「隠密剣士」第二部 忍法甲賀衆より 第一話「忍法 変幻」(一部字幕付き)

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  • čas přidán 12. 09. 2024
  • 昭和28年(1953年)テレビの本放送がスタート まずはNHK 次いで日本テレビが開局 さらに昭和34年(1959年)4月 平成の天皇・皇后となった皇太子殿下と美智子さまのご結婚パレードがテレビ中継されて テレビ受信機も普及していきます 
    そして2年後の昭和39年(1964年)10月には 東京オリンピックが開催されて この5年間でどこの家庭でもテレビが観られるように さらに折からの高度経済成長の追い風を受けて より便利により豊かに 暮らしを向上させてくれたのがテレビでした その進展と共に「隠密剣士」もまた 忍者ブームを伴って日本全国に広まっていきました
    □□*■*□□ 隠密剣士をご存じない方のために □□*■*□□
    ――― プロローグ ―――
    第一部とはストーリーをがらりと変え この第二部からは 隠密剣士と忍者との闘いがメインに 冒頭 いきなり忍者老師の語りから始まります か細い声が印象的で 子供心に忍者の訓練の厳しさを教えられ 身の引き締まる思いがしました
    《忍者心得》
    一、忍術とは いかなる困難 苦労にもたえ忍ぶ事也
    一、忍者とは 親子夫婦のきずなを断ち 死すともその名を隠すべき事也
    一、忍術を構えて 私利私欲に用いず 目的を遂げるためには いかなる辱めをも耐えるべき事也
    まるで忍者が主役であるかのような物語のつくりで それが当時としては斬新でした また老師の声も ちょっと不気味で それでいてカッコいいという いつまでも耳に残って離れませんでした
    ――― 用語解説 ―――
    《公儀隠密》
    「公儀」とは幕府 その命を受けて任務に従事していた武士のこと
    《御庭番》
    江戸幕府の職名 8代将軍吉宗が設置した将軍直属の隠密 表向きは御庭御番所に勤務したが 内密の御用は後側御用取次の指示を受け 諸大名の領地に潜入して その動静や政治・軍事などの機密を採り 報告する
    よって表向きは江戸城の庭の掃除や管理 見回りなどが職務であり 忍者などの身分の低い者にも御庭番という役職をつけておけば 将軍が散歩と言う名目で共連れを伴わずふらっと一人庭に出て秘密裏に諜報活動を命令することができる
    ――― あらすじ ―――
    第一話『忍法変幻』(にんぽうめくらまし)
    江戸中期 松平定信が 老中主座と将軍補佐役の地位にあって幕政を取り仕切っていた時代
    足早に江戸の町を駆け抜ける商人姿の男がいた 名は公儀お庭番(幕府隠密)田辺孫大夫 遠く甲州より役目を終え 江戸城内西の丸下の松平定信の役宅へ
    そこへ突然 黒頭巾黒装束の男が出現 名は甲賀忍者 名張佐伝(なばりさでん)「お命頂戴!」と手裏剣を投げ 投げ縄を使い最後は短刀で田辺を仕留めると その懐に手を伸ばす その不審な凶行現場に遭遇した秋草新太郎 「何をしている! 人を傷つけ 物を盗む どう考えても見逃すわけにはいかんな!」と呼びかける
    「ほざくな!」と秋草に斬りかかる佐伝 お互い相譲らず剣撃の応酬 最後に佐伝は諦め 火薬球を地面に投げつけ 立ち昇る白煙の中を 大寺院の屋根にひらりと飛び移って逃走して行く・・・
    (ネタバレになってしまいますので この先は動画をご覧下さい)
    ――― 登場人物 ―――
    隠密剣士『秋草新太郎』(あきくさ しんたろう)​​
    徳川11代将軍・家斉の異母兄で本名は松平信千代 柳生新陰流を極めた剣士 
    両親の顔は覚えておらず、9歳から西念寺・呑海和尚に養育された 堅苦しい生活を嫌って浪人としての暮らしを選び、秋草新太郎と名乗っている 幕府の老中・松平定信からの要請もあり、まだ少年期の異母弟・家斉の治める世の平和を安定させるべく、公儀隠密として北は蝦夷から南は九州まで、全国を旅しながら天下泰平の世を戦乱の渦に巻き込もうと企む甲賀や風摩、根来衆などの忍者集団と対決する それらと戦う理由については、徳川家のためという訳ではなく、「私が守るのは将軍家でもなければ徳川の権力でもない この世の中に生きる民百姓の安らぎを守るため」と発言している
    『松平定信』(まつだいらさだのぶ)
    天命7年(1787年)から少年期の将軍家斉のもとで老中首座と将軍輔佐役を務める
    第1部では幕府の財政建て直しのため、豊富な資源が眠るといわれた松前藩の領地である蝦夷地の探索を秋草に依頼 第2部では甲州の山の中にあるとされる武田信玄の残した隠し金山の正体不明な管理者と背後の黒幕の探索を依頼する 家斉の異母兄である秋草の方が立場が上なので秋草を「信千代様」又は「信千代君(のぶちよぎみ)」と呼び、秋草からは「定信」と呼ばれている
    『呑海和尚』(どんかいおしょう)
    服部半蔵正成の菩提寺である西念寺の住職 
    少年時代の秋草を養育した 松平定信とも親しく、定信に力を貸してやって欲しいと秋草に依頼した 秋草を「若」と呼び、秋草からは「じい」と呼ばれている
    『馬場周作』(ばばしゅうさく)
    甲州の山奥育ちの少年 
    武田家に仕えた名将・馬場信房の子孫​​​​である馬場信勝の息子で、年齢は10歳前後 父・信勝が甲賀忍者に拉致された事件をきっかけに秋草と知り合う 活発で機知に富み、秋草や遁兵衛の窮地を救うこともしばしば 秋草と遁兵衛をそれぞれ「おじちゃん」「遁兵衛さん」と呼び、秋草を父のように、遁兵衛を兄のように慕っている
    ​『柘植の黒兵衛』(つげのくろべえ)
    ​甲賀十三人衆の忍者の一人 
    第4話から登場 甲賀を裏切って秋草に味方する忍者を牧冬吉が演じている お馴染みの「霧の遁兵衛」(きりのとんべえ)とは別人 ちなみに遁兵衛は次回作 第三部「忍法伊賀十忍」から登場する 
    ――― 見どころ ―――
    甲賀十三人衆 名張佐伝の台詞回しが秀逸です 敵方なのにカッコいい 歌舞伎役者が大見得を切るかのように両腕を胸の前に構え長い台詞をすらすらと(動画20:30~)「フフフ… 伊賀の同心 俺に勝ったつもりか」 「聞け 天下泰平のこの世に 学んだうぬらの忍法はガキの術よ 俺の名は 甲賀忍法の始祖 甲賀三郎の末裔 竜四郎様を頭領と仰ぐ甲賀十三人衆の一人 名張左伝!」というシーン
    何としても成功させたい! 駄目なら番組打ち切りになってしまう! というスタッフ 出演者一同の第二部に懸ける想い その並々ならぬ決意がこのシーンを生み出しました 
    00:00 スタート
    15:25 佐伝 西念寺瓦屋根逃走
    20:30 佐伝 台詞回し
    ――― 雑学・豆知識 ―――
    『西念寺』
    浄土宗西念寺は東京都新宿区若葉に実在する寺である 
    徳川家康の三河以来の旧臣であり 戦国時代を生き抜いて 関ヶ原の戦いの四年前 慶長元年(1596)に55歳で死去した服部半蔵正成によって開山された 境内には服部半蔵の墓もあり 新宿区の文化財にも指定されている 
    『半蔵門』
    服部家は忍者の里としても知られる伊賀国(現在の三重県伊賀市と名張市)の出である 
    永禄三年(1560)初代の服部半蔵保長(やすなが)が子の半蔵に授けた「忍秘傳」(しのびひでん)は忍法秘伝書の古典として今に伝えられている 家系譜などによると半蔵正成は家康のもとで配下の伊賀忍者とともに数々の武功をを挙げた 家康の江戸入府後は伊賀同心200人を率いて江戸城の警備などに当たったというから いわば忍者組織の頭領だったわけだ 半蔵正成や配下の伊賀同心は江戸城の西門前に住居地を与えられた このため西門は『半蔵門』と呼ばれるようになり 現在の半蔵門につながる
    『總持寺』(そうじじ)
    西念寺は寺としては小ぢんまりしたもので(現在は敷地1500坪)江戸時代を舞台にしたテレビ映画の撮影には適さない このため実際の「隠密剣士」の撮影では 横浜市鶴見区にある曹洞宗の大本山 總持寺を西念寺に見立てて行われた 總持寺の敷地は広大で約10万坪もある 明治時代に今の石川県輪島市から移された寺であり 建築物の多くは大正年間に建てられたものだが それでも「隠密剣士」の映像からは江戸時代の雰囲気が十分に伝わってくる 
    秋草と周作が初めて出会う参道は撮影当時から半世紀を経てだいぶ様子が違っている 空き地となっていた参道の両側には總持寺系列の鶴見大学のビルが建てられ 参道上には樹木も植えられたため 道幅がかなり狭くなったように見える 甲賀忍者名張佐伝が寺の屋根に上る撮影も実際に總持寺の屋根の上で行われた(動画15:25~) 今ではとても撮影許可が下りないだろう
    ~「隠密剣士、いまここに甦る」(徳永文一)より原文ママ~
    ――― 編集後記 ―――
    これまで「隠密剣士」に関する動画はYTでも 多数配信されてきましたが どれも懐かしさは感じるものの 内容をもっと詳しく知りたいという向きには物足りませんでした 自分でもいろいろ調べていくうちに ああこういう物語だったのかと またそれにまつわるサイドストーリーにも出会えて目から鱗でした 今回は稚拙で不十分かと思われますが「小さい頃に観ていたがよく覚えていない 忘れてしまった」という方のために 前回の「予告編」に続いて 第一話をそのまま さらに「隠密剣士」のプロフィールに自分なりの感想を添えてつくってみました みなさんに喜んでいただけたら幸いです ごゆっくりご覧下さいませ ありがとうございました
    《参考》 Wikipedia 、「隠密剣士、いまここに甦る」(徳永文一)

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