戦国大名 勝率ランキングベスト5
Vložit
- čas přidán 25. 07. 2024
- 今回の歴史の細道は、『最強の戦国大名は誰だった!? ~戦国大名 勝率ランキングベスト5~』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
1:12 第5位
4:26 第4位
8:00 第3位
12:12 第2位
16:08 第1位
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脚本・監修:歴史の細道
#歴史の細道
~画像~
commons.wikimedia.org/w/index... - Zábava
上杉謙信と越後勢はもはや超常現象
そんな敵と人生の半分を戦った武田信玄と北条氏康も十分天才に入る
謙信は化け物
己も強く采配も天才
義にも厚い
信玄公取上げて頂き有り難うございます⤴️
「毘」「懸かり乱れ龍」の軍旗を見た敵陣は震えあがったでしょうね。
電光石火の進軍で敵を蹴散らす。
天才謙信公と越軍の精鋭部隊の強さは戦国随一でしたでしょうね。
謙信マジ軍神
元就マジ謀神
新潟の山から福島に抜ける長い道のりを車で走り、遠すぎてウンザリしたのを思い出しました。その時、戦国の世の兵卒はこんな道を行軍した挙句に戦闘したのかと、戦国の日本人の強さに感嘆しました。それと同時に、戦国期の貧弱な兵站では、謙信も信玄も中央に覇権をとなえることは無理と思いましたね。
家康みたいに、再起不能や滅亡しない負け方が大事なんですね
強いものが残るのではなく、勝ち残った者が強いと言う良い教訓になる。
家の近くに謙信が負けたというこの生野山があって、時々眺めて感慨にふけっているのですが、
謙信がいたか分からない小規模な戦いだったようで、謙信の負けには入らないかもしれません。
大名じゃなくて「武将」というなら、立花道雪とか吉川元春とか生涯無敗ってのは結構いるね
まさに軍神に相応しい謙信
個の力によるものだっただけに
謙信亡き後も納得の行く流れ
@黒いみWikiさん 上杉家が明治維新まで残ったことと謙信の才能には何の関係もありません。
関ヶ原で西軍が負けた時点で、上杉家が残ったのは徳川のさじ加減。滅亡していてもおかしくはなかった。
そもそも上杉謙信からして過大評価という印象です。
確かに戦術的な天才性というのはあると思いますが、幾度となく遠征を行ってほぼ全て失敗しており、その結果から逆算して「上杉謙信に領土的な野心はなかった」というご都合主義的解釈が広まったものと思われます。
実際のところは防衛線が長すぎて維持出来なかっただけではないでしょうかね。
@黒いみWikiさん 数百年後の日本人「この前田利益ってなんでこうも評価されてるんだ?特にこれといった働きもしてないのに…」
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関東遠征に関しては、謙信は反北条側の人からの要請で行ってるわけですから、謙信だけの判断で動きにくいですから。
古今東西、戦の勝敗が全てじゃないのは当たり前なんだけど、戦争に強いって単純に華がありますよね
『孫子』には「不敗」を保って勝つ、という一節があるが、元就はこの教えに従ったのだと思う。戦国乱世のようなライバル多数の状況では「致命傷を負わない」事が最重要であり、相手に隙が生じた瞬間に攻撃に転じる、というもの。勝率など意味は無い。致命傷さえ負わなければ再起のチャンスは巡ってくるので、最終的に勝てばよかろうなのだ。
謙信は感覚派のイメージ。株とかFXめっちゃ上手そう。
実際、謙信は経済センスがあって、金山や港や青苧を元手に結構稼いでいたみたいです。
謙信はあまり領土拡大はしなかったけど、その分家臣に十分な報奨金を与えていたと思われます。
もし謙信が現代にいたら、株やFX、すごく上手いかもしれませんね。
1位はやっぱりそうかっていう・・・納得。
上杉謙信は、たぶん本当に毘沙門天そのものだった。
世界戦史上最強の軍司令官。
謙信「大丈夫、鉄砲の玉のほうが避けるから」、謙信は異能生存体だったのかもしれん
き、キリコ…?(笑)
小田原城の包囲戦の際、謙信は鉄砲の射程距離ぎりぎりの場所の堀の近くに縁台をわざわざ作り、そこで酒杯を重ねたという。勿論、北条は謙信に狙いを定め盛んに発砲するが命中しない。まるで鉛の弾を酒の肴にして酒を楽しんでいるようだ。
置かれた状況の厳しさを考えると、というか、それ故に劣勢な立場でありながら何度も大軍を撃破している毛利元就親子はちょっと普通じゃ無い。
よき
7分36秒辺りでカッコで信勝ってあるから思ったのですが、信長の嫡男って信勝だったかな?信忠じゃ無いかと思う。後 家康と秀吉の勝率はいかほどでしょうか?
信忠ですよ
上杉謙信は領土的野心がないのでランキングにすると
そこがマイナスになってトップに立てないことが多いのだが 今回のランキングはうれしい。
あの人戦略好きだから敵に「今攻めればいける」と思わせたときは
「わざとスキを作って誘い込んでた」という仮説を聞いたことがあって 少しぞっとした。
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、
生きんと戦えば必ず死するものなり。
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、
自らに運を定めるべし。
上杉謙信
伊達政宗、北条氏康、島津義久の勝率も気になります
申し訳ないが勝率よりも相手と勝ち方負け方が重要だからなぁというお話になるのでな
長宗我部元親が入ったのは
大半は驚いているが
四国は他に強い大名が無いのも大きい
上杉謙信と毛利元就は流石の一言。
毛利元就
上杉対島津が、実現したらどうなったかな?
信忠(のぶかつ)
戦国格名門大名右腕(腹心)ランキングお願いします
ベスト予想
1位黒田官兵衛2位明智光秀3位太原雪斎
謙信スキェェ
まさか長宗我部が3位とは…流石出来人!
四国で戦ってますからねー
四国全部で尾張1国半だとか
ちなみに三河、遠江、駿河も合わせて尾張1国半ぐらい
和睦は引き分けにカウントされないの?
自分が率いた軍勢で100%勝っても奪った領土が維持できなければ意味がないどころかマイナスになりかねない
後北条氏の戦績も知りたいところです。
武田軍のイメージは猛将が多くて無敵で勝ちまくってたイメージ
信玄の3敗って上田原と砥石とあと何の戦いですか?
小岩嶽城の戦いというとってもマイナーな合戦だったかと。
@@user-nx9cb5ql7z
ありがとうございます☺
信玄(晴信)戦神
信長魔神
謙信(景虎)軍神
氏康防神
元就謀神
まじで、化け物過ぎる!
不思議なのは謙信と野戦した武将は武田信玄のみ。ほとんどの武将が避けているのは不思議。それぐらい強いということか?(手取川は除く)
佐竹家の文書で、「謙信が越山すると味方も怖れて城に引きこもった」とありますね。
強すぎて、城に引きこもり台風みたいに通過するのを待つしかなかったのでしょう。
信長といい秀吉といい家康といいビッグマッチに勝ってるのがデカいな今川、武田、本願寺、比叡山、北条、豊臣というビッグネームを葬っている!やっぱいくら小さい戦に勝つよりデカイ戦に勝つのが超重要
スプラトゥーンやってると、個々の強さもあるけど、やはり位置取りとか部隊の連携とか、とっても大切。
そして人数。
旧日本軍が銃剣道で体を鍛え、米軍がラグビーやってトレーニングしていたってのも頷ける。
昔から関東武者は個人技が強かったけど、集団の動きが下手だったから、個々人は弱い近畿武者を率い集団戦術を上手く使った楠木正成に翻弄されてしまった。
謙信、震源みたいに集団での動きが得意な指揮官がでてきたら、元々個々人の武芸が上手い板東武者は強い。
他の天下人の家康と秀吉が入らないのが意外というか面白いですね
家康の戦って対今川氏真戦、対浅井朝倉戦、対武田戦、対豊臣戦、基本コレだしなあ、なんだかんだ言ってめんどくさい戦ってほとんど信長が片付けてくれてるってのがある意味運がいいと思う、浅井朝倉、武田は織田と共闘だし、めっちゃ恵まれてる
勝ち馬に乗ったともいえるけど、
信長存命だったら最後どうなっていたかわからんよ。。
家康は小牧長久手の戦いが強烈でしょう
小牧・長久手は地震がなければそのまま戦いが続いていた可能性が高い
元就はともかく勝ちゃ良いってわけでもないのがよく分かる。負け方が上手いヤツが最後に勝つ。
謙信は勝率は高いが関東出兵ではほとんど成果を上げていない
元就の方が効率がよい
謀略で敵方の有力武将を敵将に消させたり、息子を他家の養子に送って事実上乗っ取ってしまうなど味方の損失を最小限におさえている
謙信って関東で部下たちにヒャッハーさせるのが目的っぽいからなぁ
越山して勢力を拡大しても北信、越中に問題がおこり越後に戻ると北条にオセロゲームのようにひっくり返されてしまう。三国同盟の信玄、氏康に連携されると分が悪い。
決戦などしたら負ける可能性が高いので、北条は決戦をいどまず越山した謙信が引き上げるのを待つ。
氏政にも勝てず関東から追い出されたからね。
関東諸将「敵に回ると厄介だけど味方にすると頼りない…」
戦国大名として見た場合、いかに勝つかよりも、いかに負けないかが圧倒的に重要だと思っています。
それを体現したのは、秀吉であり家康だったと思います。
常勝の天才よりも不敗の魔術師の方が数倍凄いということ。
勝てなくても負けなければ次がある。
ヤン・ウェンリーですね(^。^)
謙信が死ななくて織田軍と戦ったらどうだったろうなぁ?
信長が意外と負けていて
興味深い面白いテーマでした。
負け戦から何を学ぶか…というのは
今にも通じるものがありますね。
信長は包囲網があったから、しゃあない面もあるかな。多分大敗しない事が重要と思ってたのではなかろうか
信長は負けが多いけど、勝たなきゃいけない合戦では絶対に勝ってきた
基本的に1度負けた相手には2度と負けないっていう戦い方だったように思う(伊勢長島一向一揆は2回も信長を負かしたのは例外の部類)
経済力があるので戦いを何度も何度も挑んで相手を疲弊させて最終的に勝つ戦法です。戦術で勝つのではなく、経済力、土木技術など違う土俵で勝つのです
どんなに
優れた武将や
相撲なら大横綱
野球やサッカーなら
名将と呼ばれる名監督
大きなどんぞこや負けが
あるからこそ
功績や魅力が益すんだよ
織田信長の嫡男は信忠(のぶたた)だよね?
武田信玄、49勝3敗20引き分けで勝率681。他の戦国大名も同じ。勝率の定義が理解できません。
72戦49勝で勝率(勝つ確率)6割8分1厘(四捨五入)であってると思いますが⁉︎
引き分けを勝ちと判断するなら変わってきますが…
@@user-jb3mp6ct2j 教えていただき有難うございます。プロ野球の勝率計算方法では49勝÷(49勝+3敗)=9割4分2厘(四捨五入)になります。つまり、引き分けを除き計算します。なお、どちらの勝率計算方法がよいか議論する気はありませんので、これにて失礼致します。
川中島は「防衛戦」の時点で、上杉が撤退した時点で土地を護れてたら「勝利」だしねぇ・・・
戦の天才、謙信公。当然でしょう。
謙信公自身の強さも有れど当時の越後家臣団は智将猛将の集りまさに百戦錬磨の鬼侍…強い訳です
幸か不幸か、上杉謙信と武田信玄が近隣に居たから他の諸大名達が拡大出来たのかもしれませんね。負け難い両者がお互いを牽制しているから他に手が回り難かったのも有るかもしれません。
もし、両者が近畿と九州ぐらい離れていたらどうなったか。逆に成長する糧を失うので成長出来なかったのか…
ifの考察は無限に出来ますが、やはり天下人は天が決めるのかもしれませんね。
秀吉が直々に出張っって負けたことない気がするんだけどランキングにすら入ってないのおかしくない?
秀長も100戦不敗ですよね
おかしいなあ
勝率って普通は引き分けを無視しませんか?この計算だと引き分け=負けになってます。
勝率は「勝った確率」なので引き分けと負けは同じに括りますよ
引き分け=負けではなく、引き分け=勝ちではない。
と言う考え方ですよ。
勝率は普通、引き分け試合を除いて計算しますから負けには含まれませんね
スポーツとかやってる人がこの動画を見たら尚更違和感を覚えると思います
プロ野球だと、引き分けは分母にカウントしない
@@TS-in1hb何言ってんだ、こいつ
秀吉って負けた事無いと思ってたけど違うのか?
小牧長久手も完全勝利では無いとしても実質勝利みたいなもんだったし金ヶ崎もそもそも撤退戦だった事鑑みれば結果的に生還出来た時点で負け戦とは言えない気がするんだが
秀吉は戦国武将ではあるが、戦国大名ではないという解釈なのでしょう。本能寺後すぐに天下人になったから、実戦指揮は少ない。
負けが多いのはそれだけ攻めている証左。
勝率=結果ではない。8割勝率のナポレオン、9割勝利の項羽の末路を思うと勝ち負けは本当に時の運だと思う。
項羽はマジそうですね・・
四面楚歌の人だっけ
@@user-eh9fe3yl5v
項羽は四面楚歌でしたね。
西国無双の立花宗茂公は?
何倍もの織田オールスター軍が、七尾の長期戦で疲弊した上杉軍を怖れて常に引け腰ってのも凄いですよね。
実際両軍がぶつかった瞬間に大量殺戮されてるし。
長篠の戦いで、教科書には「これまでの戦い方は古いものとなり、新時代が幕開けた」みたいなことを書かれているが、その数年後に謙信槍部隊にボコボコに。
毛利家の家臣団の結束は異常レベルですね。
なにせ、関ヶ原で負けた時に、120万石から35万石にまで領地を減らされた際、
養えきれなくなった家臣団は、農民や平民に身をやつしてでも毛利家から離れなかったといいます。
そのため、農民であっても、平民であっても、我々は毛利の家臣だという誇りを失わず
武士として残った家臣も、農民や平民がかつての家臣であったことを分かっているので、
無下に扱わなかったといいます。
それが260年後、明治維新の原動力になっていきます。
太田道灌も戦国大名に入れて欲しい 生涯無敗
勝ち戦数が1位の謙信だが、土地も褒美も貰えない家臣が気の毒でならない。
嫡男はのぶかつではなく、のぶただでは?
謙信は行軍で体力も兵站も使いすぎで長所が活かせなかった?
上杉軍は関東出兵するのは決まって初冬で、その度整備されてない雪の三国峠を軍勢で越えたうえで
敵と戦っているんだから、どんだけ体力があるんだよって話。(ちなみに帰りも峠を越えて帰ります)
三国峠はあの「魔の山」谷川岳の付近にある。現在でも難所なのだから、当時は通過するのは大変だったと思う。しかし冬から春にかけ深い雪に閉ざされた越後から関東平野に抜けた時は、謙信も兵士たちも気分は結構、爽快だったのでは?と思う。
あの…小田原攻め同様、川中島も第一次~第五次まで謙信が出兵目的を敵に阻止されてる時点で「敗北」なのでは…?
信玄はもう少し負けてる上杉謙信に。
織田信長の嫡男信忠と書きつつ読みがのぶかつはおかしい
上杉謙信、毛利元就、島津義久かと思いましたが、島津が入ってないだと!?僕の知らない敗戦がいくつもあるのか?
勝敗についてはかなり恣意的に解釈できるのでどうなんだろうなあ
例えば川中島の第四戦は信繁が討死、戦死者の多い武田が戦術的に敗北(上杉が勝利)したが、北信濃を武田から奪うという目的で兵役を起こした上杉の戦略的敗北(武田の勝利)と解釈することもできるしもちろん引き分けという解釈もできる。
小牧・長久手の戦いは家康の戦術的勝利ではあるが、最終的には信雄を降伏に近い形で講和に追い込んだ秀吉の戦略的勝利とも取れる。
あとこのランキング、ひょっとして秀吉を対象に入れていない?秀吉の通算勝率は国内だけだと85%くらいあって文句無しに戦国大名の中で最強、海外入れても75%程度はあって上位に入っていないのはおかしいのだけど。
本やネットでは秀吉とか家康も上位だったと思うけど、どうやって勝率なんて出してるんだろ?自ら直接指揮した戦だけ?
光秀や秀吉の退き口なんかも負けになるのかな
戦国大名という括りでランキングしてるので、秀吉はあえて入れてないのかと。
あと家康は三方ヶ原や二俣城、一言坂なんかで負けてますし、あとは上田合戦もそうかな。徳川軍という括りだと。
引き分けが負け換算になってて草
毛利元就は九州に手を出して大友宗麟と泥……名勝負繰り返して消耗してなくて東に兵力向けてたら勝率もっと上がってたろうし信長もっと苦労してたかも。
耳川一発で評価下げてるけど全盛期の隆元健在の毛利元就とがっぷり競り合った大友宗麟はもっと評価されるべきだと思う。
結局は立花道雪、高橋紹運がいないと弱い大友だからなぁ
北九州を巡る戦いは宗麟主導だし基本的には宗麟は戦に強いにしてあげて良いと思いますね
@@user-zv5cr1hj4j そいつらいなくても島津の豊後侵略戦で島津撃退しまくってるけどな
何で引分けを負けとして計算しているのか?普通、勝率計算では引分けをカウントせず、勝ちと負けで計算するのでは?
上杉が1番です。
上杉謙信の強さは、その軍師である宇佐見定行に拠るところが大きい!
と、1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」をご覧の方ならば、誰しもが思うところでしょう。
近年の研究で、この『宇佐美定行』は複数説から実在しない架空説、さらに実在説・別人説まで入り混じって、
誠に面白い論争に発展していますので、歴史の細道さんも機会がございましたら、是非、取り上げて戴きたい人物です!
私としては戦国武将の中では武田信玄、北条氏康や、織田信長とか最強と思う
嫡男信雄!?
武田信玄の考え方は日本の近代史にも通じると思います
日本海海戦の少し前 日本海軍とロシア海軍は何度か交戦状態になっていて日本海軍は列強ロシアを取り逃がしていました
そこから猛訓練をして(訓練のたびに殉職者がでたとか)バルチック艦隊を撃破に至りました
日清戦争では清国は当時世界最強の戦艦(日本の主力艦を1発で致命傷または撃沈できる)を保有していましたが結果的に日本に破れました
太平洋戦争でも真珠湾攻撃、マレー沖海戦などで連勝を重ねた結果が油断となり油断を重ねて日本海軍の主力空母を失い防戦一方になりました
戦国時代のような鉄砲すら近代的な武器も充実してない時代でもトップや指揮官の立場からは学ぶものがありますね
週明けに社長に上杉謙信の話をしてやります
「社長も社員と同様に前線に出たら士気上がりますよ!」と! 実際には出てきても邪魔ですが…笑
ありゃ、きみ、那須与一と同じで東郷さんが強運に恵まれただけじゃよ。無論、実力あっての強運じゃが。
まあ、司馬遼太郎の受け売りっちゃあそうだが。しかし、開戦一発目のラッキーパンチが効いたのは史実。
真珠湾で見事な奇襲作戦を草案した源田実にせよ、日本海海戦でT字戦法を起案・奏上した秋山真之にせよ、
日本海軍にはどこか大和魂が一貫して脈付いておる!まさに『本日天気晴朗ナレドモ波高シ』じゃ!
信玄…長野業平に6回攻めて6回撤退を余儀なくされています
業平ある限り攻め取れないと嘆いてます
+6回は最低でも負けてます
謙信は戦闘の際、常に騎乗し自軍の間を走りまわり、時には最前線にも現れ、作戦の細かい指示を与え続けたという。通常は大将は後方の陣に待機し、そこから指示をあたえるものだ。だから、北条、信玄や秀吉のような大軍団は指揮できない。せいぜい数千人が限度だろう。しかし野戦では少数でも自在に軍団を動かすことが重要だ。川中島の戦いでは、まさに謙信が信玄の「風林火山」のお株を奪うような作戦を実行している。
嫡男信勝?違いますよね?
戦は目的じゃないからな、戦わずに政治目的が達成できればそれに越したことはない。100戦100勝は下策。
上杉謙信と互角に戦い、ほとんど負けていない、家康も信長も恐怖した武田信玄が1番だと私は思う。
武田にとって戦略的にコントロールした引き分けなので、勝率の中に単純に引き分けを入れるのもいかがなものか。
約80戦全勝生涯無敗の大名がいないよ?何故?マイナーだからかな?
立花かな?彼だけが無敗で西軍で唯一大名に返り咲いた人物
やっぱり第一位は謙信です
現代の自分の立場しか考えてないクズより、
謙信様の全体の状況判断をできる人間性のほうがよっぽどずばらしいわ!(;_;)
みんなのことをものすごく考えてるわ!
引き分けの扱いをちゃんと決めていないので、ランキングとしてはあまり意味のない動画になってしましましたね。5大名家の紹介としてはいいですが。
最低勝率ならやっぱり小田氏治?(笑)。
長曽我部は以外。島津入ってると思った。以外と負けてるの多いの?
木崎原の戦いや耳川の戦いなど派手な勝利が目立つけど局地戦では伊東や大友に負けまくってる
猛将島津義弘も伊東との戦いで死にかけてるからな
上杉謙信って佐野昌綱が守る唐澤山城を10回近く攻城しても落とせなかったんじゃなかったっけ?
それは含まれないのですか?
以下の内容で、謙信敗北とするには無理がありすぎる。
永禄3年2月の戦闘:北条に責められた佐野昌綱が、謙信に救援要請し撃退(勝ち)
永禄4年2月の戦闘:昌綱、北条に寝返り。タイミング的に雪に閉ざされる為謙信撤退
永禄5年3月の戦闘:神保氏の反乱がおきた為撤退
永禄6年4月の戦闘:謙信の攻撃により唐沢山城開城(勝ち)
永禄7年2月の戦闘:昌綱、再反抗も降伏(勝ち)
永禄7年10月の戦闘:昌綱、第5次川中島の際に再離反も降伏。人質差し出す。(勝ち)
永禄10年2月の戦闘:降雪の為撤退。攻略できず(撤退)
永禄10年3月の戦闘:雪解けを待って唐沢山城再攻略。(勝ち)
元亀元年1月の戦闘:攻略せず撤兵。北条との和睦成立で攻略の必要なくなる。
撤退してるのも負けてるからじゃなく、雪で閉ざされるから帰ってるだけだし。
@@igaga-sp2132 それWikipediaで編集してほしいです。ぜひお願いしますね。Wikipediaや地元での話で聞いただけだったから詳しい内容ありがたいです!早速、Wikipediaの編集頑張ってくださいね!
負けと引き分けは同等ですか・・・。野球なんかだと、49勝3敗20引き分けは、勝率.942になるんですが^^
さおりさんは?
やっぱり上杉謙信だね❗
上杉謙信が好きで、毘沙門天を信仰してるw
謙信信者ばっかりで草
あれ立花宗茂も確か柳川城で降伏以外は無敗じゃなかった??
まあ大津城は落としてるし、その後の柳川城での戦いを敗北としてカウントしていいのか分からないが(西軍敗走後の為戦っても戦わなくても戦況が変わらない為)
勝率ってことなら吉川元春が浮かんだのですが、大名というくくりだろうなと。
逆コツコツ、ドカンっていう人もいるよね(ここいちで勝てるか)
謙信の織田軍弱い。天下これなら簡単に取れるって一言が狂気だよね
勝率を理解して無いやつ多すぎて草w
上杉謙信は多功ヶ原の戦いで宇都宮勢に破れ敗走し、太田資正が仲裁に入っていますが、
これって数に入ってないですね。
上野国まで敗走したと伝わっていますが、そこまで追撃したのかは疑問。
この時は謙信単独でなく、佐野豊綱との連合軍で、先陣をきった佐野勢が大敗北を喫した為、
謙信が諦めて兵を撤退させた、という経緯ですが、その後の謙信への追撃についてはおっしゃるとおり、
後世の脚色があり、信憑性が問われるかもしれません。
佐野の負けをもって、戦ってなくても、連合軍だった謙信も同様に負けとするかは判断する人間次第ですね。
真の一位は薩摩の島津義弘です
大名だったらこうなりますよね(*´ω`*)武将だったら吉川元春なのかな?
信玄どこ見てんねん😥
引き分けで励みになるわけないだろう、引き分け多すぎるのはほぼ賞金抜きのタダ働き