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ここに登場するブラームスといいレメーニー、ヨアヒム、リストとといい、そろいも揃って美青年ですね。特にレメーニーの 肖像画は、人の本質を射抜き引き付けて止まぬ魅力の塊ですね。パガニーニの黄金時に匹敵する魅力の人だと思います。ブラームスがプライトコップ社の評価を受けた時が20才で「その顔は精神の勝利を示している」との評価は驚きです。熟練の域に達した最晩年の者に対する評価ですね。20才といえども凝縮した経験と、一流の人間に触れて鍛錬を重ねたブラームスの顔からどんな光が放たれたのでしょうね。演奏を評価したブライトコップ社の関係者も見事です。
おっしゃる通り、美男子揃いですね。動画序盤で使ったブラームスのハンガリー舞曲の演奏はヨアヒムのものなんですよ。ふるい録音なので音がひずんでますが、艶やかな音色と煌めくようなテクニックは充分伝わってきます。実はブラームスの録音もあったのですが(1880年代!)、ひずみすぎてて使うのはやめました。
@@クラシック音楽奇譚 そうですか、ヨアヒムの演奏なんですね。当時一流音楽家や有名無名を問わずどこにでもヨアヒムの名が登場するので、どんな演奏をした人なんだろうと思っていました。貴重なBGMです。
チャンネル登録しました。落ち着いた声質で上品な語り口なのがとても聴きやすいです。BGMも控えめなのが良いですね。これからも楽しみにしています。
ありがとうございます!
レメーニのと出会ったお陰で、ブラームスが、演奏旅行に出掛けられるようになったのですね👍🥰 レメーニは、日本に来て、天皇の前で演奏もされたのですね👍👏🥰 レメーニは、革命運動に参加したので、国外に退去したのですが、リストと出会って認められたのですね👍🥰 リストには、認められたものの音楽のスタイルは、異なりレメーニとも合わなくなって解雇されてしまったのですね😢 でも、ヨアヒムが、受け入れてくれてお母さんの手紙まで理解して返信してくれてお母さんも安心されて良かったですね👍🥰 ワジレフスキという方からシューマンに会うよう薦められたのですが、以前のことも有り、躊躇していたのですが、会って夫妻に認められて良かったですね👍🥰 シューマンも大好き💕な作曲家なので、この話しは、とっても嬉しく思いました👍🥰 この動画に出てくる作曲家の音楽は、ピアノで弾いた事が、有るのですが、作曲家通しの繋がりがわかりとても興味深く、彼らの作品を弾くにしもいままでと違った気持ちで向き合えるようになりました👍🥰 ブラームスの真摯な生き方に感動を覚えました👍🥰 お世話になった方のために作品を書いたことも感動しました👍👏🥰 その後の動画、どうなったのでしょう❓シューマンの事が心配です😢
続きは再生リストにまとめてありますので、ぜひ一気見してみてください。ブラームス〜ドイツロマン屈指の大天才czcams.com/play/PLfm1BatlmrzXLj1kk6JlL5HxtJ0vbFgN4.html
ブラームスといえば晩年の髭面が有名ですが、繊細な感じの美青年だったんですね。(笑)ブラームスの作品は、重く、寂しく、神秘的で心を揺さぶられます。何作品か弾きましたが、まだ理解なんてとてもできません…
ブラームスはやっぱり人気なんだなぁ、と動画作るたびに思います。この方の作品は一筋縄ではいきませんね。
NHK深夜便のような口調で好きです。😊
嬉しいコメントありがとうございます😊目指すところはラジオドラマなのでとても嬉しいです。
むむむ、ブラームスも結構策士でないですか?ヨアヒムにお金に困ってる事が言えなくて、お母さんの手紙を見せるなんて。私もインターネットの無い時代、海外でよく手紙を書きました。当時ヨーロッパ人の国民性というか、まあ日本人も教養のある人はそうでしたが、ちょっとした旅先からでも絵葉書をくれるという事にとても感動したのを憶えてます。でも当時どうやって相手の手紙の宛先をそれなりに確保できていたのか、記憶の彼方です。クラスで唯一、画面で表示された通りに印刷ができるマッキントッシュを持っていたから、よくクラスメートにせがまれて住所録を作っていた記憶があり、そして彼らがくれる住所は多くが実家のものでした。そう言われると教会の礼拝とか、趣味のスポーツの集いとか、多くの活動の場所でも名簿というものが配られてましたね。そして携帯の無い時代の待ち合わせはシティハンターのように駅前の掲示板のところでしたね。私は個人的にはブラームスがどこであのピアノの技術を取得したのか、本当に幼い頃の彼の練習風景が見たくてたまりません。裕福ではなくとも教育には本当にいい環境だったのでしょうね。続編も楽しみにしています。😊
たしかに手紙ですから、「母がこんなこと書いてきたんだ」って見せたってことですね(笑)でも、ヨアヒムと一緒ならお金がなければ一緒にコンサートすればいいわけで、どうやって心配性のお母さんを安心させられるかわからなくて困って相談したのかもしれません。私は20歳前後がインターネットが一般化し始めた時期でした。モバイルではまだネットには繋げなかったので、列車の時刻表なんかは日本で調べて印刷して持って行き、急な変更は現地の人に教えてもらって、とやってました。だからネタはいくらでもあって、ヨーロッパ旅行の旅先からよく絵葉書書きましたよ。手荷物の中に必ず住所録を忍ばせてた記憶があります。ブラームスのピアノ技術はコッセル先生の努力の賜物かもしれませんね。毎日レッスンしてくれてたみたいですし。ブラームスが同じく貧乏な家庭出身のドヴォルザークを全力で応援したのも、ブラームス自身が周りから助けられて世に出たからなのかもしれません。
yayakosii namae mou tuiteikemasenn sayonara sayonara youahimu matane
sayonara sankaku matakite shikaku
ここに登場するブラームスといいレメーニー、ヨアヒム、リストとといい、そろいも揃って美青年ですね。特にレメーニーの 肖像画は、人の本質を射抜き引き付けて止まぬ魅力の塊ですね。パガニーニの黄金時に匹敵する魅力の人だと思います。ブラームスがプライトコップ社の評価を受けた時が20才で「その顔は精神の勝利を示している」との評価は驚きです。熟練の域に達した最晩年の者に対する評価ですね。20才といえども凝縮した経験と、一流の人間に触れて鍛錬を重ねたブラームスの顔からどんな光が放たれたのでしょうね。演奏を評価したブライトコップ社の関係者も見事です。
おっしゃる通り、美男子揃いですね。
動画序盤で使ったブラームスのハンガリー舞曲の演奏はヨアヒムのものなんですよ。ふるい録音なので音がひずんでますが、艶やかな音色と煌めくようなテクニックは充分伝わってきます。実はブラームスの録音もあったのですが(1880年代!)、ひずみすぎてて使うのはやめました。
@@クラシック音楽奇譚 そうですか、ヨアヒムの演奏なんですね。当時一流音楽家や有名無名を問わずどこにでもヨアヒムの名が登場するので、どんな演奏をした人なんだろうと思っていました。貴重なBGMです。
チャンネル登録しました。
落ち着いた声質で上品な語り口なのがとても聴きやすいです。
BGMも控えめなのが良いですね。
これからも楽しみにしています。
ありがとうございます!
レメーニのと出会ったお陰で、ブラームスが、演奏旅行に出掛けられるようになったのですね👍🥰
レメーニは、日本に来て、天皇の前で演奏もされたのですね👍👏🥰
レメーニは、革命運動に参加したので、国外に退去したのですが、リストと出会って認められたのですね👍🥰
リストには、認められたものの音楽のスタイルは、異なりレメーニとも合わなくなって解雇されてしまったのですね😢
でも、ヨアヒムが、受け入れてくれてお母さんの手紙まで理解して返信してくれてお母さんも安心されて良かったですね👍🥰
ワジレフスキという方からシューマンに会うよう薦められたのですが、以前のことも有り、躊躇していたのですが、会って夫妻に認められて良かったですね👍🥰
シューマンも大好き💕な作曲家なので、この話しは、とっても嬉しく思いました👍🥰
この動画に出てくる作曲家の音楽は、ピアノで弾いた事が、有るのですが、作曲家通しの繋がりがわかりとても興味深く、彼らの作品を弾くにしもいままでと違った気持ちで向き合えるようになりました👍🥰
ブラームスの真摯な生き方に感動を覚えました👍🥰
お世話になった方のために作品を書いたことも感動しました👍👏🥰
その後の動画、どうなったのでしょう❓シューマンの事が心配です😢
続きは再生リストにまとめてありますので、ぜひ一気見してみてください。
ブラームス〜ドイツロマン屈指の大天才
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ブラームスといえば晩年の髭面が有名ですが、繊細な感じの美青年だったんですね。(笑)ブラームスの作品は、重く、寂しく、神秘的で心を揺さぶられます。何作品か弾きましたが、まだ理解なんてとてもできません…
ブラームスはやっぱり人気なんだなぁ、と動画作るたびに思います。
この方の作品は一筋縄ではいきませんね。
NHK深夜便のような口調で好きです。😊
嬉しいコメントありがとうございます😊目指すところはラジオドラマなのでとても嬉しいです。
むむむ、ブラームスも結構策士でないですか?ヨアヒムにお金に困ってる事が言えなくて、お母さんの手紙を見せるなんて。
私もインターネットの無い時代、海外でよく手紙を書きました。当時ヨーロッパ人の国民性というか、まあ日本人も教養のある人はそうでしたが、ちょっとした旅先からでも絵葉書をくれるという事にとても感動したのを憶えてます。でも当時どうやって相手の手紙の宛先をそれなりに確保できていたのか、記憶の彼方です。
クラスで唯一、画面で表示された通りに印刷ができるマッキントッシュを持っていたから、よくクラスメートにせがまれて住所録を作っていた記憶があり、そして彼らがくれる住所は多くが実家のものでした。
そう言われると教会の礼拝とか、趣味のスポーツの集いとか、多くの活動の場所でも名簿というものが配られてましたね。そして携帯の無い時代の待ち合わせはシティハンターのように駅前の掲示板のところでしたね。
私は個人的にはブラームスがどこであのピアノの技術を取得したのか、本当に幼い頃の彼の練習風景が見たくてたまりません。裕福ではなくとも教育には本当にいい環境だったのでしょうね。
続編も楽しみにしています。😊
たしかに手紙ですから、「母がこんなこと書いてきたんだ」って見せたってことですね(笑)
でも、ヨアヒムと一緒ならお金がなければ一緒にコンサートすればいいわけで、どうやって心配性のお母さんを安心させられるかわからなくて困って相談したのかもしれません。
私は20歳前後がインターネットが一般化し始めた時期でした。モバイルではまだネットには繋げなかったので、列車の時刻表なんかは日本で調べて印刷して持って行き、急な変更は現地の人に教えてもらって、とやってました。
だからネタはいくらでもあって、ヨーロッパ旅行の旅先からよく絵葉書書きましたよ。手荷物の中に必ず住所録を忍ばせてた記憶があります。
ブラームスのピアノ技術はコッセル先生の努力の賜物かもしれませんね。毎日レッスンしてくれてたみたいですし。
ブラームスが同じく貧乏な家庭出身のドヴォルザークを全力で応援したのも、ブラームス自身が周りから助けられて世に出たからなのかもしれません。
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