【ゆっくり解説】ヤマト王権と邪馬台国に関連性はあったのか?
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- čas přidán 2. 05. 2024
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
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先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ちょっと前の話ですが、このチャンネルの動画を見てたら、模試で日本史の偏差値75.4取れました。ありがとうございます。
台与でとよ
邪馬台国を何故やまたいと読んだのか
台与がとよなら邪馬台はヤマトだろ。。。
本当の名前は邪馬壱国だぞ
邪馬台国は誤字
そのヤマトはどこにあったのか?
滅ぼした邪馬台国(ヤマト国)をのっとって大和(ヤマト)と名前までのっとったかも!
魏志倭人伝に載ってる国を滅ぼしたでは賊軍みたいだから。
台湾で古代中国語の研究してる大学教授に前知識なく「邪馬台」の文字を魏志倭人伝の頃の中国語の発音で読んでもらったら「ヤマトゥ」または「ヤマドゥ」と読んだっていうから、邪馬台国=ヤマト国なのは間違いないと思う。
なんで日本語読みしてヤマタイ国になっちゃったのかの方が不思議だ。
卑弥呼=日巫女なら後に天照大神とされた人物のことなんじゃないかとも言われてるし。
なるほど、当時でも「ヤマト」と言う感じに読めたんですね
ただそれなら記紀にその記述が無いのは
自分達のルーツ(大和王権の前身)なら、詳しく書かれそうな気がします
卑弥呼を天照大御神にするなら、邪馬台国って名前が出て来ても
だって神様の治めた国で、その末裔が自分達なんですから
橿原にある瀬田遺跡の前方後円墳の原型と思われる円形周溝墓跡を見ると「②邪馬台国東遷説」の信憑性は大きく崩れてしまいそうですね。
次は黒歯国と平安貴族のお歯黒の関連性についても動画にしてほしいです。
邪馬台国の遥か東にあったとする黒歯国が近畿地方のお歯黒の原点とすると黒歯国=ヤマト王権となり、邪馬台国が近畿地方ではない決定的なものになる。
と思うが邪馬台国論争に何故か黒歯国についての検証が全く無いのが不思議でならない。
天皇はお抱えの語り部などの情報から、自分たちがどこから来たか具体的に知っていたのではないでしょうか。
古事記の高天原の描写で「筑紫や伊都」という地名が出てきます。古事記を編纂するときに、天皇を美化するためにルーツを天上界に設定しましたが、一方で本当のことを後世に伝えたいという思いがあって、地名をねじ込んだのではないでしょうか。
どの説にしても当時の情報の伝達手段に興味があります。紙はまだ日本にはないし、まず各地域の言葉も同じだったかどうか。
個人的には④だと思ってる。記紀の内容が「邪馬台国?卑弥呼?」って感じなので、関係無いように思えます。
で、寺澤説が一番納得できるかなぁと。
ヤマト王権ですら「連合国家」のように感じます。なぜなら「国造」の設置が「線」ではなく「点」だから。
国造の設置があちこちに点在してるのは、連合に「参加」した国に「国造」を設置したからではとか思ってます。
連合政権だったとすると卑弥呼と皇室と繋がりはないと思う
神武東征から考えたらどうにかならんのかな
勝者が歴史書を残すから空白期間がやはり鍵を握ってるなぁ
福岡市博物館と桜井市博物館を比べるととても巻向にあったとは思えない、春日市も糸島も、宇美でさえ桜井より充実やしている、
宮内庁の管轄下にある古墳は発掘できないから仕方ない。巻向の遺跡は、誰がどう見ても巨大建造物の跡だらけだから、都の跡としか言いようがないと思うで。名前の言語、年代、どれも邪馬台国に合致するからね。
魏書も後漢書も後世に書かれたもので何か元の文書があったとしても正確に書き写したとは思えない。
ただ、政治と祭祀を司る者は別で、当時としては祭祀の方が重要視されていた事は読み取れる。
また、記紀の方も天皇(ヤマト王権)の正統性を誇示したいがための編纂であり天皇の業績を強調した内容に変えられていると思う。
崇神天皇の時代に疫病が流行して国が乱れたとあるが、これが倭国大乱を表しているのではないか。
そしてオオタタネコに大物主を祀らせたところ大平になったとあるのが卑弥呼との関連性を感じる。
倭国(福岡)は、その一族か、その系統が分かれて、奈良にできた国を倭国(やまとこく)という、倭国は、九州の倭国から見て「太陽と接するところ」であるから日本とした、と旧唐書や新唐書に記載されています。やま
後漢書東夷伝には、倭国(福岡)はやまと国の南端の国(または地域)と書かれています。
倭国(福岡)は、その一族か、その系統が分かれて、奈良にできた国を倭国という、倭の中国語の意味が「小さく、馬鹿」だったので、九州の倭国からみて、奈良の倭国が「太陽と接するところであるので日本とした」と旧唐書や新唐書に記載されています。
後漢書東夷伝には、倭国(福岡)はやまと国の南端の国(または地域)と書かれています。
狗奴国=東方説があったが、狗奴(クナ)と東方にあった毛野(ケヌ)って場所も発音も似てるな〜❗🤔
磐井の乱の際の近江毛野臣の毛野は「けな」ですからね、群馬などは特に古墳も多いです。
邪馬台国はヤマト王権で間違い無いでしょう
卑弥呼は欠史扱いされていますが7代孝霊天皇の皇女、百襲姫命(ももそひめのみこと)が最有力
台与は10代崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)
そうだったらロマンあっていいんだけど、やっぱり違うかなあ・・・・
当時の魏人が倭人から聞いて漢字を当てはめたと思う。
それを現在の日本人が現在の読み方で「やまと」とか「やまたい」と言ってるわけで。
それが偶然大和(やまと)に似てるから前身と言われてる気がする。
当時の魏人は邪馬台と書いて本当にヤマタイと読んだのかな?
違う読み方だった可能性も。
動画読まずに書いてます。
日本の書記と中国の書記は正しいと思っているのか。100%言えることだがどちらも何割かは間違っている…それは正解が無いということ、それを無理矢理正解を作ってるのが今の歴史。理解すると滑稽だね
滑稽といっても証拠がそれしかないんだからしょうがない
まあ いつか見つかるかな😓
日本扶桑国之圖も九州を北に描かれている
そりゃ、邪馬台国までの距離は1200里と記されてるし、邪馬台国は伊都国の南と記されてるから、佐賀平野あたりに決まってるだろ。
卑弥呼の墓は宇佐神宮で、台与の墓は平原遺跡だと思う。
そもそも、この時代に近畿から九州までをまとめる首長が存在する連合国家があったと考えることって、
それこそ近畿説のいう考古学的知見に反するわな。
九州南部すら支配できていない、九州北部の連合国家についての記述よな。
「『卑弥呼の卑しい』とか、『邪馬台国の邪』とか、名付けに悪意の様なものを感じるから、『向こうとこちらで、それぞれの名前が違う』又は、『伝言ゲームの様に聞き間違い、書き間違い』があった可能性がある」
以前にどこかで見聞きしたけど、言われて見ればおかしいと思った。
人口のことを言っている人がいるが、当時の奈良盆地中央は湿地帯で住める場所ではなかったんだが
寝言をw
寝言じゃないのは弥生時代の遺跡、前期古墳の場所調べればわかるだろ
程度が知れるわ
まだ目が覚めないのかw
根拠もないのに噛みつきたがるって
ダサいな
妄想童貞と同じじゃん
育ちって大事だな
ヤマトとヤマタイは音が似てるけど日本(ひのもと・にほん)はあまりにも接点無い。どっから来たんだろう?
「邪馬台国」は、本来「邪馬壹国」。コレを漢、隋の時代の大陸民族が、どのように発音していたかがkeyだ。当時の音に従って読めば、「ザー⤴︎モー⤵︎キー⤵︎」
「投馬国」は「(夷)投馬国」で、「イー→ツー⤴︎モー⤵︎」
「狗奴国」は、北九州から紀州に攻め込んだ熊野の奴国だったが、「クマ」の音を「狗」で表して「狗奴国」
知らんけど
中国から見て東の、日ののぼる方角にあるからだったはずです。たしか。
知見が広がりました!
新説か?
なんでみんな、神武東征を無視するの?
神武東征あくまで神話であって実際に東遷があった痕跡はないからですね
九州から奈良盆地に集団移動があったならそれが該当するんでしょ
ただその根拠が見つかっていないが、2世紀から3世紀にかけてなぜか北九州から畿内に政治権力のバランスが置き換わってもいる
纏向遺跡は唐子鍵遺跡からの移住があったとみられてるが、その唐子鍵遺跡は弥生時代前期からの遺跡ですからね。
いわゆる九州の政権が奈良盆地に引っ越したとする神武東征は考古学的に事実とはみられていないですね。
単純に時代が進むにつれ唐子鍵や妻木晩田遺跡など明らかに九州<本州となっていくので政治権力が畿内に移るのは自然だと思います。
唐古・鍵遺跡の勢力が奈良盆地の東南部に移住して出来たのが纒向遺跡ということですか?
そうすると大和自生説ということになるんですけど それだけで説明つきます?
私は卑弥呼=7代皇女百襲姫命説なので
その前の時代、西暦0年~100年頃の出来事ではないかと考えています
邪馬台国は大倭国、耶麻土国。
後に漢風化して大和国、日本国に改号した。
魏志倭人伝によると邪馬台国は会稽・東冶の東の海の彼方にあるとあるので、沖縄あたりかなと思ってます。
気候風土も亜熱帯の中国・海南島に似てるとあるし、刺青文化があったとの記録も、明治初期あたりまで沖縄には刺青する風習があったことと合致します。
九州北部から船で南に20日という行程も沖縄なら不自然ではないかと思います。
卑弥呼と卑弥弓呼は天照大御神と須佐之男と思う。2人は宇気比(うけい)で子どもを作っているから、台与は2人の子どもだと思う。
須佐之男は天照大御神を死なせ追放されて出雲に根づいた。国譲り神話には荒神谷遺跡の380本の銅剣が関係していると思う。
魏志倭人伝原文をググれば、ヤマト国とヤマト王権ってことになるんだが。
漢字じゃなくて魏の字だから、台とか壱で当て字するしかなかったんだが。
なんで関東は候補に入らないんやろ
古墳とか関東エリアが一番集中してるのに
当時としては遠過ぎなのかな?
使者を送ったから日本の巨大勢力みたいに見られてるだけで。
クニと言ったって、今の市や町レベルだったんじゃないかと思う。
明治前の阿波国とか駿河国とか薩摩国とかはずっと後の区分じゃないかと。
だから関東のは別の巨大勢力だったんじゃないかな?
やっと来たね、邪馬台国ってやまたいとはよまないんだよやまどと読むんだ、そもそも当時の読み方を間違って読んだからこんがらがったんだ、やまとこくなんだよ
大和王権が邪馬台国なら女王国ではなく大王国になってるはず
ヤマトでもヤマタイでもないから🖐
卑弥呼と現代の我々じゃ全く会話出来ないし。
そもそもの卑弥呼は女という証拠はあるの?
@@user-iu5vo7ig8i
怪文書?
これは思った
戦国時代の人とですら会話ほぼ無理らしいからね
現代の読み方でヤマトとヤマタイが似てるからってのは、理由付けとしては弱い気がする
この時代なんて魏志倭人伝以外に資料はほぼなくて、どんな言葉話してたの研究も無理だし
日本の教育ではあたかも推古天皇から始まったように教わってきた。これが一番の間違い。
それはあなたの勉強不足知識不足が故に単にそう思ってしまっただけで、しかりと勉強している学生ならば雄略天皇の名の鉄剣の話で古墳時代から天皇がいたことは明瞭に記憶されているはずであります。
義務教育で歴史の勉強しかしてないのですか❓️
小学生で図書館通いしてましたけどね❓️
@@user-ng7ml5er9r義務教育では算数も国語も習ってますがなにか?
反論なのか何なのかわかりませんが、ちゃんと整理してから質問しましょう(笑)
国語力の問題かな?
@@user-ro2py8uf4q へえぇ~だろうねぇ(笑)
ヤマトなんて地名は全国に100箇所近くある。邪馬台国は日高見国で常陸国。
甲乙が一致し、再建した発音が同じになるのは奈良県の大和だけだよ。トの発音は当時2種類あった。
大和…*jamatə
山門…*jamato
私も専門ではないですが、言語学勢から見ると少なくとも九州ではない。近畿の可能性が高いと思います。
大昔の日本語では「コ・ソ・ト・ノ・モ・ロ」などいくつかの音はがさらに2種類の音に別れていて、甲乙と分類されるのですが、これが「山門」では一致しません。「大和」と九州の「山門」では当時の発音が違うのです。
邪馬台…*jamatə
山門…*jamato という感じ。他にも人口の問題があり、九州は無理ですね。
現在の考古学ではヤマト王権と邪馬台国は同一とする見方が最有力ですね
それお前の世界観だろ?
@@user-zu5zr6mf1y てめー誰に口聞いてんだ?
@@user-zu5zr6mf1y 歴史言語学の観点からも邪馬台国=ヤマトですけどね
大陸の人が大和国の人の発音を聞いて邪馬台国と書いただけ
ハイ解決
日本書紀は神功皇后=卑弥呼って言ってるんだから
そうなんじゃね
邪馬台国など。。いつまで昔の中華の書物を真に受けるの?
そもそもの卑弥呼は女という証拠は無いでしょう。男かもしれない