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2017中心市街地探訪100・・岡山県津山市
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- čas přidán 12. 12. 2017
- 鳥取県と接する岡山県の北東部に位置し、面積506.33㎢、人口は岡山市、倉敷市に次ぐ県下第3の102,319人(2017.8.1)。古くから美作地域の中心であり、奈良時代の713年には国府が置かれ、江戸時代は津山城の城下町として栄えた。明治4年の廃藩置県で津山藩は津山県、明治9年には岡山県に編入され、明治22年(1889年)の町村制施行では苫田郡津山町が成立した。昭和4年(1929年)には市制を施行し、近年では平成17年(2005年)に津山市を含めた5市町村が合併して新しい津山市が誕生した。
静岡県からのアクセスは、東海道・山陽新幹線で岡山まで行き、津山線に乗り換え、岡山から津山まで1時間30分前後。
中心市街地は、JR津山駅から吉井川を渡った北側周辺のエリア。
地図を見る限りでは津山はいかにも山間地の中という印象を抱いていたが、津山城から見えた盆地は遠くまで開けていて、金属製品や食料品製造業などの産業集積も進み中国自動車道も横断する交通の要衝でもあった。中心市街地は津山城を中心としたかつての城下町のエリアとほぼ一致し、歴史的観光資源も数多く残っている。商店街を歩くと人通りはまばらだったが、年間250万人もの集客を誇る大型複合施設のアルネ津山と百貨店の天満屋の存在は県内においての津山の地位の高さを感じた。
【JR津山駅】
津山線と姫新線のほか因美線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は1,987人(2015年度)。駅は2面4線の地上駅で、ホームが南側、駅舎が北側にある。改札口を出ると、切符売り場や待合室などの駅施設のほかコンビニエンスストアが入っていた。駅を出ると、路線バスとタクシー乗り場、一般乗降用スペースのあるロータリーが広がる。広場の東側には、交通観光案内所があるほか蒸気機関車が静態保存されていて、その一角にはB’zの稲葉浩志さんが津山出身であるということからB’zの看板が掲げられている。
【津山まなびの鉄道館】
旧津山扇形機関車庫で2016年4月に鉄道保存展示施設としてオープンした。旧津山扇形機関車庫は現存する扇形機関車庫の中では京都の梅小路に次ぐ全国2番目の規模を誇り、当時の総工費11万600円をかけて昭和11年(1936年)に完成した。施設は扇形機関車庫のほか鉄道の歴史については「あゆみルーム」、鉄道の技術については「しくみルーム」、津山の市街地をジオラマで再現している「まちなみルーム」などがある。
【今津屋橋商店街】
吉井川に架かる今津屋橋から北側へ約120m続く商店街で、別名「ごんご通り」とも言われている。津山では河童のことを「ごんご」と呼び、吉井川で河童がいたずらをしたという言い伝えがあったことから名付けられた。
【サテライト津山】
競輪の場外車券売場で、地上2階に車券売り場や観覧席、1階にはエントランスホールのほか居酒屋など飲食店が入っている。以前このビルは高島屋津山店が営業していたが1999年に閉店してしまい、その後の2001年8月にサテライト津山として再出発した。
【ソシオ一番街】
東西210m続く全蓋式アーケードが設置されている商店街で、60店以上の店舗があるようだが、その内約30店が営業している。
【アルネ津山】
店舗面積18,097㎡、地上1階から4階までのフロアには百貨店の天満屋やアルネ専門店、図書館、地域交流センターなどが入り、5階から8階には音楽ホールのベルフォーレ津山のほか駐車場となっている。
【知新館】
第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎の別邸で、1950年に津山市に寄贈された後津山郷土館として開館した。1989年からは市民の文化芸術活動の場として利用され、1998年には国の登録有形文化財になった。
【銀天街】
アルネ津山の北側からLの字に全長70m続く全蓋式アーケードが設置されている商店街。
【津山二番街・本町三丁目】
銀天街から西側へ約90mの津山二番街、さらに約110m続く本町三丁目は、それぞれ線蓋式アーケードが設置されている商店街。
【元魚町商店街】
銀天街から北側へ約150m続く全蓋式アーケード商店街で、郵便局や食品スーパーなどもあった。
【新地通商店街】
元魚町交差点から北側へ約90m続く商店街で、主に飲食店が集まっていた。
【津山城跡】
元和2年(1616年)に森蘭丸の弟である森忠政が築城した平山城。明治6年の廃城令では城は破却され、その後の明治33年(1900年)には鶴山公園として当時の津山町の管理となった。近年では平成17年(2005年)に築城400年事業として天守の南東側に備中櫓が復元され、翌年の2006年には日本100名城に認定された。
【津山文化センター】
【津山郷土博物館】
【津山観光センター】
【津山国際ホテル】
【岡山県美作県民局】
【岡山地方裁判所津山支部】
【津山市役所】
【衆楽園】
津山は、私が青春時代を過ごしたところ。その昔、ここに音楽大学があったのです。そこで、私は音楽だけでなく人生の様々な問題も学びました。懐かしい土地です。今でも先輩や同級生の諸氏は、お元気だろうか。(私は2020年現在、70歳のじじいです。
私も覚えています。吉井川沿に建っていた作陽音大ですよね。現在は作陽高校の敷地に払い下げられて、音大は総合大学“くらしき作陽大学”として1997年に倉敷市に移転してしまったのは残念でした。
何よりもびっくりがこんな小さな町で超ビッグな二人の出身地と言う事です!B'zの稲葉さん!そしてオダギリジョーさんです!びっくりですね!最高城下町!
数年間だけ津山に住んでたことがあったがいい街だった
津山城が現存してないのが本当に惜しい。残ってたら最強の観光資源になったのに。
津山城天守閣再建は、したいんじゃ無くてハナッからするきがないらしんです⁉️。
お金ないから‼️
(これわ住んでいた時分地の人から噂として聞いた話です。
あくまでも)
今から40年前に津山の北にある勝北というところに住んでいました。子供の頃は元魚町にあるサンリオショップ「いちご畑」に行くのが楽しみでした。懐かしい商店街。今はなんだかちょっぴり寂しいですね。
おーっ!! 私も勝北の近くに数年いたことがあります、それも同じく40年ぐらい前に。盆地だから夏は暑いし、冬は必ず雪が積もるしマイナス温度になることもあるし。津山から北へは、津山インターを境に中国縦貫道の下をくぐりぬけてから途端に寂しくなっていく風景に夜はさらに寂しくなったこともありました。勝北の知人によると、さらに北は、なるほど、自衛隊様様の所で道路・病院・ごみ処分場が整備され・・・でも、個人的には、大人でも半泣きになりそうな夜間のイメージもありました。3年前に、30数年ぶり・・ぐらいに津山に行ってみました。人づてに聞いてましたが、まさしく、愕然となるぐらいに悲しかったですね。作陽の音大は無く、イズミの店も無く、商店街もシヤッターが閉まったままの所が多い・・・あのころは、平日でも賑やかだったのに・・。津山インターの目の前は、イオンがドーンと構えてました。イオンが来ると昔からの環境が破壊されるというのはどこにでもあることなのですかね・・・。そして、イオンが退去すると周りは車に乗りないと困難になる環境にと。ちなみに私はBzの稲葉さんも通ってた吉田楽器店とか東宝の映画館とか。あと、東亜ブックセンターだったか。
@@goldapman
まさに私の父は自衛隊だったので、感謝のある日本原に住んでいました。大学生の頃一度訪れましたが、その時でさえ、かなり変わった印象がありました。あぁ、懐かしいなぁ。歳をとったせいか、昔のことがとても懐かしく感じます。
返信コメントありがとうございました。
感謝→官舎の誤りでした。
私生まれも育ちも勝北町でした!いちご畑はあの辺りに住んでいる中高生なら誰でも一度は行きたいお店で、ちょっとした小物とかオシャレな雑貨を買うのが楽しみで楽しみで…
昔は勝北町に地元密着型の商店や個人スーパーはあったものの、大きなスーパーらしいものはなかったので、年末には津山市内まで出て商店街で様々なものを買い出しして、その賑やかさや人の多さにウキウキしていたものです。今は寂れてしまって静まり返っていますが、その分昔の名残が壊されず残っていてこういう動画見るたびに懐かしい景色や空気を思い出します。
勝北町や奈義町は冬は西日本では考えられないほど気温が下がって雪は降るし水道管はすぐ破裂するし、秋冬の霧が凄くて昼過ぎまで天気もよくわからない。夏はとにかく暑くてすぐ夕立になる。でも秋は凄く穏やかできれいなんですよね…広戸風さえなければ(笑)
親戚が津山にいるので、何回も行った
いい思い出がたくさんある
津山市は良い所です!又、行きたいな。
こんな山奥の盆地に人口10万都市…いつ見ても驚き!
大都会岡山だから
岡山県の北部では一番の津山市 紹介していただきありがとうございます
100回目で津山紹介してくれてなんかありがたい。笑
地元が津山なんでこの動画嬉しいです!
津山城は藩の規模にして不相応なくらい立派な城、現存してれば姫路城や熊本城に匹敵するんだがなぁ
高知市から一週間だけ アルネ津山に 生鮮配送行きました。 もう 行く事ないかなー
津山が好き!
今回で100回目ですか!これからも頑張ってください
ありがとうございます。
津山の古い町並み見たい
今は国際ホテル壊されてて別の所にあります!
今は城山テラス
津山紀文調べたら出てきた
ドバーランド