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乃木は明治天皇から褒美は何がいいって聞かれたときに死を賜りたいと言ったくらい真面目な人だから。
乃木さんにこの動画見せてあげたい
旅順で勇戦した一戸兵衛少将は「自分は戦いながら、軍司令部はわけのわからない命令ばかり出すと思った。」と言って、その言葉は坂の上の雲でも出てきます。ところがその言葉に続く「だが自分が(奉天会戦後に)第三軍参謀長になって作戦日誌を読み返してみれば、軍司令部の作戦指導は妥当だと思った。」という言葉は坂の上の雲には出てきません。
実際に旅順要塞を見に行ったことあります。今はあちこちに木が生えてますが、当時は要塞から日本軍側を見ると、遮蔽物が少なく、十字砲火の餌食にするにはもってこいの地形だったと思います。事前情報も不正確なうえに準備不足な中で攻撃すれば大被害になるのも仕方ないです。
背景の掛け軸の「現場はつらいよ」の言葉が意味深いですね。動画に登場する掛け軸が語る言葉のセンスの良さに感心してしまいます。
乃木さんの息子さんは二人とも陸士卒業後日露戦争で戦死されています。次男は203高地で戦死。
クリミア戦争のせバストポリ要塞を攻略したイギリス人は、セバストポリより強固な旅順を攻略出来ないと思っていたのに半年ほどで攻め落としたのは奇跡としか思えない。
見ごたえのある作品、ありがとうございました。現場はほんとにつらいですね、心に沁みます♪♪
愚将ではないかもしれにが、上からの命令に対して愚直にに従うだけの凡将。
情報伝達の重要性がよくわかる話だぁ
本当にそれですよね
乃木大将って言うと司馬史観、というかそれを曲解した人たちの最大の犠牲者ってイメージ。「坂の上の雲」で初めて知ってなんで無能とか言われてる人が神社に祀られてるのか謎だったけど、後々詳しいこと知った時全部ひっくり返りましたよ。一次大戦の段階では旅順攻囲戦が近代要塞攻略の唯一の前例で、前線で必死に研究してた指揮官がいたとかいう話も聞いたことありますし。あとロシア側は負傷兵まで前線に送らないといけなかったって話もあるし、死傷者における死者率で見たら余裕で日本側を上回ってるんじゃないかと考えてみたり...
このやり方で負けたから、第一次世界大戦では、ブルシコフを総司令官としたブルシコフ攻勢で、ステッセルは軍司令官としてオーストリアハンガリー帝国の塹壕線突破に成功しています。日本軍の浸透攻撃を学習した成果です。
旅順を後背に置き捨てて北上、なんて危険な選択はありえないので攻略は当然、この短期間にこの「少ない」損害で落とせたのは素晴らしいことです...と認識したのは司馬さん死去後。商売の都合で売れっ子作家に意見できない環境は(海音寺潮五郎でさえ、名前を伏せて批判せざるを得なかった)、あとあと作家にも愛読者にも悲しいことになりますね。
機械力の発達した第二次世界大戦時のセバストポリ要塞攻撃も、マンシュタイン指揮の第十一軍でさえ、外郭到達から攻略まで八か月ぐらいかかってるし、損害も乃木第三軍に匹敵するぐらい出した。つまり、乃木さんはTIMEの表紙にもなったあのマンシュタインに匹敵する有能な司令官と言える。
@@user-fb3oq9jq3d n
司馬氏が書いた物を頭から捨てないと事実もへったくれもない。司馬氏の書いたことが「事実」として認知され、孫引き・曾孫引きで他の小説や文献に流用されてるっておかしいだろ(某タレントも「司馬氏の書いた事だから事実だろ」なんて言い出してるし)。
日本軍の航空技術が発達したのは、旅順要塞の中を調べる方法がなかったからです。そこで航空技術の研究に力を注ぎ、第一次世界大戦の青島要塞攻略線では、水上機母艦若宮丸に水上機を搭載し、航空偵察と爆撃をしてます。
大体、司馬遼太郎のせい?
単なる小説を歴史書の様に勘違いし歴史的評価を捻じ曲げられた幾多の故人
でも司馬遼太郎が正しかった稀な事案という評価もある。
はあ、ソースはよ。
『坂の上の雲』はもともと昭和40年代に産経新聞に掲載されていた連載小説でした。ファンタジー的な表現のない作品ですし当時のことですから、多くの人が疑いもなく「新聞に書いてあるから事実」と信じたのでしょう。
戦後GHQの教育とか報道の影響で日本に否定的な情報を信じやすいようなバイアスがかかったりもしてたんですかね。
だるまさんがころんだ、の別バージョンで「乃木さんは偉い人」というのがありました。半世紀前のお話。
この後、乃木大将の第3軍は奉天会戦へも参加し、傷ついた部隊で敵の強力な部隊と戦闘に勝ってます。乃木大将はロシア軍から恐れられて、乃木大将のいない方面へ精鋭部隊で攻撃をかけよと考えていたのですがロシア軍も情報が間違っていて乃木大将に攻撃してしまいました。主が言ったように第一次世界大戦の西部戦線はもっと地獄でした。有能な将軍ででしたが、司馬遼太郎の小説で愚将扱いされて気の毒です。乃木大将の最後は本当のラストサムライだったと感じます。この時戦ったロシア軍が、コサック部隊でウクライナの人たちです。コサック部隊はロシア軍でも優秀な部隊ですが遥か東方の地で戦うというのがロシア軍のウクライナ人の扱いです。旅順要塞での日露軍人たちの写真は、乃木大将は敗軍の将への配慮もできた立派な軍人です。
司馬遼太郎は小説家・・・作り話屋さん・・・であって「歴史家」ではない。記録と記録の行間を勝手な妄想で埋め尽くしているのが「歴史小説」というやつだ。つまり、小説はエンターテイメントであって史実ではない。小説「坂の上の雲」では乃木を徹底的にやられ役・児玉源太郎の引き立て役にしたてられていた。
乃木第三軍が奉天に向かう途中で黒溝台会戦が始まりました。乃木軍の一部支隊である秋山支隊が黒溝台会戦に機関銃部隊として大活躍、ロシア軍を押し留めている間に乃木本体は奉天に到着。慌てたクロパトキンは黒溝台のロシア軍を急遽撤退させ、黒溝台の危機は去りました。つまり乃木将軍はクロパトキンの動きを読み切って、黒溝台の危機を緩和したのです。黒溝台を抜かれると日本軍は横合いから攻められる事になるので乃木は日本軍の大ピンチを救ったわけです。
映画203高地は司馬史観で見てしまうと乃木さん何やってんだ児玉さんすごいってなるけど見返してみるとちゃんと日本に砲弾要請してるし塹壕を掘って攻めてる描写があるんだよねそれでもどうしようもない犠牲を払わなければならない大将と兵士の悲哀のようなものが描かれてて、改めて名作だなと
防楯もちゃんと持っていますよ。当時としては、最高水準の要塞攻略戦をしています。
乃木将軍の肌が白かったら、ナポレオン並みの名将扱いだと思う。
乃木愚将論は、今じゃ某ファンタジー作家さんの評価を下げる要因になってるよね。
戦争に勝てば、政治家の手柄。戦争に負ければ、軍人の責任。
旅順攻防戦を見た観戦武官「機関銃と鉄条網による要塞に対して従来の突撃戦法では攻略不可」報告を受けた欧米各国の軍部「弱小の日本兵だから苦戦しただけで我が軍の精強な騎兵突撃でそんなもん簡単に蹴散らせる」なおWW1
旅順攻略戦を辺境の特殊事例なりと馬鹿にしたがゆえの悲劇>WW1
下瀬火薬が完成するまでは日本軍の榴弾は不発弾が多かったみたいですね
日露戦争の機関銃に関する誤解の一つに、ロシア軍は使ったけど日本軍は使わなかったというものがあります。日本も大規模に機関銃を使用しており、兵力8000で10万のロシア軍を撃退するなど大きな戦果を挙げています。機関銃は重く人間が手で持って運べるような代物ではないので、堡塁に籠るロシア側は事前の設置が可能なものの、砲火の中で山を登る日本側は持って歩けないというのが実情ですね。また旅順の各堡塁上には機関銃は僅かしか無く(堡塁の外堀内に侵入した敵兵を掃討する為に、外堀の側面に設置しています)、代わりに大砲が無数に設置されており、各堡塁の相互支援による榴弾の雨で日本兵は大損害を受けました。12年後のソンム戦で英軍が一日2万近い損害を出したように、機関銃が真価を発揮するのは独軍による十字砲火の発明の後で、対策として生まれたのがソンム戦終盤で投入された海軍の陸上戦艦こと菱形戦車です。
乃木さん可哀想すぎる
物書きが語る事柄では歴史と戦史は語れないのでしょうね。戦史はとことんリアリズムですしね。そして「世論」も大きいですよね。
話題のマンガ「ゴールデンカムイ」で主人公の杉元が "不死身" と呼ばれる契機になったのが、この旅順攻防戦でしたよね。
日本軍も機関銃仕様してるだよね❗空冷式機関銃ホチキス機関銃を仕様してる。ロシアの機関銃はたった54丁しか持っていない❗水冷式機関銃マキシムは手入れが大変だった
機関銃で撃たれたら痛かったやろうなあ
最新の要塞をむしろこの程度の被害で落としたのは乃木将軍は有能でしょう
自分の息子。二人死なせてるんじゃ無かった~結論→無能
この程度のソースはよ 被害が出たら負け おまいが前線行けわ
前戦行く気がないやつが湧くのはデフォ
@@noribogy6720長男は第二軍の所属であり乃木希典の指揮云々に関係ない。まして前線にたつ下級将校に戦死のリスクがあるのは当たり前
上の人たちは現場の兵隊の命をなんだと思ってるのかなぁ…
最近の研究に基づいた旅順攻略戦をわかりやすく解説していて素晴らしいです。乃木将軍は拠点を確保しながらじわじわ行くつもりだったのを司令部が無理に攻撃させたようですな。悪いのは伊地知という参謀だったらしく無理な作戦をやらせようとしたりこの人海軍が大砲を支援しようとしたのを面子で最初は断ったらしい。乃木将軍は性格が真面目すぎて貧乏くじを引かされた感じですね。
伊地知幸介も無能ではないからな?
物語では無能に描かれていても有能ですよ。早く落とせとせっついてるのに設置に時間がかかる大砲を持って来ようとしてたから文句位いうでしょう。現実も砲弾の数が足りてませんから、要塞を攻撃を命令されること自体が無謀です。
それな、私もガキの頃信じてしまっていたのだけど、司馬史観の乃木三軍無能と言う思いと史実の乃木有能でゲシュタルト崩壊起こした司馬史観派が、じゃあ伊地知に責任おっかぶせて第三軍無能説を貫こうぜって流れで生まれた説なのであんま流布しないほうが良いですよ。第二の風評被害の犠牲者生んでるだけだから。
長篠で織田徳川に敗れた武田みたいだけど、勝ったんだよな。
司馬遼太郎の浅薄な考察のせいで乃木将軍の苦悩苦労が無にされ、貶され・・・なんともやりきれないですな。
わざとだとではないでしょうか。攻撃側と守備側の兵力を記載していないのは無能のレッテルを貼りたかったためと思います。
レポ船の解説お願いします。
乃木将軍の愚将論は作家、司馬遼太郎氏の名著「坂の上の雲」の影響が大きいです。ただ「坂の上の雲」はあくまで小説で史実ではありません。小説ですから起承転結が必要で、愚将のせいで味方に被害が出ているが、友人で上官でもある児玉源太郎が一時的に指揮を執り状況を打開するという。ストーリーの方が劇的なのです。ではなぜ乃木将軍を愚将としたかというと、他の将軍たちは皆子孫がいらっしゃいますが、乃木将軍だけはお子さんが二人とも戦死なされて、子孫がいません。前記の理由で乃木将軍を無能として書いても文句が子孫から言われる恐れが無いのです。好きな作家ではありますが、こういう所はちょっとなと思います
自分は司馬遼太郎の乃木大将愚将論の浅薄さを批判したコメントを書き込んだことがありましたが、司馬遼太郎ファンから意味不明な擁護論を返されて数秒間時間が止まってしまいました。ファンや信者という人種には、事実の指摘が地雷となるようです。
司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中にこの作品は失敗作だと思ったのか、生前は『坂の上の雲』の映像化をを許可を出さなかった。旅順攻防戦には海軍のエスコートの失敗で、旅順に送る攻城砲の部隊を乗せた輸送船をロシア海軍によって沈まれさせられたので海軍が所掌された28センチ榴弾砲と、戦艦から福砲をおろしても旅順に送っていた。また大本営には流散弾ではなく、着弾した時破裂する榴弾を送ってくれと具申するも榴散弾9割、榴弾1割の補給には変更がなかったとの事。第二次総攻撃の時は塹壕戦の訓練を受けていない工兵が、塹壕を掘ると言うぶつけ本番で行われています。第3軍の乃木大将と参謀は無能ではなく、優秀な指揮官だったのです。旅順戦は要塞攻撃に必要とされていた期間を当時の概念をとする恐るべき早さで攻略しています。旅順戦の前哨戦の南山の戦いでは、日本軍将校、欧米の観戦武官が驚く3万2千発の砲弾が使われています。
司馬遼太郎は偉大な作家だけど、好き嫌いが激しすぎるんだよなー乃木希典を描いた作品「殉死」の中でも、乃木が嫌いと明言してるし。その背景には、大戦に参加した経験があって、陸軍に対する非常に強い憤りや恨みがあったと思う。その愚かな陸軍上層部を形成した源流は山県有朋から脈々と流れる長州閥にあると考えており、その中でも日本の誉れと(世界的に)讃えられ陸軍に大きな影響を与えた乃木希典を受け入れられなかったんじゃないかな。自分の故郷には乃木将軍の生家があり乃木神社となっていて、乃木将軍の石コレクションが展示してあるよ。小学校の校歌には乃木大将が出てくる。戦果だけでなく乃木の持つ明治を代表する偉大な精神性に、再度注目が集まると良いな。爾靈山の命名は天才というか名将というか、言い表せないほど非凡。
『その背景には、大戦に参加した経験があって、陸軍に対する非常に強い憤りや恨みがあったと思う』これ私もそう感じますね。
従軍した人達の中で陸軍を批判する人は居ても、海軍を批判する人はあまり見かけないな。(実際はどっちも対して変わらんのに)
@@user-rv6jx9nq7f 海軍は志願であったのと陸軍は徴兵だった事の違いではないでしょうか。それと、学徒動員で出征した人達やその親が発言力があったのが大きいのかも
@@TN-qz6hj 戦前のインテリが通った大学に軍事教練が有り、陸軍から予備役寸前の将校が配属されて居て配属将校が軍事教練でエリート気質でプライドが高い学生に対してシゴキやビンタをして恨みを買ったから戦後に学生は政財教育界で牛耳る立場に成ったから陸軍を徹底的に悪にしていた。
@@73moto 本来、高等教育を実施してる学校の軍事教練は、徴兵免除の代わりに受ける事になっていたはずなので、徴兵された人に比べりゃさほどの事はないんじゃないですかね。それにしては、その恨みを持った人達が、体育会系について文句言わない不思議
陸軍視点はすごく丁寧に解説されてて素晴らしい動画と感じました。ただ、なんで海軍視点が雑なんだろう、と少々疑問に。航空機もドローンもスパイ衛星もないご時世に戦闘継続中にノコノコと旅順艦隊の被害状況を確認できる訳がないでしょう。あと日本海海戦が予想より遅れたのはロシア側の不手際による結果であり、ザル予想だったからではありません。
旅順要塞陥落時点で、ロシア側にはまだ1年ぶんの食糧備蓄があったらしい。
でも、兵士が足りなくなっていて、警備の兵しか置いていない堡塁がいくつもあった状態でした。
肉類については降伏時点で僅か1日分だったと聞きます(しかも最終的には馬肉しかストックがなかったとか)他の西洋人同様にロシア人も肉食民族でしたから穀物がいくらあっても肉なしは耐えられなかったのでしょう
乃木司令官と伊地知参謀が固執したのは望台ではないすでに完成している盤龍山松樹山二龍山東鶏冠山の正面堡塁の連山なぜならこれを無視して203高地を始から主目標としていたら大連、南山からの補給路が絶たれ側面砲撃によって第三軍が壊滅する28サンチ砲は呉の岸壁に設置していた地対艦砲陸軍の大砲じゃ沈められないから第二次総攻撃に203高地が攻撃目標の一部に入ったのが理由かどうか知らないが援護のためにそれを引っ剥がして旅順に持って行ったんだ海軍からの要請から始まった旅順攻略戦海軍がき協力しないわけがないそれを入れなかったのは尺の問題ではなくあなたのリサーチ不足
旅順のロシア軍はもやしを作ることを知らなかったから、倉庫には大豆が山のようにあったのにビタミンC不足でみな兵士が壊血病となり戦意喪失で敗北したとも言われています。もっともかたや日本軍は白米ばっかり食べていたので脚気になり、脚気死亡者が戦死者を上回っていたそうなのでどっちもっどちかな。
海軍は柔軟に対応したのに陸軍幹部は頑なな輩ばっかりだったからねぇ。
森鴎外が問題となるアレですな。
兵役の売り文句が軍に入れば白米が食べられるだったので脚気対策で麦飯にしたら大変なことになるという事情もあったようです。
モヤシを作ってビタミンCの補給というノウハウは1920年代以降に見出されたようです
@@user-uz3fg4ux1x 森鴎外は確かに脚気細菌由来論者の一人ではあるけど、彼以外にも見られた陸軍軍医界の主流だったし、日露戦争時は第二軍の軍医長の立場だったので脚気続出の全責任が森にあるかというとそうでもない(一翼は担ってはいるが)
乃木大将を愚将扱いした司馬遼太郎及びその元を作った日露戦史作成者の軍人の罪は重い。今日の我欲にまみれた政治家を見るにつけ、乃木大将はもっと称えられてしかるべき。
バルチック艦隊が1月に来るって言うのはスズ運河を通っていた場合の話なんだろうか?バルチック艦隊が北海でイギリス漁船を攻撃した精でアフリカ大陸を回るようになったから5月にずれたのかな
陸軍にはっぱかけるために言ったんじゃない。もともとバルチック艦隊は旧式艦を置いてきたからどちらにしろ喜望峰周りだよ。おいてきた艦隊を皇帝がわざわざ増援として送ってくれたから(こちらはスエズ回り)到着が遅れたけどね。
司馬が戦争のなんたるか指揮官のなんたるかも知らないのに…事実であるように小説書いたから……司馬って本当に物書きとしてモラルがない邪道作家…
福岡徹の(軍神―乃木希典の生涯)と司馬遼太郎の(坂の上の雲)の影響が大きいです。
どんな時代もお偉方は現場の事は見えてないのね😭
新作ありがとうございます創作ですがクトゥルー神話も取り上げてほしいです
旅順攻略戦で乃木第三軍が大量の犠牲者が出た要因に陸軍上層部が旅順要塞の情報収集を怠った事と日清戦争での賠償金で軍備増強したが、正面装備を優先して大砲の弾薬生産数を日清戦争で消費した基準で行ったので弾薬不足に成った。
十九世紀一杯までは、弾薬の消費量は大したことなかったので(クレフェルト『補給戦』受売り)、砲弾の準備量については不見識とは言えないでしょう。海軍と早くから意見交換していれば、旅順要塞研究も深くなった、でしょうね。
@@user-fb3oq9jq3d 日本陸軍は過去に西南戦争で白兵戦では強い西郷軍に対して徴兵が主力の陸軍は白兵戦に警視庁抜刀隊を投入したり歩兵の射撃弾幕や砲兵による砲撃で西郷軍を火力で圧倒したのが有ったから火力が重要だったのは体験した筈だから、日露戦争前に弾薬の備蓄を重視をしなかったのは残念だった。
@@73moto 近代ドイツ兵学を学んだ世代は、西南戦争に従軍していないので(東條英教は出征)、身に染みていなかった。というか、恥ずべき悪例と捉えていたのでは?「山縣の作戦指導が悪いからあんなに無駄弾使った、巡査まで投入した、天保頭のじじいはだめだねえ」と。
@@user-fb3oq9jq3d 山県有朋は幕末に馬関戦争で欧米四か国連合艦隊の砲撃で長州が敗れた事で銃や大砲の火力が重要だと学び、幕府の長州征伐で山県は高杉晋作が創設した武士以外の百姓や町民等を主力にした奇兵隊の幹部で戦いミニエ銃を主力として戦い幕府に勝利して、明治になって陸軍を創設して徴兵を主力としての基礎を作った大村益次郎が暗殺された後は山県有朋が引き継ぎ長州の陸軍になった。
@@73moto 山縣、司馬さんには嫌われてますが、昭和天皇は名将と評価(出典は忘れました)。人を見る目はあるし、原敬にも聴くべき点は入れる。
今も昔も上層部は変わらないよね(。-_-。)
昔から現場の人間に厳しいな。個人的にはインパール作戦とかも牟田口廉也だけの責任だとは思えないので再評価とまではいかなくても少しくらいは汚名返上させてやってもいいと思う
有能と言えなくとも、せめて寺内や河辺、佐藤や藤原達の責任もある事を言って欲しいな。
牟田口はインパール作戦中愛人としけこんでいたのでダメです。
他に無能仲間が増えるだけの話で結局のところ牟田口はダメだろ。
@@ki709 それは人間性の問題であって、軍人としての評価は別。
坂の上の雲の影響で愚鈍な将軍イメージができてしまって自分もそう思ってたけど。坂の上の雲だと児玉源太郎がやってきて28サンチ砲を運用するという天才の采配で勝負がついた、という感じだったな。
乃木の参謀伊地知がアホだったせいって書いてあった気がする
一番の敵は無能な仲間とは理不尽な事実ですね
坂の上の雲読んだけど乃木希典ボロクソに書かれてたな
お待ちしておりました!(^o^ ∋ )卍ドゥルルル
戦争は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!だが・・・事案は現場じゃない!会議室で起きているんだ!!!ってか・・・
そこは「戦場で起きているんだ!」では?
クラウゼビィッツは『戦争論』で「戦争を他の手段をもって行う政治の延長」と指摘したが、戦略や戦術の知識が乏しい政治家が軍事作戦への過度な口出しは禁物。203高地の作戦について当時の政治家の関与があったかは知らないが、現在の政治家を見る限り専門家である軍人より政治家の軍事関係の資質が勝るとは考えにくい。とはいえ日露戦争の勝利の大きな要因である日英同盟は外交の成果。「外交と軍事は車の両輪」といわれるとおり、相互がうまく機能しないと戦争に勝つことは難しい。
日露戦争前、陸軍は旅順には抑えの軍をおき、満州決戦を考えていたけど海軍の要請により、(旅順艦隊によるシーレーン破壊)で急遽攻略が決定した経緯がある。海軍が旅順艦隊を確認せよといっても、付近の砲台からの攻撃が激しく確認できなかった。旅順艦隊を無力化しないとバルチック艦隊の来航により日本艦隊の不利が明らかだったし。戦後に上原勇作元帥が後年の工兵による坑道作成ができたらこんなに犠牲者がでなかったと嘆いている。乃木さんは西南戦争による軍旗が奪われたり、病気による休職なので陸軍内部の評価は低かった。
外国からお金借りて行った戦争ですけど、その後の賠償金など交渉が有利いかなかったのが後に影響が出てきたみたいで。
小村寿太郎は粘り強く交渉しましたが、まだアジアの小国である日本は賠償金を取るのは欧米列強の中では限界だったと思います。8割は目標を達成できたので御の字なのに今のマスコミのように当時のマスコミが市民を煽って暴動が起きました。この頃からマスゴミでした。
弾幕はパワーですのにねホント日本軍の陸軍と海軍の連携のなさと言ったら・・
当時は特に海軍や陸軍の一般兵が乃木希典を愚将と言ってたんじゃないっけ。海軍はバルチック艦隊相手に大勝利だったし。
当時の戦術・戦法を現代の目線で見るのは無理がありますよもしも、自分が指揮官なら新月の日の深夜に3方向から攻撃させた夜襲でも敵の発射する火器の炎で敵のいる場所は確認できる3方向から攻撃したら敵は3分の1の火力だけしか攻撃できなくなる
「むしろ野木将軍は優れている」 私たちは、昔からこんな感じで結果に責任を負わせないから、大日本帝国と帝国陸海軍は自滅してしまったんだよ。
あのこれさ、降伏させたり占領したりする必要無いのは地図見たら小学生のワイにもすぐわかる戦い。
補給線上にある要塞で守備兵がいるから補給を妨害される危険が大きい
ただし、傲慢な首脳部のやらかしと面子の為に数万人が無駄にタヒんでる。戦術戦略目標をすぐに見失う日本人の悪癖が強く出た旅順攻略戦。普通のぴちぴちした若者が大量にただ死んでる。
愚将だろ。敗戦国より戦死者多いんじゃなかった イギリスに間に入ってもらって戦勝国ってしてもらったけど賠償金も1円も貰えなくって滅亡の道を歩んだ
乃木は明治天皇から褒美は何がいいって聞かれたときに死を賜りたいと言ったくらい真面目な人だから。
乃木さんにこの動画見せてあげたい
旅順で勇戦した一戸兵衛少将は「自分は戦いながら、軍司令部はわけのわからない命令ばかり出すと思った。」と言って、その言葉は坂の上の雲でも出てきます。ところがその言葉に続く「だが自分が(奉天会戦後に)第三軍参謀長になって作戦日誌を読み返してみれば、軍司令部の作戦指導は妥当だと思った。」という言葉は坂の上の雲には出てきません。
実際に旅順要塞を見に行ったことあります。今はあちこちに木が生えてますが、当時は要塞から日本軍側を見ると、遮蔽物が少なく、十字砲火の餌食にするにはもってこいの地形だったと思います。事前情報も不正確なうえに準備不足な中で攻撃すれば大被害になるのも仕方ないです。
背景の掛け軸の「現場はつらいよ」の言葉が意味深いですね。動画に登場する掛け軸が語る言葉のセンスの良さに感心してしまいます。
乃木さんの息子さんは二人とも陸士卒業後日露戦争で戦死されています。
次男は203高地で戦死。
クリミア戦争のせバストポリ要塞を攻略したイギリス人は、セバストポリより強固な旅順を攻略出来ないと思っていたのに半年ほどで攻め落としたのは奇跡としか思えない。
見ごたえのある作品、ありがとうございました。現場はほんとにつらいですね、心に沁みます♪♪
愚将ではないかもしれにが、上からの命令に対して愚直にに従うだけの凡将。
情報伝達の重要性がよくわかる話だぁ
本当にそれですよね
乃木大将って言うと司馬史観、というかそれを曲解した人たちの最大の犠牲者ってイメージ。
「坂の上の雲」で初めて知ってなんで無能とか言われてる人が神社に祀られてるのか謎だったけど、後々詳しいこと知った時全部ひっくり返りましたよ。
一次大戦の段階では旅順攻囲戦が近代要塞攻略の唯一の前例で、前線で必死に研究してた指揮官がいたとかいう話も聞いたことありますし。
あとロシア側は負傷兵まで前線に送らないといけなかったって話もあるし、死傷者における死者率で見たら余裕で日本側を上回ってるんじゃないかと考えてみたり...
このやり方で負けたから、第一次世界大戦では、ブルシコフを総司令官としたブルシコフ攻勢で、ステッセルは軍司令官としてオーストリアハンガリー帝国の塹壕線突破に成功しています。日本軍の浸透攻撃を学習した成果です。
旅順を後背に置き捨てて北上、なんて危険な選択はありえないので攻略は当然、この短期間にこの「少ない」損害で落とせたのは素晴らしいことです...と認識したのは司馬さん死去後。商売の都合で売れっ子作家に意見できない環境は(海音寺潮五郎でさえ、名前を伏せて批判せざるを得なかった)、あとあと作家にも愛読者にも悲しいことになりますね。
機械力の発達した第二次世界大戦時のセバストポリ要塞攻撃も、マンシュタイン指揮の第十一軍でさえ、外郭到達から攻略まで八か月ぐらいかかってるし、損害も乃木第三軍に匹敵するぐらい出した。つまり、乃木さんはTIMEの表紙にもなったあのマンシュタインに匹敵する有能な司令官と言える。
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司馬氏が書いた物を頭から捨てないと事実もへったくれもない。
司馬氏の書いたことが「事実」として認知され、孫引き・曾孫引きで他の小説や文献に流用されてるっておかしいだろ(某タレントも「司馬氏の書いた事だから事実だろ」なんて言い出してるし)。
日本軍の航空技術が発達したのは、旅順要塞の中を調べる方法がなかったからです。そこで航空技術の研究に力を注ぎ、第一次世界大戦の青島要塞攻略線では、水上機母艦若宮丸に水上機を搭載し、航空偵察と爆撃をしてます。
大体、司馬遼太郎のせい?
単なる小説を
歴史書の様に勘違いし
歴史的評価を捻じ曲げられた
幾多の故人
でも司馬遼太郎が正しかった
稀な事案という評価もある。
はあ、ソースはよ。
『坂の上の雲』はもともと昭和40年代に産経新聞に掲載されていた連載小説でした。
ファンタジー的な表現のない作品ですし当時のことですから、多くの人が疑いもなく「新聞に書いてあるから事実」と信じたのでしょう。
戦後GHQの教育とか報道の影響で日本に否定的な情報を信じやすいようなバイアスがかかったりもしてたんですかね。
だるまさんがころんだ、の別バージョンで「乃木さんは偉い人」というのがありました。
半世紀前のお話。
この後、乃木大将の第3軍は奉天会戦へも参加し、傷ついた部隊で敵の強力な部隊と戦闘に勝ってます。乃木大将はロシア軍から恐れられて、乃木大将のいない方面へ精鋭部隊で攻撃をかけよと考えていたのですがロシア軍も情報が間違っていて乃木大将に攻撃してしまいました。主が言ったように第一次世界大戦の西部戦線はもっと地獄でした。有能な将軍ででしたが、司馬遼太郎の小説で愚将扱いされて気の毒です。乃木大将の最後は本当のラストサムライだったと感じます。この時戦ったロシア軍が、コサック部隊でウクライナの人たちです。コサック部隊はロシア軍でも優秀な部隊ですが遥か東方の地で戦うというのがロシア軍のウクライナ人の扱いです。旅順要塞での日露軍人たちの写真は、乃木大将は敗軍の将への配慮もできた立派な軍人です。
司馬遼太郎は小説家・・・作り話屋さん・・・であって「歴史家」ではない。記録と記録の行間を勝手な妄想で埋め尽くしているのが「歴史小説」というやつだ。つまり、小説はエンターテイメントであって史実ではない。小説「坂の上の雲」では乃木を徹底的にやられ役・児玉源太郎の引き立て役にしたてられていた。
乃木第三軍が奉天に向かう途中で黒溝台会戦が始まりました。
乃木軍の一部支隊である秋山支隊が黒溝台会戦に機関銃部隊として大活躍、ロシア軍を押し留めている間に乃木本体は奉天に到着。
慌てたクロパトキンは黒溝台のロシア軍を急遽撤退させ、黒溝台の危機は去りました。
つまり乃木将軍はクロパトキンの動きを読み切って、黒溝台の危機を緩和したのです。
黒溝台を抜かれると日本軍は横合いから攻められる事になるので乃木は日本軍の大ピンチを救ったわけです。
映画203高地は司馬史観で見てしまうと乃木さん何やってんだ児玉さんすごいってなるけど
見返してみるとちゃんと日本に砲弾要請してるし塹壕を掘って攻めてる描写があるんだよね
それでもどうしようもない犠牲を払わなければならない大将と兵士の悲哀のようなものが描かれてて、改めて名作だなと
防楯もちゃんと持っていますよ。当時としては、最高水準の要塞攻略戦をしています。
乃木将軍の肌が白かったら、ナポレオン並みの名将扱いだと思う。
乃木愚将論は、今じゃ某ファンタジー作家さんの評価を下げる要因になってるよね。
戦争に勝てば、政治家の手柄。
戦争に負ければ、軍人の責任。
旅順攻防戦を見た観戦武官「機関銃と鉄条網による要塞に対して従来の突撃戦法では攻略不可」
報告を受けた欧米各国の軍部「弱小の日本兵だから苦戦しただけで我が軍の精強な騎兵突撃でそんなもん簡単に蹴散らせる」
なおWW1
旅順攻略戦を辺境の特殊事例なりと馬鹿にしたがゆえの悲劇>WW1
下瀬火薬が完成するまでは日本軍の榴弾は不発弾が多かったみたいですね
日露戦争の機関銃に関する誤解の一つに、ロシア軍は使ったけど日本軍は使わなかったというものがあります。
日本も大規模に機関銃を使用しており、兵力8000で10万のロシア軍を撃退するなど大きな戦果を挙げています。
機関銃は重く人間が手で持って運べるような代物ではないので、堡塁に籠るロシア側は事前の設置が可能なものの、砲火の中で山を登る日本側は持って歩けないというのが実情ですね。
また旅順の各堡塁上には機関銃は僅かしか無く(堡塁の外堀内に侵入した敵兵を掃討する為に、外堀の側面に設置しています)、代わりに大砲が無数に設置されており、各堡塁の相互支援による榴弾の雨で日本兵は大損害を受けました。
12年後のソンム戦で英軍が一日2万近い損害を出したように、機関銃が真価を発揮するのは独軍による十字砲火の発明の後で、対策として生まれたのがソンム戦終盤で投入された海軍の陸上戦艦こと菱形戦車です。
乃木さん可哀想すぎる
物書きが語る事柄では歴史と戦史は語れないのでしょうね。
戦史はとことんリアリズムですしね。
そして「世論」も大きいですよね。
話題のマンガ「ゴールデンカムイ」で主人公の杉元が "不死身" と呼ばれる契機になったのが、この旅順攻防戦でしたよね。
日本軍も機関銃仕様してるだよね❗空冷式機関銃ホチキス機関銃を仕様してる。ロシアの機関銃はたった54丁しか持っていない❗水冷式機関銃マキシムは手入れが大変だった
機関銃で撃たれたら痛かったやろうなあ
最新の要塞をむしろこの程度の被害で落としたのは乃木将軍は有能でしょう
自分の息子。二人死なせてるんじゃ無かった~結論→無能
この程度のソースはよ 被害が出たら負け おまいが前線行けわ
前戦行く気がないやつが湧くのはデフォ
@@noribogy6720
長男は第二軍の所属であり乃木希典の指揮云々に関係ない。
まして前線にたつ下級将校に戦死のリスクがあるのは当たり前
上の人たちは現場の兵隊の命をなんだと思ってるのかなぁ…
最近の研究に基づいた旅順攻略戦をわかりやすく解説していて素晴らしいです。乃木将軍は拠点を確保しながらじわじわ行くつもりだったのを司令部が無理に攻撃させたようですな。悪いのは伊地知という参謀だったらしく無理な作戦をやらせようとしたりこの人海軍が大砲を支援しようとしたのを面子で最初は断ったらしい。乃木将軍は性格が真面目すぎて貧乏くじを引かされた感じですね。
伊地知幸介も無能ではないからな?
物語では無能に描かれていても有能ですよ。早く落とせとせっついてるのに設置に時間がかかる大砲を持って来ようとしてたから文句位いうでしょう。現実も砲弾の数が足りてませんから、要塞を攻撃を命令されること自体が無謀です。
それな、私もガキの頃信じてしまっていたのだけど、
司馬史観の乃木三軍無能と言う思いと史実の乃木有能で
ゲシュタルト崩壊起こした司馬史観派が、じゃあ伊地知に
責任おっかぶせて第三軍無能説を貫こうぜって流れで
生まれた説なのであんま流布しないほうが良いですよ。
第二の風評被害の犠牲者生んでるだけだから。
長篠で織田徳川に敗れた武田みたいだけど、勝ったんだよな。
司馬遼太郎の浅薄な考察のせいで乃木将軍の苦悩苦労が無にされ、貶され・・・なんともやりきれないですな。
わざとだとではないでしょうか。攻撃側と守備側の兵力を記載していないのは無能のレッテルを貼りたかったためと思います。
レポ船の解説お願いします。
乃木将軍の愚将論は作家、司馬遼太郎氏の名著「坂の上の雲」の影響が大きいです。ただ「坂の上の雲」はあくまで小説で史実ではありません。
小説ですから起承転結が必要で、愚将のせいで味方に被害が出ているが、友人で上官でもある児玉源太郎が一時的に指揮を執り状況を打開するという。
ストーリーの方が劇的なのです。
ではなぜ乃木将軍を愚将としたかというと、他の将軍たちは皆子孫がいらっしゃいますが、乃木将軍だけはお子さんが二人とも戦死なされて、子孫がいません。前記の理由で乃木将軍を無能として書いても文句が子孫から言われる恐れが無いのです。
好きな作家ではありますが、こういう所はちょっとなと思います
自分は司馬遼太郎の乃木大将愚将論の浅薄さを批判したコメントを書き込んだことがありましたが、司馬遼太郎ファンから意味不明な擁護論を返されて数秒間時間が止まってしまいました。ファンや信者という人種には、事実の指摘が地雷となるようです。
司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中にこの作品は失敗作だと思ったのか、生前は『坂の上の雲』の映像化をを許可を出さなかった。旅順攻防戦には海軍のエスコートの失敗で、旅順に送る攻城砲の部隊を乗せた輸送船をロシア海軍によって沈まれさせられたので海軍が所掌された28センチ榴弾砲と、戦艦から福砲をおろしても旅順に送っていた。また大本営には流散弾ではなく、着弾した時破裂する榴弾を送ってくれと具申するも榴散弾9割、榴弾1割の補給には変更がなかったとの事。
第二次総攻撃の時は塹壕戦の訓練を受けていない工兵が、塹壕を掘ると言うぶつけ本番で行われています。
第3軍の乃木大将と参謀は無能ではなく、優秀な指揮官だったのです。旅順戦は要塞攻撃に必要とされていた期間を当時の概念をとする恐るべき早さで攻略しています。
旅順戦の前哨戦の南山の戦いでは、日本軍将校、欧米の観戦武官が驚く3万2千発の砲弾が使われています。
司馬遼太郎は偉大な作家だけど、好き嫌いが激しすぎるんだよなー
乃木希典を描いた作品「殉死」の中でも、乃木が嫌いと明言してるし。
その背景には、大戦に参加した経験があって、陸軍に対する非常に強い憤りや恨みがあったと思う。
その愚かな陸軍上層部を形成した源流は山県有朋から脈々と流れる長州閥にあると考えており、その中でも日本の誉れと(世界的に)讃えられ陸軍に大きな影響を与えた乃木希典を受け入れられなかったんじゃないかな。
自分の故郷には乃木将軍の生家があり乃木神社となっていて、乃木将軍の石コレクションが展示してあるよ。小学校の校歌には乃木大将が出てくる。
戦果だけでなく乃木の持つ明治を代表する偉大な精神性に、再度注目が集まると良いな。
爾靈山の命名は天才というか名将というか、言い表せないほど非凡。
『その背景には、大戦に参加した経験があって、陸軍に対する非常に強い憤りや恨みがあったと思う』
これ私もそう感じますね。
従軍した人達の中で陸軍を批判する人は
居ても、海軍を批判する人はあまり
見かけないな。
(実際はどっちも対して変わらんのに)
@@user-rv6jx9nq7f 海軍は志願であったのと陸軍は徴兵だった事の違いではないでしょうか。それと、学徒動員で出征した人達やその親が発言力があったのが大きいのかも
@@TN-qz6hj 戦前のインテリが通った大学に軍事教練が有り、陸軍から予備役寸前の将校が配属されて居て配属将校が軍事教練でエリート気質でプライドが高い学生に対してシゴキやビンタをして恨みを買ったから戦後に学生は政財教育界で牛耳る立場に成ったから陸軍を徹底的に悪にしていた。
@@73moto 本来、高等教育を実施してる学校の軍事教練は、徴兵免除の代わりに受ける事になっていたはずなので、徴兵された人に比べりゃさほどの事はないんじゃないですかね。それにしては、その恨みを持った人達が、体育会系について文句言わない不思議
陸軍視点はすごく丁寧に解説されてて素晴らしい動画と感じました。
ただ、なんで海軍視点が雑なんだろう、と少々疑問に。航空機もドローンもスパイ衛星もないご時世に戦闘継続中にノコノコと旅順艦隊の被害状況を確認できる訳がないでしょう。あと日本海海戦が予想より遅れたのはロシア側の不手際による結果であり、ザル予想だったからではありません。
旅順要塞陥落時点で、ロシア側にはまだ1年ぶんの食糧備蓄があったらしい。
でも、兵士が足りなくなっていて、警備の兵しか置いていない堡塁がいくつもあった状態でした。
肉類については降伏時点で僅か1日分だったと聞きます
(しかも最終的には馬肉しかストックがなかったとか)
他の西洋人同様にロシア人も肉食民族でしたから
穀物がいくらあっても肉なしは耐えられなかったのでしょう
乃木司令官と伊地知参謀が固執したのは
望台ではない
すでに完成している
盤龍山
松樹山
二龍山
東鶏冠山
の正面堡塁の連山
なぜなら
これを無視して203高地を始から主目標としていたら
大連、南山からの補給路が絶たれ
側面砲撃によって第三軍が壊滅する
28サンチ砲は
呉の岸壁に設置していた地対艦砲
陸軍の大砲じゃ沈められないから
第二次総攻撃に203高地が攻撃目標の一部に入ったのが理由かどうか知らないが
援護のためにそれを引っ剥がして旅順に持って行ったんだ
海軍からの要請から始まった旅順攻略戦
海軍がき協力しないわけがない
それを入れなかったのは
尺の問題ではなく
あなたのリサーチ不足
旅順のロシア軍はもやしを作ることを知らなかったから、倉庫には大豆が山のようにあったのにビタミンC不足でみな兵士が壊血病となり戦意喪失で敗北したとも言われています。
もっともかたや日本軍は白米ばっかり食べていたので脚気になり、脚気死亡者が戦死者を上回っていたそうなのでどっちもっどちかな。
海軍は柔軟に対応したのに陸軍幹部は頑なな輩ばっかりだったからねぇ。
森鴎外が問題となるアレですな。
兵役の売り文句が軍に入れば白米が食べられるだったので脚気対策で麦飯にしたら大変なことになるという事情もあったようです。
モヤシを作ってビタミンCの補給というノウハウは
1920年代以降に見出されたようです
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森鴎外は確かに脚気細菌由来論者の一人ではあるけど、彼以外にも見られた陸軍軍医界の主流だったし、日露戦争時は第二軍の軍医長の立場だったので脚気続出の全責任が森にあるかというとそうでもない(一翼は担ってはいるが)
乃木大将を愚将扱いした司馬遼太郎及びその元を作った日露戦史作成者の軍人の罪は重い。
今日の我欲にまみれた政治家を見るにつけ、乃木大将はもっと称えられてしかるべき。
バルチック艦隊が1月に来るって言うのはスズ運河を通っていた場合の話なんだろうか?
バルチック艦隊が北海でイギリス漁船を攻撃した精でアフリカ大陸を回るようになったから5月にずれたのかな
陸軍にはっぱかけるために言ったんじゃない。もともとバルチック艦隊は旧式艦を置いてきたからどちらにしろ喜望峰周りだよ。
おいてきた艦隊を皇帝がわざわざ増援として送ってくれたから(こちらはスエズ回り)到着が遅れたけどね。
司馬が戦争のなんたるか指揮官のなんたるかも知らないのに…事実であるように小説書いたから……司馬って本当に物書きとしてモラルがない邪道作家…
福岡徹の(軍神―乃木希典の生涯)と司馬遼太郎の(坂の上の雲)の影響が大きいです。
どんな時代もお偉方は現場の事は見えてないのね😭
新作ありがとうございます
創作ですがクトゥルー神話も取り上げてほしいです
旅順攻略戦で乃木第三軍が大量の犠牲者が出た要因に陸軍上層部が旅順要塞の情報収集を怠った事と日清戦争での賠償金で軍備増強したが、正面装備を優先して大砲の弾薬生産数を日清戦争で消費した基準で行ったので弾薬不足に成った。
十九世紀一杯までは、弾薬の消費量は大したことなかったので(クレフェルト『補給戦』受売り)、砲弾の準備量については不見識とは言えないでしょう。海軍と早くから意見交換していれば、旅順要塞研究も深くなった、でしょうね。
@@user-fb3oq9jq3d 日本陸軍は過去に西南戦争で白兵戦では強い西郷軍に対して徴兵が主力の陸軍は白兵戦に警視庁抜刀隊を投入したり歩兵の射撃弾幕や砲兵による砲撃で西郷軍を火力で圧倒したのが有ったから火力が重要だったのは体験した筈だから、日露戦争前に弾薬の備蓄を重視をしなかったのは残念だった。
@@73moto 近代ドイツ兵学を学んだ世代は、西南戦争に従軍していないので(東條英教は出征)、身に染みていなかった。というか、恥ずべき悪例と捉えていたのでは?「山縣の作戦指導が悪いからあんなに無駄弾使った、巡査まで投入した、天保頭のじじいはだめだねえ」と。
@@user-fb3oq9jq3d 山県有朋は幕末に馬関戦争で欧米四か国連合艦隊の砲撃で長州が敗れた事で銃や大砲の火力が重要だと学び、幕府の長州征伐で山県は高杉晋作が創設した武士以外の百姓や町民等を主力にした奇兵隊の幹部で戦いミニエ銃を主力として戦い幕府に勝利して、明治になって陸軍を創設して徴兵を主力としての基礎を作った大村益次郎が暗殺された後は山県有朋が引き継ぎ長州の陸軍になった。
@@73moto 山縣、司馬さんには嫌われてますが、昭和天皇は名将と評価(出典は忘れました)。人を見る目はあるし、原敬にも聴くべき点は入れる。
今も昔も上層部は変わらないよね(。-_-。)
昔から現場の人間に厳しいな。個人的にはインパール作戦とかも牟田口廉也だけの責任だとは思えないので再評価とまではいかなくても少しくらいは汚名返上させてやってもいいと思う
有能と言えなくとも、
せめて寺内や河辺、佐藤や藤原達の
責任もある事を言って欲しいな。
牟田口はインパール作戦中愛人としけこんでいたのでダメです。
他に無能仲間が増えるだけの話で
結局のところ牟田口はダメだろ。
@@ki709
それは人間性の問題であって、軍人としての評価は別。
坂の上の雲の影響で愚鈍な将軍イメージができてしまって自分もそう思ってたけど。坂の上の雲だと児玉源太郎がやってきて28サンチ砲を運用するという天才の采配で勝負がついた、という感じだったな。
乃木の参謀伊地知がアホだったせいって書いてあった気がする
一番の敵は無能な仲間とは理不尽な事実ですね
坂の上の雲読んだけど乃木希典ボロクソに書かれてたな
お待ちしておりました!(^o^ ∋ )卍ドゥルルル
戦争は会議室で起きているんじゃない!
現場で起きているんだ!
だが・・・
事案は現場じゃない!
会議室で起きているんだ!!!
ってか・・・
そこは「戦場で起きているんだ!」では?
クラウゼビィッツは『戦争論』で「戦争を他の手段をもって行う政治の延長」と指摘したが、戦略や戦術の知識が乏しい政治家が軍事作戦への過度な口出しは禁物。
203高地の作戦について当時の政治家の関与があったかは知らないが、現在の政治家を見る限り専門家である軍人より政治家の軍事関係の資質が勝るとは考えにくい。
とはいえ日露戦争の勝利の大きな要因である日英同盟は外交の成果。「外交と軍事は車の両輪」といわれるとおり、相互がうまく機能しないと戦争に勝つことは難しい。
日露戦争前、陸軍は旅順には抑えの軍をおき、満州決戦を考えていたけど
海軍の要請により、(旅順艦隊によるシーレーン破壊)で急遽攻略が決定した
経緯がある。海軍が旅順艦隊を確認せよといっても、付近の砲台からの攻撃が
激しく確認できなかった。旅順艦隊を無力化しないとバルチック艦隊の来航により
日本艦隊の不利が明らかだったし。戦後に上原勇作元帥が後年の工兵による坑道
作成ができたらこんなに犠牲者がでなかったと嘆いている。
乃木さんは西南戦争による軍旗が奪われたり、病気による休職なので陸軍内部の
評価は低かった。
外国からお金借りて行った戦争ですけど、その後の賠償金など交渉が有利いかなかったのが後に影響が出てきたみたいで。
小村寿太郎は粘り強く交渉しましたが、まだアジアの小国である日本は賠償金を取るのは欧米列強の中では限界だったと思います。8割は目標を達成できたので御の字なのに今のマスコミのように当時のマスコミが市民を煽って暴動が起きました。この頃からマスゴミでした。
弾幕はパワーですのにね
ホント日本軍の陸軍と海軍の連携のなさと言ったら・・
当時は特に海軍や陸軍の一般兵が乃木希典を愚将と言ってたんじゃないっけ。海軍はバルチック艦隊相手に大勝利だったし。
当時の戦術・戦法を現代の目線で見るのは無理がありますよ
もしも、自分が指揮官なら新月の日の深夜に3方向から攻撃させた
夜襲でも敵の発射する火器の炎で敵のいる場所は確認できる
3方向から攻撃したら敵は3分の1の火力だけしか攻撃できなくなる
「むしろ野木将軍は優れている」 私たちは、昔からこんな感じで結果に責任を負わせないから、大日本帝国と帝国陸海軍は自滅してしまったんだよ。
あのこれさ、降伏させたり占領したりする
必要無いのは地図見たら小学生のワイにも
すぐわかる戦い。
補給線上にある要塞で守備兵がいるから補給を妨害される危険が大きい
ただし、傲慢な首脳部のやらかしと
面子の為に数万人が無駄にタヒんでる。
戦術戦略目標をすぐに見失う日本人の悪癖が強く出た旅順攻略戦。普通のぴちぴちした若者が大量にただ死んでる。
愚将だろ。敗戦国より戦死者多いんじゃなかった イギリスに間に入ってもらって戦勝国ってしてもらったけど賠償金も1円も貰えなくって滅亡の道を歩んだ