書物から読み解く富士山の歴史と由来

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  • čas přidán 8. 09. 2024
  • 日本の象徴的存在である富士山。
    何故「富士」という名前が付いたのか、
    いつからそう呼ばれるようになったのか、皆さんはご存知ですか?
    今回は、富士山にまつわる歴史について、
    いくつかの書物を取り上げながらご紹介したいと思います。
    ・当チャンネルで調べた範囲のことをご紹介しています。
    学術的、専門的なものではありません。
    ・ご紹介する説はあくまで一説です。
    特定の説を真実であると主張する意図はありません。
    色々な考察をお楽しみいただければ幸いです。
    ・特定の国家、地域、団体、宗教、歴史について
    事実を歪曲したり、批判したりする意図はありません。
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    #ハテナ見聞録 #古代日本 #富士山

Komentáře • 37

  • @user-gt6pq7yh1y
    @user-gt6pq7yh1y Před 3 lety +2

    素晴らしい

  • @user-zk7un5hl8v
    @user-zk7un5hl8v Před 4 lety +22

    個人的には宮下文書を一方的に偽書とするのは如何かと思う。
    内容をすべて精査したうえでの結果ならば仕方ないが、神武天皇以前があるからと一方的に決めつけるのは偏見なのではないかと思う。

    • @kawaguchikolupinus9570
      @kawaguchikolupinus9570 Před 4 lety +3

      そうですよね。富士吉田地域では宮下は現在でもトータルで相当な権力を持つ一族です。

    • @hummer0anvil
      @hummer0anvil Před 4 lety +2

      偽書かどうかは著者や制作時期が偽られてるかどうかで決まる
      宮下文書はそう言う意味で完璧に偽書です
      研究するのはいいけど偽書であることは前提にしないと

  • @user-bf9pz8ev2i
    @user-bf9pz8ev2i Před 4 lety +3

    富士山を不死の山とするならば、それは竹取物語だけでなくて、確か記紀や万葉集とかにも出てきたと思いますよ。静岡だけでなく丹後や他もあってもおかしくない。 同じか似たような神話が全国にあるのは、地名や人名が全国にあるのと同じです。 『受け継がれている何か』があるからです。
    以前、古事記・日本書紀の木花開耶姫と『不死』や結婚や『命がけの出産』についてコメントしました。 … その父の国津神・大山津見神は大山阿夫利神社(神奈川伊勢原)にも祀られています。 名前からしても古そうですね。ここには確かシュメールを思わせる古代文字の遺物があったという話を聴きました。 … 富士山を不死の山とするならば、至る所にあってもおかしくないです。 地上的な対立図式をイメージするだけでなく、『古いとは何か、遡っていくこととは何か、生とは何か、時とは何か』にも注意してみると見えてくるものがあるかもしれません。… 
    とにかく竹取物語の中の、旧い帝は、不老不死の薬を、燃やすことに決めたのです。 『焼いた煙が、今も立ちのぼっている』。 つまり、そう覚悟をして … 『決して燃え尽きて消えることのないもの』を … 代わりに … 違った形で … 手にしたのです … 今を生きたのです … この地上で … この地で。 … 新たに姿を変えたのです。
    ここは、与える側の表現も、受け手の内的な理解、読解も難しい。僕なりの理解や説明ですし意味はこれ以上は省きます。 が、もっと日本全国も外国をも越えた、地上的なものを越えた世界や国について、記そうとしている、物語ろうとしていると思うのです。 ならば古史古伝も含め、データばかりでなく、そうした面の表現力や完成度が高いかどうかということも大切です。

  • @user-up5us3ss4f
    @user-up5us3ss4f Před 3 lety

    ふじわら京の「天の香久山」からもココに辿り着きましたよっ。

  • @0000ns0000
    @0000ns0000 Před 4 lety +3

    最近は東三河から富士山に秦氏が移動した説もある。

  • @oniwakamarukumano8328
    @oniwakamarukumano8328 Před 4 lety +10

    記紀も神代はハッキリ言ってファンタジー。
    そういう意味では古史古伝と変わりがないと思う。
    しかしそれでは歴史的考察にはならない。
    歴史史料は行間を読まなければ理解できない。
    大体古代に王国が一つしかないと考えられない。
    畿内にヤマト王国が出来た時、日本列島各地にも王国はあったはず。
    富士王国なるものが有っても不思議ではないし、記紀はヤマト王朝中心の史書だから他の王国が余り出てこなくて当たり前だと考える。
    ヤマトタケル征東の草薙の剣の話が富士王国との戦争かも知れない。
    兎に角ヤマト王朝はそうして日本各地の王国を征服し平定して行き、大王が天皇(皇帝)として君臨した事は間違いないので、存在していた可能性は高いと考察する。
    後は遺跡が出ると良いけどね。

    • @cdex-ho4lc
      @cdex-ho4lc Před 4 lety +2

      ヤマトタケルが富士王国とヤマトを統一していたら奈良時代に書かれた記紀で富士山が登場するでしょう。奈良時代に編さんされた記紀に登場しないってことは奈良時代に富士山はヤマト政権下になかったとかんがえられるんじゃないのかな

  • @toporino310
    @toporino310 Před 4 lety +13

    偽書と呼ばれるものはそれ自体が嘘という訳ではなくて、選ぶ側(その時の権力者)にとって都合が悪いから偽書だと言っただけ。
    キリスト教の福音書しかり日本の偽書しかり。端から無視するのではなく、むしろそういう偽書も参考にして多角的に見る事が大事だと思います。

  • @user-ll4wt6pf7b
    @user-ll4wt6pf7b Před 4 lety +20

    昔は富士山より阿蘇山の方が高かった

    • @kawaguchikolupinus9570
      @kawaguchikolupinus9570 Před 4 lety +6

      あ、うん。大昔は確かに阿蘇のほうが高かった時代があってもおかしくない。

    • @user-vx5mv6eu4o
      @user-vx5mv6eu4o Před 3 lety +1

      それは知らなかった。新情報ありがとう!

    • @user-eg1je9se3u
      @user-eg1je9se3u Před 2 lety

      八ヶ岳も高かったですぞ

  • @moyuna6763
    @moyuna6763 Před 4 lety +10

    民が天皇陛下へ藤の花を献上し その花とハラミ山(イサナミ様がご懐妊されたときご滞在されていた宮)ヲ見て うたわれた歌が由来です

  • @weyfey
    @weyfey Před 4 lety +17

    嘘扱いになってるけど最近の考古学、遺伝子学などから見た新しい発見からいうと記紀より古史古伝の方が真実ぽいんだよな
    海外の方もその方向の説になってきてるけど日本の方が記紀信者が多いんだよな

    • @yame8134
      @yame8134 Před 3 lety

      記紀は政治家達の政治家達の都合による文書だと思ってる
      現代の政治家達を見てれば、執政に関わる連中には色々な腹心算があって当然(真実をストレートに語らない)だろうなって印象
      だからご当地伝承と中央の主張とで差異が出てくる

  • @user-qj9wy2eo9c
    @user-qj9wy2eo9c Před 4 lety +5

    富士山には富士5湖と言う湖がありますが実は幻の第6の湖が存在しそれはほんの一時期しか姿を現しません!

  • @seebecw
    @seebecw Před 4 lety

    神武天皇による東征によってヤマトが興るわけですけど、奈良の南あたりであったと記憶していますが
    そこまで海路をとると暴風雨に遮られて陸に漂着してしまいます。
    そこから至難の陸路が続くのですが、有名なヤタノカラスはこの辺り 現在の奈良県 高倉山の地所まで赴き
    吉野を通って還ろうとすると敵に囲まれていて 天香具山で祭祀をして一帯を平定
    先んじて建御雷神が建御名方神を長野県 諏訪の地方まで追いやったとされているので
    当時のヤマトの民の生活圏は 富士山どころか木曽山系にも届いていなかったかと思います
    昔から西国にも霊峰とされる山々はありますし、記紀で遺されるならそっちでしょうね

    • @cdex-ho4lc
      @cdex-ho4lc Před 4 lety +1

      神武東征をヤマトの歴史として記録した奈良時代の時代背景が最も濃く記紀に残されているはず。神武東征でどこまてたどり着いていても奈良時代に富士山を書かなかった所が鍵でしょうね

  • @user-xb4qo6my5j
    @user-xb4qo6my5j Před 4 lety +1

    平田篤胤によれば、日本の伝説上の扶桑木がそれなのではないかと記述されてます。

  • @shige19800yen
    @shige19800yen Před 4 lety

    火山活動が活発な頃の富士山麓で王朝って栄えられる?狩り、採集、農耕もしづらそうだし、避難した方が良くない?

  • @user-zc7nt7jl9x
    @user-zc7nt7jl9x Před 4 lety +3

    ホツマツタヱでは、ハタレとは、天照様に逆らう蛮族だったらしいですね。

  • @FujiyamaSoundProduction
    @FujiyamaSoundProduction Před 3 lety +1

    なんで富士に吉原があるんだろう

  • @shane07nana
    @shane07nana Před 4 lety

    木花咲耶姫は富士山の神だったと思うけど、そうされたのは記紀ではないということ?

  • @LandMark291
    @LandMark291 Před 4 lety +3

    東国は記紀では日本武尊が征伐したように蝦夷(えみし)の住む土地だったから、そこの象徴たる山を記すことがないのは当然かと。
    関東は坂東と呼ばれた蛮人の住む地域扱いでしたよね。
    富士山を愛でるようになったのは大和朝廷の支配下に入ってからではないでしょうか?

  • @Momo-en6jl
    @Momo-en6jl Před 4 lety +1

    不蓋 フチ 山 アイヌ語説が意外と有力

  • @Milepoch
    @Milepoch Před 3 lety

    偽書は後出しだから詳しく書ける
    調子乗って語るに落ちる

  • @user-ce8co9gf4o
    @user-ce8co9gf4o Před 4 lety

    知っていますか?と言われて、知っているのは、「生まれた時から、そうだった。」でしょうか? (  ̄▽ ̄) ニッコリ♪ ←なんや?w

    • @user-ce8co9gf4o
      @user-ce8co9gf4o Před 4 lety

      ハテナ見聞録さんへ>
      ボクは知らないから聞くのだけど、秦氏(はたし)でなく、秦氏(はたうじ)なの?
      (´・ω・`)

  • @user-iw6hg8rz5n
    @user-iw6hg8rz5n Před 4 lety

    不死って出てくる話だけは!
    死ぬまで信じないと思う、私は。

  • @user-kg1mc4gh2x
    @user-kg1mc4gh2x Před 4 lety +1

    何を勘違いしているのか? 知りませんが、古事記は西日本が舞台であり、東日本の富士山はまだ日本ではありません。まあ、正確には倭国なのですが。