
どうぶつの森が既に存在してたということは、最近の話ですね。さすがに最近の小学生が「だなも」を使うはず無いと思うが。
どうぶつの森、案外古いゲームですよね
私はDSから知ったんですけど、それでも20年近く前ですし
当時もかなり人気あったけど、ここまで長く続くと思わなかったなぁ😅
@@groove5191 知らんかった。教えてくれてありがとう。でも、20年前でも小学生が「だなも」は信じがたい。おばあちゃん子の奇跡かな。
名古屋出身の30代後半のものですが、「なも」を実際に聞いたことあるのは、母親が「昔はこんな言葉を使う人もいたんだよ(自分自身は使わないし親も使わなかったな)」と冗談まじりで言ってみるのだけです。
そもそも山の手の言葉遣いだから、名古屋人でも大多数にあたる庶民が使うのはすごく不自然に思います。
敬語で「あら、よろしくってよ」なんて普通の人は言わないのと同じ。
だから仮にホントに名古屋弁として「なも」を使ってるとしたら、相当のレアケースな観があります。
よそから殿様が来ると方言が混ざるという事は
家康の譜代の家来など、愛知の人間が全国各地に所領を得て
愛知方言が出ていった可能性もあるのでは?
南信の生まれだもんで、名古屋/愛知の方が長野や松本より文化的に近いんだに。
今雑にWikipediaで見たら「だに」は三河、遠州、鳥取の方言らしい。
三遠南信は昔から交流があるんだで、忘れんで欲しい。
あの辺は方言分布もぐちゃぐちゃで訳分からん。
清州に住んでます。
ニセ清洲城が近くにあります。
最近作ったのにあんまり観光資源にすらなってない清州城ですね。
神保町御茶ノ水あたりが今あんな感じなのも、歴史的経緯があって面白いですよ。
6:54 住民が職業別に集住したことは江戸の街も名古屋と同様で、それが神田鍛冶町、神田紺屋町、日本橋茅場町、木挽町、木場、細工町、箪笥町・・・等々の町名に残っています。また江戸は武家地も大規模で、身分や所属によって御徒町、百人町、二十騎町などに分かれて居住しており、今日にもその地名を残しています。
ほんの40年ほど前までは東京でも、花街(かがい)や芝居町ではそこでだけ通ずる独特な言葉が話されていて、外の人には理解しにくかったそうです。
唐突な雨穴さんに吹き出しました
各地方の昔話本や民話本があるので、それで方言の研究ができるかも。
出版社が出したというよりは自費出版でお土産屋や地元の本屋に置かれるか、地方紙の新聞社が出版していたり。
わがふるさと福島県いわき市では「昔あったんだっち」という本があったので、それには方言バリバリに載っていて面白かった。
「昔あったんだっち(あったんだって)」という表現もこの本で見るまでは全くの死語だったからなぁ。
名古屋市内の人は「食べていないじゃないか」を「食べとらんがぁ」と言うのに対し、犬山・江南・一宮等の尾張北部の人はそのように言わず、「食べとらんやん」とする印象があります(個人的には岐阜弁/美濃弁が混在してるのではないかと推察しています)。
同じ名古屋弁(尾張弁)でも微妙な地域差を感じるので、ニッチすぎますがいつか話題として取り上げて頂けるととても嬉しいです。
食っとらせん
曲亭馬琴は水滸伝を男女逆にして日本を舞台にした「傾城水滸伝」を書いとるで
名古屋地域の一番の特徴は民間資本による二次産業による繁栄が下地にあること 鎌倉~室町期で既に生活用品陶器の生産と他地域への輸出販売されていた 窯業も金属加工業も古墳期からの歴史があり、国家的中心地になったことがないので国家予算補助なく、また消費力も育たないなかで二次産業発展がされてきたことが現在も含めて文化的特徴になっている 名古屋弁は商業中心地の名古屋城下だけでなく瀬戸や常滑の陶業、半田の酒造業、尾張の繊維業等々様々な地元資本家達の影響も大きいと思う 昔は名古屋のお年寄りと一宮のお年寄りで少し訛のトーンに差があった記憶がある
たぬきちは都会に出て痛い目にあった過去がある設定なんだよね
「ござる」のさらに敬意を上乗せした表現で「ござらっせやーす」をつかってました。(美濃)
東京(江戸)とか大阪とか、近世初期に発達した大規模な城下町の方言は、だいたい名古屋弁と同じような経緯(町開きに伴って色んな方言がミックス+京都言葉が影響)で成立したとされますね
はじめまして。名古屋弁ルーツなるほど、面白いテーマですね!
尾張は源頼朝も熱田出身ですし、もっと古くは小野道風(春日井)の息子が建立した平等院(岡崎)を、藤原道長の息子頼通がその名を欲しいと懇願して出来たのが平等院鳳凰堂。書の歴史が古い尾張と、京の都との縁が深いのは確かですね。なので尾張言葉のイントネーションの歴史ももっと古いのではないでしょうか?人の流れで抑揚がそう簡単に変わるとは考えにくいのではと思っています。
「語彙は関西、アクセントは関東」が名古屋弁と話していましたが、江戸からの影響は書物からなんですね。
書物だとアクセントは伝わりづらいので結構直感に反するルーツだなと思いながら聴いていました。
ヤマザキマザック美術館おすすめです笑
名古屋駅から近いなら、食器系がお好きな方ならノリタケの森、その辺り那古野というエリアですが、そこから円頓寺商店街を抜けて四間道でお茶やご飯もおすすめです!
つボイノリオの名古屋はええよやっとかめ!で歌われていた
「江戸城中で名古屋弁(三河弁?)が使われていた」って
江戸中期の隆盛を考えると本当だったのかな?となりました
殿様が三河人だから当たり前といえば当たり前かもしれませんが
名古屋に縁者知人はいないのですが、どこか懐かしさを感じるなと思っていたら赤かぶさんだわ
名古屋付近が東京式アクセントという事実と、江戸言葉の影響が書籍でもたらされたという説は相容れない気がしますね。
名古屋に生まれ住んで54年「だちかん」なんて聞いたこと無い。
だちかんぞ、はかなり喧嘩っぽい言葉なので下町的な土地でないと聞かないかもですね
弥生時代から名古屋には沢山人が住んでいました
熱田神宮のすぐ横の白鳥で源頼朝は産まれました
名古屋城ができたのは家康が築城したからですが
それまでも沢山城はありました
名古屋は名古屋城以前から
人口は多い地区でしたよ
父が静岡、母が名古屋の長野育ちです。こちらでは名古屋弁は馬琴と同じ評価です。ちょっと肩身が狭いです。あんたと言って「あんたにあんたと呼ばれる筋合い無い!」と高校の同級生に怒られたことがあります。声も大きいし893のイメージ有りです。
我が家は名古屋弁と静岡弁と長野弁が混じった言葉です。例えば「しよんないがね」は〝しよんない〟が静岡で〝がね〟が名古屋です。あとこちらでは語尾に〝だだ〟とつけるのですが名古屋弁イントネーションに〝だだ〟がついていました。
こちらの方言の代表は〝ずく〟でしょうか?意味は説明が難しいです。
母の実家は秀吉の武士で戦中まで東区の武家屋敷に住んでいたそうです。今はオフィス街ですか?旧姓は水野です。水野姓も多いですよね?
〝らっせる〟とか懐かしいです。名古屋弁大好きです!
名古屋出身の人、名古屋限定の話をナチュラルに愛知全体のものとして話すことがある