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最も大事な二点がぬけてます、①人格的に非常に優れた立派な方もキリストを信じなければ地獄に行くのですか?との庶民からの質問に答えられなかった。② スペインなどの国々が日本人を奴隷として海外に何万人も売り飛ばした。その他これらの情報が識字率が高いので全国に広まるのが早かった。等々日本人の国民性が高かったことが重要です。
2:59 いや、キリスト教が広まる前は古代ローマも古代ギリシャも北欧も昔は多神教だったよ
普通に考えれば矛盾だらけの宗教ってすぐわかるくらい古来から神道教育が生活に根付いていて賢い民族だったから。
信長とザビエルは会ってないですよ。ロイスフロイスと混同されてませんか?
ルイスフロイスでは?
欧州ではカラスやドラゴンは悪と捉え日本ではカラスもドラゴン(龍)も神様の使いと捉えてる、何故真逆なのか?日本では「和を尊べ」と教え欧州では戦争と魔女狩りの様な冊戮を行って来たどちらが本当の神様の国なのか?
日本人の信心深さはかなりのものと思っています。たとえばお祓いせずに工事現場等で事故が起こった場合、その原因はお祓いをしていないから、と考えるのが普通の日本人。もちろん普段は神道でも仏教徒でもない方でそうなります。たぶん漠然としているがなにか一本深いものを日本人は持っているように思います。
稲荷神社はイエスキリスト神社。久保有政牧師。
久保有政「レムナント誌」この中で、「誤りがないと信じられているのは、神の霊感を受けて書かれた聖書の『原本』だけです。写本や訳本には、誤りがあり得ます……。したがって、訳本間の意味の食い違い等を指摘して『聖書にも誤りや矛盾が あるじゃないか』と主張する議論は、的外れなものです。」と書いています。ところが、上記の久保さんからの記事を読み進んで行くと、写本には誤りがあり得ますが、それでも非常な厳密さをもって写本をつくってきました。そのため、その正確さは比類ないものです。またこの写本をもとに、様々な国の言葉への訳本が造られました。この際も、聖書学者は細心の注意をもって、翻訳作業をしています。(中略)聖書の原本は今日は既に存在せず、最も古い写本も存在しませんが、私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのままでしょう。そこには神の守りがあったのです。この人は、さっき、「誤りがないと信じられているのは、神の霊感を受けて書かれた聖書の『原本』だけです。」と言ったばかりなのです。ところが、今、「私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのままでしょう」と言うのです。つまり、ここには矛盾した、二重の論理(タテマエとホンネ)が共存しているのです。つまり、(a)外部から聖書の矛盾を指摘されたときに使用される、聖書の無謬性を守るための護教用の論理が、「正しいのは原本だけ、写本訳本には間違いがある」という外的論理(タテマエ)です。(b)信仰仲間(レムナント誌の読者)のために、聖書の信頼性を語るための論理が、「私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのまま」という内的論理(ホンネ)です。このような二重の論理の共存は、けっして、久保さんからの記事に特殊のことではありません。「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たちによくみられる共通した現象なのです。もともと、「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たちは、昔は、原本だとか写本だとかに言及することなく、単純に聖書の無謬性を信じていたのですが、現代聖書批評学などの研究の成果により、聖書の矛盾があまりにも明白になったために、聖書の誤謬が無視できなくなりました。ところが、他の多くのキリスト教と違って、彼らの信仰の対象は、神だけでなく、聖書でもあったので、聖書に間違いがあることを認めるわけにはいかなかったのです。このために、他のいろいろな護教のための主張とともに、聖書の誤謬は写本や訳本だけであり、原本には誤謬がない、と言う主張も生まれたのです。ところが、この解決方法には一つの深刻な問題があったのです。間違いのない神の言葉は、誰も知らない原本だけであり、わたしたちの手にする聖書は信頼できない、とすると、当然、聖書を基礎にした実際の信仰生活は成立しなくなってしまいます。まさにそのために、聖書信仰者は、外部に対しては、わたしたちの手元にある聖書は間違いがあって当然である、と護教論を展開しながら、内部(信仰仲間)に対しては、実は、わたしたちの聖書は原本を忠実に伝えたものであり、信頼できるものである、と語らざるを得ないのです。神学論争の問題ではなく、聖書を土台にした日々の信仰生活の必要性という実際問題が、結局、原本と写本の間にある相違を限りなくゼロに近づけてしまうのです。結局、ホンネとしては「わたしたちに伝わってきた聖書は、原本を忠実につたえてきたものである」、また「原本を書いた人たちだけでなく、それを伝達してきた人々にも神の聖霊は働いた」という、主張にならざるを得ないのです。つまり、聖書信仰にとって、「間違いは写本にあるだけで、原本にはない」という論理は、実質上成立しないのです。それゆえ、現代の聖書を批判するということは、実質的には、聖書の原本そのものを批判することになるのです。もちろん、聖書を生活の中で必要とする聖書信仰者ではなく、ただ理屈をこねてみたいだけの人にとっては、このタテマエの方をホンネとして語ってみることも一応できるわけですが、その場合、「誰も知らない原本には間違いのない神の言葉が書かれている」という主張は、本当は本人も信じていない、無意味で、根拠のない、くだらぬ主張なのです。
キリスト教っていうのは世の終わり、つまり世界が終わるという話さ、そして信徒たちは、天国へ連れて行かれるということ。この世のことを言ってるんじゃないんだよ。
キリスト者ですが、日本にキリスト教があまり受け入れられていない理由はご指摘の点も関与していると思いますが、最大の要因は日本の独特の文化がそもそもキリスト教を受け入れがたいものにしていると思います。2600年以上天皇制があり、それ以前縄文や弥生時代から日本は他の国とのつながりが希薄だったので、他の文化との乖離が大きく、それ故に人々はキリスト教の日常の言葉で理解できる聖書を読んで短兵急に自分が信じられるものではないと結論付けているように見えます。
7:37キリスト教の基本を少し→最も重要な教えは「福音」=「キリストは、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、3日目に復活して、使徒たちに現れたこと」を信じるだけで救われるというもの。全ての人は罪の性質を持ち、そのままでは創造神に義と認められず、キリストの犠牲の死によって救われるということ→だからこそキリスト教のシンボルは十字架。その信者数は現在約24億人とも。参照 聖書1コリント15:1~5、イザヤ53、ローマ1:16、エフェソ2:8~9
その考え方がどうにも納得いかないんですよね…私は…。受け付けない…。まだ親鸞の「南無阿弥陀仏」や日蓮の「南妙法蓮華経」の方が受入れられる気がする。
神は殺人や戦争を命じてます(聖書)
親鸞はキリストが好きでした❤
信じるのは、自分のみ。
キリスト教の中心課題は福音、ギリシャ語ではエヴァンゲリオン!
秀吉とか家康が禁止したから?
創造の源。アーサーホーランド牧師。
仏教も伝来したものですが、一度中国を経由して伝来した事により宗教教義や内容が漢字に翻訳され受け入れやすくなっていたのが浸透した理由です。日本はそういったいわば「国内向けの規格変更」が必要な国なのです。クリスマスが「キリストの誕生を祝う」という本来の目的とは違う商業的要素が強いイベントになって受け入れられていったのはいわば商社が「規格変更」を行ったからです。しかしキリスト教は聖書が絶対的な聖典であり、変更を禁忌とする宗教です。それでは日本では浸透しません。
今は逆に神道が世界に広まりつつあります。戒律が多く自由が制限される宗教が日本で広まる事はまずありません。日本人の宗教観は時代の最先端を行っていると言えます。
福音とはよちよちクリスチャン
仏教は広まってるじゃん
イエスが語る未来予想図。イエス様はどうやって再臨されるの?Jezue for Japan
西郷どんと聖書高原牧師。キリスト教を知らないんだよ
西郷隆盛と聖書を学んでいた。高原牧師。
人はなぜ滅びるか?福音とは?よちよちクリスチャン!
ファティマ第3の預言と2025年、lalala mystery世の終わりが来るという話ですからね、ひろまるわけないですよ。
キリスト教については正しく伝わっていないクリスマスの日でもサンタクロースが来る日に変えてしまうしイエスキリストを信仰しないと地獄に落ちると云う邪説を信じてしまう本当は墓に眠るで時が来たらイエスキリストが復活させて裁きを行なうと聖書に記載されています教会で教えを受けてください
途中から理由ではなく結果になっている 残念な動画
聖書もキリスト教がなんたるかもご存知ないようで。。。
天皇陛下のことを調べて言ったらクリスチャンになりました。
5:50 キリスト教は、奴隷解放の教えだ。
キリスト教ユダヤ教イスラム教どれも同じ神。変だよ。預言者が違うだけで。教典が違うのも変だよ🎵そもそも此の世の神など存在しない、絶対に居ない❗ただ居るのは人の信仰信を利用する輩のみ。
死は受け入れ難いからなあどこかで逃げ道が必要なんかな亡くなった肉親を思うとあの世で待っているという幻想は甘美姉たちが語るあの世を否定する必要はない因みに父母姉の最晩年の笑顔はわたしの財産、生きる糧になっている
最も大事な二点がぬけてます、①人格的に非常に優れた立派な方もキリストを信じなければ地獄に行くのですか?との庶民からの質問に答えられなかった。② スペインなどの国々が日本人を奴隷として海外に何万人も売り飛ばした。その他これらの情報が識字率が高いので全国に広まるのが早かった。等々日本人の国民性が高かったことが重要です。
2:59
いや、キリスト教が広まる前は古代ローマも古代ギリシャも北欧も昔は多神教だったよ
普通に考えれば矛盾だらけの宗教ってすぐわかるくらい古来から神道教育が生活に根付いていて賢い民族だったから。
信長とザビエルは会ってないですよ。
ロイスフロイスと混同されてませんか?
ルイスフロイスでは?
欧州ではカラスやドラゴンは悪と捉え日本ではカラスもドラゴン(龍)も神様の使いと捉えてる、何故真逆なのか?日本では「和を尊べ」と教え欧州では戦争と魔女狩りの様な冊戮を行って来たどちらが本当の神様の国なのか?
日本人の信心深さはかなりのものと思っています。たとえばお祓いせずに工事現場等で事故が起こった場合、その原因はお祓いをしていないから、と考えるのが普通の日本人。もちろん普段は神道でも仏教徒でもない方でそうなります。たぶん漠然としているがなにか一本深いものを日本人は持っているように思います。
稲荷神社はイエスキリスト神社。
久保有政牧師。
久保有政「レムナント誌」
この中で、「誤りがないと信じられているのは、神の霊感を受けて書かれた聖書の『原本』だけです。写本や訳本には、誤りがあり得ます……。したがって、訳本間の意味の食い違い等を指摘して『聖書にも誤りや矛盾が あるじゃないか』と主張する議論は、的外れなものです。」
と書いています。
ところが、上記の久保さんからの記事を読み進んで行くと、
写本には誤りがあり得ますが、それでも非常な厳密さをもって写本をつくってきました。そのため、その正確さは比類ないものです。またこの写本をもとに、様々な国の言葉への訳本が造られました。この際も、聖書学者は細心の注意をもって、翻訳作業をしています。(中略)聖書の原本は今日は既に存在せず、最も古い写本も存在しませんが、私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのままでしょう。そこには神の守りがあったのです。
この人は、
さっき、「誤りがないと信じられているのは、神の霊感を受けて書かれた聖書の『原本』だけです。」と言ったばかりなのです。ところが、今、「私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのままでしょう」と言うのです。
つまり、ここには矛盾した、二重の論理(タテマエとホンネ)が共存しているのです。
つまり、
(a)外部から聖書の矛盾を指摘されたときに使用される、聖書の無謬性を守るための護教用の論理が、「正しいのは原本だけ、写本訳本には間違いがある」という外的論理(タテマエ)です。
(b)信仰仲間(レムナント誌の読者)のために、聖書の信頼性を語るための論理が、「私たちが今読んでいる聖書は、ほぼ原本の内容そのまま」という内的論理(ホンネ)です。
このような二重の論理の共存は、けっして、久保さんからの記事に特殊のことではありません。「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たちによくみられる共通した現象なのです。
もともと、「ファンダメンタリスト」と呼ばれる人たちは、昔は、原本だとか写本だとかに言及することなく、単純に聖書の無謬性を信じていたのですが、現代聖書批評学などの研究の成果により、聖書の矛盾があまりにも明白になったために、聖書の誤謬が無視できなくなりました。ところが、他の多くのキリスト教と違って、彼らの信仰の対象は、神だけでなく、聖書でもあったので、聖書に間違いがあることを認めるわけにはいかなかったのです。このために、他のいろいろな護教のための主張とともに、聖書の誤謬は写本や訳本だけであり、原本には誤謬がない、と言う主張も生まれたのです。
ところが、
この解決方法には一つの深刻な問題があったのです。間違いのない神の言葉は、誰も知らない原本だけであり、わたしたちの手にする聖書は信頼できない、とすると、当然、聖書を基礎にした実際の信仰生活は成立しなくなってしまいます。まさにそのために、聖書信仰者は、外部に対しては、わたしたちの手元にある聖書は間違いがあって当然である、と護教論を展開しながら、内部(信仰仲間)に対しては、実は、わたしたちの聖書は原本を忠実に伝えたものであり、信頼できるものである、と語らざるを得ないのです。神学論争の問題ではなく、聖書を土台にした日々の信仰生活の必要性という実際問題が、結局、原本と写本の間にある相違を限りなくゼロに近づけてしまうのです。
結局、
ホンネとしては「わたしたちに伝わってきた聖書は、原本を忠実につたえてきたものである」、また「原本を書いた人たちだけでなく、それを伝達してきた人々にも神の聖霊は働いた」という、主張にならざるを得ないのです。つまり、聖書信仰にとって、「間違いは写本にあるだけで、原本にはない」という論理は、実質上成立しないのです。それゆえ、現代の聖書を批判するということは、実質的には、聖書の原本そのものを批判することになるのです。
もちろん、
聖書を生活の中で必要とする聖書信仰者ではなく、ただ理屈をこねてみたいだけの人にとっては、このタテマエの方をホンネとして語ってみることも一応できるわけですが、その場合、「誰も知らない原本には間違いのない神の言葉が書かれている」という主張は、本当は本人も信じていない、無意味で、根拠のない、くだらぬ主張なのです。
キリスト教っていうのは世の終わり、つまり世界が終わるという話さ、
そして信徒たちは、天国へ連れて行かれるということ。
この世のことを言ってるんじゃないんだよ。
キリスト者ですが、日本にキリスト教があまり受け入れられていない理由はご指摘の点も関与していると思いますが、最大の要因は日本の独特の文化がそもそもキリスト教を受け入れがたいものにしていると思います。2600年以上天皇制があり、それ以前縄文や弥生時代から日本は他の国とのつながりが希薄だったので、他の文化との乖離が大きく、それ故に人々はキリスト教の日常の言葉で理解できる聖書を読んで短兵急に自分が信じられるものではないと結論付けているように見えます。
7:37キリスト教の基本を少し→最も重要な教えは「福音」=「キリストは、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、3日目に復活して、使徒たちに現れたこと」を信じるだけで救われるというもの。全ての人は罪の性質を持ち、そのままでは創造神に義と認められず、キリストの犠牲の死によって救われるということ→だからこそキリスト教のシンボルは十字架。その信者数は現在約24億人とも。
参照 聖書1コリント15:1~5、イザヤ53、ローマ1:16、エフェソ2:8~9
その考え方がどうにも納得いかないんですよね…私は…。受け付けない…。まだ親鸞の「南無阿弥陀仏」や日蓮の「南妙法蓮華経」の方が受入れられる気がする。
神は殺人や戦争を命じてます(聖書)
親鸞はキリストが好きでした❤
信じるのは、自分のみ。
キリスト教の中心課題は福音、
ギリシャ語ではエヴァンゲリオン!
秀吉とか家康が禁止したから?
創造の源。
アーサーホーランド牧師。
仏教も伝来したものですが、一度中国を経由して伝来した事により宗教教義や内容が漢字に翻訳され受け入れやすくなっていたのが浸透した理由です。日本はそういったいわば「国内向けの規格変更」が必要な国なのです。クリスマスが「キリストの誕生を祝う」という本来の目的とは違う商業的要素が強いイベントになって受け入れられていったのはいわば商社が「規格変更」を行ったからです。しかしキリスト教は聖書が絶対的な聖典であり、変更を禁忌とする宗教です。それでは日本では浸透しません。
今は逆に神道が世界に広まりつつあります。戒律が多く自由が制限される宗教が日本で広まる事はまずありません。日本人の宗教観は時代の最先端を行っていると言えます。
福音とは
よちよちクリスチャン
仏教は広まってるじゃん
イエスが語る未来予想図。
イエス様はどうやって再臨されるの?
Jezue for Japan
西郷どんと聖書
高原牧師。
キリスト教を知らないんだよ
西郷隆盛と聖書を学んでいた。
高原牧師。
神は殺人や戦争を命じてます(聖書)
人はなぜ滅びるか?
福音とは?
よちよちクリスチャン!
ファティマ第3の預言と2025年、
lalala mystery
世の終わりが来るという話ですからね、ひろまるわけないですよ。
キリスト教については正しく伝わっていないクリスマスの日でもサンタクロースが来る日に変えてしまうしイエスキリストを信仰しないと地獄に落ちると云う邪説を信じてしまう本当は墓に眠るで時が来たらイエスキリストが復活させて裁きを行なうと聖書に記載されています教会で教えを受けてください
途中から理由ではなく結果になっている 残念な動画
聖書もキリスト教がなんたるかもご存知ないようで。。。
天皇陛下のことを調べて言ったらクリスチャンになりました。
5:50 キリスト教は、奴隷解放の教えだ。
キリスト教ユダヤ教イスラム教どれも同じ神。変だよ。預言者が違うだけで。教典が違うのも変だよ🎵そもそも此の世の神など存在しない、絶対に居ない❗ただ居るのは人の信仰信を利用する輩のみ。
死は受け入れ難いからなあ
どこかで逃げ道が必要なんかな
亡くなった肉親を思うとあの世で待っているという幻想は甘美
姉たちが語るあの世を否定する必要はない
因みに父母姉の最晩年の笑顔はわたしの財産、生きる糧になっている