【総集編】諸葛亮の戦の全て!なぜ司馬懿に勝てなかったのか?!【三国志】
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- čas přidán 20. 07. 2024
- 三国志時代に活躍した天才軍師、諸葛亮孔明。
劉備亡き後、彼は5度にわたって魏討伐に向けて進軍しました。
なぜ諸葛亮は北伐にこだわったのか?どうして司馬懿に勝てなかったのか?
南蛮平定や馬謖の敗戦、魏延の裏切りと内部分裂・・・
三国志で最も有名な人物の一人、諸葛亮の戦の全てをご紹介します!
#三国志 #諸葛亮 #劉備
目次↓
0:00 南中平定戦
28:07 第一次北伐
48:46 第二~四次北伐
1:10:55 第五次北伐
関連動画↓
• 南中平定戦|蜀漢存亡の危機!どうやって諸葛亮...
• 第一次北伐|諸葛孔明の夢が終わった瞬間。なぜ...
• 第二~四次北伐|止まらない進撃!魏討伐を目指...
• 第五次北伐|なぜ諸葛亮は司馬懿に勝てなかったのか。
2018年に剣閣に旅したけど、すんごい隘路だったわ
なんちゅう暑い所だ南中は
何番目やろ?南蛮は
語尾を伸ばして語ると、聴きにくいです。
でもそれがなんか癖になる
気にならないけどなー
水でしょう。水が無ければ闘いに成りません。
語尾伸ばすのやめてくんないかな
このコメ読んだら気になって仕方なくなった笑
気にならんけど
プロとして───
実際に馬謖が防衛に成功していたとして、蜀の領土がちょっと広がる程度の影響しかなさそう
隴を得られるなら防衛、存続についての話はかなり変わる
新末東漢初において、蜀の公孫述が割拠していられたのは隴の隗囂が居たからであり、魏が蜀漢を滅ぼすことができたのも隴を策源地にできたから。
隴を手に入れれば蜀漢の安全保障に大きく影響する。攻守進退いずれにおいても重要の地
だからこそ先主劉備の漢中攻略の頃から、法正の献策にあわよくば隴の奪取も含まれている。
現代の検証で蜀の戦力では桟道を塞ぐことはできず魏の侵攻を抑える術がなかったらしい。その中で馬謖が陣取った場所は戦術的に正しかった模様。要するに力負けでは士気が下がるから負ける想定で実績ある将軍は使わず馬謖を送り敗戦の理由を失策にして処断したと考えるのが自然だそうだ。それなら戦前から戦後まで道理にあうので俺もその考察が正しいと思ってる。
天才軍師とは言われているが実のところ政治家であり、後方にいてじっくり熟考するには長けていたが、刻々と状況がかわる前線指揮には長けていなかった
参謀としては二流かもしれない。実際自らが率いた戦いは南蛮戦以外ほとんど成果がない。
徐庶、龐統、法正などの参謀戦の天才には到底及ばない。
立場が逆なら司馬懿は諸葛亮に勝てない。ただそれだけのことと思っています。国の差。
司馬懿ならそもそも戦力で劣ってるの相手に侵攻しないし、
もし命じられたとしてもなんか理由をつけてとっとと退却する
三國志は創作物語。中国の朱鎔基もと首相がウソと書いています。
それは演義の話