「ヨイトマケの唄」 Keisuke Kuwata
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- čas přidán 1. 01. 2021
- 作詞:美輪明宏
作曲:美輪明宏
"父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ"
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の ひるやすみ
たばこをふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
姉さんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 綱を引き
天にむかって 声をあげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
慰めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら
あれから何年 たった事だろ
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
何度か僕も グレかけたけど
やくざな道は ふまずにすんだ
どんなきれいな 唄よりも
どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
"父ちゃんのためなら エンヤコラ
子供のためなら エンヤコラ"
「ヨイトマケの唄」(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。
美輪が幼少時に一緒に育った友人の亡き母(父や子供のために懸命に働き続けて亡くなった)を回顧する歌である。主人公の過去には幼少時、母親の職業(地均しの日雇い労働者)がきっかけでいじめを受けた悔しさ、グレそうになりながらも高校と大学を卒業し、高度経済成長期の機械が普及した世の中で立派なエンジニアに成長した姿なども折り込まれている。
「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある岩を縄で滑車に吊るした槌を、数人掛かりで引張り上げて落とす時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。この仕事は主に日雇い労働者を動員していた。そして、楽屋のない銀巴里で出演後に客席に座っていた際に、東大の建築工学科に通う学生と知り合いになり、家族のために働く母と、いじめでグレそうになりながらも学びを続け、立派なエンジニアにまで上り詰める子供という一連の物語の着想元になった。
作詞作曲を開始した切っ掛けは、興行主の手違いで行うことになった筑豊の嘉穂劇場のコンサートである。当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしている光景を見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ると決意したという。
初めて発表したのは1964年(昭和39年)、リサイタルにて歌唱。1965年(昭和40年)、NETテレビ『木島則夫モーニングショー』の「今週の歌」で発表したところ、非常に大きな反響を呼び、異例のアンコール放送となった。同性愛者であることを公にしてから低迷していた美輪が、この歌がきっかけで再び脚光を浴びることになった。白のワイシャツに黒の細身のスラックス姿で登場し、戦後の復興期の貧しい少年から、高度成長期にエンジニアへと成長した凜々しい青年を演じた美輪の姿は、多くの視聴者の胸を打った。
シングルレコード発売は1965年7月。レーベルはキングレコード。40万枚を売り上げた。同年9月には、朝日ソノラマからソノシートも発売されている。1965年にレコードが発売された後、何度か再録音を行っており、発表当時と近年では歌い方や使用楽器など編曲が異なる(1975年録音盤(アルバム『白呪』収録)、2000年録音盤が存在する)。
歌詞が描く世界観と美輪のパフォーマンスによる評価を裏打ちするのは、楽曲自体が、伊藤久男『イヨマンテの夜』(1949年)、織井茂子『黒百合の歌』(1952年)に代表される、低音域のドラムを強調した古関裕而の土俗的オルタナティヴサウンドの系譜に位置することである。
発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる「土方」(どかた)「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定された事でそれ以降原則として民放では放送されなくなる。
この制度自体は1988年に効力を失ったが、最後に改訂された1983年の時点で指定されておらずそれ以前の状況は民放連側の記録がなく不明。失効後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。1985年には、『夏祭りにっぽんの歌』(テレビ東京)で歌唱している。1990年には美輪が『ぴりっとタケロー』(TBS)に出演する際にこの歌を披露する予定だったが、放送局のTBSから歌のカットを求められた。
出演依頼があった際、美輪は歌無しの出演を希望したが、制作会社の強い希望で本曲を歌うことになった。ところが、放送日2日前に突然「歌は止めて欲しい」という申し出を受ける。一方的に二転三転する申し出に美輪は憤慨し、出演自体を取り止めた。このことがきっかけで美輪はNHK(後述)以外のテレビで最近まで歌うことを避けていた。
#ヨイトマケの唄 #桑田佳祐 #Keisuke Kuwata - Zábava
私はひとりの息子を育てている母子家庭の30歳の母親です。
仕事で収穫した野菜をトラックでスーパーに配達中に突然ラジオから初めて聴くこの唄が流れてきました。
目からはぽろぽろと涙が溢れてきました。
前が見えなくて困ったので空き地に車を停めました。
離婚以来絶対に泣かないぞと強く決めていました。
しかしこの時は離婚以来初めて車内で声をあげてひたすら泣きました。
しかしスーパーへの配達時間も迫って、いつまでも泣いていられません。
腫れた赤い目を人に見られないようにキャップ帽を目深にかぶり野菜が入れられた段ボール箱を抱えて何往復もしました。
スーパーの裏方の仕事は男の世界です。
なので一度聞かれました。
「アンタさ~まだ30か?なんでそんな女の人がこんなとこで力仕事しとるん?」と。
「あのね~
私は見た目は一応女だけど中身は男なんよ。だからこの仕事好きだよ。仲間に入れてね!」と答えて帰りました。
令和のヨイトマケ
息子さんも貴方の働く後ろ姿を見てきっと
立派に育ってくれると思います。
お身体に気をつけて事故に気をつけて
頑張ってください
これで泣くわ
私もひとり親です。体に気をつけてお互い頑張りましょう!
最後の返答が素敵すぎる
これはホントあかんなぁ~涙が止まらん。桑田さんが歌うとよりいっそう胸にしみる。さんざん母ちゃんに迷惑かけて育ててもらったのに全然恩返しできなかった。すみません、こんな出来の悪い息子で。今さら遅いけどありがとうございました。
感涙感謝還暦です🎉
放送禁止になっていたこの名曲を再び表舞台に出れるようにしてくれたのは桑田さんが歌ったことの影響力が大きい。
特に『音楽寅さん』というご自身の音楽番組で『自粛という放送禁止に埋もれた名曲』と提示して披露したことでより注目を浴びた。そして番組で桑田さんが歌ったことでこの歌を知り、若い世代も名曲として認識する人が増えた。
また、この桑田さんバージョンは若い世代にも受け入れやすいように、原曲の良さをくずさずにアレンジを現代風にしたのが良かった。
NHKでは特別に放送自粛などはしていなかったようだが、2012年に三輪さん本人が紅白で披露されたのも、桑田さんが歌った事による反響の大きさが少なからずあって、この歌を普通に受け入れる土壌が世間にできていたことが大きい。
桑田さんが歌ったのを契機に、21世紀になってから数多くのミュージシャンがカバーしてますし。
そうだったんだあ。ありがとうございます。
埋もれたまんまにしちゃあ勿体ない曲ですもんね。
これは泣くよなあ。美輪さんも桑田さんもすごい。名曲中の名曲。
歌詞
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場のひるやすみ
たばこふかして目を閉じりゃ
聞こえてくるよ
あの唄が 働く土方のあの唄が
貧しい土方のあの唄が
子供の頃に小学校で
ヨイトマケの子供
きたない子供と いじめぬかれて
はやされて くやし涙にくれながら 泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
姉さんかぶりで泥にまみれて
日に灼けながら汗を流して
男にまじって網を引き
天にむかって声あげて
力の限りにうたってた
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
慰めて貰おう 抱いて貰おうと
息をはずませ帰ってはきたが
母ちゃんの姿見たときに
泣いた涙も忘れはて
帰って行ったよ
学校へ 勉強するよと云いながら
勉強するよと云いながら
あれから何年たった事だろ
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の世の中で
おまけに僕はエンジニア
苦労 苦労で死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
何度か僕もグレかけたけど
やくざな道はふまずにすんだ
どんなきれいな唄よりも
どんなきれいな声よりも
僕をはげまし慰めた
母ちゃんの唄こそ世界一
母ちゃんの唄こそ世界一
今も聞こえる
ヨイトマケの唄 今も聞こえる
あの子守唄
歌詞、、、ありがとう。
ギター弾語り挑戦してます。
今は亡きお袋に語りかけるように感謝を込めて、、、頑張る!(現在68歳)
良い歌は良い、、、
天に向かえば祈りに。
人に向かえば心を伝える。
桑田さんが歌うと黒人霊歌みたいな、不思議な厳かさが…。
ブルースですね。
素直になけます。
これはずっとずっと遺していかなければいけない名曲ですね。
涙がとまりません。
母ちゃんごめんよー😭
桑田さんが歌うのが素晴らしい。名曲でしょう。
かぁちゃんはいい。
泣いたわ…久っしぶりに。
ありがとな、かぁちゃん今ちゃんと食べれとるよ。
去年母を亡くし、最近この動画を見るようになったけど、涙が止まらなくなる。
デキの悪い子供だったから、苦労ばかりさせた事を、この歌を聴きながら母の写真に謝ってます。
去年の今頃はまだ闘病中だったな。
物凄くしんどそうにしてた姿を思い出す。
傍で世話する以外は何もしてやれなくて、日々弱って行く姿を見ていたら、こちらも辛かった。
やっぱりお母ちゃんっていいなぁ…と、この歌を聴くと思います。
お母ちゃん、今とても会いたいです。
泣ける……泣ける、泣ける唄😭😭😭
後世に絶対残したい名曲。
上手い。ほんとに上手い。
こんなふうに歌えない。
まさに日本のBlues。
名曲にして名唱。
涙無しに聴けません、
母ちゃんの歌こそ 世界一
敗戦から世界トップの経済大国になった影には泥に塗れた庶民の血と汗があったからこそ。
死に物狂いなんて時代はとうに忘れ去られてるかもしれないけど、日本人なら決して忘れてはならない事だと思います。
親に感謝
先人達の苦労に感謝
これが大和魂
就職したての頃、上司に連れて行ってもらったスナックでこの曲を歌いながら号泣した。恥ずかしい~汗
その時、上司もママさんも泣いてたっけ。
今は後輩を連れていく立場。
時がたつのは・・・
綺麗な涙ですわ✨
今の若い人にも伝わるかな? 伝わるよな、きっと。
桑田さんのお母さんが亡くなられた時に、歌ったこの歌は本当に深いと思いました。
何度聴いても泣けます。
大好きです。
美輪さんの歌で有名ですが、
淡々と歌う佳祐さんに心震えました。
素晴らしいカバーだと思います。
👍👍👍😢😢😢❤️❤️❤️
お釜美和が歌ってると何うたってるのかわからん
素晴らしい!!!!!
桑田さんだから許されるヨイトマケの唄 さすがです
桑田節生きてます 座ってます 美輪さんのこの名曲を歌えるのはあと天童よしみかな…
1994年の「さのさのさツアー」のビデオ(時代を感じるね)のラストの曲がこの歌でした。何回聞いても自然と涙がこぼれたことを思い出します。もちろんオリジナルの素晴らしさがあってこそ!なのですが、私は桑田サンのアレンジの方が胸に響きます。才能ですかね。この動画を見て感動した方は、是非前出のツアービデオを見てください。泣けます。
これはブルースだ!!
色々思い出す歌です
戦後の混沌を歌った曲です
ジィとバァが、父母が必死で生きた世の中
努力次第で生き方を変えられた世代の曲
自分の生活が変わらんのは
努力がたらんのかなぁ
涙が止まらん💧
国歌にして欲しい‼️
この曲って放送禁止曲だったけと94年にライブ2000年にテレビで桑田が歌ってニュースになったのを覚えてる
初めてさのさのさライブで聴いた時は衝撃的だったな
何度聴いても涙が出てきます。
凄い、切ない声、泣かせるよなぁ、桑田さんの歌声最高でした、😂❤
桑田さんの、ヨイトマケの唄
本当に、心にしみます❤️😢
桑田さんの歌でも、大好きな
一曲です❤️❤️❤️
パシフィコ横浜で聞いた時
涙が・・・😂✨✨
ヨイトマケの歌を大喜利で茶化されると胸が痛みます。ホントに良い歌です。苦しい時にも頑張った戦後の日本人の魂の歌です。毎回涙が自然に出てきます。
これを歌うと、必ず泣けます。
泣こうと思って歌うのではないのだけれど、選曲したあとやられます。
これは最高です。この唄をさらりと歌えるセンス。桑田佳佑さんさすが❗
桑田さんって何気にこういう歌にスポットライトあてますね
放送禁止歌を見事に救いましたね
美輪明宏さんが歌う「ヨイトマケの唄」を、桑田さんがポップス風にアレンジした??カバー曲??です。
私は、紅白で美輪さんが歌う前に、ベストアルバムに収録されたこの曲を聞きました。原曲は知らなかったのです。
そして、時の流れを表現するような間奏が流れた時に、自然と涙が出てきました。
これは何度聞いてもあかん。
美輪明宏さん凄いんだな、と教えてくれた桑田佳祐様万歳。
何でもかんでも言葉狩りするのはいかがなものかと。
ガイドラインは社会のルール上必要ですが何でもかんでも杓子定規で割り切れないですよね。
しかし名曲。更に誰かのcoverにて後世に引き継いで欲しいと願います。
美輪明宏さんのオリジナルを聴いて涙が止まりませんでした。最近桑田さんがcoverしてるのを知って聴きましたが、力を入れず独り言のように歌う桑田さんのも素敵ですね。後々まで歌い継がれて欲しい曲ですが若い方で歌える方いらっしゃいますかね?私が知らないだけなんでしょうけど…
自分には分かりにくい歌だと先入観があって敬遠していたんですが、車の中でたまたま聞いているうちに、涙が止まらなくなってしまいました。
美輪さんの作った情緒あふれるメロディの良さを、桑田さんが現代風に翻訳してくれていますね。
毎日聴いてます🍀🍀🍀大好きな曲です🎵美輪明宏さんの唄も桑田佳祐さんの唄も心に伝わってきます。(^ω^)🎵
音楽トラさんではじめて聴いた衝撃が忘れられません
最近になって美輪さんの曲と知りました。どっちも素晴らしい歌声😁
美輪明宏さんはいろんな人がカバーしている中で泉谷しげるのが一番しっくりくると言ってましたが、桑田さんのも捨てがたいです。聞く人もいろんな人生を送っているので琴線に触れるのも様々ですね。
アップありがとうございます。
桑田さんの歌声も、ヨイトマケの歌も日本の宝ですね😌✨
これはこれで
善き歌で御座る😔
素晴らしい!!!!!
これは「Top of the pops」収録のバージョンとは違う気がするのだが
どうなんだろう。
いずれにせよ、名曲名演であることは間違いないが。
長らく放送禁止の歌とされて封印されていたのを解いたのが桑田さんですね。
いつまでもあると思うな親と金、ですね。
泣いた
ライブバージョンを好きで聞いてます。
この動画に使われているものも、ライブ音源です
ライブというか『音楽寅さん』放映音源ですね
この動画に使われているものについてであれば、
パシフィコ横浜でのAAAのライブの模様をベスト盤に収録したものなので、
まぁ普通に「ライブ音源」ですね
ベストアルバムのTOP OF THE POPSに
収録されているヨイトマケが好きですね。
👍👍👍👍👍👍🤗🤗🧡🧡💛💛
桑田さんって青山学院大学卒で実家はそこそこ裕福ですからね(笑)
それなのに桑田佳祐が共感して世界中の人に人々に伝えられてるなら素晴らしいじゃないか
聞くたびに泣けてくる( ; ; )
👍👍👍
林田吉司先生。
瞼に浮かびます
脚は短くなる一方ですが
貴方のBLUESは
受け止めたと思ったけど
まだハンブンですが
最初と最後の掛け声が無いんですね。
これはこれで良かったです👍
最高ですね...涙があふれてきます...
終戦後に生きるか死ぬかの思いしながら義務教育は小学校しかまともに行けず、親の介護や、子育てと、苦労苦労しながら死んで行った母親を想いだしながら🥃飲んでます。
貴方のお陰で私は一人前の社会人として父親になってます😂
貴方の最愛の夫をこれからも介護すれからね😊
#ヨイトマケの唄 #桑田佳祐 #Keisuke
「ヨイトマケの唄」 Keisuke Kuwata 桑田佳祐
🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏
すごい唄だ。不謹慎ながら言わせてもらうと桑田さんの曲は何かと不真面目な詩が多いなかでの(当時の)超真面目な社会状況を表してる感じです。
😙😙😙
😃😃😃😃😃😃
🥰🥰🥰🥰🥰🥰
👏
🤩🤩🤩🤩🤩🤩
母ちゃん今だから言うけどごめんね
🦊🦊🦊
意味してる作家活動
なぜ(?_?)放送禁止になっていたのかわからない😖。
土方が差別語とされているからですね。
文脈も読まずに、切り取りで「差別語はけしからん」と放送業界が忖度というか阿諛追従した結果です。
昭和の頃までは『ヨイトマケ』や『土方』という言葉は、学歴の無い故に炭坑や土木作業などの肉体労働に従事する人々。という誤った解釈が先走りして、炭坑マンや土木作業員の差別を助長する言葉とされ、公の場で発言したり、文章にすることさえ憚れていました。
しかし、危険と隣り合わせで体力や精神力を酷使する仕事の割には生活できるかどうかの安月給で、炭坑や建設現場に従事する人々や家族の苦労をわかってもらおうと、美輪明宏さんがヨイトマケの唄の作詞、作曲したものの、世間からは差別を助長する歌と言われ、周りから歌詞を変えるように頼まれても、美輪明宏さんは頑として歌詞の変更を拒み続け、ヨイトマケの唄は長い間『不世出の名作』と呼ばれていました。
美輪明宏さんの固い信念があったからこそ、ヨイトマケの唄は心に刺さるのだと思います。
🙂🙂🙂
この曲の歌詞の意味を解れば還暦五年生です😆🎵🎵桑田さんとタメですけど何か?
美羽さんより好きです!
😅🎉😂❤😂😅た😅
桑田さんの歌声も好きです。だけど、本家の美輪明宏さんには勝てん。更に言うが、最後に拍手して歓声を挙げた皆さんは、この歌の「何たるか」を本当に理解して、歌と桑田さんを讃えているのか。それを考えてしまいます。
歌ってそういうものではない気がします。
私は、感動したから拍手した、それで良いのではないかと思ってしまいます。
もちろん仰っていいることはわかります。
それに歌詞や背景、アーティストの想いを受け取ることも大事なことだと理解しています。
ただ、どちらの方向を向いていたとしても、
そういった「こうあるべき」という考えが、この歌が自粛させられてしまった原因のように感じます。
もちろん今の私も含めてですが…。
横から失礼しました。
この唄は美輪さん以外は無理
👍👍👍
😃😃😃😃😃😃
👍👍👍👍👍