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後に近鉄にわたり近鉄を優勝させ、阪神に渡って阪神をも優勝させ優勝請負人と呼ばれ「優勝請負人なんて恐れ多い、優勝見届人ぐらいですよ」と言う言葉と共にタテジマのユニフォームを脱ぎグローブを置いた。……よりによって故郷の千葉のチームが日本一になった年に。
あと石毛博史を放出したら古巣に災いも降り注ぐ。巨人→交換相手の石井浩郎が巨人在籍中は一度も優勝出来ず。近鉄→二年後球団消滅。阪神→優勝したが、日本シリーズで惨敗。以降2023年まで優勝なし。
しかもテレビ中継放送枠内ギリギリに納める仕事っぷりw
95年あたりから、ピッチャー石毛がコールされると味方ファンから悲鳴が上がり、敵ファンから歓声があがってましたね笑
石毛は段々酷くなる一方だったから読売が石毛を捨てた。
石毛が最後は阪神に来るとは思わなかった。夏場に昇格し、ロングリリーフとして活躍して阪神のリーグ優勝に貢献してくれましたし。
子供の頃は石毛がでてきたら大事な所でいつもやらかすな、って笑っていたけど自分も大人になって仕事もしているといかに任されるってことがプレッシャーや重荷になるかわかる。しかも当時のプロ野球人気を考えるとどれだけ負担がかっていた事か…
いやいやプロで高い金もらってそのプレッシャーは言い訳にすらならないでしょwそれ言い出したらスポーツ選手はその言い訳で逃げれるやんそんなん許されるわけないよw
@@user-eq4rx6wf7m 当時の石毛投手の気持ちが今はわかるってだけの話でそれを許す許さないの話しじゃないです
@@user-eq4rx6wf7m 言い訳やら逃げるやら突然何を言ってるの?
@@user-eq4rx6wf7mこういうやつが大して優秀でもないくせにパワハラだけは一丁前にすんだよな
この時代、試合終盤石毛、西山の二人のやらかしは何度見たことか
更に岡島も幼心にうっすら残ってる角盈男の幻影にすがっていました
心臓に悪すぎ笑
これでも2年連続セーブ王なってるのがすごい
セーブ王を獲るというのはそれくらい大変なこと
1992年 88.1イニング 51四球1993年 67.0イニング 37四球1994年 51.2イニング 28四球1995年 48.2イニング 34四球こりゃあたまらん😵💫
石毛博史が最多セーブだったのは93・94年ですよね。当時はセーブ数と救援勝利数の合計だったので、表彰は93年のみだったはず。本人は四球でランナーをためても気にしてなかったみたいな事を当時に言ってた気がします。
94年に「四球がボクの持ち味。」と発言し、長嶋茂雄を激怒させたのがいけなかった。10.8では登板無し、日本シリーズでも第三戦以外は登板無し。自ら、首脳陣の信頼を無くしてしまった。
パワプロの赤特殊能力「四球」も石毛がきっかけで実装されたんじゃなかったっけ
新日本プロレスの実況でお馴染みだった辻よしなりさんじゃないですか。抑えてはいるもののプロレス中継っぽいノリが溢れてきてますね。声を聞いただけで長州さんや蝶野さんの顔が浮かんできます。この時はまだプロレスの実況担当ではなかったのかもしれませんが。
いやプロレス担当してました
1992年は88イニングで123奪三振と三振奪取能力はすごかった。被安打は毎年イニング以下に抑えてるし四球か三振かという投手。
そうですね、近鉄来て、阪神行って、鳴尾浜での2軍戦で見ました・・・・・・そしたら姿消したと思ったら、大阪でタワマン住んだ時のオーナーまさかの石毛さん笑いやぁびっくりでした
出てくると相手ファンが拍手してたことも……
贔屓チームが無く、ただ野球中継を視ている人からしたら劇場型ストッパーは最高のエンターテイナー。あとこの実況・・もしかして新日本プロレス実況で名を馳せる辻さんやね。すぐに分かった。
石毛見てるとスピードやパワー決め球の変化球も必要だと思うけど、ピッチャーはいかにコントロールが大事かと思わされるwww
野手に三振かホームランかのロマン砲がいるように、石毛は三振か四球かのロマン型クローザーだったな
最初の甲子園の映像凄く覚えてるから、よく阪神戦で、サヨナラワイルドピッチしてた、イメージ強いし晩年は、阪神に移籍して来ましたね。
抑えもコントロールが重要ですね😊この頃の石毛は見ていてドキドキしてました😂
石毛が出てくるたびにヒヤヒヤしながら観ていた記憶があります📺😣笑。
この頃のセリーグのリリーフ陣は、球が速い=劇場型だった。ヤクルトの山田、巨人の石毛、西山、横浜の盛田。大魔神も90年代前半は四球が多かった。制球も良かったのは大野ぐらいだった
阪神の郭李さんもかなりコントロールが怪しかったような。
その数年後に石毛が近鉄を経由して阪神入りするなんて思いもしなかったですね。
1:22 桑田危険球退場の試合だね野村監督が「ルールがヒーローや」と言ったやつ
広島戦で6対1で勝ってて6対5でギリギリ勝った試合が懐かしいなあ。
でも生涯成績はイニング数より奪三振数のほうが上回ってるんですよね。巨人のストッパーの中でも印象は強い方でした!
盛り上げるねぇストレートは今見ても一級品だなぁ
投手はコントロールが大事。コースに入れば打者も打ち損ないがあるからね。でも、久しぶりに石毛劇場って聞いたな。
ピッチャー石毛のコールで相手スタンドから割れんばかりの大歓声
見てると肩が凝りました😮最後まで目が離せませんよね😮
見ててハラハラさせる。だから野球中継が楽しかったんだろうな。。
クローザー専門選手の黎明期という感覚です
こんなにも安心できない見ていて不安な気持ちにさせる守護神は球史探してもなかなかおらんやろ
石毛のパワフルな投球が大好きで、少年野球のピッチャーだった時、マネして投げてました
最後の広島戦長嶋監督の満面な笑顔。野球が面白かった時代でした。
デーブのキャッチングもやべーよ
打力を生かして、バッター転向はどうか?と言ってた評論家がいたな。
お尻のデカい石毛さんその体格から、オフのゴルフ会では野手以上に球を遠くに飛ばしていたそうで😅
長嶋監督が着ている当時のグラウンドジャンパー格好いいなァ。欲しい。
たしか黄色と黒のジャンパーもあったはず。
@@makoto8882 リバーシブルだったような………。
プロ野球を見始めた小学5年の頃、よーく観てました!
最後ベンチも賭けに勝った感w
最近野球あんまり見ないですけど四分割のやつって今でもやってますか?
確かに直球の威力は凄い。この時代の抑えを耐えたファンに拍手😂
辻さんが実況してるとまるで、藤波辰爾のグラウンドコブラが決まった試合に聞こえてしまう(笑)
僕は石毛のことをずっと神田正輝と思っていました
石毛は登場すると大歓声があがったよな相手球団の応援団から
球界の神田正輝
大勢はこういうのにならないでほしい……
石毛か、懐かしいね゙。終盤で石毛が出てくると相手チームのファンから大歓声が上がってたのを思い出したよ。そして、案の定打たれるとやっぱりね゙と諦めるまでが当時の巨人ファンの様式美。澤村もだけど、いい時と悪い時の差が笑っちゃうぐらいはっきりしてたね。
高津、佐々木、佐々岡、宣銅烈、藤川などなど、他所の抑えは素晴らしかったのに、巨人だけ石毛、西山、岡島とこんなのを長らく見せられてきた巨人の先発は完投しなきゃ普通に勝てないのかと
河原もクソだったわ。数字だけ見たら良さそうだが、毎回ランナー出すし抑えてもヒヤヒヤだったわ。
スコット鉄太郎が出るまで、リリーフがギャンブルすぎた
@@user-pw5is8lv4h河原はランナーさえ出さなければ無敵だった。セットポジションになった途端打たれまくり、さらに翌年から二段モーション禁止の煽りを受けてフォーム転換を余儀なくされ燃え尽きた…😢
@@user-uy3jy5vj1v風神雷神もお忘れなく😅
@@user-pw5is8lv4h河原も槙原も抑え初年度は良かったような。上原もだけど。
辻が実況なのが笑う😁確かデーゲームの西武戦だったか、東尾に話聞いてねえだろって怒られてた😅
四球とセーブはセット
巨人は80年代からクローザー不在がアキレス腱でしたよね。
今に至っても通算セーブ数の球団記録は巨人が12球団の中でもほぼ最下位なんだよな恐らく…クルーンか角ぐらいじゃないかな在籍中まともに数字を積み重ねたのって。しかもどっちも100セーブ行ってなかったはず。(クルーンは行ってたかも。とはいえ横浜時代が通算の殆ど。角は通算でもギリギリ100S届いておらず、晩年ヤクルトでノムさんがサプライズ起用でなんとか100Sさせようと考えていたら、つゆ知らずの当人は引退してしまう…)
間に王さんを挟んで、先発完投主義の藤田さんが長い期間監督だったので分業制という考え方がチームに根付いてなかったんですよ。一応角さん鹿取さんサンチェがいましたが先発に凄い投手が揃っていた(特に藤田さん二期目)ので継投の重要性が低かった。
@@yjkkf8 正直、三本柱とかあんだけ投げさせて壊れなかった(桑田は肘が爆発してしまったが)んだから、そりゃ投げさせるよなとは思う。 とはいえ年間で一軍で登板した投手の人数がかなり少ない年が幾つもあったから、他の投手が育つ余地が無かったのも納得。
今見てもヒヤヒヤドキドキしますね😅
ぜひ藤浪晋太郎の制球難を矯正したアメリカのコーチに依頼したい。
この劇場は行く価値ある
まぁデーブのブロッキングも酷いが笑まったく膝が落ちず笑
このブラウンてあのブラウン監督?
そんな中でも延長5イニングくらい(おそらくナゴヤ)を投げ切ったりするよく分からんピッチャー
この人はピンチに弱いとかノミの心臓のイメージ持たれがちだけど、1992年の成績調べたら普通にエグかった。この年の88イニングを上回って奪三振123個って。スピード、球威、変化球のキレはどれも一級品だから優秀なピッチャーだよね。怪我の影響も制球力も改善できたら、とんでもない成績残せていたのではと思ってしまうね…
劇場ってこの頃からあったスラングなんだな。"守護神"は大魔神あたりからかな? その後"幕張の防波堤(同点まではオッケーという唯我独尊メンタリティ…)"を経て伝説のドミンゴ・グスマン(先発やってる内はまだ良かった)へと至る…
因みに「勝利の方程式」は長嶋監督がこの時代の橋本清→石毛の継投を現す時に使用したのがきっかけで広まったそうですね😅
石毛劇場、懐かしい…端正な顔立ち、俳優さんだわ。そして仕草も渋い。しかし、最後の渾身の一球、めちゃくちゃカッコ良い。審判のストライクコールも最高🎉
石毛が出てくると怖くてチャンネル変えてましたね(笑)大抵、翌日の新聞には「巨人逆転サヨナラ負け」でした・・・・
石毛最高🤣
良かった。石毛が抑えた映像もこの世にあったんですね?
広島の応援が実は今より選手のコール回数少ない。この翌年くらいに巨人に大逆転勝ちする中で一回増え、さらに次年また巨人戦で一回増えて今の形に。しかし今見たら石毛さんの投球は出たら中継切って後で結果見る方がいいレベル😂
中継のTVスタッフも尺に収まり、ハラハラドキドキ😅
ノーコン行ってこいのピッチャーでしたからね、荒れ球がハマれば抑えられるけど、抑えられないと・・。近鉄に移籍して先発から5連続四球が顕著彼もそうだけど、クルーンも劇場型。どちらもひやひやしたよ。
澤村とどっちがマシ?
どっこいどっこい
僕は阪神ファンなので 阪神時代の この人で印象があるのが 東京ドームの巨人戦で 当時 川相昌弘さんの犠打世界記録の懸かってた時で巨人が3-1の場面に石毛博史さんが出て3ボールになって 東京ドーム がざわついた場面があったんだけども その時は 相手 打者を抑えてた 川相さんに犠打の場面にならなかった(笑)
最後はいいとこ見せて締めと見せかけてやっぱり救援失敗かい!!と思ったら普通に締めて終わってよかった😂
当時、この石毛っぷりで職場の同姓の人がイジられてたわりと顔も似てた
(●・ω・)<石毛劇場。って云われてましたね、確かに。92年、良く登板してた際にテレビ中継を観て「んんん???原辰徳選手がピッチャーに配置転換されたのか???」ってネタでも何でもなくマジでビックリしたものでした()そして時にフォアボールとか出したりしつつやっと抑えたり、また時に崩れてしまったり。と、とにかく観てる方のコチラもヒヤヒヤだったのを覚えてます。中日ファンの1人より
落合が60番って事は10.8の94年かな?この試合を落としていたら、優勝していなかったって事ですよね・・
パスボールが多いからという理由で中のクッションを抜いたプロテクターを着けさせられていた中でこの球を受けていたデーブ大久保さんの苦労は想像を絶する
元祖ノミの心臓
ノーコン石毛😂😂😂😂
瞬間視聴率ってどのくらいだったんだろう?w
クルーン劇場もヒヤヒヤだった
子供の頃は嫌いな選手だったが成績調べてきたら悪くない数字なんですね。奪三振多かったのは知っていた。151キロ連発していた試合あって球は速いけどノーコンだなと思っていたけど四球も印象ほどは多くなかった。
劇場型すぎる今だと、オリの平野やロッテの益田がこの枠だね
あの頃は石毛のほかに木田(画伯)もコントロール酷くてこの二人が出てきたときには子供ながらに胃が痛くなってたのはオレだけではないはず…この二人が去ったあと彗星のごとく現れた西山も翌年には自滅劇場化巨人ファンが安心して9回を見てられたのは2002年の河原まで待たなくてはならなかった(それも前半戦までだけど)
木田はノーコンもそうだけど、せっかくの豪速球も緩い球や決め球が無いせいで慣れられて粘られてグダグダという散々さ…
2002年、東京ドームのライトスタンドで「ピッチャー、岡島」のコールを聞くなり「やだー!岡島やだー!」と泣きじゃくりだしたちびっ子がいた事を未だに忘れない
当時はちょっとだけ神田正輝に似てたような気がするが、今見たらあまり似てないかもなw
石毛は木田と同様、コントロールが悪い。
プレッシャーに弱い記憶がありますね。
申し訳ないけど1995年前後は石毛、西山といった当時150超えるけどノーコン投手が大事な場面で出てくると長嶋さんはなんでこんなストライクも入らないピッチャー使うんだ💢と小学生ながら思っていました笑当時は横浜は佐々木、ヤクルトは高津or伊藤智仁、広島は佐々岡など抑えピッチャーが凄くて羨ましかったのを覚えています笑
これを見ると平野がはるかにまともに見える
巨人の石毛さんだ!
6:46 今田耕司初主演のドラマ
94年の中盤辺りから勤続疲労で球速が落ちていったのが不振の原因なんだよな
石毛投手が抑えに出てくると巨人ファンはハラハラドキドキだったと思うがアンチは気軽に見ていられたなぁ。
この頃の長嶋は速球派やけど、コントロール悪い選手ばかり集めてたなぁ。西山や小野とかw
長嶋は当時、選手の見る目が無いダメ選手を平気で使っていた。
巨人の抑えって劇場型がおおい
鶴瓶上岡パペポTVに普通に観覧希望のハガキを書いて送ってた素朴な人
90年代の巨人のクローザーだ!
僕が野球を見始めた時は晩年の槙原さんがクローザーをやっていたのですが失敗続きで、巨人ファンの母はよくボロクソに言ってました。でも時々、思い出したようにこうも言っていたのです。『石毛よりはマシ』と。
藤田さんが押し出ししても我慢して起用。
神田正輝さんに似てる
落合「オメェ、ふざけんじゃねぇよ」
甲子園球場での阪神ファンの大歓声&大歓迎が忘れられない。四球四球サヨナラ押し出し。以上。
後に近鉄にわたり近鉄を優勝させ、阪神に渡って阪神をも優勝させ優勝請負人と呼ばれ「優勝請負人なんて恐れ多い、優勝見届人ぐらいですよ」と言う言葉と共にタテジマのユニフォームを脱ぎグローブを置いた。
……よりによって故郷の千葉のチームが日本一になった年に。
あと石毛博史を放出したら古巣に災いも降り注ぐ。
巨人→交換相手の石井浩郎が巨人在籍中は一度も優勝出来ず。
近鉄→二年後球団消滅。
阪神→優勝したが、日本シリーズで惨敗。以降2023年まで優勝なし。
しかもテレビ中継放送枠内ギリギリに納める仕事っぷりw
95年あたりから、ピッチャー石毛がコールされると味方ファンから悲鳴が上がり、敵ファンから歓声があがってましたね笑
石毛は段々酷くなる一方だったから読売が石毛を捨てた。
石毛が最後は阪神に来るとは思わなかった。
夏場に昇格し、ロングリリーフとして活躍して阪神のリーグ優勝に貢献してくれましたし。
子供の頃は石毛がでてきたら大事な所でいつもやらかすな、って笑っていたけど自分も大人になって仕事もしているといかに任されるってことがプレッシャーや重荷になるかわかる。しかも当時のプロ野球人気を考えるとどれだけ負担がかっていた事か…
いやいやプロで高い金もらってそのプレッシャーは言い訳にすらならないでしょwそれ言い出したらスポーツ選手はその言い訳で逃げれるやんそんなん許されるわけないよw
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@@user-eq4rx6wf7m 言い訳やら逃げるやら突然何を言ってるの?
@@user-eq4rx6wf7m
こういうやつが大して優秀でもないくせにパワハラだけは一丁前にすんだよな
この時代、試合終盤石毛、西山の二人のやらかしは何度見たことか
更に岡島も
幼心にうっすら残ってる角盈男の幻影にすがっていました
心臓に悪すぎ笑
これでも2年連続セーブ王なってるのがすごい
セーブ王を獲るというのはそれくらい大変なこと
1992年 88.1イニング 51四球
1993年 67.0イニング 37四球
1994年 51.2イニング 28四球
1995年 48.2イニング 34四球
こりゃあたまらん😵💫
石毛博史が最多セーブだったのは93・94年ですよね。
当時はセーブ数と救援勝利数の合計だったので、表彰は93年のみだったはず。
本人は四球でランナーをためても気にしてなかったみたいな事を当時に言ってた気がします。
94年に「四球がボクの持ち味。」と発言し、長嶋茂雄を激怒させたのがいけなかった。
10.8では登板無し、日本シリーズでも第三戦以外は登板無し。自ら、首脳陣の信頼を無くしてしまった。
パワプロの赤特殊能力「四球」も石毛がきっかけで実装されたんじゃなかったっけ
新日本プロレスの実況でお馴染みだった辻よしなりさんじゃないですか。抑えてはいるもののプロレス中継っぽいノリが溢れてきてますね。声を聞いただけで長州さんや蝶野さんの顔が浮かんできます。
この時はまだプロレスの実況担当ではなかったのかもしれませんが。
いやプロレス担当してました
1992年は88イニングで123奪三振と三振奪取能力はすごかった。被安打は毎年イニング以下に抑えてるし四球か三振かという投手。
そうですね、近鉄来て、阪神行って、鳴尾浜での2軍戦で見ました・・・・・・そしたら姿消したと思ったら、大阪でタワマン住んだ時のオーナーまさかの石毛さん笑いやぁびっくりでした
出てくると相手ファンが拍手してたことも……
贔屓チームが無く、ただ野球中継を視ている人からしたら劇場型ストッパーは最高のエンターテイナー。
あとこの実況・・もしかして新日本プロレス実況で名を馳せる辻さんやね。すぐに分かった。
石毛見てるとスピードやパワー決め球の変化球も必要だと思うけど、ピッチャーはいかにコントロールが大事かと思わされるwww
野手に三振かホームランかのロマン砲がいるように、石毛は三振か四球かのロマン型クローザーだったな
最初の甲子園の映像凄く覚えてるから、よく阪神戦で、サヨナラワイルドピッチしてた、イメージ強いし
晩年は、阪神に移籍して来ましたね。
抑えもコントロールが重要ですね😊
この頃の石毛は見ていてドキドキしてました😂
石毛が出てくるたびにヒヤヒヤしながら観ていた記憶があります📺😣笑。
この頃のセリーグのリリーフ陣は、
球が速い=劇場型だった。ヤクルトの山田、巨人の石毛、西山、横浜の盛田。大魔神も90年代前半は四球が多かった。制球も良かったのは大野ぐらいだった
阪神の郭李さんもかなりコントロールが怪しかったような。
その数年後に石毛が近鉄を経由して阪神入りするなんて思いもしなかったですね。
1:22
桑田危険球退場の試合だね
野村監督が「ルールがヒーローや」と言ったやつ
広島戦で6対1で勝ってて6対5でギリギリ勝った試合が懐かしいなあ。
でも生涯成績はイニング数より奪三振数のほうが上回ってるんですよね。
巨人のストッパーの中でも印象は強い方でした!
盛り上げるねぇ
ストレートは今見ても一級品だなぁ
投手はコントロールが大事。
コースに入れば打者も打ち損ないがあるからね。でも、久しぶりに石毛劇場って聞いたな。
ピッチャー石毛のコールで相手スタンドから割れんばかりの大歓声
見てると肩が凝りました😮
最後まで目が離せませんよね😮
見ててハラハラさせる。だから野球中継が楽しかったんだろうな。。
クローザー専門選手の黎明期という感覚です
こんなにも安心できない見ていて不安な気持ちにさせる守護神は球史探してもなかなかおらんやろ
石毛のパワフルな投球が大好きで、少年野球のピッチャーだった時、マネして投げてました
最後の広島戦長嶋監督の満面な笑顔。野球が面白かった時代でした。
デーブのキャッチングもやべーよ
打力を生かして、バッター転向はどうか?と言ってた評論家がいたな。
お尻のデカい石毛さん
その体格から、オフのゴルフ会では野手以上に球を遠くに飛ばしていたそうで😅
長嶋監督が着ている当時のグラウンドジャンパー格好いいなァ。欲しい。
たしか黄色と黒のジャンパーもあったはず。
@@makoto8882 リバーシブルだったような………。
プロ野球を見始めた小学5年の頃、よーく観てました!
最後ベンチも賭けに勝った感w
最近野球あんまり見ないですけど
四分割のやつって今でもやってますか?
確かに直球の威力は凄い。
この時代の抑えを耐えたファンに拍手😂
辻さんが実況してるとまるで、藤波辰爾のグラウンドコブラが決まった試合に聞こえてしまう(笑)
僕は石毛のことを
ずっと神田正輝と思っていました
石毛は登場すると大歓声があがったよな
相手球団の応援団から
球界の神田正輝
大勢はこういうのにならないでほしい……
石毛か、懐かしいね゙。
終盤で石毛が出てくると相手チームのファンから大歓声が上がってたのを思い出したよ。
そして、案の定打たれるとやっぱりね゙と諦めるまでが当時の巨人ファンの様式美。
澤村もだけど、いい時と悪い時の差が笑っちゃうぐらいはっきりしてたね。
高津、佐々木、佐々岡、宣銅烈、藤川などなど、他所の抑えは素晴らしかったのに、巨人だけ石毛、西山、岡島とこんなのを長らく見せられてきた
巨人の先発は完投しなきゃ普通に勝てないのかと
河原もクソだったわ。数字だけ見たら良さそうだが、毎回ランナー出すし抑えてもヒヤヒヤだったわ。
スコット鉄太郎が出るまで、リリーフがギャンブルすぎた
@@user-pw5is8lv4h
河原はランナーさえ出さなければ無敵だった。セットポジションになった途端打たれまくり、さらに翌年から二段モーション禁止の煽りを受けてフォーム転換を余儀なくされ燃え尽きた…😢
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風神雷神もお忘れなく😅
@@user-pw5is8lv4h
河原も槙原も抑え初年度は良かったような。上原もだけど。
辻が実況なのが笑う😁確かデーゲームの西武戦だったか、東尾に話聞いてねえだろって怒られてた😅
四球とセーブはセット
巨人は80年代からクローザー不在がアキレス腱でしたよね。
今に至っても通算セーブ数の球団記録は巨人が12球団の中でもほぼ最下位なんだよな恐らく…クルーンか角ぐらいじゃないかな在籍中まともに数字を積み重ねたのって。しかもどっちも100セーブ行ってなかったはず。
(クルーンは行ってたかも。とはいえ横浜時代が通算の殆ど。角は通算でもギリギリ100S届いておらず、晩年ヤクルトでノムさんがサプライズ起用でなんとか100Sさせようと考えていたら、つゆ知らずの当人は引退してしまう…)
間に王さんを挟んで、先発完投主義の藤田さんが長い期間監督だったので分業制という考え方がチームに根付いてなかったんですよ。
一応角さん鹿取さんサンチェがいましたが先発に凄い投手が揃っていた(特に藤田さん二期目)ので継投の重要性が低かった。
@@yjkkf8 正直、三本柱とかあんだけ投げさせて壊れなかった(桑田は肘が爆発してしまったが)んだから、そりゃ投げさせるよなとは思う。
とはいえ年間で一軍で登板した投手の人数がかなり少ない年が幾つもあったから、他の投手が育つ余地が無かったのも納得。
今見てもヒヤヒヤドキドキしますね😅
ぜひ藤浪晋太郎の制球難を矯正したアメリカのコーチに依頼したい。
この劇場は行く価値ある
まぁデーブの
ブロッキングも酷いが笑
まったく膝が落ちず笑
このブラウンてあのブラウン監督?
そんな中でも延長5イニングくらい(おそらくナゴヤ)を投げ切ったりするよく分からんピッチャー
この人はピンチに弱いとかノミの心臓のイメージ持たれがちだけど、1992年の成績調べたら普通にエグかった。
この年の88イニングを上回って奪三振123個って。
スピード、球威、変化球のキレはどれも一級品だから優秀なピッチャーだよね。
怪我の影響も制球力も改善できたら、とんでもない成績残せていたのではと思ってしまうね…
劇場ってこの頃からあったスラングなんだな。"守護神"は大魔神あたりからかな?
その後"幕張の防波堤(同点まではオッケーという唯我独尊メンタリティ…)"を経て伝説のドミンゴ・グスマン(先発やってる内はまだ良かった)へと至る…
因みに「勝利の方程式」は長嶋監督がこの時代の橋本清→石毛の継投を現す時に使用したのがきっかけで広まったそうですね😅
石毛劇場、懐かしい…
端正な顔立ち、俳優さんだわ。そして仕草も渋い。
しかし、最後の渾身の一球、めちゃくちゃカッコ良い。審判のストライクコールも最高🎉
石毛が出てくると怖くて
チャンネル変えてましたね(笑)
大抵、翌日の新聞には「巨人逆転サヨナラ負け」でした・・・・
石毛最高🤣
良かった。石毛が抑えた映像もこの世にあったんですね?
広島の応援が実は今より選手のコール回数少ない。この翌年くらいに巨人に大逆転勝ちする中で一回増え、さらに次年また巨人戦で一回増えて今の形に。
しかし今見たら石毛さんの投球は出たら中継切って後で結果見る方がいいレベル😂
中継のTVスタッフも尺に収まり、ハラハラドキドキ😅
ノーコン行ってこいのピッチャーでしたからね、荒れ球がハマれば抑えられるけど、抑えられないと・・。近鉄に移籍して先発から5連続四球が顕著
彼もそうだけど、クルーンも劇場型。どちらもひやひやしたよ。
澤村とどっちがマシ?
どっこいどっこい
僕は阪神ファンなので 阪神時代の この人で印象があるのが 東京ドームの巨人戦で 当時 川相昌弘さんの犠打世界記録の懸かってた時で巨人が3-1の場面に石毛博史さんが出て3ボールになって 東京ドーム がざわついた場面があったんだけども その時は 相手 打者を抑えてた 川相さんに犠打の場面にならなかった(笑)
最後はいいとこ見せて締め
と見せかけてやっぱり救援失敗かい!!
と思ったら普通に締めて終わってよかった😂
当時、この石毛っぷりで職場の同姓の人がイジられてた
わりと顔も似てた
(●・ω・)<石毛劇場。って云われてましたね、確かに。
92年、良く登板してた際にテレビ中継を観て
「んんん???原辰徳選手がピッチャーに配置転換されたのか???」
ってネタでも何でもなくマジでビックリしたものでした()
そして時にフォアボールとか出したりしつつやっと抑えたり、また時に崩れてしまったり。と、とにかく観てる方のコチラもヒヤヒヤだったのを覚えてます。
中日ファンの1人より
落合が60番って事は10.8の94年かな?
この試合を落としていたら、優勝していなかったって事ですよね・・
パスボールが多いからという理由で中のクッションを抜いたプロテクターを着けさせられていた中でこの球を受けていたデーブ大久保さんの苦労は想像を絶する
元祖ノミの心臓
ノーコン石毛😂😂😂😂
瞬間視聴率ってどのくらいだったんだろう?w
クルーン劇場もヒヤヒヤだった
子供の頃は嫌いな選手だったが成績調べてきたら悪くない数字なんですね。奪三振多かったのは知っていた。151キロ連発していた試合あって球は速いけどノーコンだなと思っていたけど四球も印象ほどは多くなかった。
劇場型すぎる
今だと、オリの平野やロッテの益田がこの枠だね
あの頃は石毛のほかに木田(画伯)もコントロール酷くてこの二人が出てきたときには子供ながらに胃が痛くなってたのはオレだけではないはず…
この二人が去ったあと彗星のごとく現れた西山も翌年には自滅劇場化
巨人ファンが安心して9回を見てられたのは2002年の河原まで待たなくてはならなかった(それも前半戦までだけど)
木田はノーコンもそうだけど、せっかくの豪速球も緩い球や決め球が無いせいで慣れられて粘られてグダグダという散々さ…
2002年、東京ドームのライトスタンドで「ピッチャー、岡島」のコールを聞くなり「やだー!岡島やだー!」と泣きじゃくりだしたちびっ子がいた事を未だに忘れない
当時はちょっとだけ神田正輝に似てたような気がするが、今見たらあまり似てないかもなw
石毛は木田と同様、コントロールが悪い。
プレッシャーに弱い記憶がありますね。
申し訳ないけど1995年前後は石毛、西山といった当時150超えるけどノーコン投手が大事な場面で出てくると長嶋さんはなんでこんなストライクも入らないピッチャー使うんだ💢と小学生ながら思っていました笑
当時は横浜は佐々木、ヤクルトは高津or伊藤智仁、広島は佐々岡など抑えピッチャーが凄くて羨ましかったのを覚えています笑
これを見ると平野がはるかにまともに見える
巨人の石毛さんだ!
6:46 今田耕司初主演のドラマ
94年の中盤辺りから勤続疲労で球速が落ちていったのが不振の原因なんだよな
石毛投手が抑えに出てくると
巨人ファンはハラハラドキドキ
だったと思うがアンチは気軽に
見ていられたなぁ。
この頃の長嶋は速球派やけど、コントロール悪い選手ばかり集めてたなぁ。西山や小野とかw
長嶋は当時、選手の見る目が無いダメ選手を平気で使っていた。
巨人の抑えって劇場型がおおい
鶴瓶上岡パペポTVに普通に観覧希望のハガキを書いて送ってた素朴な人
90年代の巨人のクローザーだ!
僕が野球を見始めた時は晩年の槙原さんがクローザーをやっていたのですが失敗続きで、巨人ファンの母はよくボロクソに言ってました。
でも時々、思い出したようにこうも言っていたのです。
『石毛よりはマシ』と。
藤田さんが押し出ししても我慢して起用。
神田正輝さんに似てる
落合「オメェ、ふざけんじゃねぇよ」
甲子園球場での阪神ファンの大歓声&大歓迎が忘れられない。
四球四球サヨナラ押し出し。以上。