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懐かしい光景です。EF64、EF64 1000の以前はED16やEF15がゆっくり貨物列車を牽引していました。1998(平成10)年の夏(8月)最終の石灰石貨物列車を最後に、貨物列車は奥多摩駅までやってこなくなりました(青梅線の貨物列車は拝島までの米タン列車が残るのみです。)。浜川崎から南武線を経て青梅線全線を走る石灰石貨物輸送はこれでその歴史に幕を閉じました。奥多摩の石灰石輸送はその後トラック輸送に切り替わりました。過行く時の流れを感じます。途中の青梅線や南武線では風の強い日などには、このホッパー車から凄まじい石灰の砂ぼこりが立ち上がっていたのが印象的でした。この光景ももう記憶の彼方に追いやられてしまいました。奥多摩駅の旅客電車用のホームの線を除いて、この動画に映っている貨物列車用の入れ替え線はすべて撤去されてしまいました。今は自動車用の駐車場になっているようです。一抹の悲しさを感じます。
懐かしぃぃぃ
とても懐かしいです😭私が幼稚園の頃父親に氷川(奥多摩駅)に石灰輸送列車見に連れていって貰いました。
奥多摩駅って昔はこうだったとは知りませんでした
自分は羽村に勤務してます。会社に入社した頃(1984年)は、拝島駅の側線には石灰石列車がたくさん停まってました。牽引機関車は引退間近のEF15やEF64、EF65でした。また、八高線にはホキ5700とタキ1900のセメント列車をDD51重連が通過するのも見てました。
電気機関車の前に作業員が乗ってるのがカッコいい。
懐かしい…幼い頃青梅駅で見ました。
大きなEF64が引いてきた貨車を、小さなスイッチャーが狭いホッパの中へ引き込んでいく姿の対比が印象的ですね。
40年くらい前はED16が深夜4機集結していたのが奥多摩駅でした。
昔、奥多摩の親類宅へ遊びに行くと、夜になっても止まないホイッスルが山間にこだましていたのを思い出します。
この入替用ディーゼル機関車、奥のホッパー施設の建築限界の関係で、屋根が平らなのが特徴的だったね。
石灰輸送列車の廃止から21年後の2019年に初めて奥多摩来訪をしたが、今も広い駅構内は残っていて、工場もそのまんま残ってるし、石灰輸送列車が走っていた時の雰囲気はありましたね。
この頃の山盛りホキを動画で見られて嬉しく思います。
私が奥多摩駅に行ったときはED16が牽引していたな
盛者必衰とはまさにこのことを言うのでしょうか?頻繁に貨物が行き交っていた奥多摩駅構内も、架線が取り外され、本線との接続部分や一部のレールも撤去され、寂しさだけが残りましたね。完全にレールが撤去された現在の様子も知ってますが、架線や一部のレールだけが撤去された様子を映したこの動画の方が、かえって寂しいですね。
Great video!
ホキの中には美濃赤坂矢橋転属になって相変わらずロクヨンに引かれて名古屋を走ってるのもいるんでしょうね。
Interesting video 👍
青梅線の先の方は線路に余裕ができたのにこの後に減便でしたっけね。
当時、貨レが廃止になるとは思わなかったわ!
懐かしい光景です。EF64、EF64 1000の以前はED16やEF15がゆっくり貨物列車を牽引していました。1998(平成10)年の夏(8月)最終の石灰石貨物列車を最後に、貨物列車は奥多摩駅までやってこなくなりました(青梅線の貨物列車は拝島までの米タン列車が残るのみです。)。浜川崎から南武線を経て青梅線全線を走る石灰石貨物輸送はこれでその歴史に幕を閉じました。奥多摩の石灰石輸送はその後トラック輸送に切り替わりました。過行く時の流れを感じます。途中の青梅線や南武線では風の強い日などには、このホッパー車から凄まじい石灰の砂ぼこりが立ち上がっていたのが印象的でした。この光景ももう記憶の彼方に追いやられてしまいました。奥多摩駅の旅客電車用のホームの線を除いて、この動画に映っている貨物列車用の入れ替え線はすべて撤去されてしまいました。今は自動車用の駐車場になっているようです。一抹の悲しさを感じます。
懐かしぃぃぃ
とても懐かしいです😭私が幼稚園の頃父親に氷川(奥多摩駅)に石灰輸送列車見に連れていって貰いました。
奥多摩駅って昔はこうだったとは知りませんでした
自分は羽村に勤務してます。会社に入社した頃(1984年)は、拝島駅の側線には石灰石列車がたくさん停まってました。牽引機関車は引退間近のEF15やEF64、EF65でした。また、八高線にはホキ5700とタキ1900のセメント列車をDD51重連が通過するのも見てました。
電気機関車の前に作業員が乗ってるのがカッコいい。
懐かしい…幼い頃青梅駅で見ました。
大きなEF64が引いてきた貨車を、小さなスイッチャーが狭いホッパの中へ引き込んでいく姿の対比が印象的ですね。
40年くらい前はED16が深夜4機集結していたのが奥多摩駅でした。
昔、奥多摩の親類宅へ遊びに行くと、夜になっても止まないホイッスルが山間にこだましていたのを思い出します。
この入替用ディーゼル機関車、奥のホッパー施設の建築限界の関係で、屋根が平らなのが特徴的だったね。
石灰輸送列車の廃止から21年後の2019年に初めて奥多摩来訪をしたが、今も広い駅構内は残っていて、工場もそのまんま残ってるし、石灰輸送列車が走っていた時の雰囲気はありましたね。
この頃の山盛りホキを動画で見られて嬉しく思います。
私が奥多摩駅に行ったときはED16が牽引していたな
盛者必衰とはまさにこのことを言うのでしょうか?頻繁に貨物が行き交っていた奥多摩駅構内も、架線が取り外され、本線との接続部分や一部のレールも撤去され、寂しさだけが残りましたね。完全にレールが撤去された現在の様子も知ってますが、架線や一部のレールだけが撤去された様子を映したこの動画の方が、かえって寂しいですね。
Great video!
ホキの中には美濃赤坂矢橋転属になって相変わらずロクヨンに引かれて名古屋を走ってるのもいるんでしょうね。
Interesting video 👍
青梅線の先の方は線路に余裕ができたのにこの後に減便でしたっけね。
当時、貨レが廃止になるとは思わなかったわ!