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戦時中私の父は一式陸攻の副操縦士として従軍していました。特攻を予定していましたが、その前に終戦になりました。生前 父は一式陸攻の話しをよくしていました。その中で父に質問したことがあります。「特攻に行くことは怖くなかったのか?」と、すると父は「怖いなど思ったことはない、アメコウに思い知らせてやりたかった」と、
@BNKRG姉貴の大ファン 確かに62歳といえばジジイにかわりありませんが、逆に先の大戦に興味を持つ若い世代がいることは嬉しく感じますね、
@BNKRG姉貴の大ファン 日本のために戦った戦士のご子息に対し 結構なジジイ は失礼です。 撤回か謝罪して下さい。 一式陸攻の副操縦士 だぞ!
@BNKRG姉貴の大ファン うわぁ
@@shuu1ok 登録チャンネルがやべー奴らの集まりで草
実際の兵士は肝っ玉が凄いな。こうして生き残った方々が戦後の日本を立て直して言ってくれたのかと思うと、大変有り難いです。
20:10この晴嵐の命名の由来、この動画で一番好きかもしれん浪漫よなぁ
愛知航空機の技術の集大成のような飛行機、もっと早くできていれば(潜水艦も)多少は衝撃(気分的な)を与えられたかもしれませんね。(色々、詳しく調べておられて感激しました)国籍マークの明示は、正式な国際法では無く「無印」でもあえて言えば問題とはならないのでは。(草案を提案のままになっている)しかし、敵国のマークを付けるのは武士道/紳士協定には反しますね。当然、搭乗員は嫌だったでしょうね。20年前に亡くなった親父は、晴嵐の2次攻撃隊の搭乗員でした。酒が入ると「高性能で、とても美しい機体だった」と懐かしそうに話していました。搭乗員は、数少ない生き残りから選りすぐって、搭乗時間3000時間以上の優秀なベテラン搭乗員を全国から集めていました。(訓練中、今泉司令からは「お前たちの代わりはいない、死なずに帰ってこい(できるだけ?)」といつも言われていたそうです)南洋のマーシャル諸島で、コンソリデーデットB24を砂浜に積んだ土嚢の中から20mm機銃で迎撃中に、眼前に爆弾を受けて吹き飛ばされ、両耳の鼓膜が貫通、ほとんど耳が聞こえないまま、本土で哨戒任務を続けていた親父です。今なら障がい者に等しい父が、晴嵐の部隊に抜擢されたのは、よほど優秀だったのかなと思います。(20歳寸前です!!)ただ、空と海を自由に飛んでいた飛行機乗りの若者たちは、本音では「潜水艦だけは勘弁してほしいな」と思っていたそうです。あと、特攻の件ですが、基本的に/正式には「体当たり突入の命令は出てなかった」と言っていました。まあ、みな敵を目の前にしたら「確率の高いほうを選ぶことにしていた」と言っていました。効果そのものは、機体ごと突入するより爆弾を正確に当てる方が破壊力が高いと言っていました。しかも、逃げられないなら、投下した後で別の目標に機体を突入させれば、2か所を破壊できるとも言っていました。技量抜群の搭乗員ばかりなので、あてる自信はあったとも言っていました。ちなみに、訓練部隊は「石川県七尾湾の七尾」と「広島県/瀬戸内海の福山」にあり、行ったり来たりしながらの訓練だったそうです。親父は2次攻撃隊だったので、福山の海岸で終戦を迎え、降伏を拒んだ晴嵐搭乗員全員で機体を確保して海上/海岸に立てこもり、3日間、脅しに機載機銃を発砲しながら抵抗したそうです。最後に、親父は「俺は偵察機乗りだったので、あの戦争で一人も殺さなかった。良かったのか悪かったのか、同期兵はほとんど戦死したけど・・」とよく言っていました。
とても貴重なお話、本当に有難う御座いましたm(_ _)m
生の声震えた!凄く感謝します🙏
今じゃ潜水艦にミサイル積んでるが、それが無かった大戦時に航空機を積んでたんだからすごいよなと思ってしまう。同時に連合国に与えた衝撃も大きかったかと
実際アメリカ軍が伊400型を接収して伊400にインスピレーションを受けてミサイル乗せた潜水艦開発しだしたらしいですね
確かナチスのuボートが発射してたぞ
アメリカはソ連にイ400型がわたるのを恐れて処分したとか。😽🤔
何より、この晴嵐が現存するという事が、素晴らしい。
熱田高校は愛知航空機の船方工場の跡地にあります。テニスコートの下に工場のセメント床があったりして、校庭をむやみに掘ってはいけないと先生に注意されました。
名付けがあまりにも素敵すぎる。
ムカーシに読んだ光人社文庫には、投降前に晴嵐を投棄しようとしたら、航海中にカタパルトが変形したらしく投棄に苦労したってありました。特攻を実行してたらと考えると肝を冷やしたって。
今回もじっくりと深い内容で良かったです
日本人としてこの機体に“もののあはれ”を感じるのは自分だけでしょうか。
小学校時代を愛知航空機永徳工場の廃墟近くで育ちました。米軍の猛爆撃で徹底的に破壊されて、わずかにコンクリートの建物が所とごろに残っていたました。戦闘機の風防はガラスではなくて樹脂製で、その破片が廃墟に散らばっていて、それを板に擦ると甘酸っぱい良い匂いがするので、学校で誰かが拾ってくると他の者が欲しくなり、工場跡に入って学校に苦情が入り、「不発弾があるので、危ないので行かないよう。」よく注意されました。「晴嵐」という潜水艦から発進する飛行機で米本土爆撃する計画は聞いていたので、あれは「晴嵐」の匂いだったのか? まあ違うでしようが、そういうことにしています。
アクリル樹脂の匂いでは?当時の子ども達は当然ながら知る由もなく「匂いガラス」って呼んでいたとか…
今は、日産自動車愛知機械
敷地面積は今の愛知機械永徳工場の10倍以上あった。
晴嵐は当初、降着装置付きの機体と同じく「南山」だった、とか。 ただ「南山」→「難産」に通ずるから名称変更された、と40年ほど前の雑誌で読んだ記憶が…。 好きな機体なので覚えてた。
芋虫はやっぱり零が好き
南山は陸上用に改修された晴嵐ではなかったかと???
ピクシヴさんによると「フロートを最初から付けずに陸上で運用すること目的としたものが南山あるいは晴嵐改と呼ばれた(後の研究により「南山」は試製晴嵐の旧称であり、あくまでフロートを付ける前の評価実験機)」となっていますね。 ワタシも40年前の文献が出展ですが、改称と合致するのではないでしょうか。
2002年くらいに、スミソニアンのポールガバー組立場に行ったとき、台車に載せられた完成した晴嵐がありました。台車にはタミヤ寄贈(たぶん写真もまだある)と書いてありましたが、資金バックアップしたんですね。この映像にある通り、レストアはアメリカ人によって行わたようですしね。勉強になりました。その後、2008年くらいでしょうか、ダレス空港横のスミソニアン航空博物館に行ったとき、この映像にもある通り、展示されていました。近くに、紫電改もありました。
下駄履きでこの性能はスゲー艦載機にしてたたんで積めば搭載機数が・・・とはおもったけど特殊攻撃用に技巧も凝らしてるからお高いんでしょうねぇ。
その中で父から一式陸攻の防護機銃について興味深い話しを聞いたことがあります。おやじは陸攻の機銃を射ったことはあるのか?との私の質問に、訓練ではよく射った。訓練では練習機が曳航する吹き流しを的に射撃するのだが、20ミリ機関砲はタン、タン、タンと発射速度が遅くまったく当たらなかった、一方7、7ミリ機銃は狙えばよく当たったと、、でも7.7ミリ機銃では役に立たないのでは?との私の質問に、父は7.7ミリ機銃でもあるとないでは大違い、敵も被弾を恐れ近寄って来なかったと、どうやら搭乗員達には7.7ミリ機銃のほうに人気があったようです。
晴嵐装備の第六三一空が訓練を行った福山海軍航空隊(広島県福山市)ですが今でも当時の晴嵐運用の基地としての一部が現存しています。日本鋼管敷地内なので普段は見ることが出来ませんが・・・。
31:42 国際法違反塗装ちょっと好きP51前期型を無理やり複座の水上機にしたような感じも好き
まぁ、コレで飛んで見つかったらバレると思うんですけどね^^;アメリカ軍機にフロートなんか付いてる訳ないしw
@@_yos8201 だとしてもアメリカ機の可能性が有るならば無闇に攻撃できないんじゃない
アメリカは重機ですぐに飛行場が作れたけど国産のものはまともに使えなかったから飛行場が無くても運用できる水上機が作られたって話
@YOS_ 晴嵐はフロート投下できるし 特攻時なので着水時のフロートもいらないのでフロートは気にしなくていいかと
P-51に似せようとしたんですかね。横から見るとあんまり似てませんが、この時期他に液冷単発なんていないし。
よくここまで調べ上げいい動画にしてくれました、ありがとうございます。レイム&マリサの語りでの展開うまいですね〜。余談での工場から川へのスロープの写真も印象に残りました。
日本って結構面白い所に力を入れるよねそれがすっごい好きなんだけども
英国「面白いは正義」
@@user-yu9fu5mx8z パンジャン
圧倒的な量の珍兵器でファシストはゆっくりしないで死んでいってね!
うぽつです!調査、編集お疲れ様です。
充実した素晴らしい内容にただただ敬服するばかりです。当方滋賀県在住で、晴嵐は近江八景のひとつに粟津の晴嵐として大津市JR石山駅の周辺の地名にもあります。この機に採用された内幕もきちんと説明されていて頭が下がります。そういうわけで以前からこの飛行機の存在は知っていましたが、どうせ潜水艦に押し込むためにやっつけで処理されたしょぼい機体だろうと勝手に思っていました。ところが今回、その高性能に加えて用途上、素早い処理を求められる運用のためにありとあらゆる工夫が盛り込まれていて、海軍(愛知航空機)の頼もしい一面を知ることが出来ました。 さて地名に戻って晴嵐は琵琶湖を起点とする瀬田川の始点近くにあります。また有名な瀬田の唐橋は2km弱の下流にあります。その粟津(あわづ)の地は朝日将軍と言われた木曽義仲の終焉の地でもあります。粟津が原の戦いとして平家物語にもあります。ここで巴御前と別れ、最期を遂げます。近くには義兄弟ともいうべき今井兼平の墓があり、今でも信州より詣でる方のお供えが続いています。ちなみに朝日(旭)将軍の由来は北陸の倶利伽羅峠で平家の大群を夜襲により殲滅し、朝日の中で凱歌を上げたところからと言われています。そして近年この地で紡績業が興され、その縁から旭ベンベルグを社名とし、今の旭化成へとつながっています。脱線がひどくてすみません。これからも楽しみにしております。
素晴らしい解説ありがとうございます
「晴嵐」日本人気質の由来が伺える。特務と(渡辺)船田少佐に敬礼。
とても良い動画をありがとうございます!晴嵐という飛行機のコンセプトとデザインが好きだったのでこうして扱っていただけたことも大変うれしく思います。『晴嵐』という言葉も海軍航空機の命名規則から外れている物のみやびやかで素晴らしい名前だと思っていたのですがそれが浮世絵から来ているというのは知りませんでしたし、船田少佐の教養の高さから出ていたという素晴らしいエピソードを知れたのもとても気持ちが昂りました。また、個人的に最近とても気になっていた愛知航空機の仕事の集大成というのを知り、開戦後の開発決定ながらスピーディに完成にこぎつけたこともすごいともいました(小並感ですみません)戦術的には少数機での運用はあまり意味がないですし、戦略的には精密爆撃の意味はあまりなく、ミサイル的な無人兵器(精密誘導や制御なんか必要なく適当な方向に大体の距離で自爆する程度の精度、日の丸機が戦略目標付近を飛んでいる状態を作るだけ)で十分と思っており流星などの新型機の開発にリソースを注ぐべきだとも考えていたんですが開発経緯を見るとそうとばかりはいえなさそうですね。
お疲れ様です大変!!!興味深く♪面白い構成で 主殿のセンスの良さを見ました♪
今回もなかなか興味深く、内容のあるプログラムをありがとうございました。この晴嵐たちが特攻の任務を果たせなかったのは幸いな最後だったんでしょうね。
思い入れのできるいい解説でした。有難うございました
うぽつです。当時、カタパルトでポンと打ち出されて危険手当が6円。だから危険手当はパイロットの間で「ポン6」と呼ばれていました。
ちなみに開戦時の初任給が75円位だった様なので、今が20万(安😭)として2666円。大体16000円位のもんですね…
機銃についてはスミソニアン側に詳細な内容とか経緯とかをきちんと連絡説明すればちゃんと三式に変更してくれそうな気がする。こういったものについてはアメリカはどこかの国と違って正しく修正してくれると思う
すごい…最近のそういった紹介動画では、紹介するもの自体がどういった性能を持つのかという紹介において、そのもの自体を持ち上げて紹介しようとするために、比較対象などが全く的外れになっているものとか、ロートルとモダンを比べようとするものがたくさんあるのにも関わらず、この動画では誇張はおろか虚偽もなく、"〜と比べるとどうであるから"とこと細やかに説明が入っていて、とても感心が持てる。それに加えて表現方法にも力が入っているように思えるね。こうした動画では数字をしかとした証拠や判断基準としてみるヒトが多いだろうから、ちゃんとした数値的な出典や要素が多く強調して表現されているのは、とてもわかりやすいだろうしいいことだと思う。ただし残念なところがひとつだけ。情報の出典について。これだけ情報も興味深く、わかりやすくて面白い動画なのに、情報の出典がなければ信憑性は低くなってしまう。もちろんこの動画の内容がすべてフィクションであるならそれでもいいけど、それはそれで明記が必要になるね。もしそうでなければ、しっかり情報の出どころを明確にし、この動画を見てくれているヒトに"これはすべて真実である"って信じてもらおうよ。長くなったけど、珍しく評価したくなったから、ちょこっと言わせてもらったよ。全体的にいえばとてもいい動画だと思ってる。もしこのコメントを読んでくれなくても、俺はさらなる発展を願ってるよ。
これの熱田エンジンは出来の良い選別品を積んだと聞きました。
確か、紺碧の艦隊で噴式春嵐ってあったな………しかもエスコンお馴染みの谷間飛行(オペレーション・タイトロープ)やってたw
艦載機の発艦シーンは格好よかったね、飛行中に邪魔になるフロートは収納式になってたし
ここまで訓練して特攻機にするのはもったいない。
未来永劫人間特攻作戦無い事を願う
待ってました!
制式化されないままの実戦投入は200機以上生産された陸軍のキ102の例があります。その一方制式化されながら総生産数わずか15機の紫雲とかもあって、この辺の基準はよくわかりませんね。
凄いコンテンツです。勉強になりました。
パナマ運河爆撃を予定した晴嵐の搭乗員は、予備学生出身の私の大学の大先輩でした。
晴嵐の語源を調べたのには恐れ入りました☆
射出で6円の話は 当時の搭乗員からポンと打ち出されて6円なので「ポン6」と言っていたようですね
よくまとまって勉強になりました。タミヤが金出したのが胸熱。
潜水空母イ-400型に3機搭載し、計8艦建造しパナマを攻める予定だった。
ドイツのV1、V2みたいな奇襲兵器の一つだと思うなただコストがここまでかかるとは知らんかった
晴嵐は知ってましたが機体の構成が愛知の製作した各機種の集大成だったとは知りませんでした。こと水上機に関しては日本は世界トップレベルだったのは意外と知られてない事実。スピットファイヤーもF4Fワイルドキャットも水上機バージョン試作したけど性能ガタ落ちで陸上機から水上機で成功したのは零戦の派生型の二式水戦ぐらい。晴嵐の高性能は愛知が長年携わってきた水上機のノウハウを全て注入された隠れた傑作機かも知れません。あと晴嵐の機首先端から垂直尾翼に至るまでのデザインはホント日本機独自のスマートなラインで美しいと思います。
ぶっちゃけ他の国は水上機に力入れる意味なかっただけなんだけどね。
欧州戦線や北アフリカは、ほとんど艦隊戦なんて無かったんですよね^^;陸上戦と航空戦だけでそりゃもう酷かったし、海上はほとんどが「ドイツのUボートとの戦い」でしたから。
>機体の構成が愛知の製作した各機種の集大成だった「各機体の良い所取り」ってなかなか上手くいかないものだったりする訳ですが、晴嵐ではそれが上手く纏められているのが凄い。
地中海なら陸から飛んで行けるし、北大西洋には環礁なんてありませんからね。
今のアメリカ軍の空母の早期警戒機などは、あの翼の折りたたみ方だし、原子力潜水艦などは伊400などの8の字形に鋼を通すことで大型化しても安定すると言う構造を模したものらしいです。戦前の技術は、現代に繋がっている。素晴らしいものだったんだよと当時の人たちに伝えたい。
最近『キュリオス』という4WD車専門誌に、コレが載ってましたよ。アメリカのスミソニアン博物館に、実機が展示されております。
伊400、伊401抜錨!!出港準備!!目標、パナマ運河!!
スミソニアン博物館で本物見た時に感動したんですよね。 彗星11型とは空気取り入れ口がずいぶん違うんですね。 今気付きました。 潜水艦にミサイル積んでいる発想ですから大したもんです。 潜水艦戦術が相当他の海軍とは異なっていたと言うことなのですね。
@田中一郎 さん、そうでした、レシプロの水冷でしたね。
潜水艦に航空機を搭載することは各国取り組んでいたけど、実用化したのは日本海軍だけだつたそうな。😽😚
これは「晴嵐」だけの問題ではなく母艦となる潜水艦「伊400」級の設計も絡み両者セットで並行して製造・建造しなければならないのだから、日本海軍の総合的なマネジメントも上手くいった良い例なのでしょうただ残念なのは如何してもコスパが悪すぎですね。要地攻撃とはいえ伊400級潜水艦10隻建造できたとして全機発進させても30機─しかも護衛戦闘機無し─で反復攻撃は当然無理なので戦果は何処まで確実に見込まれるのか?せめて搭載爆弾が─核兵器級とまではいかなくても─1発でも広範囲に被害を及ぼせる強力なものであれば、と思ってしまう
見応えがあってすごく面白い
晴嵐は美しい機体ですね。戦略型潜水艦のおじいさんがイ400型ならミサイルのおじいさんが晴嵐?
うむ。瑞雲のすばらしさがよくわかった
昔々のアメリカTVで見ていたシュービー号を思い出す。潜水艦から飛び立つ飛行機があったんや。その頃、更に昔に日本にそんな機体や潜水艦があったなんて知らんかった。実戦活動がなく虚しく終わった様だが、乗組員を虚しく失わずに済んだ事が救いや。と、ワシは思うんや。
日本のこういう特殊な戦闘機好き。
特殊攻撃機やない?
@@user-rj3fq3es3x 一応、分類上は「水上攻撃機」。二式/三式旋回銃なんてのを乗っけてて空戦もこなす仕様^^;口径13mmしか無いから、当時の戦闘機相手じゃ穴開かないけどねw
@@_yos8201 旋回銃だから自衛用じゃないの?
@@_yos8201 瑞雲も分類上は水偵だが実質は水上爆撃機だからね。
最後攻撃して欲しかったなぁ・・・終戦がもう少し遅かったら…作戦がもう少し早かったら・・・・最後海上投棄する時泣いただろうなぁ・・・・。
特攻でなければね。
うぽつですやっぱり性能が潜水艦搭載のそれじゃないな…というかフロート非装備で三機発進準備十五分は凄すぎる。
遅すぎて
難産と揶揄された試製南山の最後も取り上げて欲しかった「ジパング」架空ティルトローター機「海鳥」を見ていると晴嵐みたいな主翼してるよね
彗星にフロート付けたようにしか見えない。と、思っていましたが瑞雲の設計も組み込まれていたなんて初耳でした。勉強になったぞお!
晴嵐、かっこいい! 機能美の集大成、
🥰晴嵐スゴイな。検証がまた凄い。よくぞここまで調べましたね。大したもんだ。excellent!🌸🌸🌸
永徳スロープか名古屋に行ったら見に行かないとだな
強風みたいな感じで春嵐が陸上攻撃機として開発されたらどうなるんだろ
それ凄く気になるよね。彗星以上流星未満的な?
@@user-ns2ng8vm6q 南山ってのが居るって教えてもらいました
@@user-mn6vx1gl2r おぉこんな物があったんですね性能はよくわからなかったですが
確か晴嵐の雷撃訓練(晴嵐は雷撃時はフロートを投下して雷撃してた だから雷撃訓練をお高い晴嵐ではできず)南山(試製晴嵐改)が作られたと読んだことがあります
@@user-xy6ii2we5hそうなんですね知りませんでした
昭和20年4月には晴嵐が供給不足だから桜花43型を伊400には六機伊13^には四機搭載が想定された。 カタパルトは四式一号射出機10型と呼ばれる最大射出重量5トン最大射出速度34m/秒の圧縮空気型の物だった。
M6A1って聞いた時アメリカ戦車?って思った
確かに、アメリカの戦車の型番ですね^^;M6A1重戦車って、試作だけで実践投入されなかったらしいですね^^;;;
パナマ運河、特別攻撃隊🐠
晴嵐は結構カッコいいしロマンあって好きでも特に描きにくいレシプロ機な気もする
これまたBGMが良いですね。太平洋行進曲ですか?
とは言え634空は343空東海運用部隊芙蓉部隊と共に特攻部隊から外されて居ましたからね。
藤前干潟へ行くたび 名港を見ないで「あそこにはスロープがある」って何時も見てしまう 工場近くの道路から見るには 今は少し危険藤前から見ると 良いところに工場とスロープがあるのがわかるあそこは ほんま条件は良いところ 波も常時穏やかだし
見た目が現代の戦闘機みたいでかっこいい
川西は郡中央と距離があったから、いい飛行機いろいろ造っていたんだよな。
アイチも艦爆以外でも結構やるのにな。三菱と中島優遇しすぎだったんでね。
最初から晴嵐を艦爆か艦攻として作っていれば、流星の代替え機になったのでは?
アップありがとうございます👍今回の動画、面白かったですが複雑な感想です。どーしても特攻隊という発想が嫌い過ぎて。物資もなくなって、戦局が悪くなる中でも現場は頑張っていたんですね。昔の二式飛行艇の話とか興味あります。
スミソニアンにあるのはタミヤ が資金援助して復元したやつだつたかな?
とっても良かった。偽装晴嵐に振れてた点がとっても良かった。晴嵐をかなり研究されてどうがをUPされたのね。勉強になりました。★☆の1/48晴嵐は死蔵してるんで製作したくなりました。因みに★☆1/350イー400の晴嵐は偽装で出撃シーンと考えてます。
晴嵐ヤッター( ≧∀≦)ノ実はwowsに伊勢が実装されまして、それにはなんと晴嵐が雷装で搭載されてるんですよ!
胴体をフロートにするんだよお!
ここで満を辞しての胴体着陸
この流れスコ
うぽつでっせ👍
すごく美しくて大好きです。
毎回楽しく拝見しています。晴嵐で分からないことが一点爆装してカタパルト射出ってどうするのか知ってたら教えてください宜しくお願いします🤲
晴嵐を搭載した伊号潜水艦には、「呉式一号四型」って言う火薬式カタパルトの一種が搭載されてました。砲弾の炸薬じゃ無いので、もう少しゆっくり加速させる訳ですが、同じ火薬式カタパルトの「呉式二号五型」では、たった1~2秒で飛行機のスピードを時速111kmまで加速出来ます。ちなみに、これで既に人体がヤベェと思うかも知れませんが、現代の米軍が使ってる水蒸気式のカタパルトは2秒で時速300kmなので、その1.35倍の加速度が倍の時間掛かるんです^^;伊401のカタパルトの加速Gは3G程度ですが、米海軍のカタパルトでは4.3Gぐらい掛かる様です。富士急ハイランドの「ドドンパ」で静止から172km/hまで1.8秒、計算すると2.7Gぐらいなので、もし御存知でしたら、それにチョイ足しした負荷が晴嵐ではかかると思って下さいw米軍機の加速Gは察してくださいw(パイロットは耐Gスーツ着用ですw)
@@_yos8201 今の米軍の艦載機パイロットにはかつて日本の水偵乗りが貰っていたポン6手当てに該当する手当て貰ってそう
プラモデルを作って手許において、ときどきこのエピソード、当時の日本人の切磋琢磨を思い出したい。
3機で空母が作れる晴嵐で体当たりなら、伊400でも普通の潜水艦でも、もっと早い段階で直接パナマ運河へ魚雷攻撃とはいかなかったもんなんですかね…仕舞いには海上投棄されてしまうあたり悲しい機体でした。
海洋と直接繋がってない上流の閘門をどうやって潜水艦で攻撃するんですかね?
日本人の一品物のモノ作りへの拘りが遺憾無く発揮された機体の様で面白かったです、そして、最後まで物量と言う発想が持てなかったのも日本人らしいです。また、他国に偽装までした特攻作戦である「嵐作戦」が実施されなくて本当に良かったと心から思います。
しかし、潜水艦への搭載機で液冷エンジンを選択か。。。確か晴嵐は浮上前から潜水艦内でエンジン内に温めたオイルを循環させて、浮上後に即発進可能な様に暖気されていた…という記事を読んだ記憶が有るがそういう構想を含めて液冷式エンジンの方が都合が良かったのかな?
12:53 ここで言われてます
晴嵐にはフロートの投棄機構がそもそもない(実戦では外した状態でカタパルト発進、帰投後に機体は不時着水して放棄)ので、垂直尾翼端投棄はウソ話ですな大昔の漫画とかでは、紫雲と混同したのか空中投棄可能になってたけど
「戦力劣勢な軍はゲリラ戦をするしかない」と割り切って、最初からこういう神出鬼没な奇襲部隊にこそ力を注ぐべきだったのでしょう。戦略的には影響を与えなかったでしょうが、アメリカにとって厄介な存在になったと思います。ともあれ短期間でよくこれだけの物を作り、運用出来るようにしたなあ、と感動を覚えずにはいられません。
私の父は、昭和20年6月に海軍少尉になり、最後はまさに第6艦隊配属で終戦を迎えました😔。生前にこの動画を見ていたら、父に聞いてみることができたのに😔、自分の不明をお詫びしなければなりません😢
1945年の巡航ミサイル…ですね
作戦の規模は小さいけど発想の壮大さは真珠湾攻撃より大きいと思います。最期に日の丸を纏い投棄されてよかった。( ;∀;)
出撃前に米軍機の塗装と国籍マークになった話だな。パイロット達は猛抗議したらしいw
この時代の、機体名の名づけは秀逸だ。現在、飛行機はほぼアメリカ製なので、違和感があるがF1とF2には漢字名をつけてほしかった。海自の護衛艦もひらがらではなく漢字にしてほしい。ちなみに、父親は川崎航空機明石工場で屠龍を作っていました。
自衛隊は日本語愛称付けて定着しなかった過去があるからなぁF-86F旭光、F-86D月光、F-104栄光…
ちなみに出撃後、終戦となって米軍に投降する前に機体は全て海に投棄されてる。パイロットだった人の証言だ。米軍も見たかったろうなこの攻撃機w
戦争は科学技術の発達を促すが、代償として尊い人命の大損失を招きます…皮肉なものです。
巡洋潜水艦という概念は戦後の原潜に繋がる訳だから、あながち無謀とも言えない。
「日本万歳」載せる飛行機を木竹で作ってたら量産できるしレーダーに映らない。爆撃機に過大性能を要求したから戦果に効果無し・・・木竹製400馬力小型水平爆撃機で充分だった、たぶん。フロートや帰還は無用、爆撃後はパラで降下し投降で良い。小型なら既存潜水艦を改造で充分・・・
@田中一郎 「日本万歳レーダーに映らないから米本土防衛軍としては海岸部全域に監視網と迎撃戦力を配置する必要に迫られる・・・つまり北米全周囲に大戦力が常駐。海軍艦艇も当然に海域哨戒に大動員。爆撃の脅威を与えるだけで大戦力が遊兵。戦略的に撃沈と同じ意味を持つ。つまり、戦わず勝つ。艦隊戦も巨砲より攻撃距離と命中率で良い。命中に要する弾数は100から200分の1.攻撃金額を考えても木竹攻撃機の有利明確。当然に敵のレーダー防空は無力に。
戦略ミサイルを航空機と爆弾で代用するわけですね。明確な攻撃目標があるのなら、精密爆撃で撃破できる理屈です。まあ事実上の特攻ですけど、旧日本軍にとっては常識の範囲内なんでしょうね。
@@nekomaru42 「日本万歳」戦略上は明確な攻撃目標は無い方が良い。目的は破壊では無くて敵領土海岸部へ脅威を与える事。航空機は数百キロ内陸へ進出。鉄道を分断すれば大陸の東西を遮断・・・現代と違い道路での代わりは不可能。大陸深くでの破壊活動と海から航空攻撃。有効な防衛には莫大な戦力と兵力が必要。威力不充分の爆弾で充分、日本爆撃機が頭上に飛来するかも?で戦略目的達成。不時着すれば拘束されるのは当然ですが侵入飛行出来た時点で作戦目的を完遂。陸軍予算は増えて海軍予算は減少・・・米陸軍航空隊は戦術空軍として本土防衛。4発爆撃機の量産は中止となる・・・
@@mugakuninn 言いたいことはわかるし批判する訳じゃないけれども工場はよく燃えそうだなと思いました
折り畳みフロートにすると、【紺碧の艦隊】に出てた【春嵐】になる。
晴嵐1機約300万…現代で作って売ってる会社あったら将来絶対金貯めて買ってる
分かってると思うけど当時の物価なんだよね
今さらだがこれは真珠湾攻撃と同時期に行うべき作戦だったな。無論当時それだけの作戦を遂行できる戦力などなかったんだろうけど。あと勘違いされることが多いけど、特攻って別にそのまま戦死が前提ってわけじゃないからね。ぶつかる前に脱出して友軍に回収させる場合もあるから。まあ自国領付近でならともかく敵陣ではどの道生還率低そうだけど。
戦前のアメリカの小説で、民間船に偽装した水上機母艦が米本土を奇襲する話がありましたね。
機体の出自と運用の話になるのは無理もないけど、エンジンあっての飛行機ですから、熱田エンジンの由来、性能、実際の整備運用状態が抜け落ちていて残念。
こち亀で カールヴィンソンに特攻してたなw
最後に少しは飛ぶことができたのかな
紺碧の艦隊みたいに開戦時に伊400とかと一緒に間に合ってたら世界は変わっていたかな?航空母艦の運用すらままならない開戦初期に潜水空母艦隊は無理か、、、
何も変わらないと思うが…アメリカは技術もさることながらあまりにも国力がデカ過ぎる!話は飛ぶけど、戦争はいかん!
アメリカ建艦ドックだけを狙う攻撃で行けばある程度は成功する。 ただ1回目は成功しても次回は対策しないと思う。
@田中一郎 取り敢えず核で湾口を太平洋に面する所軒並み吹き飛ばさないと安心できないなぁ。一、二発程度ではすぐに復活しちゃうことを想像出来る化け物国家。
@田中一郎 さん 同時多発は良いと言うか真珠湾やマレー侵攻など同時多発の初戦時に行う必要がある。 真珠湾は機動部隊に任せて本土攻撃は伊400を100隻ぐらい作って置いて4箇所ぐらい攻撃してしないといけないです。
@田中一郎 さん あのー同時多発攻撃しろと言ったのはそちらですが?
8月17日が、攻撃予定日だったんですね。特別攻撃がなくてよかった。私のおじの一人は、8月15日の未明、暁攻撃ということで沖縄に向けて知覧基地から出撃予定でした。まだ暗い夜明け前に全員集合して、出撃命令を待っていたとのことでした。ところが、待てど暮らせど、出撃命令がありません。そのうち日の出を迎え、太陽はどんどん高くなり、暁攻撃どころではなくなったとのことでした。これは、三男のおじ(終戦時20才、海軍航空隊)の話です。長男のおじ(終戦時22才、陸軍航空隊)は、新田原基地から2度沖縄に特攻で出撃して、20数年前に75才でこの世を去りました。この話は、おじの手記にもかかれていますが、いつか私が生きている間い書籍の形で公表したい思っています。(特攻に2度出撃、最初そのおじから話を聞いた時「2度?」しまもその本人は今目の前にいる。どういうこと?と思いました。)とにかく当時は、若者(若い兵隊)は「死ね!」「死ね!」と言われていました。私の知り合いで、もうとっくに故人となった人ですが、昭和3年生まれ、終戦時17歳でしたが、とにかく当時は「俺らは死ぬる!」とことあるごとに言っていたと戦後笑い話で話をしてくれました。長男のおじに「そんなにいつも死ね死ねと言われたら、どういう気持ちになるのか」と尋ねたところ、「死にゃいいんだろ、死にゃ!」と思うようになったと言っていました。以前NHKの番組で9回特攻に行って帰ってきたという90才を過ぎて亡くなった方の話が放送されていたようですが、この方も、もうとにかく「死ねばいいんだろ、死ねば」とおじと同じ口調で話していました。長男のおじに「生きていてくれてありがとう。」と言いました。おじは、その時、ただ、黙って下を向いて、目を伏せていました。
水戦よりデカイのか
大作!お疲れさまでした。
戦時中私の父は一式陸攻の副操縦士として従軍していました。
特攻を予定していましたが、その前に終戦になりました。
生前 父は一式陸攻の話しをよくしていました。
その中で父に質問したことがあります。
「特攻に行くことは怖くなかったのか?」と、すると父は「怖いなど思ったことはない、アメコウに思い知らせてやりたかった」と、
@BNKRG姉貴の大ファン
確かに62歳といえばジジイにかわりありませんが、
逆に先の大戦に興味を持つ若い世代がいることは嬉しく感じますね、
@BNKRG姉貴の大ファン 日本のために戦った戦士のご子息に対し 結構なジジイ は失礼です。 撤回か謝罪して下さい。 一式陸攻の副操縦士 だぞ!
@BNKRG姉貴の大ファン うわぁ
@@shuu1ok 登録チャンネルがやべー奴らの集まりで草
実際の兵士は肝っ玉が凄いな。こうして生き残った方々が戦後の日本を立て直して言ってくれたのかと思うと、大変有り難いです。
20:10
この晴嵐の命名の由来、この動画で一番好きかもしれん
浪漫よなぁ
愛知航空機の技術の集大成のような飛行機、もっと早くできていれば(潜水艦も)多少は衝撃(気分的な)を与えられたかもしれませんね。(色々、詳しく調べておられて感激しました)
国籍マークの明示は、正式な国際法では無く「無印」でもあえて言えば問題とはならないのでは。(草案を提案のままになっている)
しかし、敵国のマークを付けるのは武士道/紳士協定には反しますね。当然、搭乗員は嫌だったでしょうね。
20年前に亡くなった親父は、晴嵐の2次攻撃隊の搭乗員でした。
酒が入ると「高性能で、とても美しい機体だった」と懐かしそうに話していました。
搭乗員は、数少ない生き残りから選りすぐって、搭乗時間3000時間以上の優秀なベテラン搭乗員を全国から集めていました。
(訓練中、今泉司令からは「お前たちの代わりはいない、死なずに帰ってこい(できるだけ?)」といつも言われていたそうです)
南洋のマーシャル諸島で、コンソリデーデットB24を砂浜に積んだ土嚢の中から20mm機銃で迎撃中に、眼前に爆弾を受けて吹き飛ばされ、両耳の鼓膜が貫通、ほとんど耳が聞こえないまま、本土で哨戒任務を続けていた親父です。
今なら障がい者に等しい父が、晴嵐の部隊に抜擢されたのは、よほど優秀だったのかなと思います。(20歳寸前です!!)
ただ、空と海を自由に飛んでいた飛行機乗りの若者たちは、本音では「潜水艦だけは勘弁してほしいな」と思っていたそうです。
あと、特攻の件ですが、基本的に/正式には「体当たり突入の命令は出てなかった」と言っていました。
まあ、みな敵を目の前にしたら「確率の高いほうを選ぶことにしていた」と言っていました。
効果そのものは、機体ごと突入するより爆弾を正確に当てる方が破壊力が高いと言っていました。
しかも、逃げられないなら、投下した後で別の目標に機体を突入させれば、2か所を破壊できるとも言っていました。
技量抜群の搭乗員ばかりなので、あてる自信はあったとも言っていました。
ちなみに、訓練部隊は「石川県七尾湾の七尾」と「広島県/瀬戸内海の福山」にあり、行ったり来たりしながらの訓練だったそうです。
親父は2次攻撃隊だったので、福山の海岸で終戦を迎え、降伏を拒んだ晴嵐搭乗員全員で機体を確保して海上/海岸に立てこもり、3日間、脅しに機載機銃を発砲しながら抵抗したそうです。
最後に、親父は「俺は偵察機乗りだったので、あの戦争で一人も殺さなかった。良かったのか悪かったのか、同期兵はほとんど戦死したけど・・」とよく言っていました。
とても貴重なお話、
本当に有難う御座いましたm(_ _)m
生の声震えた!凄く感謝します🙏
今じゃ潜水艦にミサイル積んでるが、それが無かった大戦時に航空機を積んでたんだからすごいよなと思ってしまう。同時に連合国に与えた衝撃も大きかったかと
実際アメリカ軍が伊400型を接収して伊400にインスピレーションを受けてミサイル乗せた潜水艦開発しだしたらしいですね
確かナチスのuボートが発射してたぞ
アメリカはソ連にイ400型がわたるのを恐れて処分したとか。😽🤔
何より、この晴嵐が現存するという事が、素晴らしい。
熱田高校は愛知航空機の船方工場の跡地にあります。テニスコートの下に工場のセメント床があったりして、校庭をむやみに掘ってはいけないと先生に注意されました。
名付けがあまりにも素敵すぎる。
ムカーシに読んだ光人社文庫には、投降前に晴嵐を投棄しようとしたら、航海中にカタパルトが変形したらしく投棄に苦労したってありました。
特攻を実行してたらと考えると肝を冷やしたって。
今回もじっくりと深い内容で良かったです
日本人としてこの機体に“もののあはれ”を感じるのは自分だけでしょうか。
小学校時代を愛知航空機永徳工場の廃墟近くで育ちました。
米軍の猛爆撃で徹底的に破壊されて、わずかにコンクリートの建物が所とごろに残っていたました。
戦闘機の風防はガラスではなくて樹脂製で、その破片が廃墟に散らばっていて、それを板に擦ると甘酸っぱい良い匂いがするので、学校で誰かが拾ってくると他の者が欲しくなり、工場跡に入って学校に苦情が入り、「不発弾があるので、危ないので行かないよう。」よく注意されました。
「晴嵐」という潜水艦から発進する飛行機で米本土爆撃する計画は聞いていたので、あれは「晴嵐」の匂いだったのか? まあ違うでしようが、そういうことにしています。
アクリル樹脂の匂いでは?当時の子ども達は当然ながら知る由もなく「匂いガラス」って呼んでいたとか…
今は、日産自動車愛知機械
敷地面積は今の愛知機械永徳工場の10倍以上あった。
晴嵐は当初、降着装置付きの機体と同じく「南山」だった、とか。 ただ「南山」→「難産」に通ずるから名称変更された、と40年ほど前の雑誌で読んだ記憶が…。 好きな機体なので覚えてた。
芋虫はやっぱり零が好き
南山は陸上用に改修された晴嵐ではなかったかと???
ピクシヴさんによると
「フロートを最初から付けずに陸上で運用すること目的としたものが南山あるいは晴嵐改と呼ばれた(後の研究により「南山」は試製晴嵐の旧称であり、あくまでフロートを付ける前の評価実験機)」
となっていますね。 ワタシも40年前の文献が出展ですが、改称と合致するのではないでしょうか。
2002年くらいに、スミソニアンのポールガバー組立場に行ったとき、台車に載せられた完成した晴嵐がありました。台車にはタミヤ寄贈(たぶん写真もまだある)と書いてありましたが、資金バックアップしたんですね。この映像にある通り、レストアはアメリカ人によって行わたようですしね。勉強になりました。その後、2008年くらいでしょうか、ダレス空港横のスミソニアン航空博物館に行ったとき、この映像にもある通り、展示されていました。近くに、紫電改もありました。
下駄履きでこの性能はスゲー
艦載機にしてたたんで積めば搭載機数が・・・とはおもったけど
特殊攻撃用に技巧も凝らしてるからお高いんでしょうねぇ。
その中で父から一式陸攻の防護機銃について興味深い話しを聞いたことがあります。
おやじは陸攻の機銃を射ったことはあるのか?との私の質問に、
訓練ではよく射った。
訓練では練習機が曳航する吹き流しを的に射撃するのだが、20ミリ機関砲はタン、タン、タンと発射速度が遅くまったく当たらなかった、一方7、7ミリ機銃は狙えばよく当たったと、、
でも7.7ミリ機銃では役に立たないのでは?との私の質問に、
父は7.7ミリ機銃でもあるとないでは大違い、敵も被弾を恐れ近寄って来なかったと、
どうやら搭乗員達には7.7ミリ機銃のほうに人気があったようです。
晴嵐装備の第六三一空が訓練を行った福山海軍航空隊(広島県福山市)ですが
今でも当時の晴嵐運用の基地としての一部が現存しています。
日本鋼管敷地内なので普段は見ることが出来ませんが・・・。
31:42 国際法違反塗装ちょっと好き
P51前期型を無理やり複座の水上機にしたような感じも好き
まぁ、コレで飛んで見つかったらバレると思うんですけどね^^;
アメリカ軍機にフロートなんか付いてる訳ないしw
@@_yos8201
だとしてもアメリカ機の可能性が有るならば無闇に攻撃できないんじゃない
アメリカは重機ですぐに飛行場が作れたけど国産のものはまともに使えなかったから飛行場が無くても運用できる水上機が作られたって話
@YOS_ 晴嵐はフロート投下できるし 特攻時なので着水時のフロートもいらないのでフロートは気にしなくていいかと
P-51に似せようとしたんですかね。横から見るとあんまり似てませんが、この時期他に液冷単発なんていないし。
よくここまで調べ上げいい動画にしてくれました、ありがとうございます。レイム&マリサの語りでの展開うまいですね〜。
余談での工場から川へのスロープの写真も印象に残りました。
日本って結構面白い所に力を入れるよね
それがすっごい好きなんだけども
英国「面白いは正義」
@@user-yu9fu5mx8z パンジャン
圧倒的な量の珍兵器でファシストはゆっくりしないで死んでいってね!
うぽつです!調査、編集お疲れ様です。
充実した素晴らしい内容にただただ敬服するばかりです。
当方滋賀県在住で、晴嵐は近江八景のひとつに粟津の晴嵐として
大津市JR石山駅の周辺の地名にもあります。この機に採用された
内幕もきちんと説明されていて頭が下がります。
そういうわけで以前からこの飛行機の存在は知っていましたが、
どうせ潜水艦に押し込むためにやっつけで処理されたしょぼい
機体だろうと勝手に思っていました。ところが今回、その高性能に加えて
用途上、素早い処理を求められる運用のためにありとあらゆる工夫が
盛り込まれていて、海軍(愛知航空機)の頼もしい一面を知ることが出来ました。
さて地名に戻って晴嵐は琵琶湖を起点とする瀬田川の始点近くにあります。
また有名な瀬田の唐橋は2km弱の下流にあります。
その粟津(あわづ)の地は朝日将軍と言われた木曽義仲の終焉の地でも
あります。粟津が原の戦いとして平家物語にもあります。ここで巴御前と
別れ、最期を遂げます。近くには義兄弟ともいうべき今井兼平の墓があり、
今でも信州より詣でる方のお供えが続いています。
ちなみに朝日(旭)将軍の由来は北陸の倶利伽羅峠で平家の大群を
夜襲により殲滅し、朝日の中で凱歌を上げたところからと言われています。
そして近年この地で紡績業が興され、その縁から旭ベンベルグを
社名とし、今の旭化成へとつながっています。
脱線がひどくてすみません。これからも楽しみにしております。
素晴らしい解説ありがとうございます
「晴嵐」日本人気質の由来が伺える。特務と(渡辺)船田少佐に敬礼。
とても良い動画をありがとうございます!
晴嵐という飛行機のコンセプトとデザインが好きだったのでこうして扱っていただけたことも大変うれしく思います。
『晴嵐』という言葉も海軍航空機の命名規則から外れている物のみやびやかで素晴らしい名前だと思っていたのですがそれが浮世絵から来ているというのは知りませんでしたし、船田少佐の教養の高さから出ていたという素晴らしいエピソードを知れたのもとても気持ちが昂りました。
また、個人的に最近とても気になっていた愛知航空機の仕事の集大成というのを知り、開戦後の開発決定ながらスピーディに完成にこぎつけたこともすごいともいました(小並感ですみません)
戦術的には少数機での運用はあまり意味がないですし、戦略的には精密爆撃の意味はあまりなく、ミサイル的な無人兵器(精密誘導や制御なんか必要なく適当な方向に大体の距離で自爆する程度の精度、日の丸機が戦略目標付近を飛んでいる状態を作るだけ)で十分と思っており流星などの新型機の開発にリソースを注ぐべきだとも考えていたんですが開発経緯を見るとそうとばかりはいえなさそうですね。
お疲れ様です
大変!!!興味深く♪面白い構成で 主殿のセンスの良さを見ました♪
今回もなかなか興味深く、内容のあるプログラムをありがとうございました。
この晴嵐たちが特攻の任務を果たせなかったのは幸いな最後だったんでしょうね。
思い入れのできるいい解説でした。有難うございました
うぽつです。当時、カタパルトでポンと打ち出されて危険手当が6円。だから危険手当はパイロットの間で「ポン6」と呼ばれていました。
ちなみに開戦時の初任給が75円位だった様なので、今が20万(安😭)として2666円。
大体16000円位のもんですね…
機銃についてはスミソニアン側に詳細な内容とか経緯とかをきちんと連絡説明すればちゃんと三式に変更してくれそうな気がする。こういったものについてはアメリカはどこかの国と違って正しく修正してくれると思う
すごい…
最近のそういった紹介動画では、紹介するもの自体がどういった性能を持つのかという紹介において、そのもの自体を持ち上げて紹介しようとするために、比較対象などが全く的外れになっているものとか、ロートルとモダンを比べようとするものがたくさんあるのにも関わらず、この動画では誇張はおろか虚偽もなく、"〜と比べるとどうであるから"とこと細やかに説明が入っていて、とても感心が持てる。
それに加えて表現方法にも力が入っているように思えるね。こうした動画では数字をしかとした証拠や判断基準としてみるヒトが多いだろうから、ちゃんとした数値的な出典や要素が多く強調して表現されているのは、とてもわかりやすいだろうしいいことだと思う。
ただし残念なところがひとつだけ。情報の出典について。
これだけ情報も興味深く、わかりやすくて面白い動画なのに、情報の出典がなければ信憑性は低くなってしまう。もちろんこの動画の内容がすべてフィクションであるならそれでもいいけど、それはそれで明記が必要になるね。
もしそうでなければ、しっかり情報の出どころを明確にし、この動画を見てくれているヒトに"これはすべて真実である"って信じてもらおうよ。
長くなったけど、珍しく評価したくなったから、ちょこっと言わせてもらったよ。全体的にいえばとてもいい動画だと思ってる。
もしこのコメントを読んでくれなくても、俺はさらなる発展を願ってるよ。
これの熱田エンジンは出来の良い選別品を積んだと聞きました。
確か、紺碧の艦隊で噴式春嵐ってあったな………しかもエスコンお馴染みの谷間飛行(オペレーション・タイトロープ)やってたw
艦載機の発艦シーンは格好よかったね、飛行中に邪魔になるフロートは収納式になってたし
ここまで訓練して特攻機にするのはもったいない。
未来永劫人間特攻作戦無い事を願う
待ってました!
制式化されないままの実戦投入は200機以上生産された陸軍のキ102の例があります。その一方制式化されながら総生産数わずか15機の紫雲とかもあって、この辺の基準はよくわかりませんね。
凄いコンテンツです。勉強になりました。
パナマ運河爆撃を予定した晴嵐の搭乗員は、予備学生出身の私の大学の大先輩でした。
晴嵐の語源を調べたのには恐れ入りました☆
射出で6円の話は 当時の搭乗員から
ポンと打ち出されて6円なので「ポン6」と言っていたようですね
よくまとまって勉強になりました。タミヤが金出したのが胸熱。
潜水空母イ-400型に3機搭載し、計8艦建造しパナマを攻める予定だった。
ドイツのV1、V2みたいな奇襲兵器の一つだと思うな
ただコストがここまでかかるとは知らんかった
晴嵐は知ってましたが機体の構成が愛知の製作した各機種の集大成だったとは知りませんでした。こと水上機に関しては日本は世界トップレベルだったのは意外と知られてない事実。
スピットファイヤーもF4Fワイルドキャットも水上機バージョン試作したけど性能ガタ落ちで陸上機から水上機で成功したのは零戦の派生型の二式水戦ぐらい。
晴嵐の高性能は愛知が長年携わってきた水上機のノウハウを全て注入された隠れた傑作機かも知れません。
あと晴嵐の機首先端から垂直尾翼に至るまでのデザインはホント日本機独自のスマートなラインで美しいと思います。
ぶっちゃけ他の国は水上機に力入れる意味なかっただけなんだけどね。
欧州戦線や北アフリカは、ほとんど艦隊戦なんて無かったんですよね^^;
陸上戦と航空戦だけでそりゃもう酷かったし、
海上はほとんどが「ドイツのUボートとの戦い」でしたから。
>機体の構成が愛知の製作した各機種の集大成だった
「各機体の良い所取り」ってなかなか上手くいかないものだったりする訳ですが、晴嵐ではそれが上手く纏められているのが凄い。
地中海なら陸から飛んで行けるし、北大西洋には環礁なんてありませんからね。
今のアメリカ軍の空母の早期警戒機などは、あの翼の折りたたみ方だし、原子力潜水艦などは伊400などの8の字形に鋼を通すことで大型化しても安定すると言う構造を模したものらしいです。戦前の技術は、現代に繋がっている。素晴らしいものだったんだよと当時の人たちに伝えたい。
最近『キュリオス』という4WD車専門誌に、コレが載ってましたよ。
アメリカのスミソニアン博物館に、実機が展示されております。
伊400、伊401抜錨!!
出港準備!!
目標、パナマ運河!!
スミソニアン博物館で本物見た時に感動したんですよね。 彗星11型とは空気取り入れ口がずいぶん違うんですね。 今気付きました。 潜水艦にミサイル積んでいる発想ですから大したもんです。 潜水艦戦術が相当他の海軍とは異なっていたと言うことなのですね。
@田中一郎 さん、そうでした、レシプロの水冷でしたね。
潜水艦に航空機を搭載することは各国取り組んでいたけど、実用化したのは日本海軍だけだつたそうな。😽😚
これは「晴嵐」だけの問題ではなく母艦となる潜水艦「伊400」級の設計も絡み両者セットで並行して製造・建造しなければならないのだから、日本海軍の総合的なマネジメントも上手くいった良い例なのでしょう
ただ残念なのは如何してもコスパが悪すぎですね。要地攻撃とはいえ伊400級潜水艦10隻建造できたとして全機発進させても30機─しかも護衛戦闘機無し─で反復攻撃は当然無理なので戦果は何処まで確実に見込まれるのか?せめて搭載爆弾が─核兵器級とまではいかなくても─1発でも広範囲に被害を及ぼせる強力なものであれば、と思ってしまう
見応えがあってすごく面白い
晴嵐は美しい機体ですね。
戦略型潜水艦のおじいさんがイ400型ならミサイルのおじいさんが晴嵐?
うむ。瑞雲のすばらしさがよくわかった
昔々のアメリカTVで見ていたシュービー号を思い出す。潜水艦から飛び立つ飛行機があったんや。
その頃、更に昔に日本にそんな機体や潜水艦があったなんて知らんかった。実戦活動がなく虚しく終わった様だが、乗組員を虚しく失わずに済んだ事が救いや。と、ワシは思うんや。
日本のこういう特殊な戦闘機好き。
特殊攻撃機やない?
@@user-rj3fq3es3x
一応、分類上は「水上攻撃機」。
二式/三式旋回銃なんてのを乗っけてて空戦もこなす仕様^^;
口径13mmしか無いから、当時の戦闘機相手じゃ穴開かないけどねw
@@_yos8201 旋回銃だから自衛用じゃないの?
@@_yos8201
瑞雲も分類上は水偵だが実質は水上爆撃機だからね。
最後攻撃して欲しかったなぁ・・・終戦がもう少し遅かったら…作戦がもう少し早かったら・・・・
最後海上投棄する時泣いただろうなぁ・・・・。
特攻でなければね。
うぽつです
やっぱり性能が潜水艦搭載のそれじゃないな…
というかフロート非装備で三機発進準備十五分は凄すぎる。
遅すぎて
難産と揶揄された試製南山の
最後も取り上げて欲しかった
「ジパング」架空ティルトローター機「海鳥」
を見ていると晴嵐みたいな主翼してるよね
彗星にフロート付けたようにしか見えない。と、思っていましたが瑞雲の設計も組み込まれていたなんて初耳でした。勉強になったぞお!
晴嵐、かっこいい!
機能美の集大成、
🥰晴嵐スゴイな。検証がまた凄い。よくぞここまで調べましたね。大したもんだ。excellent!🌸🌸🌸
永徳スロープか
名古屋に行ったら見に行かないとだな
強風みたいな感じで春嵐が陸上攻撃機として開発されたらどうなるんだろ
それ凄く気になるよね。彗星以上流星未満的な?
@@user-ns2ng8vm6q 南山ってのが居るって教えてもらいました
@@user-mn6vx1gl2r
おぉこんな物があったんですね
性能はよくわからなかったですが
確か晴嵐の雷撃訓練(晴嵐は雷撃時はフロートを投下して雷撃してた だから雷撃訓練をお高い晴嵐ではできず)南山(試製晴嵐改)
が作られたと読んだことがあります
@@user-xy6ii2we5hそうなんですね知りませんでした
昭和20年4月には晴嵐が供給不足だから桜花43型を伊400には六機伊13^には四機搭載が想定された。
カタパルトは四式一号射出機10型と呼ばれる最大射出重量5トン最大射出速度34m/秒の圧縮空気型の物だった。
M6A1って聞いた時アメリカ戦車?って思った
確かに、アメリカの戦車の型番ですね^^;
M6A1重戦車って、試作だけで実践投入されなかったらしいですね^^;;;
パナマ運河、特別攻撃隊🐠
晴嵐は結構カッコいいしロマンあって好き
でも特に描きにくいレシプロ機な気もする
これまたBGMが良いですね。
太平洋行進曲ですか?
とは言え634空は
343空
東海運用部隊
芙蓉部隊
と共に特攻部隊から外されて居ましたからね。
藤前干潟へ行くたび 名港を見ないで「あそこにはスロープがある」って
何時も見てしまう 工場近くの道路から見るには 今は少し危険
藤前から見ると 良いところに工場とスロープがあるのがわかる
あそこは ほんま条件は良いところ 波も常時穏やかだし
見た目が現代の戦闘機みたいでかっこいい
川西は郡中央と距離があったから、いい飛行機いろいろ造っていたんだよな。
アイチも艦爆以外でも結構やるのにな。三菱と中島優遇しすぎだったんでね。
最初から晴嵐を艦爆か艦攻として作っていれば、流星の代替え機になったのでは?
アップありがとうございます👍今回の動画、面白かったですが複雑な感想です。どーしても特攻隊という発想が嫌い過ぎて。
物資もなくなって、戦局が悪くなる中でも現場は頑張っていたんですね。
昔の二式飛行艇の話とか興味あります。
スミソニアンにあるのはタミヤ が資金援助して復元したやつだつたかな?
とっても良かった。偽装晴嵐に振れてた点がとっても良かった。晴嵐をかなり研究されてどうがをUPされたのね。勉強になりました。★☆の1/48晴嵐は死蔵してるんで製作したくなりました。因みに★☆1/350イー400の晴嵐は偽装で出撃シーンと考えてます。
晴嵐ヤッター( ≧∀≦)ノ
実はwowsに伊勢が
実装されまして、それにはなんと晴嵐が
雷装で搭載されてるんですよ!
胴体をフロートにするんだよお!
ここで満を辞しての胴体着陸
この流れスコ
うぽつでっせ👍
すごく美しくて大好きです。
毎回楽しく拝見しています。
晴嵐で分からないことが一点
爆装してカタパルト射出ってどうするのか知ってたら教えてください
宜しくお願いします🤲
晴嵐を搭載した伊号潜水艦には、「呉式一号四型」って言う火薬式カタパルトの一種が搭載されてました。
砲弾の炸薬じゃ無いので、もう少しゆっくり加速させる訳ですが、
同じ火薬式カタパルトの「呉式二号五型」では、たった1~2秒で飛行機のスピードを時速111kmまで加速出来ます。
ちなみに、これで既に人体がヤベェと思うかも知れませんが、
現代の米軍が使ってる水蒸気式のカタパルトは2秒で時速300kmなので、
その1.35倍の加速度が倍の時間掛かるんです^^;
伊401のカタパルトの加速Gは3G程度ですが、米海軍のカタパルトでは4.3Gぐらい掛かる様です。
富士急ハイランドの「ドドンパ」で静止から172km/hまで1.8秒、計算すると2.7Gぐらいなので、
もし御存知でしたら、それにチョイ足しした負荷が晴嵐ではかかると思って下さいw
米軍機の加速Gは察してくださいw(パイロットは耐Gスーツ着用ですw)
@@_yos8201 今の米軍の艦載機パイロットにはかつて日本の水偵乗りが貰っていたポン6手当てに該当する手当て貰ってそう
プラモデルを作って手許において、ときどきこのエピソード、当時の日本人の切磋琢磨を思い出したい。
3機で空母が作れる晴嵐で体当たりなら、伊400でも普通の潜水艦でも、もっと早い段階で直接パナマ運河へ魚雷攻撃とはいかなかったもんなんですかね…
仕舞いには海上投棄されてしまうあたり悲しい機体でした。
海洋と直接繋がってない上流の閘門をどうやって潜水艦で攻撃するんですかね?
日本人の一品物のモノ作りへの拘りが遺憾無く発揮された機体の様で面白かったです、そして、最後まで物量と言う発想が持てなかったのも日本人らしいです。また、他国に偽装までした特攻作戦である「嵐作戦」が実施されなくて本当に良かったと心から思います。
しかし、潜水艦への搭載機で液冷エンジンを選択か。。。
確か晴嵐は浮上前から潜水艦内でエンジン内に温めたオイルを循環させて、
浮上後に即発進可能な様に暖気されていた…という記事を読んだ記憶が有るが
そういう構想を含めて液冷式エンジンの方が都合が良かったのかな?
12:53 ここで言われてます
晴嵐にはフロートの投棄機構がそもそもない(実戦では外した状態でカタパルト発進、帰投後に機体は不時着水して放棄)ので、垂直尾翼端投棄はウソ話ですな
大昔の漫画とかでは、紫雲と混同したのか空中投棄可能になってたけど
「戦力劣勢な軍はゲリラ戦をするしかない」と割り切って、最初からこういう神出鬼没な奇襲部隊にこそ力を注ぐべきだったのでしょう。
戦略的には影響を与えなかったでしょうが、アメリカにとって厄介な存在になったと思います。
ともあれ短期間でよくこれだけの物を作り、運用出来るようにしたなあ、と感動を覚えずにはいられません。
私の父は、昭和20年6月に海軍少尉になり、最後はまさに第6艦隊配属で終戦を迎えました😔。生前にこの動画を見ていたら、父に聞いてみることができたのに😔、自分の不明をお詫びしなければなりません😢
1945年の巡航ミサイル…ですね
作戦の規模は小さいけど発想の壮大さは真珠湾攻撃より大きいと思います。最期に日の丸を纏い投棄されてよかった。( ;∀;)
出撃前に米軍機の塗装と国籍マークになった話だな。パイロット達は猛抗議したらしいw
この時代の、機体名の名づけは秀逸だ。現在、飛行機はほぼアメリカ製なので、違和感があるがF1とF2には漢字名をつけてほしかった。海自の護衛艦もひらがらではなく漢字にしてほしい。ちなみに、父親は川崎航空機明石工場で屠龍を作っていました。
自衛隊は日本語愛称付けて定着しなかった過去があるからなぁ
F-86F旭光、F-86D月光、F-104栄光…
ちなみに出撃後、終戦となって米軍に投降する前に機体は全て海に投棄されてる。パイロットだった人の証言だ。米軍も見たかったろうなこの攻撃機w
戦争は科学技術の発達を促すが、代償として尊い人命の大損失を招きます…皮肉なものです。
巡洋潜水艦という概念は戦後の原潜に繋がる訳だから、あながち無謀とも言えない。
「日本万歳」
載せる飛行機を木竹で作ってたら量産できるしレーダーに映らない。
爆撃機に過大性能を要求したから戦果に効果無し・・・
木竹製400馬力小型水平爆撃機で充分だった、たぶん。
フロートや帰還は無用、爆撃後はパラで降下し投降で良い。
小型なら既存潜水艦を改造で充分・・・
@田中一郎
「日本万歳
レーダーに映らないから米本土防衛軍
としては海岸部全域に監視網と迎撃戦力
を配置する必要に迫られる・・・
つまり北米全周囲に大戦力が常駐。
海軍艦艇も当然に海域哨戒に大動員。
爆撃の脅威を与えるだけで大戦力が遊兵。
戦略的に撃沈と同じ意味を持つ。
つまり、戦わず勝つ。
艦隊戦も巨砲より攻撃距離と命中率で良い。
命中に要する弾数は100から200分の1.
攻撃金額を考えても木竹攻撃機の有利
明確。当然に敵のレーダー防空は無力に。
戦略ミサイルを航空機と爆弾で代用するわけですね。
明確な攻撃目標があるのなら、精密爆撃で撃破できる理屈です。
まあ事実上の特攻ですけど、旧日本軍にとっては常識の範囲内なんでしょうね。
@@nekomaru42
「日本万歳」
戦略上は明確な攻撃目標は無い方が良い。
目的は破壊では無くて敵領土海岸部へ脅威
を与える事。航空機は数百キロ内陸へ進出。
鉄道を分断すれば大陸の東西を遮断・・・
現代と違い道路での代わりは不可能。
大陸深くでの破壊活動と海から航空攻撃。
有効な防衛には莫大な戦力と兵力が必要。
威力不充分の爆弾で充分、日本爆撃機が
頭上に飛来するかも?で戦略目的達成。
不時着すれば拘束されるのは当然ですが
侵入飛行出来た時点で作戦目的を完遂。
陸軍予算は増えて海軍予算は減少・・・
米陸軍航空隊は戦術空軍として本土防衛。
4発爆撃機の量産は中止となる・・・
@@mugakuninn 言いたいことはわかるし批判する訳じゃないけれども
工場はよく燃えそうだなと思いました
折り畳みフロートにすると、【紺碧の艦隊】に出てた【春嵐】になる。
晴嵐1機約300万…現代で作って売ってる会社あったら将来絶対金貯めて買ってる
分かってると思うけど当時の物価なんだよね
今さらだがこれは真珠湾攻撃と同時期に行うべき作戦だったな。無論当時それだけの作戦を遂行できる戦力などなかったんだろうけど。
あと勘違いされることが多いけど、特攻って別にそのまま戦死が前提ってわけじゃないからね。ぶつかる前に脱出して友軍に回収させる場合もあるから。まあ自国領付近でならともかく敵陣ではどの道生還率低そうだけど。
戦前のアメリカの小説で、民間船に偽装した水上機母艦が米本土を奇襲する話がありましたね。
機体の出自と運用の話になるのは無理もないけど、エンジンあっての飛行機ですから、熱田エンジンの由来、性能、実際の整備運用状態が抜け落ちていて残念。
こち亀で
カールヴィンソンに特攻してたなw
最後に少しは飛ぶことができたのかな
紺碧の艦隊みたいに開戦時に伊400とかと一緒に間に合ってたら世界は変わっていたかな?
航空母艦の運用すらままならない開戦初期に潜水空母艦隊は無理か、、、
何も変わらないと思うが…
アメリカは技術もさることながらあまりにも国力がデカ過ぎる!
話は飛ぶけど、戦争はいかん!
アメリカ建艦ドックだけを狙う攻撃で行けばある程度は成功する。
ただ1回目は成功しても次回は対策しないと思う。
@田中一郎 取り敢えず核で湾口を太平洋に面する所軒並み吹き飛ばさないと安心できないなぁ。一、二発程度ではすぐに復活しちゃうことを想像出来る化け物国家。
@田中一郎 さん
同時多発は良いと言うか真珠湾やマレー侵攻など同時多発の初戦時に行う必要がある。
真珠湾は機動部隊に任せて本土攻撃は伊400を100隻ぐらい作って置いて4箇所ぐらい攻撃してしないといけないです。
@田中一郎 さん
あのー同時多発攻撃しろと言ったのはそちらですが?
8月17日が、攻撃予定日だったんですね。特別攻撃がなくてよかった。私のおじの一人は、8月15日の未明、暁攻撃ということで沖縄に向けて知覧基地から出撃予定でした。まだ暗い夜明け前に全員集合して、出撃命令を待っていたとのことでした。ところが、待てど暮らせど、出撃命令がありません。そのうち日の出を迎え、太陽はどんどん高くなり、暁攻撃どころではなくなったとのことでした。これは、三男のおじ(終戦時20才、海軍航空隊)の話です。長男のおじ(終戦時22才、陸軍航空隊)は、新田原基地から2度沖縄に特攻で出撃して、20数年前に75才でこの世を去りました。この話は、おじの手記にもかかれていますが、いつか私が生きている間い書籍の形で公表したい思っています。(特攻に2度出撃、最初そのおじから話を聞いた時「2度?」しまもその本人は今目の前にいる。どういうこと?と思いました。)とにかく当時は、若者(若い兵隊)は「死ね!」「死ね!」と言われていました。私の知り合いで、もうとっくに故人となった人ですが、昭和3年生まれ、終戦時17歳でしたが、とにかく当時は「俺らは死ぬる!」とことあるごとに言っていたと戦後笑い話で話をしてくれました。長男のおじに「そんなにいつも死ね死ねと言われたら、どういう気持ちになるのか」と尋ねたところ、「死にゃいいんだろ、死にゃ!」と思うようになったと言っていました。以前NHKの番組で9回特攻に行って帰ってきたという90才を過ぎて亡くなった方の話が放送されていたようですが、この方も、もうとにかく「死ねばいいんだろ、死ねば」とおじと同じ口調で話していました。長男のおじに「生きていてくれてありがとう。」と言いました。おじは、その時、ただ、黙って下を向いて、目を伏せていました。
水戦よりデカイのか
大作!お疲れさまでした。