増水した川に2台のバスが転落! 図解『飛騨川バス転落事故』1968年8月18日 Hida River bus accident
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- čas přidán 13. 02. 2023
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00:07 1.経緯
05:40 2.相次ぐ土砂崩れ
08:16 3.事故発生
10:42 4.救助活動
12:49 5.その後
飛騨川バス転落事故(ひだがわバスてんらくじこ)は、1968年(昭和43年)8月18日未明、岐阜県加茂郡白川町河岐の国道41号において発生した土砂災害によるバス転落事故である。
名古屋市内から乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、岡崎観光自動車所有の2台のバスが、集中豪雨に伴う土石流に巻き込まれて、増水していた飛騨川に転落し水没、乗員・乗客107人のうち104人が死亡した。
この事故は、日本のバス事故史上における最大の事故となった。世界のバス事故史上においても最大級に分類される事故である。
――Wikipedia「飛騨川バス転落事故」より
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%...
いろいろ投稿してみたいジャンルの一つとして過去の事件・事故にまつまわる解説動画、というのがありました。
まあ今までもほぼ同じ趣旨でしたが。
今回は慰霊碑移転のニュースをたまたま知る機会があったので、「飛騨川バス転落事故」を取り上げてみました。
これからも様々な事件・事故の動画を上げていくつもりです。
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当日11号車に乗っていました。出発前に団地の五階の階段から御岳山の方向に真横に走る稲光が見えていたので心配でした。雨が激しくなってから小規模の土砂崩れの横を何回か通りました。窓を開けて覗くと土砂崩れ特有の匂いがしました。転落事故後に7号車の運転手さんの取材記事で土砂に押し出されガードレールに激突した瞬間、6号車のテールランプが弧を描いて消えて行くのが見えたそうです。捜査員が自宅に来て参加していた人に事情を聞いて回ってましたね。此の事故以降、災害時に早期に通行止めをする対策が採られるようになったと思います。
この事故は何度も読みましたが、当事者の方の言葉を初めて聞くことができました。是非、伝え続けてください
歴史的事故の当事者ってトラウマだよなあ
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします
@@skypesea2697 ありがとうございます。事故の翌朝まで白川駅近くの路上で待機していました。場所はよく覚えていませんが、団体で昼食を取れる施設まで移動できました。
昼食前に参加者数名から、食事前に黙祷しましょうと声が上がり、全員で黙祷したのを思い出しました。
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普段から嘘をつく人間は他者も嘘をついていると思い込む傾向にあるのでこういった人ほど注意
高山本線白川口駅の駅長が、当日の雨の降り方等から、当駅で列車を止め、駅長独自の判断で名古屋方面へは発車させなかった。客からは早く列車を出せと散々騒がれ文句を言われたが、誰が何と言おうと自分の意見を貫いた。
翌日わかったのは、駅を出てしばらく行ったところですでに豪雨によって道床が流されており、もし列車を発車させていたら、更なる大惨事は免れなかったという事。
後になってみんなこの駅長に感謝したというような話を聴いた事がある。
ちなみにこれをスクープしたのが毎日新聞の種村直樹(後のレールウェイライター)記者。
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そうなんですか、知りませんでした。ありがとうございます。昔からすごい人だったんですね。
こういう時に文句を言う乗客にはなりたくないものですね。
@@user-yk7pt7xx2h
昔の毎日新聞記者は、岡田更生館事件のスクープもだが、気骨があったんだね。
今はあんなんだが。
国鉄にもまだまだ任務、士業に生きた職員も居ました❗
親族家族とその友達家族がこの事故で亡くなりました
友達家族と同じお寺です
高齢になって歩けなくなるまで
お互いの親は毎日お墓参りしていました
二度と同じような事故は起きて欲しく無いです
入社3年目の夏の大惨事でした。
わが社に5時半の定時後にお花を教えに来ていただいていた華道の先生もこの事故で・・・
先生との直接の接点はなかったのですが、教材の花代請求書が花屋さんから郵便で会社へ届くと、福利厚生担当部署から
経理へ支払依頼があり、私が支払伝票を発行していました。
飛騨川での事故の話題となると必ず先生のお姿を思い出します。
私はこの事故のあった年の4月、愛知生まれ。当時の父は名鉄バス(路線)の運転手でした。
事故に巻き込まれた観光バスの運転手さんの中には、父の同期や知り合いも複数名いたようです。
私が社会人になり、この場所を通る事があれば、必ず白菊の塔に立ち寄って手を合わせていました。
事故の事を知らない同乗者がいれば、必ず毎回、事故の詳細を説明していました。
小学校低学年の頃、自宅で見つけたEPレコード「ああ天心白菊の塔-島倉千代子-」を
何度も聞いていました。今でも島倉千代子さんの歌声でサビの最後の部分「あ~あ~~てんしん~~ しらぎくのと~ぉ~~」は鮮明に記憶しています。
慰霊塔の移転は大変残念な気持ちになりました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、事故の記憶が、事実が、時の経過とともに風化しないことを心から願っています。
極めて過酷な事故だ。亡くなられた104名の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
追悼厨恥ずかしいよおじさん
地図や運行ルート、バスの並び順、バスの所属会社等とても分かりやすい解説です。ナレーションも淡々と事実を述べるのみに徹して好感を持ちました。この手の解説は読みが合成音声なのか、漢字の読みがおかしいものがよくありますがこちらは肉声でしょうか。「建立」をちゃんと「こんりゅう」と読んでいて安心しました。
この事故ですが、私もまだ中学生でしたが、父と別のバス会社のバスで同じ道路を1時間後に走っていました。途中から雨が強くなり、ワイパーも効かないような状況になり、やむなく引き返す事になりました。途中、小さな川が増水して、家族連れの車が巻き込まれていたのを覚えています。
次の日のテレビのニュースで、バスが転落したのを知りました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
@@user-ve5rr9bl4i 少し後ろではなく、時間にして1時間後ろを走っていた、という事です。
当日は、凄い土砂降りで、回りの状況も全くわからず、ただ運転手さんの必死の運転で進んでいましたが、雨は益々ひどくなり、やむなく引き返すという結論になりました。だから、その時飛騨川にバスが転落した事など知る由もありません。
翌日、自宅に帰ってテレビのニュースで知って、父とビックリしたというのが真相です。
家族連れの車が巻き込まれていた、というのは流された、という事でしょうか?それともただ立ち往生してただけ?
@@user-po1bl5cy3k 小川を、川の水があふれて道路上にまで流れており、そこに家族連れの自家用車が通りかかったのですが、水流が強くハンドルを取られて前進出来ず、横にながされていましたが、橋の欄干で止まる、と思いました。その後、どうなったのかはわかりませんが・・・。
父親からこの悲しい事故を聞きました。ずっと以前から、慰霊碑がなくなった今でも、あそこを通る時には必ず胸に手をあてて犠牲者のご冥福をお祈りしています。
中学の頃、親戚の家で泊った時、この事件を見ました。50年後こんなに詳しい内容を知るとは夢にも思えませんでした・・
当時、第二グループにいた運転士からゆっくりこの話を聞かせて頂きました。
引き返す時のドライブインで第一グループの運転士の方々は今すぐ出発する、第二グループはここで待機すると意見が分かれたそうで、お客さんもすぐ帰りたいという方が第一グループに多かった(第一グループは一つの団体)。
その後、裁判で何回もその話をしたということです。
また、父親は伊勢湾に流れ着いたご遺体を捜索して、ご遺体を見たとのことです。
ご遺体がどういう状態かは言わないでおきます。
どんな状態?
この事故の動画を色々見てきましたがこちらの動画が地図を用いて説明しているので位置関係がよくわかり参考になりました。
毎回こういう大惨事を目の当たりにすると助かるのも命を落としてしまうのも運命なんだと感じる
地元民です。繰り返し流された飛騨川転落事故のニュース。今でも画面が脳裏に浮かぶくらいに衝撃的な事故でした。こうして風化させず丁寧に取り上げて下さりありがとうございます。
観光バスは高速や国道などはじめっから通行止めってならないと基本行っちゃうんだよね。私も観光会社いましたから余計痛ましく思います。情報だって後に分かったことも多かったと思います。
半世紀以上も前の歴史的大惨事ですが.当時この41号は現状ルートより更に曲がりくねった道路で深夜帯の豪雨の中.運転手の緊張は正に想像を絶するものを感じます。今でもこの飛水峡付近は山が迫る難所のひとつで夜の悪天候では楽な走行ではありません。心よりご冥福を祈ります。
あの日、私も乗鞍岳からの帰りの観光バスに乗ってました。遅れに遅れ、運転手の機転でルート変更で、下呂から舞台峠を経て、中津川経由で帰りました。翌日この事故のことを知りました。
切ない事故ですね
当時真っ暗な夜中に大雨で状況も解らない
今回動いたバスが事故にあいましたが町中が安全とも限らないですし
今みたいにかなり正確な天候をスマホで簡単に知る事が出来る場合とは違う
おそらく道路も狭くて今ほど危険区域の設定もなかったのでしょうね
バスの事故は犠牲が多くなりやすいので辛いです
小生のかみさんが事故の数時間前に通って、朝市振の海岸で飯を食べていたと結婚後言っていました。聞いてぞっとしました。
聞き取りやすい声で、他の合成音声より切迫感が伝わってきて良かったです。今後も続編の制作、頑張ってください!
子供の頃に親戚の叔母から、よくこの話を聞かされました。
若い方は知らない方が
多いはずです。
この事故をもっと知っていただきたいです。
命の尊さを解説していただけることに感謝いたします‼
この事故がきっかけで、それまでばらばらだった道路交通情報をまとめる、今の公益財団法人日本道路交通情報センターができた。
都道府県警の交通管制センターや高速道路交通の管制室、都道府県の土木事務所、国道事務所に道路交通情報センターの事務所やラジオ放送のブースや駐在員をおいた。
後は現在のように、ラジオテレビの道路交通情報、電話案内、ネットでの情報提供を。
道路交通情報センターに入社すると、新人研修の時にこの話しをします。
万博を控え、日本が元気だった頃の惨事…。
事故に遭われた子供たちが生きていたら、還暦あたりの年代なんですね…。
地元で、こんな事故あったの知りませんでした。
ありがとうございました
大変興味深いチャンネルに巡り合えました。北海道が地元でしょうか?
日本と言う国は四季を通じて風光明媚な場所が多い一方で、その裏に自然災害と言う危険な顔も持ち合わせています。
私自身、日本各地を愛車で飛び回っておりますが「絶景の裏に災害あり」と肝に銘じて訪問しています。
地名を見ると何とな~く「ここって何かあれば危険な場所なのでは?」と鼻が利くようにもなりました。
ここ飛水峡もそんな感じの地名ですよね。似たような感じで探すと鹿児島の竜ヶ水も同じ様な災害がありましたね。
これからも長きにわたって繰り返される自然災害を掘り起こす事で、少しでも風化の歯止めとなる事を願います。
北海道...25年以上前、幼少だった私がTVの前で祈る様に見ていた豊浜トンネル、昨年ようやく手を合わせる事が出来ました。
事故現場の地名は「白川町河岐」。
小瀬、汁谷、津、池尻など三水偏のつく地名は水に関係が有り、家屋や田畑への浸水などの水害が怖いです。
現代は合併や地名の変更が有って、土地売買や住居の決定の際の判断がしづらくなっています。
明治時代以前の古地図や昭和の合併以前の地名を知っていると参考になります。
この事故の犠牲者が伊勢湾岸の三重県に流れ着いたニュースを聞き、海に行くのが怖かったよ。当時中学生だった。
なんでこう悪い方悪い方に物事がすすんでしまうんだろうな。
ギャンギャン責める状況が悪い😡
落ち着けば防げてます😡
モノ事が裏目、裏目に出てしまう、負のルーフにはまってしまった…。😅
バイクツーリング等で よく41号線走ってましたが こんな事故があったなんて初めて知りました。
今だに大雨による通行止めよくありますもんね。
その大雨による通行止もこの事故を契機に建設省(当時)が全国調査の上で設定されたものです。
素晴らしいチャンネル登録しました。絶対に伸びるので、動画やめないで下さい。
子供の時の大事故、記憶にあります。疑問だが、なぜこんなに夜遅くに出発したのか、迷っていたのか。それにしてもさまざまな細かい事案が
人の生死の運命を分けているんだなぁと。濁流の飛騨川に転落なんてほんとに悲劇で、今においてもやりきれない思い
事故当時、運良く取り残された者たちにとっても想像を絶する恐怖
このCZcamsで詳しく知ることができた。ありがとうございます。
とてもわかりやすい動画ですね
小石が落ちてくるとか危険な兆候ですが、当時は余り知られてなかったんでしょうね
休憩所で停まって様子を見てれば…
悲惨な事故があった事が知れました
ありがとうございます
事故の名前は聞いた事があった。
まだ産まれてなかったので詳細は知らず、調べる程には興味なかったので、おかげで勉強になりました。
こういった使い方をしてくださる方が居るとYou Tubeの存在価値が上がる
モーテル飛騨って私てっきり道の駅 飛騨金山の少し手前のドライブイン飛山の事と思ってましたが下油井あたりなんですね、私犬山在住でよくこの辺りを車で走るのですが現在はモーテルの痕跡は全く存在してないですね。
この悲惨な事故で犠牲になられた方達の特に乗客の皆さん、皆さんは何の落ち度もありませんし大変ご無念だったと思います、今は安らかに眠って下さい。
行けなくなりキャンセルしたから命拾いしたと身内が昔話していたことがあった。
落ち着いた対処が救った命です😊
私の身内が捜索に参加してまして、遺体収容作業や遺体安置場所などが詳しく語られた事を、中学生の時の自由作文の題材にしたら同級生から気持ち悪いと言われてしまった経験があります。
自由作文なんだし、ノンフィクションだし、とてもいい題材だと思うんですけど、中学生じゃ刺激が強いのかな。
わたしがあなたの同級生だったのならご一緒にお身内の方にお話を聞きたかったわ。
その同級生が精神的にまだ未熟だっただけ。
当時祖母の家が現場の下流の町にあり、週末だったのでそこに家族で遊びに行っていました。今で言う線状降水帯だったのでしょう。その町でも一晩中豪雨と雷が続き、恐くて眠れなかったことは50年以上経った今でも憶えています。一夜明けて次の日は河原に多くのご遺体が流れ着いてヘリが飛び交い大騒ぎだったとのことです(それは記憶にありません)。自分は家庭の事情でその町の小学校に通うことになったのですが、同級生はみんなその夜のことを憶えていたぐらい激しい雷雨でした。
40数年前、「日本怪奇ゾーン」という本で、この事故にまつわる怪奇現象が掲載されていた。怪奇現象の内容は覚えていないのに、
昭和43年8月18日、岐阜県白川町の国道41号、飛騨川へのバス転落、といったキーワードだけはなぜかはっきり覚えており、転落したバスの生々しい写真が不気味だった。
あの事故後、幽霊が出ると言われていました。今でもあの付近では事故が絶えません。私の知っている人が何人も亡くなってみえます。つい先週にも事故の現場に遭遇しました。絶対あの事故の怨念がありそうです。なのであの場所を通る時には引き込まれないようにと気を引き締めて運転しています。
白菊の塔が移転されたの知らなかったです!移転前に見に行くことが出来て良かった
14:27
民法の不法行為論の講義でこの事故知りました。教科書的記述では「大事故だな」としか分からなかったのですが、授業で配布された当時の新聞記事コピーと現地地図に目を通して初めて、深刻な事態であったことを理解しました。
この事故覚えてます。冥福お祈りします。
ここまでの詳細は初めて知りました。
どうもありがとうございます。
おはようございます。
数日前に3度目拝見。
心よりご冥福をお祈りいたします。
日本はおろか世界でも類例が無いくらいの最大級のバス転落事故。
二台のバスが濁流に呑まれ、多数の死者が出ました。
川から引き上げられ、ぐちゃぐちゃにひしゃげたバスの写真が今でも鮮明に思い出されます。
池田貴族さん家族が
この事故を逃れたエピソードを語ってたような記憶があります
この時代に早い段階で詳細な天候の予知をするのは無理だったのでは…?
飛騨川沿いの国道41号線に慰霊碑がありましたね。
今は道路改良工事のために道の駅に移動しました。
飛騨川バス転落事故が起きた時、3歳ぐらいでしたが連日ニュースでやっていて怖いなぁと思って聞いていたのを覚えています。詳細はこの動画で初めて知りましたが、2台のバスが転落した事は知ってました。本当に悲惨な事故だったと思います。お亡くなりなった方のご冥福をお祈り致します。🙏合掌
遺体の一部ていかに凄惨な事故だったんだろう。
その当時は父の田舎(現長野県安曇野市)から帰る時に国道19号線で帰って来る時に道路縦隊で四時間かかるところを倍の八時間かかりましたよ、その時に我が家に電話無くてお隣に中津川の食堂から電話して言付け頼みましたよ、まさかその渋滞の影で悲惨な事故か起きているなんて知りませんでした。
6年前の梅雨時だったかな。
夜遅い時間に現場付近を通行したら、突然目の前が真っ赤に強烈に光ったことがあって心底怖くなって心臓バクバクで帰ってきたことがあります。
それ以来オレの怪談の持ちネタにしてます。
8:59 これだけでも当時ものすごい量の雨が降っていた事が分かる
私はまだ小学4年生でした。本来なら家族でこのツアーに参加の予定でしたが、父親に出張が入り、前週になりました。舗装もない地道のヘアピンカーブを崖を臨みながら行くバス道はほんと怖かったです。
天心白菊の塔、移転されたんですね。元の位置ではたぶん注意喚起のために、日中はずっと何かの放送(音楽だったかもしれません)があったと思うのですが、道の駅に移転されたとなると、それもなくなったかもしれませんね。
13:00
「奥様ジャーナル」の社長も妻子を失うなど被害者でも有り、更に一家根絶やしになったケースも有りました。
この事故から54年後となる2022年には飯能市の「美杉観光バス」が富士宮市で死亡事故を起こしましたが、犠牲者は女性1名のみでした。
私が産まれる2カ月前。幼少の頃、夏のお盆休みで名古屋から高山市方面へ。途中 サイレンみたいな音 がしたので親父に聞いたら、お前が産まれる2カ月程前にバスの転落事故があってその弔うサイレンだと。今はその音があるかどうかは分からないけど。
文字で分からなかった事件を地形で解説して良くも悪くも鳥肌
現在62歳私の記憶にあるバス事故は、長野県青木湖バス転落事件です
その日家族で隣の五竜とおみスキー場にいました
当時小学2年生で、私は覚えていないのですが、 母と母の友人がこのバスツアーに私と友人家族と参加する計画を立てていて仕事が多忙になり、行けなくなったようです。大惨事をニュースで知って、行かなくて良かった。と聞きました。この事故の詳細を知って、二度と繰り返さないように願うとともに、お亡くなりになった方104名様のご冥福をお祈りいたします。
衝撃的な事故でした。子供ながら、私も、ニュースをよく見てました。
痛ましい事故ですね。すぐにツアーを中止したので天災と言う外はないでしょう。事故はほんの少しの事で明暗を分けることになります。遺族の無念は理解できますが皆が最善の方法を選択しているので諦めるしかないでしょう。また、こういった大きな事故から学んでその後の防災に役立つことがあるのも事実です。
昔だから今だからじゃなくて、少しでも危険と思ったら続行するのやめてほしいな…日付かわったあたりで進む事やめてれば…
私が小学生の時の事故ですねこの後すぐの秋の遠足で岡崎観光バスで遠足しました。
このころバスの号車は固定でしたので事故のあったバスは欠番でした。
素晴らしい解説です。この事件では当時の佐藤栄作総理が、「遺族補償で国として何とかならないのか」と激高し
当時の運輸大臣で元総理である中曽根氏に強く指示し、自賠責保険の特例を適用しております。
今の岸田では「検討に検討を重ね」とか「今後、え~関係された方々に え~丁寧な説明を」とか言って逃げそうですね。
しっかりと緊張感とスピード感を持って慎重に慎重を重ねながら前向きに注視を検討するべく
今後幅広く意見を聞き総合的に判断し関係各所と緊密に連携を図りながら丁寧な説明を重ね
引き続き全力で適切に対策を協議してまいります
地位を利用して保身に走る悪い政治家にこの動画をみてもらいたい。
高度経済成長期の政治家には全身を蛇に食い荒らされるような苦痛を国民に与える悪い政治家はいないのでは?
現在の話ですが、"悪い政治家"を選んだ有権者の責任です。
今とは違い気象を正確に予測できるものではありませんでしたが、雨予報なら早めの中止ができたり、また崖崩れの危険は予知できたのではないのか?と感じます。
まあ今から考えたらあとだしでしかないですが。
私当時保育園児でしたが、連日テレビで放映されていたのをよく覚えています。ぐしゃぐしゃになったバスが引き上げられるのを、テレビで見ていました。この事故がきっかけで、大雨が降ると、道路が早めに通行止めになるようになったんですね。
事故の少し後に生まれましたが、裕福ではなくマイカーもなく、子ども時代は、家族旅行は一度しかしたことがありませんでした。
タウン誌「奥様ジャーナル」、当時でいう「ナウ」な響きに、きっとレジャーを楽しみたい若い夫婦と家族が、夏休みの思い出づくりにと、胸を踊らせててツアーに申し込んだのだろうなと思います。それがなぜこんなことに。
転落したバスはずっと長い車列の真ん中だったのに、なぜか事故の時だけ一番危険な位置に。
慰霊碑が、移転を余儀なくされ、さらに思うように移転できない事態がことが起こっていたとは。
どんなに人が道を開削してもここは山のテリトリーである、と見せつけてくる自然の圧力を感じ、いつも考えてしまいます。
私はもっと後ですが、裕福でもなく、親戚と行った旅行しか覚えてません。
郡上あたりに行くようになったのは社会に出てからですね。
名古屋に行くにはR156は重要な道です。
明日で55年です。夏休みが仇となった悲しい事故ですね。
40年くらい前に、学生時代に現場を取り掛かった時、慰霊碑があったのをよく覚えています。一帯で土砂災害があり、谷になっているところは後で大きい土石流が来る可能性もあるのですね。携帯電話もない時代に、運転手さんたちは出来る範囲でギリギリの対策を取ったのでしょうが。。。夏休み中で、子供もたくさん亡くなったんですね。
確か、事故が起きたのは高校一年生の時かな。
東海地方では連日報道されてました。
慎んでお悔やみ申し上げます
へー、知らんかった。確かにあの辺友人の車で通った事あるけど、いたるところで土砂崩れが起こってたもんな
この事故…今みたいにスマホや携帯があったら多分ですがこの事故は防げたかも知れなかったですよね。
きっと防げたと思いたいですね。LINEで一斉通知できれば、尚良しでしたね。せめて初期型のでっかいやつでもいいので携帯電話があれば…と誰もが思ったことでしょう。尤も、当時持ち運べる電話なんて誰も思いつかなかったんじゃないか。"鉄腕アトム"でも黒電話で話していましたから。無線機だって高価だし、簡単に入手できません。
現在のようにスマートフォンがあったとして、主催者·参加者が一斉に使い始め回線が混雑するし、山間部でかなりの悪天候で電波が著しく不安定という事態になっていたと想像します。
洞爺丸事故の様なイメージです。
BGMが素晴らしいですが
事故の悲しさも伝わってきます
高校の時の担任の先生の奥様が犠牲になられました、お悔やみ申し上げます。
いつも犠牲者が出てからじゃないと安全管理できないのって人間ってほんと愚かだよねえ
危ない❗危険と言って下さる人を信じるべきかも😮命を守るのも自分次第😮
いろんな点で時代が生んだ悲劇でしょうな。まずどんだけ大人数で移動しとんねんて話。まとめるにもまとめられないでしょう。
遠田潤子さんの小説「雨の中の涙のように」でこの場所を彷彿とさせるシーンがあります。何となく私の記憶の中でここを知っているというおぼろげな記憶がよみがえってきました。
私は子供の頃、ゴールデンウイークに名古屋から下呂温泉に毎年のようにこの場所を通り、慰霊碑の場所でお昼を取り、慰霊碑に手を合わせていた場所だということを思い出しました。
事故があった時にはまだ生まれていませんでしたが、このような事故だったのだと初めて知りました。
普段は水の少ない川で山と川に挟まれたきれいな場所なのでしょうが、増水すると状況は一変しますね。
後世にも事故の記憶を伝えていかねばと感じました。
この頃の裁判官は今と違ってまともだったんだな。
今日で55年になりますね😢本当にお気の毒です🙏
当時は土曜日も仕事、仕事終えてから夜名古屋を出発して、乗鞍のご来光を見て、高山観光して日曜夕方帰宅。次の日仕事だったんですかね?名古屋の仲田近辺も団地が多かったんですね。亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
私はまだ満願してませんが、この事故をきっかけにして東海圏新西国霊場というものがございます。
この時に、ご遺体があった寺院が一番霊場になっております。
問えません(´-`).。oO
異常気象は…
予知できません。
事故の前日に事故現場をとおりました 後から聞いてぞっとしたのをおぼえています
大変な事故だった 俺 中一の時 で数日か?一週間後?だったかな
地元の海苔竿に流れて来た 遺体が引っかかっていたよね
堤防から見た時に 何か気持ち悪いものを感じたため 俺はそのままに
で翌日の新聞記事に載っていた「やはりあれは遺体だったか」だったね
ほんま気の毒な事故だったよね
犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りします。さて解説がとても話わかりやすく、現地の今の写真などもあって、迫真性が増しています。ただひとつ惜しいのは、ご遺体を「収容」とせず、「回収」としたことです。
地元なんだけどこのエリアはまじで危ないよ。ろくなどこじゃないよ飛騨なんか
携帯とかあったらあったで別の事故になってただろうね
これに似た事が1993年鹿児島日豊本線竜ヶ崎駅土石流災害。
裁判で被告になったコミュニティ紙の主催側の家族も死んだり
中学生が家族が全滅して一人だけ取り残されたことを苦に自殺してしまったり
とにかく悲壮な事故
人の頭ほどの岩が転がっていたって分かりやすいけど例えが怖いw
これは運が悪かったとしか言いようがない
今でいうと高齢者ドライバーに遭遇する様なもんですよね😰
大凶
雷雨注意報って何だろうと調べたら、昭和63年3月31日まで使われていた注意報というのがわかった。翌、4月1日以降は雷注意報に変更とのこと。
雷雨注意報などの旧注意報・警報について解説動画が見当たらないのでここに書きました。
雷と降雨と連動しない場合(雪おこしもそうかも)があるためその時に発令(当時)するには名称がそぐわないとの指摘があったと聞いたことがあります。
異常乾燥注意報や異常低温注意報の異常が取れた(そもそも異常な状態だから注意報をだすわけだから注意報名の異常は屋上屋だと指摘があったとされている)のもこの時期だったかと
大変でしたね。
早くバイパス作ってくれないかな工事が遅くて
梅雨の時期になると思い出すし毎日通る道不安です
今41号通ってもなんか怖いし
昼はいいが夜は。
地元なので親からよく聞いた。天心白菊の塔の前はよく通ったな。