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ふと、「ヨドバシカメラ」や「ビックカメラ」が、それぞれ他のしっかりした地盤が有りながら、このご時世に、わざわざこの秋葉原を選んで店舗展開をしているのを見ると、やっぱり秋葉原と言う電気街のブランドに憧れて、いつかは出店したかったという、結果なんじゃないかと思う😊😊😊
1975年に就職をしました。音楽好きだった自分は仕事に付いたら良いステレオを買おうと決めていて石丸電気で身分不相応なステレオ・システムを買いました。長年使用したので元は取ったと思っています。
関東の地方都市に住んでいる66歳です。1979年と言えば22歳、学生生活最後の年でもあり、バイトで貯めた有り金持って親友と一緒に秋葉原にオーディオを買いに行ったのを覚えています。レコードプレーヤー、アンプ、カセットデッキ、チューナーを二人で持ち帰りました。重かったけど良い思い出です。因みに、そのオーディオは今でも現役です🎉🎉🎉
6:06この右側の縦長の窓がある謎の空間は男子トイレの跡です昔ここの場所に船による荷物運搬のための桟橋がありちょっとした運送拠点になっていました事務所だった建物はとっくにありませんが石造りのトイレだけはそのまま残ったようです今のように個別の小便器があるんじゃなくて、床に溝が掘ってあるただの壁に向かって立ちションするタイプでしたこのタイプの小便器は昭和の公衆便所によくあったらしいですね
現在54歳ですが50年ほど前、父親に連れられて、ガード下のラジオ会館やその他のパーツ屋さんに行ったのを覚えてます。家の家電が壊れると父親が自分で直す為に横浜から来て部品を購入して行く訳です。当時の私の目的は、甘いものを食べる事でした🙂そんな思い出のある秋葉原です。
今みたいにポイントがない時代、電気屋さんでどこまで値切れるか何軒かはしごした記憶があります。電器といったら「秋葉原」と言ってた頃が懐かしいですね☺️
ラジオ会館を上下して値段交渉したこともありました。秋葉原から一般の方が離れ始めたのは、新宿さくらやとそのポイントカードだったかな。
自分が中学時代だから昭和40年代半ばにアマチュア無線に興味を持って毎週、秋葉原のガード下のラジオ会館に行ってたのが懐かしい。小さな店が重なりゴタゴタしていたけどまさに昭和の市場で見るだけでも楽しかった。
現在でも人は多いですが、完全な電気街時代と違い活気が感じられません。近年では筋の悪い「ぼったくり○○」など風紀も乱れて環境が悪くなりました。
インターネットなんか当然ない時代。テレビCMで流されない製品は店頭でしか知ることも見ることもできなかった。中学生のころ、買う事のできない憧れの製品のカタログを一生懸命集めてました。そんな電気街の記憶
近時 16bit sensation というアニメも放映され、「マイコン・キッズ」にとって秋葉原がどんなに大切な町だったのか僕だけでなく、みんなが懐かしがっているのを見て、まるで「同窓会」のような気分でした。(マイコンですよ、パソコンじゃなく。)大好きな秋葉原。いつまでも「夢の町」であってほしいです。行くだけでワクワクする、あの感じ。毎日がお祭り。
1979年とすれば私は小学2年ですが、電気工学科卒の父親の大学時代の知り合いの方が秋葉原の会社にいらしたらしく、家族でそこを訪ねステレオなどの買い物をしました。肉の万世で食事をしたと思います。1998年、社会人になっていた私は当時のラオックスで30万円くらい使ってMacを買いました。翌年には墨田区に一人暮らし、秋葉原は山手線で一番近い駅として買い物をする機会が増えました。しかし府中の実家に戻ることとした2006年、増えすぎたCDを売りに中古専門店に持ち込んだところ、いわゆる「アキバ」系のものしか買い取っていないといわれ、持ち帰るわけにも行かずそのままブックオフに持ち込み、電気街の変容を感じ取りました。今はMacもiPhone筆頭に地元府中でもどこでも手に入るようになりました。
ラジオ会館の上の階でカセットテープやビデオテープをまとめ買いしてました石丸電機のレコードは検盤してから渡す手順がちょっと高級感があって、サービス券も貯めたっけ
エフ商会かな?一円玉がカップに入っていて、最終小銭はそれを使っても良かったのですよね😆
石丸の検盤、懐かしいですね。在庫が店頭品しかないと、「現品しかないですが宜しいですか?」と済まなそうに聞いてくるのもありましたね。
レコード会社の予約・購入特典の他に、石丸独自の特典も付くことがあり、それが楽しみでした。
1975年ごろから通い始め、程なくアマチュア無線を始めてロケットや秋月などのパーツ屋さんに通って部品を買い込んで色々自作していました。ビデオデッキが出た頃、秋葉原で買ってきたのも良い思い出です。今もたまにラジオセンターやラジオデパートに寄って雰囲気を楽しんでいます。
秋葉原、御徒町辺りはだいぶ変わりましたね。石丸電気にサトームセン懐かしいですね。上野辺りも第一京浜沿いにはバイク街が有って 高速の高架下を2ストのレーサーレプリカが特有の乾いたオトを響かせていましたね。少し胸がぎゅっとなりました。素晴らしい動画ありがとうございます。
元々は戦後闇市の延長の様な場所だった秋葉原。闇市~電気街~オタク街~サブカルチャー街。。この50年間の変化は凄まじいですね。個人的にはあの忌まわしい通り魔事件前の秋葉原が好きでした。ソフマップに中古ゲームを買いに行ったり、LD-BOXを買いに行ったり。。歩行者天国の路上イベントを見たり。。ロマンある街でした。美味い店が少ない(笑)のも趣味に特化した街らしく印象的だった。また以前のような賑わいを取り戻して欲しいですね。
秋葉原の石丸電気にはよく、レコード盤を買いに来てました。特に6:30〜の「石丸電気はエディオンに(1号館)」の紹介された、左隣りのまた隣りのビルが「レコード館(3号館)」で、ここではアメリカやイギリス、西ドイツ等の輸入盤をよく買ってました。 ヤマギワ、廣瀬無線、サトームセン、シントミ電気、ミナミ無線。色々とたくさんの家電屋さんがありましたね。ミナミ無線には「ダリ美術館」がありましたね。今ではAKB劇場です。
石丸のレコード販売は、棚からカウンターに持っていくと、同じ在庫品を取ってきて、両面検品してから販売するのに、驚きました。地方では持って行った盤をそのまま買って帰ったので、東京は凄いな、と思いました。
@@satoshimori2380 確かに新品を出してきて、その場で客に検品させてましたね。特に輸入盤は不良品の率が高い、ということもありました。実際、私が購入しようとした輸入盤は、真ん中のレーベルが何枚も貼り付けられていたりしてました。
今年50歳のおじさんです。子供の頃から親父に連れられて秋葉原を歩いてました。90年代の秋葉原を覚えてますが当時の怪しい雰囲気が懐かしいです。今の秋葉原はすっかり小綺麗になりましたが昔の雰囲気はなくなりました。
5:50の謎の場所。ハッキリした用途はいまだ確定していないようですが「公衆トイレ、船着き場、荷物置き場、銀座線の機械室」などの説があるようです。個人的には橋を作った当時は国鉄万世橋駅、銀座線万世橋駅、東京市電など走っていたので船による水運との結節点「船着き場説」が有力だと思います。安くてコッテリうまい「肉の万世」のパーコー麺。昔よく有楽町店で食べてました。
その通りです!最初は船着場、その後は公衆トイレとして使われていました。
1979年、電子工作に興味を持ち、初めて秋葉原に行った頃です。何があるか分からないが、何でも有りそうな店がひしめきあってて、最初怖かったですが、慣れれば楽しく買い物してました。ラジオ会館、ラジオデパート、ラジオガァデン…やっちゃ場もギリギリ見たことあります。懐かしいです。
万世、亡き父母と兄で行ったな。何階かは忘れたけどあの時はいい時代だった。交通博物館で記念切符を買ったりしたな。逓信総合博物館の帰りに通るときは青果市場前に特急や急行車両が留置されてましたね。電気街もパーツを買いに行ったりした。子供が入ったら戻れないような魔空間のような感じが好きだった。学生時代もオウムのパソコンショップマハーポーシャが異様な呼び込みしてたり…大人になってネットが出始めの頃にソフマップで太陽にほえろのLDをやっと見つけて買いに行ったり。 いつからAKBとかメイドとかになってしまったんだろ…
この頃大型のステレオラジカセが流行っていた時代で高校入学を機に家族総出で秋葉原に買いに行った思い出があります。今と違って価格コム、Amazonやらポイントなどない時代ですから、石丸電気とかサトームセンといった大手の店の売り場から、ガード下の小さな店まで値段を見まくって家族を引き連れて歩いたものです。
1979年はNEC PC-8000シリーズが発売された年ですね。その後フロッピーが一般的になるとアダルト向けソフトが販売され、だんだんとオタク化が進み今の秋葉原へと変わって行きました。
大阪在住。当時の日本橋もこんな雰囲気だった。この頃のアキバに一度行ってみたかった。
秋葉原の商店街はオノデンやあの辺りを再開発することにしたらしいです。よってもう電気街というイメージは無くなりオフィスビルの街となります。本当それで良いのか?と思うけれどビルもスカスカで打つ手がなさそう
アキバで人気の場所をホテル建設で破壊してるから、ここにホテル作ってくれると防げる。
現在63歳ですが、子供の頃読んだ昭和40年代に出版された小学館の学習図鑑には、神田青果市場も健在で現在より複雑だった秋葉原駅の構造が立体的に絵で紹介されていました
小綺麗になり昔の雑然とした感がなくなり、面白さがなくなりましたね。昔の怪しさ満点の街が懐かしいですねw
「綺麗すぎる水に生き物は住めない」という言葉を思い出した本当にその通りですね
猥雑さとエネルギーが溢れるあの感じが良かったんだなぁ・・・としみじみイエモンの曲にも通づる所がちょっとあるかも
ロケット、石丸、オノデン、ヤマギワ・ラオックス、行きましたねえ。駅正面はラジオ会館ですね。昔ラジオのキッドを買って、ラジオ作りました。今の若い人たちはラジオを知らないかもしれませんね。
ありがとうございました😃😊😉‼️
関西在住の者です。秋葉原は電車の車窓から見ただけで、それすら30年以上前のことでしたので、詳しくはわかりません。でも、今のようにアニメやゲームばかりの街ではなかったと記憶にあります。大阪の日本橋も、秋葉原に倣うかのように面白みのない一角になってしまいました。裏通りには怪しそうなジャンクパーツを売る店があったりして、楽しかったんですけどね。
UDX(下の駐車場)ができる前は地域経済への配慮もあって駐車禁止の取り締まりも激ユルだった記憶があります。車上荒らしも多かったようで「万世橋警察署の前に路駐するのが最も安全」ってジョークも言われていた時代が懐かしいですね。
今回も新しい発見ありがとうございます!肉の万世閉店は残念でなりません。。。パーコー麺も一旦は食べられなくなりますね。。。復活の時を心より待っております。そしてロケットが50年以上前にはもうあったことに驚いています。自分は秋葉原で最初のPC【富士通FMV】を購入しました。そして今の自作PCも秋葉原でパーツを揃えました。これからも秋葉原にはお世話になっていくかなと思っています。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et très bon week-end ! ✨✨
昔私は、川崎にいた頃寮長に,どこかの電器店がいいか聞いたけど,寮長が秋葉原の電器店に行った方が良いっと言っていた。安くて割引をしてくるから,秋葉原で買って来なさい。勧められた。早速秋葉原に行くと当時のCDラジカセを見ながら、店頭の定員が何かお探しですかっと言うとCDラジカセを買いに来たのですよ。定員に言うと、指でこれを選ぶと,定員が定価より割引しますねっと言ってきた。寮長が言っていた通りだった,、
3:58 クモハ101とモハ100。103系冷房車は4本しかなくて狙って乗った覚えがあります。1979年はスペースインベーダーの年。VHSのビデオデッキにTVのステレオ放送と燃えていました。
青果市場の駐車場は日曜家電客用の駐車場になってました
あのバスケットコートでよくプレイしてました🏀負けた方が万世の排骨麺オゴる約束で懐かしいなやっちゃ場、ラジオ会館、前の実演販売、鉄道博物館どの街も小綺麗になると大手チェーン店ばかりのどこにでもある風景になっちゃうね六本木5丁目再開発もつまらない街作りなんだろうな😢
六本木5丁目も、外苑東通りのロアビル辺りは賑やかですが、フィリピン大使館辺りは閑静な高級住宅地な感じですね。自分は、ロアビル裏のハ―ドロックカフェのボリューム満点なメニューが好きで、時々食べに行ってました。
電気街で怒られたり、やっちゃ場のトラック渋滞と、、懐かしい思い出ですね
秋葉原も世代によって違いますね~ 神田青果市場の頃、無線やオーディオで世代、テレビゲーム世代、Win95のパソコン世代、アニメ・ゲーム・同人誌・メイド喫茶世代と秋葉原は大きく変化してます。鉄オタでない人でも、その昔 秋葉原に交通博物館があった事を記憶している人は随分とおっさんだと思う。しかし まぁ~ 世界的に感染者を増やした病気以降、昔はあった店が閉店していたり、ディープな店が多いラジオデパートなど、一時期は全フロアに、どこで仕入れてきたのって商品が売られていたけど、今や開いている店が両手もなかった気がします。秋葉原駅が綺麗になり、駅前が開発され利便性が増したから利用者にしたらいい事なんだと思うけど、昔と違って、あの部品、アレは秋葉原じゃないと売ってないってのが無くなった時点で今の秋葉原になったんだと思うけどジャンク屋さんとかは残り続けて欲しいな~
懐かしいなぁ。昭和40年頃の小学生時代に秋葉原に入り浸ってました。その頃はメーカーの不良品(要修理品) 目当てで、ポータブル蓄音機などを買ってきては修理し、実家の製本屋に住み込みで働いている従業員に売ってました。国際ラヂオの店員さんに色々教えてもらったのを覚えてます。今の秋葉原はもう電気街とは言わないのでしょうね。
昔は食い物屋が極端に少なくて紙鍋屋ぐらいしか見当たらなかった。仕方ないから小川町のあるでん亭まで行ってた。バブル期に肉の萬世で排骨麺とかじゃんがらとか選択肢ができたけど、コンビニは二十一世紀に入って東急ホテル内にできるまで無くて不便だった、、、
秋葉原に初めて行ったのは1986年の秋当時発売されていたMSX2を買いに会社の同僚と行きました。その時駅前交差点にあった石丸電機AV館をアダルトビデオ館と勘違いしたことは秘密ですよw
選曲も良いなぁ、どこか懐かしい。
秋葉原観光デパートを覚えています。当時70年代から80年代まで存在していたと思います。観光デパートという名称で駅と直結していたレストラン兼土産物屋でした。この秋葉原観光デパートのそとには確かラーメン店があり時々行っていました。駅前現在の広場付近は建物が建っていたと思います。その後携帯電話、パソコンブームによって秋葉原は電気店の街から電子製品の街へと変化していきました。当時は現在と違い飲食店が殆どありませんでした。電気屋御用達の町から高性能機械の町へと進化し若者の遊び場となりました。すべては夢のような世界だった。秋葉原は実業の街から現在では歓楽街に変わり電気電子製品はネットに移行し私自身現役から定年を迎えもう当時のように物を追いかけることはなくたまに秋葉原へその風俗を観に行くだけとなった。秋葉原はもはや電気街ではない。その役目はとっくに気が付かないうちに終わり物品の街から映像と歓楽街と化している。時代は私のような老人を置いて行き通りには不思議な人達が立っている。彼らは煙たがられらる時もあるが古い人達にここはあなた達なような人が来るところではないと言っているような気がしてならない。ウインドウズも今は過去の産物となりつつ、情報は形ではなくデータとなった。明らかにアキバは秋葉原ではなくある意味見事に世界のアキバと変身を遂げた。そこに日本人はもちろん海外から来た人達も大勢みうけられる。これこそ私の現役時代から言われていた国際化ではないか。80年代からそう叫ばれていた。今アキバの裏通りに行っても格安品は手に入れることはできない。古い小さな電気屋のビルはなくなり始め高層ビル化している。そのうちに通りに立っている人達もいなくなるだろう。アキバは大手町化し始めている。そして最後は中野ブロードウェイのようになる。つまり非常に小さい場所のように集約されるのである。あと十年も経てば誰もアキバはかっての秋葉原だったとは気づかなくなる。このチャンネルの良いところは昔を教えてくれるということに尽きるだろう。だからその昔を知っている人はこのチャンネルを観るのである。昔の自分に一瞬戻ることができるからである。
ラーメンいすゞ。。かな?
青果市場は市場が閉場したあとも居座って営業をしていた業者がありました。真っ暗な広い市場の中のポツンとした明かりがいくつもあったのを記憶しています。1979年だとBCLが落ち着いた頃か。自分は石丸でLPレコード買ってたな。石丸の特徴は買うときにレコードの両面に傷が無いか見せてくれることと豪華っぽいポイント券だった。翌日そのLPの入った黄色い袋を脇に抱えて学校に行って。当時の高級オーディオ売り場は素晴らしい香りがしました。今はオタ系とメイド系と外国人が混じった変な匂いがします。
秋葉原駅舎の隣にあった秋葉原デパートの裏にあった。ラーメン屋がうまかった。
ベトナム戦争が終わって機材の入替が有ったのか、真空管から半導体化の関係なのか、アメジャン(米軍放出品)が並ぶ秋葉原が懐かしいです。野菜市場の食堂も…キャベツ山盛りの野菜炒め定食、もう一度食べたいなぁ。野菜市場が移転した頃、米軍の保守用だった(と人伝に聞いた)真空管や機材が一瞬大量に出回ったのが秋葉原の最後でしたね。もう20年くらい秋葉原へは行っていません。
79年はまだアナログだった時代。その後パソコン(当時はマイコン)PC-8001が発売され、そのパソコンから現在のフィギュアなどに浸食されるとは誰も予想していなかった事。随分前に石丸電気本店があった場所がパチンコ屋になっていた時は驚きました。昭和の頃は本店前の通りなどで早朝、各店舗が開店する前の時間帯に筵を敷いた上でジャンク屋サン達が中古基板などを色々と売ってましたね…。
これは行ってみたい人も多そうな光景。
近くの病院が混むので良く外出して秋葉原を歩き回りましたが最近は外国人ばかりで、怪しい中東系の人にお菓子を買って欲しいとか言われたりして嫌な気持ちにさせられました。こう言う変わり方は嫌だなぁ。
平成6年ころ、外付けのHDやゲームソフト買いによく行ってました。あの当時はメイドのお姉さんたちも居らず、食べ物屋も駅ナカの食堂や高架下の小さな食堂くらいしかなったですね。万世もなくなるのですね、仲間と焼き肉食ったのが懐かしいです。
AV機器はほぼ秋葉原の石丸電気。今でもテレビ、アンプ、レコードプレーヤーが使えています。それからレコード、CD等も石丸電気。レコードは2000円以上だとレポート用紙おまけで付けてくれて、そのレポート用紙がまだ何十冊とあります。今はそれらの購入先は変わってしまいましたから、秋葉原に行くことはほとんどなくなりましたね。
鉄道博物館には実写版電車でGOとかありましたね。ちゃんとシュミレーターみたいな名前だったような。肉の万世の斜め対面辺りだったっけか。1995~1998年くらいまで秋葉でバイトしてがっつり秋葉堪能してました。PC98か廃れてDOSVへの切り替わり時期でしたね、ギリギリまで98にしがみついてました。ネットもモデムでいっちょんちょんが主流でした、テレホーダイとかISDN時代も懐かしい。
20年前くらいに交通博物館に連れて行ってもらってたらしいが全然覚えてない…その頃の秋葉原にもう一度行ってみたい
秋葉原って映画に時々出ることがありますよね。洲崎パラダイス赤信号とか、渋滞ではナカウラ電気とキャラクターのナマズのぬいぐるみが出て来たかな。BIG APPLEの近くにあった古い看板付の電柱は、やはり都電のものでしたか。子供の頃、買物したことがなかったけど、ヤマギワ電気のネオンサインとダリの宝飾展の看板が印象に残っています。現在ドンキになっている建物に、昔からクリ時計があったそうですが、覚えている人いますか?
ドラクエだったか、列に並んで買いました。
バスケットコートだった頃が一番よく行ったし印象に残ってるなぁガソリンスタンドがあった頃は駅裏って感じでひっそりしてたけどすっかり面影が無くなりましたね
小生、地方の人間ですがアマチュア無線に凝ってた頃は、無線雑誌を見ると秋葉原のお店の広告がずらりと掲載されてましたそれを見て、秋葉原はは行ってみたい憧れの街でした
10年前くらいまで都電の電柱や伊勢丹発祥の地の石碑とか歴史の遺物残ってたんですよね川沿いの謎空間は上のトイレの先代です
51です、私の知っている秋葉原だ、PC88もX68000もアキバで買って手を痛めながら頑張って持って帰ってきたんだよな、あの頃は毎週のように秋葉原に行ってたな楽しかった
高校生の時、なけなしのバイト金握りしめてaiwaのコンポ買いに秋葉原へ行きましたw懐かしいなぁ…
少なくても秋葉は90年代くらいまでは電気街だったんじゃね? 1971年って第二次ベビーブームの年だこう見ると日本企業も中国の傘下に入らざるを得ない企業も増えたね。
昔おわい船の発着場がそばにありました。謎の場所ですが昔ブラたもりの初期に取り上げられてたような・・・
20時過ぎたら誰もいなくなったあの頃
8:36 数十年前、修行で東京へ出た時、秋葉原は安住の地でしたね。なんか…心安待ったんですね、あんなに派手派手だったのに。肉の万世…ねだん見てそのまま出てきた思い出あります!食っときゃよかったなぁ…
角田無線で鉄道模型、ヤマギワでラジコン、ラジオ会館でアマチュア無線、秋葉原デパート入口の実演販売、ラーメンいすゞ、交通博物館に肉の万世。何もかもが懐かしい。
サトームセンの歌が懐かしいですね😊
すっかり綺麗になってしまって、昔の殺伐感がなくなりました。青果市場に総武線下りの牛乳スタンド、ラーメンいすゞ、あの頃に戻りたいなぁ
1987年は初ボーナスで、石丸電気でミニコンポを買いました確かKENWOODのROXY DG5だったかな、1年型落ち学校がお茶の水で会社が神田、秋葉原は近いし趣味の関係で行くことも多かった神保町含め街の雰囲気が大好きで、25年くらいこの辺をうろうろしてました今では東京から離れてしまったけど、第2のふるさとって思ってます
肉の万世が閉店って、自分的にショックです。また、わたしの中の秋葉原が消えていく、、、😢
I got the 1000th like yes I love Akihabara went to a trip in Tokyo last April.
看板の「ペアリング」という文字を見て、Bluetoothのペアリングを思い浮かべましたが、当時だとオソロイの指輪だったんでしょうね。w
貴重な動画提供に深謝申し上げます。 小生15歳で社会人となり働き学び、昭和48年にアマチュア無線局を開設しました。 安い日給月給の中からお金を用意し、秋葉原で無線機とアンテナ📡を購入し、交信を楽しみました。 2年前に再開局しました。その際年金から捻出したお金を、握りしめ秋葉原で新しい無線機とアンテナも購入し、毎日無線を満喫させて頂いています。 感謝しています。JK1KSO 2024.4.1
60年前、電車に乗って親父と扇風機買って来た
上京して最初に秋葉原に行った時、日比谷線で行って反対側に出たため、どこが電気街と思ったが、今やそこにあるヨドバシが一番電気製品がある店に…。2000年代、部品屋さんに行こうとしたら、メイドカフェの客引きで行きにくかったな(苦笑)。
家電→アニメ・ゲーム→アイドル→オフィス街という感じですかねえ、アニメ系も既に中野や池袋に流れてしまいほとんどオフィス街になってしまった感じは強いですが
その昔父に連れられてよく行った。その頃のアキバの雰囲気は良かったな。やっちゃば、ラジ館、ラジオデパート、交通博物館、肉の万世でステーキ食べて、お土産は万カツサンド。
今はぼったくりコンカフェが増えて治安があっかしたしもはや電気街ではなくなった。
繁華街にまったくそぐわない住友ビルの罪よ。せめて一階にカフェぐらい入れろよ。
秋葉原駅と言えばミルクスタンド。 今は昔とちょっと位置が違うように思えるが。 紙蓋の瓶牛乳が定番だった。 私はもっぱらコーヒー牛乳でしたが。
銭形平次「なんなんでぃ此処はコノヤロウこんな町にしやがって!明神様のバチが当たるぞ!」
アマチュア無線の部品を買いに行きました。
上京した昭和48年頃は、細かいパーツを扱う「闇市」のような露店が出ていました。
ダンボール戦機で描かれた2050年の秋葉原に近づきそうな予感がするアレもオタク文化は一応根付いていたけど、今までの雰囲気はすっかりなくなっていたような感じだったし
あの城南電気が秋葉原に進出しなかった理由が、あの当時は喫茶店とか休憩出来る場所があまりなかったからだそうで。
オタクとわけのわからん地下アイドルって言う腐った人種共に駆逐されてしまった悲しい街。
70年代後半に先輩の車でCB無線のアンテナを買いに行きました。30分ほど路上に車を止めたらあっという間にレッカー移動されました。苦い思い出です。
アナログ時代のアキバ懐かし
いまのメイド喫茶の客引き禁止すべき
6:00 万世橋下の空間は公衆トイレです。亡父が使いました。今名残で空間の上に公衆トイレがあります。
この右側の縦長の窓がある謎の空間は男子トイレの跡です昔ここの場所に船による荷物運搬のための桟橋がありちょっとした運送拠点になっていました事務所だった建物はとっくにありませんが石造りのトイレだけはそのまま残ったようです今のように個別の小便器があるんじゃなくて、床に溝が掘ってあるただの壁に向かって立ちションするタイプでしたこのタイプの小便器は昭和の公衆便所によくあったらしいですね
初めて行った年だ。
つまらないもう観光客向けのつまらない街になり下がった。怪しさが足りない
謎の空間は万世橋駅とつながっていたのではないでしょうかもしくは博物館ですかね憶測にすぎませんが…
「謎の場所」って船着き場だろ。水上生活の家族が電気街で買い物するとき、あそこに船を着けて乗り降りしてた記憶があるぞ。
再開発で味のなくなったガムのような街になっちゃった…
駅前の実演販売の人達はどこに行ってしまったのかな?
秋葉原デパート前で包丁とか、手品用具とか怪しいものうってましたね😊
小奇麗になっちゃったよなあ
謎の空間はトイレだと思いました
秋葉原今も電気屋は多くあって漫画やゲームなどの、電気に付随するものは全て秋葉原で手には入ってたし、遊戯王カードなんかもここに買いに来ていたけど、メイドや48/46と言う危険生物がAKIBAと言わず、どうやら三国中に蔓延しつつあるなwあろうことか、池袋、新宿、渋谷でもメイドが増殖しているし、どうもこの国ではきわどい、セクシーが以前よりすたれている感じもする!?!?!?
「あきはばら」と「あきばはら」論争の復活をッ!、😂🎉🎉🎉😂
ホームの秋葉(アキバ)神社の祠は今もあるのかな。
え!?秋葉原って電気街じゃないの?
こち亀で両さんの同僚が秋葉原の通りを歩いていたら家電を山ほど買わされて(気が弱くて断れない)両さんが返品しに行くエピソードがあったと思います。秋葉原の電気街に結構うさんくさいイメージを持っていました。
ふと、「ヨドバシカメラ」や「ビックカメラ」が、それぞれ他のしっかりした地盤が有りながら、
このご時世に、わざわざこの秋葉原を選んで店舗展開をしているのを見ると、
やっぱり秋葉原と言う電気街のブランドに憧れて、いつかは出店したかったという、結果なんじゃないかと思う😊😊😊
1975年に就職をしました。音楽好きだった自分は仕事に付いたら良いステレオを買おうと決めていて石丸電気で身分不相応なステレオ・システムを買いました。長年使用したので元は取ったと思っています。
関東の地方都市に住んでいる66歳です。1979年と言えば22歳、学生生活最後の年でもあり、バイトで貯めた有り金持って親友と一緒に秋葉原にオーディオを買いに行ったのを覚えています。レコードプレーヤー、アンプ、カセットデッキ、チューナーを二人で持ち帰りました。重かったけど良い思い出です。因みに、そのオーディオは今でも現役です🎉🎉🎉
6:06
この右側の縦長の窓がある謎の空間は男子トイレの跡です
昔ここの場所に船による荷物運搬のための桟橋がありちょっとした運送拠点になっていました
事務所だった建物はとっくにありませんが石造りのトイレだけはそのまま残ったようです
今のように個別の小便器があるんじゃなくて、床に溝が掘ってあるただの壁に向かって立ちションするタイプでした
このタイプの小便器は昭和の公衆便所によくあったらしいですね
現在54歳ですが50年ほど前、父親に連れられて、ガード下のラジオ会館やその他のパーツ屋さんに行ったのを覚えてます。家の家電が壊れると父親が自分で直す為に横浜から来て部品を購入して行く訳です。
当時の私の目的は、甘いものを食べる事でした🙂
そんな思い出のある秋葉原です。
今みたいにポイントがない時代、電気屋さんでどこまで値切れるか何軒かはしごした記憶があります。
電器といったら「秋葉原」と言ってた頃が懐かしいですね☺️
ラジオ会館を上下して値段交渉したこともありました。
秋葉原から一般の方が離れ始めたのは、新宿さくらやとそのポイントカードだったかな。
自分が中学時代だから昭和40年代半ばにアマチュア無線に興味を持って毎週、秋葉原のガード下のラジオ会館に行ってたのが懐かしい。小さな店が重なりゴタゴタしていたけどまさに昭和の市場で見るだけでも楽しかった。
現在でも人は多いですが、完全な電気街時代と違い活気が感じられません。近年では筋の悪い「ぼったくり○○」など風紀も乱れて環境が悪くなりました。
インターネットなんか当然ない時代。テレビCMで流されない製品は店頭でしか知ることも見ることもできなかった。
中学生のころ、買う事のできない憧れの製品のカタログを一生懸命集めてました。
そんな電気街の記憶
近時 16bit sensation というアニメも放映され、「マイコン・キッズ」にとって秋葉原がどんなに大切な町だったのか
僕だけでなく、みんなが懐かしがっているのを見て、まるで「同窓会」のような気分でした。(マイコンですよ、パソコンじゃなく。)
大好きな秋葉原。いつまでも「夢の町」であってほしいです。行くだけでワクワクする、あの感じ。毎日がお祭り。
1979年とすれば私は小学2年ですが、電気工学科卒の父親の大学時代の知り合いの方が秋葉原の会社にいらしたらしく、家族でそこを訪ねステレオなどの買い物をしました。肉の万世で食事をしたと思います。1998年、社会人になっていた私は当時のラオックスで30万円くらい使ってMacを買いました。翌年には墨田区に一人暮らし、秋葉原は山手線で一番近い駅として買い物をする機会が増えました。しかし府中の実家に戻ることとした2006年、増えすぎたCDを売りに中古専門店に持ち込んだところ、いわゆる「アキバ」系のものしか買い取っていないといわれ、持ち帰るわけにも行かずそのままブックオフに持ち込み、電気街の変容を感じ取りました。今はMacもiPhone筆頭に地元府中でもどこでも手に入るようになりました。
ラジオ会館の上の階でカセットテープやビデオテープをまとめ買いしてました
石丸電機のレコードは検盤してから渡す手順がちょっと高級感があって、サービス券も貯めたっけ
エフ商会かな?一円玉がカップに入っていて、最終小銭はそれを使っても良かったのですよね😆
石丸の検盤、懐かしいですね。在庫が店頭品しかないと、「現品しかないですが宜しいですか?」と済まなそうに聞いてくるのもありましたね。
レコード会社の予約・購入特典の他に、石丸独自の特典も付くことがあり、それが楽しみでした。
1975年ごろから通い始め、程なくアマチュア無線を始めてロケットや秋月などのパーツ屋さんに
通って部品を買い込んで色々自作していました。ビデオデッキが出た頃、秋葉原で買ってきたのも
良い思い出です。今もたまにラジオセンターやラジオデパートに寄って雰囲気を楽しんでいます。
秋葉原、御徒町辺りはだいぶ変わりましたね。
石丸電気にサトームセン
懐かしいですね。
上野辺りも第一京浜沿いにはバイク街が有って 高速の高架下を2ストのレーサーレプリカが特有の乾いたオトを響かせていましたね。
少し胸がぎゅっとなりました。
素晴らしい動画ありがとうございます。
元々は戦後闇市の延長の様な場所だった秋葉原。
闇市~電気街~オタク街~サブカルチャー街。。この50年間の変化は凄まじいですね。
個人的にはあの忌まわしい通り魔事件前の秋葉原が好きでした。
ソフマップに中古ゲームを買いに行ったり、LD-BOXを買いに行ったり。。
歩行者天国の路上イベントを見たり。。
ロマンある街でした。
美味い店が少ない(笑)のも趣味に特化した街らしく印象的だった。
また以前のような賑わいを取り戻して欲しいですね。
秋葉原の石丸電気にはよく、レコード盤を買いに来てました。特に6:30〜の「石丸電気はエディオンに(1号館)」の紹介された、左隣りのまた隣りのビルが「レコード館(3号館)」で、ここではアメリカやイギリス、西ドイツ等の輸入盤をよく買ってました。
ヤマギワ、廣瀬無線、サトームセン、シントミ電気、ミナミ無線。色々とたくさんの家電屋さんがありましたね。ミナミ無線には「ダリ美術館」がありましたね。今ではAKB劇場です。
石丸のレコード販売は、棚からカウンターに持っていくと、同じ在庫品を取ってきて、両面検品してから販売するのに、驚きました。地方では持って行った盤をそのまま買って帰ったので、東京は凄いな、と思いました。
@@satoshimori2380 確かに新品を出してきて、その場で客に検品させてましたね。特に輸入盤は不良品の率が高い、ということもありました。実際、私が購入しようとした輸入盤は、真ん中のレーベルが何枚も貼り付けられていたりしてました。
今年50歳のおじさんです。
子供の頃から親父に連れられて秋葉原を歩いてました。
90年代の秋葉原を覚えてますが当時の怪しい雰囲気が懐かしいです。
今の秋葉原はすっかり小綺麗になりましたが昔の雰囲気はなくなりました。
5:50の謎の場所。ハッキリした用途はいまだ確定していないようですが「公衆トイレ、船着き場、荷物置き場、銀座線の機械室」などの説があるようです。個人的には橋を作った当時は国鉄万世橋駅、銀座線万世橋駅、東京市電など走っていたので船による水運との結節点「船着き場説」が有力だと思います。
安くてコッテリうまい「肉の万世」のパーコー麺。昔よく有楽町店で食べてました。
その通りです!最初は船着場、その後は公衆トイレとして使われていました。
1979年、電子工作に興味を持ち、初めて秋葉原に行った頃です。何があるか分からないが、何でも有りそうな店がひしめきあってて、最初怖かったですが、慣れれば楽しく買い物してました。ラジオ会館、ラジオデパート、ラジオガァデン…やっちゃ場もギリギリ見たことあります。懐かしいです。
万世、亡き父母と兄で行ったな。何階かは忘れたけどあの時はいい時代だった。交通博物館で記念切符を買ったりしたな。逓信総合博物館の帰りに通るときは青果市場前に特急や急行車両が留置されてましたね。電気街もパーツを買いに行ったりした。子供が入ったら戻れないような魔空間のような感じが好きだった。学生時代もオウムのパソコンショップマハーポーシャが異様な呼び込みしてたり…大人になってネットが出始めの頃にソフマップで太陽にほえろのLDをやっと見つけて買いに行ったり。 いつからAKBとかメイドとかになってしまったんだろ…
この頃大型のステレオラジカセが流行っていた時代で高校入学を機に家族総出で秋葉原に買いに行った思い出があります。
今と違って価格コム、Amazonやらポイントなどない時代ですから、石丸電気とかサトームセンといった大手の店の売り場
から、ガード下の小さな店まで値段を見まくって家族を引き連れて歩いたものです。
1979年はNEC PC-8000シリーズが発売された年ですね。その後フロッピーが一般的になるとアダルト向けソフトが販売され、だんだんとオタク化が進み今の秋葉原へと変わって行きました。
大阪在住。当時の日本橋もこんな雰囲気だった。この頃のアキバに一度行ってみたかった。
秋葉原の商店街はオノデンやあの辺りを再開発することにしたらしいです。よってもう電気街というイメージは無くなりオフィスビルの街となります。本当それで良いのか?と思うけれどビルもスカスカで打つ手がなさそう
アキバで人気の場所をホテル建設で破壊してるから、ここにホテル作ってくれると防げる。
現在63歳ですが、子供の頃読んだ昭和40年代に出版された小学館の学習図鑑には、神田青果市場も健在で現在より複雑だった秋葉原駅の構造が立体的に絵で紹介されていました
小綺麗になり昔の雑然とした感がなくなり、面白さがなくなりましたね。昔の怪しさ満点の街が懐かしいですねw
「綺麗すぎる水に生き物は住めない」
という言葉を思い出した
本当にその通りですね
猥雑さとエネルギーが溢れるあの感じが良かったんだなぁ・・・としみじみ
イエモンの曲にも通づる所がちょっとあるかも
ロケット、石丸、オノデン、ヤマギワ・ラオックス、行きましたねえ。
駅正面はラジオ会館ですね。昔ラジオのキッドを買って、ラジオ作りました。
今の若い人たちはラジオを知らないかもしれませんね。
ありがとうございました😃😊😉‼️
関西在住の者です。
秋葉原は電車の車窓から見ただけで、それすら30年以上前のことでしたので、詳しくはわかりません。
でも、今のようにアニメやゲームばかりの街ではなかったと記憶にあります。
大阪の日本橋も、秋葉原に倣うかのように面白みのない一角になってしまいました。
裏通りには怪しそうなジャンクパーツを売る店があったりして、楽しかったんですけどね。
UDX(下の駐車場)ができる前は地域経済への配慮もあって駐車禁止の取り締まりも激ユルだった記憶があります。車上荒らしも多かったようで「万世橋警察署の前に路駐するのが最も安全」ってジョークも言われていた時代が懐かしいですね。
今回も新しい発見ありがとうございます!
肉の万世閉店は残念でなりません。。。
パーコー麺も一旦は食べられなくなりますね。。。
復活の時を心より待っております。
そしてロケットが50年以上前にはもうあったことに驚いています。
自分は秋葉原で最初のPC【富士通FMV】を購入しました。
そして今の自作PCも秋葉原でパーツを揃えました。
これからも秋葉原にはお世話になっていくかなと思っています。
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo et très bon week-end ! ✨✨
昔私は、川崎にいた頃寮長に,どこかの電器店がいいか聞いたけど,寮長が秋葉原の電器店に行った方が良いっと言っていた。安くて割引をしてくるから,秋葉原で買って来なさい。勧められた。早速秋葉原に行くと当時のCDラジカセを見ながら、店頭の定員が何かお探しですかっと言うとCDラジカセを買いに来たのですよ。定員に言うと、指でこれを選ぶと,定員が定価より割引しますねっと言ってきた。寮長が言っていた通りだった,、
3:58 クモハ101とモハ100。103系冷房車は4本しかなくて狙って乗った覚えがあります。
1979年はスペースインベーダーの年。VHSのビデオデッキにTVのステレオ放送と燃えていました。
青果市場の駐車場は日曜家電客用の駐車場になってました
あのバスケットコートでよくプレイしてました🏀
負けた方が万世の排骨麺オゴる約束で
懐かしいな
やっちゃ場、ラジオ会館、前の実演販売、鉄道博物館
どの街も小綺麗になると大手チェーン店ばかりのどこにでもある風景になっちゃうね
六本木5丁目再開発もつまらない街作りなんだろうな😢
六本木5丁目も、外苑東通りのロアビル辺りは賑やかですが、フィリピン大使館辺りは閑静な高級住宅地な感じですね。
自分は、ロアビル裏のハ―ドロックカフェのボリューム満点なメニューが好きで、時々食べに行ってました。
電気街で怒られたり、やっちゃ場のトラック渋滞と、、懐かしい思い出ですね
秋葉原も世代によって違いますね~ 神田青果市場の頃、無線やオーディオで世代、テレビゲーム世代、Win95のパソコン世代、
アニメ・ゲーム・同人誌・メイド喫茶世代と秋葉原は大きく変化してます。鉄オタでない人でも、その昔 秋葉原に交通博物館が
あった事を記憶している人は随分とおっさんだと思う。しかし まぁ~ 世界的に感染者を増やした病気以降、昔はあった店が
閉店していたり、ディープな店が多いラジオデパートなど、一時期は全フロアに、どこで仕入れてきたのって商品が売られていた
けど、今や開いている店が両手もなかった気がします。
秋葉原駅が綺麗になり、駅前が開発され利便性が増したから利用者にしたらいい事なんだと思うけど、昔と違って、あの部品、
アレは秋葉原じゃないと売ってないってのが無くなった時点で今の秋葉原になったんだと思うけどジャンク屋さんとかは残り続けて欲しいな~
懐かしいなぁ。
昭和40年頃の小学生時代に秋葉原に入り浸ってました。
その頃はメーカーの不良品(要修理品) 目当てで、ポータブル蓄音機などを買ってきては修理し、実家の製本屋に住み込みで働いている従業員に売ってました。
国際ラヂオの店員さんに色々教えてもらったのを覚えてます。
今の秋葉原はもう電気街とは言わないのでしょうね。
昔は食い物屋が極端に少なくて紙鍋屋ぐらいしか見当たらなかった。
仕方ないから小川町のあるでん亭まで行ってた。
バブル期に肉の萬世で排骨麺とかじゃんがらとか選択肢ができたけど、コンビニは二十一世紀に入って
東急ホテル内にできるまで無くて不便だった、、、
秋葉原に初めて行ったのは1986年の秋当時発売されていたMSX2を買いに会社の同僚と行きました。その時駅前交差点にあった石丸電機AV館をアダルトビデオ館と勘違いしたことは秘密ですよw
選曲も良いなぁ、どこか懐かしい。
秋葉原観光デパートを覚えています。当時70年代から80年代まで存在していたと思います。観光デパートという名称で駅と直結していたレストラン兼土産物屋でした。この秋葉原観光デパートのそとには確かラーメン店があり時々行っていました。駅前現在の広場付近は建物が建っていたと思います。その後携帯電話、パソコンブームによって秋葉原は電気店の街から電子製品の街へと変化していきました。当時は現在と違い飲食店が殆どありませんでした。電気屋御用達の町から高性能機械の町へと進化し若者の遊び場となりました。すべては夢のような世界だった。秋葉原は実業の街から現在では歓楽街に変わり電気電子製品はネットに移行し私自身現役から定年を迎えもう当時のように物を追いかけることはなくたまに秋葉原へその風俗を観に行くだけとなった。秋葉原はもはや電気街ではない。その役目はとっくに気が付かないうちに終わり物品の街から映像と歓楽街と化している。時代は私のような老人を置いて行き通りには不思議な人達が立っている。彼らは煙たがられらる時もあるが古い人達にここはあなた達なような人が来るところではないと言っているような気がしてならない。ウインドウズも今は過去の産物となりつつ、情報は形ではなくデータとなった。明らかにアキバは秋葉原ではなくある意味見事に世界のアキバと変身を遂げた。そこに日本人はもちろん海外から来た人達も大勢みうけられる。これこそ私の現役時代から言われていた国際化ではないか。80年代からそう叫ばれていた。今アキバの裏通りに行っても格安品は手に入れることはできない。古い小さな電気屋のビルはなくなり始め高層ビル化している。そのうちに通りに立っている人達もいなくなるだろう。アキバは大手町化し始めている。そして最後は中野ブロードウェイのようになる。つまり非常に小さい場所のように集約されるのである。あと十年も経てば誰もアキバはかっての秋葉原だったとは気づかなくなる。このチャンネルの良いところは昔を教えてくれるということに尽きるだろう。だからその昔を知っている人はこのチャンネルを観るのである。昔の自分に一瞬戻ることができるからである。
ラーメンいすゞ。。かな?
青果市場は市場が閉場したあとも居座って営業をしていた業者がありました。真っ暗な広い市場の中のポツンとした明かりがいくつもあったのを記憶しています。1979年だとBCLが落ち着いた頃か。自分は石丸でLPレコード買ってたな。石丸の特徴は買うときにレコードの両面に傷が無いか見せてくれることと豪華っぽいポイント券だった。翌日そのLPの入った黄色い袋を脇に抱えて学校に行って。当時の高級オーディオ売り場は素晴らしい香りがしました。今はオタ系とメイド系と外国人が混じった変な匂いがします。
秋葉原駅舎の隣にあった秋葉原デパートの裏にあった。ラーメン屋がうまかった。
ベトナム戦争が終わって機材の入替が有ったのか、真空管から半導体化の関係なのか、アメジャン(米軍放出品)が並ぶ秋葉原が懐かしいです。野菜市場の食堂も…キャベツ山盛りの野菜炒め定食、もう一度食べたいなぁ。
野菜市場が移転した頃、米軍の保守用だった(と人伝に聞いた)真空管や機材が一瞬大量に出回ったのが秋葉原の最後でしたね。もう20年くらい秋葉原へは行っていません。
79年はまだアナログだった時代。その後パソコン(当時はマイコン)PC-8001が発売され、そのパソコンから現在のフィギュアなどに浸食されるとは誰も予想していなかった事。
随分前に石丸電気本店があった場所がパチンコ屋になっていた時は驚きました。昭和の頃は本店前の通りなどで早朝、各店舗が開店する前の時間帯に筵を敷いた上でジャンク屋サン達が中古基板などを色々と売ってましたね…。
これは行ってみたい人も多そうな光景。
近くの病院が混むので良く外出して秋葉原を歩き回りましたが最近は外国人ばかりで、怪しい中東系の人にお菓子を買って欲しいとか言われたりして嫌な気持ちにさせられました。こう言う変わり方は嫌だなぁ。
平成6年ころ、外付けのHDやゲームソフト買いによく行ってました。あの当時はメイドのお姉さんたちも居らず、食べ物屋も駅ナカの食堂や
高架下の小さな食堂くらいしかなったですね。
万世もなくなるのですね、仲間と焼き肉食ったのが懐かしいです。
AV機器はほぼ秋葉原の石丸電気。今でもテレビ、アンプ、レコードプレーヤーが使えています。それからレコード、CD等も石丸電気。レコードは2000円以上だとレポート用紙おまけで付けてくれて、そのレポート用紙がまだ何十冊とあります。今はそれらの購入先は変わってしまいましたから、秋葉原に行くことはほとんどなくなりましたね。
鉄道博物館には実写版電車でGOとかありましたね。ちゃんとシュミレーターみたいな名前だったような。肉の万世の斜め対面辺りだったっけか。1995~1998年くらいまで秋葉でバイトしてがっつり秋葉堪能してました。PC98か廃れてDOSVへの切り替わり時期でしたね、ギリギリまで98にしがみついてました。ネットもモデムでいっちょんちょんが主流でした、テレホーダイとかISDN時代も懐かしい。
20年前くらいに交通博物館に連れて行ってもらってたらしいが全然覚えてない…
その頃の秋葉原にもう一度行ってみたい
秋葉原って映画に時々出ることがありますよね。洲崎パラダイス赤信号とか、渋滞ではナカウラ電気とキャラクターのナマズのぬいぐるみが出て来たかな。BIG APPLEの近くにあった古い看板付の電柱は、やはり都電のものでしたか。子供の頃、買物したことがなかったけど、ヤマギワ電気のネオンサインとダリの宝飾展の看板が印象に残っています。現在ドンキになっている建物に、昔からクリ時計があったそうですが、覚えている人いますか?
ドラクエだったか、列に並んで買いました。
バスケットコートだった頃が一番よく行ったし印象に残ってるなぁ
ガソリンスタンドがあった頃は駅裏って感じでひっそりしてたけどすっかり面影が無くなりましたね
小生、地方の人間ですが
アマチュア無線に凝ってた頃は、無線雑誌を見ると秋葉原のお店の広告がずらりと掲載されてました
それを見て、秋葉原はは行ってみたい憧れの街でした
10年前くらいまで都電の電柱や伊勢丹発祥の地の石碑とか歴史の遺物残ってたんですよね
川沿いの謎空間は上のトイレの先代です
51です、私の知っている秋葉原だ、PC88もX68000もアキバで買って手を痛めながら頑張って持って帰ってきたんだよな、あの頃は毎週のように秋葉原に行ってたな楽しかった
高校生の時、なけなしのバイト金握りしめてaiwaのコンポ買いに秋葉原へ行きましたw
懐かしいなぁ…
少なくても秋葉は90年代くらいまでは電気街だったんじゃね? 1971年って第二次ベビーブームの年だ
こう見ると日本企業も中国の傘下に入らざるを得ない企業も増えたね。
昔おわい船の発着場がそばにありました。謎の場所ですが昔ブラたもりの初期に取り上げられてたような・・・
20時過ぎたら誰もいなくなったあの頃
8:36 数十年前、修行で東京へ出た時、秋葉原は安住の地でしたね。なんか…心安待ったんですね、あんなに派手派手だったのに。肉の万世…ねだん見てそのまま出てきた思い出あります!食っときゃよかったなぁ…
角田無線で鉄道模型、ヤマギワでラジコン、ラジオ会館でアマチュア無線、秋葉原デパート入口の実演販売、ラーメンいすゞ、交通博物館に肉の万世。何もかもが懐かしい。
サトームセンの歌が懐かしいですね😊
すっかり綺麗になってしまって、昔の殺伐感がなくなりました。青果市場に総武線下りの牛乳スタンド、ラーメンいすゞ、あの頃に戻りたいなぁ
1987年は初ボーナスで、石丸電気でミニコンポを買いました
確かKENWOODのROXY DG5だったかな、1年型落ち
学校がお茶の水で会社が神田、秋葉原は近いし趣味の関係で行くことも多かった
神保町含め街の雰囲気が大好きで、25年くらいこの辺をうろうろしてました
今では東京から離れてしまったけど、第2のふるさとって思ってます
肉の万世が閉店って、自分的にショックです。
また、わたしの中の秋葉原が消えていく、、、😢
I got the 1000th like yes I love Akihabara went to a trip in Tokyo last April.
看板の「ペアリング」という文字を見て、
Bluetoothのペアリングを思い浮かべましたが、
当時だとオソロイの指輪だったんでしょうね。w
貴重な動画提供に深謝申し上げます。
小生15歳で社会人となり働き学び、昭和48年にアマチュア無線局を開設しました。
安い日給月給の中からお金を用意し、秋葉原で無線機とアンテナ📡を購入し、交信を楽しみました。
2年前に再開局しました。その際年金から捻出したお金を、握りしめ秋葉原で新しい無線機とアンテナも購入し、毎日無線を満喫させて頂いています。
感謝しています。JK1KSO 2024.4.1
60年前、電車に乗って親父と扇風機買って来た
上京して最初に秋葉原に行った時、日比谷線で行って反対側に出たため、
どこが電気街と思ったが、今やそこにあるヨドバシが一番電気製品がある店に…。
2000年代、部品屋さんに行こうとしたら、メイドカフェの客引きで行きにくかったな(苦笑)。
家電→アニメ・ゲーム→アイドル→オフィス街という感じですかねえ、アニメ系も既に中野や池袋に流れてしまいほとんどオフィス街になってしまった感じは強いですが
その昔父に連れられてよく行った。その頃のアキバの雰囲気は良かったな。やっちゃば、ラジ館、ラジオデパート、交通博物館、肉の万世でステーキ食べて、お土産は万カツサンド。
今はぼったくりコンカフェが増えて治安があっかしたしもはや電気街ではなくなった。
繁華街にまったくそぐわない住友ビルの罪よ。せめて一階にカフェぐらい入れろよ。
秋葉原駅と言えばミルクスタンド。 今は昔とちょっと位置が違うように思えるが。 紙蓋の瓶牛乳が定番だった。 私はもっぱらコーヒー牛乳でしたが。
銭形平次「なんなんでぃ此処はコノヤロウこんな町にしやがって!明神様のバチが当たるぞ!」
アマチュア無線の部品を買いに行きました。
上京した昭和48年頃は、細かいパーツを扱う「闇市」のような露店が出ていました。
ダンボール戦機で描かれた2050年の秋葉原に近づきそうな予感がする
アレもオタク文化は一応根付いていたけど、今までの雰囲気はすっかりなくなっていたような感じだったし
あの城南電気が秋葉原に進出しなかった理由が、あの当時は喫茶店とか休憩出来る場所があまりなかったからだそうで。
オタクとわけのわからん地下アイドルって言う腐った人種共に駆逐されてしまった悲しい街。
70年代後半に先輩の車でCB無線のアンテナを買いに行きました。
30分ほど路上に車を止めたらあっという間にレッカー移動されました。
苦い思い出です。
アナログ時代のアキバ
懐かし
いまのメイド喫茶の客引き禁止すべき
6:00 万世橋下の空間は公衆トイレです。亡父が使いました。今名残で空間の上に公衆トイレがあります。
この右側の縦長の窓がある謎の空間は男子トイレの跡です
昔ここの場所に船による荷物運搬のための桟橋がありちょっとした運送拠点になっていました
事務所だった建物はとっくにありませんが石造りのトイレだけはそのまま残ったようです
今のように個別の小便器があるんじゃなくて、床に溝が掘ってあるただの壁に向かって立ちションするタイプでした
このタイプの小便器は昭和の公衆便所によくあったらしいですね
初めて行った年だ。
つまらないもう観光客向けのつまらない街になり下がった。怪しさが足りない
謎の空間は万世橋駅とつながっていたのではないでしょうか
もしくは博物館ですかね
憶測にすぎませんが…
「謎の場所」って船着き場だろ。
水上生活の家族が電気街で買い物するとき、あそこに船を着けて乗り降りしてた記憶があるぞ。
再開発で味のなくなったガムのような街になっちゃった…
駅前の実演販売の人達はどこに行ってしまったのかな?
秋葉原デパート前で包丁とか、手品用具とか怪しいものうってましたね😊
小奇麗になっちゃったよなあ
謎の空間はトイレだと思いました
秋葉原今も電気屋は多くあって漫画やゲームなどの、電気に付随するものは全て秋葉原で手には入ってたし、遊戯王カードなんかもここに買いに来ていたけど、メイドや48/46と言う危険生物がAKIBAと言わず、どうやら三国中に蔓延しつつあるなwあろうことか、
池袋、新宿、渋谷でもメイドが増殖しているし、どうもこの国ではきわどい、セクシーが以前よりすたれている感じもする!?!?!?
「あきはばら」と
「あきばはら」論争の復活をッ!、😂🎉🎉🎉😂
ホームの秋葉(アキバ)神社の祠は今もあるのかな。
え!?秋葉原って電気街じゃないの?
こち亀で両さんの同僚が秋葉原の通りを歩いていたら家電を山ほど買わされて(気が弱くて断れない)両さんが返品しに行くエピソードがあったと思います。秋葉原の電気街に結構うさんくさいイメージを持っていました。