Komentáře •

  • @user-ju5wc5kn6t
    @user-ju5wc5kn6t Před 4 měsíci +27

    私の祖父は海軍航空隊所属😊
    6空隊→204空隊→343空隊仮配属
    零式21→32→52→紫電
    ミッドウェイ海戦では加賀、飛龍で対空戦を生き残りトラック島でも生き残りフィリピンでは特別自爆隊の護衛を勤め内地へ
    沖縄へ進出する筈でしたが新機体を受領待ちしている間に松山343空に仮配属され紫電に乗機して迎撃戦をしましたが着陸時に脚を壊し修理中に終戦しました
    航空自衛隊ではF86単独飛行
    最終階級は二尉で病没
    公称撃墜数は9機で撃破9機でしたが204空隊以前は不明です😮
    坂井特務中尉の直伝には嘘や誇張や証明が出来ないと言われてますがそれには言いたい事が有ります
    祖父もそうでしたでしょうが何時死ぬか分からない身の上で日々の勤務での出来事を後生に残そうとは考えられなかったと思いますよ☺️
    辛うじて生き残り後生思い出して話すので記憶も曖昧のはず
    皆さん自分の生い立ち間違いなく話し証言出来ますか?😲
    祖父も余り語らなかったみたいですが問うと「う~ん、忘れた」
    「…どうだったかな~?」みたいでした

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Před měsícem +1

      凄い戦歴ですね。 空母艦上機乗りは、海軍航空隊の中ではエリートの扱いでしたから、腕も良かったのでしょう。 『坂井三郎』の書籍は、間違い、ウソが多いと言われていますが。 初期作品は、出版者のライターが執筆しているんですよね。 坂井本人が後年認めています。 おそらく『零戦パイロット』の戦記を出したい、出版者が、坂井との会話と記憶を頼りに、話しを創造した可能性が高いですね。 考えて見て下さい、人間の記憶力なんて曖昧です。 一昨日の食事すら忘れる生物ですからね。 記憶違い、勘違いはあったでしょう。 晩年の坂井の書籍は、事実に沿った内容に改編されていたりしています。 出撃エピソードでは最後までウソはあった可能性は否定できませんが。 一兵士の戦場の日々を描いた功績は評価するべきだとおもいます。

    • @user-pq8bx3ss8j
      @user-pq8bx3ss8j Před 24 dny +1

      @@user-ju5wc5kn6t 多くの人々が戦記を残してらっしゃるが将校レベルの戦記は盛ってかっこつけてるのが多いそうです
      そうであっても直接本人が書いたものは尊重して読みますが誰かが編纂書き直しは読みません

  • @user-ry8rc5fi2b
    @user-ry8rc5fi2b Před 3 měsíci +8

    坂井三郎氏「空戦の戦果報告の殆どは誤認、自分が撃った飛行機が落ちて行くのを眺める暇なんて無い。別の敵機の場所や態勢を確認しないといけないから本当に落ちたか確かめていられない」

  • @user-cr1tj2py6l
    @user-cr1tj2py6l Před 4 měsíci +20

    個人的に言うと
    菅野直と笹井醇一
    の二人が好きです

  • @user-vx1he8zy4u
    @user-vx1he8zy4u Před 4 měsíci +15

    皆んな飛行機乗りで頑張った。撃墜の数は分からない。西沢さんはかっこいい。

  • @user-pq8bx3ss8j
    @user-pq8bx3ss8j Před 3 měsíci +4

    昭和の後半勤め先のつてで坂井三郎の講演会に行った。前の方の席で間近に本人を見ました😊

  • @user-qr6ts1gm3t
    @user-qr6ts1gm3t Před měsícem +1

    あの頃、飛行機会社が三菱、中島、川崎、九州、明和とあって、技術者にパイロットにとって実に躍動感のある時代やったなあ

  • @fantomugodJapan
    @fantomugodJapan Před 4 měsíci +4

    👍投稿お疲れ様です

  • @user-ug2fe8wh9myobigunso
    @user-ug2fe8wh9myobigunso Před 4 měsíci +10

    杉田庄一は映画「零戦燃ゆ」のモデルです

    • @user-om3md5rm5i
      @user-om3md5rm5i Před 3 měsíci +3

      多分、この人がエースオブエースやな
      終始ずっと米軍機と戦ってるしな

  • @user-lb5db2oe4g
    @user-lb5db2oe4g Před 4 měsíci +6

    皆さん、良い表情をしてますね。

  • @user-xe5dr1te3w
    @user-xe5dr1te3w Před 4 měsíci +25

    坂井三郎さんは、戦後の自伝「大空のサムライ」に記された内容がかなり誇張されていると言われています。それでも凄い撃墜王ですね。

    • @sadaboh515
      @sadaboh515 Před 4 měsíci +6

      坂井三郎さんはライアで有名で、杉田庄一さんと揉めて、空戦を使える杉田庄一さん残していれば坂井三郎さんは配属転換されましたね。343剣部隊以外に。❤

    • @user-qz1oc5sh2h
      @user-qz1oc5sh2h Před 4 měsíci +14

      いや、この話しはかなり時期がズレてるそうですよ。杉田さんが戦死した時、出撃を止めたのは坂井さんですし、葬儀を仕切ったのも坂井さん。横空に転勤したのは、交代で来た武藤さんはもともと三四三空の開隊の時に引き抜こうとしたけど武藤さんの所属部隊の司令が頑として拒否したので実現しなかったけど、次々とエースが居なくなったので空戦の視力は無かったけど技量は有る坂井さんとのトレードにやむなく応じたと言う事らしいです。時期も杉田さんが亡くなって半年位後だとか。それと、杉田さんと坂井さんの不仲はめちゃ盛られてると思います。犬猿の仲の杉田さんの葬儀は仕切りませんよね。坂井さんは杉田さんの事は悪く言ってませんし。坂井さんは嫌いな人は著書の中では実名出して批判してますからね。

    • @user-gd7ot7fl6n
      @user-gd7ot7fl6n Před 4 měsíci

      😢​@@sadaboh515

    • @user-ne4nr4ks6s
      @user-ne4nr4ks6s Před 3 měsíci +4

      生きてこそだと思います。があの戦争でどれだけ優秀な人材が無くなってしまったのか、存命であれば今のこの様な間抜けな国にならなかったのではなかったのかと残念でしかありません。

    • @user-cl7rq4pm6v
      @user-cl7rq4pm6v Před 3 měsíci +5

      坂井三郎さん
      本を読んで好きになりました

  • @user-un5nn7kl3h
    @user-un5nn7kl3h Před 4 měsíci +14

    日本海軍のエースは岩本徹三、西澤廣芳の二人がトップですね。
    海上戦闘の多い海軍機は撃破されても助かる陸軍戦闘機よりは割り増しで考えるべきです。
    杉田庄一は大戦半ばから戦闘を開始し、重症を負うまでは常に敵弾の中を突っ込む勇猛な戦士でした。
    戦死時も敵を見たら後ろを見せない敢闘精神で突っ込み低空だったので撃墜戦死ですね。
    鹿屋基地内に墜落してるので慰霊碑とか建ててて欲しいです。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +2

      敵機を見て離陸するのは一番してわ行けない行為です、勇猛と無謀は違う😂😂

    • @user-qb5ne3iv9l
      @user-qb5ne3iv9l Před měsícem

      自衛隊鹿屋基地で、杉田兵曹の母親を招待して慰霊祭を開いています。三四三空関係者や司令官以下多くの将兵が参加したそうです。

    • @sadaboh515
      @sadaboh515 Před 3 dny

      ただ、1年半で72機撃墜で最後の撃墜王と言われる菅野直さんが、ペース的には凄いかも。

  • @sysop.google
    @sysop.google Před 4 měsíci +8

    坂井三郎さんのゼロ戦に関する名言で有名なものに、「前を2、後ろを9」で
    留意するというのがあります。後ろが疎かだった仲間は皆、堕とされたとの事。
    晩年の氏の自慢は、撃墜数よりも僚機未帰還ゼロだった件。「堀越次郎先生の
    名機零戦はプロペラの先端が鼻の頭、両翼端が両手中指の先に感じられた」とも。

  • @user-dj9nc8ge8k
    @user-dj9nc8ge8k Před 3 měsíci +2

    仕掛けるタイミング、引き揚げる潮時も重要だと思います。
    一回の空戦で律儀に完璧な護衛、制空にこだわっていたら、撃墜数は稼げません。
    繰り返し出撃出来る能力があるのだと思います。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +1

      護衛部隊が空戦してたら本末転倒、爆撃機を守るのが任務😂😂😂

  • @user-qk6jo7nb4x
    @user-qk6jo7nb4x Před 4 měsíci +22

    先の戦争を日本人は大東亜戦争と呼びました。

    • @user-gt2wp7ir1y
      @user-gt2wp7ir1y Před 3 měsíci +6

      太平洋戦争 (Pacific War) はあくまでもアメリカ側の呼び方ですが、戦後GHQが日本にもその呼び方を強要しました。
      日本は太平洋だけでなくインド洋や中国大陸も戦場だったので、日本人が太平洋戦争と呼ぶのは変ですね。
      (ちなみに右寄りのアニメと批判された「決断」でさえ太平洋戦争と呼んでいました。)

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +1

      おもに戦ったのは太平洋地域なので太平洋戦争で間違いない(世界標準)です。

  • @mametanuki
    @mametanuki Před 4 měsíci +10

    デストロイヤーと赤松入っていないのか

    • @sadaboh515
      @sadaboh515 Před 4 měsíci +5

      菅野デストロイヤーでアメリカからイエローファイターで恐れられた菅野直さんは最後の撃墜王で有名ですね。相棒の杉田庄一もう敬意してたので。総撃墜72機で紹介されてないのかもですが、実働は1年ちょっとで72機なので、一番ペースの早い撃墜数かも。

  • @user-sp9ne7fd3q
    @user-sp9ne7fd3q Před 4 měsíci +21

    日本軍の撃墜数は自己申告であり、欧州の様に地上部隊による撃墜確認等シビアな判定方法ではなかったので、撃墜数については曖昧な部分もあるという説もあります。
    但し、太平洋上では味方の撃墜確認も難しいので止む得ないと思いますね。
    岩本徹三は海軍機には珍しく撃墜数を桜マークで胴体に記していました。その数は60~80個だったかと。
    当時の整備員の記憶でも「岩本機の胴体は撃墜マークでピンク色に見えた」と証言しています。
    戦争後半に撃墜数を上げたパイロットは優秀な連軍機(F6F、F4U)相手の戦果なので優れた戦果だと思いますね。

    • @OHGORASCAL
      @OHGORASCAL Před 4 měsíci +3

      3号爆弾の戦果も入れたら凄かったでしょうね。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +1

      3号の戦果はほぼありません😂

  • @mr.chin-chyan
    @mr.chin-chyan Před 4 měsíci +17

    日本軍のみならず、ドイツ軍も撃墜数が多いエースが目立つ。
    負け戦の軍ほど、それだけ人員も機体も酷使されるからなんだよなぁ…。
    凄いというよりも「お疲れ様です」という気分にもなる。

    • @user-pc7rm4ky9w
      @user-pc7rm4ky9w Před 3 měsíci +3

      LWの戦闘機パイロットの撃墜数が異常に多いのは、欧州の戦闘機に共通する航続距離の短さに有ると思います。前線と出撃飛行場の距離も近く、撃墜さえしなければ一日に何度でも出撃できる。撃墜されても生きて味方前線にたどり着ければ直ぐに出撃できる。 大戦末期、敵の砲撃を受けてる飛行場から出撃した話も有ります。それほど欧州戦線は距離が近い。

    • @whitepandajp
      @whitepandajp Před 3 měsíci

      独空軍の戦果認定はガバガバ。機が帰還したら、当然すぐ整備員が補給や整備に掛かるが、搭乗していたエースパイロットが撃墜戦果を報告をしたにもかかわらず、機銃が発射されていなかった、という類の話はよくある。エースひとりの撃墜戦果が、所属部隊の戦果全部より大きいとか。

  • @hebereke767
    @hebereke767 Před 4 měsíci +9

    坂井氏に関しては、せっかく命懸けで闘ってきたのに、戦後の嘘?と言われる自らの勘違いを招く行為で、何が本当で何が嘘かもわからなくなってしまい勿体無い。
    自分の人生には嘘はついてはいけない。
    現役時代に命懸けで闘ったのならば尚更だ。
    そんなことを思いました。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem

      命がけの戦いの中勘違いはありヒロポン(覚せい剤)飲んで毎日休みなく飛べばなおさら😂😂😂

  • @yuta3890
    @yuta3890 Před 4 měsíci +16

    菅野直が入っていない…。

  • @user-zd3rq6vc2q
    @user-zd3rq6vc2q Před 2 měsíci

    日中戦争から大戦前期と大戦中期以降では空戦の困難さは段違いだと思うのですがどうなんでしょう。

  • @tokrskmea7670
    @tokrskmea7670 Před 4 měsíci +1

    bgmを教えていただきたいです

  • @pochicancan55
    @pochicancan55 Před 3 měsíci +2

    日米の資料の比較から、実際の撃墜数は、日米ともパイロットの申告数の1/3~
    1/4程度だったらしいです。あと、日本海軍は、個人主義に陥らないために(い
    かにも日本らしく)個人撃墜数からチーム撃墜数に変更したそうです。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +1

      防弾防火の優れた頑丈な機体のアメリカ機はかなりの数が帰還したと記録にあります。

  • @AST--wf1ez
    @AST--wf1ez Před 4 měsíci +2

    強者の生産拠点ラバウル……

  • @HIDEHIDE-ol8so
    @HIDEHIDE-ol8so Před 4 měsíci +3

    撃墜王の話題はやはり独軍の数々の名パイロット達になってしまいます。
    申し訳ございません。
    ちなみに零戦対策の戦法を米軍が発案しましたよね。

    • @sadaboh515
      @sadaboh515 Před 3 dny

      大型爆撃機の攻略法は菅野直さんが考案しましたね

  • @miyazakinichinan55
    @miyazakinichinan55 Před 4 měsíci +3

    つるぎ部隊だと

  • @user-fx3zv3gi5y
    @user-fx3zv3gi5y Před 13 dny

    個人的には…「武藤 金義」かな🤔❓大空に散った英霊達は多いけど 生きて終戦を迎えられた方は皆さん凄い事だと思います…もう「人」を゙撃たなくて良いのですもんね…😔 戦争は2度とあってはならないよ…😓

  • @sadaboh515
    @sadaboh515 Před 3 dny

    凄いのは菅野直さんでは。米軍に制空権握られて、1年半で72機の撃墜数はどのパイロットよりハイペースでは。杉田庄一さんも敬意して、部下には優しく破天荒で数多くの武勇伝もあるので最後が愛機の343A15でなく343A01だったのが悔やまれる感じ。階級は戦死扱いで中佐だったので。わずか23歳で。零戦の岩本徹三で、紫電改の菅野直ですね。米軍からイエローファイターと恐れられたので。

  • @takasukesakai9320
    @takasukesakai9320 Před 4 měsíci +5

    大空のサムライ坂井三郎さんはあまりにも有名な方ですね。

    • @sadaboh515
      @sadaboh515 Před 3 dny

      ただ、ライアで有名ですね

  • @user-hu1iz4ey8h
    @user-hu1iz4ey8h Před 4 měsíci +5

    64機撃墜は坂井さんの自証ですよ実際は28機前後 それでも凄い記録です

    • @user-pq8bx3ss8j
      @user-pq8bx3ss8j Před 24 dny

      @@user-hu1iz4ey8h 太平洋戦線では敵機に会うことも大変らしく、1日に10機撃墜の快挙上げた藤田いよ蔵氏もその後会敵
      なく終戦を迎えたらしいですね後にJAL ジャンボの機長になられました。

  • @user-cl7rq4pm6v
    @user-cl7rq4pm6v Před 3 měsíci +3

    撃墜数はどーですかねー
    自分が撃墜しても
    仲間に手柄をあげることもあったとか

  • @user-ur7qv2ci4d
    @user-ur7qv2ci4d Před 4 měsíci +6

    坂井三郎氏以外は、ホントの大空のサムライですね。

  • @user-nb7zb5ff5s
    @user-nb7zb5ff5s Před 3 měsíci +4

    菅野直さんも撃墜王と思うんですが…?

  • @koreuma
    @koreuma Před 3 měsíci

    単に撃墜数のみで評価されているため、WWIIで世界に2名しかいない水上機エースの一人(※)である甲木清實が取り上げられていないのは残念。
    ※もう一人が松永英徳なのか、それとも河村一郎なのかは、ヘンリー・サカイダの著書で触れられていないので分かりません。

  • @user-ee1nw8kx2f
    @user-ee1nw8kx2f Před 4 měsíci +2

    大日本帝国海軍の問題児菅野直は?

  • @user-ke3fe6kz9s
    @user-ke3fe6kz9s Před 3 měsíci +2

    海外にはもっと撃墜王沢山居るんだろうなぁ。

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +2

      アメリカ軍は二回飛んで一日休み三カ月で1週間休み、日本は毎日休み無く飛んでたので撃墜数が増えた😂😂😂

  • @fantomugodJapan
    @fantomugodJapan Před 4 měsíci +3

    リクエストお願いします
    吉田松陰の妹
    楫取美和子お願いします!
    タイトルは
    兄はあの吉田松陰
    激動の幕末を生き抜いた楫取美和子の生涯

  • @user-gt2wp7ir1y
    @user-gt2wp7ir1y Před 3 měsíci +1

    若い頃マーチン・ケイディンの「零戦」を読んで以来、長らく日本軍の撃墜数ランキングは1位が西澤公義の108機、2位が坂井三郎の64機だと思っていましたが、ネットの普及でそれが誤った情報だという事実を知りました。

  • @user-ij8et2mz8b
    @user-ij8et2mz8b Před 4 měsíci +7

    他の撃墜王から『ホラ吹き野郎❗』と言われて毛嫌いされていた撃墜王がベスト5内にいた❗

  • @user-wt1mu3og4j
    @user-wt1mu3og4j Před měsícem

    ❌けんぶたい
    ⭕つるぎぶたい

  • @MrNingenbakudan
    @MrNingenbakudan Před 3 měsíci +3

    杉田氏のような突っ込んで行くタイプの撃墜王はどうしても早死にしてしまうんだよなぁ。
    落穂拾いタイプの撃墜王は戦後まで生き残るけども。

  • @user-tj5pn2tf2y
    @user-tj5pn2tf2y Před 4 měsíci +1

    …あれっ?
    最近、 じっくりで 近代史
    細道で戦国時代ってな感じのテーマの棲み分けが、されている感じ?☺️

  • @sadaboh515
    @sadaboh515 Před 4 měsíci +6

    杉田庄一さんのところ違うところるかと。杉田庄一さんと坂井三郎さんは仲悪く、空戦に使える杉田庄一さん残して坂井三郎さんは他の基地に配属転換されたかと鹿屋基地の件盛土工事中止命令出したのは源田実司令かと。菅野デストロイヤーで米軍からイエローファイターと恐れられた菅野直さんの相棒になり敬意して菅野直さんの悪口言うと殴りかかる感じですね。菅野直さんは破天荒で部下思いで最後の撃墜王と言われてますね。実働も1年ちょっとで72機撃墜なのでもう1年か2年早ければ相当数撃墜してたかも。相棒の杉田庄一やその後h氏族された空の宮本武蔵こと武藤金義も戦死した後で終戦まで後は2週間ですね菅野直さんも、ワレ機銃筒内爆発。諸君の協力に感謝ス。ワレ菅野一番の無線を最後に行方不明になりましたね

  • @user-ww2xb2fd7u
    @user-ww2xb2fd7u Před 4 měsíci +5

    坂井さんの64機は無いとは思ってましたが、こんな人だと分かると実際の28機前後もかなりあやしい。
    日本軍は実際の半分以下が妥当だと思っていますが皆さんはどうでしょうか?

    • @motosan7
      @motosan7 Před 3 měsíci +3

      実際に日米の一次資料を見るととても両軍そんなに撃墜はしていませんね
      太平洋戦線だと半分でも多い位で実際は1/3程度で何とかというレベルだと思います
      岩本徹三氏の3号爆弾での撃墜記録も米軍には全く残っていないです(撃破は多々あった
      模様ですが)
      戦果確認に厳格と言われた独軍のエースの撃墜数すら全くアテにならず
      戦いながらの戦果確認なんかそこまで出来る筈もなく、厳格にやっていた搭乗員は
      長く無かったとも言われていますし
      本土決戦であり、部品取りのため撃墜した敵機を基本回収してツギハギ戦闘機をデッチ
      上げていたフィンランド軍のスコア以外おおよそ半分以下というか1/3で見積もるのが正しいかと
      思います

    • @kawaguzzi2000
      @kawaguzzi2000 Před 3 měsíci

      @@motosan7 陸軍の有名な64戦隊(加藤隼戦闘隊)は撃墜数に厳格だったそうですよ。
      地上での残骸を見つけて初めて撃墜数にカウントしたとか。
      同じビルマで活躍した50戦隊(運の穴吹氏がいた戦隊)は、反対にかなりルーズだったようです。
      ビルマ航空戦という本があり、連合軍の戦闘詳報から実被害の裏付けを取ってますので、読んでみて64戦隊の正確な戦果報告に驚きました。
      坂井氏の64機は大空のサムライを出版する際、出版社と撃墜数を何機にするかで話し合った際、宮本武蔵を尊敬する坂井氏が、武蔵の生涯の戦った回数64回で負けなし、という説から64機にしとくか・・・となったとか。
      全世界的に本があまりにも売れたため、64機が既成事実のようになっちゃいましたが、坂井氏自身も64機落としたとは思ってなかったようです。

  • @is635
    @is635 Před 2 měsíci

    管野直がいませんね
    残念です

  • @user-yc8ut8yp7p
    @user-yc8ut8yp7p Před 2 měsíci

    個人的なことを言うと菅野直が入ること願ってた

  • @user-ud8lo4dz5f
    @user-ud8lo4dz5f Před 3 měsíci

    横井庄一の名前が無い。。

    • @user-dc4hc1eh9r
      @user-dc4hc1eh9r Před 3 měsíci +2

      横井庄一さんは陸軍でしかもパイロットですらないですよね?

    • @KA-im9ms
      @KA-im9ms Před 3 měsíci +2

      庄一と言ってることから杉田庄一さんと勘違いされてるのでは?

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem

      庄一さん可哀相😂😂😂

  • @user-hw3cs3um2y
    @user-hw3cs3um2y Před 3 měsíci +2

    大東亜戦争です。いい加減にしてください。英霊に失礼です。

    • @user-nx9cb5ql7z
      @user-nx9cb5ql7z Před 2 měsíci +2

      あくまでニュートラルなチャンネルなんだから、太平洋戦争で全然OK✨
      むしろ大東亜戦争なんて言ったらあっち系のチャンネルに思われるやん(笑)

    • @user-eq1oz2ix7n
      @user-eq1oz2ix7n Před měsícem +2

      太平洋地域の戦いなので太平洋戦争で間違いナシ世界の常識です。❤

  • @user-gi8zb3mi8g
    @user-gi8zb3mi8g Před 4 měsíci +10

    坂井三郎はまだ日本軍が勝ち戦の時に撃墜数を稼ぎ、敵艦上爆撃機を戦闘機と勘違いし、不用意に背後に近づき後部機銃で命中弾を浴び戦闘機パイロットとして使えなくなった。
    著書「大空のサムライ」を執筆しているが活動時期が戦争序盤でしかなく、中盤以降の苦しい戦いを知らないから威勢の良い、自己都合が良いことしか書いていない眉唾物の本だと思います。
    また人間性にも難があり後輩を嘲ったり暴行したり、はたやねずみ講まがいの商売をしていたとかで知る人からはすこぶる評判は悪い。

  • @user-so2jn4rz5c
    @user-so2jn4rz5c Před 3 měsíci +2

    戦後、複数のパイロットに聞いた。坂井は、他のメンバーが、空中戦の最中に、高空で、高見の見物。終了して帰投する敵機を背後から襲い撃墜を稼いだ。当然、相棒を失わない。自分の不注意で、相手の後方機銃に気がつかず負傷。戦闘機のみ相手していたため。343空で、自分より若く撃墜数の多かったパイロットを殴り続けた。その為、転属先が、見つからず、やっと横須賀空が、仕方なく引き取った。戦後、戦争に詳しくない若い編集者をだまし、英雄伝説を作った。彼が、主張した大型爆撃機や戦闘機等の撃墜は、その日出撃どころか、その地区には、配備されていない。アメリカ軍の厚木基地に出入りし、批判させない様にした。同僚や部下を巻き込みねずみ講をやった。