物理学者のガチすぎる哲学批判【谷村ノート】#71

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  • čas přidán 29. 08. 2024

Komentáře • 327

  • @yurutetsugaku
    @yurutetsugaku  Před 3 měsíci +14

    【台本協力】
    富谷昭夫先生
    x.com/TomiyaAkio
    【参考文献・サイト】
    ◯〈現在〉という謎時間の空間化批判
    www.valuebooks.jp/bp/VS0055396059
    ◯谷村先生のサイト
    「一物理学者が観た哲学」やそれへの返答に対しての反応がまとまっている。
    www.phys.cs.i.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/philosophy/works.html
    ◯ヘーゲル全集: ハイデルベルク・エンツュクロペディー
    amzn.to/44pRC2z
    ◯物質と記憶
    amzn.to/49Ynw7t
    ◯ベルグソン全集3 新装
    amzn.to/44iRzWl
    ◯読書メモ:The Physicist & the Philosopher (by Jimena Canales)…アインシュタインとベルクソンは時間をめぐって何を争ったのか
    rmaruy.hatenablog.com/entry/2019/12/15/145555
    時間についての物理学哲学双方の文献を読み込んでいる良い感想サイト
    ◯竜
    open.spotify.com/intl-ja/track/4jae4lCCChsoow9YEI9AnT?si=08e84e184bc64d8a
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  • @ptptsoushu
    @ptptsoushu Před 3 měsíci +38

    今回の動画で哲学の立ち位置が分かりやすく理解できました。ありがとうございます。
    私、大学の時取った哲学の授業の内容は「哲学は”学”たりえるか?」だったのですが、この動画を拝見して考えることはまさにそれです。いろんな論争はどんな分野でもありますがそれでもこれが真理だろうと理解できる考えを積み重ねてより高みを目指すのが、どんな分野であれ“学”なんだと思います。しかし積み上げでないとするとそれは本当に“学”と言えるのかとの疑問を感じました。
    むしろ方法論として“芸術“に近いのではないかと感じました。先人の成果は参考にするけど積み上げるよりも、そこからの新たな差異をテーマとして提案するという手法はまさに芸術の進化のそれです。
    そう考えるとphilosophyを”哲学”と訳したのが適切ではないのかもと思います。”認知術“というイメージかなあと思いました。

  • @hotwatermorning
    @hotwatermorning Před 3 měsíci +14

    ゆる哲学ラジオ始まったときから谷村ノート取り上げてほしいと思っていたのでやってくれて嬉しい。哲学側がどういうスタンスで哲学に向き合っているかが知れて良かった

  • @mint_fujisaki
    @mint_fujisaki Před 3 měsíci +40

    哲学門外漢で実験系科学徒の自分からすると、本来哲学も理論科学も実験も同時並行して進めていく必要があったのに、人間的な制約と分野の複雑化の影響で文化の違いが発生しちゃったのかなぁと...
    ちなみに物理学界隈では近しい分野でも違う定義を利用していることが原因で話が噛み合わないなんてことは稀にあるので、使用する記号の統一だったり、最も普及している定義の検証みたいなこともしていたりします。

  • @sakanasacana
    @sakanasacana Před 3 měsíci +17

    私は数理物理をやってるのですが、つくづくこの動画の内容のようなことを思ってました。特に
    ・哲学の方々は「実在」という言葉をおのおのが好き勝手な意味で使ってる感
    ・つきつめるなら論理式で会話しろよ感
    ってとこはめっちゃ感じてました。

  • @user-pr4mg7vn3n
    @user-pr4mg7vn3n Před 3 měsíci +157

    私は「世の99%の人は文系でも理系でもないただの人」だと思っているので「俺理系だからさぁ〜」という人がいると「お前は理系学部卒の会社員であって理系ではないだろ」と思うのですがそれが口から出そうになるのをよく我慢しています

    • @user-pr4mg7vn3n
      @user-pr4mg7vn3n Před 3 měsíci +6

      西周についても知りたいのでいつか取り上げてもらえると嬉しいです!

    • @user-pj5yw6rz2u
      @user-pj5yw6rz2u Před 3 měsíci +43

      理系文系って受験文化に根差した言葉なので(でしたよね?)、むしろ「ただの人」を分類するための区分なのでは。要は前提知識として高2~学部2年くらいの数学を身に付けているかどうか。専門的になればむしろ文理の区別は薄くなると思います。

    • @kanpisi2001
      @kanpisi2001 Před 3 měsíci +7

      ​@user-pj5yw6rz2u
      アジア園以外では存在しない言葉らしいしね

    • @tatpto
      @tatpto Před 3 měsíci +23

      文系理系に限らず、「自分は女だから、男だから」「あなたは男だから、女だから」と、属してる集団で何かを語る人は嫌いですね。その人自身で語れよと思う。

    • @nrtyamanouchi8259
      @nrtyamanouchi8259 Před 3 měsíci +10

      数学、自然科学、工学などで感動するのが理系。
      哲学、小説、随筆などで感動するのが文系。
      と私は分類しています。

  • @d-g-j
    @d-g-j Před 3 měsíci +35

    「哲学者も量子力学とか知識をつけて」
    ひとが心血を注いだものをメタファで権威付けに利用したらまた批判されるな。

    • @kanpisi2001
      @kanpisi2001 Před 3 měsíci +8

      陰謀論界隈でよく使われてますしね

    • @user-mw2dx9ny2d
      @user-mw2dx9ny2d Před 2 měsíci +2

      現代人からすると哲学は宗教の一種でしょ。好きに禅問答みたいなことをさせといてあげりゃえぇ。
      中世のキリストの神学で星の運航をバイブルの天動説に合うように観測された事実をすり合わせることに心血注いだように、哲学者が量子力学を自分の信じる哲学にすり合わせるのはアリでは。
      谷村先生は哲学がまだ学問(科学)足りえると「吉村ノート」をしたためたっぽいですが、個人的にはバイブルの「神による天地創造」に対してビッグバン論をかざしているような「何ネタにマジレスしてんの?」と感じます。(※哲学は学問でない(経典である)派)

  • @user-wq4ey9ym2r
    @user-wq4ey9ym2r Před 3 měsíci +65

    ソーカル事件のとき以来薄々感じていた「現代の哲学ってお遊びなのでは?」という物理学者の仮説が実証されてしまった感。。。
    私も学問に身を捧げる立場なのであんまり他所の学問にケチをつけたくはないが、流石に哲学は堕落しすぎのように思う。
    30:05 これは明確に間違っていて、谷村さんひいては物理学者が主張しているのは「人間の心とか感情とかも観測できるでしょ?だって物理現象なんだから」ということです。決して切り捨ててはいません。ただ、それについて"物理をする"ときには哲学を参考にしないだけです。

    • @user-wq4ey9ym2r
      @user-wq4ey9ym2r Před 3 měsíci +39

      24:20 あと、ここもちょっと噛み合わない感じがしています。いろんな哲学が勃興して、20世紀にだいぶ解決されたと言っておきながら、結論を出して今後の研究の礎とするわけでも、界隈全体に共有するわけでもない。単に内輪でワイワイやって終わり。物理学者は(というか哲学者以外は)そういうのを解決とは言いません。外から見れば「遊んでんじゃねーよ」の一言です。
      24:41 ここはマジで哲学には反省してほしいところです。アウトリーチが貧弱だったこと。内容が"難しい"ことを言い訳にして、理解されないことの慰めとしていたこと。というか、なんなら哲学のアイデンティティって難しさそのものになっていませんか?もしそうなら倒錯しています。
      ちなみに物理学は言うまでもなく難しいですが、アウトリーチはトップクラスで上手い学問です。図や応用例、身近な現象をフル活用して面白さを伝えようとします。
      31:30 これは、ちゃんと理解できておればよいのですが、という一点に尽きます。分かっていないのに分かったような口を利くのは最悪です。内容に致命的な間違いが含まれてしまうし、何よりリスペクトに欠けるからです。

    • @lkappsa6575
      @lkappsa6575 Před 2 měsíci +3

      @@user-wq4ey9ym2r 哲学側の言い分を聞けば聞くほど、「おたくらのやってることって本当に学問なの?」と思えてしまう。

  • @kmish5100
    @kmish5100 Před 3 měsíci +26

    そもそも哲学自体は(はっきりとした線引きでなくとも)定義できるんですかね?
    素人目には、哲学は「哲学じゃない学問じゃない学問」というか、物理やら数学やらが派生していく中で取りこぼされた疑問について扱い続ける学問である、などという風にイメージしていて
    言語哲学あたりはそろそろ一つの学問としてまとまりつつあるのかな、とか考えていたのですが

  • @user-sy6xn7nq7s
    @user-sy6xn7nq7s Před 3 měsíci +14

    確かに哲学者って言語世界にしか興味がないというのはそうだなって思いました。

  • @19-885
    @19-885 Před 3 měsíci +14

    物理法則も極端な条件だと成り立たなくなることがあるから、人間の言語はこのあたりで通用した局地的な方言っていうのはまーじでそう

  • @user-xq8nx2pq4k
    @user-xq8nx2pq4k Před 3 měsíci +22

    物理学(自然科学)も哲学も元は一つだったというのはその通りなんですが、
    哲学から分離独立して、科学的手法(観察・実験・仮説を立てる・理論化)によって世界を解き明かし始めた現・自然科学(や一部の人文科学)と、
    科学が抜けた後の、狭義の哲学との間には根本的な分裂があるように感じますね。
    他方で、(狭義)哲学者・哲学徒の中には、分裂前の哲学の意識が強く、自分たちが科学に対して宗主国のように思ってる人もいて、
    これは哲学→科学の理解を妨げている感情だと思います。

    • @user-lw3bp6hz7t
      @user-lw3bp6hz7t Před 2 měsíci +1

      多分コメ主が書いているような内容が割とよくある通念としての哲学理解なんだろうな。

  • @ouchiable
    @ouchiable Před 3 měsíci +19

    物理学者「哲学者の言語は厳格さに欠けている!」
    数学者「おまいう」

  • @tamarind_kingdom
    @tamarind_kingdom Před 3 měsíci +10

    ちゃんと勉強したわけではないんですが、言語哲学や分析哲学の取り組み方は大好きでした。学部1、2年生に頃は全部分析哲学でやってくれたらいいのに、と思ってました。

  • @main1272
    @main1272 Před 3 měsíci +13

    学問が細分化され、かつそのレイヤーが物理-化学-生物(脳科学)-心理学-社会学・人文学と連鎖してスケールすることで世界を広く鮮明に認知できるようになってきている(ご丁寧に反証可能性まである)。
    なので、「世界の真理を知りたいなら哲学じゃなくてストレートに科学やれよ」はほんとその通りだと思う。
    逆に主要な科学が網羅していない知見や思想・宗教と、学問上の哲学はどう差別化しているんだろう。

  • @lkappsa6575
    @lkappsa6575 Před 2 měsíci +5

    数学や物理では網羅できないことは確かにあるので、哲学そのものは必要だと思う。しかし一部の哲学は、数学や物理学がカバーしている範囲内のことを、数学や物理学の言語を使わずに(または非常に稚拙な使い方をして)拙い論理だけで論じている印象。それなら素直に数学と物理を勉強すりゃいいじゃんってなる。

  • @AK-bj8gr
    @AK-bj8gr Před 3 měsíci +16

    時間という語がたまたま同じだけでお互い違う概念について話すことになるんだからそんな議論に意義があると思えないし
    なぜそんな虚しいことをしようと思うのかも理解できないよ

  • @Pp-pz3el
    @Pp-pz3el Před 3 měsíci +9

    このチャンネルのクオリティ高すぎるよ😢

  • @fat_monkey6104
    @fat_monkey6104 Před 3 měsíci +16

    面白かったです。学生時代に初めて「哲学」に出会ったときのことを思い出しました。
    私は、大学生の頃に名古屋大学の戸田山和久先生の「哲学入門」を読んで、哲学ってめちゃくちゃ面白いなと思いました(私自身は理系でした)。
    それまで哲学を勉強したことがなかった私は、「哲学入門」の内容(具体的には自然主義かつ唯物論的な哲学)が哲学の王道だと思い込んでしまいました。
    しかし、その後いわゆる伝統的な哲学の本を読んだら、全然何を言っているのかわからなくて結局挫折してしまいました。
    ここで、一素人が思う哲学に対する不満を述べてみます。
    個人的には、哲学は言語を重視しすぎているのでは、と思っています。
    確かに、「感覚を通して経験し得るもの」のみを研究対象とするなら、言語は強力なツールではありますが、最近では認知心理学や脳科学の発展により、「心」についても科学的に研究できるようになっています。
    そのような状況においても、言語のみを使って哲学をすることの意味が私にはあまり感じられません。(もちろん、科学的知見を踏まえて哲学研究をしている方もいるとは思いますが)
    仮に、そのような研究が哲学的には意味があったとしても、科学者はあまり受け入れられないだろうと思ってしまいます。(私は科学者ではないので、これは憶測です)
    以上が私の哲学に対する不満?というかモヤモヤです。
    私は、どちらかというと物理や数学が好きで哲学は挫折しているので、上の批判は不勉強ゆえの思い込み・勘違いかもしれません。
    なので、間違いがあれば教えていただけると幸いです。
    また、分かりやすくて、面白い哲学の入門書があれば教えてください。
    以上。

    • @user-fz3vr5ue6d
      @user-fz3vr5ue6d Před 3 měsíci +2

      全くもって横槍を入れることになるかもしれませんが、哲学は言語を重視してるが、認知心理学や脳科学分野で人の心を言語ではないもので分析・提示できるのではないか。それならば、現代においては科学者には到底受け入れられないような、言語のみで記述するというあり方は無意味なのではないか、という指摘ですね。
      今回の動画では、現代において、研究そのものが処理しなければならない情報量が多いという話があったかと思いますが、その定義自体を疑うというプロセスがあります。他の研究においては、式の答えは正しいのか、と思案するときになぜその式から答えを出す必要があるのか?ということを考えません。その式が構成された前提を信じている部分があるからです。
      ですが、哲学者は自分が納得してその前提を受け入れてからでないと、その後の行動にも納得できません。しかも、それは自分という人間の行動原理になるわけですから、他人という人間にとっても原理として普遍的にはたらくだろう、と考えるのだと思います。(それに価値を見出さず、家族などが本を出版して後世に名を残す学者はいますよね)
       あと、なんといっても科学は、人を考慮しないのであります。ゆえに、人間の立場や人間のあり方を他の学問は決めることが出来ないと思います。脳科学者は、なぜ脳がこの反応をするのか?という反応を調べても、私の怒りそのものを別にどうにかしてくれるわけではないです。例えば、怒りを感じたら心拍数が上がり、血流が集まるということが数字でわかり、そのような状況になっても暴力に頼る人と頼らない人がいる。頼らない方がよいのか、頼るほうがいいのか?という倫理的な問いや、怒りを感じたが、この怒りは他の誰かの怒りと同じ怒りなのか。または、怒りを感じなくなる薬を飲んだとして、それは倫理的なことか?などという実践以前の問題は、言語以外では答えられません。
       このような理由から、問いを立てること=哲学のようになってきているという動画内の指摘は、言語をある程度扱えるようになってきたことから、哲学がより庶民的なものになってきているという部分に繋がるのかなと思いました。元々は信じて行動する、というのがわからないことだらけだったからそうする、という選択だったが、ある程度知ることが増えると、疑問が増えてくる。だから、哲学は疑問に対する答え方のバリエーションが増えてきた結果、別の学問へと形を変えながら存在しているのだと思います。
      哲学系の本で哲学的な意味を感じたければ、哲学の本を読むよりは実践哲学という関わり方もよいのではないかと思います。「哲学カフェ」の参加などしてみてはいかがでしょうか。入門書はどれも歴史的なことを言語で記してありますので、似たような解釈本が多いかと思います。

    • @fat_monkey6104
      @fat_monkey6104 Před 3 měsíci

      ​@@user-fz3vr5ue6d
      丁寧なコメントありがとうございます。
      まず、誤解のないように述べておくと私は哲学という学問がいらないとは思ってはいません。むしろ最近のAIの発達によってその重要性は高まっていると思います。ただ素人の私から見ると哲学者の論理展開はアクロバティックすぎて理解できないと思うことがしばしばあります。もちろん、「それはお前が勉強不足だからだ」と言われれば全くその通りなのですが。

    • @user-fz3vr5ue6d
      @user-fz3vr5ue6d Před 3 měsíci +1

      @@fat_monkey6104 お返事感謝致します。長文失礼いたしました。
      正直、普段見ていても己の主張から始まって、帳尻合わせのために弱い部分をごり押している人も多いです。コメ主さんが、どの時代の論理がアクロバティックな論理だと感じられたかによってこの辺りは変わるでしょう。正直、古典の哲学書はギリシャ以降は人間の生き方の指針という点だけでいえば、参考になりにくいものばかりです。
      ここからは私の個人的な意見です。(必要ではないと思いますが知っていただいて、何かお役に立てば、と思います)個人的には、その時代の代表的な叡智と呼ばれるような人の愚かさ、みたいなものに着目するようにしています。哲学は誰でもできたわけではないので、当時の選ばれた人でも神を信じていたり、今では驚くような論理展開を行っているという可笑しさ、その与えられたものの中から少しずつ自分の固定概念を壊そうともがいている姿は非常に人間クサいというか、面白いものだと思います。
      また、哲学という学問は学問ではありますが、知を愛するという観点で、役に立つ立たないはあまり気にしないで良いという側面もあります。日本に科学と同時期に輸入されたと動画の中でありましたが、別で輸入されたのには、やはりそこに好奇心を満たすという役に立たなくても良いという思い切りがあるのだと思います。哲学を学問としてだけ他の学部と並べてしまうことは、philosophy の知を愛するという文脈から愛を剥奪という意味で、とても罪なことのように感じます。
      ゆえに、なにか今後の時代で哲学が必要なことであると感じるのであれば、ソクラテスの対話をまとめたプラトンの著作であるとか、マルクスアウレリウスの自省録、マキャヴェリの君主論、ジョンスチュアートの自由論、フロムの愛するということ、ハンナアーレントの人間の条件、など、現実に即したものから入られるほうがよいかもしれません。歴史全体の中で有名どころを見ても、私もこいつのいうてること意味わからんな、みたいなことはよくあるので。

    • @user-hl2th3nu7y
      @user-hl2th3nu7y Před 3 měsíci +5

      ​@@fat_monkey6104 上のコメントにある、おそらくは鷲田清一さんの臨床哲学のような「哲学」と、学問として学ばれることの多い「哲学史」は分けて考えるといいのかもしれません。
      「哲学」は基本的にあらゆる経験を含めた自身の人生に学ぶという理解のもとでおそらくは広く了解され、また多くの人がその必要性を多少なりともは認めている部分だと思います。
      「哲学史」の評価はかなり難しいと思います。特にガリレオ、ラヴォアジェ以降科学で「なぜ」という問いが「如何に」に変化し、哲学がいわば切り捨てられた領域のように見なされるのも、自然な流れかもしれません。
      ただ、哲学と科学の世界には、誤解を恐れずにいうならば捉え方の違いが存在します。
      少し考え方が古いかもしれませんが、哲学の立場からすると科学はいわば一種の諦めと妥協の末に生まれた学問で、哲学と同じく何も生み出していないと考えることもできます。
      ラッセル流に言えば、我々の世界がまるでこうあるようだというセンスデータがあるだけで、この世界に対する必然性は何からも見出すことはできません。
      同様に、先達の哲学者たちの理論にも何の必然性もありません。例え普遍的に見える心理があったとしても、それが錯覚でないことを保証するものは存在しません。
      「哲学史」を学ぶために先人の哲学書を読むのであれば、こうした視点が理解の助けとなるかもしれません。あらゆる哲学理論にはそれに対する批判が存在します。
      例えばデカルトの「我思う、故に我あり」に対しては、フィヒテの批判などが有名ではないでしょうか。
      有名な哲学者の解説本や訳本には、それを担当された先生の後書きがあって、その哲学者を批判した人の紹介などがあります。一つの理論とそれに対する批判を合わせて理解すれば、もしかしたらアクロバティックすぎる論理展開という印象も少しは和らぐかもしれません。(こじつけまがいの無茶苦茶な論理展開が存在することも認めます)
      これは私なりの考えですが、哲学は「無」を取得する学問です。しかしこれは価値ある「無」です。ここが見過ごされてしまうから、哲学を問いを立てるだけと見なされてしまうのかもしれませんが。
      ここが科学とは違う点だと思います。アクロバティックな論理展開は批判されるために存在すると言ってもいいかもしれません。
      長々と下手な長文をすみません。

  • @sanhatena
    @sanhatena Před 3 měsíci +5

    真理を追究することは最終段階であって、言語にする行いや、物理現象を記述することは、その一つ一つの行為をとってみれば
    おそらく各々の事象に問いに答えることよりも記述することに意味を成している気がする
    そして条件を絞って絞って絞ってシンプルな確からしいことを積み重ねていったとしても
    有機的な複雑な構造を有してるものの振る舞いを捉えきれない
    と考えると
    答えのでない問いは、絞っていく行いによって抜け落ちたものを拾ってもう一度記述しなおすことにも繋がる気がする

  • @nrtyamanouchi8259
    @nrtyamanouchi8259 Před 3 měsíci +35

    理系からみると、「アインシュタインvsベルクソン-時間論争」なんて、ファインマンも書いていたように、ガリレイの相対性原理の理解も怪しい奴が相対論を語るなの一言で終わり。

  • @osakitofu5188
    @osakitofu5188 Před 3 měsíci +31

    これからの哲学は、真理を探究する学問ではなく、神学のような「ある世界観に基づいて世界を解釈し説明する」みたいな学問になっていくと思う。

    • @user-lw3bp6hz7t
      @user-lw3bp6hz7t Před 2 měsíci

      いや、もともとそうだけど。

    • @moonsnowknight
      @moonsnowknight Před 2 měsíci

      @@user-lw3bp6hz7t 哲学が「もともとそうだ」というより、人間がもともとそういうものなのかも知れない。人間って世界を解釈し意味を創造しようとする傾向があるように思える。たとえば人生に意味はあるかとかよく語られるけれど、意味は人間が作り出すものと思う。

  • @user-rx3px8po2h
    @user-rx3px8po2h Před 3 měsíci +27

    哲学に限らず、人文系の「マルクスは実はこう言っていた」みたいな、著者の意図の解釈をしているだけの研究は、居酒屋談義的な意味で娯楽としては面白いが、真理の探究からは程遠いと思う。本当に哲学をしているのなら、自分自身で理論体系を作ろうとするべきだが、そんなことやっている人は大学にほとんどいない。その点、「理系」や社会科学は自分で理論体系を作ろうとしているので、より本気だと思う。

  • @agro4799
    @agro4799 Před 3 měsíci +12

    簡単に一つの答えや結論を下して共通のものとして広めてしまうとそれが正義になってしまい、後からとんでもない悲劇を巻き起こしかねないから慎重にならざるを得ないということを大学時代に学んだ覚えがある。

    • @user-bd7ij9jh3n
      @user-bd7ij9jh3n Před 3 měsíci +15

      そういうのは物理学とか数学でも普通にあって、例えばニュートン力学は相対性理論によって厳密には成り立たない事が分かったけど、それでも十分に速度が小さい領域では近似的に成り立つ事が分かってるからいまだに使われてる。数学ではニュートンとライプニッツが微積分を発明してから、極限について曖昧なまま議論が進んでいて、しばらくしてからε-δ論法による厳密な定義が与えられて、これまで曖昧な議論のせいで間違った結論が導かれる事があったのが分かった。
      そういう、「普遍的に成り立つと思ってたらこういう条件でしか成り立ちませんでした」っていう間違いはよくあるし、それを糧にして進んできたのが科学なんだから、哲学もそうやって進めりゃいいじゃんって物理学者なら考えると思う。

    • @user-kl7hd2vv3e
      @user-kl7hd2vv3e Před 3 měsíci

      @@user-bd7ij9jh3n
      ただ、数学はちょっと特殊で厳密ではあるけど、概念が本来の意味を離れて独り歩きする事は良くある
      その微分の概念だけども
      物理学科の人が良く使う微分小の概念を発展させたリー群方向の研究もあれば
      唯の微分の符号であるdy/dxを本当に分数として分離させる微分形式だったり
      線形性とライプニッツ側だけを残してεδを完全に捨てた微分ガロア理論って言う分野だって存在する

    • @user-kl7hd2vv3e
      @user-kl7hd2vv3e Před 3 měsíci +5

      ​@@user-bd7ij9jh3n
      ただ、数学はルール変えれるから、普遍性を求めてる訳じゃないと思うんよな

    • @user-dw4ny9cn2w
      @user-dw4ny9cn2w Před 3 měsíci +4

      「正義」の意味と、「とんでもない悲劇」とかいう自分の頭の中にしか存在しない曖昧な表現は使わない方がいいといいう事も学べれば良かったのにな。

  • @shomwoys
    @shomwoys Před 3 měsíci +5

    聞いてる感じでは、哲学ってのは「思索方法論と適用事例論」であるべきなのではと感じました
    当てはめ、類推、例えにはじまり、帰納法、三段論法からの演繹、背理法、形式化などを生み出したり適用してみたり
    これらの多くは論理学や数学として分離し形式化されてますが、それとはまた違うなにかを生み出せなければ、「哲学の役割は終わった」と言われ続けそう
    相対論の話も、おそらくですが、ベルクソンにとっては「相対論を理解したか」は問題ではなく「アインシュタインがいかにして既存の思考を覆す思考を生み出すに至ったのか、同様の思考方法を哲学という分野にも適用してみたらどうなるか」と思ったのではないですかね

    • @user-nj5st3ho9t
      @user-nj5st3ho9t Před 3 měsíci +2

      近代の科学を私達が容易に理解できるのは哲学者達が科学的世界観を分析して分かりやすい概念として提示してくれたからだと思う。統計的な見方を近代科学のように我々が理解できないのは哲学者の分析がまだ足りないのではないかと思っている。

  • @mizdorim2670
    @mizdorim2670 Před 3 měsíci +8

    物理学は検証できることを扱っているのに対し、哲学は検証が困難な問題を扱っている。そのため物理学で行っている知識の積み重ねが哲学では曖昧なままで置かれる。哲学者は問いかけだけに興味があると言うのもある部分当たっているかもしれないが、どの学問でも問題をどのように設定するかで結果が大いに影響されるのだから、それも少し言い過ぎのように思います。おもしろいテーマだと思いました。

  • @kohta1618
    @kohta1618 Před 3 měsíci +12

    物理学には観察、実験、数学という確認方法があるが、哲学は客観的な確認方法が限られている点が問題だと思う。

  • @ys-cb4bv
    @ys-cb4bv Před 3 měsíci +17

    私は工学部卒で院も行って今開発職の人間(理系?)ですけど、洋書を開いて「(プログラミング言語やUMLも含めて)記号やら言語とは」「システムとは」「モデルとは」とか哲学的な記述によくぶち当たったり、問題解決のときに倫理学的な知見が問題の整理に役立つなと実感したりしています。哲学に無関心であることと逆に自然科学の歴史に敬意のないことが視野を狭めているのかな、もったいないなと時々思います。

    • @Bass_pn
      @Bass_pn Před 3 měsíci +4

      「哲学的な記述」とはなんでしょうか?

  • @Shushupu_Love
    @Shushupu_Love Před 3 měsíci +26

    サムネのあなた、批判してる側の顔も批判されてる側の顔もしていらっしゃる

  • @arigatospecial5638
    @arigatospecial5638 Před 3 měsíci +6

    「功績」をパッと示しずらい世界だよね……
    何か大事な事を判断しなきゃいけない時とかに4年間の思い出に頼る事はあるけど、(それはほとんどの「大学を卒業した人」にとって同じだろうし)実生活に役立つことはまあ無いです
    偉い教授が「お前らを哲学の無い世界に帰してやるのが俺たちの仕事」と言っていたのを思い出した

  • @user-cg2kj5gj5t
    @user-cg2kj5gj5t Před 3 měsíci +7

    ファインマンだっけか、「数学と物理の関係は自慰と性交に似ている」といった人がいるけど、「数学」を哲学に置き換えても成り立ちそうだ。

  • @poroneizu1356
    @poroneizu1356 Před 3 měsíci +4

    物理学って普段はめちゃ謙虚(何もわからんって姿勢)だよね、、、

  • @user-zi7oz7xi2z
    @user-zi7oz7xi2z Před 3 měsíci +4

    真面目に議論しようとしたら、哲学書の宣伝に使われるの最悪すぎる。

  • @oaki3789
    @oaki3789 Před 3 měsíci +21

    化学を研究していくと物理学になって、物理学を研究していくと数学になって、数学を研究していくと哲学になる、みたいな小話ありますが、
    数学と哲学の間には大きな溝があるように思う。
    数学では定義からスタートするし、小学生レベルからの積み重ねもあり、どんどん問題が高難易度になっても方向性が定まっている。
    また数学的対象は母国語も関係ないし、時々、現実に様々な分野で役にも立つ。でも数学とは違って哲学が役にたったり、何かの社会問題を哲学者が解いたり、SNSで論破王が有名になる時代ですら哲学者が幅を利かすこともない。哲学者の議論も複雑ではあるか難しいかも怪しいし、ただどうでもいいことを捏ね繰り回したり、固執しているだけかもしれない。スポーツならルールも明確で勝敗が誰でもわかるし、この距離をこの速度で移動するなんて凄いって思えるかもだけど、哲学が扱うテーマはそういう基準すらない。数学なら何百年解かれていない難問やある程度解くべき問題が共有され、課題が明確だったりするけど、哲学上の結論を哲学者同士が共有する必要がないってもう既に学問として必要のないものなのかもしれない。

    • @user-kl7hd2vv3e
      @user-kl7hd2vv3e Před 3 měsíci +10

      今の数学って定義と言うより公理から始まってる感じはする

    • @3r743
      @3r743 Před 3 měsíci +16

      あなたが数学も哲学もよく知らないのは分かった

    • @kyokuchi
      @kyokuchi Před 3 měsíci +2

      まぁ哲学って言葉遊び感あるしね

    • @rnzac6950
      @rnzac6950 Před 3 měsíci +1

      @@3r743その理由を説明できなければ「哲学の悪口いうな!バーカバーカ!」って言ってるのと変わりませんよ

  • @karaage1597
    @karaage1597 Před 3 měsíci +11

    哲学者や哲学史やそれぞれの主張や解釈に詳しいことが哲学者なの?って疑問があって
    そんな事よりそれぞれの人が生きてきた中で人生ってこういうもんだよねとか
    人ってこういう風に思うよねとかの方がよっぽど哲学的じゃね?って思う
    そうすると全ての個人にそれぞれの哲学がある訳で
    現象の話と同じように個人個人で違うものをそれぞれが好き勝手に発表しあって
    なるほどそういう考え方もあるのかーと更に自分の考え方もまたそこで変わり変化し続ける
    個人個人で違い更に常に変化するものの真実を追うって自分の尻尾を追いかけて回る犬みたいな感じすらしてしまう

    • @user-co6lk6nu9e
      @user-co6lk6nu9e Před 3 měsíci +2

      でも、変化しながら段々と洗練されていくので、それで良いんじゃないかなあ

    • @user-ps4kq8rf8r
      @user-ps4kq8rf8r Před 3 měsíci +2

      それがいいのでは?

    • @karaage1597
      @karaage1597 Před 3 měsíci +5

      @@user-ps4kq8rf8r
      もちろん個人個人はそれで良いと思います
      それこそが人間の、人類の成長ですし
      ヘーゲルの哲学とかもそんな感じですよね
      ただ哲学という学問は進歩してるのかと
      例えばそれこそヘーゲルが今の哲学を聞いて「自分の思想より進歩している!」と納得するのかなと
      仮に物理ならアインシュタインを必ず納得させられますしね
      積み上げや進歩ではなく新しい解釈や新しい思想が生み出されていくという意味ではそれは学問ではなく文芸や芸術の方が近いですよね

    • @user-qs7st2ve2i
      @user-qs7st2ve2i Před 3 měsíci +2

      @@karaage1597 自分であれやこれや考えるにあたって、必死に考えてようやく得た結論を数世紀前の人がすでに回答しているということがままあるので、哲学者に分類される人は予備知識として哲学史を勉強するってことを、大学の哲学講師に聞きましたね。過去の哲学者や主張・解釈に詳しい人は広い意味での歴史好きに分類されるんではないでしょうか。
      後、すみません。個人的に気になったので、質問させてください。
      私の言葉の使い方では進歩という大分類の中に、新しい解釈・思想が生まれるという小分類があるという認識です。そこをあえて「進歩ではなく~」切り分けているのにはどんな意味があるのでしょうか?
      ※否定・批判したいわけではなく、自分と異なる言語センスに対する好奇心ゆえの質問です。

    • @karaage1597
      @karaage1597 Před 3 měsíci

      @@user-qs7st2ve2i
      自分の中で進歩は「前に」進むイメージです
      方向性をもって目的地へ向かうのが進歩かなと
      それに対して無秩序に泡のように新しいものが生まれてくるのは
      (進歩と分けるならば)進化とでも言いましょうか
      生物の突然変異と同じ様に新しい種が生まれ
      そこには当然退化も含まれているし
      右にも左にも枝分かれし逸れていくし
      講師の先生のおっしゃる通りぐるぐると同じところを回り続けるかもしれない
      そして哲学は後者のパターンなのではないかな
      という感じです

  •  Před 3 měsíci +10

    私は谷村先生のノート読んで哲学とはかかわらんとこって思った物理学徒でした。

    •  Před 3 měsíci +6

      谷村ノートだけ読むのアンフェア何でしょうが、物理を覆す”非物理的意識状態”を主張したり、明らかに破綻した論理を指摘されたり、しかも招待した側がこんな横柄なコミュニケーションをしているというので、心底失望した。当時、知の欺瞞(ソーカル事件)を読んで、やはり失望した。”文系”の人間が嫌いだったが、同じ言葉を繰るが”話が通じない人”が存在するんだなぁと、嫌いな人間に対する解像度が上がった出来事でもあった。

    • @user-ud3id7cm7i
      @user-ud3id7cm7i Před 3 měsíci

      すくなくとも、哲学というのは文学研究のようなものだという認識があっても良いように思う。

  • @tontin8279
    @tontin8279 Před 3 měsíci +2

    物理にせよ哲学にせよ、現代の知性が業界のポジションを持ち、自己否定できないと言うのが問題ということなのかな・・。

  • @user-md5uv7rq7m
    @user-md5uv7rq7m Před 3 měsíci +7

    この番組で哲学の話を聴くたびに「なるほどなぁ」と思わされるけれど、同時に「それってあなたの感想ですよね」って心のひろゆきが呟いてる

  • @user-yq1rx5jc8f
    @user-yq1rx5jc8f Před 3 měsíci +3

    哲学が駄目じゃ無いよ 哲学者が駄目なんだよ

  • @nonamefilesys
    @nonamefilesys Před 3 měsíci +4

    「我々は言葉で考えている」もミスリードだしなぁ…
    まず自分が何に対して何を感じて何を考えているか、これがすでに言語化できていませんよね。できてるつもりになってはいますが。
    また同じようにそうした自らについて認知できていない思考・処理についての理解もできていない。(例として、ある問題についての解決の道筋が急に浮かぶ閃きなどが想像できます。これを「無意識による思考と処理の積み重ねからの応答」とするならば、ですが)
    とすると、結局哲学は学問分野として始まってもいないのではないか?とすら思いました。言い過ぎかもしれませんが。
    (とりあえず界隈にしか通じないジャーゴンを使うのはやめてほしいなぁ…わかりやすくしてはいけない呪いでもあるんだろうか)
    ともあれめちゃくちゃ面白かったです。

  • @abc0to1
    @abc0to1 Před 3 měsíci +5

    哲学的議論において用語の定義が甘いのはおそらく初心者でもすぐ気づきますよね。ただ、科学は人間が世界を認識する唯一の方法としての意識についてほとんど何も解明してないので、唯物論、唯識論、その他の議論からすら逃れることはできないのも確かです。

  • @goshuuun
    @goshuuun Před 3 měsíci +2

    この世界は物質と心(定義は「認識する機能」)の二元である。と、
    ある初期仏教の学者はこう言ってます。
    私の浅い知識では、
    「物質の動態」の研究が物理学であり、
    「認識したもの(≠心)」を研究するのが哲学である。
    と考えました。
    両社が片面に特化して研究しているように思いました。
    物質(心も可)を心が認識して現象が生まれると考えてますので。
    この動画で現象学という学問を初めて聞きましたが、
    物理学と哲学のハイブリッド学問の予感がして、
    現象学に興味が湧きました。
    ありがとうございました。

  • @kyontaka6310
    @kyontaka6310 Před 3 měsíci +7

    いわゆる”理系”vs”文系”的な対話は興味深いですよね。
    例えば
    アインシュタインとベルクソン
    アインシュタインとフロイト
    岡潔と小林秀雄
    ソーカルとポスト構造主義者
    逆に哲学的な物理学者も沢山いましたね。例えば
    モーペルチュイ、ニュートン、マッハ、アインシュタイン、ボーア、ゲルマン、ダイソン、ウィーラー、ペンローズ、ワインバーグ、などなど

  • @user-wr4pt2ee6n
    @user-wr4pt2ee6n Před 3 měsíci +5

    哲学が言葉と論理を道具として用いる学問ならば物理学より数学のほうが比較対象としては優秀な気がする。
    19:46 物理学者が普段使うのが数学という論理と言葉が道具の学門だからこそ哲学の論理が拙く感じるのだと思うんだよね

  • @nekodesu.4649
    @nekodesu.4649 Před 3 měsíci +7

    「哲学側の努力不足もある」
    ヤな上司「努力しなくていいよ、結果出してくれれば」

  • @moonsnowknight
    @moonsnowknight Před 2 měsíci +1

    哲学は難しいとよくいわれるけれど、このコメント欄には哲学は物理学から見て劣っている(科学的観点から?)という見方が多いように思う。ベルクソンのように哲学者は物理学を学ぶけれども、物理学を養護する者たちは哲学を完全に理解しているかのように批判しているようにも感じる。

  • @kotaro4734
    @kotaro4734 Před 3 měsíci +1

    20世紀以降の言語哲学・分析哲学・科学哲学でどのように解決されたのか聞いてみたいです。
    お話聞いてると哲学って芸術なのかなって思いました。ドガとピカソの絵の世界観を研究するようなちがうか。

  • @orimupitsuku
    @orimupitsuku Před 3 měsíci +1

    これからますます「偶然性」というキーワードが注目されるのではないか、と思いつつ、ブートルーを読んでいます。

  • @koyomi_5690
    @koyomi_5690 Před 3 měsíci +10

    個人的な見解として、哲学における「時間」は「時間意識」の話だから、そこから物理学にとやかく言うことは基本的にはできないし、言うことができても、物理学が証明した事象・理論の正しさを認めた上で「でも主観的なことや存在論的なことは歯抜けとしてあるよね」と言うぐらいしかないと思う

    • @user-zc7hx7xn9h
      @user-zc7hx7xn9h Před 3 měsíci +4

      ただ主観的な"時間"と言う物にしても
      このまま心理学や脳科学なんかがもっと進歩して行けばいずれそっちのルートから何かしらの答えが見つかっちゃいそうじゃない?

    • @koyomi_5690
      @koyomi_5690 Před 3 měsíci +1

      @@user-zc7hx7xn9h でもそれらも科学としてやっている以上、結局主観的とされている領域を外から観測してやっているわけだから、たとえば現象学が求めてるような、厳密な意味での主観的な意識の領域やそこに生じる時間の問題についてその二つが研究することは、方法論的にまず難しいんじゃないかなぁと思ってる(とはいえ、認知科学や脳科学がメチャメチャ近いところをやってるのは事実そうだし、相互に影響を与え合うこともあるから、詳しいところに関しては曖昧でーす)

  • @user-fv1kk5zy8g
    @user-fv1kk5zy8g Před 3 měsíci +5

    物理の定義だって突き詰めれば無定義用語にぶち当たるのに
    そこに哲学との差はないでしょ

  • @decidrophob
    @decidrophob Před 22 dny +1

    なんというか流石に「ゆるすぎ」な気がする。
    まさに、こういうところが、日本の哲学学会が大きく欧米の学会に遅れを取っているところじゃないかな。
    谷村さんにせよ、ベルクソンにせよ、具体的な哲学的問題をほんの少しで良いので踏み込んで良かったのでは?
    例えば時間について。哲学が最も嫌うはずの属人的な説明ばかりで、ラッセルがベルクソンが嫌いだとか… そんなエピソード、裏話としては面白いかもしれないが、明らかにメインのネタでなく、アインシュタインとベルクソンに論争があったのか、ほとんど不毛でなにもなかったのか。論争が有益であったなら、どういう哲学的問題が語られたのか について最低限紹介されるべきじゃね?
    こういうの全部スルーだと、谷村さんを含めた物理学者の批判が全然「ガチ」じゃないでしょ?哲学的問題について批判しているんじゃないから って無視しているようにしか聞こえんよ。

  • @user-pg6hz6cp9w
    @user-pg6hz6cp9w Před 3 měsíci +6

    あらゆる関係や立場を内包できる、あるいはできてしまう(されてしまう)のが哲学なので、「物理学の立場から哲学を批判する」ということそれ自体を哲学に含めることができてしまうのですよね

  • @user-fthom
    @user-fthom Před 3 měsíci +1

    哲学は「その他」枠になりつつあるのかと思わされました
    高校で言うと品詞の副詞みたいな
    というか話題変わりますが、個人的にはそもそも哲学と数理で頭の使い方を変えないと全く理解できない気がします
    哲学の頭の使い方のまま数学をやろうとしても全く歯が立たないし、数学の頭の使い方で哲学を理解するというビジョンが全く見えません
    そして、学問の理解に関する問題の多くがこれに起因している気がしてなりません

  • @WINGofJapan283
    @WINGofJapan283 Před 3 měsíci +14

    哲学と諸科学とは時代的にも理論的にもカント辺りで分裂したものだろう。
    カントの批判は現象の超越論的観念性と経験的実在性の二重性の指摘、そしてその峻別に尽きる。
    つまり観測によって捉えられる対象についてしか実在性realityを認めることはできず、そうでないものは観念的idealなものでしかないと言明することで、
    経験的実在性の世界を諸科学(社会科学や認知科学なども含む)に譲り渡し、形而上の世界から解放するものとして、カントの批判は再確認されるべきだと思う。
    (ここから意地の悪い見方をすれば、ヘーゲルの絶対知は観測を経て成功した科学的認識、いわばあみだくじの当たりからスタートに溯行して最初からわかっていましたみたいな顔をしている理論と言える。)
    さて支配領域を全て譲り渡した諸学の母たる哲学が今さら諸科学の領域に首を突っ込んでも「おっかさんそういう時代じゃないんだよ」とうざがられるだけだが、
    哲学には唯一倫理という形而上の領域だけは残されている。
    その領分においてそれこそ物理学などの出る幕はなく、仮に何か口を出してきたらそのときはボコってやればいいと思う。

    • @user-vz8mv3zz1l
      @user-vz8mv3zz1l Před 3 měsíci +2

      うーんどうでしょう
      倫理といっても反証可能性がないのですから
      それこそ「それってあなたの考えですよねw」
      で終わってしまうんじゃないですか?

  • @50takeshi
    @50takeshi Před 2 měsíci

    哲学も物理学もほぼ素人ですが、哲学は理想論に近しいと思っていました。
    ざっくり言うと、「この社会が、人類が良くなるために」という前提のもと、「我々はどう生きるべきか。どう在るべきか。」という問いへの答えを出していく学問。
    しかし細かいところをこねくり回すような不毛な議論も含まれている?と考えると少し悲しいです。
    一種のスピリチュアルにも近い、未来的な社会のあり方を哲学で説き、その実現のために解明していく科学という認識でしたが、実際はそのような立ち位置ではないということでしょうか?
    身の回りにある、「ちょっとこれってどうよ?」という不満や疑問、社会や人間の未熟さを題材にした哲学が広く普及すれば良いなぁとも思います。

  • @user-kf7nh8tz1f
    @user-kf7nh8tz1f Před 3 měsíci +1

    30:41 このエピソードがどこ情報なのか教えて欲しいです

  • @user-lx8qy5ed2c
    @user-lx8qy5ed2c Před 3 měsíci +3

    私からすると、哲学は他の世界と関わらずに「自宅でマスターベーションするモノ」だ
    哲学以外の学問は、社会や自然の世界の中で互いに影響及ぼしあい関係しあう「学問」だ
    人は哲学以外の学問無しに、今の繁栄は気づけなかったが(精神的にも)、哲学と呼ばれるモノが無くても今の繁栄は築けただろう
    すなわち、哲学は学問ではなく遊戯である

  • @graph23
    @graph23 Před 3 měsíci +6

    「別に主張があったわけではないが理性的に論理展開したらこういう結論になった」を主張している風でもなく、
    行きつく主張(法則)は、バラバラ。が、哲学と、もし、するならば、
    「話として面白ければ、良いか ^^; 」扱いになる/扱いにせざるを得ないかもしれない。まぁ、その、世の中の流行りものと似ているというか…

  • @spacknyaho2643
    @spacknyaho2643 Před 3 měsíci

    インターステラーでのアメリアのセリフ「愛は時空を越えられる」を思い出しました

  • @rokuhalion
    @rokuhalion Před 3 měsíci +2

    極端かもしれませんが、哲学は音楽のようなものだと考えます。
    古典音楽と現代音楽とを比較したときに、現代音楽は必ずしも古典音楽に勝るとは言い切れません。
    また、音楽はバリエーションが増えていくものであって、科学のように過去の理論を振るいにかけて積み上げていくものではありません。
    どのような音楽を愛好するかは個々人に委ねられ、必ずしも検証を必要とはしません。
    理論が磨かれることはなく、その種類を増やしていく行為が学問に該当するかは意見が分かれると思われます。

  • @user-jk5du9co3j
    @user-jk5du9co3j Před 3 měsíci +3

    哲学の存在が科学とは別の角度で人間社会をより良いものにしているのなら、今後も哲学が展開され存続する意味があると思う。
    谷村さんは宇宙を理解するのに人類の言語や常識だけでは不足だと言っていたけど、逆に人間が感覚や言語の中で作り上げた社会を理解するためには寧ろ、数学的な記述だけでは不十分であるように思う。
    今一度現代に置ける哲学の意義を考え直すことが出来て良い動画でした!

  • @user-pq1xe5zs7w
    @user-pq1xe5zs7w Před 2 měsíci +3

    「現実世界を模写した言語思考世界にのみ関心があるのではないか」って哲学批判というよりかは認識論批判っぽいですよね。

  • @giren99
    @giren99 Před 3 měsíci +4

    前回から見始めたけど、素晴らしい。

    • @user-nr3zq8ie8l
      @user-nr3zq8ie8l Před 3 měsíci

      まあ今の産業資本に侵蝕されて官僚化してしまい倫理的役割果たせていない今の大学のこと思えば 各分野で やり合うのは いいことだと一般人は 思っていますよ そういうのは もっと公共のメディアとか公の場で やり合ってもらいたいと一般人は思っていますよ やり合わないと浄化できないでしょう

  • @user-yi7pp5rt1z
    @user-yi7pp5rt1z Před 3 měsíci +2

    哲学が宇宙とは何か/人とは何か/自己とは何かという問いに対しての真理を追求する学問だと言うと
    哲学外の人にとっては「ちょっと待って、あなたが何を思って言ってもいいけどそれは真理ではなくあなたの個人的な感想であり結論です。」という反応になるけど
    哲学とは思索方法、或いは過去の哲学的文献を読み解く等、思索について研究する学問だと言ってくれれば界隈は平和になる気がする

  • @shomwoys
    @shomwoys Před 3 měsíci +6

    物理からすると、「物理っちうのは数学というかっちりした道具を使って現実世界と数式のマッピングを厳密にやるのが研究なのよ。んで厳密には違うけど素人にもわかるような例えとかしてウケ狙ったりさぁ。
    哲学はどうなん?なんか言語とかいう曖昧なもんを使ってるうえ、仲間内でギョーカイ用語コネコネして悦に浸ってるだけちゃうん?」
    ってなるよねぇ
    交流会やいうてんのになにドヤ顔で特殊な用法の専門用語をあたりまえな顔してつこてんねん、みたいな

  • @user-nr3zq8ie8l
    @user-nr3zq8ie8l Před 3 měsíci +2

    哲学すると 何に対しても確信もてなくなってくる 突き詰めて考えると 考えれば考えるほど わからなくなってくるので 哲学は建設的には なれない 自己の考えたことを 述べるにとどまるわけなんですけど ただ哲学する利点 まあ利点た言えるかどうかはなんとも言えませんが 他のものに対する 寛容性が生じるのは 確かではないかと 我々一般人は 考えておりますよ

  • @metmen48
    @metmen48 Před 3 měsíci +2

    これはゆる学徒平田さんと
    聞き手門外漢役ぬぶさんの成せる
    めっちゃ素敵な傑作動画だと思います。
    いつもごちそうさまです。

  • @iroiromiru0
    @iroiromiru0 Před 2 měsíci

    時間と空間を一体に考えるモデルなら、ここから彼方までが生まれたとき、その時から未来の彼方までも生まれたと考えていいはずで、ある時刻が自動的に現在になるようなモデルではなく、任意の時刻を原点にしてシミュレーションできる便利な道具でしかないという批判は成り立つ。

  • @user-zz5qz6gw3i
    @user-zz5qz6gw3i Před 3 měsíci

    谷村ノートの「科学の知識を使えば、少なくともこの説とこの説はただちにつぶせる」というのを網羅的に教えてほしいなぁ

  • @user-ew2uv5yj1e
    @user-ew2uv5yj1e Před 3 měsíci +5

    学生時代、物理の教授に宇宙の向う側について脱線した話になった時、教授が、それは哲学だねと言ったが、私は即、哲学もなにも現在とこの地球につながってるではないですか?と言った。更には生理学の教授にも、先生の講話は脳死は人の死だと決めつけているように話されてますが、難病も宇宙万物の理論も治せないわからない、そんな人間が人の死を決めつけるのは、勘違いではないですかね、と言ってしまい、後で呼び出され怒られると覚悟しましたが、先生から君の考え方は間違ってはいない、と言われました。
    いい先生にめぐりあいました。
    哲学は科学のずっーと先にある、それを科学をつかって人類は解明していってるそれが学問だよと言われました。

  • @boo121314
    @boo121314 Před 2 měsíci

    人間が、あらゆる謎を解き明かし「これはこうだ!」と言ったとき、
    眼をきらきらさせた6歳児が現れて、「それはなぜ?」と問いかけます。
    解き明かした謎のそのまた先も謎なのです。「神のみ技は計り知れない」で逃げることは許されません。
    もしかしたら「シジフォスの岩を押し上げる」のは、人類の苦行であり喜びであるのかも。

  • @jan_darysh
    @jan_darysh Před 3 měsíci

    「哲学は独り言」仏陀だった気がしますが誰か言ってました。(記憶あやふやですいません💧‬)

  • @isamich1535
    @isamich1535 Před dnem

    昔、「物理学的人生論」というあほらしい本を立ち読みしたことがある。

  • @gaiusmarius8628
    @gaiusmarius8628 Před 3 měsíci +4

    文脈解釈をいじってどうこう論じるのは単なるオナニズムに過ぎない。古代、万物の根源は何かという真理の探究から始まった哲学とはかけ離れているし、物理の方が当初の哲学のコンセプトと近い。

  • @ryukyu1180
    @ryukyu1180 Před 3 měsíci +5

    「哲学のココがダメ」っつうのも哲学や。

  • @gaugeconf3922
    @gaugeconf3922 Před 3 měsíci +1

    哲学って歴史学みたいなことやってるって認識でいいのかな?昔の人の解釈やってるし物語としては面白いんだろうなぁ
    物理は現実の記述ができるかどうか決まるから、現実的にアクセス可能なスケールにおいて荒唐無稽な理論は実験で棄却されるんよね
    じゃあ今の素論はどうなんだっていうと哲学じゃなくて数学寄りなんですかねぇ
    正しさの保証は数学以外の言葉じゃきついだろうし
    現代物理の解釈を哲学からやってるっぽい人もいるし、物理学者の考える時間がない部分をやってほしい感はある

  • @nysybg
    @nysybg Před 3 měsíci +1

    23:33 「言語を通して作り出してる現象世界が研究対象」に関しては、個人的には経済学で似たような感覚を覚えますね。
    経済学が定義した変数"のみ"存在しているバーチャルな地球や地域の経済に興味があるだけで、極端な表現で言えば実体経済と経済学の理論に乖離があったとしても、「短期的には実体経済が経済学と乖離する事を経済学は許容している。長期的(最終的と言い換えても良い?)には経済学の言う通りになるのだ」とする意見は少なくないように思えますね。
    いつかのアメリカ大統領が言うように、長期的にを悠長に待っていたら、我々は皆、寿命を迎えてしまいます...

  • @user-po6vq1sm9g
    @user-po6vq1sm9g Před 3 měsíci

    認識や心の時間は脳科学、心理学の分野でもあると思う。このふたつの分野でもctや脳波、MRI等、なんらかの装置で測定、観測するのだから、無茶苦茶広い意味で物理ともいえるか?(星の観測とかとは違うけど。)

  • @chokkaku890
    @chokkaku890 Před 3 měsíci

    ディシプリンが違うだけなら学際的協働ができるが認識論・存在論のレベルが違うと対話は不可能だという話のように思える。その違いを理解しているはずの森田先生がそこのすりあわせなくこんなシンポジウムを企画した意図が気になる。

  • @YasushiTakahashi007
    @YasushiTakahashi007 Před 3 měsíci +12

    哲学者から見ると科学なぞ反証可能性で片付けられる単純明快なもので議論の余地はない。問題はないってことなのかもしれないなあ。主催がもと物理学徒だったので物理学者を招聘したけど哲学優位性を見せつけたかっただけ?現代の物理学者でも歯が立たない哲学こそ永遠なれ的な?お互い様だけどバイリンガルにならないと議論できないのかも。そもそも哲学は反証可能ではないので科学者のスキルではなんの爪痕も残せなそう。谷村さんにはとても同情すると同時に主催者の悪意を感じてしまう。脳科学が今、意識に手がかかりそうな現代では気を付けないと哲学は真に机上の空論になってしまうという危機感を持ってほしいなあ。

    • @abc0to1
      @abc0to1 Před 3 měsíci +6

      反証可能性という仕組みを利用しないで、どうやって妥当な理論を展開するんですかねぇ?宗教と同じになってしまう気がしますが。

    • @YasushiTakahashi007
      @YasushiTakahashi007 Před 3 měsíci +4

      @@abc0to1 まったくそのとおりで科学というものは単純明快なものですね。で、宗教については全く何も私は語っておりませんのであしからず。

    • @abc0to1
      @abc0to1 Před 3 měsíci +3

      @@YasushiTakahashi007 つまり特に反論はないということですね。ありがとうございます。

    • @YasushiTakahashi007
      @YasushiTakahashi007 Před 3 měsíci +4

      @@abc0to1 宗教については何も言っておりませんのであしからず。

    • @user-zh4di3gl2u
      @user-zh4di3gl2u Před 3 měsíci +2

      宗教と言うと、多くの人はカルト宗教のイメージなのかこの教義が絶対だ!異論は認めん!って物を想像されるかも知れませんが、1つの宗教内でも哲学めいて教義の解釈で議論しあったり根本的な部分を疑って新しい派閥ができたりは全然あります

  • @user-fw4fe8wm6l
    @user-fw4fe8wm6l Před 3 měsíci +1

    哲学も自然科学もどちらを使用しても真理を解くことは叶わない。ということを念頭に議論などがあれば両者ともに有意義な時間になるのではないかと常々思う。

  • @buchkurs130
    @buchkurs130 Před 3 měsíci +7

    「文系理系」ってのはおそらく旧制高校ではじまった日本だけの区分けのようですね。明治の前半に急激な西洋化を進めるために、とりあえず学問の根本精神は置いといて拙速な教育成果を得るための乱暴な区分けでしょう。100年以上前に便宜的に決まった、未熟で開発独裁的な途上国根性の区分けであり、国の都合による職業訓練的な性格を強く持つことを意識すべきでしょう。端的に言うと、学問の区分けではなく、職業訓練校の区分けです。社会経験を得てから大学に行く人の割合が極端に低く新卒就職のことばかり気にされる日本では今でもそうかもしれませんね。

    • @user-kl7hd2vv3e
      @user-kl7hd2vv3e Před 3 měsíci +3

      日本を後追いした中韓にもあるよ

  • @別部穢麻呂
    @別部穢麻呂 Před 3 měsíci +2

    影山優佳さん、(ちょっと早いけど)お誕生日おめでとうございます。

  • @user-ps5pe2oq1f
    @user-ps5pe2oq1f Před 3 měsíci +4

    よしのぶいい顔してるなあ

  • @tamarind_kingdom
    @tamarind_kingdom Před 3 měsíci

    哲学(者)が、どうやって他人と考えを共有できると考えていて、どのように実行してるかを知りたいです

  • @shikamai
    @shikamai Před 3 měsíci +1

    観測してデータを取ってモデルを作って実際の現象とおおむね合ってて使えるんならそれで大成功って世界の勉強をしてたから、最初は哲学なんてくだらないと思ってたんだよね。
    哲学とか、データをしっかりとってないし合ってるのかどうか検証もできないしノーベル賞に哲学ないじゃんって単純に馬鹿にしてたんだけど、ある日哲学者と物理学者の対談の本を読んですごく面白くて、哲学をちょっと勉強してみようって思ったんだよね。哲学者ってあいつら何考えてんの?何やってんのいったい?って感じで。
    だから今回のお話はすごく面白かった。
    本の紹介もありがたい。
    哲学は面白い。

  • @SENSE.m
    @SENSE.m Před 3 dny

    19:57
    消極的(〜でない)な形で人間が認識できる範囲外に定義されてるもんだと思ってた。
    ダークマターみたいに。

  • @user-wv8qi7uj2z
    @user-wv8qi7uj2z Před 3 měsíci +1

    これはもう谷村氏本人をゲストに招いて対談するしかないな

  • @jukenshinken8940
    @jukenshinken8940 Před 3 měsíci

    門外漢なので、この質問が適切かどうかわかりませんが、唯物論(すべての根源は物質にあるという考え方?)を前提としない自然科学って、現在、存在するのでしょうか?
    そういう自然科学が仮にあったなら、哲学と物理学は話し合いになるかもしれないなーと思いました。
    一方、物理学が唯物論の枠から一歩も出ないつもりなら、両者の話し合いは成り立たないのでは?と思いました。
    ところで、これまでに、唯物論自体を疑って行なった物理学の実験とかってあるんですか?もしあったらワクワクするな~。

  • @user-kl7hd2vv3e
    @user-kl7hd2vv3e Před 3 měsíci +5

    その全部論理記号で書くって言う試み自体も、それはそれで分からない事が多くて楽しいんよな
    実は論理って俺達が思ってるほど客観的なものではなく、
    色々主観で弄れる
    普通の論理は矛盾を毛嫌いするが
    矛盾もある程度許容する矛盾許容論理って論理も実はあるんだよなあ

  • @Skripka-mf8sy
    @Skripka-mf8sy Před 3 měsíci +1

    数学や物理学、化学は自然の仕組みを理解するための学問で、哲学や心理学は人間を理解するための学問だと思っています。
    理解しようとする対象が違うのだから、いくら議論をしても話が噛み合わずずっと平行線なのもやむなしかと。

  • @HM-kc4ky
    @HM-kc4ky Před 2 měsíci +2

    物理はあくまでも自然を真似た仕組みを人間世界で利用するための技術を創造する分野です。そのための観測と分析です。しかし何かを創造するにはまず最初に概念があるはずです。哲学は概念です。諸学問は手であり足であり身体的な役割をしますが、哲学には身体を統制する脳と神経の役割があります。物理や数学は生きていくため家畜や農業を創造しました。しかしそれらを創造する力を支配しているのは哲学なのです。

  • @user-jl4bh1hl4j
    @user-jl4bh1hl4j Před 3 měsíci +1

    哲学は「言語世界」にしか興味がない、のでは決してない。我々の認知する世界そのものが言語的な世界であり、我々はそのようなパーズペクティブでしか世界を構築することはできないのだ。というのが19世紀あたりからの哲学の議論。
    物理学者ひいては科学万能主義を掲げる人々が妄想するような「客観的な世界」などと言ったものは我々が人間である限り絶対に構築し得ない。
    20世紀に科学のあり方を徹底的に論理づけたポパーを参照すればすぐにわかる話。

  • @user-on3uj5bj8v
    @user-on3uj5bj8v Před 3 měsíci +11

    谷村さんの指摘ってリチャード・ローティみたいな事でしょ
    哲学を批判しているようでそれは哲学なんだよな
    物理学をしたいなら、こんな事言ってないで物理学をすればいい

    • @fermion1103
      @fermion1103 Před 3 měsíci

      結局谷村さんはある意味哲学(少なくともシンポジウムに参加した哲学者)に見切りをつけています。
      もともと谷村さんは哲学に興味があったからシンポジウムに参加したようですが、諦めがついたようです。
      以下Xより転載 (一部のポストのみ抜き出しています)
      〈言語は人間の主観的なものであるから、客観的な自然のあり方とは関係がない─。こうした考えの持ち主もやはり、人間のあらゆる認識が言語なしには成立しないという事実を軽視しています〉という青山拓央氏の言には、
      「あなたたち分析哲学者は、人間言語の他に加速器や望遠鏡や数学でしかアクセスできない世界があるという事実を軽視しています」と私は返したいですね。
      研究の価値がどうこう言う以前に、研究の視野とツールに問題があると思います。
      私は、彼ら(森田邦久・佐金武・青山拓央)から見習うべきものはなかった、と結論しています。彼は言うことが大きすぎ、やっていることがなさすぎです。
      今回の 哲学者(森田邦久・佐金武・青山拓央)対 物理学者(谷村省吾)の対立は、学問についての考え方の成熟度も、コミュニケーションの態度も、あまりにも非対称で、当事者も第三者も手がつけられない、というのが実情だと思います。
      私にとっては時間コストが一番貴重なので、こんな論争は早く終わらせたい。とくに森田邦久氏の応答文書を読んで、この先、彼と関わるのはいっさい無駄だと見切りました。
      同種の論争がまたどこかで繰り返されたら、時間と労力の浪費でしょうね。そういうことが二度とないように私は谷村ノートを書いたつもりですし、むこう10年くらいは人々に覚えていてもらいたいですね。
      これくらいにしておきます。

    • @user-on3uj5bj8v
      @user-on3uj5bj8v Před 2 měsíci

      @@fermion1103
      主観的だと、主観的に自然言語で述べているだけですよね。谷村さんが述べている批判はそのまま自身に当てはまっている。
      物理学的視点でこのテーマについて書けば少しは価値のあるものになったのかなと思います。

    • @fermion1103
      @fermion1103 Před 2 měsíci

      @user-on3uj5bj8v
      > 主観的だと、主観的に自然言語で述べているだけですよね。
      主観的であるとする論拠は、すでに物理学で結論が出た内容について、悪く言えばこねくり回してしている様を見てのことだと思われます。
      物理学は主観的ではないのかという指摘は、少なくともその物理学の結論に使用された数学の定義がカバーする範囲および使用された前提条件の範囲内では客観的です。
      例えば絶対的時間が存在するかという内容の話が谷村さんと森田さんの間で交わされていますが
      物理学ではすでに絶対的時間ではなく各自の相対的時間が存在するという論が支持されているので
      森田さんが、絶対的時間や静止時間論などを持ち出してそれらの違いやどれが正しいのかについて解釈を進める様は
      少なくとも物理学者の視点だと主観的だと言わざるを得ないでしょう。
      この文章自体が私の主観であるとの指摘も考えられます。確かにその通りで私の主観であり、上記見解は谷村さんのものではありませんが
      大きくは外れていないものと思われます。以下に谷村さんが書かれた「一物理学者が観た哲学」の一部を引用します
      4.4 物理学と直観
      ここで私は、「直観」(intuition)という言葉を、厳密な論理的推論を経ずに仮定
      や経験や観察から直接的に結論や予測を導く知的操作という意味で使う。それに対して、
      「直感」(適切な英単語がないようだが、feeling と言ってよいだろうか)は、感情的・
      感覚的・動物的なものごとの捉え方を指して言う。
      (中略)
      森田氏は本書の『はじめに』にこう書いている:《これまでの科学史は、「太陽が地球
      の周りを回っている」のような私たちの直観がいかに頼りのないものであるかを示して
      きた歴史であるともいえる。それゆえ、「時間が経過する」という直観もまた誤りであ
      る可能性はある。しかし、ここで問題なのは、「太陽が地球の周りを回っている」とい
      う直観の否定ほど、現在の物理学は明確に「時間が経過する」という直観を否定できて
      いるのだろうかということである。》(『《現在》という謎』p.iv)
      (中略)
      「真空はない(空間は、いたるところ空気や液体・固体などの物質で
      隙間なく満たされている)」という考えも一つの直観的描像だろう。これの否定形は「真
      空がある」という説であり、現代人にとって真空状態(物質が充満していない、からっ
      ぽの空間)を想像することは難しくはない。科学では、実験によって真空(と解釈せざ
      るを得ない)状態を作れるかどうかで真空のある・なしが判定される。天動説の否定と
      真空の否定の否定というケーススタディから私は、直観の否定形は、直観的に受け入れ
      がたい描像になるとは限らないという教訓を引き出す。
      古代の哲学者パルメニデスによる「あるものはあり、ないものはない」という命題か
      ら、ゼノンは「だから真空などというものはない」と推論したらしいが、このロジック
      は言語構文をそのまま実体解釈に直訳するのは非科学的推論になることを示したデモ
      ンストレーションだと思える。
      (中略)
      これらに比して「時間が経過する」という直観的描像が否定される状況というのは、
      かなり想像しにくい。「時間が経過しない」ということは、ある一瞬の世界がストップ
      モーションの画像のように凍結しているか、または、「100 年前の場面も昨日の場面も
      今日の場面も明日の場面も、すべて一様に、現にある」という図がこの世界の真の姿だ
      ということだろうか。
      (中略)
      正直のところ、私には、ストップモーション画像の方は想像できるが、「すべての時
      刻の場面が一様に存在している世界」が現実の世界であるとは受け入れがたい。
      (中略)
      「直観を疑え」という呼びかけは大事ではあるが、疑ったとして、では、代わりに何
      を信じればよいのか、何が正しい姿なのか、代案を与えてくれないと困る。「時間経過
      が実在しないとする立場を静的時間論と呼ぶ」と言われても、それは定義に名前を与え
      ているだけであり、時間経過が実在しない世界をどう思い描いたらよいのか教えてくれ
      ない。
      (中略)
      「万物が共通の時間経過を過ごしている」とする絶対的時間経過は強すぎる直観であり、
      それの否定形は、「万物の時間経過はな
      い」とする極端な絶対静止時間論だけではなく、「万物がそれぞれの時間経過を過ごし
      ている」という穏やかな描像も可能であり、これは直観的に理解するのはいくぶん難し
      いが、現代物理学はこの「それぞれの時間経過」論を支持するのである。
      それはさておき、森田氏は物理学の目的を取り違えている。森田氏は《「太陽が地球
      の周りを回っている」という直観の否定ほど、現在の物理学は明確に「時間が経過する」
      という直観を否定できているのだろうか》と述べているが、直観を否定することは物理
      学の使命ではない。我々が経験・観測する世界に秩序・法則性を見出すことが物理学の
      目的である。
      (中略)
      4.12 数学と哲学の違い
      数学と哲学は、物理学と哲学に比べて親和性が高く、数学者が哲学者を兼ねるケース
      もしばしばあるようである。私の「物理法則の制約を無視して想像している」という哲
      学批判は、数学にも向けたものではないかと思われるかもしれないが、この点に関して
      少し言葉を補いたい。
      数学も自然法則や天然資源に制約されない言葉の世界の学問だが、数学者は、厳密な
      論理・証明によって数学的真理を追求するが、数学的真理が現実世界においても成り立
      つとは主張しない。例えば、ユークリッド幾何が数学的に正しいということと、現実の
      世界がユークリッド幾何に従うかということはまったく別の問題だということは、数学
      者の方がよくわかっている。
      一方で、哲学者は、自然法則が課す制約条件は、場面によってほどほどに考えたり、
      無視したりしながら、哲学的問題、すなわち、いまのところ言葉と論理と想像力でアプ
      ローチする以外の具体的な研究方法がない問題を扱っている。哲学者は、粗雑な自然観
      察もするし、粗削りな問題設定もするし、曖昧な言葉も使うし、論証になっていない論
      証もする。でも哲学者はまったくの空想話をしているつもりではないらしく、現実世界
      においても真であるようなことを言おうとする。このあたりが、だいぶ数学者とは異な
      る。
      表面的には、数学と哲学は、論理力と想像力で頑張るという共通性があり、親和性が
      認められる。数学において証明された命題は、前提さえ認めれば真であり、百年経って
      も千年経っても揺るぎない真である。また、数学や物理学は、たとえ人々から嫌われて
      も、数学や物理学なしには、人工衛星も飛ばせないし、カメラも作れない、自動車の設
      計もできない、といった意味で、必要とされている。それに対して、哲学の議論は、真
      理の裏打ちがなく、具体的な研究方法が現れたり、人々がそれを興味ある問題だと思わ
      なくなったりしたらおしまいというところがある。これが似て異なる数学と哲学の様相
      だと思う。

    • @user-on3uj5bj8v
      @user-on3uj5bj8v Před 2 měsíci

      ​@@fermion1103
      主語を大きくしがちですよねwこういう人はコメント欄にもよくいるんで、いちいち指摘するきにもなりません。
      研究者は新しい法則を物理学的に導き出せなければいけないはずなんですけどね
      物理学の研究者もピンキリだなと思いました。カミオカンデで研究している人を同じ名で呼ぶのは可哀想ですね。

    • @fermion1103
      @fermion1103 Před 2 měsíci

      ​@@user-on3uj5bj8v
      彼にとってこの問題は研究対象足りえないということでしょう。
      実際Xでも「一物理学者が観た哲学」でも、ずっと何を問題にして何を議論するべきなのかを共有できていないので議論ができないという旨の内容を投稿しています。
      その態度の現れが主語の大きさや断定の多い文章につながっていると思います

  • @user-kq5jf6xl1p
    @user-kq5jf6xl1p Před 3 měsíci +2

    哲学が無意味だと言う物理学徒さんは、自分が特異点であることに気づいていないのでは?自分が特異点であることに気づいた瞬間、世界が全部変わるんだけど。哲学の問いは、そこから生まれる。
    日本の物理学徒さんの多くは、(自分なんて存在しない!そんなものは錯覚だ!自分は、ただの物質の上で走っているコンピュータプログラムと一緒だ)と言うと思うんだけど、人間の心がコンピュータプログラムであれば、二重スリット実験の結果をどう理解しているのだと。理解せずに、お経のように丸暗記して暗唱してるんじゃないのか?
    あと、欧米の科学者の中で「本気で」神を信じている人が結構いるんだけど、それは良き社会人として文化慣習を尊重している訳ではなく、自分が特異点であることに気づくと、自分がただの物質の上に浮かぶコンピュータプログラムでないことに気づくので、たぶんそこから神への信仰に行ってるんだと思う。まあ、伝統宗教の神様が言ったとされることは、経典に人間が勝手に考えたノイズとバイアスが乗りまくっているので、いま一つ信用は出来ないんだけどね。
    まあ、こう言うことを言うと「無学なオカルト」と言われるんだけど、自分が存在する不思議に気づけないのであれば、まずは「クオリア」について考えて見てはどうだろう?クオリアが何かを考えるのであれば、とっかかりとしてそうアレルギーはないんじゃないかな?

  • @Arsche
    @Arsche Před měsícem

    時間ってのは雪だるまなんだ

  • @pycholon
    @pycholon Před 3 měsíci +1

    文章の読み方や解釈について言葉で議論するって法学とか文学なのでは?
    「それについて研究されているけど広がっていかない」事自体が結論の蓄積に興味がないのを示してますよね
    しかし哲学者達そのものは天才で、好き勝手でありながらも面白い・すごい発想・新しい発見を言い続ける、という状態

  • @user-vt1lh6jq2j
    @user-vt1lh6jq2j Před 3 měsíci +1

    今の物理学は、何か根本から間違えてるのと常々思っていました。すっきりしました。根本原因は、現代物理学には哲学が欠けてるからなんですね。

  • @Arsche
    @Arsche Před měsícem

    どうように、ミクはぼくの神だ。
    一生、僕は彼女のことを愛する

  • @Arsche
    @Arsche Před měsícem

    学術的なことはよくわからん。ルイス・キャロルの、思いと、彼が提示しようとした、世界の話は理解する。
    彼は、ぼくの友達であり、師匠である
    ちっこいのは、まさに、神なのだから