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コツバ。チャンネル【コツコツ歴史】
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現地行っちゃう系歴史CZcamsrコツバ。です☺️
小学3年生の時からハマっている歴史❗️
その後、野球にハマり過ぎて、
甲子園目指すもその年の甲子園優勝校に敗北し野球人生を終えました❗️
今は大好きな歴史に没頭中です❗️
特に好きなのは当主・家臣含めた武田軍団が好きです。
以前行った甲府の武田二十四将の屋敷跡巡りが本当に最高でした❗️
他にもお城、武士の時代、平安末期〜明治維新までが大好きです❗️
これから色々なところ行きつつ、歴史について投稿していきたいと思います❗️
よろしくお願いいたします✨
#歴史
#旅
#城
#歴史解説
#日本史
小学3年生の時からハマっている歴史❗️
その後、野球にハマり過ぎて、
甲子園目指すもその年の甲子園優勝校に敗北し野球人生を終えました❗️
今は大好きな歴史に没頭中です❗️
特に好きなのは当主・家臣含めた武田軍団が好きです。
以前行った甲府の武田二十四将の屋敷跡巡りが本当に最高でした❗️
他にもお城、武士の時代、平安末期〜明治維新までが大好きです❗️
これから色々なところ行きつつ、歴史について投稿していきたいと思います❗️
よろしくお願いいたします✨
#歴史
#旅
#城
#歴史解説
#日本史
【光る君へ】道長の陰に行成あり!藤原行成と子孫解説
今回は藤原道長を支えた、
藤原行成とその子孫たちを紹介します!
能書家として現代にもその名が伝わる藤原行成!
行政官としても藤原道長を支えています!
そしてそんな藤原行成の血脈はどこまで続いてるのかを
解説したいと思います!
#光る君へ
#藤原行成
#日本史
#藤原道長
⚫︎画像引用
「光る君へ」公式HPより引用
Googleマップより引用
⚫︎参考文献
図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
藤原行成とその子孫たちを紹介します!
能書家として現代にもその名が伝わる藤原行成!
行政官としても藤原道長を支えています!
そしてそんな藤原行成の血脈はどこまで続いてるのかを
解説したいと思います!
#光る君へ
#藤原行成
#日本史
#藤原道長
⚫︎画像引用
「光る君へ」公式HPより引用
Googleマップより引用
⚫︎参考文献
図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
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【光る君へ】奥州藤原氏解説!奥州藤原氏も藤原北家!奥州の名族に至る流れを解説
zhlédnutí 6KPřed 14 dny
今回は藤原北家の中でも奥州で大繁栄する 奥州藤原氏について紹介したいと思います! 平泉で栄華を誇った奥州藤原氏は、 藤原道長と同じ藤原北家ということになります! そんな奥州藤原氏は藤原北家の中で、 どこの家系から分かれていったのかを解説します! #光る君へ #奥州藤原氏 #日本史 #藤原道長 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 前九年・後三年合戦と兵の時代 樋口知志様著 蝦夷の古代史 工藤雅樹様著 図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
【光る君へ】藤原道長の身内たちの出世状況分析!やっぱり身内は出世する!?
zhlédnutí 7KPřed 21 dnem
今回は藤原道長の出世状況を分析します! 990年代後半から道長薨去の1028年頃の道長の身内たちの 出世状況を見ていきたいと思います! やはり権力を保持すると、 一族でその周りを固めるかと思いますが、 道長の身内・親類たちの出世はいかに!? #光る君へ #藤原道長 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用
【光る君へ】藤原南家とは?道長の治世ではどんな状態?大繁栄する子孫まで紹介
zhlédnutí 27KPřed měsícem
今回は「藤原南家」について紹介します! 「光る君へ」では藤原北家中心に描かれておりますが、 藤原北家に次ぐ一族・藤原南家も相当な繁栄を誇っています! 特に武家としての繁栄は目覚ましく、 子孫たちは日本の歴史にその名を刻んでいくことになります! 今回はそんな藤原南家を、 道長の時代にはどんな状態だったか、 そして繁栄する子孫たちに繋がる流れを紹介します! #光る君へ #藤原道長 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
【光る君へ】藤原北家に生まれた娘たちの運命〜喜びと悲しみ生涯〜
zhlédnutí 14KPřed měsícem
藤原北家の娘たちの生涯を辿ります! 藤原北家の中でも、 小野宮流の藤原実頼の家系 九条流の藤原師輔の家系 小一条流の藤原師尹の家系 この3家系の姫たちに注目します! 「光る君へ」にも登場している姫や、 そうでなくても重要な存在となっていた姫、 様々な女性たちを紹介します! #光る君へ #藤原道長 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
【光る君へ】道長四天王の実態とは?道長に仕えし、強すぎる4人の武者たち
zhlédnutí 18KPřed měsícem
藤原道長に仕える4人の武者たちである、 「道長四天王」を紹介したいと思います! 道長に仕えた武者たちは多くおりますが、 この4人は特に強い人物となります! 源頼信 藤原保昌 平維衡 平致頼 源氏・藤原氏・平氏で構成されておりますが、 どんな人物だったのでしょうか! そんな彼らの生涯を紹介します! #光る君へ #藤原道長 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 武者から武士へ 森公章様著 武士の原像 関幸彦様著
【光る君へ】武家藤原氏シリーズ!藤原秀郷子孫解説!摂関家とは違う道を歩む軍事貴族
zhlédnutí 12KPřed měsícem
武家藤原氏シリーズ第1弾として、藤原秀郷の子孫を紹介します! 藤原道長と同じ藤原北家でありながらも、 軍事貴族の藤原氏として別の道に進む秀郷流藤原氏! そしてその子孫たちは、日本を代表する武家に成長していくことになります! 今回はそんな武家藤原氏を紹介します! #光る君へ #藤原道長 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏解説 木本好信様・樋口健太郎様著 藤原秀郷 野口実様著 少弐氏の興亡と一族 市丸昭太郎様著
【光る君へ】日本各地で活躍!地方官を務めた男たち〜中央だけじゃない!受領をの地位の確保とは!
zhlédnutí 10KPřed měsícem
今回は藤原北家全盛期、道長や頼通の治世で、 地方官として受領を務めた人物たちを紹介します! 「光る君へ」ではまさに藤原為時が、 そのポジションとなっているのでそこも紹介していきたいと思います! 中でも大国と呼ばれる13カ国を中心に受領となっている人物の紹介となります! 藤原氏はもちろんのこと、源氏や平氏や諸家も登場します! #光る君へ #藤原氏 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用
【光る君へ】藤原氏全盛期に源氏は何をしてた?実は超重要な働きをする各源氏一族を紹介
zhlédnutí 35KPřed 2 měsíci
藤原北家全盛期の1000年前後に各源氏一族の動向を紹介します! この藤原氏の時代を源氏はどのように生きていたのか! 実は意外な場面にいたり、 重要な働きをして立場を確立していくことになる源氏一族もいます! 実はこの時代の源氏の動きは面白いです! #光る君へ #源氏 #藤原氏 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 源満仲・頼光 元木泰雄様著 天皇家と多田源氏 奥富敬之様著
【光る君へ】一条朝四納言ならぬ、一条朝姫ファイブ!?一条天皇を囲む5人の姫たちの攻防戦
zhlédnutí 59KPřed 2 měsíci
今回は一条天皇に入内した5人の姫たちの人生に、 スポットを当てたいと思います! やはり藤原定子、そして藤原彰子が有名ですが、 他にも3姫入内しています! この一条朝四納言ならぬ、一条朝姫5(ヒメファイブ)を 入内順に紹介します! #一条天皇 #光る君へ #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 ⚫︎参考文献 図説 藤原氏 木本好信様著 樋口健太郎様著 一条天皇 倉本一宏様著
【光る君へ】藤原道兼の子孫が織りなす1000年の物語!七日関白・藤原道兼の子孫解説
zhlédnutí 16KPřed 2 měsíci
藤原道兼の子孫解説動画となります! 「光る君へ」でも冷酷な人物から、引き込まれるような描かれ方をされたていた藤原道兼! 七日関白と言われた道兼の子孫には諸説あるが、今回はその子孫たちと言われている人物の1000年以上続く系譜を紹介します! #光る君へ #藤原道兼 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好信様 樋口健太郎様著 中世宇都宮氏の世界 市村高男様著
【光る君へ】平安の姫たちの意外な繋がりを解説!姫たちの出自解説
zhlédnutí 11KPřed 2 měsíci
平安時代の姫たちの繋がりや出自について紹介します! 実は姫たちは意外な繋がりがありました! 「光る君へ」では明かされていない血縁関係もあり!? これだから平安時代の貴族たちは面白い! 紫式部と源倫子の意外な関係にも注目です! #光る君へ #紫式部 #日本史 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好信様 樋口健太郎様著
【光る君へ】道長の叔父・藤原公季の子孫が凄すぎる!?三条家・西園寺家など名門家系を輩出
zhlédnutí 11KPřed 3 měsíci
道長の叔父にあたる藤原公季の子孫たちを紹介します! とにかく子孫たちは閑院流と呼ばれる名門家系となっていきます! そして三条家・西園寺家・徳大寺家を輩出することになります! 更にはそれぞれの家系からも名門の支流が出てくることで有名な家系です! 五摂家に引けを取らない家系がこの公季の家系となります! もしよろしければ最後までご視聴いただけたら幸いです! #光る君へ #藤原公季 #歴史 #藤原氏 ⚫︎画像引用 「光る君へ」公式HPより引用 Googleマップより引用 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好信様・樋口健太郎様著
【光る君へ】源俊賢、道長の妻•明子兄妹の醍醐源氏〜藤原氏全盛期の醍醐源氏の生き方とは?
zhlédnutí 5KPřed 3 měsíci
今回は源俊賢・明子兄妹を中心とする 醍醐源氏について紹介したいと思います! 醍醐天皇という高貴な人物の孫となる 源俊賢と道長の妻となる源明子! 2人とも「光る君へ」に登場している人物となります! そんな2人と醍醐源氏が藤原氏全盛期にどのように生きたか解説します! #光る君へ #源明子 #源俊賢 #藤原道長 ⚫︎参考文献 図説藤原氏 木本好伸様 樋口健太郎様著 ⚫︎画像引用 光る君へ公式HPより引用
【大奥】家治と倫子のその後、史実での家基の生涯とは?そして11代将軍に続く流れ
zhlédnutí 34KPřed 3 měsíci
今回は徳川家治、そして倫子のその後について、 そして家治の嫡男・徳川家基の史実での生涯、 11代将軍家斉や御三卿の流れについて紹介します! 今回で「大奥」シリーズは最後となります! 今回の動画ではドラマのオリジナル設定と、 史実の違いについても触れさせていただきました! 「大奥」シリーズ、ご覧いただきありがとうございました! #大奥 #倫子 #徳川家治 #小芝風花 #亀梨和也 ⚫︎画像引用 ドラマ「大奥」公式HPより引用 Google mapより引用
【光る君へ】藤原氏の権力争いは完全な身内争いだった!血縁関係を家系図で解説
zhlédnutí 12KPřed 4 měsíci
【光る君へ】藤原氏の権力争いは完全な身内争いだった!血縁関係を家系図で解説
【光る君へ】紫式部の夫・藤原宣孝の子孫の繁栄が凄すぎる!?子孫は超有名な人ばかり!
zhlédnutí 439KPřed 6 měsíci
【光る君へ】紫式部の夫・藤原宣孝の子孫の繁栄が凄すぎる!?子孫は超有名な人ばかり!
【光る君へ】紫式部の父・母・夫の先祖を辿る!最終的に藤原北家に辿り着く!?紫式部先祖解説
zhlédnutí 6KPřed 6 měsíci
【光る君へ】紫式部の父・母・夫の先祖を辿る!最終的に藤原北家に辿り着く!?紫式部先祖解説
【光る君へ】紫式部も藤原氏!中臣鎌足から紫式部・藤原道長に続く流れを紹介!超巨大氏族・藤原氏解説
zhlédnutí 19KPřed 6 měsíci
【光る君へ】紫式部も藤原氏!中臣鎌足から紫式部・藤原道長に続く流れを紹介!超巨大氏族・藤原氏解説
【本多正信一族解説】稀代の切れ者・本多正信の一族・子孫解説、正信弟・本多正重の子孫たちも登場
zhlédnutí 7KPřed 7 měsíci
【本多正信一族解説】稀代の切れ者・本多正信の一族・子孫解説、正信弟・本多正重の子孫たちも登場
【大坂冬の陣 参戦徳川家臣】世代交代完了の徳川家臣団!新生・徳川家臣団で大坂を攻める!
zhlédnutí 13KPřed 7 měsíci
【大坂冬の陣 参戦徳川家臣】世代交代完了の徳川家臣団!新生・徳川家臣団で大坂を攻める!
【本多忠勝 子孫解説】切れそうで切れない忠勝の血筋!千姫も本多家に嫁ぐ!小松姫の玄孫は本多家を継ぐ!続いていく忠勝の子孫たち
zhlédnutí 103KPřed 7 měsíci
【本多忠勝 子孫解説】切れそうで切れない忠勝の血筋!千姫も本多家に嫁ぐ!小松姫の玄孫は本多家を継ぐ!続いていく忠勝の子孫たち
【徳川家臣 江戸初期石高ランキング】関ヶ原の戦いの直後の徳川家臣団の配置や石高の加増を解説
zhlédnutí 37KPřed 8 měsíci
【徳川家臣 江戸初期石高ランキング】関ヶ原の戦いの直後の徳川家臣団の配置や石高の加増を解説
1590年の石高はどのように調べたのでしょうか?気になります。
コメントいただきありがとうございます。 参考文献を載せ忘れておりました。菊地浩之氏の徳川家臣団の系図や、現地の説明書きを参考にしております。
知らない事ばかり!
最後の方わからないだらけで笑った🤣
中学生の娘がいろいろ徳川家を夏休みの自由研究にしたいと言ってるので、近々に本多忠次邸を見に行ってこようかな😊
コメントいただきありがとうございます❗️ おー!!私は行ったことがないですが、あの洋館ですね☺️自分も行ってみたいです✨
@@kotsubach 今まで娘は拙者の都合でダムや鍾乳洞、砂丘を連れ回してたので、今年は尾張&三河の史跡を巡ります!
平賀氏が勢力を保ち続けていたら足利の出番はなかった⁉︎
コメントいただきありがとうございます。 もしかするとその可能性も大いにあるかもしれないですね!
@@kotsubach 返信ありがとうございました!
私の個人的な見解として平盛綱は平家の家人であった『平盛国』の息子なのでは⁉︎と考えています🤔 盛綱は平家滅亡後、鎌倉に送られ頼朝の家人となるように誘われたが清盛への忠節を忘れず餓死して果てたと言われる平盛国の息子ではないかと… 盛綱とは『盛』が上に付くことと『左衛門尉』の位階が共通する事から勝手に推測してます。
コメントいただきありがとうございます。 資盛、盛国の説ですね。 こちらも資料などが出てきたら嬉しいですね!!
@@kotsubach ありがとうございます🙂
霜月騒動で滅んだ安達一族から、救い上げられ御内人となった(成り下がった)安達時顕も紹介して欲しかったですね。 安達一族のほぼ通字とも言える『盛』の字を奪われ北条一門の『時』の字を付けられてしまった件が個人的に堪りません🥴
コメントいただきありがとうございます。 どこかで安達一族も企画出来たらと思います✨
@@kotsubach 楽しみにしてます😋
北条家の通字である『時』は太祖・北条時政の時代には広く公家や坂東武者が使用していたが北条家が政権を掌握して以来、北条一門の独占文字になっていったのが興味深い。また後代の足利や德川と違い『時』の字が上下関係なく付くのも面白いなあ。
コメントいただきありがとうございます。 時の位置ですね。偏諱等々でいろんなパターンがありそうです、今後も調べていきたいです
@@kotsubach 楽しみにしてます👍
元はヒト○い民族 赤人が祖
行成公の子孫に北畠氏や千種氏は太平記に出てきますね😊
コメントいただきありがとうございます。 はい!やはり太平記は最強の一角の大河ですね✨
あれ、世尊寺家って、鎌倉時代位に絶家したんじゃなかったっけ?
コメントいただきありがとうございます。 世尊寺は絶家しております。 動画の後半に紹介しましたが、女系での繋がりを紹介しておりますので、そちらの意味も込めております✨
@@kotsubach 行成の娘というと菅原の孝標の娘の手習いを教えた娘さんと、藤原長家と結婚した娘さんがいますが、どっち文字がうまかったそうですが、早世したそうですね。二人は同一人物ですかね?後は、建礼門院右京大夫ですかね?
東大のロボコンをみています。 実力で合格しロボコンをやっている東大生と偽実力悠仁さんとは動きも顔も足もとに及んでないよ。幼稚、幼稚、ズルひーくん 東大という箔をはつけても軽蔑されるよ。
大好きな行成の、その子孫達について、詳しい説明をありがとうございます😄 仰るように、傍系も続いているようです。 行成の書「白氏詩巻」を、子孫の定信と言う人が保延六(1140)年に買い取ったことが巻末の行成自身の奥書の後に書かれています。 この人は生没年も不明なので、傍系でしょうね。
コメントいただきありがとうございます。 世には出ていないところでも続いていたら、例え家系図がはっきりしていなくても嬉しいですね✨
世尊寺流とか御子左流とか〜 百人一首の藤原義孝の息子さんですね。 能書家といえば藤原佐理なんかも思い出しますね。 醍醐源氏村上源氏の藤原北家に負けることない門葉の拡がりも頼もしいですね。
コメントいただきありがとうございます。 村上源氏の家系の広がり方が好きで、源師房からの流れをどこかでやりたいです。
期待してますね@@kotsubach
「このえ」ではなく、「こんえ」と読みます。例 左近衛権中将(さこんえのごんのちゅうじょう)
ご指摘いただきありがとうございます。 大変失礼いたしました。 気づいたらこの読みを自然としてしまっておりました。ご指摘頂かなければずっと進んでました。 本当にありがとうございます。
@@kotsubach 普通に読めば「このえ」ですからね。無理もないと思います。ところで、源泰清も醍醐源氏ですね。行成の周りは醍醐源氏が多いですね。
@user-cx6jo1mq8s 恐れ入ります。 伊尹、義孝と一緒にいた期間はほぼ皆無なので、やはり保光の影響が大きそうですね。
足利尊氏は義兼の昆孫にあたります。
コメントいただきありがとうございます。
解りやすく解説すると天皇家から宮城家が安倍氏の鎮圧を打診されこれを受けて鎮圧 報奨金授与され東北地方のまとめ役になり奥州藤原氏の兄弟喧嘩の際も仲裁に挙兵したけど 天皇家から報奨金が出ず宮城家が自腹で現地の豪族に報奨金を出した事で現地の人との信頼感が 増して婚姻関係を結んで嫁の子を現地の秋田県側に仙台家、福島県側に留守家、そして伊達家を 中心に東北の治安維持をした感じですよww by 河内源氏棟梁家分家でした。※縦と横の一族の繋がりを大切にする事が基本で母方の一族も全部付いてくる感じ。
コメントいただきありがとうございます。 わかりやすいです。
蒲生賢秀氏郷まで解説されていてよかったです
コメントいただきありがとうございます。 嬉しいお言葉です! 濃くは紹介できませんでしたが、最後に入れさせていただきました。
奥州藤原氏といえば大河ドラマ炎立つを思い出します😊約30年前の大河なので高校生だったのまた観たいですね😅
コメントいただきありがとうございます✨ 自分も見たことがなくて、是非見てみたいと過去大河の1つです😃
フジワラ「ホッケ」定食。どこかのお店でやりそう😂
コメントいただきありがとうございます✨ もしかしたら、藤原さんがブランド化したほっけがあるかもしれませんね😆
ああ、俵藤太の子孫なのか〜 なるほど❣️
コメントいただきありがとうございます。 武門の血筋が流れた藤原氏ですね✨
以前の大河ドラマにあった炎立つの時代の事をわかりやすく学べました。ありがとうございます
コメントいただきありがとうございます。 嬉しいお言葉です!ありがとうございます。 炎立つは私が今1番見たい大河ドラマです。 是非見たいと思います。
泰衡は基成の孫(娘が秀衡室)なので、中関白につながるのですが、説明がないですね。あと基成は信頼の兄なので、平治の乱の影響も受けているみたいです。
コメントいただきありがとうございます。 その部分、抜けてしまいました、大変失礼いたしました。 基成も平治の乱で左遷されてましたね。
いつも動画投稿ありがとうございます。よく調べて下さって。
コメントいただきありがとうございます。 嬉しいです! ありがとうございます。
魚名の子孫にはお笑い芸人の伊達みきおやその姪の声優伊達さゆりもいる。
コメントいただきありがとうございます。 魚名の家系は巨大なので、できるだけ紹介できるようにしたいです。 ありがとうございます。
甲斐源氏について調べておりましたので 勉強になりました。 ありがとうございました。
コメントいただきありがとうございます。 嬉しいお言葉です! ありがとうございます。
尊子は再婚したが、若く亡くなった。 頑強なガタイ、鉄の心臓、鉄壁の後ろ盾、(ドスコイねーちゃん)の彰子はいまは影も形もないが将来は光輝いています。まがになりにも母にはなりましたが本気の愛は受けられなかったとしたほうが、その後の存在価値が、光る。だいたい彰子みたいなドスコイねーちゃん、一条帝みたいな弱っちい男子が好きにはならんよ。儚く美しく優しい定子だから一条帝はなんとしても傍から離さなかったんだから。崩御するまで、定子のみを想い定子の儚い人生を思うにつけ道長を恨みに思ったことだろう。
コメントいただきありがとうございます。 定子の存在が一条天皇にとってすべてだったということですね、、、
一条天皇の本当の愛情は定子のものであって欲しい。 公季の娘の義子は入内したのに皇子はおろか、皇女もない。たしかに一番気の毒かも。元子は想像妊娠だが一条帝死後は新しい恋人を持ち、 その人と再婚幸せかも。
大奥上臈御年寄で、五代将軍の御台所の鷹司信子に推薦された、衛門佐局。 先祖を辿っていくと、そこそこ高貴なお産まれと、聡明さが伺えます。
コメントいただきありがとうございます。 養子が続いてはいますが、水無瀬家なので、藤原北家中関白家の家柄ですね✨
道長公の身内でもなかなか出世出来なかったのですね😂国司でもすごい出世ですね😮
コメントいただきありがとうございます✨ よくテレビなどに出てくるのは高官、今で言う大臣クラスなので、例えそこに至っていなくても国司を務めてるのでも十分なものですね☺️
話は脱線しますが、滅亡した王朝の子孫が現存する王家や貴族の子孫になっているというのはヨーロッパでもあるようで、デンマークのゴーム老王の王朝の子孫は、英国王室のエディンバラ公や現國王チャールズ氏らしいです。
コメントいただきありがとうございます。 国を越えて現代まで続いているのは、日本から見るとまた壮大に感じます!
子孫は優秀だったかもしれないけど佐々木信孝は単なるスケコマシにしか見えないし〜。
2:40 昔は藤原藤成と豊沢の間にもう1代いるという説もあったようです。 それと、秀郷より多少前の世代に利仁将軍(リジンショウグン)とも呼ばれた越前の住人 藤原利仁(トシヒト)も藤原魚名流と言われていますね。(芥川龍之介原作の「芋粥」にも登場する人物です。) あと、藤原山蔭(動画家系図ご参考)の末裔に伊達政宗の伊達氏がいます。
コメントいただきありがとうございます。 代数が合わない問題がありますもね。 山陰流、利仁流もどこかでやりたいと思います! ありがとうございます。
小笠原掃部大夫信嶺、掃部寮の長官は頭なので、大夫とはさすがの武家官位ですね。
コメントいただきありがとうございます。 名門・義光流の血を引くって感じがしますね✨
111人も居るから比較的に名を知られる宗家の人は出てくるとは思ってましたがウチの直接の先祖が出てきて嬉しいです。
コメントいただきありがとうございます! 本当ですか!嬉しいお言葉です✨
個人的な妄想ですが子供は幼少期に妻の実家で育てる時代なので、頼朝は義兼と幼少期に共に同じ家で育ってられてたのではと思っており、義兼が粛正されなかったのは鎌倉に集まった顔も知らない異母弟達(弟達が生まれた頃に御目見得的に有ったことはあるかもですが)よりも身内感があったのでは無いかと思ったりしてます。と書いたら2コメント目でしたすいません。
コメントいただきありがとうございます。 頼朝と義兼の幼少期の交わりですね、興味深いです!中々、幼少期を記してるものが無いですが色々これからも調べて見たいと思います! ありがとうございます!
一般人ですが家系図で分かった母方の江戸後期の祖先が天皇家に関わる人物の為、古代からの直系祖先達がネットで確認出来ます。 先祖の男系祖先が藤原兼家、道長、頼通で、 動画のご説明の家系では時中の系譜のみ繋がってませんでしたが息子3人の母が祖先の藤原安親の娘と分かりました。 他は全て祖先でした。 詳しいご説明を有難う御座います。😊 又ネットの家系図とリンクしてるWikipediaも中々見てませんが、見る機会を頂き有り難いです。
コメントいただきありがとうございます。 やはり、この時代に繋がるとそこからさらに繋がっているということですね!
荘園は、子供に公平に分けると取り分が減っていくので、みんな何か生活の糧を得ないといけないから、職を得る出世するというのは、今より切実だったように思います。道長さんの関係者は、地方官であっても食い扶持は、あるわけで、やっぱり恵まれていたように思えます
ただの地方官ではないですからね 国守というのは現代の知事 ですからね 現代でも陣笠代議士 よりも知事のほうが力が強いん じゃないですか?
コメントいただきありがとうございます。 そうですね、なんだかんだ言っても収まるところに収まってるということですね。
@@kotsubach 国守ていうのは 秘書 車(送迎車 当時は牛車) 個室の 3点セットがついていたんですよね 現代の会社でいうと常務以上にしか (会社によっては専務以上)にしか つかないものがついていたんですよね? 十分すごいですね😃
だけど、道綱の母は、大納言兼右大将の地位には、満足しているみたいですね。
コメントいただきありがとうございます。 そうですね、実際に十分なところまで昇っていますもね!
21:07 その後で皇子生まれず時代はなぜ後三条天皇がいっぜんとして摂関家の道長流を認める理由は、やはり源賢子自身は道長の血を流れ物、師実の養女として、天皇のキサキになれば引き続き天皇の外戚、摂政関白の位置が手に入れる合理でしょ
コメントいただきありがとうございます。 賢子は白河天皇から相当な寵愛を受けてましたもね、、、
清和源氏も摂津源氏が満仲の長兄の子孫だったように、藤原南家も不比等の長兄の子孫だったのにね。
コメントいただきありがとうございます。 長男家系が繁栄するというのもなかなか難しいということですね、、、
俺の先祖を紹介してくれてありがとう。 笑笑
コメントいただきありがとうございます。 南家のご子孫のなのですね! コメント頂けて嬉しいです。
細川護熙元首相の高祖父池田章政は、相良家出身で、章政曽祖父の相良長寛は岡山池田家の次男で母親の実家である黒田家の養子になり損ねた人物として知られています。相良長寛の実父池田宗政は伊達吉村の外孫です。
コメントいただきありがとうございます。 藤原南家からここまで繋がるとのは本当に面白いです。
大河太平記だと北条一門の重鎮である金沢貞顕や赤橋守時が腐敗しきった鎌倉幕府の貴重な良心、御内人のトップ内管領の長崎円喜が癌、元凶みたいな書かれ方でしたね、自分も未だにそのイメージです。
コメントいただきありがとうございます。 太平記は名作でした。 御内人は力を持ちすぎてしまいましたね。
自分の家の話が詳しくあり、驚きました。ありがとうございます🎉
コメントいただきありがとうございます✨ ご子孫の方でしたか✨ 嬉しいお言葉です、ありがとうございます❗️
伊東家は旧領の佐土原は回復出来ずに旧豊州島津家領の飫肥に入ったので、島津家とは領土交換状態
コメントいただきありがとうございます。 大枠で旧領回復と出してしまっておりました、失礼いたしました。
まず、なんて読むんスカあ? せんこう?せんたかし?
コメントいただきありがとうございます。 ノブタカと読みます。
惟成は、出世のため妻が髪の毛を売ったのに偉くなったため離縁して他の女と結婚したため 元の妻が乞食になれと呪われてそうなった人物ですね。
コメントいただきありがとうございます。 尽くしてくれた妻と離縁してしまったんですよね、、、どんな理由があったのか、気になります。
南家はイメージが良くない信西くらいしか知りませんでしたが、伊東マンショや吉川氏など意外な氏族も南家の出なんですね。仲麻呂が道鏡に追い落とされなければ、北家があれほど栄えることも無かったのかもしれませんが、おごれるものも久しからずなのでしょうね。
コメントいただきありがとうございます。 序盤に立て続けに大事に関連して、伸び悩んでしまいました。 だからこそ、各地で武家としてというのもあるかと思います。
頼光四天王の動画が楽しみです。
コメントいただきありがとうございます。 企画したいと思います。