十三世片岡仁左衛門 、Nizaemon Kataoka XIII 「道明寺」ほか
Vložit
- čas přidán 4. 04. 2024
- 十三世片岡仁左衛門
Japanese Kabuki actor, Nizaemon Kataoka XIII(1903-1994)
07:38
昭和56年「菅原伝授手習鑑 道明寺」
菅丞相◆片岡仁左衛門
伯母覚寿◆實川延若
判官代輝国◆片岡我當
苅屋姫◆坂東玉三郎
22:14
映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門 若鮎の巻」から
27:48
昭和45年「近頃河原の達引 堀川」
猿廻し与次郎◆片岡仁左衛門
お俊◆中村芝翫
伝兵衛◆守田勘彌
29:27
昭和55年「桜鍔恨鮫鞘 鰻谷」
八郎兵衛◆片岡仁左衛門
娘おはん◆片岡康人
女房おつま◆十三世片岡我童
(画面テロップには昭和55年 国立劇場とありますが朝日座の誤りかと思われます)
31:29
映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門 人と芸の巻(中)」から
35:12
(同上)
36:48
昭和61年「仮名手本忠臣蔵 一力茶屋」
大星由良助◆片岡仁左衛門
寺岡平右衛門◆市村羽左衛門
千崎弥五郎◆片岡我當
矢間重太郎◆市川銀之助(九世團蔵)
竹森喜多八◆尾上松鶴 - Zábava
ご覧いただきありがとうございます。
以下のプレイリストには歌舞伎などの映像をまとめてあります。
「日本の伝統芸能、歌舞伎、邦楽、舞踊など」
czcams.com/play/PLUOYl8OJ8u2QNuUYT5B7XOhpyFy65pc13.html
「伝統芸能の基礎知識/雑学/鑑賞入門等」
czcams.com/play/PLUOYl8OJ8u2RpOTQtgD7xM8CPB_agDFL7.html&si=Zq3kUgqp5Hm9_zwq
こちらもぜひご覧ください。
.
For more Traditional Japanese theatre videos on playlist,
"Japanese traditional performing arts, Kabuki, Dance, Music and etc."
czcams.com/play/PLUOYl8OJ8u2QNuUYT5B7XOhpyFy65pc13.html
"Introduction to appreciation, basic knowledge, and trivia about Japanese traditional performing arts"
czcams.com/play/PLUOYl8OJ8u2RpOTQtgD7xM8CPB_agDFL7.html&si=Zq3kUgqp5Hm9_zwq
昭和38年か37年、、さだかではありませんが、仁左衞門歌舞伎を立ち上げたとき、、当時の松下電器の偉い方の紹介で、御影の我が家まで御挨拶にお越し下さいました、祖母がお目にかかっていたのですが、クーラーもない応接室で、まどを開け放していますと風がよく通っていまして、、ああ、ええ風ですな、、まるで世話もののセリフを聞くようでした。道頓堀の文楽座、後の朝日座ですね、、ここが満員で、補助席まで出ていました、、小さな劇場でしたが、熱気で溢れていました。
東京だと三越劇場とか、あれくらいの座席数の小屋で歌舞伎産業を維持してけるなら、それが本当は良かったのかもとも思います。
文楽座は、本当にこじんまりした小屋でしたが、、花道はしっかりとした長さもあって、いい雰囲気でした、朝日座と経営が変わってからも、新派や新国劇、、前進座等の公演がありました、、中座は、藤山かんびさんの常座でしたし、新歌舞伎座は演歌歌手の公演場所でした、、関西の歌舞伎公演は、南座の顔見せだけでした、、私は、東京までなけなしの小遣いを使って行っていました、、
東京歌舞伎座もある時期まで、八月ごろ歌舞伎公演は夏休みで、その期間は美空ひばりショーとかやってたみたいですね。
羽田さんの映画、若い時博多で見ました。
片岡仁左衛門さんの人間性、味わい深さは私の中で不滅です。
コメントありがとうございます。ちょっと検索してみたところ、東京京橋の映画博物館・国立映画アーカイブで2017年に羽田澄子監督作品の一挙上映会が催されてたようですね。
www.nfaj.go.jp/exhibition/kyobashi-za36/
再度このような企画があるかどうか、あるとしても相当先でしょうけど、可能性はゼロではないといったところでしょうか。
本当に素晴らしい舞台でした 名残の段では涙が 玉三郎さんも可愛く綺麗
コメントありがとうございます。↓のリンクは「野崎村」で、
czcams.com/video/jo3q19_Gz6I/video.html
こっちでの父親役もすごく良いと思います。
晩年の目のご不自由な頃のお芝居がほとんど記憶にありますので、このように身軽な曲輪文章を観て改めて、その人気がうなずけます❣️
祇園での本当に粋な遊びをされているご様子ですね❣️
関西歌舞伎座を死守して下さった事、本当に素晴らしいですね❣️
十三代目片岡仁左衛門さんの映像を心待ちにしておりました。 ありがとうございます!
十三代の南座顔見世は晩年よく通いました!
昔歌舞伎座の長い花道をゆっくり歩いて舞台まで出られた時、目が見えてると思ていたけど、後日すでに視力はほとんどなくされていたとお弟子さんの後日談聞いてびっくり‼️流石でした‼️
当代仁左衛門丈。先日歌舞伎座で拝見させて頂きました
昭和56年の国立、拝見しました。確かに天神さまでした。覚寿も、 格を保った素晴らしいものでした。国立は通し狂言が基本でしたので、筆法伝授場等、はじめて見たことも覚えております。このときの玉三郎も控えめで、美しかった、、この時、歌舞伎座では、新薄雪の、三人笑いが大評判でした。関西から新幹線で、2泊3日w、、名舞台を堪能しました、
昭和56年というと、もう玉孝ブームの真っ最中の頃でしたでしょうか。
そうですね、、孝夫さんも玉三郎さんも、現代的で、高身長で、、本当は歌舞伎役者らしくなかったですねw、、むしろ、我当さんのような、ずんぐりむっくり、顔が大きい、、方が舞台に合うようなw、、失礼ですねw、
芝翫さん富十郎さんは、映像で見ると舞台との印象が違い過ぎて。玉孝は映像でも見栄えが良いので、テレビもカラーが当たり前な時期になった時期に適してたのでしょう。けどまだ小さなブラウン管の不鮮明な画像で、舞台照明も光量少なく。ある時期から舞台照明がパカっと明るく、歌舞伎の装置だと平面的になってしまい、液晶テレビが普及すると舞台中継も鮮明化一本槍。隈取の書き方も変わってきてるのではないでしょうか。
歌右衞門の道成寺のときの「顔」、化粧が目の回りに濃い目のピンクを、掃いていました、、回りが、きつすぎると言ったところ、普通の薄い紅ではライトで飛んでしまう、、と、なるほどそこまで考えていたんですね、歌江さんから直接伺いました、
六代目歌右衛門、映画には出なかったけど劇場中継やスタジオ収録は多かったから映像向けのノウハウは持ってたのでしょうか。
仁左衞門と言えば、やっぱり吉田屋、ですね、、「仁左衞門もういくつ寝ると伊左衞門」というくらい、上方のファンに愛されましたね、
喜左衞門は延若や羽左衞門、雁治郎、等々が、軽い役ではなかったですね、夕霧は、扇雀、歌右衞門、雀右衞門、芝翫、、とりわけ良かったのが、我童丈、、親戚とはいえ、襲名の色々はあったはずなのに、舞台の我童の濃厚な色気w、、、すごかったです、、我童は弟子も門弟もとらなかったので、あの芸の継承がないのが残念です、、
五代目芝翫が五代目歌右衛門になった頃から、東京と大阪の名跡を巡る確執はあったようで、そこに松竹と吉本の揉め事も重なりもし、そういうことに翻弄されて続けたのが上方歌舞伎の不運だったかもです。
若い頃ですが、西に高砂屋 中村福助、という役者がいました。封印ぎりの八右衞門とか、印象に残っていますが、当時は福助は東京の成駒屋の名跡とされましたが、、現在の梅玉という名跡は、高砂屋の、俳号らしいですね、、現在、関西の河内屋を、継ぐ人がいないのが、残念です
Wikipediaで「中村福助」を探したら、そこそこ詳しく解説されてました。
「明治の初年から昭和の中頃にかけて、実に100年間ものあいだ、この「中村福助」を名乗る役者は東京と大阪に常に一人ずつおり、それぞれの福助はもう一方の存在を認めないという異常な状態が続いた」云々。
私はこれらの事ぜんぜん知りませんでした。
その福助も見てます。敵役らしい大柄な役者でした!
歌右衛門の「先代萩」に出てるのを見つけました。高砂屋福助の嘉藤太。たしかに敵役ですね。この映像はそう遠くなく公開できると思います。
大松嶋っ!
松島屋❤❤❤
それは片市片亀の方やで(笑)